March 2013
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100人のオーケストラ

 

大学生活最後に、100人規模のオーケストラを指揮しました。

東北でご一緒させて頂いたオーケストラ・コモドが主催するチャリティーコンサート(入場料を被災地に全額寄付。30万円の寄付が集まったそうです)

に再びお声かけ頂いて、ホルストの「木星」やサウンド・オブ・ミュージックメドレーなど、ポップス&クラシックステージを指揮させて頂きました。

明るい曲を中心としたコンサートでしたが、主催者の方にお願いして、アンコールにはプッチーニのCrisantemi「菊の花」と、

東北でも演奏したYou raise me up(フル・オーケストラ編曲版)を演奏させて頂きました。

プッチーニの「菊」は、あるパトロンの死に際して書かれた曲で、ヨーロッパではしばしば追悼曲として演奏されます。

この曲に出会ったのは東北へ行く直前。そのときはこの曲がまだ良く分からなかったのだけれども、

東北の震災の傷跡深く残る光景を目の当たりにして、そして理不尽に訪れる「死」というものを考えるにつれ、

この曲が語ろうとする思いを痛いほどに感じるようになりました。

死は唐突に訪れる。なぜ死ななければならなかったのだ、というやるせなさ。

怒り。死を認めたくないという否定の気持ち。絶望。寂しさ。

そして死を悼む心…わずか数分の中に嵐のような感情が渦巻いていることに気付き、涙が止まらなくなりました。

 

東北から帰ってから半年の間、ずっとこの曲を勉強し続けていました。

そして、この曲を勉強するたびにある景色を思い出さずにはいられませんでした。

それは東北で見た、海に背中を向けて寂しげに咲く向日葵と、ひび割れた大地に置き去りにされた泥だらけの上靴。

あえて言葉にすることはしませんでしたが、3月22日のコンサートでは、被災された方々に、そして上靴の持ち主だった少女に、

半年間抱き続けた追悼の思いを全身全霊に込めてこの「菊」を指揮したつもりです。

第二主題に入る前に長くとったゲネラル・パウゼの静けさの中で客席からすすり泣きが聞こえて、手が震えたのを今でもありありと覚えています。

音楽に何が出来るのかは分からないし、もしかしたら無力なものなのかもしれないけれど、あの日・あの瞬間に

少しでも心から心へ届くものがあったならば、これ以上の幸せはありません。

ご一緒して下さった奏者の皆様、そして遠くまで足をお運び頂いた皆様、本当にありがとうございました。

 

Commodo 2013

 

 

 

リハーサル見学

 

尊敬するヴァイオリニストの方が主催する弦楽合奏団のリハーサルを見学させて頂く機会に恵まれた。

エルガー、レスピーギ、チャイコフスキー。エルガーを除いてどちらも本番で指揮したことのある曲だ。

自分のものとしておきたいので敢えて細かくは書かないが、勉強になったという一言では到底尽くせないほど充実した時間だった。

ヴァイオリンの弓はこんなに豊かに使うことが出来て、楽器はこんなふうに鳴らす事ができるのだ。

音楽の全体的なイメージを共有した上で奏法に変換していく。その手際の良さとバリエーションの豊かさ。

会話をするときの和やかな雰囲気と弾き始めてからの獲物に飛びかからんばかりの緊張感と激しさ。

どこまでもストイックで誰よりも謙虚。プロ中のプロ、とはこういう人のことを言うのだと思う。

一度共演させて頂いただけなのに僕のことを覚えていて下さって、固く握手して下さったのが何よりも嬉しかった。

 

色々なオーケストラで指揮させて頂くようになったからこそ、現場ならではの問題に直面し始めている。

どうやったら上手く伝わるのか。どうやれば音楽を効率よく、具体的に作って行けるのか。

師のレッスンを一回一回大切にしながら、今年は沢山リハーサルを見学して音楽の作り方を「盗む」一年にしたい。

 

 

寄稿:JGAPさま

 

日本ギャップイヤー推進機構協会さま(JGAP)よりお話を頂いて、短い文章を寄稿させて頂きました。

2013年度春より、東京大学でも試験的な意味合いを兼ねて30人ほど選抜でギャップイヤーを取得させる試みが成されるようです。

僕としては、東京大学特有のシステムである進学振り分け決定のち、すなわち二年生から三年生へ上がる間の一年で

ギャップイヤーを与えるのが一番効果的ではないかと思っているのですが、この原稿ではそうした事はさておき、

「ギャップイヤー~自分に”やすり”をかける時間」と題して、僕が過ごした休学の一年間を簡潔に纏めつつ、

それがどういう意味合いを持ったかを短く振り返ってみました。こちらからお読み頂く事が出来ます。

 

 

句読点でritをかける。

 

ある短い原稿を書いていた。

どうしても納得いかなかったものが句読点を2つ動かしただけで、もうこれ以上動かせない満足な仕上がりになった。

長いフレーズを作っておき、最後に向けて徐々に読点を増やして行くことで文章のリズムにリタルダンドをかけてゆく。

それだけで終わりの気配が漂い始める。音楽と同じことだ。

 

 

輝く原点、子供の情景

 

 

昨夜の後輩のレッスンで、久しぶりにシューマンの「子供の情景」を聞いた。

「子供の情景」は我々の指揮法教室で必ず経験する曲で、ここからようやく「音楽」することを教わるといっても過言ではないだろう。

それだけにこの曲集は特別なのだ。僕が教わったときもそうだったけれど、指揮という芸術はこんなことが出来るのか、と感動せざるを得ない。

87歳となった師がこの曲をどう教えるのか出来るだけ近いところで見ていたくて、師の横で譜めくりをしながらレッスンを見ていた。

 

最初から最後まで、溢れてくる涙を止めるのに必死だった。

あと何回、師の指揮するこの音楽を聞く事が出来るのだろう。第一曲目のVon fremden Ländern und Menschen(見知らぬ国々と人々について)を

振りながら、「目にするもの全てが見知らぬもの、目新しいもの。そんな地に足を踏み入れた子供はどう思う?」と語る師を、あるいは

第二曲目のKuriose Geschichte(珍しいお話)で「君の振っている音楽だと珍しくないねえ。もっと珍しくしてごらんよ」と笑う師を、あと何度見る事が出来るのだろう。

そして第四曲目のBittendes Kind(おねだり)を愛おしそうに紡いで行く皺の刻まれた師の大きな手。

音が包まれていくように、あるべき場所にあるべきスピードと情緒でふわりと到着するのを霞む目で見ながら、今まで過ごして来た時間を振り返った。

 

この曲集を教わってからもう三年が経つ。

ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク…たくさんの曲を、そして巨大な曲を振るようになるにつれ、

自分の手から溢れてしまう苦しさや、リハーサルで上手く音楽を作れなかった悔しさを味わった。

どうして僕は指揮をしているのだろう、と自問したことも何度もあった。

けれどもやはり。音楽を、指揮をすることは感動的で、楽しくて、温かい。

指揮という営みの楽しさと限りない可能性。「子供の情景」は、そのことを痛切に味合わせてくれる。

 

おそらく何十年先になっても、子供の情景は僕にとって立ち返るべき原点としてあり続けるだろう。

棒の一振りで音楽が息づき、色とりどりの宝石のように輝き始める。

夢見るようなロマンを湛えて詩人が語る。

全てはここから始まったし、全てはここにあった。

 

 

学問の師に出会う/大学院へ

 

この人にずっと教わりたい、という「師匠」のような存在に、学問でも音楽でもスポーツでも巡り会う事が出来たというのは

たぶんこれ以上ない幸せなのだろうと思う。それはただ技量や実力を盗みたくて側にいようと思う存在のことではない。

知性や感性はもちろん、佇まいから趣味まで含めて、感動し、憧れる存在のことだ。

スポーツ(ボウリング)の師に僕は17歳で巡り会った。そして音楽の師に22歳で巡り会った。

そしていま、理性と直感の二つで「この人だ!」と思えるような学問上の師に、学部時代の最後になって出会うことが出来た。

だから僕は、働くことを少し後回しにして、大学院へと進学する事を決めた。

 

学部時代の所属である東京大学の教養学部地域文化研究学科フランス分科は卒論をフランス語で書かねばならないという

非常にハードな場所だったけれど、そこで得たものは大きく、また適度に放し飼いにしてくれる姿勢が僕に取っては居心地が良いものだった。

けれどもあえてその場所を飛び出し、巡り会った先生がいらっしゃる東京大学大学院の比較文学比較文化専攻へと歩みを移そうと試みた。

(ちなみに、尊敬する学者であり、フランス科へ進学することを決定づけた金森修先生は

同じくフランス科から大学院で比較文化へと進学されている。はからずもこうして偉大な先生の跡を辿ることになった。)

 

今日ようやく合格発表を終えた。そうして、正式にこの大学院進学が決定した。

きちんとした名称は東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化分野。

長すぎて覚えられないほどだが、とにかく春からもまた相変わらず駒場で勉強する事になった。

専門は19世紀末周辺の比較芸術、あるいはフランスを中心とした文化史ということになるだろう。

卒論でも取り組んだ「光」を切り口に、世紀末の音楽や絵画、文学や詩を比較横断して、ある種の感性史に取り組む。

指揮活動(ある意味で比較芸術そのもの!)とも連続性を持てる研究領域なので、学問と音楽とを上手く触発させていきたい。

そして、長く駒場にいるからこそ、駒場という場所を充実させていきたいと思う。

 

蛇足かもしれないが今の一つの夢を書き残しておこう。

それは緑豊かな駒場キャンパスで、解説や論考と共に、曲のもとになったハルトマンの絵を展示しつつ、

ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲の「展覧会の絵」を演奏することだ。

音楽と絵画が響きあって生まれるイマージュの交感の探求と実践!