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MacBook Pro新型17インチ

 

2/24日に発表されたばかりのMacBook Proをアップルストアにて購入してきました。

仕様はプロセッサが2.3GHzクアッドコアInter Core i7、メモリが8GB、750GBのHDDに17インチのアンチグレア液晶USキーボードです。

17インチのMacBookProを選択される方はどうやらかなり少数派のようですが、僕にとってはこれ一択でした。というのも、通常使っているVaio-SZ95カスタムが13.3インチで持ち歩きには便利ですし、

iPadやVaio-Pも所持していることを考えると、それらとの棲み分けのためにはこの巨大ディスプレイが最適だと考えられたからです。また、デザインの仕事をしながら論文を読んだり書いたり辞書を参照したりと

同時に何動作もするため、17インチの広さがあるとそうした作業が圧倒的にしやすくなるであろうことが予想されました。

 

使ってみてすぐにこの便利さは体感されました。めちゃくちゃ画面が広くて使いやすい!

もちろん持ち歩きには向きません(この大きさを活かして、暴漢に襲われたときの盾として使うと効果的かもしれません)が、いざ開けるとこの安心感は何物にも代え難いものがあります。

いままでのパソコンでは、ディスプレイを「のぞきこむ」という感じだったのですが、17インチになるとまるでディスプレイに「包み込まれている」ような感覚。自然と目の前の作業に集中することが出来ます。

そして、プロセッサをクアッドの2.3GHzにしたことによって、動作が凄まじく速いです。「えっ、こんなスピードでレンダリングが終わるの?!」と驚いてしまいました。

アンチグレアの液晶にしたことによって、オフィスで作業している際も蛍光灯が映り込まず、長時間の作業の際に目の疲れがずいぶんと緩和されましたし、外に(万が一)持ち出しても、太陽光の反射を抑えてくれるので

ディスプレイの視認性が非常に高くなります。「デザイナーはアンチグレア」というのはこの業界で一つの常識のようになっていますが、確かにそうだなあと頷かされました。

 

店員さんから聞いた話では、ベンチマークテストでも17インチのこの組み合わせではとんでもない結果が出ているとのこと。

まあそれはプロセッサを考えればなるほどという感じですが、使っていてストレスを感じる場面がほとんどありません。夏ごろになったらHDDをSSDに換装しようと企んでいます。

そうするともう最強速度で作業が進みそうですね。高い買い物でしたが、これから数年にわたり、それに見合う分の仕事をしてもらおうと思います。

17インチのMacBook Pro、閉じた見かけは巨大なまな板のようですが、凄まじい性能を秘めた「モンスターまな板」であることには疑いがありません。買って良かった!

 

Il faut être voyant.

 

アルチュール・ランボーのドメニー宛書簡より。

 

「というのも、〈私〉は一個の他者なのです。(JE est un autre) 銅がめざめてラッパになっていても、なんら銅が悪いわけでは

ありません。それはぼくには明白なことです。ぼくはいま、自分の思考の開花に立ち会っているのです。それを見つめ、それに耳を

傾けています。ぼくが楽弓をひと弾きする。そうすると交響楽が深みで動き出す。あるいは、舞台上に一気に躍り出る。」

 

「ぼくは言います。見者でなければならない、見者にならなければならないと。〈詩人〉は、あらゆる感覚の長期的な、広範囲にわたる

論理に基づいた錯乱によって、見者となるのです。 あらゆる形の愛、苦痛、狂気によって。詩人は自分自身を探求し、自分の内から

あらゆる毒を汲み尽しては、その精髄だけを保持するのです。」

 

「この言語は、魂から発して魂へと伝わるものとなるでしょう。さまざまな香り、音、色彩など、思考をひっかけて引き寄せるような思考の

要素すべてを要約するのです。詩人は、自分の時代に普遍的な魂のうちで目覚めつつある未知なるものの量を、はっきりさせる

ことでしょう。つまり彼は、より以上のもの―自分の思考の表現形式や、〈進歩〉へと向かう自分の歩みの記録などを超えたものを与える

ことでしょう。規範をはずれたものが規範となり、それが万人に吸収されて、詩人はまさに進歩を増大させる乗数となることでしょう。」

 

 

東大世界史最終講義 -冬来たりなば 春遠からじ-

 

11月から飛び込みで「一対一で教えてほしい!」と頼まれた東大受験生に、最後の講義をしてきました。

彼はすでに大学一年生で、仮面浪人として東京大学の文科三類を受験したいとのこと。僕は二浪を経験していますから、そうした

浪人してでも受験を志すという姿勢には共感を覚えます。11月から今まで、週一回でわずか13回の講義しか出来ませんでしたが、

世界史について、時間の許す限り・僕の知識の許す限りのことを教えてきました。基本は講義で、論述の添削なども入れていくという形で

すすめてきたのですが、彼の飲みこみの良さには驚くばかりでぐんぐんと文章のクオリティが上がっていくのを目の当たりにしました。

 

最初の講義で、「軸を定めて陣を貼る」という論述の文章の書き方を教え、そのあと、問題文の分解・解読方法を詳説。

東大の世界史はただ知識があるだけでは書けないし、ただ知識を詰め込むだけでは面白くもなんともない。それぞれを

有機的に関係させながら、たまには大学以降で学ぶことも先取りしながら、論理的に「読める」文章を書く必要があります。

そこからはじめて、とりあえずは13回でなんとかほとんどの過去問に目を通すことが出来たかと思います。

 

僕はコレージュ・ド・フランスの講義の形式が大好きで、「教える側がまさにいま学んでいることを門外漢にも分かるように伝える」

という形式でやってきました。高校レベルの世界史の話をしながら、主権国家体制や革命総論、思想史、世界システムの話をし、

時にフランス語やドイツ語も使いつつ、アナール学派の歴史の見方やヴァレリーの「精神の危機」、フーコーの「人口」概念や

公衆衛生という概念の誕生など、いま自分が学んでいることを出来るだけ噛み砕いて、教えてきたつもりです。

こうした話をするたびに、彼が目を輝かせながら一心不乱にノートをとってくれているのが嬉しくて、教えるのが毎回楽しみでした。

 

最後の授業では、1848年の変動について説明しながら、世界の大きな見取り図を描きました。

1848年の変動こそが、それ以前、それ以後の世界を繋げる契機となるように思われたからです。革命というものの性格が変動すると

ともに、国家、国民という概念も揺らぎ始め、世界中に衝撃が走る。20世紀はかなり最初のほうで説明しておきましたし、

前回の講義はフランス革命とドイツ統一について説明したので、このダイナミズムで締めるのが最適だろうと考えてのことです。

 

なぜか最後の最後に英語の前置詞のイメージを説明しはじめて大幅に延長してみたりもしました(もとはacrossという前置詞は「横切る」

だけでなく、「至る所から」というニュアンスも持っていて、それはヨーロッパ的な考え方ですね、という話をしたところからです。

東大英語でも前置詞は頻出するので、気になってつい全部説明してしまいました)が、こうして僕が受け持った授業は終わりました。

 

最後に、仮面浪人という辛くも勇気ある一年を選択した彼になら響くだろうと思い、僕が浪人中ずっと机の前に飾っていた言葉、

イギリスの詩人シェリーのOde to the west wind(『西風に寄せる歌』)という詩の末句、

If winter comes, can spring be far behind? (「冬来たりなば 春遠からじ」)

を送りました。仮面浪人は大変だったと思うけど、よくここまで頑張ったね、と。

 

 

「身体に気をつけて。駒場で待ってる。」と握手した時、彼の眼が潤んでいるのに気付いてしまい、僕も少し泣きそうになってしまいました。

慌ただしい日常の合間を縫ってでも彼を教えて良かった。春が来ますように。

 

 

マンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきた。

 

日本橋にあるマンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきました。

いや、正確には、「宿泊させて頂いた」というべきでしょう。デザインのお仕事を下さったクライアントさまが新年会をされるとのことで

幸せなことに僕も声をかけて頂きました。ドレスコードは「スマート・エレガント」ということで、ラファエル・カルーソのスーツと

ステファノ・ビジのタイ、それにチェスターフィールドコートを羽織るという珍しく気合いを入れた恰好をしてホテルへ。

 

まずはホテルの38階にある広東料理「センス」で素晴らしく美味しい中華と美酒を堪能。

東京タワーを遥に望む夜景に圧倒されながら、普段は口にすることのないようなお料理の数々を頂きました。

お酒の美味しさはもちろん、鮑が泣くほど美味しかったです。そして、なんとそのまま宿泊する流れに。

 

宿泊の前に、作ってきたデザインのお披露目を行いました。

クライアントさまやスタッフの方々が沢山いらっしゃる前で、しかもほろ酔いの状態でプレゼン(もちろんアドリブ)をやるのは

なかなかスリリングでしたが、全体的に好評だったようでひと安心。外国からの旅行者向けのデザインですので、文字情報は全部

英語。ターゲットも普段とは異なるし、文字も普段とは異なるので、いつもとは少し違うデザインをする必要があります。

逆にいえば、いつもは出来ないデザインが出来るチャンスでもあるので、フランスで学んできた色遣いを細部に取り入れるなど、実験的な

要素を盛り込んでみました。自然な目流れを作りつつも注目度の高いものが出来たかと思います。

 

そのまま朝まで広々とした部屋で飲み、色々なお仕事をされている社会人の方々とお話させて頂きつつ、朝四時ぐらいにベッドへ。

東京に住んでいるのに東京でホテルに宿泊する、というのは贅沢ですね。一人ならそのへんの漫画喫茶がいいところだなあ、と

考えつつ、夢の中に。ルームフレグランスのレモングラスの香りが印象的でした。

 

朝八時に起床して、ホテルに併設された37階のスパへ。

ガラス張りのパウダールームに入るなり、目の前に広がる東京の街並みと遠くに見える富士山。

これを見ながらサウナや広い湯船につかれるわけです。一人暮らしで、普段は足も伸ばせないような狭い湯船につかっている身

としては感動せざるを得ません。ジャグジーから生まれるお湯の流れに身を委ねながら、冠雪した富士山をのぞむ。

視線を手前にやると、東京大学の入学式で三年前に入った武道館が見えます。なんだか、今日も一日がんばろうという気力が

ふつふつと湧いてきました。ご招待して頂いたクライアントさまに心から感謝しています。ありがとうございました。

 

夢のような時間を過ごして、そのまま神楽坂の「週刊読書人」にウェブデザインのお仕事のため、出社。

ホテルから仕事場にいくというのは初めてでした。ちょうどその日は凄く強い風が吹いていて、スーツの上に羽織っていたコートの裾が

翻るのが不思議と心地よく、近づきつつある春を感じながら日本橋の街を歩きます。もうすぐ24歳になるのだな、と思いながら。

 

ヴェルディ『La Traviata 椿姫』@新国立劇場

 

「夕鶴」に続いて、「椿姫」を見てきました。

椿姫といえば、これまた良く知られたオペラで、原作となっているアレクサンドル・デュマによる小説も今に至るまで読み継がれているもの。

ですが小説とオペラの内容は結構違っています。まず主人公二人の名前が全く違う。さらにオペラの方はヒロイン(ヴィオレッタ)と

男(アルフレード)の二人の純愛の世界を描く要素が強くなっています。

 

このオペラ、僕はカルロス・クライバーの録音を昔から愛聴しており、一幕や三幕の前奏曲は大好きな曲の一つ。

師匠がかつて一幕の「ああそは彼の人か」を演奏したこともあってスコアも入手していましたし、有名な「乾杯の歌」もこの間自分で

指揮したばかり。これはという曲をいくつか選んで、スコアを勉強したうえで実演(公演初日です)に臨みました。

 

チューニングが終わり、電気が落ちて(いつもはチューニングしつつ電気が落ちるのですが、今回はなかなか落ちませんでした。

手違いでしょうか)、あのすすり泣くような一幕の前奏曲が始まります。

ですが…うーん、何と言ったらよいのか、あざとい。自然な流れが無く、僕が感じたものとはフレーズの捉え方が違って

(どちらが正しいとかそういう問題ではなく)ちょっと違和感を抱いてしまいました。

オーケストラの音も一幕の間はずいぶん固く、音の伸びが足りない印象。アルフレード役の方も最初はかなり固かったです。

 

二幕になると音から随分と固さがとれ、とくにヴィオレッタとアルフレード役の方々がのびのびと歌っていらっしゃったように感じます。

それにしてもヴェルディの音楽というのは本当に凄い。とくに三幕の最後、ヴィオレッタが自らの死の予感に直面したときの

感情の描き分けなんて天才だと思います。僕はこの部分を聴きながら、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という書物を

思いだしました。キューブラー・ロスは200人の末期がん患者に聴きとり調査を行い、死に直面した人たちは

「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」というプロセスを経て死に向き合っていくということを本書で述べていますが、

三幕のヴィオレッタはまさにそうした感情の渦に巻き込まれます。そして一幕・三幕の前奏曲のあのすすり泣くような弦の旋律が何度も

リフレインされる。金管を効果的に用いて不安を表現し、再びピアニッシモで静謐さを満ちさせ、劇的に突き進んでゆく。

死を前にした感情の揺れ動きを音楽で見事に描写しているように思われました。

 

そんなことを考えながら終演後ホワイエに出て窓の外を見ると、世界が白く見えるほど雪が降っており、

そればかりかすでに積もり始めていました。新国立劇場の窓ガラスから雪が見えたのはじめてでしたが、何だかとても綺麗で

静かに感動。結局、その日は夜を通じて雪が降り、東京とは思えないほどの積雪を記録することになったようです。

これから先、「椿姫」を見るたびに雪を、雪を見るたびに「椿姫」を思いだしてしまいそうな気がします。

 

断章:鳥のように軽くあること、羽根のようにではなく。

 

一つの考えが形になりつつある。

いまこの機会を逃すと僕は永遠に後悔するだろう。

不安は山のようにある。だが、不安を抑えてあまりある魅力が目の前に湧き出している。結局のところ、僕は崖っぷちに置かれた

ロードランナーの上で走り続けることで自身を磨かざるを得ない。安定した地面の上では無難な思考しか生み得ない。

 

僕には時間が必要だ。そして時間と同時に闇が必要だ。ヴァレリーが書いていた。

「意識というものは闇から生まれ、闇を生き、闇を養分にし、はては闇をより濃く生まれ変わらせる。―自らに問いかけることにより、

また自らの明晰さの力により、その力に比例して。」

闇に住むことなく、光の中で笑っているだけでは、いつしかコントラストも失われてしまう。影、陰り、波打ち際の黒く濡れた砂。

慣れ親しんだあの場所にそろそろまた戻っていかなければならない。孤独は僕に生気を蘇らせてくれる。

 

二度と起こらないことが分かっている出会いに自分の全てを賭けてみるのも悪くない。

力不足なのは分かっている。けれども、息の止まるような感動に人生を捧げたい。どんな形でもいい。音楽でも、文章でも、デザインでも。

学べる限りを学んで再びこの場所へ。コクトーが、ヴァレリーが遥か遠くから背中を押す。そして、たぶん僕の師も。

 

 

ジャン・コクトー『ぼく自身あるいは困難な存在』 ― 賛辞としてはただ一つ、魔術師。

 

久しぶりに、背筋が震えるような本に出会った。

ジャン・コクトーの『ぼく自身あるいは困難な存在』(ちくま学芸文庫)という一冊だ。ジャン・コクトーについては『恐るべき子供たち』を

読んだだけで彼の他の本は知らなかった。この本はいきなりこう始まる。

 

「語るべきことを語りすぎ、語るべきでないことを充分には語らなかったためぼくは今自分を責めている。しかし、よみがえる様々の

ことどもは、周囲の虚無の中にあまりにみごとに吸収されているから、例えば実際それが列車であったのか、またどれが、

沢山の自転車を積んだ貨車を牽いていた列車であったのか、もはやわかりはしない。…….涙はこぼれんばかり。それは家のことでも、

長く待っていたからでもない。語るべきことを語り過ぎたため、語るべきではないことについては充分に語らなかったからだ。

だが結局すべては解決がつく。ひとつ、存在してゆくことの難しさを除いては。これは決して解決がつくものではない。」

 

そして、次にこう始まる。

「ぼくは五十歳を過ぎた。つまり、死がぼくに追い付くのにそれほど長い道のりを必要としなくなったということだ。」

 

「射撃姿勢をとらずに凝っと狙いを定め、何としてでも的の中心を射抜く」という有名な一文もそうだが、挙げればキリが無いぐらい

コクトーの言葉は凝縮されていて、無駄がないのに詩的なものを失わない。ちょうどいま思っていたこと・思いたかったことが

イメージの豊かさを漂わせつつ明晰に言語化されている。それらはどれも、四月からいくつか身の振り方を考えて悩んでいた

僕にとって一つの選択肢を強烈に推してくれるものだった。今までなぜ出会わなかったのかと不思議になる。

その一方で、今このタイミングで出会えたことに運命を感じている。最後にもう二つだけ引用しておこう。

 

エリック・サティについて述べた部分。

「彼はそこで自分を軽石で磨き、自分に反撃し、自分にやすりをかけ、自分の繊細な力がもはや本源から流出するしかなくなるような

小さな孔をきたえあげたのだった。」

 

コクトーが自身の仕事について書いた部分。

「孤独を願うのは、どうやら社会的な罪であるらしい。一つ仕事が済むとぼくは逃げ出す。ぼくは新天地を求める。

習慣からくる弛緩を恐れる。ぼくは、自分が技術や経験から自由でありたい ―つまり不器用でありたいと思う。

それは、奇人、叛逆者、曲芸師、空想家であることなのだ。そして賛辞としてはただ一つ、魔術師。」

 

 

バルトーク「ミクロコスモス」を振る。-変拍子の集中トレーニング-

 

指揮のレッスン、中級課題の最後の曲として置かれたのがこの「ミクロコスモス」。

「ミクロコスモス」はバルトークが書いた、全6巻153曲から成るピアノのための練習曲集で、後半になるにつれ

練習曲の範疇を遥に超えるような内容が盛り込まれています。その中の第4巻、第5巻、第6巻から10曲が指定されており、

それが指揮の課題として与えられています。「ミクロコスモス」=「小宇宙」の名の通り、一つ一つは2分以内がほとんどの

短い曲ばかりなのですが、これを指揮するとなるとめちゃくちゃ難しい!というのは4巻以降は特に変拍子の嵐だからです。

 

変拍子と言っても何かが変なのではなく、要は複合拍子のこと。そしてしばしば、曲中で拍子が変化していきます。

たとえば100番では、8分の5からはじまって、8分の3との間をころころと移動します。しかも8分の5の中にも2+3の5と3+2の5があって

これを正確に振り分けねばなりません。103番では8分の9(2-2-2-3)からはじまり、8分の8(しかも2-3-3と3-2-3のパターンが連続)に

なり、次に8分の3×2に変化したあと、8分の5(2+3)にチェンジ、そして8分の7、さらに8分の5(3+2)と変化し、それだけではなく

途中から猛烈にaccelerandoがかかって加速するなど、テンポまで変化していきます。

 

140番になるともう大変で、なんと一小節ごとに8分の3→4分の2→8分の3→8分の5→4分の2→8分の3→8分の6→8分の5

→8分の9→8分の7→8分の6→8分の3…というように、変化してきます。なおかつテンポもどんどんと変化していき、そのうちに

ゆるやかなテンポで3-3-2の8分の8と3-3-3の8分の9が入れ替わる部分がやってきたりするうえ、強弱記号やアクセントも

複雑につけられているので、これを単なる「運動」ではなく「音楽」にするためには相当な技術が要求されます。

 

レッスンを受けた時、この140番の前までは予習してあって無事通過したのですが、「じゃあ140、141もいまやってみなさい。」と

師匠に無茶ぶりをされ、まさかの初見でこれを振ることになってしまいました。「え…ちょっと読む時間を…。」と呟いてみたものの

師匠が悪魔のような笑顔で「ほら。はやく。」とせかしてきます。結局読む時間は全くなく、とりあえず振り始めました。

まるで真っ暗な高速道路を猛スピードで飛ばしているようなギリギリの感覚で、飛んでくる障害物や突然目の前に現れるガケを

必死によけながら、反射神経をフルに高めて指揮しましたが、途中まで耐えたものの、やっぱり途中で崖から落ちてしまいました(笑)

転落するのを見て「はっはっは、駄目だねえ。」と笑う師匠。「そんなに難しくないじゃない。変拍子だなんて思わず、音楽の流れを

感じてその都度対応すればいいんだよ。見てろよ。」とおもむろに振りだしたかと思うと、あっさりと最後まで振ってしまわれました。

 

何度も書きますが、師匠は85歳。僕のほうが反射神経も運動神経も絶対にいいはず。なのにあっさりとこの複雑な音楽を指揮してしまう。

しかも何が凄いって、師匠が振ると変拍子が「変」に聞こえず、自然な流れで聞こえてくるのです。何だかとても簡単そうに見えます。

僕のぎくしゃくした指揮と違って、これなら演奏者の立場に立ってみても演奏しやすいのは明らかです。指揮に合わせて弾けば

自然とバルトークの書いた世界=ミクロコスモスの中に入ることが出来ます。「参りました!」と兜を何枚脱いでも足りないぐらいです。

 

 

10曲を終えるのに4回のレッスンを費やし、ようやく今日になって終了。

門下の先輩方が「ミクロコスモスをやると、現代曲が怖くなくなるよ。」とおっしゃっていましたが、確かにその通りで、連日徹夜続きで

勉強する中で、変拍子というものの「楽しさ」が何だか少し分かった気がします。

変拍子を振っている時の頭の回転具合というか集中力は自分でも異常だと思えるぐらいで(東大入試本番なんて目じゃないです。)

頭と身体のトレーニングにも最適な気もしました。頭と身体の両方で反応できなければ絶対に上手くやることは出来ませんね。

これからも変拍子は事あるごとに練習して、苦労なく振れるようにしておきたいと思います。

 

次からはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲に。 また改めて書きますが、5月4日にプロのオーケストラを指揮することに

なっていて、その時に自分が振る曲の一つです。(もう一曲はプロコフィエフの「古典交響曲」)

有名すぎるほど有名なこの曲、スコアを見ると仰天するぐらい緻密に作られた、モーツァルトの天才が良く分かる曲でもあります。

天才バルトークから、天才モーツァルトへ。本番で満足のいく演奏が出来るよう、しばらくはフィガロを集中的に勉強するつもりです。

 

 

日曜日のすごしかた。

 

久しぶりに予定の無い日曜日だった。

昼前までゆっくりと寝て、ゆるゆると布団から這い出て家事をし、着替え、Pierre Bourdieu – Agent provocateur -という本一冊と

財布と携帯だけを持って、お気に入りの小さなカフェへ。い つものように、マスターのドリップの手つきが良く見えるカウンターの端に座る。

もう何十回と来ていて顔を覚えられているから、頼まなくても一杯目はブレンドを出して頂ける。

丁寧に蒸らして淹れながら「今日は何の本を?」と初老のマスターが顔を上げずに僕に尋ねる。

「今日はこれです」そう言って持ってきた本 を見せると、マスターはふっと顔をあげて、いつも通り「そうか。ゆっくりどうぞ。」と笑顔で

珈琲をくださる。会話はそれっきりで、時々他のお客さんが入ってくると賑やかにもなるけれど、静かに時間が流れてゆく。

店内にはビゼーの「カルメン」の組曲が控えめな音量でかかっていて耳に心地よい。ブルデューもビゼーもフランス人なんだな、と

とりとめもないことをぼんやりと考える。珈琲の香りが、目の前にある緑と金で縁どられたジノリのカップから、あるいは煎りたての豆が

並ぶカウンターの向こうから、ふわりと豊かに漂ってくる。

 

お客さんが増えてきた三時頃、軽く睡魔に包まれながらそっと店を出る。

起きた頃には高かった陽はもう傾きはじめ、西日が世界を斜めに照らす。ああ、もう一日が終わり始めている、と嘆息する。

眠気の残る頭のまま、予約もせずに美容院へと向かう。うとうとした心地のまま誰か他の人に髪を洗ってもらい、切ってもらう。

そんな幸せなことがあるだろうか。身体に触れる手の温度が心地いい。こうやって人の温度をゆっくり感じたのは久しぶりかもしれない。

そうだ、今日は自分のために一日を使おう。まどろむ思考の中で決意した。

 

そうして、二カ月に一度通っている中国整体へ足を運ぶ。

ここで身体のバランスを見てもらうのが僕にとっては一番の体調管理。疲労もゆがみも身体を見れば一発で分かる。

身体は正直なものだ。しばらく無理を重ねていたから背中に相当な負担が来ていたことを感じつつ、南京で覚えた拙い中国語で先生と

話し、「日本語も中国語も難しいね!」と呵々大笑する。施術が終わると、背中から誰かがはがれたみたいに身体が軽くなっていた。

 

身体が軽くなると、すぐに動きたくなる。じっとしていられない。昔からそうだ。

近くのカフェに入ってフランス語をやり始めたもののすぐに我慢が出来なくなって席を立ち、自宅に走って帰って準備をし、

いそいそとボウリングへ出かけた。もう一つの体調管理。ボウリングは僕にとって禅のようなもので、集中力チェックの意味を

果たしてくれる。日々の音楽の勉強で学んだことがボウリングに影響を与えてくれる。指揮もボウリングも、立った瞬間から

勝負がはじまっていて、背中で語らなければならない。一歩目、二歩目は楔を打ち込むようにしっかりと、しかし擦り足で弱拍。

我慢の限界というほどにゆっくりと歩くと、周りの景色が違って見えてくる。背中に静寂が吸いこまれていく感覚がある。

そして四でがっしりとタメを作り、時間と時間の隙間に無重力の一瞬を生みだして、一気に、しかしリリース・ゾーンを長く取って、

全エネルギーをボールに乗せて放つ。その繰り返し。ひたすら自分の精神と身体に向かい合う。

軽くなった身体で、一心不乱に七ゲーム投げ続けた。

帰ってまた本を開き、疲れたところでフランス語を始める。

そうするうちに夜はどんどん更け行き、日があっという間に変わってしまう。焦りとともに、指揮の課題として勉強しているバルトークの

ミクロコスモスNo.140.141を開き、読み込み、この目まぐるしく移る変拍子をイメージする。運動ではなく、音楽として感じられるように。

少しでも音楽が出来るように。

続けて、5月に指揮するプロコフィエフの「古典交響曲」のスコアを開いてCDを流しながらざあっと読んでみる。

わずか15分足らずの曲なのに、編成もハイドン時代の古典的な編成なのに、がっちりとした枠の中に多くの逸脱がある。

大胆な和声、意表を突く和声、楽器のテクニカルな交差。形式の中に刻み込まれた皮肉とユーモア。プロコフィエフの天才。

どうやったらこれを表現出来るのだろう。

新聞屋さんがポストにカタンと音を立てた。

もう五時だ。一日の終わりに、もう10年近く使っている万年筆を手に取り、原稿用紙に向かう。

書かなければならないことは沢山あって、書きたいこともとめどなく湧き出てくるのに、書けることはほんの僅かだ。

ため息をついて椅子の背もたれに寄りかかる。お風呂上がりに淹れたお茶はすっかり冷めてしまっていた。

朝六時。そろそろ寝よう。世界が動き始める。日曜日を終えるのは怖いけれど、月曜日を始めなくてはならない。

團伊玖磨/木下順二 『夕鶴』 @新国立劇場

 

新国立劇場でオペラ『夕鶴』を鑑賞してきました。

『夕鶴』は日本の誇るオペラの一つで、全編日本語で上演されます。シナリオは日本人なら誰もが一度は聞いたことのある、

「つるの恩返し」が下敷き。つまり、結末(「つう」が機を織っているところを覗いてしまい、「つう」が鶴になって男の元から飛び去ってしまう)

が最初っから分かっているのです。ですが、これは途轍もなく感動的です。ある意味ではオペラ向きの作品と言ってもよいぐらい、

悲劇の結末へ向けてじりじりと観客を焦らしながら進んでゆく。しかも、そこにあるテーマは現代にも通じるものです。

 

「つう」の夫である「与ひょう」は悪い男二人に騙され、お金と都会へ出る欲望に目をくらませて、「つう」に機を織るよう無理やり

頼みこんでしまいます。「つう」が「あたしだけじゃ駄目なの。お金ってそんなに必要なものなの。都会の華やかさなんていらない。

日々の暮らしに必要なものはあたしが全て備えてあげられるのに、それだけで足りないの。」と悲愴に歌い上げる「つうのアリア」

は、まさにそういう貨幣経済に巻き込まれて日々を過ごす我々に、「本当に大切なものは一体なんなのだろうか。」と考えさせます。

つうに去られたあと、呆然とする与ひょうを囲んで「つうおばさんは今日いないの!遊びたい!」と無邪気に叫ぶ子供たちのシーンは

(一切与ひょうに弁解のチャンスを与えない点も含めて)非常に皮肉かつ残酷なシーンです。作者が単純な貨幣経済への信仰や

都会の生活を頭ごなしに良きものとする風潮に対して強烈なアンチテーゼを突き付けていることが読み取れるでしょう。

喪失の悲しみが舞台を覆う中で与ひょうはただ茫然自失するのみ。貨幣に目がくらんで失敗した男を、誰も助けようとはしないのです。

 

お金があって都会で立身出世する煌びやかな生き方と、慎ましいが十分な幸せに包まれて大切な人と静かに暮らす生き方。

本当に大切なものは一体何なのだろうか。過去を振り返りながら色々考えているうちに、涙が溢れて来て止まらなくなりました。

 

楽曲としてもこれは非常に優れているように感じます。とくに今回はフルートの方がむちゃくちゃ上手な方で、

フルートの音をあえて太い音に取ることで和風の響きを現出したかと思うと、「つう」がよたよたと崩れ落ちる場面では

よれよれと細く今にも壊れそうな音に切り替えて吹いていらっしゃいました。タイミングも相当にシビアな曲ばかりでしたし、凄いなあと

感動の連続。それから機を織る場面でのハープの使い方は作曲の妙技ですね。

 

意外に感じたのは、日本語ならではの魅力があるということ。

というのは、時制の変化が日本語だと効果的に響くのです。ドイツ語などでは通常は動詞が二番目に来てしまいますが、

日本語では動詞、それも「あなたが好きだ。」「あなたが好き〈だった〉」のように、時制変化が語尾に現れます。

つまり、歌のフレーズの最後にこの過去形への変化が歌われることになります。そうすると、悲痛な声で

「あなたが好き」と歌いあげて、最後に「だったの…。」と崩れ落ちる、そのコントラストが絶妙に決まる。これは素敵だなあと思いました。

 

照明や演出もシンプルながら品の良いものでしたし、最初から最後まで楽しむことが出来ました。

一幕が二時間、ニ幕が三十分という珍しい構成でしたが、シナリオの切れ目を考えるとこれで良いのかもしれません。

この「夕鶴」は、日本でもっともっと演奏されても良いのではないかと感じます。僕の指揮の師匠は海外公演の際にこの「夕鶴」から

「つうのアリア」をプログラムに持っていったことがあるそうですが(書き込みだらけのスコアも実際に見せて頂きました)

僕もこうやって日本の曲を自分のプログラムに取り入れていきたいものです。

 

というわけで、「夕鶴」はオペラにあまり馴染みの無い方にもお薦めできる演目ですし、ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか。

小さい頃に親に語り聞かされたあの「つるの恩返し」が、新しい姿と深みを纏って、感動的に蘇ることと思います。