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花火の夜に。

 

Twitterでまとめて呟いたところ、異常に評判が良かったのでブログにも掲載します。Twitterに載せたままの文体は「とぅぎゃったー」

というものでゼミ生の後輩(伏見くん)が http://togetter.com/li/37528 に纏めてくれたので、ここにはブログ用にやや手を加えて

掲載しておくことにします。ある花火大会の夜、指揮法のレッスンの帰りに起こった出来事でした。

・・・・・・・・・・

 

混雑した車内、僕の前に浴衣の若い女性が立った。なぜか目の周りのメイクが崩れている。

泣いた後なのだろうか、疲れ切っているように見えた。大変だな、と思って席を譲るつもりで立ち上がる。女性は一瞬驚いた表情を向け、

「ありがとうございます。」と小さくお辞儀してくれた。少しは楽になるだろうか、と安堵したその瞬間、横からおっさんが割り込んで

席にどっかりとお座りになる。これには真剣に殺意が湧いた。ちょうどレッスン帰りでタクトを持っていたので、

「このおっさん指揮棒で刺したろか・・・。」と思ったぐらいである。(なんとか辛抱して目線で鋭く刺すに留めておいた。)

 

とはいえ、困るのはこの状況だ。立ちあがった僕には居場所がない。そして、座ろうとした浴衣の女性も所在ない。

困ったなあ、と女性と眼を合わせて苦笑する。真横かつ至近距離で黙っているのもお互い何となく居心地が悪くて、若干慌てつつ

「花火ですか。」と話しかけてみることにした。冷静に考えてみればアホな質問だ。浴衣で花火でなくて何だと言うのか。

これで「ええ、ちょっとルミネへ買い物に。」とか、「試着室で試着したまま帰ってきました。」だったら、びっくりである。

 

もちろんそんな予想外の展開ではなく、やはり花火大会帰りとのことである。

どうやら新宿まで一緒の様子だったので、車内で、それから乗り換えに歩きつつ、その人としばらく話すことになった。

彼女はずいぶん大人っぽく見えたが大学一年生だった。聞けば、好きな人と一緒に花火へ行って告白したけど駄目だったらしい。

 

「好きじゃないなら花火なんて誘わなきゃいいのに。そう思いませんか?」と彼女が僕を見上げて、言う。

その真剣な眼差しと、否定を許さない厳しさを持った口調に対して何も言えなくて、「うん・・・まあ。」と曖昧な言葉を返した。

生返事をしながら、見上げる顔を横目で見て、「結構泣いたんだな・・・。」と思う。多分、ほんとにその男の子のことが好きだったんだろう。

新宿駅の雑踏。華やかな浴衣姿と笑顔ばかり目に入ってくるが、悲しい気持ちで浴衣を着て、こうして帰路に着く人もいるのだ。

 

華やかな浴衣を着て、光の当たらない場所でひとり泣くのはどんな気持ちなのだろう。

もしかしたら花火大会の途中で帰ってきたのかもしれない。闇に描かれるカラフルな明滅に背を向けて、ドン・ドンと低く身体の中にまで

響き渡る音を後ろに聞きながら、花火のことを考えないで済む場所まで走って逃げる。

だが、走ることは、自分が花火大会に来ていたことを逆に思い起こさせてしまう。

履き慣れない下駄、着慣れない浴衣。走ろうとすればするほど、浴衣が、花火が邪魔をする・・・。

そんなことを想像するだけでとても寂しい気持ちになる。だが、こういう時にはどんな言葉をかけてあげたらいいか僕には分からなくて、

初対面なのにとめどなく話す彼女に、ただ相槌を打ち続けた。

 

あっという間に改札が近づいてくる。ここでお別れだ。僕は左に、彼女は右へ。

「気をつけてね。」と声をかけると、一生懸命に作ったような笑顔で、「喋ってばっかりでごめんなさい。でも、ありがとうございました。」と

丁寧にお辞儀をする。お辞儀の拍子に彼女の小さな頭の向こう側がふと見える。ころころと揺れるガラス玉のついた髪止めが

外れそうになっていることに僕は気付く。だが、今の僕にはそれを直してあげることはできないし、する必要もたぶんないだろう。

 

「じゃあ、さようなら。」

そう告げて別れようとした瞬間、彼女はすっと顔を上げ、泣いた跡の残る明るい笑顔でこう言った。

「あの・・・あたし、今日やっぱり五反田の友達んち泊まります!愚痴り足りないから!」

唖然とする僕に踵を返し、そうして彼女は再び山手線のホームへと向かう。

 

夏の雑踏に浴衣姿が溶けて ゆく。

女は、強い。

 

 

 

悲愴・テンペスト・ヴァルトシュタイン その1 -Grave-

 

しばらく、指揮のレッスンではこの三曲を振っていました。

どれもベートーヴェンのよく知られたソナタ。そして、かつて自分でも弾いたことのある曲ばかり。しかし、これを指揮するとなると、

「こんなもんどうやって振るんや!」と突っ込んでしまいたくなるほどの難易度と密度を持った曲たちです。

ただ拍子を刻んでいるだけでは全く音楽にならないし、イメージに頼っているだけでは全く形にならないもので、

(ベートーヴェンの曲はどれもそうであるように)全てが有機的に結びついているため、どの一音も蔑ろにすることが許されない

厳格な曲ばかりです。

 

「じゃあ次までに勉強しておいで」師匠に言われて、帰ってさっそく悲愴の第一楽章を開けてみた時は正直絶望しました。

Grave、すなわち「荘重に、重々しく」という指示とともに書かれた和音。弾くというなら、それなりに音は出せます。(あくまでも「それなり」)

しかし、この重々しい和音のニュアンスを棒一本で果たして引き出せるのか?基本の動きは「叩き」です。しかし、Graveでしばらく持続

するこの和音を、どうやって出すのか。答えの出ないまま次回のレッスンに赴き、裂帛の気合を込めて振りおろした僕の棒が引き出した

音は、ただ音量が大きなだけで、重みもなく、残響にも乏しいものでした。

 

「違う違う。力任せではGraveの音は出せない。これは難しいから、よく見ておくように。」

笑顔でそう語ったあと、真剣な顔へと一転。そして80歳を優に超える師匠の、ゆっくりと上げられた腕から引き出された音は、

とんでもなく重く、分厚く、そして豊かな響きを持った音。空間にその音が響き渡り、場の温度や色が明らかに変わりました。

その一音だけで、感動から涙が溢れるのを止めることができず、身体の深いところにズザーン!とあの和音が浸透してきてじわじわと

広がってくるのを感じました。家に帰ってからもその音が頭を離れず、僕にしては珍しく、布団に入ってもしばらく眠りにつくことが

できないほどでした。

 

そうして四回のレッスンを終えて三楽章まで無事に進み、悲愴ソナタを何とか振り切ることが出来ましたが、師匠のあの鉛のような

和音には程遠かったと感じています。力も俊敏さも僕のほうが遥かに持っているはずなのに、四倍も歳の離れた師匠の出す

Graveのffには全く及ばない。指揮の不思議さと奥深さを改めて痛感することになったという点で、悲愴、そしてあの和音は

僕にとって忘れられないものになりました。