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L’analyse de la pub de CHANEL N°5

 

シャネルのNo.5のCMで一つレポートを書きあげました。(http://www.chaneln5.com/en-ww/#/the-film)

オドレイ・トトゥ演ずるこのCMは、CMという枠を超えた内容を持っています。台詞はほとんど存在せず、ナレーションも最後の一言のみ。

商品の内容や性能は一切説明されることがありません。ですが、見る者にシャネルの五番を強烈に印象付けます。

それは、このCMの狙いが「空間に漂う香り」そのもの、あるいは「香りがもたらすストーリー」を表現したものだからです。

 

シナリオは二つの対称的なテーマ群によって構成されています。

一つは、〈開放〉と〈閉鎖〉の切り替わり。駅へと走るシーンは鳥が青空へと飛んで行くのを見ても感じるように開放的ですが、

夜行列車に乗ってしまえばそこは閉鎖空間。人の気配をすぐ近くに感じる空間であり、窓を開けてもその外に出る事は出来ません。

ですが、いったん目的地(イスタンブール)について降りると、そこには開放的な空間が再び広がっています。

閉鎖空間ならではの「すぐ近くに相手がいる感覚」は霧散し、開放空間ならではの「相手がどこか遠くへ行ってしまった」感覚が

場を支配します。

 

もう一つの軸は、〈偶然の擦れ違い〉と〈運命的な出会い〉。そしてそこに生じる〈視線〉の特異。

男と女は徹底的に擦れ違います。夜行列車の中で、ボスフォラス海峡を渡る船の甲板で。

そして、二人の視線はほとんど交わることがありません。夜行列車のガラスを通して、あるいはカメラのモニター(とファインダー)を

通してのみであって、直接的に交わることはほとんどないのです。夜行列車で扉一枚隔てて男と女が反対方向を見つめあうショットは

その最たるものであって、間違いなくお互いがお互いの事を考えているのに、視線は正反対へと向いています。

ラストシーンで運命的に男と女が巡り合っても、男と女の視線は交錯せず、男は女を後ろから抱きしめ、首(香水をつけている場所)に

唇を寄せるにとどまります。女に惹かれているというよりはむしろ、女の香り(=シャネルの五番)に惹かれている様に見えます。

 

このようにして、広告対象そのものが押し出されることはなく、広告対象が引き起こす出会いを美しい映像の中で描くことで

この香りそのものの空気感を表現していると言えるでしょう。本当によく計算されたCMだと思います。このCMでは途中にビリー・ホリディの

I’M A FOOL TO WANT YOU (恋は愚かというけれど)が流れるのですが、歌詞が

I’m a fool to want you. I’m a fool to want you.

To want a love that can’t be true.  A love that’s there for others too.

I’m a fool to hold you. Such a fool to hold you…

と流れる中で、歌い手がブレスを入れる場所を狙いすましたように汽笛の音が挟まれます。歌い手の声色と汽笛の音色の相性、

そしてこのタイミングが素晴らしいため、汽笛の音が合いの手のように聞こえます。巧すぎる構成!とにかく一度見てみてください。

2004年のニコール・キッドマンを登用したNo.5のCMも素敵な出来なので、ぜひこちらもどうぞ。youtubeで検索すればヒットします。

 

さて、それでは以前書いたように今日から2月の2日まで志賀高原へスキーに行ってきます。久しぶりのスキーなので、

71リフト全制覇するぐらいの心意気で滑り倒してくるつもりです。しばらく更新は出来ませんが、帰ってきたら旅行記と写真をアップします。

なお、先日からTwitterを始めており、Artificier_nuitで検索してもらえば引っかかるはずです。良かったらフォローしてやって下さい。

Twitterのほうは旅行中も稀に更新するかもしれません。では行ってきます。

 

 

三木清『語られざる哲学』(講談社学術文庫,1977)

 

なんとなく三木清を読んでいる。

西田幾太郎の弟子にしてドイツ語とフランス語を自在に操り、横断的な思索を巡らせ続けた三木清。

暗い時代に生きた彼は、48歳という若さで獄中にして非業の死を遂げる。

彼がじっくりと読むべき日本の偉大な哲学者のひとりである事は間違いないだろう。

 

全集を読み始めたばかりの僕が三木清の哲学についてあれこれと語ることは出来ない。

だが、三木清の文章はどれも美しく、強い言葉であって、漫然と生きている自分に強く刺さってくる。強靭な意志の力を感じずには

いられない。以下に三木清自身の文章を『語られざる哲学』(講談社学術文庫)より、四つほど引いておく。

 

 

「真の懐疑は柔弱ではなくて剛健な心、自分自身をも否定して恐れない心、ヘーゲルの言葉を用いるならば真理の勇気

(Der Mut der Wahrheit)をもった心において可能である。それは戦士のような心のことであって掏摸(すり)のような心のことではない。」

 

「私は樹から落ちる林檎を見て驚異を感ずる心よりも空に輝く星を眺めて畏敬の情を催す心をもって生まれた。

幸福なことには、私は美しき芸術を感じ、正しき真実に驚きよき行為を畏れる心を恵まれていた。私の哲学はこの心から出発するであろう。

そしてこの心が私をして子供のような無邪気さをもって闇の空にではなく大きな青空に夢み出させた。

また私の純粋さはこの夢において保たれて来た。」

 

 

「私はかつてニュートンの言葉から思い出して人生を砂浜にあって貝を拾うことに譬えた。

凡ての人は銘々に与えられた小さい籠を持ちながら一生懸命に貝を拾っ てその中へ投げ込んでいる。

その中のある者は無意識的に拾い上げ、ある者は意識的に選びつつ拾い上げる。ある者は習慣的に無気力にはたらき、

ある者は活快 に活溌にはたらく。ある者は歌いながらある者は泣きながら、ある者は戯れるようにある者は真面目に集めておる。

彼らが群れつつはたらいておる砂浜の彼方に 限りもなく拡って大きな音を響かせている暗い海には、彼らのある者は

気づいておるようであり、ある者は全く無頓著であるらしい。けれど彼らの持っておる籠 が次第に満ちて来るのを感じたとき、

もしくは籠の重みが意識されずにはおられないほどに達したとき、もしくは何かの機会が彼らを思い立たせずにはおかな かったとき、

彼らは自分の籠の中を顧みて集めた貝の一々を気遣わしげに検べ始める。検べて行くに従って彼らは、彼らがかつて美しいものと

思って拾い上げた ものが醜いものであり、輝いて感ぜられたものが光沢のないものであり、もしくは貝と思ったものがただの石であることを

発見して、一つとして取るに足るもの のないのに絶望する。しかしもうそのときには彼らの傍に横たわり拡っていた海が、

破壊的な大波をもって襲い寄せて彼らをひとたまりもなく深い闇の中に浚っ て 行くときは来ておる のである。

ただ永遠なるものと一時的なるものとを確に区別する秀れた魂を持っている人のみは、一瞬の時をもってしても永遠の光輝ある貝を

見出して拾い上げ ることができて、彼自ら永遠の世界にまで高められることができるのである。

私たちはこの広い砂浜を社会と呼び、小さい籠を寿命と呼び、大きな海を運命と呼 び、強い波を死と呼び慣わしておる。」

 

 

「個性の根柢は普遍的なるものにある。

しかして普遍的なるものは己れ自身に具えた力によって内面的に発展して特殊の形をとるのである。」

 

 

感じて、振る。

 

今日はフレッシュスタートのミーティングに参加して、グループワークの内容を練ってきた。

僕の班のJr.TAは工学系の院生の先輩と僕のふたり。全く違う領域の専攻なので、お互いの専攻の話を聞いているだけで

あっという間に時間が経つ。

 

その中で色々と案を出し合ってみた結果、基本的な構成は「アイスブレイク(兼・自己紹介)+ディスカッション」で良いだろうという

事に落ち着き、その上で1.自己紹介をしながら質問を一つしてもらう 2.ディスカッションは小さなグループでやってから全体でやる

という工夫をすることにした。ディスカッションのテーマは確実に全員が話題に参加できるようなもの(たとえば、文理の学問の違いを

考えてもらいながら個別の学問分野の話に結び付けてゆく、といったような)を考えておくが、それを使うかどうかはその場の雰囲気次第。

質疑応答で面白い話題が出ればそちらで広げる。

 

なんだヒネリがないなあ、と思われるかもしれない。が、最初からヒネリまくって、やたら難しいディスカッションのテーマなどを決めてしまい

身動きが取れなくなってしまうのは避けなければならないから、これがベストだと考えている。フレームはフレキシブルにとどめておいて、

状況次第で最適な方向へ変形させてゆく。シンプルな枠組み+柔軟なアドリブで我々の班はグループワークを進めてゆくつもりだ。

 

 

ミーティング後、しばらく指揮の予習をしたあとレッスンへ。最初のアウフタクトの一音だけで五回ぐらいダメだしを喰らったものの、

なんとかベト1二楽章の半分ぐらいまで進んだ。指揮をすることは音楽を生むことであるが、往々にして、次の音を出すのに必死になって

今鳴り響いている音を聞く事が出来なくなる。ある指揮者が(確かハンス・フォン・ビューローだったと記憶している)

「指揮者は頭にスコアを入れなければならない。しかし悪い指揮者はスコアに頭を入れる。」という言葉を残している。蓋し名言である。

生みだした音を聞きながら、次の音を創造する。それは「この音符ならこう振る」という単なる作業や決まり切った技術ではなくて、

音という「見えない何か」を時間と空間の中で捕まえて、対話していることに他ならない。

 

僕の師はよく、「感じなければ駄目だ。指揮者が感じていなければ、どんなに振っても音楽が鳴るわけがない。」とおっしゃるが、

その意味が徐々に分かりつつある気がしている。(今日は「もう一歩だ。もっと湧き上がってくるように。もっと深いところから。」と言われた。)

音楽が鳴る前に音楽が鳴っているような感覚、次にどんな音が鳴るかが分かる感覚。師を見ているといつも思うこの不思議な感覚を

少しでも早くとらえたい。そして、もっと深いところで感じて振れるようになりたい。

 

僕に残された時間はそう長くない。だから写真のように記憶し、スポンジのように吸収する。一言一句逃さない。

 

LANGAGE ET PARENTÉ 完読!

 

ようやくレヴィ・ストロースの『構造人類学』に収められたLANGAGE ET PARENTÉ (言語と親族)を原典で読み終えた。

かなり丁寧に読んでいったので相当な時間がかかったけれども、文法事項から表現、そして内容に至るまで、得たものは大きい。

この達成感と徹夜明けの妙なテンションが自分の中で偶然の出会いを果たし、昼には一人で駒場東大前近くの蕎麦屋で上天ざる

1100円を頼んでしまった。徹夜明けの身体に食後の蕎麦湯がしみる。満足だ。財布の中身は見て見ぬふりをするのがコツである。

 

ここ数日間は毎日何かしらのレポートや小論に追われている。既に書き終わったものだけでも生命倫理、メディア論、映像分析、

身体論、音楽と詩などがある。これから書くものは広告論、科学技術倫理、ヨーロッパの心性史、ディルタイの哲学などがある。

そこに加えて比較法学のテストがあったりドイツ語のテスト勉強をしたり、指揮のために楽譜を読み込んだりしているので、毎日が

大変なことになってしまっている。にもかかわらず、30日の夜から2日の夜までは志賀高原へスキーに行くことにした(笑)

 

ゼミ旅行と銘打ったこの旅行、志賀高原を力の限り攻める予定である。

71のリフトを乗り継ぎまくって初級コースから上級コースまで幅広く制覇したいと思う。志賀高原全山のスキーコース中で最も手強い

丸池の一部のコースと焼額山の「熊落とし」と呼ばれる急斜面+コブだらけのコースをどう乗り切るかがポイントになるだろう。

スキー旅行記については写真とともに後日ここで公開するつもりなので、どうぞお楽しみに。

選抜通過

 

とあるプログラムの選抜を通過しました。一週間前に出したペーパーが運良く審査を通ったようです。

どれくらいの人数が審査を受けたのか分かりませんが、選抜されたのは学部生・院生合わせて九人でしたから、もしかすると結構な倍率

だったのかもしれません。選抜されるとどうなるかと言うと、なんと三月の中ごろに中国(南京)へタダで行って勉強することができます。

具体的には、南京で身体論に関する集中講義を聴講したのち、南京大学の学生たちとディスカッションをやったりする予定だそうです。

中国語はほとんど分からないのでちょっと日和そうにもなりましたが、こんな機会は滅多にないと思って飛び込んでみる事にしました。

 

飛び込んだ、と言っても、身体論という分野は以前から僕にとっては非常に興味を惹かれる分野でした。

そもそも自分の主要な興味のフィールドがフランス現代思想、生命倫理、表象文化論、社会学あたりである以上、「身体」という問題は

絶対に外すことができませんし、むしろこれらのフィールドの全てに横たわる問題だと言ってもよいでしょう。ましてや指揮法を学んでいる

ので、「身体」への意識は否でも日々高まらざるを得ません。(マルク・リシールの用語を使えば「透明な身体」と「不透明な身体」の間を

日々行ったり来たりしているのです。僕はこの状況を「明滅する身体」と表現し、今回のペーパーを書いてみました。)

また、A氏に連れられてdialog in the darkを経験してから、五感と身体の関係性について色々と考えさせられ

折にふれては小論をちょこちょこ書いたりもしていたので、実際問題としていま最も興味を持っているのは、まさにこの

「身体論」なのかもしれません。無秩序に広がりがちな自分の興味が「身体」という言葉でスッと纏まりそうな気がしています。

 

南京へ行くのは3月中旬。フレッシュスタートの準備が慌ただしくなる頃ですが、パソコンさえ持っていけばスカイプなり何なりで

いくらでも作業やデザインの仕事は出来るのできっと大丈夫でしょう。フレッシュスターとでのグループワークの内容もいっそ

「身体」を切り口にした何かをやってみようかなと企んでいます。

 

ともあれ、タダで中国に行ける、というのは要するに税金で勉強させてもらってくるわけなので、有意義に色々と学べるよう

出来るだけの準備をして出発せねばなりません。ドイツ語とフランス語で手いっぱいの状況なので中国語まではさすがに手が

回りませんが、まずは身体論に関連する本をこの一カ月で読みまくりたいと思います。

 

というわけで手始めに、一年ぐらい前に購入した『ディスポジション 配置としての世界』(現代企画社)から

「馬に乗るように、ボールに触れ、音を奏でるように、人と関わる」という文章、それから「世界・環境・装置」と題された

対談、そして「心身の再配置のために デカルト哲学における意志の発生と権能」という論考を再読。二つ目に挙げた対談の中で

フーコーを引きながら「身体に作用するのが暴力、行為に作用するのが権力」と定義しているところが印象に残りました。

 

ハイドンの45番「告別」

 

久しぶりに更新。前の記事に書いたスケジュールをなんとかひと通りこなしました。

その間、フルートでA氏のピアノとアンサンブルして遊んだり、センター試験の問題を見たりしていましたが、今年のセンターリスニングの

内容を見てびっくりしました。なんとハイドンの「告別」シンフォニーについての話が出題されています。

 

まず「ハイドンの告別交響曲についての説明を聞いて以下の問いに答えよ。」とあって、設問は

「『告別交響曲』の結びでは誰が舞台に残っているか」(問23)

「なぜその田舎の宮殿では音楽家たちは不幸せだったのか」(問24)

「ハイドンのこの交響曲に込められたメッセージは何だったか」(問25)

の三問となっています。クラシックをよく聞く人にとってはリスニングするまでもなく回答できる問題だったのではないでしょうか。

(Wikipediaでこの曲を検索すると「2010年のセンターに出題された」との解説が既に加わっていてびっくりしました。)

 

しかもこの「告別」交響曲は昨年(2009年)のニューイヤーコンサートでダニエル・バレンボイムがプログラムに入れており、

TV中継では演奏の際に「告別」交響曲についてのエピソードが流れていたので、それをたまたま見た人も結構いたと思います。

ついでに国語の現代文では中沢けい『楽隊のうさぎ』という有名な本から出題されていたりと、今年は音楽をやっている人間にとって

少し有利な出題だったかもしれません。指揮法の同門の先輩方に一度見せてみたいと思います。

 

肝心の指揮法自体もかなりいいペースで進んでおり、エチュード四番に奇跡の一発合格を頂いたので次の曲、第五番に入りました。

五番はBeethovenの交響曲一番の二楽章なので、しっかりと気合いを入れて望まないとすぐにボロが出てしまいそうです。

楽譜屋さんからフルスコアを取り寄せて、教程に乗っているピアノ編曲版と見比べながらじっくりと勉強することにします。

一番はあまり日常的には聞かない曲なのですが、CDラックをちょっと整理してみたら意外にも十枚ぐらい持っていました。

ただ、一番単独(あるいは他の交響曲とのカップリング)のCDは少ないですね。ほとんどはBeethovenの交響曲全集としてです。

手始めにフルトヴェングラーの54年ライブ(Radio-Sinfonieorchester Stuttgart)とムラヴィンスキーの82年ライブ、それから

カラヤンの61年の録音を引っ張り出して聞いておきました。二楽章の四~六小節目の歌わせ方にそれぞれの特徴が良く出ています。

 

疾風怒濤の日々

 

 数日間、怒涛の日々を過ごしていた。

指揮法の門下生で新年コンパ→翌日一限プレゼン(フランス語)→五限プレゼン(英語)→レッスン(夜十一時まで)

→翌日五限プレゼン→六限フレスタ説明会+ゼミ→レッスン(夜十一時まで)→翌日二限プレゼン(いまここ)

→レポート締切×2→吞み会→二限テスト(比較法学)→レッスン(フルート)

という、殺人的なスケジュールである。しかもその合間に授業や指揮法の予習、バイトや仕事が入ってくる。これは結構キツイ。

 

 とはいえ、一番準備が進んでいなかった言語情報文化論のプレゼンを、アドリブ的な喋りに任せて上手くこなすことが

出来たので一安心である。この授業はLignes de tempというソフトを用いて映像分析をやる授業なのだが、発表の時期を考えて

僕の班はウィーンフィルのニューイヤーコンサートについて映像分析を行った。25年分ぐらいの映像を見ながらその変遷を

追って行った結果、ウィーンフィルのこのコンサートの映像は三つの時代に大きく区分できる変遷を見せていることが分かった。

 

1.「人」の時代・・・指揮者や演奏者を中心に映した時代。1987年のカラヤンまで。

 

2.「音」の時代・・・1989年(指揮者クライバー)以降。1987年同様に指揮者をしっかりと映しながらも、音楽を「聞かせる」ために

           映像が協力する時代。具体的には、「ソロを吹いている楽器を見せる」「楽曲上の動機となる低音部を映す」

           「指揮者の意識が向いている楽器を映す」などの傾向が挙げられる。実演を聞くだけでは接しえない、

           「指揮者と奏者とのコンタクト」を映像として捉えたのは画期であろう。

 

3.「映像」の時代・・・2004年(指揮者ムーティ)以降。ちょうどこの2004年にハイビジョン放送が開始された。

            圧倒的に高精細に表現することが可能になったのと対応するかのように、この年度から音楽と直接に関係のない、

            花、ホール、天井画、柱、大理石、風景などが映像に占める割合が増え始める。この時期以降、細かい「小ネタ」が

            目につくようになる。

 

このようにして変遷を区切った後で、2010年の位置づけを考えてみた。詳しい説明は割愛するが、僕の考えでは、2010年はこの

いずれにも当てはまりながら、いずれにもピッタリおさまるものではない。曲、人に加えて、上からの映像を多用することでコンサートが

行われている場所を全体性とともに映し出すその構成は、「場」の時代とでも呼ぶべきものの到来を予期させる。

(「それはつまるところ、コンサートのバーチャル・リアリティー化に近いのではないか」と発表の後で教授がおっしゃっていた)

そんな感じの内容でプレゼンを行った。

 

 音楽絡みで書いておきたいのが、最初に触れた、指揮法の門下生で行った新年コンパ。これは本当に面白かった。

門下生の多くは何らかの形で音楽に専門的に従事していて中にはプロの指揮者として活躍されている方も何人かいらっしゃる。

そんな中に僕がいるのも変な感じではあるが、一番の若手ということで大量にお酒を飲ませて頂きつつ

(紹興酒がとても美味しかった。しかし一番感動したのは、先生がシャンパンを二本持ってきて下さったこと。一本はモエシャンドン、

もう一本はなんとWiener Symphoniker というラベルだった!)

夜を徹して音楽談義を繰り広げていた。誰かが「さっき指揮者のスウィトナーが無くなったらしい」なんてニュースを呟けば

そこからスウィトナーの録音について熱い話が展開される。そうかと思うと「ジュピターの四楽章は何拍子で振るか」みたいな

議論になったり、「ちょっと君、あの曲のあの部分振ってみて」みたいな突然の無茶ぶりがあったりもする。

(しかし、そんな無茶ぶりに対しても、「え、あのホルン入ってくるとこですか?えーっとこうですよね。」としっかりとお振りになっていた。)

 

皆さんいくらお酒が入っていても、先生がぼそっと話しだされると一斉に静かになって先生の言葉を一言一句漏らさぬように聞いている。

それもそのはず、先生が呟かれる話はどれも大変にインスピレーションに富んでいる。先生の音楽観や音楽性が凝縮されている。

最長老の門下生の方などはもう30年以上も先生に習っているそうなので、このような機会を何度も得ていらっしゃるのが本当に

うらやましい限りである。長老さんによれば、先生の全盛期は「それはそれは怖かった」とのこと。

僕から見れば今でも十分怖いので、昔はどれほどだったのか想像するのも怖いぐらいだ。

とにかく少しでも先輩方に追いつけるように気合いを入れて練習しよう、と珍しくちょっとお酒の回った頭で決心した。

その甲斐あってか、先入と半先入、分割先入を駆使するエチュードNo.3はなんと二回のレッスンで終了。多くの人がここで止まると

言われていたので、無事に通過することが出来てホッとした。今週からは、いよいよNo.4のHaydnのAllegroへ突入する。

叩きの練習の成果が出るか楽しみだ。

 

 そういえば先日の記事で東大の日本史・世界史の問題を「ゼロ年次教育プログラム」と表現したところ、結構好評だったようで

(塚原先生のページ、1.13日の記事に言及があります。)ちょっと嬉しい。

「これは入試問題ではなくて東大の教育プログラムの一環なのだ」と考えれば、受験勉強に対する意識が少しは変わるかもな、とふと

思った。「東大の問題に真剣に向かい合う」というのは、「既に東大の教育プログラムを受けている」こととほぼ同義なのかもしれない。

 

 なお、本日は上村忠男『ヴィーコ 学問の起源へ』(中公新書,2009)を読了。次は熊野純彦『日本哲学小史』(中公新書,2009)に

入ります。どちらも生協書籍部の新書フェアで買ったもの。生協書籍部では「東大出版会20%オフ」フェアを現在やっているので

近いうちにまた大量に散財することが予想されます(笑)

 

「型」としての入試問題

 

 先日の記事に対して塚原先生がホームページで触れて下さっていました。たとえWeb上であれ、予備校時代の先生と

今もこうして話すことが出来るというのはとても嬉しいことです。

(もっとも、先生が問題にしたかったのは「形式面」であったということで、僕が少し文脈を取り違えていた感がありますが)

《出題者の方々がそうした「型」,大学での学びにつながる「型」にどの程度意識的なのか?》と先生は疑問を呈されています。

実際のところどうなんでしょうね。何十年も同じスタイルで出題していることを考えると、やっぱり要求したい「型」があるんでしょうか。

 

 京大の問題についてはコメントできるほど詳しくないので東大の話に限定してしまいますが、東大の問題は、受験生だったころの

僕にとっては、「大学での勉強を予感させてくれるもの」でした。

一問一答はい終わり、ではなく知識羅列で片がつくようなものでもありません。

持っている知識を総動員しながら資料と突き合わせて、知識と資料を対応させる。

知識から資料の意味を発想し、時に資料から知識を引き出す。書くべきことは書く、書かなくてもよいことは書かない。

要するに「考えろ」ということですね。そんな東大の日本史(と世界史)の問題は、いわゆる「受験勉強」に辟易としていた僕にとって

とりわけ新鮮に映りました。解いていて楽しかったし、驚きがあったし、大学に入りたくなった。浪人中、受験勉強(特にセンター)に

飽きたときは東大の日本史と世界史を見てやる気を出し、関係しそうな本(たとえば東大の教授が執筆された本であったり、

ブローデルの『地中海』であったり)を近くのジュンク堂へ読みに行くのが一つの楽しみであったことを思い出しました。

 

 大学に入ってみて、東大の日本史・世界史が要求していた「型」と同じような事を至る所で要求されていることを感じます。

作問者の方々はしっかりと受験問題と大学での学びの接続性を意識して出題していらっしゃるんじゃないでしょうか。どれほど

意識しているのかは分かりませんが、在校生としては、「少なくとも意識はしているだろうな」という印象を受けています。

東大教養学部には「初年次教育プログラム」なる一年生向けのプログラムがありますが、東大日本史・世界史の入試問題というのは

ある意味で「ゼロ年時教育プログラム」なのかもしれません。

 

 こういったことを先生方がどれほど意識しているのか、それは本郷の文学部の日本史を扱う学科(国史学科など。東大日本史を

作問している教授たちが多くいらっしゃいます)に進学を決めた友達にお願いして、宴会の席ででも教授本人に聞いてもらうのが

よさそうです。というわけで考古学へ進むカナヅチ氏、江戸の町が大好きなあの先生や木簡大好きなあの先生と飲む機会が

ありましたらぜひ聞き出してみて下さい(笑)

 

 なお、お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、右サイドのリンク集を拡充しておきました。

自分の「お気に入り」に入れていたサイトを追加しまくってあります。語学(独・仏・伊)に関しては結構な部分に対応できるはずです。

リンクに登録してあると僕としても使い勝手が良い(友達のパソコンや仕事場のパソコンなど、自分の物ではないパソコンで

作業をする際にはまずこのブログを開いてそこからリンクで飛ぶ。)ので、使用頻度が多く、また便利なサイトを中心に

バーっと並べておきました。フィガロ紙とルモンド紙、シュピーゲル紙とヴェルト紙に簡単に飛べるのは結構便利なはずです。

(辞書サイトも並べてあるので、これを併せて使えば海外の文献でも何とか読めますよ。)

イタリア語がもうちょっと読めるようになったらイタリアの新聞サイト(La Gazzetta dello Sportoなど)も入れたいと思っています。

もし「これを追加して欲しい!」とか「これ便利だよ!」というサイト(とくにリンクフリーのもの)がありましたら、コメント欄にでも

書いておいてください。後から追加させて頂きます。

 

 なお、本日はマルク・リシール『身体 - 内面性についての試論』(ナカニシヤ出版,2001)を読了。

 

「身体のこの厚み、「受肉して生きる」という場を経験のただなかで考える事が出来るのは、〈身体のなか〉に

〈身体をはみだしている〉なにものか、〈そこから漏れ出そうとする〉なにものかが存在するときだけであって、そして〈その何ものかとの

関係によって、身体はいつも多かれ少なかれ、ある仕方で、あるいは別の仕方で、制限されて現れることになるだろう。〉」(前掲書)

 

などの一節に触れて、メルロ・ポンティ『知覚の現象学』『行動の構造』や「人間と逆行性」で展開されている議論との接続性を

感じたので、途中からはメルロ・ポンティの諸著作を机に広げて相互に参照しながら読み進めました。

そのあと、昨日A氏と紅茶を飲みながらプルースト『失われた時を求めて』の話をしていたのを思い出し、『失われた時を求めて』の

五巻(集英社の文庫版)の「ゲルマントの方 Le côté de Guermantes」をパラパラとめくっていました。その中に原文では

 

…on ne peut bien décrire la vie des hommes, si on ne la fait baigner dans le sommeil où elle plonge et qui , nuit après

nuit, la contourne comme une presqu’île est cernée par la mer. 

「人間たちの生はそれが沈みこんでいる眠りの中に浸さなければ十分に描ききることは出来ない。眠りは、小さな半島が

海に囲まれているように、夜ごと人間たちの生を取り囲んでいるのである。」

 

と訳される部分がありました。

「眠り」という行為の扱いによってはさきほどの身体論と接続することが可能かもしれないな、という思いに至ったので、

今書いている身体論に関する小論に展開してゆくことを考えてみようと思います。『失われた時を求めて』の八巻である

「ソドムとゴモラⅡ」にも「眠り」について長く触れた箇所があるので、こちらも後日参照するつもりです。

  

 

 

受験で日本史を学ぶことの意義

 

 リンクさせて頂いている恩師の塚原先生のページを読んでいると、1月7日の記事に先生のご友人の方の言葉として

「大学受験で日本史を選択している生徒のほとんどが大学で日本史を専門的にやらない」という言葉が紹介されていました。

そして「受験生のほとんどは受験で必要だから,仕方なく日本史を選択し勉強している」のかもしれないこと、そして

日本史の知識は(受験生・大学生にとっては)「雑学的な小ネタ」にとどまるものなのか?という疑問が書かれていました。

 

 以下は僕の狭い経験に基づくものでしかありませんが、元受験生・現大学生として、自分の思うところを少し書いてみたいと思います。

端的に言ってしまえば、「先生、そんなことはないですよ。」ということです。

日本史を選択している生徒の多くが日本史を専門的に学ばない、という指摘は、(「専門的」という言葉の定義にもよるとは思いますが)

確かかもしれません。東大の例で見ても、進振りで日本史を専門的に学ぶ必要のある学部(例えば教養学部の比較日本文化論や

地域研究科アジア分科、本郷の学部では文学部の国史や国文学、考古学などが挙げられるでしょう。)に行く学生は

人数的に多くはないでしょう。全部合わせて50人ぐらいでしょうか。東大で日本史を選択して受験する受験生が何人いるかは

分かりませんが、50人というこの数字を日本史選択の受験生の割合にと比べてみれば「そう多くない」比率になってしまうはずです。

 

 それは進路の多様性を考えると当然の結果なのですが、かといって我々大学生の中で、日本史の知識が雑学的な小ネタ程度に

留まっているという感触は持っていません。これは僕に限ったことではなく、日本史を選択した受験生にとって、受験で学んだ

日本史の知識は自分が様々な論を進めていくうえでの土台の一つになっているでしょうし、それはまた、人の議論を聴き・理解するため

の共通の土壌にもなっているのではないでしょうか。なぜそんなことを言うかというと、「基礎演習」という授業を思い出したからです。

一年生時に履修していた必修の授業で「基礎演習」というのがあって、そこではクラスメイトが思い思いのテーマを設定して発表します。

発表を聞いているクラスメイトはそれに対して意見を様々に加えていくわけです。僕はテーマに「スーツの表象」を設定して、スーツを例に

取り上げてモードの表象文化論を展開したのですが、日本におけるスーツ受容の理由を考える際に受験で学んだ日本史の知識を

まず参考にし、そこから発展させていった記憶があります。また、あるクラスメイトは「沖縄戦の集団自決」というテーマで論じて

いましたし、別のクラスメイトは「五・四運動に見る学生のエネルギー」というテーマで発表をしていました。

そして、発表のあとには聞き手のクラスメイトと発表者の間で大変活発な議論が交わされていました。これらの発表はいずれも

日本史の知識に立脚したものであったし、発表を聞いている学生たちにとって、発表を理解し、また適切なコメントを挟んでいくことは、

聴き手側にある程度の日本史の知識が無ければ出来ないものであったでしょう。その意味で、(とりあえず本学の学生にとっては)

日本史の知識は、議論に参加する上での共通の土壌として有意義に働いているように思います。

 

 それだけではなく、(たとえ受験レベルであっても)「日本史を学んだ」ことによって、「日本史に関する本が抵抗なく読める」という

恩恵にも預かっていますね。読むか読まないかはひとまず置いておいて、「読める」のです。読むか読まないかは単にやる気や興味の

問題ですが、読めるか読めないかは能力の問題なので、この差は大きいのではないでしょうか。

受験生時代には「仕方なく」日本史を勉強していたとしても、それは大学に入ってから、「土壌として地下深くで輝く」

(奇妙な表現ですが、これが一番良く状況を表している気がします)ことになるのだと思います。

離れて初めて気づく親のありがたさのように、入ってから初めて気づくありがたさを日本史の受験勉強は持っています。

(逆に言えば、そのありがたさや面白さを受験生時代に気づかせてやれるように教えることが大切なんじゃないかと思います。)

 

 

 二年間大学生をやってみて、「日本史・世界史を一通り学んでおいて良かった!」と思ったことは数知れません。

特に東大の日本史・世界史に対応するために学んだ事項は本当に今も役立っています。基本的な用語の内容や文脈にはじまって

歴史の持つ通時的な軸と共時的な軸を学び、政策・施策の意図や背景を知り、史料から読み取る能力を磨き、そして自分の思考を

相手の要求に沿って文章化する技術と、日本史・世界史自体の「面白さ」を東大の日本史・世界史の勉強の中から学びました。

今、僕は何を研究するにしても、抵抗なく日本史の領域を参照することが出来ますし、世界史の領域へも横断することが出来ます。

マルク・ブロックを読みながら並行して網野善彦が読めるのです。(そして、読むうちに網野とアナール学派の手法の親和性にふと

気付いたりして、遠く離れているように見えた両者が一本の糸で繋がるような、刺激的な経験をしたりするのです。)

 

 以上の理由から、僕の知る範囲においては、受験で学んだ日本史の知識は「雑学的な小ネタ」にとどまるものではありません。

大学生にとって日本史の知識は、論を立てるための土台であって、人の議論を聞く上での土壌です。

そしてそれは言うなれば、諸学の入口の扉に差し込むためのカギのようなものだと思います。

カギを開けるか開けないかは人それぞれ。でも、確かに、扉を開けることが「できる」カギを持っているのです。

 

 だから決して無駄にはなりません。受験生の皆さん、安心して日本史や世界史の勉強を進めて下さい。

そして塚原先生、受験生の頃以上に先生には感謝しています。上に書いたように、先生から学んだことは今もしっかりと活きています。

先生のおかげで僕は日本史を、入試問題という「大学への招待状・大学からの挑戦状」を、目一杯楽しむことが出来ました。

  

 

東京帰還&『海に住む少女』(ジュール・シュペルヴィエル)

 

 新幹線に乗ること二時間半。あっという間に東京に着いてしまいました。

小学校へ通うのに自宅から二時間近くかかっていたことを考えると、新幹線の偉大さを思い知ります。

一週間ぶりに戻ってきた東京は相変わらず人が多く大変でしたが、無事に家へとたどり着くことが出来ました。

 

 さて、東京に帰ってきたからには時間を無駄にせぬように全力で動く日々がまた始まります。

沢山やりたいことはありますが、今年は特に、学生でいられる残り時間をそろそろ意識して、一つずつ「形」にしていかねばなりません。

手始めにFresh Start関連のデザインの仕事をいくつか片づけておきました。東大に今年合格される方には、もれなく僕がデザインした

フライヤーが届くことになります。このブログを見て下さっている東大受験生の方は覚えておいてください(笑)

それからずっと前から依頼されながら延々と悩んでいたFresh Startの公式ロゴのデザインが唐突にひらめいた

(今年のNew Year Concertで放送されたバレエのドレスを見ていて思いつきました)ので、勢いでロゴも完成させました。

まだロゴの配色にはいくつか候補があるので、最終的には友達から多数決を募って決定したいと思っています。

 

 Fresh Start関連では、そろそろパンフレットの内容も考えていかねばなりません。このパンフレット、去年は僕一人で全デザインを

担当しましたが、今年は山本くん(立花ゼミに所属している友達です。立花ゼミのホームページのデザインは彼の作品ですよ。)という

強い味方がいるので、具体的なレイアウトなどは彼に任せて、僕は企画をどんどん立案して一年生に振っていこうかなと考えています。

今回の僕の肩書きは「クリエイティブディレクター」なるものですし、デザインに一心不乱になるよりは全体へ目配りをして

企画や作品の統一感を失わないように纏めることが要求されているようです。とにかく、せっかくの機会なので中途半端なものは

作りたくありません。昨年の自分が作ったものを軽く超えるようなクオリティで、長く手元に置く価値のある魅力的な企画が沢山詰まった

一冊を作りたいと企んでいます。

 

 

 今僕の頭の中にある具体的なアイデアについては1月13日の全体ミーティングで説明するつもりですが、基本的なコンセプトとしては、

本学学生・教員の「知」と「経験」を基に、それぞれの「知」と「経験」のぶつかり合いから生まれる「越境」的なエネルギーを伝えるものに

したいと思っています。同時に、高校の勉強と大学の勉強が完全に乖離しているわけではなくてどこかで繋がってくるものであるという

ことや、各学問分野が他の分野に影響を与え・与えられて発展していく様子を、何らかの形でヴィジュアル化したいと考えています。

高校の科目を根っこに置いて、そこから木(大学での学問)が生えて、そして絡み合っていくような「知のマインドマップ」を作るわけです。

これらのどこまでが実現できるかわかりませんが、出来る限りやってみるつもりですのでどうぞお楽しみに。もし良いアイデアを

思いついた方がいらっしゃいましたら、メールかコメント欄に書いて送って頂ければとても嬉しいです。

Fresh Start 当日まであと二カ月。関係者一同、一生懸命に創意工夫して準備しますので、合格された方はFresh Start@駒場 に

是非参加してみてくださいね!

 

 まあこんな感じでパンフレットのアイデアも徐々に出始め、ロゴも上手く出来てちょっと喜んでいたところ、

「あと二時間ぐらいでこの企画のフライヤー作れる?!綺麗な感じにして!」と例によって先生から無茶振りをされました。

やや手間取りましたがなんとか夜九時には完成。今日は良く仕事をしています。駒場を後にしてからは三軒茶屋の喫茶店に寄って

ジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女 L’enfant de la haute mer』(訳:永田千奈 光文社古典新訳文庫,2006)を読了し、

続いて上村忠男『ヴィーコ 学問の起源へ』(中公新書,2009)の第五章までを読んだところで閉店時間となったため、席を立ちました。

続きはまた明日読むことにします。

 

 帰宅してからは白州12年をちびちび呑みながら『構造人類学』の訳読を進め、その後、買ったばかりの

『フランス哲学・思想事典』(弘文堂)の最初にある「16・17世紀総論」の項を読みました。事典を読むのは本当に面白いです。

浪人中に読んだ『現代思想芸術事典』『図解音楽辞典』に続いて大学三年生の間にこれを何とか読み切りたいと考えているので、

今日からこの事典を毎日寝る前に読み進めることにします。ちなみに、広辞苑を通読しようと高校生のころに思ったことがあるのですが

これは全く歯が立ちませんでした。「あ」だけでギブアップします。物理的にも重すぎるため、腕が筋肉痛になること請け合いです(笑)