周りから見ていると分からないかもしれないが、進振りが迫ってきたいま、僕は真剣に進路を悩んでいる。
やりたいことが多すぎる。ずっと前から分かってはいたことだが、おそらく進振りの直前まで悩み続けることになるのだろう。
だが、誤解を恐れず言ってしまえば、どこの学部に行くかというのは大した問題ではないと思っている。
「東大なんたら学科卒」という看板を外しても、社会でしっかりと生きれるような人間になりたい。
校内を歩いていると目に入る、ドリームネットというサークルが主催している交流会のポスター、自分-東大=?というキャッチコピー。
もう少し目立つようにデザインすればいいのに、と残念になるぐらい、このコピーは重要な意味を持つものだと思う。
自分から東大という名前を取ったときに何が残るか。今、たとえばここで突然東大が消滅し、自らの所属が無になるような状況が
生まれたとき、自分は何を拠り所にして生きるか。
大学という所属を持っていると、所属しているというだけで安心感が生まれる。
そして、次第にそれに依拠してしまいがちである。(五月病なんてのもその一種だと考えられるかもしれない。)
予備校に所属する事もなく、自習室を借りて二浪していた時、とても貴重な経験をした。
どこにも属していなかったから、何かの証明書に記入する時には、高校生でも大学生でも社会人でも学生でもない
「その他」に丸をつけることになる。この恐怖といったら!!
宙ぶらりんの恐ろしさ、当り前のように踏んでいた足場を外されたときの言葉にしがたい恐怖。
自分は何者でもない。学んでいるわけでも働いているわけでもない単なる「その他」である。
だが、「その他」でしかないのか、と気づいたとき、「最強のその他」になろう、という目標が生まれた。
失うものは何もない。どこかを除籍されることもなければ、呼び出されることもない。誰にも何にも所属しない中でも自信を持って
自己を確立できるように、どこにも属さない貴重な時間を使って出来る限りのことをしなければならない。
ひとまず大学に所属するようになった今でも、その気持ちは変わっていない。
どこに進学するにせよ、究極的には東大が突然あした消滅したとしても、社会で逞しく生きていける人間になりたい。
数か月後の進振りで些末な事象に拘泥して道を見失ってしまわないよう、数か月後の自分に向けて書いておいた。
その恐怖なんとなくわかるな。自宅浪人でないとはいえ、僕も1年間「専修学校生」だったわけで、東大クラスに居ようが、身分的には「無職」と同じわけで。同じ教室にいる制服に身を包んだ高校生が、すごい輝いて見えたよ。・・・そういえば、立花ゼミは、浪人経験者が多いな。そういうことも、関係あるのかな?
失礼しました。上のコメは栄田のモノです。
-=なんてアネクドートを思い出しますね。
私自身は浪人中不安を感じなかったといえば嘘ですが、それ以上に快適でした。
帰属意識が低いのかなぁ?
上のコメントでは上手く表示されなかった部分をもう一度。
>栄田さん
制服を着た高校生、本当に輝いて見えますよね。
自分がどこかに所属していることを疑いもせず、自信に満ちて輝いている。
凄くまぶしく思えました。立花ゼミに参加するような学生には、
無難な大学生活を過ごしたくない!という気概があるように思うのですが、
その気風や問題意識は浪人の経験から来ているのかもしれませんね。
>窪田さん
寡聞にしてアネクドートが何か知らなかったので、検索してみて納得しました。
僕も浪人中は不安を感じながらも快適ではありました。自分の好きなように出来るし、
今よりもずっと本を読んだり音楽を聞いたりしていられましたしね。
でも、快適に過ごせたように思える一番の理由は、一浪目、二浪目ともに
個性全開な良い友達に出会う事が出来たからだと思っています。浪人して良かった!
こんばんは.もしくはこんにちは.N高校で一緒だったとあるおとこです.元気?
数学行くとか言っていたけど今は科哲にいます.今度のみません?
明日の一時から十四号館で表象と文人の友人たちと勉強会をやるっす.お題はフーコーの『言葉と物』っす.よかったらきてね.午前一時じゃないよ.午後一時だよ.
>Atsushit ano氏
お久しぶりです。といって、実は誰だかあんまり想像ついてないんやけど、Y氏かK氏かな?
科哲にいるとは知りませんでした。
しばらくサーフトリップに出かけていたため、『言葉と物』の勉強会には参加できず残念。
夏休みは帰省したりでちょっと忙しいけど、予定合えば一度呑みましょうか。
アドレスはブログのCONTACTのページに載せてあるので、一度メール下さい。