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夜の領域

 

ハイデガーを読むはずが、準備不足なので自分のいま考えていることを話す、とはじまった今日のゼミは伝説的な時間になった。

コジェーヴからはじまり、tourniquetを底に見ながらラカン、ガタリと弁証法的「3」の構図からフレンチ・セオリー的な「4」の図式へと発展する様子を追う。

とりわけラカンの四つのディスクールから、(ハルトマンの四元数を経由して)先生なりに展開された「4」の図式が僕にとっては衝撃的だった。

それは、駒場をもうすぐ去ろうとする先生が辿り着いた思想史の大きな枠組があくまでも即興的に展開されて行くことで生まれる迫力に対してであって、同時に

学問で、指揮で、極めて漠然と抱いていた思いをはじめて言語化して頂いた、という感動に対してだった。

第三象限に位置づけられた夜の領域、人間を溢れ出るもの(L’Human débordé)への問いこそが、自分にとって本質的であった、と気付かされた。

 

つまるところ、夜だ。夜が問題なのだ。

法でも科学でも実存でもない夜の空間、すなわち「魔術」的領域。

自分が興味を抱いてきたものは全て、この夜の領域を覗き込むような行為であって、魔術的な「ひと」だった。

 

 

雨上がりの紫陽花、合わせ鏡の境地

 

一年前に師より託され、師に代わって教えさせて頂いている門下の後輩の演奏会を聞いて来た。

レッスン、という言葉は未熟な僕には尊大にすぎる。一緒に勉強した、という言葉が適切だろう。

樽屋雅徳 「ゲルダの鏡」。すっかり僕も暗譜してしまっている。

テンポや拍子の揺れもそれなりにあって、決して簡単な曲ではない。(そもそも簡単な曲などない)

しかしそうした問題は練習の中でクリアされていったし、本番でも実にスムーズに奏者を導く事ができていた。

もちろん課題は沢山ある。けれども本番の彼女は、二つの意味で良い棒を振っていたと思う。

 

一つは、迷いの無さだ。

僕自身の課題でもあり、そしてそれゆえに、毎週終電近くまで共に勉強するうちに彼女に何としても伝えたかったことだ。

迷いの無い指揮。自分、それから一緒にステージを共有する奏者を信じること。

それがどれほど大切なことで、同時に、どれほど難しいことか。

 

もう一つは、指揮がずいぶんと大きく見えるようになったことだ。

一年前に同じコンサートで指揮する姿を見たときよりも格段に大きくなった。一年間の成果があったと思った。

なぜならば、師が一年前に彼女の指揮を見て僕に伝えた事は、「もっと大きく振れるように」ということだったからだ。

大きく振る。それは単純なことのように聞こえるかもしれないが、精神的にも身体的にも様々な困難を孕む本質的な問題なのだ。

コンパクトに纏まった若者ほどつまらないものはない。機械的に振る指揮者ほど触発されないものはない。

伝達のために整理整頓されながらも、自分の壁を突き破り、何かが溢れ出してこなければならぬ…。

 

帰り道、雨上がりの紫陽花の美しさに魅せられながら、僕がdevenir (生成-未来)と呼んでいる一つの動きのことを考えた。

師が何気なく行うその一つの動作。それは自由な動きなのだけれども、針の穴を射抜くほど精密な動きでもある。

今日の演奏会を見ていて、その動きの本質に一歩だけ近づいた気がした。見えなかった<意味>が僅かに見えて、その壮絶な繊細さに紫陽花の青を重ねてゾクリとした。

 

教えさせて頂く立場を経験してみればみるほどに、そして振れば振るほどに、師の凄みに突き当たる。

全人生を賭けても届くか分からないその境地の遠さを思う。

 

雨上がりの紫陽花(Lumix G6, Lumix 20mm F.1,7)

 

 

 

 

 

残響

 

 

今日はお世話になっているヤマハの発表会でステージマネージャーをさせて頂きました。

自分の出番が無いと楽かと思いきや、逆に気が張るものです。

椅子を並べ、譜面台を出し入れし、ステージへのドアを適切な呼吸とリズムで開ける。

少しでも奏者にストレス無く弾いて頂くためにはどうすれば良いか、と頭を使う感覚は、指揮しているときと共通しているものがあって

立ちっぱなしの七時間でしたが沢山学ぶ事がありました。と同時に、自分が指揮させて頂くコンサートの一つ一つが出来上がるために

どれほど多くの方々 の力に支えて頂いているか、改めて確認する時間ともなりました。こういうことをいつまでも心に留めておかねばと思います。

 

会場であった明日館は僕の師匠が愛したホールで、師の指揮するブラジル風バッハを初めて聞いた場所でもあります。

あのわずか数分によって僕の人生は決定的に動かされました。

悲しくもないのに涙が溢れて止まらない、一生忘れる事の出来ない時間。人間は棒一本でこんなことが出来るのかと絶句した時間。

きっとこのホールの壁のどこかに、あのブラジル風バッハが染みている。

思い出のハイドン・バリエーションが響き渡った終演後、人気が無くなった会場に佇みながら、五年前の秋のことを思い出さずにはいられませんでした。

 

はじまりの明日館

 

 

たとえば。

 

少し前に一緒に演奏した人たちが、27歳を祝う会を開いてくれて、また一緒に演奏したいと言ってくれる。

それだけで指揮者をしていて良かったと思えるし、今の自分が幸せであることを信じて疑わない。

一方で、指揮とは何であるのか、どういうふうに生きて行けば良いのか、悩む事は限りない。

けれども。この真っ直ぐな幸せを忘れないように自琢せねばと思う。

 

三島の音楽

 

三島由紀夫の『憂国』を読んでいて、音楽が聞こえた。

第五章の麗子の自刃のシーン。それまで閉鎖されていた空間に、戸を<あける>ことによって外部の冬の空気と第三者の眼差しが侵入する。

二章、三章で延々と湧き上がって来た性と死の興奮がリセットされ、Subito pからわずか数小節-半ページでfffまで達する。

中尉の壮絶な死の描写に対して、(小林先生の言葉を用いれば)「遅れて」くる死。

どうしようもなく遅れてくるのだけど、それ以上の遅れは拒否される。「麗子は遅疑しなかった」と。

その決定の鋭さ、その刃の<甘い>味はこの外の冷たさが一瞬侵入する事によって際立つ。そのダイナミクスの興奮といったら!

三島にとっての死の美しさとは、実のところこの短い五章、この半ページにこそ宿されているのではないか。そんなことを考えた。