November 2013
M T W T F S S
« Sep   Dec »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

何だか分からないものに賭けて。

 

昨夜の「第九」通しレッスンで燃え尽きた。

充実と共にある種の呆然。三楽章のとき、後ろで見学されていた方がぼろぼろ泣いていらっしゃったということを後から知る。

僕の演奏はバランスを欠いたところもやれなかったことも山のようにあって課題だらけだが、問答無用に涙を溢れさせてしまう「第九」という音楽は、

本当に凄い曲だと改めて思う。朝起きても第九の脈拍が収まらず、他の事を一切考えられないまま夕方。

振り終わってからずっと続いていた呆然とした余韻が収まり始めて、今になってなぜか涙腺が緩む。

門下の先輩の「子供の情景」のレッスン後の素敵な表情とともに、昨日は何か忘れ難い時間があの空間に訪れていたのは間違いない。

 

休学中にベートーヴェンの交響曲を一つずつ教わっていった。一番、二番、四番、五番「運命」、六番「田園」、七番、八番、三番「英雄」、そして九番。

第九だけは一楽章を振った時点で「君には早すぎる」と言われてそれ以降保留になっていて、これを最後まで師に見て頂ける日がやってくるのを

一つの目標に過ごしていた。もちろん今だって僕には早すぎる曲なのだけれど、師がお元気で居て下さる間に、第九を最後まで見て頂き、

そしてベートーヴェンの交響曲を拙いながらも全て振らせて頂けたことを幸せに思う。

 

 

二十六歳、学生。

今やらなければきっと一生後悔する。根拠も無いその直感を信じて過ごした数年間だった。

失ったものは多かった。とても自分勝手に生きて、両親には迷惑ばかりかけ、友人たちを、愛した人たちを随分と困らせた。

しかし同時に、一生を通じて自分の人生の中心にあるであろうものを僕は得た。それが形にも言葉にもならないものだとしても。

自分を取り巻く時間の流れに抵抗して、なんとか間に合った。休学中にやり残した夢が一つ叶った。

カンディンスキーの『回想』

 

カンディンスキーの『回想』に描かれたモスクワの黄昏時、とても美しい一節。

僕はモスクワの風景を残念ながら全く知らないけれども、それでも強く喚起されるものがある。以下引用。

「太陽はすでに低く、太陽が一日を通じて探し求め、一日中切望していた最高に充実した力をその手にしている。

が、この光景は、長くは続かぬ。あと数分で落 ちんとする。そしてその陽射しは緊張のあまり紅に染まり、しだいにその濃さが増してゆく、はじめは寒色、やがてしだいに暖色系に変わりつつ。

太陽は全モスクワを一色に溶かしてしまう。まるで、内面全体、魂のすみずみまでを震撼させる、あの狂おしいチューバの響きのようだ。

否、この赤一面がもっ とも美しい時間ではないのだ!それはそれぞれの色彩がその生命のかぎり輝き、

全モスクワを大オーケストラの力強いフォルティッシモのように響かせ、支配す るシンフォニーの終止和音にすぎぬ。

バラ色、ライラック、黄色、白、青、浅緑の、真紅の家々や教会-それぞれが自分たちの歌を-風にざわめく緑の芝生、低いバスでつぶやく樹々、

あるいは千々 の声で歌う白雪、葉の落ちた樹々の枝のアレグレット、それに無骨で無口なクレムリンの赤い壁の環。

…このときを色彩で描く事こそ、芸術家にとって至難の、 だが至上の幸福である、とわたしは考えたものである。」

(カンディンスキー『回想』西田秀穂訳, 美術出版社)

 

橋を架ける。

 

師に代わって門下の新入生の方々を教えさせて頂いている。

師匠から託された門下生は四人になった。

僕に何が出来るのか?責任の重さと自らの未熟すぎる立場に躊躇することもあるけれど、

少しでも師の言葉に応えることができるよう、一人一人丁寧に、今の僕に出来る限りのことをお伝えしたい。

 

教えさせて頂くことで自らの動きについてもより意識的になる。

教えることは我が身を振り返ることであり、我が身を正すことに繋がる。

師匠が言外に秘めたであろう、こうしたメッセージをしっかりと活かしていかねばならぬ。

そして同時に、教えることは自分が振れることと必ずしも一致しないのは勿論、独特の思考を要求されることが分かってきた。

はみ出しを整えていったり、はみ出しから新たな形を創造したり、あるいは横たわる差異に橋を架けたり。

師が僕に今まで下さった言葉は、そういう複雑な思考の結晶だったのだ、と気付かされる。

 

学生指揮者を務めている女性が昨夜のレッスンに持ってきた吹奏楽曲、「天空への挑戦」。

こっそりと彼女に負けないぐらい勉強しておいたので、譜面も背景もほとんど頭に入っている。

ここはこうだよ、と師の椅子に座って教えさせて頂きながら、壁一枚隔てたところで穏やかに座っていらっしゃる師匠を思った。

中学校の吹奏楽指導へご一緒させて頂いたときの師の姿を、棒ひとつで中学生たちの音を見違えるように高めてしまう師の姿を重ねながら。

不意に涙が溢れそうになる。湧き上がる感情に飲み込まれないように、四分の五拍子を振った。

 

 

 

 

近況コラージュ

 

「青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである」

ヴァレリーらしき一節。はじめてこの文章を知ったのは高校生の頃だっただろうか。

ふとしたことから十年ぶりに巡りあって、原文を見つけようと試みている。

 

20世紀絵画論の講義。CompositionとExpressionをめぐる思考。分析的キュビズム。角度の問題。キュビズムにおける「楽器」の表象。

河本真理さんの名著『切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史』に刺激を受けて、「コラージュ」という概念についてしばらく考えている。

 

副委員長として所属している委員会の三役で交わすメールのやり取りが凄く好き。

素早い返信で事務的な連絡をしっかり抑えながら、そこに添えられた時候の挨拶や末尾の一言が温かく、遊びがある。

ロシア・ドイツ・フランスとそれぞれ対象とするエリアが違うのもやり取りを豊かにしていて良いなと思う。

 

レッスンで「第九」を全楽章見て頂いた。休学していたとき、ベートーヴェンの交響曲を一番から教わっていったのだけど

「第九」だけは「君には早すぎる」ということで見て頂けなかった。あれから二年経っても、もちろん僕には巨大すぎる曲だと思う。

自らの小ささを痛感しながらも、二年前と見える景色が変わったのは事実だ。

何より、これでベートーヴェンの交響曲を全て師匠に見て頂けたことが幸せでならない。

 

第九についてもう少し。ベートーヴェンの第九の三楽章を師匠に見て頂くということは、僕の一つの夢だった。

ベートーヴェンの書いた至高のアダージョ、一切の重力から解き放たれたような天空の音楽。

なぜか分からないが、これを聴いて・振っていると、悲しくもないのに涙が溢れてくるのを止めることが出来ない。

僕が振ったのち、「君がこの曲を好きなことは良く分かる、でもこの曲はそんなものじゃないぞ」という言葉とともに、

おもむろに数小節だけ振って見せて下さった88歳の師匠。

その極限まで切り詰められた動きの中から溢れ出る音楽の自然さ。

それはたった数小節のことだったかもしれないけれど、その数秒のことを一生忘れることは無いだろう。

推進力を持ちながらもどこまでも澄み切った歌だった…。

 

 

 

霜葉は二月の花より紅なり

 

京都に旅行に出かけた友人が紅葉の美しさについて触れた文章を読んで、「霜葉は二月の花より紅なり」(霜葉紅於二月花)という一節を思い出す。

この一節がある漢詩の最終行であることは知っていたのだけど、全体を知らなかったのでこの機会に覚えることにした。

晩唐の詩人、杜牧の「山行」という七言絶句だ。以下横書きで引用しておこう。

 

遠上寒山石径斜

白雲生処有人家

停車坐愛楓林晩

霜葉紅於二月花

 

やはり最終行の鮮やかさに惹き付けられる。

それはただ、扱われている内容が鮮やかなだけではない。

それまでの行で描いてきた目と心の動きから一気に重心が舞い上がるような鮮やかさだ。

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ2013年度演奏会

 

11月30日(土)16時半より、コマバ・メモリアル・チェ ロオーケストラの2013年演奏会を行います。

今年度はプロデューサー役を務めさせて頂いている丸ノ内KITTE-IMTの室内楽企画<Music & Science>の第四回演奏会という位置づけで、インターメディアテクという博物館で演奏いたします。

(ですので、今年は駒場祭では演奏致しません…たくさんのお問い合わせを頂きありがとうございました。駒場では、来年に大きなコンサートを企画できたらなと思っています。)

 

会場は博物館のため、お席の準備がない立ち見のコンサートとなりますが、事前予約不要・入場無料ですので、展示物をご覧になりつつお気軽にお楽しみ頂けましたら幸いです。

博物館自体がとても面白い空間ですし、どの曲も一度耳にすると忘れられない印象的な曲ばかりです。

チェロ・オーケストラも設立から三年目を迎えましたが、また今年も同じ曲を、同じ時期に演奏できるのは本当に嬉しいことだと思っています。

チェロオケを聞きに来て下さった方や、これまでに指揮させて頂いた様々なオーケストラからも「参加したい」というお声を頂き、今年はなんと十五人のチェリストが集まりました。

愛してやまないヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」の限りない魅力を、そしてチェロ15本の豊かな響きを、きっと堪能していただけると思います。

ゲストにはフルートの北畠奈緒さんをお迎え致しました。心の通う奏者たちと魂込めて演奏しますので、どうぞお立ち寄り下さい。

 

2013年11月30日(土)

16時半開演〜17時半終演予定(16時10分ごろよりロビーコンサートあり)

場所:丸ノ内KITTE 2F インターメディアテク(東京駅丸ノ内南口より徒歩2分)

曲目:クレンゲル「讃歌」/ロジャース「全ての山に登れ」/ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ五番&一番」

演奏:コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ2013

フルート:北畠奈緒

指揮:木許裕介

http://www.intermediatheque.jp/ja/schedule/view/id/IMT0014

 

「全ての山に登れ」を除いてチェロ・アンサンブルのために書かれた曲ばかり。

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」や「五番」は、太陽に抱かれるような豊かさを持ち、森の奥でそよぐように神秘的で、乾いた大地で踊るように荒々しく、

そして同時に、大らかで切なく、憧れに満ちて力強い音楽です。(師の演奏に接して以来、僕のいちばん好きな曲のひとつです。何度演奏しても新しい!)

クレンゲルの「讃歌」は十二人以上チェリストが集まらないと演奏できない曲で、我々の憧れの曲でした。

ひとりずつ静かに積み重なっていく冒頭から、祈りと喜びに満ちあふれたコーダまで本当に美しい曲です。

「全ての山に登れ」は「サウンド・オブ・ミュー ジック」の中の音楽で、きっと一度は耳にされたことがあるのではないかと思います。

いままで何度もオーケストラで演奏してきましたが、何度演奏しても心の底からじんわり泣きそうになってしまう名曲です。

チェロ・アンサンブルで演奏するとどんな響きがするのかご期待ください。

 

 

秋と冬のあいだ。

 

久しぶりの更新になってしまいましたが、元気に過ごしています。

水曜日にレッスンで「第九」、木曜日にチェロオケでブラジル風バッハ、金曜日ふたたびレッスンで第九、

土曜日の朝から夕方までオーケストラ・アフェットゥオーソでシベリウス七番、大急ぎで移動してUUUオーケストラで「運命」とプロコフィエフのピアノ協奏曲三番を指揮する、

という激しい一週間を過ごしていました。

 

さすがに日曜日は疲れでぐったりしていたのだけれど、夜に伺った友人のフルーティストのデュオ・コンサートが素晴らしくて一気に回復!

「うまい」なんて言葉では到底表せない、技術を超えた何かが確実に宿っていて、心底感動してしまいました。(コンサートの感想は別途書きたいと思っています)

彼女とは年内にあと二回も本番で共演する機会があるのですが、あの素晴らしい音色で目一杯歌って頂けるような棒を振れるようになりたいと気合いが入りました。

 

というわけで物凄いやる気に満ちて月曜日スタート。年末本番のレスピーギの「第三組曲」とタルティーニのトランペット協奏曲の譜読みにかかります。

もともとコンチェルトを聞くのも演奏するのも大好きなのですが(コンチェルト、もっと振りたい!)トランペット協奏曲ははじめてなので、いっそう楽しみ。

大好きなレスピーギをまた今年も演奏できることも幸せです。

ランボーの「既に秋だ!」をつぶやくまでもなく、いつの間にか冬の気配が訪れてしまいましたが、焦ることなく、頂いた機会を一つずつ丁寧に積み重ねていきたいと思います。

 

「週刊読書人」11月8日号に書評を掲載頂きました。

 

「週刊読書人」11月8日号に小宮正安さま『音楽史 影の仕掛人』(春秋社)の書評を掲載頂きました。

まだ修士の身分にも関わらず、このような機会を下さった読書人さまに心から感謝いたします。

 

『音楽史 影の仕掛人』はいわゆる「音楽史-西洋音楽史」で扱われる作曲家の背景にいた人々を描いたものです。

扱われる25人それぞれがそれぞれに魅力的で、また独特な関わり方をしているので、包括的に記述することはなかなか難しかったのですが、

「楽譜の流通」「演奏するための空間の整備」「演奏の担い手の存在」という三点に注目して書かせていただきました。

このスリリングな本の魅力を少しでもお伝えすることができましたら幸いです。ご笑覧ください。

http://www.dokushojin.co.jp/backnumber/2013%E5%B9%B411%E6%9C%8808%E6%97%A5