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Bruckner Sym No.5 とFF V

 

 今日は家に籠っていた。

珍しく何の予定も無かったので、全部聴き通すのに一時間半ぐらいかかる大曲、Bruckner の5番を聴きつつドイツ語を勉強する。

演奏はチェリビダッケとミュンヘンフィル、1986年10月22日のサントリーホールでのライヴ録音だ。

この盤には一際思い入れがある。手に取ったのは一浪目の冬、センターの少し前。このCDによって初めてブルックナーの

素晴らしさを理解することが出来た。聴き終わった瞬間に放心状態になって、一時間ぐらい座ったままぼーっとしていた。

感動を通り越して呆然とした。とんでもなく大きな建築、とてつもない広さ、圧倒的な重量感。

この曲を「大伽藍」と表現する評論家がいるそうだが、なるほどその通りだと思う。これは一つの曲どころか、もはや一つの世界だ。

一楽章の出だしは何回聞いても震えるし、二楽章の平穏さは、「天国があるとしたらこんな風景ではないだろうか」と思わせるほど。

広くて穏やかな世界に神々しい静けさが流れている。時折入ってくるフルートは平原に咲く花のようで、低弦の三連pizzに乗って

流れる旋律は悠久の時間、大河のようだ。だが、そのような楽園は三楽章で破壊される。足場が崩れていき、世界が崩壊する。

そしてまた、世界が再構成されてゆく。(本盤ではこの三楽章で、チェリビダッケの気合の籠った掛声「ティー!」を聴くことが出来る。)

四楽章は圧巻。言葉を失う。響き渡るコラールは、遥か高みから今まさに作り上げた世界を見渡すようだ。

この曲にあるのは一種の天地創造に他ならない。90分があっという間に過ぎ去っていった。

 

 夕方、ドイツ語に疲れてネットサーフィンをしつつ、久し振りにニコ動にアクセスした。

適当に検索をかけていると、偶然「 植松伸夫&すぎやまこういち 」なる動画に出くわす。何でも両者のゲーム音楽(FF VS DQ)の

聴き比べをやる動画だそうで、面白そうだと思ったので再生してみた。

・・・これは懐かしい!!再生時間一時間弱の超ロングムービーだったのに最後まで見て(聞いて)しまった。

FFもドラクエも最初期作から2005年度ぐらいまでのやつは全部やっているだけに(実は結構ゲーマーなのです。たけしの挑戦状も

三回ぐらいクリアしました。)一つ一つの曲に思い入れがある。中でも、FFのスーファミ期(4・5・6)あたりは中学生の頃に何度も

繰り返してプレイしたし、サウンドトラックからピアノコレクション、果ては楽譜に至るまで持っている。何度やっても飽きなかったし、

何度聞いても飽きなかった。それだけに植松さんの音楽は、クラシックと並んで今の僕の音楽観に影響を与えている。

何年か前、高校のイベントのために書いた曲をいま聴き返してみると植松さんのマネが明らかすぎてちょっと恥ずかしくなるぐらいだ。

今回この動画を見るにあたって、植松さんとすぎやまこういち氏の違いを意識しながら聞いてみた。

 

 違いをコピー風に書くならば、「時間の植松、奥行きのすぎやま」ということになるだろうか。両者の違いが最も出るのは戦闘曲だ。

植松さんには、前のめりになるようなリズム感がある。手に汗握るようなテンポ。ベース、ドラムなど、リズム隊の使い方が上手い。

主旋律は短いパッセージを変奏曲っぽく組み合わせ、変奏の変わり目では音数を少なくすることで「聴かせる」=「印象に残す」

技術が際立っている。ループのつなぎ方も上手い。FF6のラストバトル曲、「妖星乱舞」でワンループの最後にケフカの笑い声を

重ね、そこにドラムを出して先頭に繋ぐ技術なんかは神がかっていると思う。

一方、すぎやまこういち氏の音楽には奥行きを感じるが、ハラハラするバトルっぽさは無い。鳥肌は立っても手に汗は握らない。

金管のパッセージが複雑だったり、主題が長すぎたりで、バトル曲のような短ループでは氏の持ち味が出ていないように感じる。

メインテーマの変奏をバトル曲に取り込んでくる技術などは上手いと思うが、氏の音楽ではバトル曲よりもフィールド曲の方が好きだ。

植松さんのように内向きに、一点に集中するようなトランス的快感(これがバトル曲の特徴だと思う)ではなく、パーッと外側に広がって

いくような大きな音楽になると、すぎやま氏の本領発揮だ。DQ8の名曲、「おおぞらをとぶ」などが分かりやすいだろう。

オーケストレーションが生える曲では、すぎやま氏の音楽は本当に素晴らしい。

 

 メインテーマはいずれも国宝。ゲーム音楽が生んだ不滅の名曲だと思う。

DQのテーマにはワーグナーの「マイスタージンガー前奏曲」やエルガーの「威風堂々」のような雰囲気があり、対するFFのテーマに

ブラームスの一番のような雰囲気がある。どちらも甲乙つけがたい。とにかく良い動画なので、是非検索してみてください。

 

FF5のビックブリッジを久しぶりに聞いたら(ギルガメッシュが出てくるシーンがスクリーンショットで合わさっていた)

FF5がやりたくなった。舟の墓場で敵にケアルをかけまくってくることにしよう。ガラフ最高。

 

休日の過ごし方

あさ、ふとつけたラジオ。
流れてきた曲がウェーバーの魔弾の射手序曲であることに気づき、嬉しくなる。
聞くうちに、「ああ、これはきっとカルロス・クライバーの演奏だな」と何となく感じる。
煽るようなリズム、主旋律と低弦のドラマティックな扱い方。
聴き進めるうちに何となくが確信に変わり、果たしてラジオは彼の名前をアナウンスする。
嬉しくて朝からテンションが上がった。続いて流れたのはシノーポリのシューマン二番。
それにしても、いったい誰のセレクトなんだ?と思いつつラジオに耳を傾けるうちに、
この番組が黒田恭一の追悼記念だったことを知った。御冥福をお祈り致します。

 ひる、駒場の某所にてゼミの企画会議。
立花ゼミの企画会議は、どこまでが会議でどこからが雑談なのかが分からない。
雑談の中から突然企画やアイデアが生まれる。頭の片隅にテーマを置きながら、みんなと雑談しつつ
雑談が化学反応を起こす瞬間を待つ。このブレインストーミング的な感じ、僕は好きだ。

 
よる、下クラと下北沢にてビリヤード。
前回教えたメンバーはもう何もアドバイスせずともガンガンゲームを楽しんでいるので、
今日がはじめてという数人に集中的に基本を教える。みな呑み込みが早いので教えていて楽しい。
ビリヤードは最初が肝心な競技だ。最初に変な癖がついてしまうと上達が遅れる。だが、最初にしっかりと
ブリッジの作り方やスウィングの基本を教えてもらいさえすれば、それなりの所まですぐに上手くなると思う。
そして実戦の中でイマジナリーボールやクッションシステム、ひねりなどを身に付けていくと、
もうビリヤードの楽しみから抜け出せなくなる。
ビリヤードは年齢や性別を超えて同等に楽しめるゲームなので、今後、ビリヤードが下クラ(と上クラ)の良い
コミュニケーションの機会になればいいなと思っている。下クラのビリ研と上クラのビリ研で勝負をする日が楽しみだ。

楽器トライアスロン、『戦争を読む』(加藤陽子 勁草書房,2007)

 

 火曜日は基本的に、楽器の練習に一日を捧げることにしている。

今日もその例に漏れず、いくつか授業を受けてからは音楽に没頭する一日だった。

まず、ピアノでパガニーニ変奏曲を弾く。

といっても難しすぎて中々指が回らないので、第一変奏、第二変奏、第三変奏・・・と区切って片手ずつ弾く。

最初はゆっくりと、それから段々早く。うーむ、難しい。作曲者ファジル・サイの演奏をYoutubeで見る事が出来るのだが、

とんでもないスピードで弾いている。確かに、この曲をフルに活かすにはサイぐらいのスピードで弾かねばならないだろう。

第一変奏が速いからこそ、第二変奏以降との対比が際立つのだ。とはいえ、そんなテクニックは僕に無い。

ひとまず七割ぐらいのスピードで確実に弾けるように練習していく。

今日はサイの半分ぐらいのスピードで最後まで弾き、ラストの和音8連打だけは本来の速さで叩いて満足した(笑)

少し休憩して、Hさんに貰ったモーツァルトのロンド(フルートとピアノのためにランパルがアレンジしたもの)の楽譜を広げる。

まずはピアノで、それからフルートに持ち替えて最後まで通して吹く。フルートを吹くのは久しぶりだったので、高音が時折ぶれる。

何度かやっているとかなり落ち着いてきた。ここでまたピアノに変えて伴奏部分を弾く。さきほどよりテンポ感がかなりマシになった。

 

次にバイオリンでCoriolan序曲の1st部分を適当に弾く。

Coriolanの総譜。浪人中から愛読?しているため、もはやボロボロである。珈琲までこぼしてしまった。ベートーヴェン様ごめんなさい。

Coriolan 23小節目から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲には静と動の激烈な対比が描かれている。が、技術的には難しくないので、僕のような初心者が練習するにはもってこいだ。

50小節目までと52小節目以降の劇的な変化はいつ聴いてもゾクっとする。

102小節目以降や134小節目以降のテンポは指揮者によって解釈が大きく異なるが、僕は速いテンポの演奏が好きだ。

焦燥や不安に煽られているような感じがこの曲には相応しいと思う。ドキドキして進むからこそスフォルツァンドが効果的に聞こえる。

前のめりになるように走り抜け、時に心臓を掴まれるようなスフォルツァンド、そしてまた音量を落として駆けだす。

声を失ったかのような一瞬のゲネラルパウゼの後、叫ぶようなフォルティッシモ。最後は静かに、息を引き取るように終わる。

自分で弾いていると下手さ加減に呆れてくるが、楽器を離してスコアを見ていると本当に手に汗が滲んでくる。

どうやったらこんな曲が書けるのか。天才としか言いようがない。

 

 

 片付けなど溜まっていた雑事をこなし、読書タイム。

加藤陽子『戦争を読む』(勁草書房、2007)を読了。立花隆の『僕はこんな本を読んできた』のジャンルを特化したような本だ。

細谷雄一の『大英帝国の外交官』を紹介するくだりで、 

 

「・・・どれも珠玉。バカラのグラスを用意する。大きな氷塊を一つ入れ、とっておきのウィスキーを注ぎ、一二回半撹拌し、

ベッドへゴー。読書灯をつけ、一日一章ずつ読む。ああ至福、極楽。」

 

と書かれていたので、僕も同じ事をやろうと思ってCHIVAS REGAL12年を引っ張ってきた。

バカラのグラスなんて持っているはずもないので適当なタンブラーで代用。大きな氷塊も無いので普通の氷。

よく考えたらベッドも読書灯も我が家には無いので、布団を敷いて蛍光灯を一段暗くして本を広げる。

いささか怪しい状況である。文章化するなら、

 

「適当なタンブラーを用意する。100均で買った製氷器で作ったごくごく普通の氷を入れ、日常的に飲むウィスキーを注ぎ、

なぜか家にあるバースプーンで撹拌し、布団を敷く。蛍光灯の灯りを一段階落とし、わざわざ読みづらい中でガシガシ読む。

正直、布団で読む必要が感じられない。」

 

・・・あまりリッチな光景ではない。

 

 まあそんなことはいい。読んでいて興味を惹かれたのは、「川奈提案」というものについて。川奈提案とは、

98年4月、橋本首相がエリツィン大統領に対して行った北方領土問題解決と平和条約締結に向けた秘密提案のことである。

 

この内容はいまだ機密扱いだそうで、大変気になった。プーチンが来日ついでにバラしてくれないかなあ。

 

面白かったのは「本はともだち」と題された第三章である。

それぞれの本屋の様子が目に浮かんでくるようで、本の紹介と一緒にスイスイ読ませて貰った。

この本に挙がっている坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』は、本屋に並んでいるのを見るばかりで読んだ事は無かったので、

この機会にAmazonで注文した。合わせて金森先生に勧められたArendt ”The Human Conditon” も注文。

洋書なので相当の値段を覚悟していたが、意外に手に入れやすい価格で安心した。