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向日葵が海に背を向けて咲いていた -東北で指揮して-

 

この夏に新しく出会った東北遠征オーケストラ(Commodo)と、演奏旅行に出かけていました。

慶應と武蔵野音大の方がメインのこのオーケストラ、アウェーの環境であるうえ、短い練習時間しか用意されていなかったので

どこまで仕上げることが出来るか指揮者として少し不安でしたが、みなさん最後には猛烈に練習して下さったこともあって、良く纏まりました。

今の僕に出来る限りの役目は果たせたかなと思います。

 

曲目はビゼーの「カルメン」やオリジナルのクラシックメドレー、サウンド・オブ・ミュージックのメドレーなど、全八曲。

阪神大震災を少なからず経験した身として、震災と津波の傷痕深く残るこの場所で指揮することには迷いも意義も感じていました。

(昨年も別団体から音楽による支援として指揮を打診されたのですが、まだその時期ではないだろうと思って断ったという経緯もあります。)

 

実際に現地を訪れてみると込み上げてくるものは祈りの感情で、津波の被害を受けた海岸沿いの地を静かに歩いているうちに

歩みを進めることが出来ないほど痛切な感情に襲われました。東北を回っている間に書きつけた文章の一部をここに掲載しておきます。

空は青く、雲は既に秋の軽やかさを見せていた。

海の音が迫ってくる。眼前には何もない。そう、一年前までそこにあったであろう物が何もない。

見渡す限り、無。ただ海だけがある。振り返っても背後は山まで一望できてしまう。悲痛な景色。

 

山から伸びる雲が海と繋がろうとしている。

大地はひび割れ、家であっただろう場所、線路であったはずの場所に草が生い繁る。

海から吹き付ける風に黄色が揺れる。向日葵が海に背中を向けて咲いていた。

波の音。どこまでも静かな景色、喪失の静けさ。

草地の中に残された泥まみれの上履きが残酷だった。

 

 

 

心から心へ届くように、あらん限りの祈りを。

アンコールとして演奏したyou raise me up、そしてsound of musicメドレーの

deep feelingと記された最終変奏にはとりわけそうした想いを、言葉を込めたつもりです。

全三公演、演奏した先々で涙を流しながら聞いて下さった方々が沢山いらっしゃったということを後から知りました。

音楽に何が出来るのかは今もって分からないけれども、少しでも心に届くものがあったならば…。

お聞き下さった方々、そして一緒に演奏して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

半世紀の至芸

 

この間のレッスンで見た、ブラームスの交響曲第一番三楽章、第二括弧からの師匠の振りが頭から離れない。

ある小節で、本来あるはずの場所から手が消えた。シンプルなその動きのまま、ふっと風に吹かれたかのようにワープした。

筋目の入った時間からすり抜けて、滑らかな時間へとその身を移し、時間が追いつくのを悠々と待っていた。

その動きに対応して、音があとから吸い付いてくるのが見える。リタルダンドでもパウゼでもない、フレーズの絶妙な収まりと始まり。

四小節の中での支配―非支配の関係が、基礎的な拍感に対応していた。強を支配し、弱を任せ、強のために懐を開けて待ち構える。

縛られている感覚は一切ない。モノが自然の理に従って本来辿り着くべき所にふわりと落ちるような、これ以外ありえないと思える心地よさ。

 

一小節、いや、一拍たりとも同じ振りは無いが、余剰は無い。これは削りの芸術、削りの至芸だ。

何かを付け加えるのではなく、基本の動きを徹底的に削り続け、磨き続けた結果、些細な変化が際立つ。

飾り立てるのではない。押し付けるのでもない。

磨き、削ることによって生まれる、大吟醸の香りのような豊穣な美しさだった。

 

「そういえば、指揮を教え始めて五十二年になるんだなあ。半世紀だ。」と八十六歳の師は笑って語る。

半世紀ものあいだ、一つのことを追い求め続けて生きることの難しさはどれほどか。

ましてや一本の棒と自らの身体だけで臨む、指揮という形の見えぬ芸術を。

 

その一振りに半世紀の歳月が宿る。衰えるどころか、さらに深まる削りの美。

巡り会ったからには、師が人生を賭して磨き続けるものを全身全霊で学ばねばならぬ。

 

 

 

 

 

隔たりを信ず。

 

自分より遥かに年上で、しかも年齢を無為に重ねず不断に学び続けてきたあの頭脳に、いつか辿り着ける日が来るのだろうか。

二十五歳になってから、そうした疑問がふと頭に浮かぶことがある。それは言ってみれば、自分の将来、自分の未来への不安なのかもしれない。

答えは二択で描けるものではないだろう。誰にも答えは分からないし、そもそも他者によって答えを提示されることは堪えられない。

ポール・ニザンの「僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」というあの有名な一節を思い出す。

時間は止まってくれないが、時間の中で自在にリズムと密度を操ることが我々には出来る。

だから、時を先行したものとの隔たりを意識しながら、そして隔たりを尊敬しながら、負けず嫌いにも似た無謀さでぶつかっていくしかない。

 

 

改めて思う。年齢は偉大だ。

「凄い」と心から思える年長の人と張り合ったとしても肩を並べるのは難しいかもしれない。

しかし、無謀だとしても、張り合うように必死に学んで生きない限り、その人と同じ年齢になった時、

追い越すことはおろか、肩を並べることすら出来やしない。

 

 

塔を見上げているだけでは首が凝るばかり。

心を奪われるものに巡り会ったら躊躇せず、自らを自らで狭めることなく…不確定な未来に身体を預けて、前へ。