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学問の師に出会う/大学院へ

 

この人にずっと教わりたい、という「師匠」のような存在に、学問でも音楽でもスポーツでも巡り会う事が出来たというのは

たぶんこれ以上ない幸せなのだろうと思う。それはただ技量や実力を盗みたくて側にいようと思う存在のことではない。

知性や感性はもちろん、佇まいから趣味まで含めて、感動し、憧れる存在のことだ。

スポーツ(ボウリング)の師に僕は17歳で巡り会った。そして音楽の師に22歳で巡り会った。

そしていま、理性と直感の二つで「この人だ!」と思えるような学問上の師に、学部時代の最後になって出会うことが出来た。

だから僕は、働くことを少し後回しにして、大学院へと進学する事を決めた。

 

学部時代の所属である東京大学の教養学部地域文化研究学科フランス分科は卒論をフランス語で書かねばならないという

非常にハードな場所だったけれど、そこで得たものは大きく、また適度に放し飼いにしてくれる姿勢が僕に取っては居心地が良いものだった。

けれどもあえてその場所を飛び出し、巡り会った先生がいらっしゃる東京大学大学院の比較文学比較文化専攻へと歩みを移そうと試みた。

(ちなみに、尊敬する学者であり、フランス科へ進学することを決定づけた金森修先生は

同じくフランス科から大学院で比較文化へと進学されている。はからずもこうして偉大な先生の跡を辿ることになった。)

 

今日ようやく合格発表を終えた。そうして、正式にこの大学院進学が決定した。

きちんとした名称は東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化分野。

長すぎて覚えられないほどだが、とにかく春からもまた相変わらず駒場で勉強する事になった。

専門は19世紀末周辺の比較芸術、あるいはフランスを中心とした文化史ということになるだろう。

卒論でも取り組んだ「光」を切り口に、世紀末の音楽や絵画、文学や詩を比較横断して、ある種の感性史に取り組む。

指揮活動(ある意味で比較芸術そのもの!)とも連続性を持てる研究領域なので、学問と音楽とを上手く触発させていきたい。

そして、長く駒場にいるからこそ、駒場という場所を充実させていきたいと思う。

 

蛇足かもしれないが今の一つの夢を書き残しておこう。

それは緑豊かな駒場キャンパスで、解説や論考と共に、曲のもとになったハルトマンの絵を展示しつつ、

ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲の「展覧会の絵」を演奏することだ。

音楽と絵画が響きあって生まれるイマージュの交感の探求と実践!

 

 

 

 

傾く思考

東京で桜が満開になった日、桜を辿ってふらふらと歩いたあと、本屋をゆっくりと巡っていた。

しばらく探していたヴォルフガング・シュヴェルヴュシュ『闇をひらく光 -19世紀における照明の歴史-』を発見して購入。

おそらく卒論で使うことになるだろう。

 

数えてみれば、三時間ぐらい一つの本屋にいたことになる。

Amazonなどで自宅にいながらにして簡単に本が買えるようになったけれども、立花さんが言うように、

定期的に大きな本屋を散歩することは大切で、買うとも無しに本棚と本棚の間を歩いて背表紙の数々を眺めていると

自分が無知であることに改めて気付かされる。

インターネットで本を買うときは「自分が本を選んでいる」感覚だが、本屋に足を運び、質量や手触り、かさを伴う「本」に囲まれると

まるで自分が「本に選ばれている」気分になる。このフロアに並べられた本のうち、僕が読んだことがあるのは本の0.000…%で、

自分の興味がある分野の棚に限っても、実際に読んだ事があるのは僅かにすぎない。棚から棚へ、フロアからフロアへ。

足の疲れとともに、ゲーテの『ファウスト』を持ち出すまでもなく、「何にも知らない」ことに愕然とするのだ。

 

Read, read, read. Read everything–trash, classics, good and bad, and see how they do it.Just like a carpenter who works as an apprentice and studies master. Read! You’ll absorb it.Then write. If it is good, you will find out. If it’s not, throw it out the window.(William Faulkner)

 

休学を終えて大学に戻るにあたって、頭が学問の方向に再び傾きはじめたのを感じる。

もちろん音楽のことも忘れてはいない。音楽への興味を抑えるつもりは無いし、今までと変わらず学んでいく。

ただ、気持ちをうまく切り替えていかないと卒論と両立は出来ないだろうなと思う。

音楽、そして指揮を学ぶことは、僕にとってそれぐらい劇的で、魅力的なことだから。

 

 

東京駅を降りて丸善へ歩くと、リクルートスーツの人たちと擦れ違う。

入学した時の同級生たちが社会に出て働き始めたのを見るたびに、

さらには後輩たちが就職への準備を進めていくのを聞くたびに、

僕はこのまま就職活動をしなくて良いのだろうか、果たして生きて行けるのだろうかという不安が浮かんでくる。

けれどもやはり、焦るまい。少しばかり年齢は嵩むが、僕は大学院へ進もうと思う。

まだ何にも知らないのに、今からようやく面白くなってくるところなのに、まだ大学での時間や

指揮を学ぶことを終えるには早すぎる。あと半分残っている20代、お金や地位を求めるのではなく、

自分にヤスリをかけるように、弓をギリギリいっぱいまで引き絞るように過ごす。

そのうちにいつか自然に将来が開けてくると信じて。

 

 

ぼんやりとそんなことを考えながら、夕陽が綺麗にさしこむ喫茶店に入って珈琲を頼み、

角砂糖をひとつ放り込んでから、角砂糖についた紙の包装ごと珈琲に入れてしまったことに気付く。

春である。

 

Hills Breakfast Vol.14

 

六本木ヒルズにて行われているHills Breakfastというイベントで少しだけお話をさせて頂きました。

登壇者は主に社会人中心のイベントのようでしたが、東京大学より推薦を頂き、

その上で幸運なことに森ビルさまより選んで頂きましたので、貴重な機会と思い、出させて頂きました。

 

「指揮という芸術、何だか分からないもの」と題して、休学したこの一年で打ち込んだもの、

そして指揮がどういう芸術なのかを、ピアノによる実演(「運命」や「子供の情景」、「月の光」など)を交えながら

今の僕に出来る範囲で手短に説明してみました。時間制限が結構厳しいものでしたので

上手く伝わったか分かりませんが、終わってから沢山の人に「面白かった!!」とお声をかけて頂き嬉しかったです。

 

僕が思っていたよりも遥かに沢山の方々がいらっしゃっており、その熱気に、こんなに早い時間から200名もの方々が

集まるイベントというのは凄いなあ、と本当に驚きました。(ヒルズ・カフェがぎっしりと奥まで埋まり、立ち見も

沢山出ていました!)そのぶん一番後ろの方々は指揮の実演が見づらいかなと思ったので、講演者用の壇を降りて

スライドを映し出しているプロジェクターとスクリーンの間に敢えて入り、指揮姿や指揮棒の軌跡を影絵のように拡大することで

後ろの方まで見えるように即興でやってみました。(ちょっと眩しかったですけど、本番の舞台での照明に比べれば!)

 

 

拙い話になりましたが、もしご興味を持って頂けた方がいらっしゃったならば、

その日に話したことのフルバージョンのようなものが書いてあるこちらのインタビューもお読み頂ければと思います。

(http://gapyear.jp/archives/1082)

 

企画して下さった森ビルの方々、僕のような若輩者を推薦して下さった東京大学の先生方、

伴奏してくださったピアニストの清水さん、そして朝早くからお越し頂きました皆様、貴重な機会をありがとうございました。

東京大学を休学して自らの信ずるものに打ち込んだ一年間の締めくくりとしてこれ以上ない、記憶に残る一日となりました。

 

講演を終え、動き出したばかりの朝の街をふらふらと歩きながら、柔らかく緩んだ空気に春の訪れを思い、

新しい一年が始まることを肌で感じました。あっという間に過ぎ去った一年でしたが、

どの一年間よりも刺激的で彩りに満ちた日々だったと笑顔で言うことが出来そうです。

 

休学の終わりに-HIll's breakfast -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も志賀高原へ。

 

ドミナント・デザインチーム&オーケストラのメンバーと共に、今年もまた志賀高原へスキーへ行ってきます。

僕にとってスキーと言えば志賀高原で、一年に一回は必ず、山々が連なるあの雄大な景色に身を置いてみたくなるのです。

雲の上までリフトで運ばれ横手山の山頂から遠くを見渡すとき、広大な風景を臨みつつ焼額山から一気に麓まで滑り降りるとき、

「自分は今ここで確かに生きている」ということに幸せを感じずにはいられません。

 

 

サーフィンと同じく、自然に遊んでもらっているということを忘れないようにして、

気心の知れた仲間たちと共に、白銀の世界へ行ってきます。

 

 

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ

 

2011年度の駒場祭で、チェロ・オーケストラを編成してヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ一番を演奏致します。

ドミナントのデザインチームの皆さんが特設ページを作ってくれました。

何だか本格的過ぎて気恥ずかしくなりますが、どうぞご覧下さい。

http://ut-dominant.org/orchestra/komaba_memorial_cello_viila_lobos.html

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ×木許裕介

 

 

 

手品のように、魔法のように。

 

小学生の頃から手品が好きでした。

塾のテストをさぼって手品ショップに通い詰め、売り場のお兄さんから色々な手品の技法や仕掛けを教わり、

それを友達に見せては驚かせるのが好きでした。

 

 

小学生の頃から魔法に憧れていました。

怪しげな呪文を唱えて棒を一振りした瞬間に見えない力が働いて、

傷を癒しあるいは世界に亀裂を走らせるような魔法が好きでした。

 

 

小学生の頃からみんなと遊ぶ時間が好きでした。

鬼ごっこ、ドッジボール、野球、サッカー。みんなとその遊びに没頭して、同じ楽しみを

共有して笑う時間を何より大切に思っていました。

 

 

指揮は、その全てが合わさった楽しみです。

手品のように、魔法のように。素敵な奏者の方たちに恵まれて、みんなと笑いながら音楽をしています。

 

 

 

第三回「のみなんと」

 

第三回「のみなんと」を無事終えました。

「のみなんと」はドミナントのオーケストラチーム&デザインチーム&僕の知り合いの

合同飲み会みたいなもので、毎回30人〜40人ぐらいで楽しくやっています。

今回は突然モーツァルトのカルテットがはじまり、つづいてアイリッシュヴァイオリン+口笛+ギターのライブが

予告無く開始されたかと思うと、端では乾杯の歌が朗々と歌われるようなフリーダムさ。

最後には木下牧子「鴎」という曲を合唱しました。「ついに自由は我らのものだ」と高らかに謳うこの曲、

今回の「のみなんと」にはぴったりな曲だったと思います。

学年も所属も身分も関係ないこの飲み会。音楽が本来持つ「楽しさ」に力を得て、

ここからまた色々な繋がりや出会いが生まれたならば、これ以上の喜びはありません。

ドミナントを立ち上げてからもうすぐ一年になりますが、わずか一年でこれほどまでに沢山の

素敵な方々と経験に恵まれた幸せを噛み締めながら、朝まで飲み続けました。

 

プロオケを指揮してから  -グリーグに惹かれて-

 

プロのオーケストラを指揮してから、すでに二ヶ月近く経った。

モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とプロコフィエフの「古典交響曲」に頭をいっぱいにした時期はひとまず終わり、

二ヶ月の中で色々な曲に取り組んで来た。ベートヴェン「プロメテウスの創造物」序曲、オッフェンバック「天国と地獄」序曲、

スッペ「詩人と農夫」序曲、シューベルト「未完成」交響曲、ウェーバー「舞踏への勧誘」序曲…。

 

そして今はグリーグの「ペール・ギュント」組曲を振っている。

グリーグの曲を勉強していると、曲に入り込めた時には周りの温度がすうっと下がるような感覚を覚える。

とはいってもただ冷たいのとは違う。透明感のある温かさで、優しい手触りだ。

「グリーグは心に雑念があると振れないよ。濁った気持ちでグリーグは振れない。」と師匠がかつて呟いた言葉の意味を改めて悟る。

そして、なぜ師匠がアンコールにしばしば取り上げたのかも。

 

パフォーマンスのような指揮ではこの曲は演奏できない。

音楽に誠実でなければ決してグリーグは人の心に届かない。

師がアンコールで取り上げるグリーグの言葉にならない美しさに心を揺さぶられ、

指揮を学びはじめたばかりの未熟な身にも関わらず、師の背中を追って背伸びして

僕も演奏会ではことあるごとにグリーグの曲をプログラムに入れて何度も振ってきた。

南京大学の学生たちを東京で迎えたときに演奏させて頂いたグリーグの「はじめての出会い」という小品。

中国からはるばるやってきた学生たちが涙を浮かべながら聞いてくれ、そしてオーケストラのヴィオラ奏者が

涙を流しながら弾いてくれていたのを後から知り、これ以上無いぐらい幸せな気持ちになったことを覚えている。

 

グリーグの曲にどこまで入り込めるか。グリーグの美しさと儚さをどこまで人の心に届けることが出来るか。

これからもずっと、「濁った気持ちでグリーグは振れない。」という師の言葉を思い起こしながら、

何十年もかけて勉強し、少しでも心に届くように指揮していきたいと思う。

プッチーニ「蝶々夫人」@新国立劇場

 

立花ゼミのOBとなってもうゼミにもあまり顔を出していなかったのですが、

いつの間にか「木許オペラ」なる企画を後輩が立ててくれていました。

彼は、彼が一年生のときに僕がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「影のない女」に誘った後輩で

それ以来オペラの魅力にハマってしまったそう。そこで上級生になったいま、オペラの楽しさを

後輩たちに伝えるべく、新しくゼミに入った一年生を誘って、僕と一緒にオペラを見に行く会を企画してくれました。

 

当日、新国立劇場に向かうとなんと12人もの後輩たちが参加して下さっていて、本当にびっくり!

みんなどこか緊張した面持ちで、スーツの着こなしも一年生らしいものでしたが、かえってそれが微笑ましく

「彼・彼女たちは今から楽しんでくれるかな。終わったときどんな顔をしてこの劇場を出るのかな。」なんて

考えてしまいます。そして、簡単な解説と聞き方だけを手短に説明したあとは、みなS席(学生の特権で5000円!)へ。

おそらくはじめて来たであろう劇場の壮麗な雰囲気に圧倒される一年生たちを見ていると何だか幸せになってしまい、

開演前にそっと一人で一杯だけ飲んでしまいました。

 

あっという間に一幕、二幕。そして三幕。

舞台セットはほとんど動かず、固定したままのもの。そのかわり照明と影に工夫が見られました。

あの照明の使い方は凄く好きです。白い壁に映し出されるシルエットが何とも雄弁に物語ります。

音楽としては、一幕ではやや前に前にと突っ込む感じとフレーズの終わりの処理があっさりしているのが

少し気になった(もう少し間が欲しい!)のですが、二幕以降は迫力でぐいぐいとシナリオを進めていたように思います。

そして改めて、プッチーニはやはり旋律に溢れた作曲家だなあと感動しました。

 

一幕最後、有名な「愛の二重唱」で「小さな幸せでいいから。」と蝶々夫人が

歌い上げる場面では思わずウルッと来てしまいましたし、幸せに満ちたその音楽の中に

数年後に迫る悲劇を案じさせる、呪いの動機(ボンゾが登場したときと同じフレーズ)が一瞬顔をのぞかせる

ところにはゾッとします。そして三幕の「私から全てを奪うのね!」と内から黒い感情を溢れさせる

場面の音楽なんて、憎しみと絶望と諦めの折り混ざった、暗い情念の渦巻く旋律で、

もうプッチーニの天才と言うほか無いようなものでしょう。

 

結末は非常に残酷なもので、蝶々夫人の自害した瞬間に子供が相対してバンッと電気が落ちる

瞬間には思わず涙を零しました。結末を知っているのに泣いてしまう。結末はずっと前から暗示されているのだけど、

なかなかその結末はやってこず(音楽と演出がそれを先延ばしに先延ばしにし、時間を自由に伸縮させるのです)

それだけに最後のカタルシスは壮絶なものがあります。「ああ、いい時間を過ごしたなあ」としみじみと思いました。

 

劇場から出てみると、後輩の女の子は目を赤くしていましたし、

感想を話したくて仕方ないという様子の子もたくさん。みんな次の公演の演目を

楽しみにしているようで、パンフレットを見て「これはどんな話なんですか。」と次々に

聞いてきてくれます。「なんだ、オペラって楽しいじゃないか!」と思ってくれたなら

僕としてはこれ以上嬉しいことは無く、これからもゼミのみんなで、あるいは友達や大切な人と

誘い合わせて、歌と音楽に満ちたこの時間を楽しんでもらえたらいいなあと願うばかりです。

企画してくれた植田君、そして一緒に来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。

 

駆け出しながら音楽に関わるものとして僕はこれからもこのオペラという総合芸術を

応援していきたいと思います。そして、いつかは自分も指揮できるようになれたらいいな。

 

「ロマンティックな理系の話をしよう。」

 

毎年(色々な意味で)話題を呼ぶ、立花ゼミの五月祭企画。

今年は後輩たちが「ロマンチック理数」なる講演会を企画しました。

以下に後輩たちが書いた宣伝文を添付します。

第一線を走る研究者の方々が講演者に並ぶ相当に魅力的な企画ですので、

僕も当日は後輩たちを手伝いに行きつつ、ロマンチックな理数の話を

存分に楽しもうと思っています。みなさま、どうぞお越し下さいませ。

 

……………..

「ロマンチックな理系の話をしよう。」

そんなところから始まったこの企画。

昨今、世の中の発展を陰で支え、力強く進展を進めている理数系。

それに対し、世の中に溢れかえっている華やかなロマンチックたち。

例えば、聖夜に舞う雪、東京タワーから眺める夜景、時の栖のイルミネーション…etc

見た目にも鮮やかでロマンチックなそうしたものに対して、

理系の話はどこか取っ付きづらく、難解なものが多かったりします。

話を聞いてもちんぷんかんぷん。それがロマンチックに?ありえない…そう思うはずです。

けれど‘ロマンチック理数’では、

そんなカタブツに見える‘理系’という分野を、華やかに飾ってみせます。

世界に誇る東大の教授陣に至るまで、彼らの手によって ‘よく分からない理系の話’を

‘ロマンチックな理系の話’へと変貌させます。

講演者の先生方は、なんと

池上高志 先生

・・・複雑系などの研究で著名。複雑系科学を芸術に応用したり、生命をシミュレーションする人工生命の研究をしたりされています。

池谷裕二 先生

・・・『進化しすぎた脳』などの著作で知られる脳科学者。脳活動によって脳に起こる変化と、それがある程度の時間とどまること(=可塑性)について研究されています。

藤田誠 先生・・・化学者。蝶番や板のような形をした分子を設計して、混ぜるだけで(!)ミクロのジャングルジムやボールのような形をつくる研究をされています。

松田良一 先生・・・筋肉の発生生物学の研究者。マウスの血管に色素を注入することで、筋ジストロフィーを発症した筋肉とそうでない筋肉を見分けられることを発見された先生です。

 

という超豪華ラインナップです。

29日9時~10時半、安田講堂にて!

小学生から大人まで、ロマン溢れるサイエンスの雰囲気に魅了されたい方々は

ぜひお越しください。

(ポスターのデザインに際しては、冨田伊織さま http://www.shinsekai-th.com/

の、「透明標本」という作品を使わせて頂きました。本当にありがとうございます。)

…………………..

 

2011年度五月祭立花ゼミ「ロマンチック理数」企画ポスター(Designed by Megumi Torii)