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年度末に思う。

 

春が別れと始まりの季節だとすれば、僕にとって今年の春は、二年目の浪人生活のスタートの気分に良く似ている。つまり、孤独の始まりということだ。

 

3月31日、夕暮れの駒場を一人で歩く。

新歓の準備をする学生たち、これから始まるキャンパスライフに隠しようもない期待が滲み出た新入生たち。

二つ下の学年で入って来た後輩もこの春に卒業してしまった。僕が本当の意味で親しく話していた同期や後輩たちのほとんどは、キャンパスを後にした。

 

 

満開になった桜の下で一人ぼんやりと腰を下ろす。

僕は僕で良いのだろうか。答えが出るわけもない、そんな問いを自分に向けてみる。

新しく入ってくる学生たちに胸を張って正対できるだけの何かが自分にあるのか。

年齢を重ねれば重ねるほど、超えるべきハードルが高くなってくる。今年は昨年よりずっと高いものを飛び越えなければならない。

 

 

銀杏並木を抜けて図書館前まで歩いてくる。

ディアギレフの日記のことを考えていて、ふと目の前にあらわれたシルエットにはっとした。

後ろ姿だけですぐ分かる。今年度で駒場を離れる大先生が夕暮れの中に佇んでいた。

駒場を長く愛し、駒場に全力を注いだ巨匠は、最後の一年間を迎えるにあたって何を思うのだろう。

研究は孤独なものだけれど、互いの孤独がぶつかり合って火花を散らす瞬間がなければならないし、それが楽しくて僕は研究をやってきた。

先生の著書のその一文が唐突に頭に響く。

 

孤独をどこまで自分の血肉となすことが出来るか。一年後にはきっと、がらりと景色が変わることだろう。

僕はいよいよ、何者かにならねばならぬ。

 

 

 

Le Printemps adorable a perdu son odeur !

Et le Temps m’engloutit minute par minute, Comme la neige immense un corps pris de roideur ; Je contemple d’en haut le globe en sa rondeur Et je n’y cherche plus l’abri d’une cahute.

Avalanche, veux-tu m’emporter dans ta chute ?(Le Goût du Néant. )

 

Une seule fois

 

本番を終えた楽譜を納めるとき、いつも言葉にならぬ寂しさに襲われる。

この曲を演奏する事はこの先何度もあるかもしれない。けれども、この曲をあのメンバーと演奏するのは二度と無い事なのだ。

音楽はいつも一回限り。儚く、しかしそれゆえに掛け替えない。

 

 

関西での本番を終えて、来たときと同様に新幹線で東京へ戻る。

抱えていた苦しみは一緒に演奏してくれた子供たちの笑顔と頂いた拍手で吹き飛び、また音楽したいという気持ちだけが強く残る。

明日からはラプソディー・イン・ブルーのリハーサル。どんな音色になるのか楽しみでならない。そして、きっとまた、沢山の人たちと出会うのだろう。

人と会って話すのが昔から好きだった僕にとって、指揮者というのはこれ以上なく恵まれた立場であることに今更気付くのだ。

行く先々でたくさんの人と会い、音楽で会話し、お酒を飲んで笑う。そんな日々を重ねていきたい。

 

 

 

満席!ベガ・ジュニアアンサンブル 7th Concert

 

 

ベガ・ジュニアアンサンブル第七回コンサート、無事に終演致しました。

開場前から長蛇の列ができ、なんと満席!関西で最初に指揮させて頂いたコンサートが満席御礼というのは幸せなことです。

来て下さった方々、本当にありがとうございました。家族を自分の指揮するコンサートにはじめて招待することもでき、一つ夢を叶えることが出来ました。

 

当日のプログラムは以下になります。

2014.3.23@宝塚ベガホール

1.鉄腕アトム
2.ブルック・グリーン組曲
3.パイレーツ・オブ・カリビアンメドレー
4.カルメン組曲
—休憩—
5.ハイドン:交響曲第101番「時計」
6.プロコフィエフ:「ピーターと狼」
7.星に願いを(アンコール)

 

小学生から大学生までの奏者の皆さんと一緒に、今出来る限りの演奏が出来たと思っています。

パイレーツオブカリビアンでは、どのリハーサルよりも良い音が鳴っていて、みんながノリノリの表情で弾いていて下さっていたのが印象に残っています。

プロコフィエフの「ピーターと狼」で共演した中学二年生でフルートのソリスト脇坂さん、そして人形浄瑠璃の豊竹希大夫さんの語りともタイミングばっちり。

打ち上げで奏者の皆さんから頂いた、「指揮を見ていたら弾けた。今までで一番楽しかった」という言葉や、トレーナーの先生方から頂いた

「ベガジュニアの黄金期がやってきた」という言葉には、幸せに身が震える思いでした。

 

未熟ながらも指揮をやっていて良かった。アンコールに演奏した「星に願いを」の響きが今も頭から離れません。

悩むことも多いけれど、本番の楽しみはやっぱり何物にも代え難く、演奏中に目が合ってにやりとする一瞬の喜びをまた味わえるように明日からも勉強しようと思います。

弦楽器の先生方の厳しくも温かいご指導、ベガホールという素晴らしい空間、本当に恵まれた環境でした。また皆さんと一緒に演奏する日が訪れますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸新聞に掲載頂きました。

 

3月23日に指揮するベガ・ジュニアアンサンブルの第七回演奏会を神戸新聞に取り上げて頂きました。

贅沢な事に本番会場のベガ・ホールでリハーサルを重ねていますが、噂には聞いていたけれど雰囲気も音響も最高のホールで、今まで演奏した中ではダントツで好きなホールになりました。

シャンデリアと煉瓦の組み合わせがいかにも神戸・宝塚らしく、ヴィオラを筆頭に響きがとても美しい。本当に素晴らしい空間です。

 

それにしても人形浄瑠璃の方とのプロコフィエフ「ピーターと狼」は本当に刺激的!

比較芸術を専門にする身としても異なる領域とこうしてステージをご一緒させて頂けることは嬉しくてならず、語りが入るたびに「!!!」とニヤニヤしてしまいます。

演奏者は小学生から大学生まで、20歳以下の方ばかりですが、皆さんとても真摯に取り組んで下さる様子が伝わって来て、指揮していてとても楽しいです。

トレーナーには指導経験豊富な素晴らしい先生方がついてくださっており、非常に的確なアドバイスや、雰囲気を考えて言葉を選んで下さるご様子に僕も多くを教えて頂く日々です。

 

先生のお一人は桐朋時代にあの斎藤秀雄先生(僕の師の師です)の指揮で演奏されたことがあるそうで、その先生から初日のリハーサルの際に

「斉藤先生の姿が見える…」というお言葉を頂いた事は、一生忘れられないほど嬉しいことでした。師匠に報告すれば「100億年早い」と一喝されてしまうでしょうが、

斉藤先生の教えを徹底的に守り続け、伝え続けていらっしゃった村方先生に日々教えを頂く身として、このお言葉はちょっと涙無しでは聞けないもので、

遠くで見守っていて下さるであろう師に心から感謝するばかり。フィリピンで一緒した奏者の皆さんがわざわざ東京から聴きに来て下さることも幸せでなりません。

皆さんの期待とご声援に応えられるよう、精一杯指揮させて頂きたいと思います。

 

ベガ・ジュニアアンサンブル(神戸新聞)

 

 

 

 

留め金を素早く掛けて。

 

関西へ戻る車窓の中、コクトーを読み直している。

解決しようのない苦しみや悩みに突き当たったときには必ず読み返す。

もう何十回も読んでいるはずなのに、今日はこの一節が痛いほど刺さる。不思議なことだ。

 

Mais assez dit. S’attendrir embrouille l’âme. On ne communique pas davandage cette sorte de souvenirs que les épisodes d’un rêve.

Il est bon de se répéter que chacun de nous en abrite d’analogues et ne nous les impose pas.

Si je me suis un peu trop attardé à geindre, c’est que ma memoire, n’ayant plus de lieu, [...]

<Music & Science>No.5 「スタンダード・ジャズ - いつか誰かと…」を終えて

 

ゲストとして参加させて頂いたFreshman Festivalが無事に終わりました。

なんと10社以上のメディアから取材依頼があったそうです。僕は大したことをしていませんが、新入生の方々の嬉しそうな表情を見ていると、ああ良かったなあと思えました。

在校生が手作りのイベントで新入生をもてなす。こういう「歓待」の精神はとてもいいですね。

 

夜は丸ノ内インターメディアテクで企画している室内楽コンサート<Music & Science>No.5 「スタンダード・ジャズ」へ。

吹き抜けの空間で素晴らしい音色と自在なアドリブを楽しませて頂きました。お客様からのリクエストを受けてアンコールに演奏されたMy Favorite Thingsがとってもお洒落!

つい最近オーケストラでこの曲を演奏した直後ということもあって、こんなふうに旋律を展開していけるのだなあと鳥肌と共に感動するばかりです。

 

これにて丸ノ内での室内楽コンサートは一区切り。

学問上の研究テーマの一つでもある19世紀のパリ万国博覧会において、「音楽の展示」というコンサートが行われていたということが

このコンサートを発案する上で大きなヒントになったのですが、こうして連続して企画させて頂くことが出来たのは本当に幸せなことでした。

 

第一回「対話編」:チェロとバンドネオンによる17世紀バロック音楽とアルゼンチン・タンゴ

第二回「驚異の口笛、そしてギター」:口笛とクワトロ&ギターによるベネズエラ音楽

第三回「ケルトの響き、時空を超えて」:フィドル、バウロン、コンサティーナ、ホイッスル、ダブルベースによるケルト音楽

第四回「群れ集うチェロ弾きたち」:チェロ・オーケストラ(チェリスト15名+指揮)とフルートによるブラジル音楽 (レビューはこちら)

第五回「いつか、誰かと…」:ピアノ、サックス、トランペット、ウッドベースによる、スタンダード・ジャズ

 

 

全五回の内訳は以上です。僕なりのコダワリから、室内楽コンサートとしてはおそらく相当異色なプログラミングで企画および演奏させて頂きました。

ただワールドワイドな音楽を並べただけはなく、楽器と音楽が有する「驚異」を十分に味わえるように、

奏者と観客が出来る限り近い距離を共有することができて、展示の空間と音楽が対話を重ねることができるようにと考えた結果です。

奏者はこれまで一緒に演奏して来てその人柄と腕を良く知っている友人たちに打診させて頂き、美学を共有できる運営メンバーのお二人にも恵まれて、

幸せなことに毎回とてもご好評を頂くこととなりました。音楽の純粋な楽しさはもちろん、博物館で演奏するということによって立ち上がる

「場」の楽しみを少しでも感じて頂けたとすれば嬉しいです。

 

演奏して下さった方々、一緒に企画して支えて下さったIMTやJPタワーのスタッフの方々、お忙しい中に足をお運び頂いたみなさま、本当にありがとうございました。

次年度以降の予定はまだ決まっておりませんが、もしも継続出来ることになりました際には、どうぞよろしくお願い致します。

 

第四回「群れ集うチェリストたち」開演前

 

三冊をめぐって

 

Freshman Festivalのインタビューでおすすめの本を三冊紹介してほしい、ということだったので、かなり悩んだ末に、

コクトー『僕自身あるいは困難な存在』(La Difficulté d’être)と、リルケ『マルテの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)と

立花隆『青春漂流』の三冊を挙げました。

 

コクトーは僕の人生を大きく動かした一冊。ブログでも何度も取り上げてきましたし、色々なところからインタビューを頂いても必ず挙げるものです。

「射撃姿勢をとらずに凝っと狙いを定め、何としてでも的の中心を射抜く」など、頭の中から離れなくなる言葉と強靭な思考で溢れています。

 

 

リルケは独りの時間に沈むときにしばしば読み返します。

生きることと死ぬこと・見ることと書くことをめぐって、自分の内側に降り立たせてくれるような静けさを備えた一冊です。

大好きな一節を引用しておきましょう。

 

詩はいつでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。

そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。

詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。

詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。

空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。

──まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと

(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。

海べりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。

いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。

白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。

死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。

しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。

そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、

もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。

 

 

立花さんの『青春漂流』は二十五年前に出版された本で、立花さんの著書の中では随分前の部類に入るかもしれませんが、今読んでも褪せない刺激に溢れていると思います。

とりわけ新入生には響くところが大きいでしょう。本書の力強い一節を、自戒も込めて引用させて頂きます。

 

自分の人生を自分に賭けられるようになるまでには、それにふさわしい自分を作るためには、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。

それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。

そしてまた、その求めんとする意思が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。その時、その「船出」を無謀な冒険とするか、それとも果敢な 冒険とするかは、

「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。青春とは、やがて来るべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。

そこにおいて最も大切なことは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は,「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし,

その当然の帰結として,「船出」の日も訪れてこない.彼を待っているのは,状況に流されていくだけの人生である。

 

 

海をつくる

 

 

帰国して一週間以上経つというのに耳から子供たちの笑い声と歓声が離れない。

フィリピンでの日々がどれほど自分に衝撃を与えたか思い返している。

 

フィリピンについた二日目、僕はマクタン島の海に行った。

遠くへ伸びた突堤の先端まで一人で歩きながら、この十日間で海をつくろう、と決心した。

海は、どんなものだって受け入れる大きさを持ちながら、確かな方向性を持っている。

様々な要素を包み込むことと、大きな流れを見失わないこと。海のイマージュに託して考えたのはそういうことだった。

 

 

包み込むこと。

オーケストラには考え方や性格や技術の異なる色々な人がいる。それはそういうものだし、それこそがオーケストラなのだ。

無理に一つに整えようと躍起になるのではなく、それぞれの個性を最大限に尊重しながら自然と同じ方向へ導いて行く。

一人一人が自由に奏でた結果、同じ流れの中に合流して大河を生む。

それは簡単なことではなく、時間のかかることかもしれないが、技術の巧拙を超えて「志」を持った温かい音はそこから生まれると信じる。

 

 

大きな流れ。

細かな視点から書き上げれば、一つの音符の方向性にはじまり、主題の作り方、楽章ごとの持っていきかた、曲そのものの持っていきかた、

そして曲と曲の非連続/連続性=プログラミングに至る。細かな要素一つ一つに「流れ」があり、同時にそれはマクロな流れの中に位置づけられる。

そういう意味で当然ながらプログラミングの重要性は大きく、相当なこだわりを持って毎回のプログラムを作って行った。

(フィリピンではいわゆるコンサートホールのようなものが十分に存在しないこともあり、

演奏会場についてから音響とお客様の様子を考慮して、その場でプログラムを決定させて頂いた)

 

それ以上に大きな流れ。それは、「十日間続くコンサート」という連続した日々の流れだ。

一回一回のコンサートの流れが小説のチャプター一つずつにあたるとすれば、これは小説全体の流れにあたる。

一回一回のコンサートが支流を作るようなものであったとすれば、この最も大きな流れを捉える思考は鳥の眼差しだ。

それぞれの川がいつしか集まって一つの「海」を作っていたことを見出すような…。

 

 

どこまで果たせたかは分からない。

けれども、最後の演奏会を指揮しながら、僕には確かに海が見えたのだ。

 

海をつくる

 

 

 

 

Freshman Festival

 

東京大学の新入生向けのイベントにゲストとしてお招き頂き、少しお話させて頂くことになりました。

ともすれば「意識が高い」とか、サークルの事前勧誘ではないかとか揶揄される方もいるかもしれませんが、

企画された方々からお話を伺ってみると全くそういうことはなく、「合格発表が中止になったいま、先輩として新しく入ってくる後輩たちを祝福してあげたい」

という温かいお気持ちに共感して、微力ながらお手伝いさせて頂く事となりました。

もちろん参加は強制ではなく自由なもので、学生たちだけでリードしていく手作りの企画になっているようです。

同じキャンパスに時間を過ごす者として、こうした歓待の精神はとても素敵だなあと思います。

 

それにしても自分が新入生だった頃から既に六年が経ったことには驚くばかりです。

六年経ったにも関わらずいまだ駒場の学生の身でいる僕に何が話せるのか分かりませんし、棒振りとしても駆け出し中の駆け出しに過ぎないのですが、

逆に考えてみれば、いまだ学生で将来や興味を模索する身だからこそ話せることがあるのかもしれない、とも思います。

イベントに先立ってインタビューを受けましたので、ご笑覧ください。

 

・Freshman Festival (HP)
日時:2014年3月13日(木)
14:45開場 15:00開会
場所:東京大学駒場キャンパス
コミュニケーションプラザ南館1階(cafeteria若葉)
第二体育館

http://freshmanfestival2014.web.fc2.com/guest_kimoto.html