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集中力を駆使した一日

 

 火曜日は授業がほとんどないので、基本的に楽器練習dayなのだが、今日は趣味全開で生きた一日になった。

昼ごろから、クラスのK君と二人だけで下北沢の松山にてビリヤード。一人で行ったりするときにはキュー(メウチ)を持っていくけれど、

今日は公平を期すためにハウスキューで勝負した。K君は初心者よりちょっと上手いぐらいのレベルだったのに、この一年のうちに

中級者顔負けの実力に成長したため、気を抜くと簡単に負けてしまう。特にクッションの上手さは僕よりも遥かに上である。

 ビリヤード場は閑散としていて、僕ら二人以外の客はいない。薄暗い店の中に涼しい風が時々吹いて来てカーテンがなびく。

その中で闘うこと三時間。ナインボールのみ、合計21セット。

最初は交互にセットを取りあっていたが、途中僕がブレイクナイン含む6連勝したかと思うと、K君に5連勝を奪われたりする。

ひとつのミスが流れを大きく変えてしまう事をお互い肌で感じていた。言葉も少なくなり、段々本気ムードが高まってくる。

20セット終了後、まさかの10-10。時間との兼ね合いで、次のセットが最終ゲーム、つまり21セットマッチの勝敗になる。

大会でもないのに、21セット目は異常な緊張感で始まった。

連勝して流れに乗るK君のブレイク。彼はブレイクはあまり得意でないので、そこそこ無難に割れる。

僕も1-2-3と続けて落として4でポケットを外したので交代。ここでK君が打ったショットが試合をさらに緊張感あふれるものにした。

なんと、4番にあたって9番がサイドポケットギリギリの位置まで動いてしまった!!

ツノにタッチしていたから角度は限定されるとはいえ、僅かな力がかかった瞬間に落ちるのは誰が見ても明らかな状態。

9を直接狙いたいが、残り玉が非常にシビアな配置。スクラッチはお互いにとって即死を意味するから、絶対に避けねばならない。

5を慎重に狙いつつ、隙あらば9に持って行く形でネクストの6への位置取りを考える作戦を取った。

5-6と入れて7でチェンジ。まずい。7は長クッションにほとんどタッチしているが、クッションタッチギリギリの球をカットするのが

K君は異様に上手い。予想した通り、見事なフェザーカットで7をコーナーに沈められてしまった。残るは8-9のみ、そして9は

瀕死の状態である。物凄くマズイ。8を長クッションに入れて戻して9にかすめて9をシュートしようとするK君の渾身のショットは、

9の本当にギリギリ、触れたか触れなかったか分からないほどギリギリのラインで奇跡的に外れた。

チェンジ。僕が入れるならここしかない。外すと間違いなく次で取られる。

穴フリを考えながらドローショットで8をコーナーに落とす。ネクストもいい場所にいった。残るは9のみ。

これを外すと確実に負ける。21セットが水泡に帰す。久し振りに緊張でドキドキした。

撞点センター。力加減は中くらい。全力で集中して、9番をサイドに沈めた。

この瞬間の解放感といったら、並大抵のものではなかった。世界がバーっと明るくなるような、というと

もっとビリヤードが上手い方には大袈裟に思われるかもしれないが、ほんとうにそんな感じだった。

K君と再戦を誓い、下北沢を後にする。ビリヤードは楽しい。K君はじめクラスのみんなと出来るようになって良かった。

 

 夕方はボウリングのインストラクションを頼まれていたので、ちょっとしたコツを教えたり、ついでに僕も投げたりする。

初心者に毎回教えるのは、0:アプローチにあがるタイミングについて&リターンラックからボールを両手で取り上げることのススメ 

からはじまり、1:まずスパットを見ること 2:立ち位置を毎回意識すること 3:手を握手するように振り切ること 4:左手の使い方

を教える。これだけでかなり安定する。そのあと、実戦で個別のスペアの狙い方に入り、癖が分かってきたら助走のタイミング改善と

プッシュアウェイの出し方を教える。ここまでがスムーズに出来れば、あとは投げているうちに自然と出来るようになってくる。

少なくとも、今までガターに投げ込んでばかりでいた人は滅多に溝掃除をやらなくなるだろう。そしてピンの狙い方が分かれば、

ボウリングが持っているスポーツ的な楽しさを理解してもらえるようになる。

今日レッスンした人も、どうやらボウリングの楽しさにハマってくれたようで嬉しかった。

ついでに投げていた僕は、今日はハイシリーズ675(220-220-235)で中々の調子。ビリヤードで集中力を高めた効果か。

220の二回はいずれも5フレでスペアミス(予想以上に中が先客によって伸ばされていた。判断ミス。)しているから、これが無ければ

700シリーズだったのに、と悔やまれてならない。まあ隣に入ったおじさんたちと仲良くなったから今日は良しとしよう。

前にも書いたが、ボウリングの醍醐味は、多様な年齢層、様々な所属の人と接点を持つ機会にこそある。今日も楽しかった。

 

 ちなみに、本日を持って22歳になってしまいました。20歳ぐらいまでの誕生日はメモリアルな感じがしたけれど、それを超えると

記念的な要素が突然減ってしまいますね。「やったーゾロ目だー!」と喜んでみても虚しくなるだけですし(笑)

聞くところによると立花先生は明日が誕生日だとか。明日のゼミは誕生日記念ディナー(仮)に行くため欠席するので、

立花先生お誕生日おめでとうございます、と今日のうちにここで書いておくことにします。ゼミ生の方、よろしくお伝えください。

これまでの経験や出会いを大切にしながら、新しいことにも沢山挑戦しつつ、22歳を振りかえる価値ある時間にしたいと思います。

 

Joint Security Areaのレポートを出してみた。

 

 今日はソフトボールがフットサルに変更だったので、朝は体育館へ。

雨上がりのあとの体育館は蒸し暑くて、かなり不快指数の高そうな気配が漂っていたが、

和気あいあいとフットサルとドッジボールを楽しんだ。そういえば、体育館に移動するまえに、

この授業が一緒の人から「ブログやってますよね。」と言われてビックリした。話を聞いてみると

駿台で塚原先生(リンクを貼って頂きました)の授業を受けたことがある人らしく、塚原先生のホームページから

このブログに飛んできたらしい。世界は狭い。

 三限は政治の授業だが、毎回自主休講にして自分で政治学の本を読んだり関係ない本を読んだりして休憩している。

今日はついついまた生協で本を買ってしまった。

S・ワインバーグ『宇宙創成はじめの三分間』(ちくま学芸文庫,1993)

金森修『ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか』(NHK出版,2003)

門脇俊介『フッサール 心は世界にどうつながっているのか』(NHK出版,2004)

の三冊である。NHK出版の二冊は、哲学のエッセンスシリーズの本だが、前に読んだ檜垣立哉のドゥルーズが良かったので

もっと読んでみようと思って買ってみた。ベルクソンの方はすでに半分ぐらい読んだが、半分の時点でかなり面白い。おすすめです。

書籍購入後、四限で提出するためのレポートを印刷した。「映画を見て、思ったところを800字で述べよ」という課題だったのだが、

800字でA4に書いてみたところ下半分が余ってしまい、何ともやる気のなさそうな見かけのレポートになった。

フォントを大きくするという手もあったのだが、あんまり大きいフォントは見栄えがよろしくないので、フォントは通常のまま提出。

内容的にはこんな感じ。

 

【Joint Security Areaを見て】

この映画を見て、まず最初に私は「南北が分断されていることの虚しさ」と、「それを統合することの難しさ」を感じた。

頻繁に映る板門店の境界線。こんなに北と南は近いところにあるのに、すぐ向こうも見えるのに、入ることはできない。

入れば戦争が待っている。分断線を越えた瞬間に戦争が始まる緊張感をこの映画から感じた。

(それは分断線が映るシーンだけでなく、地雷を除去するシーンにおいても顕著である。)

  

 近いのに遠くて、見えるのに入れない。

だが、共産主義と資本主義といったように、イデオロギーが全く異なる国家であっても、人間は人間なのだ。

 

映画の中にも描かれていたが、人間は美味しいものには惹かれるし、美しい女性を見てはみな声をあげて羨ましがる。

 

銃を構え、時に人を殺すことを日常とした限界状況にあっても、人間は人間らしさを持っていて、イデオロギーの違いなど

 

関係なしに同じ人間として話しあうことが出来るに違いない。ちょうどラストのモノクロの写真において、奇跡的に一枚の

 

写真に収められたあの四人の視線が同じ方向を向いているように。映画は悲しい結末に終わってしまうが、

 

Qui n'avance pas recule.

 

 朝からずっと、某所より頼まれている原稿を書いている。現在3万文字まで書いたのだが、3万字を超えたあたりで急速に

筆が進まなくなった。ついでに携帯もバグったようで、電源が入ったり切れたりする。非常に不便である。

というわけで気分転換に音楽。テンションの高いものが弾きたくなったので、映画『海の上のピアニスト』で

ジャズ勝負のシーンで主人公の相手が弾いていたThe Craveを弾く。思いっきりjazzyに崩して弾く。

テンポがin tempoだとかrubatoがどうとか、そんな事を全く無視して弾きたいように楽しく弾く。ただただ小気味いい。

テンションが上がってきたので、一か月前ぐらいから書いている曲の続きを作ってみる。今日はなぜかガンガン書ける。

一通り書けるとこまで書いて、弾いたり打ち込んだりしてみると、何かのある曲と似ているような気がしたので、それらしい

曲をCDとスコアの山から探しまくる。見つけた。なんとムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフ 第三幕第一場のalla mazurkaだ。

マイナーとは言え、ちょっと悔しいので破棄。新しくまた書いているうちに、明日の情報メディア伝達論で映画Joint Security Area

に関するレポートを提出せねばならないことを思い出し、一息に書く。なかなか良いのが書けたのでここに載せようかと思ったが、

載せたものを誰かがコピペして明日提出するようなことがあったら面白すぎるので自重する。

それにしてもレポ800字は短すぎる。8000字の聞き間違いではないかと不安になるが、あってますよね?

 

 そんなこんなで『日本の時代史17 近代の胎動』(吉川弘文館, 2003)を読了。

今からビリヤードかボウリングに行きたい気分だが、日曜日+雨のコンボでどちらも混雑しているに違いない。

明日のプロとの再戦に備え、今日はゆっくり家でドイツ語でもやろう。

Warte nie bis du Zeit hast!

  

宇宙とテキーラ・サンセット

 

 とてもいい天気だ。光と風が気持ちいい。空を見上げると雲が凄いスピードで動いている。駒場は緑が多くて好きだ。

一限の基礎演習の手伝いを終え、アフター基礎演習のため初年次教育センターへ。

質問などを受け付けつつ、合間に昨日の読書録を書いておくことにする。

昨夜はひたすらフレッド・アダムズ+グレッグ・ラフリン『宇宙のエンドゲーム』(ちくま学芸文庫,2008)を読んでいた。

ニ時間ほど読んでいると飽きてきたので、ここぞとばかりにテキーラサンセットを作ってアルコールを摂取する。

思いっきり冷やしたロングカクテルが美味しい季節になってきた。グレナデンシロップの赤色(ちょっと入れすぎた)が、本の

表紙の色と合っていて何だかとても綺麗である。

宇宙のエンドゲームとテキーラサンライズ

 

 

カラフルな表紙とお酒に合わせるべく、Motion Dive を

起動してカラーエディタが映るよう写真を撮ってみた。

『宇宙のエンドゲーム』はまだ七割ほどしか読んでいないが

文章が非常に分かりやすくて良い。セクションの見出しが

秀逸である。コラムに、高校地学でおなじみのHR図の解説

が載っていて懐かしい思いをした。

 

 

 

 

 なお、これと並行して池上嘉彦『記号論への招待』(岩波新書,1984 )を読了。この本が記号論入門の古典と呼ばれて久しいのは

知っていたが、実際に読んだことは無かった。やっと読んでみて、これはスラスラ読める本ではないなとの感想を抱いた。

書かれている内容は表題通り記号論の概説である。だが、内容が詰まっているだけに、さっと流して読める本ではない。

書かれた年代ゆえに、今の記号論で流行りの「メディアの記号分析」などは書かれていないが、記号論を手際よく、しかし

じっくりと紹介してくれる。内容にまで踏み込んだレビューは見聞伝(立花ゼミのメインサイト)の『僕らはこんな本を読んでいる』

コーナーにいずれ書くことにしよう。このブログ内で書いた本のレビューは順次あちらのコーナーへ移していくつもりだ。

 

 次の授業はマルク・ブロックを自分で読む授業。その次の金森ゼミで、今日は何を(誰を)扱うのかが楽しみである。

「その他」であるということ

 

 周りから見ていると分からないかもしれないが、進振りが迫ってきたいま、僕は真剣に進路を悩んでいる。

やりたいことが多すぎる。ずっと前から分かってはいたことだが、おそらく進振りの直前まで悩み続けることになるのだろう。

 

 だが、誤解を恐れず言ってしまえば、どこの学部に行くかというのは大した問題ではないと思っている。

「東大なんたら学科卒」という看板を外しても、社会でしっかりと生きれるような人間になりたい。

校内を歩いていると目に入る、ドリームネットというサークルが主催している交流会のポスター、自分-東大=?というキャッチコピー。

もう少し目立つようにデザインすればいいのに、と残念になるぐらい、このコピーは重要な意味を持つものだと思う。

自分から東大という名前を取ったときに何が残るか。今、たとえばここで突然東大が消滅し、自らの所属が無になるような状況が

生まれたとき、自分は何を拠り所にして生きるか。

大学という所属を持っていると、所属しているというだけで安心感が生まれる。

そして、次第にそれに依拠してしまいがちである。(五月病なんてのもその一種だと考えられるかもしれない。)

 

 予備校に所属する事もなく、自習室を借りて二浪していた時、とても貴重な経験をした。

どこにも属していなかったから、何かの証明書に記入する時には、高校生でも大学生でも社会人でも学生でもない

「その他」に丸をつけることになる。この恐怖といったら!!

宙ぶらりんの恐ろしさ、当り前のように踏んでいた足場を外されたときの言葉にしがたい恐怖。

自分は何者でもない。学んでいるわけでも働いているわけでもない単なる「その他」である。

だが、「その他」でしかないのか、と気づいたとき、「最強のその他」になろう、という目標が生まれた。

失うものは何もない。どこかを除籍されることもなければ、呼び出されることもない。誰にも何にも所属しない中でも自信を持って

自己を確立できるように、どこにも属さない貴重な時間を使って出来る限りのことをしなければならない。

ひとまず大学に所属するようになった今でも、その気持ちは変わっていない。

どこに進学するにせよ、究極的には東大が突然あした消滅したとしても、社会で逞しく生きていける人間になりたい。

 

 

数か月後の進振りで些末な事象に拘泥して道を見失ってしまわないよう、数か月後の自分に向けて書いておいた。

スポーツで人と出会う一日。

 

 昨日は看板のデザインに没頭していてブログを書く余裕が無かった。でもとりあえず完成したので良しとしよう。

画像を載せようと色々やってみたのだがなぜかエラーが出て画像が表示されない。仕方ないので文字で宣伝する。以下、宣伝。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五月祭で焼鳥を食べたくなったあなたは、【焼鳥屋とぅるてるたうべ】 にどうぞ!

一本100円でネタはネギマ・かわ・砂肝から自由に選択できます!また、味は塩とタレの二種類を用意してあります!

「ブログを読んで買いに来ました。」なんて言えば、もしかすると秘密のサービスがあるかもしれません。お楽しみに!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宣伝終わり。

というわけで是非来て下さいね。

 

 さて、今日は二限がソフトボール。暑いぐらいの日差しに涼しい風が時折吹いてきて、最高に気持ちいい天気。

こんな天気の下で運動をしてテンションが上がらないわけがない。楽しく試合をやって、連勝した。今のチームは守備も攻撃も

素晴らしく上手い。キャプテンということで、前回の試合ではあんまり打たないようにしていたのだが、みんながガンガン打っていく

中で凡退するとちょっと悲しくなるので、今日は遠慮せずに打って打点4。真芯にあててセンターに返すととても爽快な気分になる。

 

 続く三限の政治Ⅰを自主休講にしてテラスで山川出版の『新体系日本史2 法社会史』を読んだりフラ語の単語を覚えたり、

エーリヒ・クライバーとACOの『田園』(確か1953年ぐらいの録音)を聞いたりしていると、向こうから見覚えのある人がやってきた。

先ほどソフトボールで一緒だった人である。四限の授業で同じものを(かんさんじゅん)を選択していたので、一緒にかんさんじゅんを

受ける。朝鮮戦争にまつわる映画(Joint Security Area)を見た。自分では絶対レンタルしない内容の映画だ。

でもレポートを書かねばならないので、一応真剣に最後まで見る。内容はここに書き切れるものではないから書かないが、

ショットの切り替えが安易すぎて映画の価値を落としているように思えてならなかった。

 

 五限は高等動物の比較生物学。今日のテーマは、動物も痴呆症にかかるか、というもの。

前回の「毒」にまつわる話に比べてあまり面白くなかった。

ピアノで久石譲 Asian Dream Song を何回かさらったのち、ボウリングに行く。

やたら盛り上がっている団体が二組いてお互いとても楽しそう。きっと大学生だろう。

投げているうちに、横のボックスで投げていらっしゃった妙齢の女性とちょっと親しくなる。色々話をしながら9G投げ切った。

はじめて話した人なのに「また一緒に投げましょうね。」と言って頂き、社交辞令だったとしても大変嬉しい気持ちになる。

 

ついでにここに書いておこう。

僕がボウリングを続けている一番の理由は、色々な人と交流を持つことが出来て楽しいから、という理由である。

スポーツとしてボウリングをやっていると、年齢層も職業もばらばらの人と仲良くなれる。

自分と全く違う世界を生きてきた人たちの話を聞かせてもらうことが出来る。思い返せば、ボウリングをやっていたことで様々な人に

出会ってきた。大阪フィルの元奏者の方、主婦の方、左官屋さん、企業の社長さん・・・年上の人に限らず、先日にはコンパ前に

ボウリングに来ていた日本大学の一年生の集団ともl仲良くなった。このように多様な方々から教えて頂いたことや、

見せてもらったことは、到底ここに書き切れるものではない、いろんな世界があるんだなあと毎回毎回思う。

 

 ボウリングを通じて、本当に貴重な出会いをしてきたと思う。その意味では、学生連合に入って投げていた昨年は本当に不毛だった。

学生連合に入って投げる、ということは、組織に所属しているという安心感を得られるかもしれないが、色々な人と出会うという

可能性を自ら拒否することになってしまう。開かれた環境でボウリングを通じて自由に人との交流を行うことが可能な今のほうが、

よっぽど楽しい。昔、僕の師匠が

「マイボウラーとかハウスボウラーとか、そんなものはボウリングにとって関係ない。学生たちが大声で騒ぎながらやろうが、

腕に何かメカメカした装置を付けたおじさんが一生懸命投げていようが、それはどちらもボウリングだ。

ボウリングはマイボウラーのためのものではない。レジャーの楽しみ方だってあっていい。だから、レジャーボウラーにいやな顔をする

なんて論外で、レジャーボウラーたちと一緒に楽しく横のボックスで投げれるようにならなければいけない。楽しく、良い投げ方で

そして良いスコアを出していれば、注意なんかしなくてもレジャーボウラーは右側優先を守ってくれるようになる。

周囲の人との関わりを楽しみながら、とにかくボウリングを楽しめ!」

と言っていたが、まさにそういうことなんだと今になってこの言葉の意味を噛み締めている。

 

 そんなこんなで、今日はスポーツを通じて色々な人と出会う一日だった。

アイデアが湧くのをひたすら待ちつつ、色々読む。

 

 昨夜からずっと、五月祭でクラスが出す模擬店の看板デザインを考えている。

以前Fresh Start用の立看板を作ったときにも感じたことだが、ディスプレイよりも遥かに形状が大きく、そして横長のものを作ろうと

するとイメージがなかなか湧かない。バランスなどを想像しづらいのである。

それだけではなく、今回は店名が非常に難しい。「焼き鳥屋 とぅるてるたうべ」と言うのだが、この「とぅるてるたうべ」という文字が

曲線だらけで、なかなかスタイリッシュにならない。カッコよく背景を作ったとしてもその上に「とぅるてる・・・」と載せると、どうしても

脱力感に襲われてしまう。かといって、曲線を生かした可愛らしいデザインにして、ついでに端に鳥のイラストでも載せようもんなら

「焼き鳥」の字と相まって、「・・・この鳥が今から焼かれるのか。」 と妙に生々しくなってしまう。どことなく吉田戦車っぽいシュールさ。

これは困った。いっそレトロな感じにしてみようかなあ・・・。

 

 看板の締切が迫っているので詳しく内容を書く余裕が無いが、とりあえず 『古代天皇制を考える』(講談社,2001)と、

唯川恵『ベター・ハーフ』(集英社文庫,2005) 、それから『国家史』(山川出版社,2006)を読了。この三冊を並べて書くと変な感じだ。

『国家史』の第二章で「陣定」について、「注意すべきなのは下位の人から順に全員が意見を述べる慣行である。上位の高次の権力を

もつ人から発言したとすれば、下位の者は当然それに影響されるだろう。下位の参議から順に全員が判断を述べ最後に大臣が発言

する形式は、民主的な会議の運営方式であり、公卿各人の自主判断を重んじる方式である。」との一文がとても印象深かった。

 

なお、昨日の金森ゼミでネグリの生政治論について学んだことから、三年前に読んでイマイチ理解できなかった

『帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(以文社,2003)を再読しはじめた。

一年の間にフーコーとドゥルーズを集中的に読んだことで、浪人中よりはこの本を理解できるようになった気がしている。

 

 

風と陽射しの一日。 『王権を考える』(編:大津透 山川出版社 2006年)

 

今日は風がとても気持ちいい陽気だった。ただ、夕方ぐらいからちょっと風が強すぎるて自転車を漕ぐのに一苦労。

「坂道+向かい風+空気抜けたタイヤ」という奇跡のコラボレーションが出来上がってしまい、電車で行けば良かったとちょっと後悔。

 

 まず二限がハンドボール。ハンドボールは今学期から始めたのだが、なかなか面白い。

キーパーの動き方にもかなり慣れてきた。最初はサッカーでGKをやっていた時と同じ動きで動いていたのだが、

それでは不十分な対応しかできない。下からボールが浮いてくることの多いサッカーでは、ボールが上に浮いてくる力を流すように

して手のひらや指先に乗せればゴールの外に持って行ける。しかし、ハンドボールではそうにはいかない。

身長と手の長さに加えてジャンプが加わるから、自分の頭の上からボールが叩きつけられるようにしてシュートが来る。

サイドに流すことは可能なのだが、それは角度のついたシュートを処理するときにしか通用しない。上から来るシュートに対しては

自分の体に当ててはじく方法しか無いんじゃないだろうか。だからこそポジショニングが重要になってくる。幸いにしてサッカーよりも

ゴールが圧倒的に狭いから、シュートコースを切るポジショニングが比較的やりやすい。どこに立つか、をもっと意識して掴もうと思う。

 

 三限は英語二列。大して面白くはない。必修の授業とはそういうものだ。

四限は比較芸術の授業で、駒場美術館へ。矢内原忠雄の特設展を見たり、秘蔵の展覧会カタログ所蔵室に入らせてもらったり。

カタログ所蔵室はなかなか面白かったが、以前に国立新美術館のカタログ所蔵室に入らせてもらった経験があるため、

量・内容ともにやや物足りなかった。もちろん、大学の中に4000冊ものカタログが所蔵された場所があるのは凄い事だと思うのだが。

 

 授業終了後、テラスのベンチで五月祭で出す模擬店の看板デザインをラフスケッチする。

何個か案が浮かんだがどれも実現にとても手間のかかるものばかりだ。普通でいいのに、よく分からないコダワリが邪魔をする。

 

なお、本日は『王権を考える 前近代日本の天皇と権力』(編集:大津透 山川出版社 2006年) を読了。

2005年11月に開かれた史学会シンポジウムの内容を纏めたもの。様々な時代を対象に「王権」「権力」などをテーマに分析が

為されている。少し前に退官された五味文彦先生の東西王権論(今回は殆ど東の王権に関する議論だが)も読めて面白い。

なぜこのような本を読んだかと言うと、日本史の本を定期的に読むようにしていることに加え、先日紹介したマルク・ブロックの

『王の奇跡』を読んでいて、日本の王権はどうだったのか知りたくなったというのが主な理由である。

日本史を紐解いて王権を考えることは、必然的に天皇制について考えることに繋がるはずだ。

というわけで講談社の『古代天皇制を考える 日本の歴史8』も併せて手元に置くことにした。

これを読むために、長い夜を覚悟してミントジュレップを作る。

ミントジュレップは五月初旬に開かれるケンタッキー・ダービーの名物カクテルで、ミントの葉をソーダーとシュガーシロップを混ぜた中で

潰しておき、それをクラッシュドアイスを一杯に詰めたグラスにバーボンウイスキーと一緒に注いで作るカクテルである。

単純だが、とても美味しい。夏を感じる日差しになると飲みたくなる。とはいってもいちいちミントの葉を調達してなんかいられないので、

今回は既成のミントジュレップを使用した。ベースはアーリータイムズである。これを氷を入れたグラスに注いでステアするだけ。

ミントジュレップ、即席バージョン。とても美味しい。度数もそれなりに高いので、夜中の目覚ましにもなる。

 先述の本は中々読むのに難儀しそうだが、このお酒と一緒なら良い気分で読めるだろう。

 

下の画像はちょっと前に頂いた百合。つぼみだったものが綺麗に咲いた。

部屋の中が百合の良い香りで満たされていて幸せである。

頂き物の百合。とても綺麗に咲いた。

『経験を盗め』 (糸井重里 中公文庫,2007)

 

 糸井重里『経験を盗め 文化を楽しむ編』(中公文庫、2007)を読了。

随分前に買って最後のほうだけ読み忘れていたので、ドイツ語の時間に暇を見つけて読んでしまった。

日本を代表するコピーライターの糸井重里が、各分野の達人たちとその分野を巡って繰り広げた議論の様子が収録されている。

さすが「欲しいものが欲しいわ」のコピーを生み出した糸井だけあって、「経験を盗め」というタイトルも刺激的。思わず買ってしまう。

 

 この本の中で触れられているテーマは、グルメ・墓・外国・骨董・祭・作曲と詞・日記・花火・ラジオ・トイレ・豆腐・落語・水族館・喋り

などである。一見して分かるようにかなり広範囲にわたるテーマを扱っており、糸井との対談に登場する方々も多様である。

同じくコピーライターの仲畑貴志が骨董を語るかと思うと、東大先端研の教授である御厨貴が話術について語ったりする。

(まったくどうでもいいのだが、この両者を取り上げたのは「たかし」が共通しているからである。そういえば立花さんも・・・。)

全体を通じて軽妙な書き起こしで、大変読み易い。

印象に残った部分は「グルメ」についてを扱う章で里見真三が述べた言葉。

「これは私の持論ですが、上半身であれ下半身であれ、粘膜の快楽を過度に追求する者はヘンタイと呼んで然るべきです。」

次に、「花火」についてを扱う章で冴木一馬が述べる

「日本の花火は三河地帯が発祥とされています。中国人が作った花火を最初に見たのが徳川家康で、一緒にいた砲術隊が家康の

生誕地である三河に技術を持ち帰って伝えた、と。当時、火薬は砲術隊、鉄砲屋しか扱えなかった。ところが徳川政権が安定してくると

戦争がないから鉄砲が売れない。それで鉄砲屋が花火屋に移行していったようです。」

という言葉。

そして「豆腐」についてを扱う章で吉田よし子が述べる

「ちなみに穀類プラスその二割の量の豆を食べるだけで、全必須アミノ酸をバランスよく摂ることができるんですよ。

人類は、穀類と豆の組み合わせで生き延びてきたと言ってもいい。」

などだろう。「落語」を扱う章には先日行ってきた新宿の末広亭の名前が挙がっており、何となく嬉しくなった。

あと、御厨さんが登場する章では、御厨さんの様子を御厨ゼミに所属しているS君から時々聞いているので、

それと重ね合わせて読むと妙に面白く思えてしまった。 (読後すぐにS君に本書を紹介した。)

さらっと読める割に、内容がしっかりある良い本だと思います。

 

楽器トライアスロン、『戦争を読む』(加藤陽子 勁草書房,2007)

 

 火曜日は基本的に、楽器の練習に一日を捧げることにしている。

今日もその例に漏れず、いくつか授業を受けてからは音楽に没頭する一日だった。

まず、ピアノでパガニーニ変奏曲を弾く。

といっても難しすぎて中々指が回らないので、第一変奏、第二変奏、第三変奏・・・と区切って片手ずつ弾く。

最初はゆっくりと、それから段々早く。うーむ、難しい。作曲者ファジル・サイの演奏をYoutubeで見る事が出来るのだが、

とんでもないスピードで弾いている。確かに、この曲をフルに活かすにはサイぐらいのスピードで弾かねばならないだろう。

第一変奏が速いからこそ、第二変奏以降との対比が際立つのだ。とはいえ、そんなテクニックは僕に無い。

ひとまず七割ぐらいのスピードで確実に弾けるように練習していく。

今日はサイの半分ぐらいのスピードで最後まで弾き、ラストの和音8連打だけは本来の速さで叩いて満足した(笑)

少し休憩して、Hさんに貰ったモーツァルトのロンド(フルートとピアノのためにランパルがアレンジしたもの)の楽譜を広げる。

まずはピアノで、それからフルートに持ち替えて最後まで通して吹く。フルートを吹くのは久しぶりだったので、高音が時折ぶれる。

何度かやっているとかなり落ち着いてきた。ここでまたピアノに変えて伴奏部分を弾く。さきほどよりテンポ感がかなりマシになった。

 

次にバイオリンでCoriolan序曲の1st部分を適当に弾く。

Coriolanの総譜。浪人中から愛読?しているため、もはやボロボロである。珈琲までこぼしてしまった。ベートーヴェン様ごめんなさい。

Coriolan 23小節目から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲には静と動の激烈な対比が描かれている。が、技術的には難しくないので、僕のような初心者が練習するにはもってこいだ。

50小節目までと52小節目以降の劇的な変化はいつ聴いてもゾクっとする。

102小節目以降や134小節目以降のテンポは指揮者によって解釈が大きく異なるが、僕は速いテンポの演奏が好きだ。

焦燥や不安に煽られているような感じがこの曲には相応しいと思う。ドキドキして進むからこそスフォルツァンドが効果的に聞こえる。

前のめりになるように走り抜け、時に心臓を掴まれるようなスフォルツァンド、そしてまた音量を落として駆けだす。

声を失ったかのような一瞬のゲネラルパウゼの後、叫ぶようなフォルティッシモ。最後は静かに、息を引き取るように終わる。

自分で弾いていると下手さ加減に呆れてくるが、楽器を離してスコアを見ていると本当に手に汗が滲んでくる。

どうやったらこんな曲が書けるのか。天才としか言いようがない。

 

 

 片付けなど溜まっていた雑事をこなし、読書タイム。

加藤陽子『戦争を読む』(勁草書房、2007)を読了。立花隆の『僕はこんな本を読んできた』のジャンルを特化したような本だ。

細谷雄一の『大英帝国の外交官』を紹介するくだりで、 

 

「・・・どれも珠玉。バカラのグラスを用意する。大きな氷塊を一つ入れ、とっておきのウィスキーを注ぎ、一二回半撹拌し、

ベッドへゴー。読書灯をつけ、一日一章ずつ読む。ああ至福、極楽。」

 

と書かれていたので、僕も同じ事をやろうと思ってCHIVAS REGAL12年を引っ張ってきた。

バカラのグラスなんて持っているはずもないので適当なタンブラーで代用。大きな氷塊も無いので普通の氷。

よく考えたらベッドも読書灯も我が家には無いので、布団を敷いて蛍光灯を一段暗くして本を広げる。

いささか怪しい状況である。文章化するなら、

 

「適当なタンブラーを用意する。100均で買った製氷器で作ったごくごく普通の氷を入れ、日常的に飲むウィスキーを注ぎ、

なぜか家にあるバースプーンで撹拌し、布団を敷く。蛍光灯の灯りを一段階落とし、わざわざ読みづらい中でガシガシ読む。

正直、布団で読む必要が感じられない。」

 

・・・あまりリッチな光景ではない。

 

 まあそんなことはいい。読んでいて興味を惹かれたのは、「川奈提案」というものについて。川奈提案とは、

98年4月、橋本首相がエリツィン大統領に対して行った北方領土問題解決と平和条約締結に向けた秘密提案のことである。

 

この内容はいまだ機密扱いだそうで、大変気になった。プーチンが来日ついでにバラしてくれないかなあ。

 

面白かったのは「本はともだち」と題された第三章である。

それぞれの本屋の様子が目に浮かんでくるようで、本の紹介と一緒にスイスイ読ませて貰った。

この本に挙がっている坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』は、本屋に並んでいるのを見るばかりで読んだ事は無かったので、

この機会にAmazonで注文した。合わせて金森先生に勧められたArendt ”The Human Conditon” も注文。

洋書なので相当の値段を覚悟していたが、意外に手に入れやすい価格で安心した。