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伽羅珈琲と『現代言語論 ソシュール・フロイト・ウィトゲンシュタイン』(新曜社)

 

 先日の記事に「虫垂炎で倒れてます。」と書いたところ、沢山の方からメールを頂き、びっくりしました。

クラスの友達やゼミの友達に限らず、結構様々な方が見ていらっしゃるんですね。ご心配をおかけして申し訳ないです。

点滴を受けて抗生剤を飲み続けた甲斐あって、虫垂炎の方はほとんど完治しました。かといっていきなり動き回るのも怖いので、

数日は自重気味に過ごすことにしています。空き時間にはフランス語をやったり本を読んだりしているので今までと変わりませんが、

珈琲を一日一杯までに控えているのは大きな変化かもしれません。(一杯は飲まないと何か落ち着かないので)

 

 今日は五限が休講になったので、家でまったりしつつ立花ゼミの仕事をこなし、昼からはノートPCと本を持って自転車で出かけました。

そして西太子堂の病院に行って経過を見てもらった後、ゼミまで時間があったので三軒茶屋まで足を伸ばしてみました。

三軒茶屋に来たのははじめてだったのですが、お洒落なお店や美味しそうなお店を沢山発見しました。

騒がし過ぎることもないし寂れているわけでもない、個人的には好きなサイズ感の街です。関西で言うなら元町みたいな感じかな。

 

 東京である程度栄えた街にはもはやお決まりの自転車大量放置にはやや辟易としましたが、駅前には無印良品やドトール、スタバが

密集しており、時間を潰すのには苦労しなさそうです。どこかに入って本でも開こうと思い辺りをうろうろしていると、中々渋い店構えの

珈琲屋を見つけたので入ってみました。(後で知ったのですが、ここは地元の人には結構有名な珈琲屋さんだったようです。)

 

 店名は「伽羅珈琲」。パッと見ると漢字四文字の画数の多さ(というか見た目の複雑さ)になんだか圧倒されます。

店内はカウンターがメインで、いくつかあるテーブル席を入れても15人ぐらいで満席になりそう。大人数で来るところではなく、

一人の時間を楽しんだり、二人でゆっくりと話し込むのに使うべき場所だと思います。今回はお客さんがあまりいない時間帯だったのか

適度に空いていたので、誰も座っていないカウンターの真ん中に座らせて頂きました。そして迷わずブレンド(550円)を注文。

 

 カウンターの奥の棚には美しいカップが整然と並べられており、それを見ているだけでも飽きません。

珈琲好きとして僕も淹れ方にはこだわりがあるので(というよりは、プロの淹れ方から色々と盗んでいきたいと思っています。)

棚だけでなくマスターが珈琲を入れる様子も集中して見ていたのですが、蒸らしは短めで一気に湯を注ぎ切るタイプの淹れ方を

していらっしゃいました。美味しい珈琲を出されるお店ではいつも感じることなのですが(伽羅珈琲のマスターもそうでした)

プロが珈琲を淹れるときの顔つきの真剣さはとても素敵ですね。精神を集中して目の前の一杯にかけるその様子は、

まさに「職人」を感じさせます。僕が珈琲の美味しさを本当に教えて頂いた、神戸の『樽珈屋』というお店のマスターは

「一杯の美味しい珈琲に辿り着くには、1.良い生豆を選定する目 2.質の高い焙煎技術 3.淹れ方の技術 が高いレベルで必要。

たった一杯の飲み物かもしれないけど、そこには沢山の技術が詰まっている。それぞれの店のマスターの個性そのものだよ。」

と言うような内容の事をおっしゃっていましたが、様々な珈琲屋に足を運ぶたび、珈琲を淹れる真剣な顔を見ては

この言葉を思い出します。

 

 待つこと数分、繊細なカップ(食器にはあまり詳しくないのですが、たぶんGINORIのカップだったと思います。)で出された珈琲は

非常に香ばしく、深い味。酸味も苦味もそれなりにありますが、のど越しは淡い甘みを感じさせます。とがったところの無い味です。

少し温度が下がって来てから飲むと甘みが最初より強く感じます。どことなく高級なクッキーやビスケットの味を思い出しました。

ほっとする味で、お店の雰囲気と合っていてとても落ち着きますね。

 

 ひとしきり味を楽しんだあとは、持ってきた本を開けてゆっくりと時間を過ごさせて頂きました。

本を開けて気づいたのですが、このカウンター、光量が絶妙です。店の照明自体は全体としてかなり薄暗くしてあるのですが、

カウンターで本を開けてみるとページに柔らかくスポットライトが当たったようになり、周りの暗さと相まって文字がとても読みやすい。

映画のワンシーンのような、というと言い過ぎかもしれませんが、そんな感じで落ち着いて本に集中することが出来ます。

良い喫茶店に巡り合いました。これからも時々行ってみたいと思います。(あとは分煙だったら最高なんですが、そうもいきませんね。)

 

 喫茶店を出てゼミに向かい、あれこれとゼミで時間を過ごしたあとは指揮のレッスンへ。

今日は平均運動を使ってコラールを振らせて頂きました。平均運動メインとはいえどもフェルマータが頻発する曲なので、

呼吸を調節するのが大変です。伸ばし過ぎるとわざとらしくなるし、早めに切り上げるとどこか物足りなくなってしまう。

次の拍に行きたくなるところをあと一呼吸だけ粘るように意識すると少しは上手くいったように思います。

いつもどおり師にお手本を見せて頂いたのですが、びっくりするぐらいこの曲が自然なリズムと息遣いで流れていきました。

余りにも自然なために、師が振るのを見ているとこの曲が簡単そうに見えるのですが、いざ自分が振ってみるとやっぱりどこか違う。

フレージングがぎこちない。フェルマータの伸ばしにも迷いが感じられる。(振っている僕が迷っているわけなので当然ですね・・・。)

自然な息遣いというのは本当に難しいものです。自然を意識した瞬間にそれは自然でなくなる。

「自然にやるぞ。」と思って振り出すと、流れてくる音楽はおよそ自然とは言い難い、力みが感じられるものになってしまいます。

「こうでなければならない」という経験に裏付けられた確信によって、何も考えなくても勝手に体が動くこと。楽譜と格闘するのではなくて

ただ音の中に生きて呼吸すること。バトン・テクニックのみならず、そういった説明不可能なものを師からしっかりと学びとらねば

ならないなと痛感します。来週までにしっかりと考えて練習せねば。

 

 なお、本日は新曜社から出ているワードマップシリーズの『現代言語論 ソシュール・フロイト・ウィトゲンシュタイン』を読了。

レヴィ・ストロースの『構造人類学』を原典で読んでゆく過程で、音韻論などの言語学的な知識を補強することが必要だと感じたので

しばらくは集中的に言語学関連の書籍を読み漁ることにします。新曜社のワードマップシリーズは浪人中に購入した

『現代文学理論 テクスト・読み・世界』や『現代文学理論のプラクティス』でもお世話になりましたが、コンパクトに纏まった概説と

豊富な巻末の参考文献一覧(正確には「ブック・ガイド」と題されている。これだけでも買う価値があると思います。)が相変わらず

素晴らしい。このシリーズには外れが無いので、いずれ全巻揃えることを考えています。

 

(追記:塚原先生のホームページを見たところ、以前このブログで紹介したことがきっかけとなって『理性の限界』(講談社現代新書)を

お読みになられたとのことです。先生がホームページで紹介される本を参考にして「これから読むリスト」に入れている僕としては

ちょっと嬉しいものがありました。先生はお仕事をなさっているにも関わらずあれだけお読みになるのだから、学生の僕はもっともっと

読めるはず。『二十歳の君への宿題』を集めていて身に染みたのですが、学生なんて社会人の方から見れば気楽で暇なものなのです。

重い責任を負っているわけでもないし、信頼に立脚しているわけでもない。

いくら忙しいと言っても、誰か別の人のために忙しいわけではなく、結局は自分がやりたいことをやって忙しくなっているに過ぎません。

20歳はとうに過ぎてしまいましたが、そう考えると僕は学生の身分でいられる間にもっと沢山のことが出来るはずだし

やらなければならない。フランス語の勉強を理由に最近一日一冊ペースが崩れていたので、ここらで立て直したいと思います。)

 

 

Casanier

 

 虫垂炎が悪化し、しばらく自分の力で起き上がる事が出来ない状態が続いていた。もちろん大学もすべて休んだ。

小学校以来、滅多に学校を休むことが無かった(中学・高校と六年間皆勤した。果たしてそれが良いことかは分からないが。)ので、

なんとなく罪悪感が残る。しかし薬が効いてきたのか、ゆっくりと歩く限りでは何とか歩けるようになった。とはいっても、歩くたびに

震動が腹部に響いて痛いし、背筋を伸ばそうものなら激痛が走る。無理は禁物ということで、極力動かないようにしている。

溜まっていたメールの返信をこなしたり積んでいた本を消化したり『シェルブールの雨傘』を観たりする間に時間が過ぎ去ってゆく。

一度も外に出ない間に朝日が夕日に変わり、闇が辺りを包む。

ちょっと空しい。出たいときに外へ出ることが出来る、というのがどれほど幸せなことか実感した。

 

 暇が出来た時にパソコンを開くと、ついやってしまうことがある。

amazonや楽天にアクセスし、買う金もないのに買い物カートに欲しいものを手当たり次第に突っ込む。一万円、二万円・・・十万円。

あとは「完了」ボタンを押せば注文が確定する、その状況まで手順を進めて、ウィンドウの右上の×印を溜息とともにクリックして閉じる。

傍から見るとかなり可哀そうな光景かもしれない。でも、やっている本人はちょっと楽しかったりする(笑)

 

 買い物カートを閉じたあと、いつものように立花ゼミのページにアクセスする。

こうやって布団に臥している間にも、駒場キャンパスの壁 http://kenbunden.net/kabe/ はどんどん落書きで埋まっていくようだ。

URLをクリックして見てもらえれば分かるが、数日前までは落書きがほとんど無い状態だった。

そこでいくつかの落書きを実験的に書いておいた。すると、後は加速度的に落書きが増えていく。

落書きの方向性は様々だ。下ネタ、サークルの宣伝、アート・・・だが、落書きの醍醐味は「コラボレーション」にあると僕は思う。

誰かが書いたメッセージに見ず知らずの誰かがレスをつける。誰かが書いた不気味な顔に、同じく見ず知らずの誰かが体を書き加える。

一方で、アーティスティックな模様の落書きが発生すると「その上には落書きしない」なんて暗黙のルールがいつしか発生するように、

全体としてはカオスなのだが部分的に秩序が自然発生する。あの匿名掲示板の雰囲気に良く似ていて面白い。

 

 「壁」と並行して進められている『二十歳の君への宿題』 http://kenbunden.net/20/todo.html も熱が入ってきた。

このブログで書いたのを見て下さったようで、「つかはらの日本史工房」でも宣伝して下さっていた。塚原先生ありがとうございます。

だが、まだまだ数が足りない。もっともっと「宿題」が欲しい。多様な年代から、多様なメッセージを集めなければならない。

というわけで、マスコミや出版社に乗り込んで宣伝させて貰うことを本気で考えている。上手くいったらまた報告します。

 

『二十歳の君への宿題』メールフォーム

 

先日ここに書いた、立花ゼミ駒場祭企画『二十歳の君への宿題』のメールフォームができました!

URLはhttp://kenbunden.net/20/です。作ってくれた技術班の方々ありがとう。

このブログをお読み頂いている方で21歳以上の方は上のURLをクリックして、立花ゼミの企画に是非ご協力ください。

20歳以下の方はご両親や御親戚などにこのページを紹介して頂けると大変嬉しく思います。

また、ホームページやブログをお持ちの方はこの企画を宣伝して頂けると幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

さて、しばらく更新できていなかったのでまた纏めて色々書いておきます。

 

・ボウリング

プロとの試合で、4ゲームトータル973というスコアが出ました。たかが4ゲームに過ぎませんが、アベレージ243。これは珍しい。

スコアシートの画像を添付しようと思ったのですが上手くいかないので、内訳を書いておきます。Xがストライク、/がスペアです。

1G 9/XX9/XXXXXXX9⇒268

2G XXXXXX9-XX8/X⇒245

3G 7/XX9/7/XXXX9/9⇒234

4G X818/XXX9/XXX9/⇒226

ノーヘッド(1番ピンに当たらないこと)は0でした。イージーミスは7ピンの一回、スプリットは7-10の一回。

ポケット入って7-10スネークアイが出た時は「あちゃーこれで終わった。」と思ったのですが、なんとか立て直せたようです。

面白かったのは1G目。僕が先攻で投げていたのですが、あとから投げるプロも10フレーム二投目まで僕と全く同じ展開、全く同じ

スコアでした。5フレから7つストライクを続けて来て、「これで勝ったかな?」と思っていたら、プロも5フレから7つ続けて来ます。

ここまで来ると我慢比べですね。スタッフの方や一般のお客さんの方も僕らが投げているボックスの後ろに集まって成り行きを

見守っていらっしゃったようで、大変熱い展開になりました。結局、10フレ最後で僕が9本だったのに対してプロはストライクを

出したので268-269で負けてしまいました。恐るべしプロ。

 

・指揮

師の「平均運動」が美し過ぎて感動しました。何気なくやっているように見えるのに、あれは絶対真似できない。凄い。

最近ベルリオーズの幻想交響曲の同曲異演を集めてスコアを読んでいるのですが、師の書き込みだらけのスコアを発見したので

その場で大体を書き写して帰りました。師が研究に研究を重ねて書き込んだスコアというのは、それだけで一つの宝物です。

 

・ブログ

立花ゼミに新しく入った有賀くんのブログとリンクしました。彼とは前期教養課程で同じクラスで良く呑む仲です。家もすぐ近く。

哲学科に進学するだけあって彼の思考はとても面白い。刺激を受けます。

 

・映画

「アメリ」を見ました。奇怪なオープニングにびっくり。「元通りしまうこと」というくだりでL’étranger,enfantと言っているように聞こえた

のですが、字幕で確認するのを忘れてしまいました。全体的にコミカルな(ある意味で「俗」な)展開なのですが、雨が降る所を

上から映したショットなどはフランスらしい色彩感に満ちていて美しかったです。また、主演のオドレイ・トトゥは右斜め上45度からの

写りが抜群に綺麗だなと感じます。「人間に人生に失敗する権利がある」とテレビの登場人物が語るワンシーンが印象的でした。

 

・珈琲と紅茶

珈琲の方はいつもお世話になっている樽珈屋という珈琲屋さんから届いたコロンビアの中煎りを飲んでいます。

ミルはカリタのナイスカットミルを使用し、一杯ずつペーパードリップ。香ばしさの中に甘さを感じられる、とても美味しい豆です。

紅茶の方は近くのカルディでJanatの葉が缶で安売りされていたのでブレンド・セイロン・アールグレイの三種を買い込みました。

Janatの紅茶は香りがとても良く、(たまに「?!」となるようなものもありますが)ミルクティーにしても香りが消えないものが多いので

愛用しています。夜中に飲むと癒されますよ。缶のデザインもお洒落ですし、後期課程でフランス科に進学する身としては書かれた文章

(Pour l’amor de mon chat,qui m’a inspiré des bonnes idées et que j’aime toujours.)に妙に親近感を覚えます。

猫の絵がかわいい。

 

・デザイン

KIRIN-東京大学パートナーシッププログラムのフライヤーのデザインが最終稿まで終了しました。内容に配慮しながら、文字情報を

すっきりと見せることを心がけました。背景に敷いた写真と、アクセントに入れた薄紫の文字が気に入っています。

 

・虫垂炎

虫垂炎にかかってしまったようです。夜中に苦しんだあと、一日学校を休んで病院へ。久し振りに点滴を打ちました。

血液検査の結果次第ですが、もしかしたら一週間弱ほど入院するかもしれません。

一日休むだけで予定が6つおじゃんになり、4か所に電話をかけて事情を説明する羽目になりました。色々痛すぎます。

 

 

パーティ&『二十歳の君への宿題』

 

お誘いを頂いたので、パーティーというか集まりに参加してきた。

主催の方から少しスピーチをするよう言われていたので、委縮せぬよう深いボルドー色のソリッドタイを締めて東京駅へ向かう。

会場に着いて参加者の名簿を渡されて仰天した。なんじゃこりゃ。第一線で活躍されている方々から長老的な方々までいらっしゃって、

僕なんかがこの場にいていいんですかという感じ。とはいえ、かつてブループラネット賞の受賞会見ディナーパーティーに参加した時

ほどではない(あの会では、参加者はみなジャーナリスト或いは各国大使の方々だった。もちろん会話は基本的に英語だった。)ので、

日本語が通じるというだけでかなり動揺が鎮まる。パーティー自体は立食形式で、スピーチ前にテンションを上げるためにワインを

何杯か呑んで前に出た。舞台こそないものの指揮台みたいな台が置いてあり、通常なら躊躇するところだが、普段から指揮のレッスン

で週二回はこんな台に上っているために、逆にこの台に上る事が安心感を与えてくれる。

いつも師の鋭い視線の前で指揮棒を持ってこの台に上がると、構えたその瞬間に自分が丸裸にされてしまうような錯覚を感じるが、

マイクを持ってこの台に上がってみるとむしろ、「マイク=言葉で表現して良い」という許可を貰ったみたいに思えて、リラックスできた。

 

そんなこんなで良い条件が重なり、渾身のネタ(電車の中で思いついた)では相当笑いを取れたし、立花ゼミ『二十歳の君への宿題』

企画の宣伝なんかまでやってしまう余裕が生まれ、自分でも結構良いスピーチが出来たと思う。かなり満足である。

スピーチ後、実際に『二十歳の君への宿題』を幾つか頂いた。これはとても嬉しい。

前で喋るのは何かと大変だが、「指揮に比べてずっと簡単なことだ」と思えた時、恐怖や動揺を全く感じなくなった。

これからも機会があれば積極的に挑戦していきたい。きっと、余裕を持てれば勝ちだ。

 

さて、最近かかりっきりの立花ゼミ『二十歳の君への宿題』企画の概要が固まったので、ここで大きく宣伝してしまおう。

 

【 駒場祭立花ゼミ企画 『二十歳の君への宿題』 】

 

 

立花ゼミに参加しよう!!ご自身の経験を、立花ゼミを通じて若い世代に伝えてみませんか?

メッセージを頂いた方の中から、なんと抽選で10名様に立花隆のサイン入り『二十歳のころ』(新潮文庫)が当たります!!

 

◆概要

立花ゼミでは駒場祭の企画として、みなさまから「二十歳の君への宿題」と題して、「二十歳のころにこれをしておけ!」という

アドバイスを募集しております。「旅行に行っておけ!」などというものでも構いませんが、出来ればもっと具体的なもの、たとえば

「ヨーロッパ、それもパリに行っておけ!」というようにより具体的なアドバイスを頂ければ幸いです。書き方としては、

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『二十歳の君への宿題』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宿題:「好きな人に振られておけ!」(30 文字程度)

理由:「人間は振られて強くなります。振られたあとにどう立ち直るかでこれからの人生が変わります。二十歳という若く多感な時代に、

色々な人と付き合って、振られて、そしてまた付き合って下さい。」(150 字程度)
年齢・ご職業・ペンネームor 実名

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

このようなスタイルで頂くことを考えております。字数などはあくまでも目安ですので、思うところを自由に綴って頂けたらと思います。

応募資格は企画の性格上、少なくとも21歳以上の方とさせて頂きます。また、ここで頂きました『二十歳の君への宿題』は駒場祭での

立花ゼミ公式パンフレットに掲載される(都合により掲載できない事もございます)ほか、沢山のご応募を頂けました場合には

本企画の書籍化を考えておりますので、その旨ご了解ください。まもなく正式な応募ページ(メールフォーム)が立ち上がりますので、

どうぞ奮ってご参加下さい。応募ページが出来上がり次第、改めてこのブログおよび立花ゼミ公式ホームページで告知いたします。

 

嵐の前に。

 

 学校が始まるとなかなか更新する時間がとれませんね。更新をサボっていた分、今回で一気に書いてしまいます。

 

・授業

キツイです。いやほんとに。予想以上の激しさでした。

フランス語中級会話に至っては授業中に日本語はもちろん、英語すらほとんど話される事が無く、全てがフランス語で展開されており、

正直かなり慌てました。頑張らねば。「文化の社会科学」という授業はこれから面白くなりそう。この授業中に「ブルーノ・タウトを

知っている人?」と先生が我々学生に問われたので、隈健吾の「反オブジェクト」を読んだばかりだったこともあり、

「桂離宮が~オブジェクト消去型建築が~崖の下に作った家が~」などと語りたくなりました。当てられませんでしたが(笑)

授業後、新しく仲良くなった友達から「地域文化フランス科ってどんな感じ?」と聞かれたので、ちょっと悩みながら

「うーん。ボンジュールでトレビアンな感じかな。」と適当に答えたところ、彼の笑いのツボに入ったらしいです。

適当に言ってみたもののこのフレーズは語感も良いので個人的にも気に入ってしまいました。これからフランス科を紹介する時は

この言い回しを定番ネタとして活用していきたいと思います。

 

・ボウリング

なんと練習投球の際にセミ・パーフェクトを達成しました。十一個ストライクを続けて来て、最後の一投で力んでしまいノーヘッドの6ピン。

296です。練習投球でスコアを気にすることなく楽に投げられたのが大きかったのでしょう。やっぱり意識するとだめですね。

そのあとに新オイルパターンのテスターを頼まれてやったのですが、こちらは最強に難しいレーンでした。投げる場所がない。

かなり奥までしっかりとオイルが入っており、結構回転数の多い僕でもフッキングに苦労するレーン。ただし、唯一レーンの左右二枚目

だけはオイルが薄いようで、ここを転がすといい感じに曲がります。ボウリングをやっている人なら容易に想像できると思いますが、

二枚目を投げるというのは相当怖いです。まっすぐ二枚目を投げればセーフ。少しでも外に向けると即ガター。

0.5枚(幅にして1cmぐらいでしょうか)外に投げたり外に向けると溝掃除というライン、これは恐怖です。

そもそも投げた瞬間からボールがガターにはみ出ているように見えます。こんな練習は中々出来ないと思い、ひたすら二枚目を投げる

練習をさせてもらいましたが、さきほどまで210あったアベレージが一気に150まで落ち込みました。

あんなにガターに落としたのは久しぶりです。神経を摩耗させました。

 

・立花ゼミ

立花ゼミの初回授業がありました。予想したよりはるかに多い人数が教室に詰めかけて下さり、椅子が足りなくて立ち見が出ている

状態。ただ、6時から始まり9時まで続くこのゼミのハードさに相当数が諦めたようで、9時まで残っている新規メンバーは10人足らず

でした。まさに自然淘汰、ナチュラル・セレクションです。これからどんどん面白い企画が出てくると思いますので、ガンガン動きましょう!

 

・おしごと

KIRIN-東京大学パートナーシッププログラムのフライヤーと、討議力養成プログラムのシンポジウムのフライヤーを依頼されたので

作成しました。KIRINの方は優しくて暖かな感じ、対照的に討議力養成プログラムの方は頭が冴えるような鋭くスタイリッシュな

デザインを「気になる色遣い」である「薄紫」でまとめてみました。これらはいずれwebで公開されるので、公開され次第お知らせします。

 

・かいもの

EDIFICEで革ブルゾンを購入。フード付きなのでハードすぎずいい感じです。薄さ以上に暖かいのでこれから重宝しそう。

それから新宿の世界堂でgiulisの白レザーバインダーを購入。これを小脇に抱えているとmacみたいです。そのあとにadam et lopeで

紫のオロビアンコショルダーを発見し、その発色の美しさについ買いそうになりましたが、ギリギリで耐えました。あれは危なすぎる。

あと、福沢諭吉の『文明論之概略』(岩波文庫)をS氏が二冊持っているとの事だったので一冊譲ってもらいました。ありがとう。

 

・台風

さきほどから風と雨が凄いです。ベランダに落ちる水滴の音が「ぽたぽた」から「ぼとぼと」、そして「じゃばじゃば」へと変わりました。

早稲田と筑波は午前中休校だそうですが、東大は「台風はともだち!」姿勢を貫いており、どうやら完全スルーする模様です。

 

 

生産的(?)ミステイク

 

 今日はゼミで動いている文学企画に乗っかって、大学読書人大賞の授賞パーティーに参加してきた。

・・・はずだったのだが、なんとパーティーの日にちを間違えていた。

聞くところによると、主催サイドの告知ページには11日(水)とあったそうだ。なるほど、これでは11日を信じてよいやら水曜日を信じて

良いやら微妙なところ。間違えるのも無理は無い。神楽坂まで無駄足だったか、というとそうでもなくて、ここに書く話題がこうやって

一つ増えたことは勿論、帰り際に池袋のジュンク堂本店(かなり特徴的な建物だ)に足をのばして、ずっと探していた

『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』(美馬達哉 人文書院,2007)を購入する事が出来た。この一冊で、先日触れた

基礎演習のプレゼンデモンストレーションの論が組み上がった。参考資料及び先行研究例として使う書籍・論文は以下である。

 

・『〈病〉のスペクタクル 生権力の政治学』(美馬達哉 人文書院,2007)・・・先行研究として。

・『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』(金森修 ちくまプリマー文庫,2006)・・・Tonful事件の比較対象として。

・『わたしは花火師です』(ミシェル・フーコー ちくま学芸文庫,2008)・・・公衆衛生・国家医学の誕生を説明する時の参照文献として。

・『フーコー・コレクション 6 生政治・統治』(ミシェル・フーコー 筑摩書房,2006)・・・社会医学の誕生と健康政策に関する説明の際に。

・『知への意志』(ミシェル・フーコー 新潮社,1986)・・・フーコーの権力論を説明する際の典拠として。

・『生と権力の哲学』(檜垣立哉 ちくま新書,2006)・・・「生権力の働きの原理」の前後を引用する。

・『夜戦と永遠』(佐々木中 以文社,2008)・・・権力の生産性と可視性をめぐる議論から、マスクが可視的権力表象であるとの発想に。

・「新型インフルエンザ流行時の日常生活におけるマスク使用の考え方」(2008,新型インフルエンザ専門会議)

・The Institute of Medicine(米国医学研究所委員会) 2006年4月の結論部

 

 一週間の期限内なので参考数が圧倒的に不足しているが、量より質で勝負である。いずれもかなり読みこんだ文献ばかりだ。

一見して分かるよう、かなり新しい文献を集中的に選んだ。文献の年代についても意識を向けて貰えれば、という狙いからである。

猶予はあと一日。すでに五分で喋り切れる内容ではないような気がするが、とにかく一年生にとって刺激的なプレゼンにしたい。

 

 

集中力を駆使した一日

 

 火曜日は授業がほとんどないので、基本的に楽器練習dayなのだが、今日は趣味全開で生きた一日になった。

昼ごろから、クラスのK君と二人だけで下北沢の松山にてビリヤード。一人で行ったりするときにはキュー(メウチ)を持っていくけれど、

今日は公平を期すためにハウスキューで勝負した。K君は初心者よりちょっと上手いぐらいのレベルだったのに、この一年のうちに

中級者顔負けの実力に成長したため、気を抜くと簡単に負けてしまう。特にクッションの上手さは僕よりも遥かに上である。

 ビリヤード場は閑散としていて、僕ら二人以外の客はいない。薄暗い店の中に涼しい風が時々吹いて来てカーテンがなびく。

その中で闘うこと三時間。ナインボールのみ、合計21セット。

最初は交互にセットを取りあっていたが、途中僕がブレイクナイン含む6連勝したかと思うと、K君に5連勝を奪われたりする。

ひとつのミスが流れを大きく変えてしまう事をお互い肌で感じていた。言葉も少なくなり、段々本気ムードが高まってくる。

20セット終了後、まさかの10-10。時間との兼ね合いで、次のセットが最終ゲーム、つまり21セットマッチの勝敗になる。

大会でもないのに、21セット目は異常な緊張感で始まった。

連勝して流れに乗るK君のブレイク。彼はブレイクはあまり得意でないので、そこそこ無難に割れる。

僕も1-2-3と続けて落として4でポケットを外したので交代。ここでK君が打ったショットが試合をさらに緊張感あふれるものにした。

なんと、4番にあたって9番がサイドポケットギリギリの位置まで動いてしまった!!

ツノにタッチしていたから角度は限定されるとはいえ、僅かな力がかかった瞬間に落ちるのは誰が見ても明らかな状態。

9を直接狙いたいが、残り玉が非常にシビアな配置。スクラッチはお互いにとって即死を意味するから、絶対に避けねばならない。

5を慎重に狙いつつ、隙あらば9に持って行く形でネクストの6への位置取りを考える作戦を取った。

5-6と入れて7でチェンジ。まずい。7は長クッションにほとんどタッチしているが、クッションタッチギリギリの球をカットするのが

K君は異様に上手い。予想した通り、見事なフェザーカットで7をコーナーに沈められてしまった。残るは8-9のみ、そして9は

瀕死の状態である。物凄くマズイ。8を長クッションに入れて戻して9にかすめて9をシュートしようとするK君の渾身のショットは、

9の本当にギリギリ、触れたか触れなかったか分からないほどギリギリのラインで奇跡的に外れた。

チェンジ。僕が入れるならここしかない。外すと間違いなく次で取られる。

穴フリを考えながらドローショットで8をコーナーに落とす。ネクストもいい場所にいった。残るは9のみ。

これを外すと確実に負ける。21セットが水泡に帰す。久し振りに緊張でドキドキした。

撞点センター。力加減は中くらい。全力で集中して、9番をサイドに沈めた。

この瞬間の解放感といったら、並大抵のものではなかった。世界がバーっと明るくなるような、というと

もっとビリヤードが上手い方には大袈裟に思われるかもしれないが、ほんとうにそんな感じだった。

K君と再戦を誓い、下北沢を後にする。ビリヤードは楽しい。K君はじめクラスのみんなと出来るようになって良かった。

 

 夕方はボウリングのインストラクションを頼まれていたので、ちょっとしたコツを教えたり、ついでに僕も投げたりする。

初心者に毎回教えるのは、0:アプローチにあがるタイミングについて&リターンラックからボールを両手で取り上げることのススメ 

からはじまり、1:まずスパットを見ること 2:立ち位置を毎回意識すること 3:手を握手するように振り切ること 4:左手の使い方

を教える。これだけでかなり安定する。そのあと、実戦で個別のスペアの狙い方に入り、癖が分かってきたら助走のタイミング改善と

プッシュアウェイの出し方を教える。ここまでがスムーズに出来れば、あとは投げているうちに自然と出来るようになってくる。

少なくとも、今までガターに投げ込んでばかりでいた人は滅多に溝掃除をやらなくなるだろう。そしてピンの狙い方が分かれば、

ボウリングが持っているスポーツ的な楽しさを理解してもらえるようになる。

今日レッスンした人も、どうやらボウリングの楽しさにハマってくれたようで嬉しかった。

ついでに投げていた僕は、今日はハイシリーズ675(220-220-235)で中々の調子。ビリヤードで集中力を高めた効果か。

220の二回はいずれも5フレでスペアミス(予想以上に中が先客によって伸ばされていた。判断ミス。)しているから、これが無ければ

700シリーズだったのに、と悔やまれてならない。まあ隣に入ったおじさんたちと仲良くなったから今日は良しとしよう。

前にも書いたが、ボウリングの醍醐味は、多様な年齢層、様々な所属の人と接点を持つ機会にこそある。今日も楽しかった。

 

 ちなみに、本日を持って22歳になってしまいました。20歳ぐらいまでの誕生日はメモリアルな感じがしたけれど、それを超えると

記念的な要素が突然減ってしまいますね。「やったーゾロ目だー!」と喜んでみても虚しくなるだけですし(笑)

聞くところによると立花先生は明日が誕生日だとか。明日のゼミは誕生日記念ディナー(仮)に行くため欠席するので、

立花先生お誕生日おめでとうございます、と今日のうちにここで書いておくことにします。ゼミ生の方、よろしくお伝えください。

これまでの経験や出会いを大切にしながら、新しいことにも沢山挑戦しつつ、22歳を振りかえる価値ある時間にしたいと思います。

 

リンクについて

 

 このブログをはじめてからもう二週間以上経つ。知り合いの方をはじめ、かなり色々な方が見て下さっているようだ。

ほとんどは日本からのアクセスだが、フランス・アメリカ・タイからのアクセスも何件かあった。(検索で引っかかっただけかもしれないが)

と同時に、受験生や一般の方からメールでご質問をいくつか頂いたりもしている。

メールでの質問に対しては、これからも出来る限り、答えられる範囲で返信していくつもりなのでお気軽にどうぞ。

頂いたご質問の中に「自分のページにリンクを貼っていいか」という内容のものがあったので、この機会にリンクについて書いておく。

 

このブログはもともと立花ゼミの一環として作られたものであるから、立花ゼミの「見聞伝=見たい、聞きたい、伝えたい」という

趣旨にある程度合致するものでなければならないと思っています。

そして、「伝える」という行為を担うもの、色々な人に向けて発信する場の一つとして僕はこのブログを位置づけています。

というわけで、このブログに関しては公序良俗に反するサイトや年齢認証を必要とするサイトで無い限り基本的にリンクフリーと

しますが、リンクを貼って頂ける際は kimoto_d_oあっとyahoo.co.jp まで御一報下さると大変嬉しく思います。

 

 

KENZO POWER インプレッション

 

 香水、とくにボトルのデザインを見るのが好きで、香りとボトルの両方を気に入ったものは出来る限り買うようにしている。

香りという「目に見えないもの」を「見る事も手で触ることも出来るもの」としての容器、密封されたボトルに閉じ込める。

香りを組み立て作り出すという芸術、それから香りのイメージをボトルで表現するという芸術、その二つの芸術が合わさることによって

一つの香水が生まれる。まさに、調香師とボトルデザイナーという二人の芸術家による自己表現と他者理解の結晶ではないだろうか。

言葉をデザインにしたり、デザインを音楽にしたり、音楽を絵画にしたり・・・

そんなふうに形態をメタモルフォーゼンさせて生まれる芸術は、僕にとっていつも大変魅力的に映る。

 

  さて、先日注文していた香水が届いたので、それについて書くことにしよう。

ケンゾーのパワーと、シャネルのアリュールオム エディシオンブランシェの二つである。

Powerの調香師はオリヴィエ・ポルジュ、ボトルデザインは原研哉。(原研哉の著書『白』は、今年の東大の現代文で出題された。)

Edition Blancheの調香師はジャック・ポルジュ、ボトルデザインは故ジャック・エリュの作ったものを継承。

二つ見比べて「ポルジュ」が共通していることに気付いた人がいるかもしれない。

実はこの二人は親子である!(親がジャック、子がオリヴィエ。ちなみにジャック・ポルジュはシャネルの専属調香師。)

親子の作品を同時に買って比べてみる事で、何か面白いものが見えてくるかも、と考えてこのような組み合わせで購入した。

 

 まずはPowerから。作り手の側のインタビューやコンセプトは香水名をGoogleに打ち込めばすぐに出るから、

ここに書く事はしない。それよりも自分のインプレッションを書くことにする。

この香水からまず最初に感じるのは、花と木の香りである。柔らかくて密度のある、温かい香り。

何の花なのかは分からない。靄がかかった森の中のような、よく見えないけれど周りに確かな木や花の存在を感じる光景。

徐々にベルガモットらしき香りが前に出てくる。靄の中に朝日が差し込んだような感じだ。

しばらくすると、「何か分からないが、明らかに花」な香りが場を支配するようになる。名前の分からない花、しかしどこかデジャヴ。

夢の中で流れていた香りを、朝目覚めてから思い出そうとした時のようだ。

むせるような花の匂いではなく、何重にも薄いフィルターがかかったような花の香りは、しばらくすると徐々に

フェードアウトしていく。フィルターが外されていくのではなく、透明度を30パーセントぐらいまで下げていくイメージ。

そのうちに、柔らかい木の香りが次第に強く感じられてくる。心地よい温かさと、重すぎない重さと甘さがある。

とても安心感を抱かせてくれるラストノートだ。しかしそれゆえに、ミドルノートの抽象的なイメージが頭に残る。

「あれは何の花だったのだろう?」と気になってしまう。ミドルとラストで繋ぎ目は全く見せないのに、コントラストが効いている。

最後に残るものは安心感なのに、とても独創的。これは本当に凄い香りだ。

 

 その香りを包むボトルも斬新なものである。本来は日本酒のためにデザインされたボトルをここで使っている!

KENZO POWER

鏡面仕上げからは軽さと重量感の双方を感じるし、それだけではなく、

自分の顔や手が円柱状の鏡に映って歪んで抽象的になる様子がとても不思議。

下部に控え目に配されたロゴが素晴らしい。ここに紫色を使ってくるのが天才だ。

ここが黒なら物足りないものになってしまっていただろう。

紫色の字に加えて、原が描いた「架空の花」のイラストが印象的にボトル全体の

見かけを締めている。何度見ても感動してしまう、素晴らしいバランス。

ここに詳しくは書かないが、このボトルを包む箱にも凄まじい拘りがある。

同じく原の作品である「冬季長野オリンピック パンフレット」を思わせるシンプルな

デザインに、たくさんの遊び心が詰まっている。

立花ゼミと僕の関わり

立花ゼミとの関わりについて書いてみる。

 

立花隆の名前は中学高校の頃からしばしば目にしていた。何と言っても「僕はこんな本を読んできた」「20歳の頃」「脳を鍛える」から

脳死に関する論考まで、本屋に行けば彼の名前で凄い量の著作が並んでいる。驚いたのはそのジャンルが多様であること。

文系理系などという壁やジャンルを越境して発言することを恐れない知識人、それが僕にとっての立花先生のイメージだった。

浪人中、勉強に飽きては三宮の古本屋で立花隆の著作を買い込んで自習室に並べて読んでいた。

そんな経験を抱えて大学に入ったため、入学後すぐに立花隆のゼミへ入ることを決意したのはとても自然なことだろう。

 

しかし、昨年の立花ゼミでの活動はあまり上手く行かなかった。何と言っても割ける時間が少なすぎた。

夏以降は部活とバイトに追われる毎日になってしまい、ゼミに打ち込む時間がほとんど無くなってしまった。

今年は先年の反省を踏まえて部活をすっぱり辞めた。部活に費やした時間の分、このゼミに集中したい。

いまゼミで関わっているのは昨年に自分が立ち上げて放置してしまっている「芸術の最前線」企画と、

今年新たに立ち上げた「僕らはこんな本を読んでいる」企画。二つとも、何とか形になる結果を残せればと思っている。