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<マニラ滞在記その1>宮城からマニラへ

 

アンサンブル・コモドとの宮城県での三日間のコンサート(8月18,19,20日)を終えて一日だけ休憩したのち、8月22日〜9月1日までマニラでUUUオーケスト ラ&マニラ交響楽団を、9月6日〜15日までセブでUUUオーケストラ&セブ・フィルハーモニックオーケストラを指揮させて頂いていました。

クラシックはもちろん、世界初演のヴァイオリン協奏曲や日本の現代曲、フィリピンの曲、吹奏楽、ポップスと盛り沢山のプログラムで中々ハードな日々だったのですが、体調も崩さず無事に帰国することが出来ましたので、メモ程度ではありますが、現地で書いていた滞在記をアップして行きます。

 

 

<マニラ滞在記1日目・2日目>

マニラに到着したのは24時前。飛行機に大きなトラブルもなく、無事にホテルへ到着することが出来ました。ぐっすり寝て翌日。コンサートツアーが始まる一日前にマニラ入りしたため、今日は一日オフとなります。朝からホテル周りを把握するため散歩したり、部屋に篭って論文執筆と譜読みにひたすら集中。噂通りマニラは快晴と豪雨を短時間に繰り返す天候ですが、ホテルが高層階ということもあって、夕方には夕暮れの素晴らしい景色が窓の外に広がります。夜には皆さんとモールのフィリピン料理屋に行ってみて、何ともいえないお味とルックスに圧倒されて帰ってきました(笑)

というわけで現在は、明日からの日々に備えるべく部屋でグラズノフのヴァイオリン協奏曲を流しながら、サン・ミゲル(現地のビール)でルームメイトと乾杯しています。水を飲むと危険だということを承知しているので、現地ではサン・ミゲルを水の変わりに飲む予定。一ヶ月弱のフィリピン滞在が終わるまでで何ミゲルになるかカウントしておこうと思います。

 

写真はホテルの部屋と、マニラツアー最終日の演奏場所であるRizal Parkのコンサート掲示。既に案内が出ているよ、と写真を頂きました。

宿泊先(B-Hotel)にて。夕陽の時間になると景色が綺麗でした。

Rizal Park

 

近況コラージュ

 

「青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである」

ヴァレリーらしき一節。はじめてこの文章を知ったのは高校生の頃だっただろうか。

ふとしたことから十年ぶりに巡りあって、原文を見つけようと試みている。

 

20世紀絵画論の講義。CompositionとExpressionをめぐる思考。分析的キュビズム。角度の問題。キュビズムにおける「楽器」の表象。

河本真理さんの名著『切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史』に刺激を受けて、「コラージュ」という概念についてしばらく考えている。

 

副委員長として所属している委員会の三役で交わすメールのやり取りが凄く好き。

素早い返信で事務的な連絡をしっかり抑えながら、そこに添えられた時候の挨拶や末尾の一言が温かく、遊びがある。

ロシア・ドイツ・フランスとそれぞれ対象とするエリアが違うのもやり取りを豊かにしていて良いなと思う。

 

レッスンで「第九」を全楽章見て頂いた。休学していたとき、ベートーヴェンの交響曲を一番から教わっていったのだけど

「第九」だけは「君には早すぎる」ということで見て頂けなかった。あれから二年経っても、もちろん僕には巨大すぎる曲だと思う。

自らの小ささを痛感しながらも、二年前と見える景色が変わったのは事実だ。

何より、これでベートーヴェンの交響曲を全て師匠に見て頂けたことが幸せでならない。

 

第九についてもう少し。ベートーヴェンの第九の三楽章を師匠に見て頂くということは、僕の一つの夢だった。

ベートーヴェンの書いた至高のアダージョ、一切の重力から解き放たれたような天空の音楽。

なぜか分からないが、これを聴いて・振っていると、悲しくもないのに涙が溢れてくるのを止めることが出来ない。

僕が振ったのち、「君がこの曲を好きなことは良く分かる、でもこの曲はそんなものじゃないぞ」という言葉とともに、

おもむろに数小節だけ振って見せて下さった88歳の師匠。

その極限まで切り詰められた動きの中から溢れ出る音楽の自然さ。

それはたった数小節のことだったかもしれないけれど、その数秒のことを一生忘れることは無いだろう。

推進力を持ちながらもどこまでも澄み切った歌だった…。

 

 

 

ネオ・インスタント

 

二十五歳学生独身、特技はインスタントラーメンの限界に挑戦することです。こんばんは。

醤油味のインスタントラーメンを美味しく作る方法を発見したので記録しておきます。

鍋に湯を沸かします→鰹節を大量に投入します→麺を入れて茹でます

→あとは普段通りに、茹で汁でインスタントラーメンのタレを溶いて麺をよそいます

→これでインスタントラーメンにコクが出て、一気にランクアップ!!卵、葱、海苔を入れるとなお良し。

たぶんこの流れで行くと、最初に昆布や煮干しでダシを取ったりしても美味しくなる予感がします。

それはもはや「インスタント」の意味を為していない、という指摘は受け付けません。以上です。

 

 

役者の方と。

 

先日見に行った「ミームの心臓」第二回公演「ケージ」で役者をされていた方とお茶をしてきました。

こうして「表現」に少なからず携わるもの同士ジャンルを超えて話す時間は凄く貴重で刺激的です。

今回も「居場所」を巡って音楽と演劇で共感し合えるところがあり、珈琲片手に話に華が咲きました。

 

彼はまだ19歳ですが、真摯で素敵な眼差しを持った方なので、これからが凄く楽しみですね。

ブログにその日のことを書いて下さいました。ここに紹介させて頂きます。

<Up-To-Date> http://arthurtorin.blog136.fc2.com/blog-entry-63.html

朝戸くん、ありがとう。また会いましょう!

 

 

 

 

ハイドシェックと会ってから -コンサート前夜-

 

東京大学に入学して、わずか二カ月がたったばかりの2008年6月16日、僕はエドモント・ホテルのロビーにいた。

フランスの誇る名ピアニスト、エリック・ハイドシェック氏にインタビューするためである。

僕は相当に緊張していた。なにしろ立花ゼミに入って最初のインタビューが日本語の全く通じない相手で、しかも憧れのピアニストだからだ。

僕の英語は伝わるのだろうか。伝わらなかったらどうしようか。とりあえず自己紹介はこうやってやろう。色々考えて下書きもしていたのに、

向こうから笑顔で歩いてくるハイドシェック氏を目にした瞬間、考えていた挨拶や自己紹介の文章はすっかり飛んでしまった。

声が震えるのを感じながら、Enchanté, je suis vraiment ravie de vous rencontrer. Je me présente, je m’appelle Yusuke Kimoto.

と、覚えたばかりのフランス語でたどたどしく挨拶すると、ハイドシェックは手を差し出しながら、

「会うのを楽しみにしていたよ。今日は時間がある。沢山音楽の話をしよう!」と優しい言葉を返してくれ、ホッとしたのだった。

 

あのころは(今もだけれど)たいしてフランス語が話せなかったから、インタビューは僕の拙い英語で、二時間半にわたって相手をしてもらった。

人生のターニング・ポイントは?あなたにとって音楽とは?他の芸術からインスピレーションを受ける事があるか?ピアノを弾いている時には何を考えているのか?

質問を一つ投げかけるたびに、ハイドシェックは窓の外に目をやり、そして堰を切ったように話しだす。

 

「ターニング・ポイントというような明確なものはないけど、私は確かに徐々に変化している。何歳になっても新しいレパートリーに挑戦していきたい。」

「音楽とは精神の食事です。無ければ生きていけません。」

「あらゆるものが私の音楽に影響します。絵画も、美しい自然も。そしてジダンのドリブルさえも。

実際、Beethovenの最後のソナタの一楽章のリズムは、ジダンのドリブルを見ていて閃いたものです。

アーティストは、あらゆるものに向かって感覚が開かれていなければなりません。ふつうの人にとってはNoiseと思われるようなものでも、

アーティストはそれを人生の糧とすることが出来ます。五感をフルに磨いて日々過ごしなさい。」

「演奏している時は何も考えていません。禅のようですが、考えていない時ほど良い演奏が出来るように思います。」

「どのような情勢の国で演奏することになっても、弾いている時は政治のことなど絶対に考えません。我々はただ音楽に仕えるものなのですから。」

 

長くなってしまうから、ここに全てを紹介することは出来ない。

だがそれは僕にとって、刺激的という言葉をいくら重ねても足りないぐらい刺激的な体験になっ た。

話の合間にハイドシェックが「ショパンに向いている手だね。」と僕の手を触るのを見ながら、

「ああ、僕はいま、本当に貴重な体験をしているのだな。」と立花ゼミに心から感謝した。

 

無事にインタビューが終了し、残る時間でちょっとだけぺダリングの極意を教わったりタッチの秘密を教わったりする中で、

自分がいま指揮法を学びたいと思っていることを伝えたら、ハイドシェックはいたずらっぽい笑みを浮かべながら、

「君がうまく指揮出来るようになったら日本に呼んでくれ。コンチェルトを やろう。」と言ってくれた。本当に嬉しかった。

もちろんこの場限りの冗談なのは分かっている。「学びたい」と思っているだけで実際にはまだ何も学んでいなかったのだから

指揮棒をろくに持つことすら出来やしない。ヴァレリーの言葉に「夢を実現させる最上の方法は、夢から醒めることだ。」というのがあるけれど、

あの頃の僕は、夢見るばかりで夢から醒めようとしていなかった。そんな甘さの残る20歳だった僕に、ハイドシェックのその言葉は、

冗談半分、挑発半分のような響きを持って届いた。明日になったらきっとハイドシェックはその言葉を忘れていることだろう。

だけど、それでも嬉しかった。

 

いつまでも見送ってくれるハイドシェックに手を振りながら、僕は飯田橋のホテルを後にする。

こんなにハイドシェックと近づける日はもう無いのだろうな、と思いつつ、さきほどの言葉を頭の中で何度も何度もリフレインさせつつ…。

 

インタビューから一ヶ月後、フランスから手紙が届いた。

目を疑う。なんとハイドシェックからだった。手紙の中には、フォーレの舟歌が収められたCDと共に、一枚の手紙が入っていた。

そこにはあの時と同じように、「がんばって指揮を学びなさい。一緒に演奏する日を楽しみにしている。」という内容が、

美しいブルーのインクで綴られていた。

 

 

あれからもうすぐ三年。

明日、僕はプロのオーケストラと共に指揮台に立つ。

 

 

 

ヨーロッパ滞在記 その5 - パリの街を歩く。-

 

崇高なものと俗なものの同居するモンマルトルを歩き倒し、疲れたらカフェへ。

フランスは至る所にカフェがあるので、休憩場所には苦労しません。滞在二日目にしてすでに、さっとカフェに入ってコーヒーを

注文したり、パン屋でクロワッサンをしゅぱっと買うのに抵抗がなくなりました。ひっそりした路地に佇むパン屋さんのパンが美味しすぎて

感動します。これがクロワッサンか!という感じです。カフェでは昼からお酒も飲めるので、ふらりとワイン を飲みに入ったりする楽しみも

覚えてしまいました。最高です。

 

自分の脚で街を覚える。迷うことで裏通りを知り、道を聞くことで言語に触れる。その通りの香りを頭に焼き付ける。

見る文字全てを口の中でこっそり呟きながら、そういうふうにパリの街を歩き回っていました。

歩くたびに秋の冷たい風が吹きつけ、風を切って歩く感覚があります。パリは、ただ歩くだけで本当に楽しい街です。

 

歩くうちに様々なことに気が付きます。たとえば、コンコルド広場へ向かう道で。

パリの街は、狭い空間から一気に広い空間に出る快感があります。パサージュから広場へ。建物やアーケードが突然消えて、

膨大な広さの場所と空が一気に眼前に広がる感覚はまるで、「自分」という存在の位置がふっと移動するような気分にさせられます。

うまく言葉にはなりませんが、狭い空間を歩いていたときの自分は、「世界を歩いているんだぞ。」という気分だったのに、

こうした広場に出た瞬間に、「自分は世界の端っこに間借りしているだけにすぎないんだ。」という気分になる。

自分と言う存在の占める大きさが相対的に変わる。でも、それは無力感とは違って、むしろ快感なのです。

 

夜10時にルーブル宮殿の広場に出た時もそうでした。狭い入口を通ると一気に広がる、馬鹿みたいに広い空間。

息を呑んで、次の瞬間なぜか分からないけど笑いが込み上げて来ました。走りだしたくなるような広さと、それを囲む建物の壮麗さ。

そして、頭上の闇に鮮やかに浮かんだ月の美しさ。広場には人がほとんどいなかったので、闇の中、広場の石畳に寝転んで、

月と空間を見上げてしばらくじっと過ごしていました。この光景は一生忘れられないだろうな、と思いながら。

 

帰りには、月が浮かぶセーヌ川に佇みました。セーヌ川にかかった橋を渡りながら、板の隙間から足元を見ると、水面に光が

反射してキラキラと光っているのが見えます。ただそれだけなのに夜の空気の冷たさと相まって、涙が出るぐらい感動してしまいました。

そして上機嫌のまま、カフェでボルドーを二杯飲んで、幸せな気分に浸ってホテルに帰るのでした。

 

 

ヨーロッパ滞在記 -その4 ピガールからモンマルトルへ-

 

「ピガールへ繰り出した」、というと「歌舞伎町へ繰り出した」みたいなもので、何だか変な感じが漂いますが、

こんなことが出来るのは男一人旅行の特権かもしれません。ピガールの街に出てまず訪れたのが、アダルトショップ。

真昼間から何をしてるんだ、と怒られそうですが、何かを買いたかったわけでは全くありません。

どうせなら男一人旅行でなければ出来ないことをしてみようと思ったのと、風俗が一番出ている場所の一つかな、と思って

特攻してみたのです。結論としては、

【売っているものは日本とほとんど同じ。日本のアニメ文化の影響が「コスプレ」グッズの豊富さに色濃く反映されている。】

というところでしょうか。フーコーなどを読んでいてセクシュアリテの領域に関心を持っている僕としては、正直かなり面白かったです。

 

その後、ずっと歩いてサクレ・クールへ。アダルトショップから「サクレ・クール=聖なる心」へ移動というのは凄まじいコントラストです。

サクレ・クールはモンマルトルの丘の上にあり、ピガールがその麓に広がっているわけなので、聖-俗が位置空間として近接している

(しかし「高さ」という厳然とした壁で隔てられている)のは面白いですよね。

もちろんサクレ・クールへ直行したわけではなく、麓を歩きまわって蛇行しながら、徐々に丘に登って行きました。

いま思い返してみれば、凄い距離を歩いていたと思います。異国に限らず、知らない土地に来たときにはとにかく自分の足で歩き回り、

そのあと高いところに登って街を把握することにしているのですが、サクレ・クールはその意味でもぴったりな場所。

いままで歩いていたピガールの街を一望し、また遠くにエッフェル塔を望むことが出来ました。

雨上がり、爽やかに青空と飛行機雲が広がった中、壮大なドームの最上部から眺めるパリの街並みは最高に美しくて、

モンマルトルが大好きになりました。

 

モンマルトルの丘の芝生に座って、眼前に広がるパリの街を見渡しながら、麓で買って来たクロワッサンをかじる。

そんな幸せな時間に浸っていると、シューベ ルトの弦楽五重奏が聖堂の方から聞こえてきました。

立ち上がって見てみたところ路上パフォーマンスのようです。近くに移動してしばらく聞き入りました。

演奏終了後、おひねりを渡しながら演奏者の方たちと話したのですが、みな音楽が専門の大学生だそうです。

「僕もいちおう音楽やってます。」と伝えたら、「日本から音楽しに来たのか?楽器は?」などと妙に盛り 上がってしまい、

しばらく話し込みました。といっても相手が嵐のように話してくれただけで、そのうちの二割ぐらいしか聞き取れていない気がします。(笑)

ともかく、この景色の素晴らしさとそこに暮らす人々の素敵さに、「しばらく日本に帰らなくてもいいかな…。」とちょっと思ってしまうほど、

フランス滞在初日から居心地の良い時間を過ごすことが出来ました。

 

ヨーロッパ滞在記 -その3 ピガールの街を歩く-

 

パリ北駅からメトロに乗ってピガールへ。

もちろんメトロに乗るのも初体験。びっくりしました。駅について電車の速度が完全に停止する前にドアが開くのですから。

速度がまだついている電車から駅に降りるその感覚は、まるで小さい頃に乗った遊園地のアトラクションから降りるときのようで、

何だか懐かしい思いになりました。さらに、(これはたまたまだったと思うのですが)車内で移動しながらヴァイオリンを弾いている

おじいさんがいて、これがめちゃくちゃ上手い!ツィゴイネルワイゼンとかを難なく弾いており、音も結構綺麗だったので、

乗客もみんな「まあいいか。」みたいな感じになっていて誰も注意しません。日本では考えられないことです。

山手線の中でヴァイオリンを弾きだしたら即効で強制下車させられるでしょうね。

 

何度かある乗り換えもスムーズにこなし、「なんだ。意外とフランス語何とかなるぞ。」と安心しつつピガールへ。

ピガールというのは御存知の方もいらっしゃると思いますが、風車のキャバレー「ムーラン・ルージュ」があることで知られており、

日本の歌舞伎町のような街です。ガイドブックには必ず「観光客、特に女性は夜に近寄らない方がいい。」「スリ多発地域につき注意。」

などと書かれている場所ですね。いきなりなぜこんな場所に行ったかと言うと、当初の目的であったモンマルトルのサクレ・クールに

近い事が一つと、「風俗街を歩き回るとその国の文化が良く見えてくる」と聞いたことがあったから。

駅としてのアクセスも優れているので、安全面さえ気をつければ、拠点としては凄くいいんじゃないかなと考えたというのもあります。

というわけで、まずピガールに降り立ち、ムーラン・ルージュを見上げた後、このあたりでホテルを探してみようと歩き回り始めました。

 

何件かいい感じの安ホテルを見つけて、最終的に裏通りにある小さなホテルに入ってみました。

感じのいいおっちゃんが迎えてくれて「予約はしてあるか」とフランス語で尋ねられたので、たどたどしいフランス語で

「してません。泊りたいんですけど空いてますか。」と伝えてみると、かろうじて伝わったようで、ルームキーを頂けました。

そしてこのホテルに4泊することに。部屋に入り、スーツケースを置いてシャワーを浴びて着替えたあと、オロビアンコのショルダー一つ

だけを持って、意気揚々とピガールの街へと繰り出しました。

 

 

ヨーロッパ滞在記 -その2 ベトナムからフランスへ-

 

「夜間飛行」でフランスへ。ベトナムから飛行機に乗り、ベートーヴェンを九番まで聞き終えてベルリオーズの「幻想」を聞いているうちに、

フランスが見えてきました。といっても到着が朝4時だったので、辺りはまだ暗いまま。飛行機の中のアナウンスもフランス語が入り始め、

ここぞとばかりに必死でリスニングするも、七割ぐらいしか聞きとれず。こんな語学力で一週間パリでサバイバル出来るのだろうか…と

若干不安がよぎりましたが、まあ何とかなるだろうとオプティミスティックな結論に達して飛行機を降ります。

 

ド・ゴール空港、朝四時。

ここはもうフランスなのです。辺りはフランス語だらけ。フランス科に進学し、フランス語を勉強してようやく一年になったばかり

(第二外国語はドイツ語だったので)の僕にとっては、とても新鮮な環境。「ちゃんと読めるかな」、と思って、広告から店の名前まで、

目に入ってくるフランス語をこっそりと読みあげてみます。意味の分からない単語も沢山ありましたが、大体は分かるし読める。

楽しくて仕方がありませんでした。言葉はもちろん、色遣いが日本とは全然違うのも新鮮で、一つ一つの標識やサインを見るたび、

「うーん、凄いなあ。ここにピンクを持ってくるのか。」と感心しきり。愛機LUMIXのG-1でつい写真を撮りまくってしまいます。

 

スーツケースを受け取ろうとベルトコンベアの辺りでぼーっとしていると、同じく暇を持て余したらしい外国人に突然話しかけられます。

「おっと、ここで早速フランス語会話の出番か!よっしゃこい、Bonjour!」と身構える僕。でも、思いっきり英語でした。

なんだか微妙に脱力しつつホッとしつつ、拙い英語で会話しているうちに相手がドイツ人であることが判明。

「おっと、ここはドイツ語の出番か!よっしゃこい、Danke!」と大学で教わったドイツ語会話の先生の顔を思い浮かべながら、

これまた拙いドイツ語で喋ってみます。すると相手がとても嬉しそうな顔をしてくれて、凄い勢いのドイツ語で話し始めました。

ごめんなさい、全然聞きとれません(笑)

 

まあとにかくにも、英語とドイツ語を交えつつ話しているうちにそのドイツ人と仲良くなってしまい、ド・ゴール空港内のパン屋さんで

一緒に朝食を取ることに。もちろんパンです。僕は朝御飯は絶対にお米派なのですが、フランスではそうもいかず、クロワッサンと

アーモンドデニッシュを注文。ここではじめてフランス語を使いました。「クロワッサン二つとアーモンドデニッシュ一つ、あとコーヒー。」

フランスに滞在中、何度この言葉を使ったか分からないぐらいです。

そしてパンがとても美味しい!「これ美味しいね!?Das ist gut, nicht wahr?」なんて一丁前に付加疑問文を使って

ドイツ人に話しかけてみたところ、「うーん、普通じゃないか?」という返事が返ってきて笑ってしまいました。

(フランスに滞在するうちに分かったのですが、確かにそんなに美味しいクロワッサンではありませんでした。)

 

朝食を終え、ドイツ人と一緒に電車に乗り、パリ北駅Gare du Nordへ向かいます。

Gare du Nordは本当に壮観な駅で、降り立った瞬間にシャネルのNo.5(オドレイ・トトゥが演じるもの)の新しいプロモーションムービー

の映像を思い出しました。そんな場所にいま自分が立っているのかと思うと、ちょっと感動。

ここでドイツ人と別れて、僕はとりあえずGare du Nord内のWi-Fiが飛んでいるエリアを探索し、メールチェックやTwitterの更新などを

したり、周辺の情報を調べたりしました。こういうときにiPadは本当に便利ですね。

 

サバイバル旅行だったので、行くアテは特にありません。しかも宿泊先すら未定。

無計画に旅行できるのは、一人旅行のいいところかもしれませんね。どうしようかなあ、と駅の外に出てみたら天気があんまりにも

良かったので、まずはモンマルトルのサクレ・クール寺院に行ってみようと思いつき、ムーラン・ルージュで有名なピガールという駅で

降りるべく、真っ赤なスーツケースをごろごろ引っ張りながらメトロの改札へ向かいました。

周りから聞こえてくるフランス語に耳を澄ましつつ。

 

ヨーロッパ滞在記 -その1 出発からベトナムまで-

 

幸運にも奨学金を得て、ヨーロッパへEUの動向を学びに行ってきました。

セミナーの場所はドイツのオッツェンハウゼンという場所だったのですが、せっかくの機会だから、とセミナーの一週間前に日本を経ち、

ベトナムを経由してまずはフランスを目指しました。

 

地域文化研究学科のフランス科に所属してフランス語やドイツ語に日々触れているくせに、実はヨーロッパを訪れるのはこれが

人生初の経験。本当ならツアーみたいなものに参加した方が安全なのでしょうが、「語学を勉強するにはやはりサバイバルせねば。」

という向こう見ずな思考のもとで、現地のホテルも予約することなく(!)一番安いベトナム航空の席だけ押さえて、成田空港へ

向かいました。ベトナム航空の飛行機は、青の機体に金のラインが美しいもの。しかもアテンドのお姉さんがアオザイ

(ベトナムの民族衣装。妙にセクシーです。)の似合う素敵な方ばかりで、「ベトナム…大丈夫かな…。」という不安な気持ちも

たちどころに吹っ飛んでしまいました。我ながら単純です。(笑)

 

経由地であるベトナムまで、飛行機で四時間ぐらいだったかと思います。

飛行機の中では全く退屈しませんでした。というのも、出発直前にiPadを購入し、これを機内に持ち込んでいたからです。

iPadにベートーヴェンの交響曲のフルスコアを1番から9番までと、ブラームスの交響曲のフルスコアを1番から4番まで、あと

ベルリオーズの幻想交響曲も全部PDFで入れておき、それぞれを聞きながら楽譜を読んでいるうちに一瞬で時間が経ちました。

 

ベトナムのタンソニヤット国際空港に降り立つと、スコールのような激しい雨が降ってきました。日本を出るときに着ていたコートが

邪魔なぐらいの暑さ。ただそれだけのことなのに、「ああ、僕はいま違う国に来ているんだな。」と何だか感動してしまいました。

格安航空券だっただけにトランジットが八時間ぐらいあったので、空港内をぶらぶらして綺麗なストールを見つけて衝動買いしたり、

illyのカフェで本を読んだりTwitterをしたり国際電話をかけてみたりしているうち、陽はすっかり暮れて夜に。

カフェには同じくトランジット待ちと思われる日本人の大学生カップルがいて、『地球の歩き方 フランス』を二人で仲良さそうに

読んでおり、日本語がときどき聞こえてきて何だか安心しました。(こちらは一人だったので、気楽な反面ちょっと寂しかったですが)

 

ちなみにこのillyのカフェではWi-Fiが飛んでおり、持っていったVaio-PとiPadを両方これに接続してメールの返信なども

こなすことができ、とても助かる場所でした。ベトナムで一番思い出深い場所はこのillyかもしれません(笑)

そうこうするうちに、いつの間にか搭乗時間に。この飛行機に乗れば次はフランスです。

わくわくしながら、日が変わる頃に飛行機に乗り込んで、フランスを目指しました。