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立花ゼミの新入生へ

 

などと題して、一ゼミ生に過ぎない僕がちょっと大きなことを書いてみようと思う。

立花ゼミの新歓は先日を持って無事終了した。(もちろん、興味を持った方はこれ以降でもいつでも入ることが出来ますよ!)

模範ブレストや自己紹介をやりながらずっと思っていたのは、「人めっちゃ多い!」ということに尽きる。

放射状に並んだ椅子と新入生たちを前から見ていると、まるでオーケストラに見えるぐらいの人数だった。

「ゼミ」と名のつくサークルにこれだけ人が集まるのは異例だろう。ひとえに、新歓係として体力と知恵を注いだ二年生の二人の

おかげである。ほんとうにお疲れ様でした。

 

沢山の人が来てくれたけれども、立花ゼミには「セレクション」なるものはないので、希望する人は誰でも入ることが出来る。

しかし参加する人は段々減っていくかもしれない。というのは、立花ゼミは何かやることが上から降ってきたり、やることが

決まっていたりする場所ではないからだ。一人ひとりの好奇心や情熱を原動力にしているので、一人ひとりがモチベーションや

問題意識を燃やし続けなければ立花ゼミの魅力は失われてしまう。常にクリエイティブであることが要求されている。

それはとても大変なことだが、自分で自分に着火し続ける限り、立花ゼミは他のどこでも出来ない経験が出来る場所になるだろう。

 

コンパでも少し話したけれども、立花ゼミは大学の外に通じる「出口」なのだと感じている。

一つの安定した組織(大学)に所属していると、外部に対して無関心になってしまいがちだ。

そんなときに立花ゼミという「出口」から吹いてくる風を受けると、自分のいる世界が全てでないことに痛いほど気付かされる。

色々な世界があって、世界には色んな人がいて、色んなことを考えている。

当たり前のことだが、それは衝撃的なことなのだ。

 

そして 「出口」は同時に、「入り口」でもある。どんな入り口になるのか、つまりどこに「ドア」を付けるのかは自分次第。

最先端の科学技術への入り口。あるいは現代を生きるアーティストの思考への入り口。

火花の散る最先端に自ら足を踏み入れる。遠い存在だと思っていたあの人の近くに飛び込んで、直接話を聞く。

そんなふうに、座学では決して味わうことの出来ない、刺激的な経験が待っているだろう。

 

 

 

今日から2010年度立花ゼミは動き出す。改めて、立花ゼミへようこそ。

世間話からアカデミックな話まで、新入生の皆さんと沢山の話が出来る事を心から楽しみにしている。

出来るだけ早く皆さんの名前を覚えようと思っているので、仲良くして頂ければ幸いである。

どんどんアイデアを出して、遠慮なくアイデアをぶつけあって、面白いことをやりましょう!

 

立花ゼミへおいで!(立花ゼミ 新歓のお知らせ)

 

怒涛の三連続ブログ更新。

最後の記事は立花ゼミへのおさそいです。立花ゼミは今年度から前期課程の主題科目ではなく、ゼミの名前を冠した

サークルとして活動することになりました。サークルといってもやることはゼミ。今までとあんまり変わりません。

どんな活動が出来るのか、というのはこのブログや立花ゼミのオフィシャルページを見て頂ければ分かると思うので、詳述は避けますが

一言でいってしまえば「何でも出来る」場所です。国境を越えてインタビューすることも可能ですし、一線の作家の方に

お話を聞くことも可能です。また、NINSの取材など、立花先生は理系の研究分野の最先端の場所を我々学生に見せて下さるので、

そういった最先端技術に興味のある方も楽しめると思います。そして何より今年は、昨年の駒場祭で制作して大反響を頂いた

『二十歳の君へ』を書籍化して発売するという一大プロジェクトが立ちあがっています。この企画に関わりたい方もぜひ!

(なんと、活動拠点として都内のどこかに事務所を借りるという計画まで立ちあがっています。現在進行中。)

 

現ゼミ生はみな個性あふれる人間ばかりですが、上下関係はほとんどありません。とにかくゆるーい感じです。

そして「授業」扱いだった今までとは違い、今年からは合宿や旅行も頻繁に行うことになるでしょう。目が冴えるような企画はそうした

他愛ない雑談や吞み会の場から生まれるのです。そんなふうに存在自体がブレインストーミングなこの立花ゼミ、活動への参加や

途中抜けも完全に自由ですから、他サークルと掛け持ちも余裕で出来ます。「適度にまじめで適度にふまじめ」な雰囲気なので、

気軽においで下さい。学年や性別、経歴など細かいことは全く問いません。何かやりたいことがある人は誰でもウェルカムです。

ちなみにインカレですので、他大の学生さんも大歓迎ですよ!みんなで何か「面白くて、大きなこと」をやりましょう!

 

それでは、4月5日・6日に駒場キャンパス1号館の156教室でお待ちしております。

僕は立花ゼミのブースにずっといると思うので、遭遇したらぜひ声をかけてくださいね。

 

取材旅行記2 -生理学研究所 -

 

取材旅行記その2。

愛知県は東岡崎の生理学研究所で、鍋島先生に「脳内のイメージング」についてお話をして頂きました。

三時間にわたるインタビューだったために記事が相当長くなってしまいましたが、グリア細胞の働きから幼児の「発達」まで

非常に刺激的な内容で、当日は息つく暇もありませんでした。(なお、幼児の「発達」については、記事を改めて書きます。)

 

・・・・・

生きている動物では細胞や神経ネットワークの構造を見る事は技術的に難しい。

けれども、「多光子励起顕微鏡」なるものを使えばそれが可能になる。この多光子顕微鏡は

①赤外光=組織への透過力が強いため、深部まで届く

②多光子=ピンポイントでの観察が可能

という二つの特徴を組みあわせたものであって、この二点によって、生体内部を深く・細かく観察することができる。

これを用いた例として、頭蓋骨の骨細胞イメージングを見せて頂いた。(色素SR101を全身投与してある)

これが物凄い迫力であって、僕は本当にビックリしてしまった。どんどん脳の奥深くまで入り込んでいって、細かく細かく分かれた細胞を

見て行くその様子は、枝の生い茂る森の中を分け入っていくようであり、「こんなものが自分の頭の中に広がっているのか」と

不思議な気分になる。

 

次に見せて頂いたのは、ミクログリアという脳の中の免疫細胞が活動する様子。簡単に用語を説明しておくと、

シナプス=細胞間の情報の受け渡し部位

ニューロン=神経細胞

グリア細胞=神経細胞の伝達を効率化する細胞。(何種類かある)

であって、グリア細胞の中の一種であるミクログリア細胞を見せて頂いたのである。

 

ミクログリアは、幼少期にマクロファージが脳の中に入ってきて居座ったものであって、「シナプスの監視」という仕事を担っている。

その仕事をする瞬間をリアルタイム生体イメージングで見せて頂いたのだが、これもまた感動せずにはいられないものだった。

シナプスに対してミクログリアが手を伸ばして盛んにタッチする様子が見える!しかもタッチする瞬間に、ミクログリアの先端が

聴診器のように膨れてシナプスを触診しているのだ。正常回路の場合はミクログリアは「一時間に一回、約五分ごと」に監視を行う。

(しかもかなり正確な間隔で) しかし、頭を叩いたりして神経活動を起こしたりすると、「二時間に一回、約五分ごと」に監視のリズムが

変わる。つまり、神経活動のアクティビティに監視のリズムは依存している。これがヴィジュアルに見えるのだ!

 

正常回路でない場合、ミクログリアの動きは変わってくる。障害シナプスに対しては、たとえば20分ぐらいずっとタッチしたままになり、

しかも聴診器のように膨れてタッチするのではなく、シナプスの周りをラッピングするようにタッチして精密検診を行う。

(つまり、正常回路でない場合はミクログリアの働きの時間と方法が変わる)

 

このような非正常回路の場合において、ミクログリアが精密検診を行っている最後の10分間をリアルタイム・イメージングしてみると

障害しているシナプスが除去される(ストリッピング)様子が見える。ミクログリアの検診によって、シナプスが消えたり、新生したり

組み換えが起こったりするのである。つまり、ミクログリアは神経ネットワークの再編成に関係している。

 

ミクログリアとシナプスの間には、何らかのケミカルなインタラクションがあると想像されているが、ミクログリアがシナプスにタッチしている

間に何が起こっているか、具体的にはまだ分からない。というのも、この状況を取り出した瞬間にミクログリアが活性化してしまうからである。

ミクログリアは頭をたたくだけでも活性化するし、頭蓋骨の中を見るために少しでも骨を削ろうものなら生体リアクションが起きてしまう。

そのために、最先端のイメージングサイエンスは頭蓋骨を開けることなく、その内部を見ようとしているのだ。

 

今回のNINSシンポジウムのタイトルには「ビックリ!」というキャッチがついているが、それに偽りはない。来て、見てほしい。

シナプスとミクログリアのインタラクションが国際フォーラムのスクリーンに映し出された時、あなたはきっと「ビックリ!」することだろう。

 

 

 

取材から帰ってきました。- 分子科学研究所 -

 

愛知県・岐阜県を横断してのサイエンスの最先端取材旅行から帰ってきました。

愛知県の東岡崎にある自然科学研究機構というところからスタート。まずは分子科学研究所を訪れ、斉藤先生のお話を聞きました。

分子運動の時間スケールというのは1フェムト秒(1000兆分の1秒)と極めて微小なものであり、そのために動的な観察が難しいのですが、

シミュレーション映像を上手く用いて研究することで現象をとらえやすくなります。そこで斉藤先生が見せて下さったのは、

水の結晶化過程のシミュレーション映像。乱れた構造である水が、どのようにして秩序を持った氷へと変化するのか。

これをシミュレーション動画で見せて頂いたのですが、正直感動してしまいました。

最初は乱れた水素結合が画面上に映っているだけなのですが、しだいに安定な水素結合の核が出来てゆき、、水素結合ネットワークが

成長して、欠陥が少しずつ減って六角形の結晶構造がどんどん成長していくのです。カオスな状態が時間とともに秩序立てられていく

様子はとても美しいものでした。(ミクロな世界に秩序が自生してゆくことで最終的には物質の態が変わっていくのです。これはすごい。)

 

水だけでなく、タンパク質のイメージングも見せて頂きました。体内で水の次に多く存在しているのがタンパク質であり、中でも細胞の

増殖はRasというタンパク質の活動と休止によって制御されています。そして、Rasの突然変異により細胞増殖の信号がonになり続けると、

ガンに繋がります。先生によれば、ヒトの癌の30パーセントはRasの変異に関係しているとのこと。つまり、Rasというタンパク質の研究は

ガンを考える上で非常に重要になってくるものなのです。そこで先生が見せて下さったのが、RasとGAPの複合体形成過程の

シミュレーション映像です。これがどのようなものであったか、というのは理系のゼミ生に任せますが、とにかく迫力があってびっくり。

このようにシミュレーションを上手く用いることで、ガンの分子論的な理解に繋がるということを先生は主張されていらっしゃいました。

 

Rasの生物学的機能

 

 

 

取材旅行へ行ってきます。

 

今日は国立大学の二次試験ですね。昨日も駒場キャンパスには下見に来ている受験生たちがたくさんいました。

みんな気合いの入った目でキャンパスを歩いていて、僕も身が引き締まる思いをしました。受験生の頃のペースで

大学生が勉強し続けたら、大学生の知的水準は一気にあがるでしょうね。(もちろん、遊ぶことや社会勉強もすべきだと思いますが)

とにかく今日は受験生の邪魔にならないように家に籠っていることにします。

 

さて、明日から、NINSシンポジウム事前取材のために立花さんと学生数人で愛知県と岐阜県へ取材旅行へ行ってきます。

訪れる場所は分子科学研究所・基礎生物学研究所・生理学研究所・核融合科学研究所の四か所。

いずれも、国内のサイエンスをリードする研究所ばかりです。文系(といっても理系の分野にも興味はあります。)の僕には

理解できない内容も多々あるとは思いますが、最先端の現場を見る事が出来ると言うのはまたとない機会。

貴重なお話を沢山聞き、また色々と発言して来たいと思います。

 

愛知県に行くのはほとんどはじめてのようなものなので、空き時間には色々と観光もしてくるつもりです。

愛知県出身の友達に聞いたところ、「コメダ珈琲には行っとけ。」と言われたので、とりあえずそこから攻めます。

愛知県の方で、「これはおすすめ」という場所や施設を御存じの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると嬉しいです。

 

なお、クラスメイトでこのブログにも良くコメントをくれる水際のカナヅチ氏(通称「かっぱ」)がブログを始めたとのことでしたので、

リンクを張っておきました。「砂嘴のあしあと」というブログです。

 

スキー旅行記その1

 

生きてます。スキーから帰ってきて以来、レポート⇒願書⇒レッスン⇒吞み会のコンボでしばらく更新出来ずにいました。

Twitter上では携帯から結構つぶやている(ブログの記事にするための備忘録代わりに使っている)のですが、こちらのブログの方は

パソコンの前に座ってゆっくりと時間を取れないことには書けないので、どうしても更新が遅くなってしまいますね。

そういう意味では、140文字で何の気兼ねもなく思い思いのつぶやきを投稿するというTwitterのシステムは巧妙だなあと感じます。

 

さて、スキー旅行については一緒に行った立花ゼミの栄田さんが大量に写真を撮ってくださったので、栄田さんが落ち着き次第

(僕以上にレポートに追われているようです。お忙しい中スキーを計画してくださってありがとうございます。)写真を頂いてアップする

予定です。というのは、僕の写真よりも栄田さんの写真のほうがクオリティが高いので。このスキー中には、栄田さんのフォトグラファー魂が

炸裂していました。ウェアの右ポケットと左ポケットに別々のデジカメを入れ、2300mの標高から2000mぐらいの距離を

手にデジカメを構えて動画モードで撮影しながらボーゲンだけで(手ブレを抑えるため)滑ってくる栄田さんはもはや伝説です。

上半身と手に構えたデジカメを全く動かさずに中級者コースの曲がりくねった道を滑り降りてくる姿に修学旅行生たちがビビっていました。

彼らの青春の思い出としてその雄姿が焼きついたことでしょう。(僕と西田君の目にも焼き付きました。栄田さんすごい。)

 

夜にはフランスのウォッカであるシロックウォッカを雪の中に埋めて冷やし、栄田さん持参の絶品リンゴジュースで割ってウォッカアップル

にしてみたり、降り積もったばかりの新雪を氷にしてロックで呑んでみたりしていました。いずれも最高に美味しかったです。

少し呑んだ後にホテル内をうろついていると、ホテルに併設されたバーにビリヤード台を発見しました。

これはやるしかないでしょう。ということで、一時間だけ球を突くことに。バイトらしき外国人のお姉さんに英語で「ビリヤードしてもよいか」

と尋ねて酒(グラスの白とロゼ)を頼み、玉突きに集中します。西田くんは安定感のあるスタイルで次々球を沈めていきますし、

ビリヤードはこれがはじめて、という栄田さんは、異常なほどのペースで上達していました。面白くなってきてついつい二時間延長して

閉店時間までビリヤードをやることに。男三人の夜はこうして更けてゆくのでした。

 

左側通行の謎と雨の休日

 

 関西から上京すると、たちどころに違和感を感じるところがある。

そう、エスカレーターの立ち位置だ。関西では右側に立ち、左側が歩いて登っていく人のためのゾーンと

なっているが、関東ではその逆。左側に立ち、右側が歩いて登ってゆく人のスペースとなる。

エスカレーターにおいて、関西は「左空け」、関東は「右空け」のルールを持っていると言うことができるだろう。

 

 この地域差がどうして生まれてきたのか?それには信憑性の低いものからもっともなものまで諸説ある。

ところで、海外はどうなっているのだろうか?ちょっと調べてみると、

 

「左空け」・・・大阪、香港、ソウル、ロンドン、ボストンなどの都市や、ドイツなどヨーロッパの大陸系諸国。

「右空け」・・・東京、シドニーなどの都市。オーストラリアやマレーシア、ニュージーランド、シンガポール。

 

 ということで、世界の大多数は「左空け」が主流らしい。なぜこのような違いが生まれるのか。

まず、世界の左空けと右空けの分布を見たとき、すぐ気付くことがある。

右空け(の都市を持つ)の国に共通するのは、島国および島嶼部である。

では島国なら右空けになるのか?しかし、ロンドンが左空けであることを考えるとそうとも言えない。

(イギリスはヨーロッパとの関わりが大きかったから「島国」としてカテゴライズすべきではないかもしれないが)

ただ、「右空け」に島国の割合が大きいことは確かだ。

エレベーター自体はアメリカのオーチス・エレベーター社が1850年代に開発したもので、アメリカで販売した

あと、国外に向けてはまずカナダ近辺で売り始めたらしい。そのあと、次々にヨーロッパ諸国へ向けて

売り出してゆく。ならばアメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国は、開発国であるアメリカの風習を受けて

「左空け」になったのだろうか。だとすると、なぜアメリカで「左空け」のルールが生まれたのだろうか。

うーむ。よくわからない。

 

 とりあえず日本で考えてみよう。やはり、なぜ地域差が出るのか、ではなく、「そもそも左空け/右空けの

意味は?」と問うところから始めるのが良さそうだ。エスカレーターの無い時代から考えてみよう。

先日読んでいた『読み方で江戸の歴史はこう変わる』(山本博文、東京書籍)には、

「(参勤交代において)左側通行になるのは、お互いの刀の鞘などが触れ合わないようにするためである。」

という一節が見られる。江戸時代の武士は刀を左側に差していていた(右手で抜くため)から、進行方向に

対して左側に寄らねば、自分の体の幅から飛び出ている刀の鞘が前から来た相手とぶつかってしまう。

それを避けるために左側を歩いた、というのだ。

 

 問題はどの地域までこの風習が行われていたのかということだ。

参勤交代で人が集中する場所は、むろん江戸周辺である。参勤交代から自分の藩へ帰る行列、

参勤交代へ向かう行列が交差する場所は、なんといっても江戸周辺であろう。したがって、江戸周辺では

左側通行(右空け)のルールが成立したはずだ。これは、東京のエスカレーターが「右空け」であることと

符合する。

 

 では、江戸周辺以外では大名行列は道のどちらを歩いたのだろうか。岐阜を超えたあたりから右側歩き

(=左空け)に切り替わればエスカレーターの話と符合するのだが、それは良く分からない。

そもそも武士が刀を差している以上、江戸に限らず左側通行・右側空けのルールで過ごした方が

刀の鞘が触れて問題になるケースは減るだろうから、この風習が江戸だけのものだったとは考えづらい。

(このルールが生まれたのは江戸周辺であっただろうが、江戸周辺から地方へも伝播してゆくはずだ。)

 

 たとえば大阪は「商人の町」であったから、武士よりも商人が主体となって活動しており

刀の鞘が触れる云々などは大した問題ではなかったから左側通行が浸透しなかった、などの理由には

ちょっと無理が感じられる。これを発展させ、武士の帯刀ゆえに左側を歩いたこととパラレルに

「商人の経済活動においては、(右利きが大多数であるから)右手に荷物を持っていることが多かった。

だから人に荷物が当たらないように右を歩いた。」などといってみてもちょっと胡散臭い気がする。

(そもそも、江戸時代の立ち位置と現代のエスカレーターの立ち位置に直接の関係があるかどうか怪しいが)

持ち物が歩き方を決めるなら、「西洋では右にピストルを下げて右で取り出していたので、左側を空ける。」

みたいな理由も通ってしまいそうだ。1900年代に西洋人の多くがピストルを腰に下げていたとは考えづらい。

 

 なんとなく思いつくままに色々書いてみたものの、謎は謎のままである。

「ルールが当初どんな意味を持って、どこから生まれ、どのようにして広がっていったか」という問いは

このエスカレーターの立ち位置問題に限らずとても面白いと思うのだが、解明することは難しい。

と、ここまで書いてふと思ったのだが、エスカレーターの登り路線と下り路線が並列してあるところでは、

どちらに登りを置いてどちらに下りを置くのか決まっているのだろうか。

歩行と違って、エスカレーターの問いでは、エスカレーター一本の中だけで立ち位置を考えるのみならず、

逆向きのエスカレーターとの関連を考えなければいけないのかもしれない。つまりエスカレーターにおいては、

1.構造上の立ち位置(対抗エスカレーターの位置)と、2.慣習上の立ち位置(単線上で左右どちらに立つか)の

いわば「二重の縛り」に行動が規定されていると言えそうだ。

 

そんなどうでもいいことを考えながら、雨の土曜日はコーヒー片手に家で本と音楽に戯れる。

雨の夕方に合うものは、と考えてCHET BAKERの ‘CHET+1′ (Riverside)を棚から引っ張り出してきた。

このアルバムは一曲目にALONE TOGHETHERを持ってきたセレクトが神だと思う。チェットの甘くてどこか

ダルさの漂うトランペットと、ビル・エヴァンスの前に出過ぎないしっとりした音が絶妙。

ALONE TOGHETHER、つまり「たった二人で」の曲名にぴったりな音。ボーカルが無くてもあの歌詞が

浮かんでくる。Alone together, beyond the crowd…こんな音が出せたなら良いのになあ。

HOW HIGH THE MOONのスローテンポも、SEPTEMBER SONGのKENNY BURRELLのギターも最高で、

これを聞きつつ加藤尚武『現代を読み解く倫理学』(丸善ライブラリー,1996)を読了。合間にあるコンクール用

のエッセイを書いていたが、10枚ぐらい書いたところで愛用している満寿屋の原稿用紙が切れたので中断。

立花先生から頂いたChez Tachibana原稿用紙を使おうかと思ったが、勿体ないので置いておくことにした。

 

 雨が止んだら新宿へ原稿用紙を買いに行こう。ついでに知り合いの研究員さんが推していたLamyのStudio

を試筆してみるつもりだ。レーシンググリーンのインクもそろそろ補充しておきたいし、MDノートの横罫と

カバーももう一セット買っておきたい。5ゲームぐらい投げてちょっと体を動かしたい気もする。

二時間ぐらいぼーっと玉突きするのも良いかもしれない。土曜なら知り合いの常連さんたちがいるだろう。

 

 

 決まった予定が無い日は久しぶり。慌ただしい師走を一日ぐらいゆっくりと、好きなように過ごそうと思う。

やりたいことは沢山あるけれども、行くかどうかは天気次第。そんな自由がたまらなく幸せだ。

 

 

 

駒場祭、終了!

 

 駒場祭が終わった。立花ゼミ「二十歳の君へ」企画もその一楽章を終えたことになる。

「二十歳の君へ」は、そのテーマのもとに何種類もの企画を並行的に走らせたものだった。それぞれ、ここに感想を書いておこうと思う。

 

・壁

最終的には書く場所がないほどに壁は落書きで埋まった。書かれる内容も面白かったし、増えてゆく様子も面白かった。

落書きから「生」を切り取る、というのは、今考えても秀逸なアイデアだったと思う。

 

・プリクラ

一年生の廣安さんのおかげで次々と改良がなされてゆき、三日目にはかなり話題になっていたようだ。

栄田さんの美しい写真をフル活用して、その写真をプリクラ機に取り込んでそれを背景にすることができるようにしていたのだが

これはナイスな企画だった。宣伝についても、初日のデーターに基づいてしっかりとアナリーゼをしたおかげで、

無駄なく、最大限有効な宣伝が出来たのではないだろうか。

 

・学生証の写真を使った、「わりとイケメンコンテスト」

プリクラ機での待ち時間の手持無沙汰感を解消するために、二日目の夜に発案された企画。かなり体(顔?)を張った企画だったが、

暇つぶしには最適だったようだ。ちなみに優勝者は飲み会代が割引されることになっており、ちょうど金欠だったのでこの賞品は

素晴らしくありがたかった。ごちそうさまです。一番面白かったのは小学生の女の子に「この中から選んでね。」と言ったら、

「えー、この中から?・・・かっこいい人いない。全部ない!」と切り捨てられたこと。ちょっと心が傷つきました(笑)

 

・「二十歳の君へ」パンフレット

相当に満足な仕上がり。とはいってもいくつかミスは見つかったし、中でも、朝倉くんのコラムの最後の文章が欠落していたのは

本当に申し訳なかった。このパンフレット、様々なブログで好評のようなので、時間を注いで作って良かったなと思っている。

昨日プロのグラフィック・デザイナーの方からこのパンフレットのデザインに関する講評を頂いてとても嬉しかった。

 

・講演会

雨&気温低という、駒場祭で最も悪い天気・時間帯だったにも関わらず、350人の教室に人が入りきらず立ち見が出るほどの

盛況ぶり。会場のドアの外から信じられないほどの列が伸びていてちょっと感動した。いろいろなポスターやビラを作った甲斐があった。

講演会自体は、大きく二部に分けられる。最初に「世界や時代を認識するために、いまホットな、様々な知を紹介します。」という形で、

ガン・脳・冷戦・宇宙などの分野について話された。ただその分野を紹介するだけではなく、立花ゼミの過去の活動とリンクさせつつ、

また、パンフレットに掲載した「二十歳の君への宿題」ともリンクさせながら話されたのが印象的。

次にそれをベースにして、「人がいま、ここに生きて・空間を共有していることがどれほど奇跡的なことか」

「二十歳の脳がいかに特殊な状況にあるか」、そして「二十歳に何をせねばならないのか」ということを話された。

具体的だった前半とは一変して、後半は極めて抽象的。これをしておけ、あれはしておけ、とは言わない。

「情報をぼーんと与えるから、ここから君たちがエッセンスを掴みだし、あとは好きなように料理して生きて行け。目の前にあることに

必死になって生きることだけは忘れるなよ。挑戦しろ!」というようなメッセージが言外に感じられた。

この展開、実は事前に準備していたものとはかなり違ったので、司会を務めていた僕としては相当に困った。

最後にマイクを受けたとき、どうやって纏めようか・・・と悩んだが、まあなんとかまとまったのではないだろうか。

終演後にパンフレットに先生のサインを求める長蛇の列が出来るのを目の当たりにして驚くとともに、先生と時間を日常的に過ごすこと

ができる今に感謝した。先生からもっと多くを学んでおきたいと思う。

 

講演会および今回の企画について沢山の方からメールやお話を頂き、とても嬉しかった。

(中には「司会が関西弁で、関西から聞きに来た私としては幸せな思いになりました。」というのメールもあった。それはそれで嬉しい。)

体力・精神力ともにすり減ったが、それだけの価値あるものだったという自信がある。

またNHKで放送される運びになったらここに書くので、その時は是非見て頂ければと思う。

それから「二十歳の君へ」パンフレットは、ある出版社から書籍化されることがほぼ決定的になった。

ここからどうやってコンテンツの質・量を上げていくか、それが12月の僕の立花ゼミ活動テーマになるだろう。

 

「二十歳の君へ」 ついに前日!

 

ついにここまで来た。

明日から駒場祭が始まる。そして立花ゼミのグランド・プログラム、「二十歳の君へ」が始まる。

準備は途方もなく大変だった。パンフレット80ページ余りを一人でレイアウトし、時に文章を書いた。

一週間ほとんど授業も休んでパソコンと戦い続けた。二時間ほど寝ようと思って目を閉じても、瞼の裏に原稿用紙のマス目が浮かんだ。

徹夜が続いて限界まで疲れているはずなのに寝れない。瞼の裏に浮かぶマス目、それを眺めているうちにレイアウトの

インスピレーションが突如閃き、布団から飛び起きてパソコンを再びつける。切ったばかりのパソコンはまだ熱かった。

 

クオリティを落とそうと思えば簡単だ。考えなしに次々と機械的にレイアウトを流して行けばよい。けれども、それは許されない。

技術班の人たちはメールフォームの設置から調整、データーベースの構築まで、最高の環境を睡眠時間を削って整えてくれたし、

ゼミ生はそれぞれの知り合いを辿って沢山の「二十歳の君への宿題」を集めてきてくれた。ましてや立花隆は、何万冊もの本や雑誌を

見て来ているこの世界のボスだ。その先生の名前を冠するものに中途半端なものは作れないだろう。

それどころか、立花隆に「これは凄い!」と言わしめるぐらいのものを作ってやりたい。ゼミ生が書いてくれた文章と、全国から集まった

「宿題」で、中身は十分に魅力的だ。だから、あとは見栄えにかかっていた。シンプルだけれども1ページ1ページに思想とストーリーが

詰まっていて、そして同時に全体が一つのテーマで力強く貫かれたものを作りたかった。

その夢は多分、十分すぎるほどに叶った。

 

完成品は駒場祭に来て見て欲しい。11.22(日)の15:30-17:30、駒場キャンパス13号館1階の1313教室で完成品を無料配布する。

写真をふんだんに使ったこのパンフレットは、駒場キャンパスの写真集としても通用する美しさになったと自負している。

感性の合う写真家とのコラボレーションは本当に楽しくて刺激的だ。僕にとってとても大切な一冊が出来上がった。

協力して下さった方に心から感謝したい。

 

最後に、駒場祭立花ゼミの企画について宣伝して、前日の記事を終わりにしよう。

今日から三日間、沢山の人が来てくれますように。僕を発見したら気軽に声をかけてくださいね。

 

【東京大学 立花隆ゼミナール 2009年度駒場祭特別企画 「二十歳の君へ」 】

 

◆立花隆 最終講義 「二十歳の君へ」  11.22(日) 15:30-17-30  於.1313教室

(講演者:立花隆  総合司会:木許裕介  ディレクター:西田祐木  コーディネーター:内藤拓真)

20歳のころの経験で、人生は大きく動き出す。20歳前後に何を見て、何を読み、何をするのか。

文学・哲学・科学・医学…様々な分野の知を自由に越境し、縦横無尽に織り交ぜながら、「知の巨人」立花隆が贈る最終講義。

受験生や二十歳前後の大学生にはもちろん、小学生から大人まで楽しめるスリリングで知的な時間。NHKのカメラも入ります!

 

◆「二十歳の君への宿題」パンフレット

日本全国の大人から、二十歳の君へ200のメッセージ。一人ひとりの経験に基づいた、温かくも厳しい「宿題」が満載。

立花隆の「二十歳の君に贈りたい言葉」やゼミ生の「二十歳のころ」など、ここでしか読めない記事も多数収録。

ゼミ生:栄田康孝による駒場の四季をとらえた美しい写真と木許裕介のコラボレーションによる

フルカラー80ページのこの冊子、講演会に来場された方にはなんと無料で配布致します!

 

◆プリクラ&「壁」(21日から23日まで終日設置)

ついに東京大学にプリクラ機あらわる!ユータス君やゼミ生手作り東大グッズなど、東大ならではの小道具も準備万端。

サークルのライブや演劇のあと衣装のままで、模擬店のあとクラスTシャツのままで…みんなで写真を撮ろう。壁に落書きしよう。

自分の「今」をここに残そう。

寒波

 

 11月3日。文化の日だ。そして今年の文化の日はとても寒かった。

家のドアを開けた瞬間、「キーン!」と音が聞こえてきそうなほど冷え切った空気が流れ込んでくる。冬の匂いがする。

寒さに少し辟易しながらも、季節の変化が面白くて、どこかワクワクしながら外へ出た。といっても、特に行くアテがあるわけではない。

だが、僕にとって文化の日は特別な日なので、何はともあれ街に出かける。秋冬用のスーツを一着買おうと思っていたことを思い出し

小田急線に乗って新宿へ向かう。車内にはクリスマス特集などという広告がかかっており、もうそんな時期なんだなと驚かされた。

 

 新宿はたくさんの人で賑わっていた。

車道は閉鎖されて歩行者天国になっており、人々が無秩序に行き交う。すれ違うたびに様々な香水の匂いがする。

Diorのファーレンハイト、Nicosのスカルプチャー、ブルガリのソワール…寒さのせいか、少し重めの香りが多い。

名前まで分からなかったがバニラとリンゴの混じったような香りに何度も遭遇した。ニナリッチだろうか。

歩いてゆく人のその少し後ろを、その人の香りが影のようについてゆく。ある人の香りとある人の香りが交差する。

「香りの影」の交わりは新しい香りを一瞬生み出し、それはたちまち風に散らされる。偶然の芸術が雑踏に生まれる。

 

 沢山の人々が至る所に口を開けた店へ吸い込まれてゆく。いつもなら静かなはずの宝石屋は着飾ったカップルで混雑しているし、

マツモトキヨシはいつもの20%増しぐらいの音量とスピードで「タイムセールですよ!時間限定ですよ!!」を連呼している。

道のど真ん中で小さな子供が思いっきり転んで泣くのを見て、ホスト風の兄ちゃん軍団がすれ違いざまに目を細めて笑う。

ちょっと幸せな光景だ。

 

 人の流れを避けるように裏道に入り、スーツを見て回ったり画材屋でキャンバスや油絵具を見たりするうち、すぐ日が暮れる。

日が落ちると寒さが染みる。寒い。これは飲まずにはいられない。ということで落語で有名な末広亭の近くに入って一杯だけ飲む。

そして外へ出ると、明るいネオンに彩られた新宿の街を見下ろすかのように、ネオンよりずっと明るく透き通った光を注ぐ満月が

空にあった。この光の美しさは他のどんな光をしても真似できない。その綺麗さに、雑踏の中で空を見上げて息を飲む。

2009年の文化の日は、満月の光と冬の寒さが染み渡る日になった。

 

 珍しく日記なのは理由がある。

先日、六本木の国立新美術館にハプスブルク展と日展を見に行ったのでその感想をここにあげようと思って20行ぐらい書いていた

のだが、パソコンの機嫌がよろしくなかったようで、眼を離したスキに全消去されてしまっていた。かなり細かく書いていたのに・・・。

まあそういうわけでたまには日記である。また書き直す気になったら展覧会の記録を書きたい。

特に日展で見つけた二枚の凄い絵についてはいつか必ず書き直したいと思う。これは本当に凄かった。

 

 なお、本日は竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫,1992)を読了。現代思想の展開や概要がコンパクトに纏められており

アウトラインを復習するには読みやすい本だ。現代思想の入門書としても使いやすいだろう。

原典からの引用が多々あるが、それが誰の訳によるものなのかがはっきり書かれていない(はず)点だけがやや残念。

ちなみにこの文庫本、表紙がデニム地みたいで面白いです。