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確認

 

Un jeune homme ne doit pas acheter de valeurs sûres.

 

 

無言歌

 

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」の構造を、そしてサルトルの「Tourniquet 回転扉」を巡って楽しく議論した翌日、ひたすら修士論文の執筆に集中する。

蓄積したものを一気に形にする時がいよいよやってきたのだろう。どの切断軸で切るか。どの面を艶やかに見せるか。

ナイフが自然と落ちる瞬間はまだやってこない。ひたすらに待つ。歩く。引き絞る。

 

 

研究室に誰もいないのをいいことに、ささやかにスピーカーで音楽を流しながら書いていた。懐かしい旋律が聞こえてくる。

無言歌のOp.30-3「慰め」だ。時間というのは不思議なもので、これほどまでにグールドの弾く「慰め」が沁みたことはなかった。

そういえば、と唐突に思い出す。ピアノを習っていた時期の発表会で最後に弾いたのは、無言歌の中の「狩人の歌」だった。

 

逍遥

 

朝から渋谷で用事を一つ終え、天気が良いから駒場まで歩こう、と思う。

机に向かっている時間より、一人でぼんやり歩いているときやお風呂に入っているときにこそ良いアイデアが生まれるような気がしている。

修士論文の執筆を開始したこの一年は、部屋に籠りながらも良く歩かねばならない。

 

松濤の桜のそばをゆっくりと歩く。

昨夜まで読んでいたLes Cahiers de médiologieのことを考え、「プロメテウス」の問題をめぐって自分の知識を整理する。

「書きたい事は山のようにあるだろうが、書かない勇気が大切だ」という指導教官の言葉を思い出しながら。

それは師の指揮の哲学-盛るのではなく削る美を-に通ずるところがあって、ハッとさせられたのだ。

 

 

温かい陽射し。サマージャケットを引っ掛けて軽装で歩くのが気持ち良い。

ぐるぐると歩き、思考がひとつ纏まったころ、美味しそうなランチの看板を見つける。紙に書き出しながらとりあえず珈琲といこう。

就職した友人たちに比べてお金の余裕はないかもしれないけど、今自分が過ごしている時間が限りなく贅沢な時間である事を疑わない。

また新しい春の訪れを、僕は僕なりに慈しむだろう。

 

春夜と共に

 

キットラーの『グラモフォン・フィルム・タイプライター』と格闘して、ジェラルド・フィンジを弾いたあと、休憩がてら春の夜を歩く。

既に散り始めた桜を浴びる。周囲の環境の変化に焦らずに一歩ずつ踏みしめて行こう。

 

 

春宵一刻直千金 (春の夜は、わずかな時間であっても黄金千金の値打ちがある)

花有清香月有陰 (花はさわやかな香りを放っているし、月には朧げな暈がかかる)

歌管楼臺聲細細 (歌声や笛の音が響いていた高楼も、今やひっそりと静まって)

鞦韆院落夜沈沈 (あとに残されたものはぶらんこ。ぶらんこがかけられた中庭に、夜はしんしんと更けゆく。)

 

 

年度末に思う。

 

春が別れと始まりの季節だとすれば、僕にとって今年の春は、二年目の浪人生活のスタートの気分に良く似ている。つまり、孤独の始まりということだ。

 

3月31日、夕暮れの駒場を一人で歩く。

新歓の準備をする学生たち、これから始まるキャンパスライフに隠しようもない期待が滲み出た新入生たち。

二つ下の学年で入って来た後輩もこの春に卒業してしまった。僕が本当の意味で親しく話していた同期や後輩たちのほとんどは、キャンパスを後にした。

 

 

満開になった桜の下で一人ぼんやりと腰を下ろす。

僕は僕で良いのだろうか。答えが出るわけもない、そんな問いを自分に向けてみる。

新しく入ってくる学生たちに胸を張って正対できるだけの何かが自分にあるのか。

年齢を重ねれば重ねるほど、超えるべきハードルが高くなってくる。今年は昨年よりずっと高いものを飛び越えなければならない。

 

 

銀杏並木を抜けて図書館前まで歩いてくる。

ディアギレフの日記のことを考えていて、ふと目の前にあらわれたシルエットにはっとした。

後ろ姿だけですぐ分かる。今年度で駒場を離れる大先生が夕暮れの中に佇んでいた。

駒場を長く愛し、駒場に全力を注いだ巨匠は、最後の一年間を迎えるにあたって何を思うのだろう。

研究は孤独なものだけれど、互いの孤独がぶつかり合って火花を散らす瞬間がなければならないし、それが楽しくて僕は研究をやってきた。

先生の著書のその一文が唐突に頭に響く。

 

孤独をどこまで自分の血肉となすことが出来るか。一年後にはきっと、がらりと景色が変わることだろう。

僕はいよいよ、何者かにならねばならぬ。

 

 

 

Le Printemps adorable a perdu son odeur !

Et le Temps m’engloutit minute par minute, Comme la neige immense un corps pris de roideur ; Je contemple d’en haut le globe en sa rondeur Et je n’y cherche plus l’abri d’une cahute.

Avalanche, veux-tu m’emporter dans ta chute ?(Le Goût du Néant. )

 

三冊をめぐって

 

Freshman Festivalのインタビューでおすすめの本を三冊紹介してほしい、ということだったので、かなり悩んだ末に、

コクトー『僕自身あるいは困難な存在』(La Difficulté d’être)と、リルケ『マルテの手記」(Die Aufzeichnungen des Malte Laurids Brigge)と

立花隆『青春漂流』の三冊を挙げました。

 

コクトーは僕の人生を大きく動かした一冊。ブログでも何度も取り上げてきましたし、色々なところからインタビューを頂いても必ず挙げるものです。

「射撃姿勢をとらずに凝っと狙いを定め、何としてでも的の中心を射抜く」など、頭の中から離れなくなる言葉と強靭な思考で溢れています。

 

 

リルケは独りの時間に沈むときにしばしば読み返します。

生きることと死ぬこと・見ることと書くことをめぐって、自分の内側に降り立たせてくれるような静けさを備えた一冊です。

大好きな一節を引用しておきましょう。

 

詩はいつでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。

そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。

詩がもし感情だったら、年少にしてすでにあり余るほど持っていなければならぬ。

詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。

空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。

──まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと

(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。

海べりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。

いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。

白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。

死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。

しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。

そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、

もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。

 

 

立花さんの『青春漂流』は二十五年前に出版された本で、立花さんの著書の中では随分前の部類に入るかもしれませんが、今読んでも褪せない刺激に溢れていると思います。

とりわけ新入生には響くところが大きいでしょう。本書の力強い一節を、自戒も込めて引用させて頂きます。

 

自分の人生を自分に賭けられるようになるまでには、それにふさわしい自分を作るためには、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。

それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。

そしてまた、その求めんとする意思が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。その時、その「船出」を無謀な冒険とするか、それとも果敢な 冒険とするかは、

「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。青春とは、やがて来るべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。

そこにおいて最も大切なことは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は,「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし,

その当然の帰結として,「船出」の日も訪れてこない.彼を待っているのは,状況に流されていくだけの人生である。

 

 

奇跡に対して自らを磨く。

 

線路を横目に歩いて行くと、いつしか線路は見えなくなり、一面に砂漠が広がるだろう。

遠くから鳴り響く汽笛を頼りに元来た方角を伺うことはできる。歩みを戻すことも今なら不可能ではない。

 

そのまま前進した先に何があるのか?

想像もしなかったような壮大な景色に至るのか、蜃気楼すら掴めずに果ててゆくのか。

おそらく足場は泥濘んでゆく。陽射しに焼かれることもあるだろう。

それでも振り返らない理由があるとすれば、それは好奇心という言葉でしか説明できない。

 

冬がほどける

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲のリハーサルを終えた翌日の早朝、

いまだ鳴り響く三楽章をリフレインしながら、日が昇る前に出発して友人たちと三人で千葉までドライブ&プール&温泉に行ってきた。

早朝の「海ほたる」で珈琲を飲みながら作品とタイトルをめぐる議論。

水の中で散々笑ったのちに真面目な話を少し。駆け出しながらも表現に携わる人間として、どうやって生きて行くのか。

それぞれジャンルは違えども、表現することに限りなく魅かれて止まない。

美学と志を分かち合える良い友に恵まれた、としみじみ思う。

 

日が沈むころ、千葉の温泉から新木場まで送って頂いてリハーサルに直行。

僕がいない間の分奏では気心知れた奏者のお二人が素晴らしいリードを取って下さっていて本当に助かった。

指揮したのは芥川也寸志のトリプティークと真島俊夫の三つのジャポニスム。

温泉宿で芥川也寸志を指揮する、という体験を昨年にしたのだが、温泉に行ったその足で芥川也寸志を振るという体験を今年早々にするとは思わなかった。

ジャポニスムのリハーサルでは、鳥肌が立つ瞬間を味わう。

一つのイマージュを共有することで音の質が(身体の使い方も含めて)がらりと変わるのだ。

音符が詩情を得て活き活きと響き始める。 その瞬間の感動に震えるばかり…。

 

翌日、月曜日。

もう長い付き合いになるヴィオラの友人と二人で、ピアニストのグルダの命日にしてモーツァルトの誕生日を祝って飲む。

リハーサルでもっとコミュニケーションできるはずだ、という彼の言葉に深く頷く。

いちばん良い棒を振ることは当然ながら、棒以外の手法を加えて、たとえば三時間のリハーサルをもっと充実した三時間にすることができる。

飛び交うコミュニケーションを逃さないようにしよう。指摘する事を躊躇していては前に進めない。

良い意味で遠慮を捨てることも時に必要なのだ。

 

 

一緒に過ごしてくれる人、力になってくれる人、指摘してくれる人…たくさんの人に支えられて今があることを思う。

一人でいる時間無くして僕は生きて行けないが、一人で生きて行けるわけではない。

孤独の中で強靭に練り上げつつ、場を共にしてくれる人たちとその場で即興的に柔軟に作り上げる。

音楽(に限らず多くの表現行為)の難しさと楽しさはたぶん、火と水を同居させるような、こうした試みの中に宿っているのだろう。

 

 

空気から鋭さが消えた。

一月がもうすぐ終わる。春だ。

 

 

再帰動詞

 

具体例や経験を重ねて行き、それらを思考で掘り下げて行くと、ある概念に達することが稀にある。

あるいは、時間の中で一滴ずつ蓄積されたものが言葉として結晶する。それは世界の誰もが使った事のない言葉である必要は無い。

形なきものに自分の語彙である種の輪郭を与えること。透明で不可視なものを、言葉という魔法によって半透明な存在へと肉づけること。

それこそが哲学-思想と呼ばれて然るべきものではないだろうか、と不遜にも思う。

 

昨夜は2014年度初回のレッスンだった。

シュトラウスのレッスンを終え、また初級の方々にレッスンをさせて頂き、師と対話するうちに、唐突に一つの言葉が結晶した。

それはεὕρηκαと叫んで走り回りたくなるほどの感動を伴う経験であり、身体の中に流れる血の温度が上がるのが分かるほどに興奮を覚える一瞬でもあった。

これまでにも幾つかの言葉に至った事がある。けれどもそれは名詞でしかなく、名詞では説明しきれないはずだという根拠なき不足感を抱えていた。

2014年になってはじめて僕は動詞に至った。それが正しいものであるかどうか、意味を持つものであるかどうか、そんなことには興味がない。

僕は未熟者に過ぎないし、この言葉であらゆる現象を説明しうるとも到底思えない。しかし今の僕にとっては決定的な概念-言葉に掘り当たったのだ。

 

 

嵐のような年末から、家族の温かさに包まれて平穏な年始を過ごした。

今年は「最後」の年になるだろう。もう僕の残り時間に猶予はない。書いて、読んで、振って、動く。

昨夜たどり着いた動詞に様々な目的語や主語を戯れさせながら、弓が切れる限界まで引き絞ったものを放つ一年にしたい。

 

 

 

 

ふらんす物語

 

年末ということで、先日から実家に帰省している。

昨年のこの時期は卒業論文の執筆で慌ただしく、しかもノロウイルス的な何かにかかって自宅で倒れていたため、実家で年を越すのは一年ぶりになる。

帰省中の予定は特にない。論文を読み進め、連載原稿の執筆と年明けのリハーサルに備えてシベリウスのヴァイオリン協奏曲、それから「春の祭典」の譜読み。

12月はリハーサルや本番続きで一人の時間がほとんど無かったので、年末は家族に甘えながら、自分の時間をゆっくり過ごそうと思っている。

 

実家近くを散歩していて唐突に、永井荷風の『ふらんす物語』の中に「除夜」という一編があったことを思い出す。

確かあれを書いたときの永井荷風は今の僕と同じ26歳ぐらいではなかっただろうか…。

気になって近所の古本屋で入手して来た。

 

それは1907年の12月31日を描いたものだった。

すなわち永井荷風27歳。フランスへ留学して半年弱経ったころの事だ。

「ああ、歳は今行くのか。行いて再び帰らぬのか。思えばわが心俄に忙き立ち、俄に悲しみ憂うる。」

その一節を読み直し、自らのことを考える。

26歳の僕の一年はこれで良かったのだろうか?僕は何か成したのか?

年を重ねるほど、まわりの空気が収束していく気配がする。それに飲み込まれることは容易いが、

撥ね除けるためには年々一層の体力が必要になる。生きるということは、何と難しいことだろう。

 

27歳という年齢で年の暮れをひとりフランスで過ごした永井荷風を想った。

On a toujours le chagrin — それでも生きるしかないのだ。不器用ながらも精一杯に。