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生まれ出ようとする者は。

 

 

Der Vogel kämpft sich aus dem Ei. Das Ei ist die Welt. Wer geboren werden will, muß eine Welt zerstören.

(鳥は卵の殻を破り出ようともがく。卵は世界だ。生まれ出ようとする者は 1 つの世界を壊さなくてはならない。)

Demian, die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend   -H.Hesse

 

 

名前のない方角へ

 

休学の期間が終わりつつある。

大学に復帰することを考えながら、ふと自分の年齢に思いを馳せる。

24。いつの間にかこんな年齢になってしまった。

 

さあ、僕は僕の人生をどうしよう。お金はなく、年齢的な猶予もあまり残されていない。

24、とっくに就職していても良い年齢で、結婚していても良いぐらいの年齢だ。

みなが仕事や研究に取り組む中で僕のやっていることといったら?それで良いのか?

ヴァレリーの言葉の通りに、全能感と無力感が交互にやってきて自分を揺さぶる。

 

 

その頃私は二十歳で、思想が強大な力を持っていることを信じていた。

そして自分が存在していると同時に存在していないのを感じることで奇妙な工合に苦しん でいた。

ときに私には何でもできるように思われ、その自信は何らかの問題に当面するや否や失われて、

実際の場合における私のかかる無能さは私を絶望に陥らせるのだった。

私は陰鬱で、浮薄であり、外見は与しやすく、それでいて頑固で軽蔑するときには極端に軽蔑し、

また感動するときは無条件で感動し、何事によらず容易に印象を受け、

しかも誰にも私の意見をかえさせることはできないのだった。

 

いつだって最後には「将来なんてなんとでもなる」「それで良い」という肯定の言葉が沸き上がってくる。

根拠の全くない自信。言い換えれば「適当な」自信。両親には心配と迷惑をかけっぱなしで申し訳ないけれども、

考えてみれば、いつだって自分のこの適当な自信に支えられて歩いてきた。

適当かもしれないけれど「ふつう」の道から外れることを僕は自分で選択したし、打ち込みたいもの、

自分が価値を見出したものに対して真直ぐ歩いて来たつもりだ。

最後の最後まで、先の見えそうな方向には進まない。

きっとなんとかなる。だから、いまだ名前の無い方角へ。

 

 

心が満ちるまで。

 

一度コンサートを終えると、その準備にかかった時間や諸々の雑事などに疲れて、

あるいは自らの未熟さを痛感し、しばらく間を空けようと思う。

 

だが、それも一ヶ月経つと限界。

僕はもう、うずうずしている。また指揮がしたい。みんなの音が聞きたい。

指揮をするのは壮絶にエネルギーを必要とする。演奏者集めから曲選に始まり、自分の精神状況の準備に至るまで、

どれ一つとして簡単に済ましてしまえるものはない。けれども、自分が尊敬する、大好きな奏者たちがそれぞれの音を一つに集めようと

してくれているのを感じるとき、すべての苦労を超える幸せを噛み締めずにはいられない。

 

本番前の言葉にならぬ高揚、幕間のざわめき、すべてを終えた後の虚脱感と充実感。

後日、演奏を聞いて下さった方が言葉にして感想を綴って下さったものを目にする時の幸せ。

今までの人生の中で、これほどまでに感情を揺さぶってくれるものを僕は音楽以外に知らないし、

おそらくこれからもそうであり続けることだろう。ドミナント室内管弦楽団のみんなと

ストラヴィンスキーの終曲を本番にしか生まれ得ぬ熱気の中で演奏しているとき、

あるいはヴィラ=ロボスを心から溢れるような思いで演奏しているとき、

痺れる頭で、自分は今ここで確かに生きているのだと気付いた。

 

もっと指揮がしたい。もっと本番を振りたい。もっとステージに立ちたい。

休息は終わりだ。日々を淡々とこなしながら、次に向けて動き出さなければならぬ。

 

 

 

音の「密度」

 

レオノーレ三番を終え、いよいよベートーヴェンの交響曲第一番に取り組んでいる。

ベートーヴェンに入ってみて明確に分かったことが一つある。それは音の「密度」の問題だ。

そして音の「密度」こそがテンポやダイナミクスの限界レンジを決定づけているように思う。

 

 

たとえばレオノーレ三番やベートーヴェン一番冒頭のAdagioの部分。

フルトヴェングラーぐらいのじっくりしたテンポで僕が振るとその重さに耐えきれず、流れが消えて鈍重になってしまう。

しかし同じテンポであっても先生が振って下さると、流れが見え、緊張感を放ちつつ悠々として音楽が進み始める。

重さに意味がある、と言えばよいのか。一つ一つの音の中身がぎっしり詰まっていて

(まるで一つの音符・和音の中に無数の小さな音符がぎっしり充填されたような!)音と音の合間に隙間が見えない。

だからあのテンポに耐えきれる。耐えきれるどころか雄弁になる。

そこにはもちろん、86という年齢を迎える師匠の深い深い呼吸も影響しているのだろうが、それだけではなく

引き出されている一つ一つの音の「密度」が全く違うのだ。

師の棒でブラジル風バッハ四番前奏曲を弾いたあるヴィオラ奏者がこう言っていたことを思い出す。

「今まで出したことのないような音が楽器から出た。伸ばしの音を弾いている間に水墨画のような空間が見えた。」

 

棒だけで音の密度を高めうる。

どうしてそんなことが起こるのか、感覚的には分かりつつあるのだが、まだ上手く言葉にすることは出来ない。

ベートーヴェンの偉大な九曲の交響曲をレッスンで見て頂く過程で師から何としても学ばなければ(盗まなければ)

ならないものの一つは、この「密度」の表現だろう。

 

ベートーヴェンの先にはブラームスの四曲が聳え立つ。

5月にはプロでブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」を振ることにもなった。

どれもベートーヴェン以上にこのことが問題になる曲ばかり。

2012年は音の「密度」をテーマに、指揮というこの底知れぬ芸術を学んでゆく。

 

 

 

 

 

ルロワ・グーラン『身ぶりと言葉』(ちくま学芸文庫,2012)

 

 

ルロワ・グーランの『身ぶりと言葉』をようやく手に入れる。

絶版を知って以来数年間必死に探し回った本だったが、ちくま学芸文庫でついに復刊された。

ちなみにこの本、松岡正剛さんが「千夜千冊」というサイトでお薦めされているのでも有名だが、

そこではLe Geste et le ParoleとParoleの冠詞が男性になってしまっていることに気付いた。(正しくはLe Geste et la Parole)

それはともかく、帰宅して早速読み始めているが、凄まじく面白くてわくわくするのを抑えることが出来ない。

明日の「週刊読書人」のウェブ書評欄でも取り上げてみたいし、ここでも後日詳細にまとめを書こうと思う。

La crise actuelle ne deviendrait inquiétante que si, comme pour le social,

le rapport entre la masse passivement consommatrice d’art et l’élite créatrice entraînait une dégradation du tonus de recherche…

東京へ。

 

東京へ戻って来た。

帰省している間、何一つ不自由の無い日々を送らせてくれた家族に心から感謝する。

自分が親になったときに、子供をこうやって迎えてあげることが出来るだろうか、と。

 

さあ、また刺激的な毎日が始まる。

一人寡黙に内省する時間を失わず、しかし立ち止まっている暇はない。

東京は動けば動いた分だけ何かを得る事の出来る街だと思うから。

 

 

旧友たちと。

 

中学校・高校時代の同級生たち四人と遊ぶ。

彼らとはなんと小学生の時に通っていた塾のころから知り合いで、もう十年以上もの付き合いになる。

 

中学一年生のころを思い出す。

テスト前日にも関わらずその友達の家にみんなで押し掛けた。

「テスト勉強をする!」というのはもちろん口実、最初の30分だけ机にみんなで向かったあとはひたすら任天堂64のスマブラをやり続けて

翌日のテストを悲惨な結果にした。別の日にはひたすら007ゴールデンアイで弾を打ち続け、その滑稽さと面白さに涙が出るほど笑った。

マリオカートをやってはショートカットコースを研究するために何度も何度も同じコースを走りまくり、

マリオテニスをやってはコントローラーのスティックが折れそうなぐらい熱中した。そんな中学生時代を僕らは過ごしていた。

 

 

 

12年後、24歳。

あの時と同じ友達の同じ家で、同じゲームに興ずる。

弁護士、弁護士、会計士、医者、指揮者(?)…五人はそれぞれ自分の進む職業やパートナー、あるいは熱中するものを見つけ、

それぞれの人生を生きていた。12年前とは違う風貌、会話、たたずまい、手にはお酒。

けれどもゲームが始まると12年前と何一つ変わらない叫びをあげ、笑い、本気になり、真剣に遊ぶ。

ゲームを触るのは久しぶりだったけれども、身体が自然と操作を思い出し、微妙なタイミングすら勝手に調整出来てしまう。

そして何気ない瞬間に「ああ、こいつはこんな奴だったなあ」とかつての記憶が蘇ってくる。一緒にバカをやった時間がありありと浮かんでくる。

笑うフリをしながら、記憶とともになぜか込みあげてくる涙をこらえていた。

 

 

 

色気のない六年一貫男子校だった。

でも、だからこそこうしてサバサバと、しかしガッシリと縁が続いていくのはとても素敵なことだ。

「真の友人とは連絡をこまめに取り合う人ではなく、久しぶりに再会してもかつてのように接することが出来る人間のこと」

そんな言葉を聞いた事があるけれども、まさにそういう関係なのだと思う。

 

さて、次に会うのはいつだろう。そしてまた12年後にはどうなっているのだろう。

日が変わる頃に解散し、ひとり静かに闇夜を歩く帰り道、

今年はじめての雪が落ちてくるのを手にそっと受けとめた。

 

 

 

 

 

 

2012年、バランタイン30年。

 

あけましておめでとうございます。

現在、一月一日の午前二時。ベートーヴェンの交響曲一番を勉強していたらいつの間にか日が変わっていました。

この曲は冒頭から「ええっ!」と驚くような和音ではじまり、調性が安定しないまま序奏を終え、Allegro con brioで

ようやく走り出します。そして走り出してからはモーツァルトの四十一番「ジュピター」の第一楽章が確かにその中に聞こえるのです。

伝統と革新を同居させ、「これからは俺の時代だ!」と意気込むような、若きベートーヴェンの野心が見える気がします。

新年一発目に勉強するのにこれ以上相応しい曲もないかもしれません。

 

 

勉強にキリがついたところで出して来たお酒がこのバランタイン30年。

色々な巡り会わせがあってこうして飲む機会を得たお酒なのですが、

今の僕には不釣り合いなぐらい上等な一本で、その余韻に思わずうっとりしてしまいました。

 

 

30年、ということは僕の年齢よりも六つも年上のお酒なわけです。

このお酒の年齢と同じになったころ、つまり2018年に僕はどうなっているのだろうか。

結婚してもしかしたら子供の一人でもいるのかもしれないな、などと考えながら、

大切に大切に、時間が深く刻まれたこの琥珀色の芸術を堪能するのでした。

 

ともあれ、乾杯!

2012年も実り多き良い年になりますように。

バランタイン30年とベートーヴェンの1番。手前はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。