October 2024
M T W T F S S
« May    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

夏との別れ

 

L’automne, déjà !

ランボーのAdieuの冒頭を読み上げてから講義に入る駒場の大先生。

おそらくは、その人にとって自らの世界に入る呪文のような役割をしているランボーの一節。

聞き慣れた声。しかし僕は聞いた。そこに、いつもとは違った震えが宿っていたことを。

ただの秋の訪れではない。その全人生における秋の到来であり、長かった夏との別れを宣言するものだった。

 

Oui l’heure nouvelle est au moins très-sévère.

それは大先生の最終講義の初回だった。

46年間の駒場の生活は教えたというより学び続けたという思いがしている。前期課程向けに最後の講義をして駒場を去りたい。

いつものように即興で印象的な言葉を紡いで行く先生に、広い教室を埋めた学生たちが静まり返る。

僕にとっても前期課程向けの講義に潜るのは久しぶりで、周りの若い熱気に気圧されそうにもなる。

 

向けられる問いは我々に対してではなく、先生自身に向けられたものだ。問いを自分自身に向けて、先生は我々の瞳の前で戦い、考える。

問いの中に、一緒に読ませて頂いたボードレールやミシェル・ドゥギーが顔を出す。

ランボー、ドゥルーズ、ナンシー。そして驚くべきことにコルトレーン。今日の変奏の行き着いた先はAfter the rainだった。

Ballade(バラード)であってBalade(逍遥)、これは授業ではなくある種の降霊術であり、儀式だと思うのだ。

師の語りに何が宿るのか。出来事が生成される瞬間を目撃し、共有させて頂けることを幸せに思う。

 

 

 

 

 

 

 

灘校で講義をさせて頂きます。

 

母校である灘校にて、指揮に関する講義を持つことになりました。20代で土曜講座(10月4日)に呼んで頂けることになるとは思わなかったので、大変に嬉しい限りです。

 

とはいっても駆け出し中の駆け出しの僕などが「指揮とは~」なんて偉そうに語れるわけはなく(語って良いわけもなく)、ピアノを用いた実演とともに、師匠から受けた教えを僕なりに紹介して行く形になりますが、母校ということで大胆に、自分にしか話せないことも喋ってみたいと思います。それは「指揮の比較芸術」というテーマで、音楽に留まらず古今の様々な芸術論や身体論と比較しながら指揮を考えることで、ある意味で捉えどころの無いこの芸術を言葉によって「変奏」する試みです。

 

それは僕にとって、東京大学大学院で人文科学を勉強することと、村方先生のもとで指揮を学ぶということとが、乖離したものではなく、互いに強く 影響を与え合っているものであることを示す営為でもあります。人文科学系の学問というのは、端的には「言葉にならないものに言葉で肉薄する(言葉という「肉」を与える)」ことに尽きると思うのですが、そうした日々のトレーニングを指揮という芸術に適用してみたい。もちろん、言葉にしようとしても逃げ去っていく何だか分からないもの(le-je-ne-sais-quoi)にこそ核心が宿るであろうことを理解した上で、です。そして同時に、学問上の師の一人である小林康夫先生が 折りに触れて語る、「僕は自分が知らないことについて書き、話すのだ。」という名言を継承して、即興的に話してみたいと思います。

 

なお、翌日14時からは大阪クレオホールでUUUオーケストラの国内演奏会を指揮します。こちらは記事を改めて紹介させて頂きますが、全席自由無料で楽しいコンサートになりそうです。指揮者体験コーナーなどもありますので、良かったらぜひ。

 

 

灘校土曜講座

「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」寸評

 

副委員長を務めさせて頂いている展覧会カタログ評委員会にて、世田谷美術館の「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」の寸評を執筆致しました。

東大比較文學會の中のこのページからお読み頂けます。評というよりエッセイのようなとても短いものですが、どうぞご高覧下さい。

http://www.todai-hikaku.org/bb/2014/07/post_58.html

 

三島の音楽

 

三島由紀夫の『憂国』を読んでいて、音楽が聞こえた。

第五章の麗子の自刃のシーン。それまで閉鎖されていた空間に、戸を<あける>ことによって外部の冬の空気と第三者の眼差しが侵入する。

二章、三章で延々と湧き上がって来た性と死の興奮がリセットされ、Subito pからわずか数小節-半ページでfffまで達する。

中尉の壮絶な死の描写に対して、(小林先生の言葉を用いれば)「遅れて」くる死。

どうしようもなく遅れてくるのだけど、それ以上の遅れは拒否される。「麗子は遅疑しなかった」と。

その決定の鋭さ、その刃の<甘い>味はこの外の冷たさが一瞬侵入する事によって際立つ。そのダイナミクスの興奮といったら!

三島にとっての死の美しさとは、実のところこの短い五章、この半ページにこそ宿されているのではないか。そんなことを考えた。

 
 

<Music & Science>No.5 「スタンダード・ジャズ - いつか誰かと…」を終えて

 

ゲストとして参加させて頂いたFreshman Festivalが無事に終わりました。

なんと10社以上のメディアから取材依頼があったそうです。僕は大したことをしていませんが、新入生の方々の嬉しそうな表情を見ていると、ああ良かったなあと思えました。

在校生が手作りのイベントで新入生をもてなす。こういう「歓待」の精神はとてもいいですね。

 

夜は丸ノ内インターメディアテクで企画している室内楽コンサート<Music & Science>No.5 「スタンダード・ジャズ」へ。

吹き抜けの空間で素晴らしい音色と自在なアドリブを楽しませて頂きました。お客様からのリクエストを受けてアンコールに演奏されたMy Favorite Thingsがとってもお洒落!

つい最近オーケストラでこの曲を演奏した直後ということもあって、こんなふうに旋律を展開していけるのだなあと鳥肌と共に感動するばかりです。

 

これにて丸ノ内での室内楽コンサートは一区切り。

学問上の研究テーマの一つでもある19世紀のパリ万国博覧会において、「音楽の展示」というコンサートが行われていたということが

このコンサートを発案する上で大きなヒントになったのですが、こうして連続して企画させて頂くことが出来たのは本当に幸せなことでした。

 

第一回「対話編」:チェロとバンドネオンによる17世紀バロック音楽とアルゼンチン・タンゴ

第二回「驚異の口笛、そしてギター」:口笛とクワトロ&ギターによるベネズエラ音楽

第三回「ケルトの響き、時空を超えて」:フィドル、バウロン、コンサティーナ、ホイッスル、ダブルベースによるケルト音楽

第四回「群れ集うチェロ弾きたち」:チェロ・オーケストラ(チェリスト15名+指揮)とフルートによるブラジル音楽 (レビューはこちら)

第五回「いつか、誰かと…」:ピアノ、サックス、トランペット、ウッドベースによる、スタンダード・ジャズ

 

 

全五回の内訳は以上です。僕なりのコダワリから、室内楽コンサートとしてはおそらく相当異色なプログラミングで企画および演奏させて頂きました。

ただワールドワイドな音楽を並べただけはなく、楽器と音楽が有する「驚異」を十分に味わえるように、

奏者と観客が出来る限り近い距離を共有することができて、展示の空間と音楽が対話を重ねることができるようにと考えた結果です。

奏者はこれまで一緒に演奏して来てその人柄と腕を良く知っている友人たちに打診させて頂き、美学を共有できる運営メンバーのお二人にも恵まれて、

幸せなことに毎回とてもご好評を頂くこととなりました。音楽の純粋な楽しさはもちろん、博物館で演奏するということによって立ち上がる

「場」の楽しみを少しでも感じて頂けたとすれば嬉しいです。

 

演奏して下さった方々、一緒に企画して支えて下さったIMTやJPタワーのスタッフの方々、お忙しい中に足をお運び頂いたみなさま、本当にありがとうございました。

次年度以降の予定はまだ決まっておりませんが、もしも継続出来ることになりました際には、どうぞよろしくお願い致します。

 

第四回「群れ集うチェリストたち」開演前

 

三冊をめぐって

 

Freshman Festivalのインタビューでおすすめの本を三冊紹介してほしい、ということだったので、かなり悩んだ末に、

コクトー『僕自身あるいは困難な存在』(La Difficulté d’être)と、リルケ『マルテの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)と

立花隆『青春漂流』の三冊を挙げました。

 

コクトーは僕の人生を大きく動かした一冊。ブログでも何度も取り上げてきましたし、色々なところからインタビューを頂いても必ず挙げるものです。

「射撃姿勢をとらずに凝っと狙いを定め、何としてでも的の中心を射抜く」など、頭の中から離れなくなる言葉と強靭な思考で溢れています。

 

 

リルケは独りの時間に沈むときにしばしば読み返します。

生きることと死ぬこと・見ることと書くことをめぐって、自分の内側に降り立たせてくれるような静けさを備えた一冊です。

大好きな一節を引用しておきましょう。

 

詩はいつでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。

そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。

詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。

詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。

空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。

──まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと

(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。

海べりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。

いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。

白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。

死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。

しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。

そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、

もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。

 

 

立花さんの『青春漂流』は二十五年前に出版された本で、立花さんの著書の中では随分前の部類に入るかもしれませんが、今読んでも褪せない刺激に溢れていると思います。

とりわけ新入生には響くところが大きいでしょう。本書の力強い一節を、自戒も込めて引用させて頂きます。

 

自分の人生を自分に賭けられるようになるまでには、それにふさわしい自分を作るためには、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。

それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。

そしてまた、その求めんとする意思が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。その時、その「船出」を無謀な冒険とするか、それとも果敢な 冒険とするかは、

「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。青春とは、やがて来るべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。

そこにおいて最も大切なことは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は,「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし,

その当然の帰結として,「船出」の日も訪れてこない.彼を待っているのは,状況に流されていくだけの人生である。

 

 

Freshman Festival

 

東京大学の新入生向けのイベントにゲストとしてお招き頂き、少しお話させて頂くことになりました。

ともすれば「意識が高い」とか、サークルの事前勧誘ではないかとか揶揄される方もいるかもしれませんが、

企画された方々からお話を伺ってみると全くそういうことはなく、「合格発表が中止になったいま、先輩として新しく入ってくる後輩たちを祝福してあげたい」

という温かいお気持ちに共感して、微力ながらお手伝いさせて頂く事となりました。

もちろん参加は強制ではなく自由なもので、学生たちだけでリードしていく手作りの企画になっているようです。

同じキャンパスに時間を過ごす者として、こうした歓待の精神はとても素敵だなあと思います。

 

それにしても自分が新入生だった頃から既に六年が経ったことには驚くばかりです。

六年経ったにも関わらずいまだ駒場の学生の身でいる僕に何が話せるのか分かりませんし、棒振りとしても駆け出し中の駆け出しに過ぎないのですが、

逆に考えてみれば、いまだ学生で将来や興味を模索する身だからこそ話せることがあるのかもしれない、とも思います。

イベントに先立ってインタビューを受けましたので、ご笑覧ください。

 

・Freshman Festival (HP)
日時:2014年3月13日(木)
14:45開場 15:00開会
場所:東京大学駒場キャンパス
コミュニケーションプラザ南館1階(cafeteria若葉)
第二体育館

http://freshmanfestival2014.web.fc2.com/guest_kimoto.html

 

雪の駒場

 

この一週間はタガログ語を勉強していました。

フィリピンで指揮する曲に現地のフォークソング・メドレーが含まれているので、作りを考えるにあたって、

原曲を辿ってタガログ語の歌詞と曲想を把握しておく必要があったからです。

ただでさえ不得意な語学、しかも全くの付け焼き刃に過ぎませんが、ang/ng/saフォームとリンカー概念を知ると

ほんの少しだけ読めるようになってき た感触があり、とりあえずそれぞれのフォークソングの歌詞と国歌を解読できるようになりました。

フィリピン国歌が結構激しい歌詞で驚いたと共に、最後にDahil Sa yoが出てきて、なるほどという感じ。

勉強にはこのサイト(https://learningtagalog.com/grammar/)を用いました。インターネットですぐに勉強できるのは本当にありがたいことです。

中学生や高校生のときにこれぐらいネットを使えてい たら少しは英語も出来るようになっていたのかなあ、と自分の不勉強を棚に上げて妄想するばかり。

ちなみに行き先のセブ島で一般的なのは、タガログ語ではな くビサヤ語だそうで、スペイン語とポルトガル語ぐらいの違いかなと思っていたら

かなり異なるものがあって困惑しました(笑)とりあえずは国内でのリハーサルもすべて終了したので、あとは現地に行ってから頑張りたいと思います。

 

写真は先日の大雪の日に駒場にて。演奏会用のプロフィール写真を友人のカメラマンに撮影して頂いた際の一枚です。

こんな大雪は10年ぶりとのことで、この先10年後に僕が駒場キャンパスにいるかどうかは分からない事を考えると、

二度と訪れない雪景色になったのかもしれません。栄田さん、本当にありがとう。

 

大雪の駒場にて。Photo by Yasutaka Eida

2013年度回想

 

大晦日ということで、2013年を振り返ってみようと思います。

 

<音楽>

・レッスンにて

1月:ワーグナー「マイスタージンガー 前奏曲」

2月:チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」、モーツァルト「交響曲第三十五番 ハフナー」

3月:ドヴォルザーク「交響曲第九番 新世界より」(2月&3月&4月)

4月:ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」組曲(二回目)、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ九番」

5月:ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ九番」、モーツァルト「交響曲第三十九番」、ドビュッシー:「小組曲」

6月:モーツァルト「交響曲第四十番」(6月&7月)

7月:モーツァルト「交響曲第四十番」(6月&7月)、シベリウス「交響詩 フィンランディア」(二回目)

8月:チャイコフスキー「交響曲第五番」、ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

9月:ベートーヴェン「交響曲第五番」(二回目)

10月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、指揮法教程練習題No.1-No.8(三回目)

11月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、ムソルグスキー&ラヴェル「展覧会の絵」組曲(三回目)

12月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、ヴェルディ「運命の力」序曲、シュトラウス「こうもり」序曲(二回目)

指揮を学びはじめてから、最も苦しんだ一年間でした。考える事や見えるものが増えていくのに棒の解像度が追いつかない。

頭の中で鳴っている響き(音ではなく)と、現実に鳴る響きとが音色やニュアンスの面で全く一致しない。

モーツァルトの40番をやっているときは精神的に本当に苦しい日々で、あれほど音楽が色褪せて見えた時期はありません。

と同時に、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を通しで見て頂いたときに感じた、一楽章や三楽章での集中と感情はこれまでに経験したことのないものでした。

ポジティブなものもネガティブなものも含めて、新しい感情と技術とを知った一年間であり、教えさせて頂くという行為を通じて基礎を改めて確認する一年間でもありました。

おそらくこの一年で僕の指揮は大きく変わっただろう、という実感があります。そして一つ進化した手応えと共に、自らの未熟さを強く強く実感しています。

遡及性と訴求性 — この先にある膨大な広がりに目眩がする思いですが、掴んだものをしっかり活かせるように来年も更に勉強して行きたい。

 

・本番など

1月10日、学生指揮者の方への指揮のアドバイスのため、お茶の水管弦楽団の室内楽コンサート「茶弦」リハーサルにお招き頂きました。(グリーグ「ホルベアの時代」)

3月22日、アンサンブル・コモドさまの東京公演を指揮させて頂きました。100人を超える大オーケストラと、ホルスト「惑星」抜粋やサウンド・オブ・ミュージックメドレーなどを

演奏致しました。アンコールははプッチーニの「菊の花」とYou raise me upです。

3月23日 Strudel Hornistenさまの第六回演奏会にて、スパーク「オリエント急行」ムソルグスキー「展覧会の絵」などを指揮させて頂きました。

4月〜 師の助手として、指揮法教室の初級クラスの指導に携わらせて頂く事になりました。(2013年中に4人の方を指導させて頂きました。)

4月〜 丸ノ内KITTE内の博物館IMTにおける連続室内楽企画のプロデューサーを務めさせて頂くことになりました。(バロック&アルゼンチン・タンゴ→ベネズエラ音楽→ケルト音楽→ブラジル音楽)

7月24日・26日・29日 足立区の中学校の吹奏楽部さまよりご依頼を頂き、三回にわたってコンクールのための吹奏楽指導を行いました。

8月21-23日 アンサンブル・コモドさまの東北遠征公演を二公演指揮させて頂きました。ビゼー「カルメン」組曲やシュトラウスの「春の声」などが中心です。

11月30日 コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ第三回演奏会を、丸ノ内の博物館にて指揮致しました。

総勢15名のチェリストとクレンゲル「讃歌」やロジャース「全ての山に登れ」、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ一番&五番」など。

12月23日 お茶の水管弦楽団弦セクション演奏会「茶弦」リハーサルにお招き頂き、学生指揮者の方の指揮指導をさせて頂きました。(レスピーギ「第三組曲」)

12月25日 クロワゼ・サロン・オーケストラと足立区の中学校の音楽鑑賞教室で演奏致しました。(芥川也寸志「トリプティーク」、アンダーソン「クリスマス・フェスティヴァル」など)

12月27日 武蔵野音大の方々からお声がけ頂き、千葉県の老人ホームにてレスピーギ「第三組曲」やタルティーニのトランペット協奏曲、そして書き下ろしの現代曲などを指揮致しました。

アンコールで演奏した「ふるさと」の大合唱を指揮しながら、聴きに来て下さった方々のお言葉を頂きながら、人の心を揺さぶり、つたないながらも多少なりとも感動を与えられる

音楽-指揮というこの行為に関わる事ができて本当に良かった、と思いました。一年の最後の本番で根源的な喜びを味わうことが出来て背筋が正される思いでした。

 

 

様々なオーケストラさまから沢山の本番を頂いた一年間でした。指揮する機会を下さった方々に、また、一緒に演奏して下さった方々に心から感謝致します。

本番は来年となりますが、フィリピンでのUUUオーケストラ&セブ・フィルハーモニックオーケストラとの合同コンサート・ツアーのリハーサルも2013年度から始まっています。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第三番やベートーヴェンの交響曲第五番、それから真島俊夫さんの「三つのジャポニスム」など。

それから、同じく来年の本番であるオーケストラ・アフェットゥオーソさんとのリハーサルも。こちらはオール・シベリウス・プログラムになります。

来年にはドミナント室内管の第二回コンサートも開催予定。一時期はどうしようか悩んでいましたが、やろうよという声をメンバーから沢山頂いて、動き出す事にしました。

腕前だけではなく人間的にも美学的にも気の会う仲間たちと楽しく音楽を作って行くという創設時の原点を見直しながら、今後にも繋がるように運営体制を整えたいと思っています。

今のところ来年の本番は、1月(東京)、2月(フィリピン)、3月(福島、兵庫)、5月(東京)、8月(東京、宮城)、11月(東京)、12月(東京)で頂いております。

一つ一つを丁寧に、そして常にフットワーク軽く過ごそうと思いますので、指揮が必要な際にはこれからもどうぞお声がけ下さい。

 

曲について。この一年間で勉強して最も衝撃を受けたのは、やはりベートーヴェンの九番とシベリウスの七番です。

ベートーヴェンの九番については何度もブログでも記事にしたのでここでは書かない事にして、これで師匠にベートーヴェンの全交響曲をレッスンして頂いた事になります。

シベリウスの七番は、僕が理解できていることはほんの僅かに過ぎないとはいえ、張り巡らされた論理と情感の凄まじさに絶句しました。

スコアを読むときには美しく織られた織物を解きほぐしていくような感覚。指揮するときには美しい模様の入った糸を織りあげて一つの構造物を作って行くような感覚。

特に夏頃だったと思いますが、寝ても覚めてもシベリウスの七番のことしか考えられない日が幾度もありました。

 

 

<学問とその周辺>

3月 フランス語で執筆した卒業論文La naissance d’une nouvelle sensibilité à la lumière artificielle : Le rôle des Expositions universelles de Paris 1855-1900にて学士(教養)取得。

大学院試験合格。地域文化研究学科フランス分科より、総合文化研究科の比較文学・比較文化コースに進学。

4月 東京大学大学院に所属する人文科学系の修士一名のみ(日本全国の修士で採用は合計七人だったと伺いました)を対象とした返還不要の奨学金である

松尾金蔵記念奨学基金に採用される。この奨学基金を頂く事がなければこの一年間を過ごす事は出来ませんでした。

4月〜寺田寅彦先生に師事。寺田先生にご指導頂くためにこのコースに進学したので、希望通りご指導頂けることになって本当に嬉しかった!

4月〜2013年度夏学期「情報」TAを担当致しました。

5月 立花隆「東京大学新図書館」 トークイベントにて、助手を務めました。(東大TVにて一般公開中)

5月 ミシェル・ドゥギーのLa Pietà Baudelaireを原典購読する小林康夫先生の講義にて、マラルメの「人工光」の扱いをボードレールと比較しながら発表させて頂きました。

ドゥギーはもちろん、ボードレールの「悪の華」や「パリの憂鬱」に原書でたくさん触れることが出来たのは僥倖でした。

2013年上半期の自分の頭の中にはいつもボードレールの存在があって、どこに行くにも鞄に『悪の華』を持ち歩いていました。

6月 小林康夫ゼミ(「絵画の哲学」)にて19世紀から20世紀初頭にかけての光の展開を絵画の問題と絡めながら発表させて頂きました。

7月 カイユボットの「床削り」と「パリの通り、雨」をめぐる論考を執筆致しました。

さきほどのボードレールと平行して、上半期の僕の頭の中を締めていた画家はカイユボットとドガだったと思います。

8月 京都の出版社の友人より、「19世紀フランスにおける光の文化史」というテーマでWeb連載のお話を頂きました。現在鋭意執筆中です。

10月「週刊読書人」11月8日号紙上にて、小宮正安さまの御新刊『音楽史 影の仕掛人』(春秋社)の書評を書かせて頂きました。

10月〜 東大比較文学会2013年度「展覧会・カタログ評院生委員会」副委員長を務めさせて頂くことになりました。

11月 立花隆先生のご著書投げ込みデザインを担当させて頂きました。これ以上沢山の部数印刷されるものを制作させて頂くことはこの先滅多に無いでしょう…(笑)

12月 小林康夫ゼミにて、ロベール・ドローネーの「カーディフ・チーム」をめぐる分析を発表させて頂きました。

12月まで 寺田寅彦ゼミ(フランス語で進行)にて、ファンタスマゴリー(魔術幻灯)の問題を集中的に勉強しました。下半期はここから「幻想」という問題を考えていて、

その繋がりで象徴主義に関する文献を読むことが多かったように思います。

 

研究を進めて行く中で、19世紀末の光のありかたを考える上でファンタスマゴリー以来綿々と続く「幻想」の思想、それから

19世紀末に高まる「装飾」という概念の交差が決定的に重要であることに気付かされました。

修士論文はこの装飾と幻想という思想を切り口に、光(と音)を考えるものになる予感がしています。

そしておそらく、ジョルジュ・ベルジュがキーパーソンになるはず…。

読んだ本を全て書き上げることはしませんが、とくに衝撃を受けたのは河本真理さんの『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』や、

デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー フランス世紀末と装飾芸術の思想』、Simone Delattre, Les douze heures noiresなど。

でもやっぱり一番響いたのはボードレールの諸々に出会えたことだったかもしれません。

ダンテを読めるようになりたくて、少しだけイタリア語を勉強し始めたことも書き添えておきます。

 

あとは不定期になってしまっていたボウリングをまた定期的に再開するようにしました。

音楽をやる上でも日々を過ごす上でも、僕にとってボウリングは座禅のようなもの。ぶれない呼吸や強靭な精神で脱力して立つこと。

それは指揮とも共通するもので、(今年は行けなかったけれども、サーフィンとも関係してきます)それぞれをうまく呼応させて高めて行きたいと思います。

今年は最高でも276までしか出せなかったのは悔しい限りで、ひとえに練習不足によることが明らかですから

来年こそは人生七回目のパーフェクトを達成すべく、動作の精度とレーン・リーディングの速度を向上させたいと企んでいます。

 

そういうわけで、この一年間は周りの方々に温かく支えて頂いて、好きなことに好きなだけ打ち込むことが出来た時間でした。

非常に充実していた一方で反省も限りなく、もっと餓えていなければならなかったと思う時間が沢山あるのも事実です。

来年は指揮活動でフィリピンと関西と東京と東北を行き来することになりますし、同時に夏ごろからは修士論文を形にしていかねばなりません。

頂いた機会を一つ一つ大切にして、来年も果敢に生きて行きたいと思います。そうすれば思いもよらなかった未来が開けることを信じて…。

 

長くなってしまいました。今年何度も引いた『悪の華』最後の一節を改めて引用して、ひとまず一年の終止(そして出発!)と致します。

 

 

Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ? 裂け目の奥へ飛び込んで、地獄も天国も知ったことか

Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !  新しきものを探し出すため、いざ未知の底へ!

 

 

2013年、忘れ難い日々をありがとうございました。2014年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

同時性と連続

 

 

For note, when evening shuts, a certain moment cuts The deed off, call the glory from the grey:A whisper from the west Shoots

- Add this to the rest, takes it and try its worth : here dies another day.
 
よく見てごらん、日も暮れなんとし、 ある一瞬がその日の仕事に仕切りをつけ、灰色の空から華やかな夕映えを取り上げる。西空から静かな声が聞こえてくる

-「この日を過ぎし日に加え、その値打ちをよく調べるのだ。また一日が去ってゆく」

 

ブラウニングの一節。この一節が好きで研究室の机の横に貼ってあるのだけれども、一年も終わりにさしかかりつつある今読み返すと、色々考えてしまう。

値打ちのある一日を過ごせるかどうかは自分次第。4月に先生から頂いた、「学問的直感の鋭さと学問的厳密さ・精緻さの共存」に向けてほんの少しは成長しただろうか。

とにかくは大学院で今年度最後の発表を終えてほっとした。昨夜からほとんど眠る時間が取れなかったので今日はここまで。明日も良い一日にしましょう。