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輝く原点、子供の情景

 

 

昨夜の後輩のレッスンで、久しぶりにシューマンの「子供の情景」を聞いた。

「子供の情景」は我々の指揮法教室で必ず経験する曲で、ここからようやく「音楽」することを教わるといっても過言ではないだろう。

それだけにこの曲集は特別なのだ。僕が教わったときもそうだったけれど、指揮という芸術はこんなことが出来るのか、と感動せざるを得ない。

87歳となった師がこの曲をどう教えるのか出来るだけ近いところで見ていたくて、師の横で譜めくりをしながらレッスンを見ていた。

 

最初から最後まで、溢れてくる涙を止めるのに必死だった。

あと何回、師の指揮するこの音楽を聞く事が出来るのだろう。第一曲目のVon fremden Ländern und Menschen(見知らぬ国々と人々について)を

振りながら、「目にするもの全てが見知らぬもの、目新しいもの。そんな地に足を踏み入れた子供はどう思う?」と語る師を、あるいは

第二曲目のKuriose Geschichte(珍しいお話)で「君の振っている音楽だと珍しくないねえ。もっと珍しくしてごらんよ」と笑う師を、あと何度見る事が出来るのだろう。

そして第四曲目のBittendes Kind(おねだり)を愛おしそうに紡いで行く皺の刻まれた師の大きな手。

音が包まれていくように、あるべき場所にあるべきスピードと情緒でふわりと到着するのを霞む目で見ながら、今まで過ごして来た時間を振り返った。

 

この曲集を教わってからもう三年が経つ。

ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク…たくさんの曲を、そして巨大な曲を振るようになるにつれ、

自分の手から溢れてしまう苦しさや、リハーサルで上手く音楽を作れなかった悔しさを味わった。

どうして僕は指揮をしているのだろう、と自問したことも何度もあった。

けれどもやはり。音楽を、指揮をすることは感動的で、楽しくて、温かい。

指揮という営みの楽しさと限りない可能性。「子供の情景」は、そのことを痛切に味合わせてくれる。

 

おそらく何十年先になっても、子供の情景は僕にとって立ち返るべき原点としてあり続けるだろう。

棒の一振りで音楽が息づき、色とりどりの宝石のように輝き始める。

夢見るようなロマンを湛えて詩人が語る。

全てはここから始まったし、全てはここにあった。

 

 

学問の師に出会う/大学院へ

 

この人にずっと教わりたい、という「師匠」のような存在に、学問でも音楽でもスポーツでも巡り会う事が出来たというのは

たぶんこれ以上ない幸せなのだろうと思う。それはただ技量や実力を盗みたくて側にいようと思う存在のことではない。

知性や感性はもちろん、佇まいから趣味まで含めて、感動し、憧れる存在のことだ。

スポーツ(ボウリング)の師に僕は17歳で巡り会った。そして音楽の師に22歳で巡り会った。

そしていま、理性と直感の二つで「この人だ!」と思えるような学問上の師に、学部時代の最後になって出会うことが出来た。

だから僕は、働くことを少し後回しにして、大学院へと進学する事を決めた。

 

学部時代の所属である東京大学の教養学部地域文化研究学科フランス分科は卒論をフランス語で書かねばならないという

非常にハードな場所だったけれど、そこで得たものは大きく、また適度に放し飼いにしてくれる姿勢が僕に取っては居心地が良いものだった。

けれどもあえてその場所を飛び出し、巡り会った先生がいらっしゃる東京大学大学院の比較文学比較文化専攻へと歩みを移そうと試みた。

(ちなみに、尊敬する学者であり、フランス科へ進学することを決定づけた金森修先生は

同じくフランス科から大学院で比較文化へと進学されている。はからずもこうして偉大な先生の跡を辿ることになった。)

 

今日ようやく合格発表を終えた。そうして、正式にこの大学院進学が決定した。

きちんとした名称は東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻比較文学比較文化分野。

長すぎて覚えられないほどだが、とにかく春からもまた相変わらず駒場で勉強する事になった。

専門は19世紀末周辺の比較芸術、あるいはフランスを中心とした文化史ということになるだろう。

卒論でも取り組んだ「光」を切り口に、世紀末の音楽や絵画、文学や詩を比較横断して、ある種の感性史に取り組む。

指揮活動(ある意味で比較芸術そのもの!)とも連続性を持てる研究領域なので、学問と音楽とを上手く触発させていきたい。

そして、長く駒場にいるからこそ、駒場という場所を充実させていきたいと思う。

 

蛇足かもしれないが今の一つの夢を書き残しておこう。

それは緑豊かな駒場キャンパスで、解説や論考と共に、曲のもとになったハルトマンの絵を展示しつつ、

ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲の「展覧会の絵」を演奏することだ。

音楽と絵画が響きあって生まれるイマージュの交感の探求と実践!

 

 

 

 

音楽は天を穿つ

 

東北で指揮させて頂いたオーケストラから再びお声をかけて頂いて、3月の東京チャリティーコンサートでまたご一緒させて頂くことになった。

100人近くいらっしゃるオーケストラを振ったのはこれが初めて。普段指揮しているドミナント室内管弦楽団(最大でも5プルト)とのサイズの違いに少し戸惑う。

指揮者用の椅子に座って、金管楽器の方々が随分遠くにいるものだなあと驚いた。

人数の問題ではないが、これだけ多くの人たちの時間や身体を預かっているのだな、と思うと改めて身が引き締まる思いがした。

至らない所も沢山あったと思うけど、その都度その都度出来る限りのことを濃密にしたい。大きな編成も受け止められるように視野と懐を広くしよう。

 
Sound of Musicメドレーの最終曲を振りながら、指揮という営みに関わる事が出来て良かったなと思うと同時に、

ボードレールの「音楽は天を穿つ」(La Musique creuse le ciel)という言葉がよぎった。

例えばG線の深い音が手元に膨れ上がって来るあのコーダを指揮している時よりも、あるいはブラジル風バッハ第四番の

音に感情が宿って凝縮し抜けてゆく「あの」瞬間よりも幸せな時間があるだろうか。

今まで生きてきた時間は短いものだとは言え、25歳の僕は、それ以上に幸せで心震える時間をまだ知らない。

 

二月がはじまる。

天を穿つような音楽を引き出せることを目指して、また虚心に学ぶのみ。

 

 

 

 

蠟燭の焔

ガストン・バシュラールの『蠟燭の焔』の原書を入手し、読み進める。

バシュラールは僕の中で「超人」的存在で、その全方向に走る知性に驚嘆と憧れを抱いてやまない。

それにしても何と美しい文章だろう。焔とclignoterという語の関係(「clignoterという語は、フランス語の中で最も震えている語のひとつである」)

を記した一節の後が突き刺さる。

 

「ああ!こうした夢想は果てしない。それは己の夢想の中に迷い込んでしまった哲学者のペンの下からしか生まれ得ないものだ。」

« Ah! ces rêveries vont trop loin. Elles ne peuvent naître que sous la plume d’un philosophe perdu dans ses songes. »

Gaston Bachelard, La flamme d’une chandelle, Presses Universitaires de France 1961, p.43

 

 

バシュラールは郵便局員として働いたのち、物理と化学を教え、ついには哲学のアグレガシオンまで取得してしまう。

そしていわゆる科学哲学、認識論を研究し続け、或る時から「詩学」の研究へと移っていく。(決して、「転向した」とは思わない)

そのほとんど最後の著作が、この『蠟燭の焔』(La flamme d’une chandelle)である。

出版されたのは1961年、死の前年だ。垂直に立ち上る火のポエジーを孤独に描きながら、バシュラールはどういう気持ちでいたのだろうか。

 

 

「語の夢想家である私にとっては、アンプルなどという語は吹き出したくなるようなものである。電球は所有形容詞をつけて呼ぶに十分なほど親しいものとは決してなりえない。

… 電灯は、油で光を作り出していたあの生きたランプの夢想をわれわれにあたえることはけっしてないだろう。われわれは管理を受けている光の時代に入ったのだ。」

 

« Ceux qui ont vécu dans l’autre siècle disent le mot lampe avec d’autres lèvres que les lèvres [...]

砂原伽音さんのバレエレッスン

 

モスクワで学び、日本をはじめ世界で活躍するバレリーナ、砂原さんのバレエレッスンを見学させて頂きました。

砂原さんとは僕が指揮した「ブラジル風バッハ四番」を聞いて下さった(そして、なんとそれに振り付けを付けて下さった!)ことから

知り合いました。人の縁とは本当に不思議なものだと思わずにはいられません。

 

そして夕食をご一緒させて頂いた際に、11月25日の駒場祭にてチェロ・オーケストラで「ブラジル風バッハ一番」をやります、とお伝えしたところ

そのリハーサルの見学に砂原さんが来て下さり、こんな感想を下さいました。

 

木許さんの音で、ブラジル風バッハのリハーサルを聴いてきた。惚れてしまって、振付してしまったほどに、だいすきな曲。思わず涙が…。リハーサルでこんなにも生き生きと演奏できるのは指揮者が持っている魅力にあるのか、奏者全員が指揮者を信じて、彼の動きや表情を見て、奏者は揃えて音を出していて…。バレエのリハ(コールドの場合)では、このようなモチベーションでいられるのはありえないので新鮮だったし素敵だった。指揮者の指示ひとつひとつに反抗せず、自分への貴重な言葉だと受け止めて、指揮者を納得させてやる!では無く、良い音を出したいという気持ちで、心からの音を出す奏者達は素敵だった。

 

駆け出しながらも指揮者としてこのような感想を頂けるのはこれ以上無い幸せの一つで、

苦しいことは沢山あれど、これからも頑張って音楽と向き合っていこうと身が引き締まる思いをしました。

 

では僕は、バレエから、砂原さんのバレエレッスンから何を学ぶ事が出来るか。

バレエの曲をいくつかレッスンで見て頂いたことはありますが、バレエの実際の所については恥ずかしながら全くの無知。

けれども指揮とバレエに共通点が沢山あるだろうという予感は以前から抱いていたため、限りなくワクワクしながらスタジオに向かい、

いざレッスンが始まると夢中になってメモを取っていました。

 

 

まず全体に思ったのは、バレエは「合理的で自然な美」だということ。

一つ一つの動きが計算されていて、観客の視線を受け止めるに耐えうる美の強度が目指されている。

肩甲骨、背面、アキレス腱、指の先(指を見よ!と何度も指導されていました)、足指の人差し指の側面…

軸から先端に至るまで、身体の隅々まで意識が巡らされています。

このように書くと何だか「ややこしい」もののように思えてしまいますが、砂原さんがお手本を見せて下さるとそれが自然で、

この手は・この指先はここに無ければならないという納得や確信を与えてくれる。

指揮の師匠がいつもおっしゃる「技術を忘れた所に本物が宿る」という言葉と同じものを見た気がしました。

 

 

何より、バレエは佇まいと軌道が美しい。

肩甲骨を洗濯バサミで引っ張られるように/内股の筋肉を合わせてその軌道を通るように/骨盤を呼吸させよ/と指導されていたのが印象的でしたが、

そうしたイメージによって身体を構築しながら、先端だけで動かすのではなく、付け根から動かしにかかることが大切にされていたように思います。

動きの中には確かな「アクセント」があって、全てをがしゃがしゃと動かすのではなく、固定すべきところを固定し、動く所を限定して「魅せる」。

くるりと回る「ピルエット」を間近で見たのは初めてだったのですが、まるで風に吹かれたように回るその動きは、

軸がぶれずに動きの中で動かない場所が明確であったという点で美しいもので、

自分の軸を中心とした円空間が「支配している領域」として可視化されるような錯覚を覚えました。

身体を回したときや足を大きく回したときの軌道はもちろん、残像すら美しい。

次々と展開される動きに、過ぎ去った軌道の残像がオーバーラップする。

過去と現在(そして未来)が眼前で交錯して行くその鮮やかさに息を呑みます。

 

一方で、動の中に静を取り入れることと並行して、静の中に動を含ませることの必要を感じました。

たとえば「アラベスク」のようにピタリと「静止」した姿勢にあっても、静止の要素が入り込みすぎるとダメで、

静止の中でも次の動きへの予感が含まれていないと動きが死んでしまう。

脱力の中で「動性を静性の中に混じらせる」=「静の中に動を予感させる」というのは

今年の七月から今に至るまで、指揮する上で意識していることでもあったので、とりわけ興味深いものがありました。

 

そしてまた、「滑らかな時間」がその動きの中に混じっている事も発見しました。

「滑らかな時間」というのは、フランスの哲学者・ドゥルーズや作曲家・指揮者のブーレーズが使っている言葉で、

個人的に共感出来るところが多く、(少し変形してしまっているとは思いますが)音楽やスポーツをやる際には僕も好んでこの言葉を使っています。

簡単に纏めてしまえば、拍通り・メトロノーム通りの時間(=「条理の刻まれた時間」)に対してパーソナルな時間のことで、

規則正しく流れている時間からの逸脱だと言えます。逸脱ではあるがしかし、拍通りの時間の中でこの逸脱を展開することによって「自然な」伸縮が生まれる。

本来無いはずの「一瞬」を生成し、掴み、異なる時間を定められた枠の中で展開させることによって、

「いまのは何だったのか?」という、宙づりにされたような感覚が生じるのです。

プリエで生んだ時間・空間を使ってピルエットを仕掛けるところはまさにそういう瞬間で、

いち、にい、さん。という規則正しい時間の中にいくつもの速度や時間感覚が含まれていました。

 

 

帰り道、丁寧に子供達を指導し、時々お手本を見せて下さる様子を思い出しながら、

そういえば砂原さんがお手本を見せて下さる時には身体の「重さ」を感じなかったなと気付きます。

しっかりと足は地についているのに、重さを感じない。重力を使いつつ重力から自由で、

この瞬間に地面が消えたとしてもそのままふわりと浮いてしまいそうな鳥のような軽さ……。

それはとても不思議で、美しい時間でした。

 

 

空を見上げたくなるような秋晴れの一日、バレエという芸術の面白さと共に、

異なる芸術から学び・比較し・重ね合わせ・応用する楽しみをまた一つ味わいました。

お誘い頂いたことに心から感謝します。砂原さん、本当にありがとう。これからもご活躍を!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再現ではなく生成を。

 

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」のレッスンを終えたあと、師匠がこうおっしゃった。

「最近、癖が出てきたな。」

 

癖。誰よりも癖が出ないように、基礎に忠実であろうと学んで来たのに、どこで付いたのだろう。

そして、癖とは具体的にどういうことを指しているのだろう。

映像を見れば自身の動きにいくつか思い当たるところはある。そういったことなのだろうか。

けれども、「成長するための過渡期なのだと思うけど、色々やりすぎているんだな。」

という帰り際に重ねて頂いた言葉を考えると、そういう「動き」だけの問題ではないような気もしてくる。

「癖」という言葉に師匠が託したものは何か。注意して下さった真意は何か。

その言葉が数日間ずっと離れなくて、考え続けていた。

 

 

招待して頂いたある演奏会 — チャイコフスキーの第六交響曲「悲愴」— を聞いている時に、突然その答えを見つけた気がする。

ああ、そうか。僕は音楽を少しだけ(ほんの少しだけ)動かせるようになったから、強引に動かそうとしていたのかもしれない。

ここはこうやる。ここでツメる、先へ送る。そして全体はこうなる。

そんなふうに、全体の見通し=フォルムを作ろうと考えて、細部まで「こう表現するぞ」と決めすぎていたのではないか。

そしてまた、昨年にレッスンで見て頂き、また本番でも指揮した「ブラジル風バッハ一番」を

昨年やった演奏、教わった事柄を実行するよう、過去を再現するかのごとく指揮していたのではないか。

おかしい、去年はもっと動いたのに今日は動かない。ならば動かしにかかろう。

そういうふうに、「いま/ここ」の流れを無視し、自らの気持ちばかりが先行して意固地になっていたのではないか。

 

 

音楽はそれでは動かない。

なぜなら、音楽は生身の人間の営みだからだ。恋愛と同じく、一方的に求めるばかりでは相手は離れて行く。共に生きなければならない。

convivialitéという言葉を思い出す。「共に生きる/楽しみを共有する」という意味を持つこの言葉は、

convive(会食者)という単語に由来する。「会食」— それはすなわち、一人が持って来た出来合いのお弁当を広げて配っていくのではない。

その場でその会のために料理されたものがテーブルを彩る。

そして、その日集まったメンバーとしか成立し得ない会話を楽しみながら、共に食卓を囲むのだ。

 

 

同じように、今日には今日の、今には今の演奏の形がある。

考えることと感じることが別物であるように、感じてくる事とその場で感じることは全く違う。

過去を再現するのではない。何度も演奏した曲であっても、その場で、新しく、無から創造するのだ。

あの日の僕は過去に生きていた。今という瞬間を無視して、死んだ音楽をしようとしていた。

 

 

「もっとリードしなきゃだめだ。笑顔でいるだけではだめなんだ」

それは六月のコンサートを終えて学んだことだったけれども、何もかもリードする必要なんてないし、出来る訳もない。

気持ちばかりが先走り、「違うんだ、違うんだ!」と満たされない思いを繰り返す。

頭の中で鳴っている形に寄せようとエネルギーを使い、夜を昼に変えることを目論むかのごとく -19世紀末のパリ!-隈無く照らし出そうとする。

そういうふうな、右へ崩れて行く波に左向きに乗って行くような真似はやめよう。欲を捨て、自然に帰れ。

色々しようと思うあまり、不自然な要素がいつしか自身の内に混入していた。

ブラジル風バッハを誰よりも愛奏した師が、「癖」というその短い言葉の内に含めたものは、こうした事ではなかったか。

 

 

演奏者は白紙じゃない。何時いかなる時においても、どうやりたいか、どう弾きたいかという意志をそれぞれ持っている。

スタートのエネルギーを与えるのは確かに指揮者の役目だ。

その後は、いま奏でられた音に潜む方向性を共有して、自然な流れに招いて/誘っていかなければならない。

表現したい要素が増えたからこそ、任せるところは上手く任せられるようになろう。その場で響いた音に柔軟であろう。

 

 

銘記せよ。ある種の自由さ、そして無から生成する躍動がなければ音楽は死ぬ。

そうした要素のことをこう言い換えても、遠く離れてはいないはずだ。

「一回性」— ヴァルター・ベンヤミンの言う「アウラ」— と。

 

 

 

 

 

最近の頭の中

 

卒論を書いています。

技術と芸術の触発関係に興味があったことから、卒論では「光」という技術に着目して、とりわけ「人工光」の発展が

社会にどのような影響を与えたのかを研究しています。時代は1855年から1937年のフランス、パリ。問題意識は以下の二つです。

 

1.光の発展が社会に、そこに生きる人々の感性にどのような影響を及ぼしたか。

2.「光の都 Lumiere Ville」と呼ばれるパリが、人工照明の先進的な都市としてどのように成熟していったか。

そもそもパリが欧米の他国にまして光の中心地として位置づけられて行くのはなぜか。

 

これらの答えを探るべく、ヴォルフガング・シヴェルヴシュの著作をベースとしながら、

技術と芸術の粋を示すものとしてこの時代に度々開催されたパリ万国博覧会にその理由を求めています。

1937年のパリ万博では音と水と光の芸術イベントである「光の祭典」が開かれますが、

それを光を巡るフランスの思考の画期と見て、自然光ではない光が音楽に繋がってくる様子まで描き出せればと思っています。

 

僕の所属している学科は東京大学でも唯一、卒業論文をすべてフランス語で書かなければならないところのため、

不得意な語学に汲々とする日々が続いています。外国語で書く、というのは本当に難しい。

外国語で書くと、書きたいことがぽろぽろ零れ落ちて行きます。

書けない、書けない、書けない。この連鎖に提出までずっと苦しめられ続けるのでしょう。

 

 

そういうわけで、最近の頭の中や考えていること、調べたことなどを日記風の箇条書きにして下に載せておきます。

卒論に関係ない事も沢山あって、そもそも正しいかどうかも不明な雑多な思いつきばかりですが…。

 

 

☆『ゴンクールの日記』読了。

1851年12月21日の記述の最終行が好きだ。

「夢はただ大空に子供達の目が追うために生まれ、輝き、そしてはじける。」

1867年4月15日の記述。

「あらゆる物事が一回きりのものなのだ。人生においては何事も一回しか起こらない。

かくかくの瞬間、かくかくの女性、かくかくの日に食べたうまい料理があたえてくれる肉体的な快楽はもはや二度と出会うことはない。

二度あるものは何もなく、すべて一回こっきりのことだ」

 

☆本が好きな友人と本屋でもやるか。

 

☆「コンサートをしよう、さあ場所はどうする」という発想はもちろん、

「この空間で何かしたい、さて何をやろうか」という発想からコンサートに至るのも好きだ。

 

☆結局、万国博覧会がメルクマールなのだろう。それがフランスを光の都市として印象付けた。

他にも人工照明の発達した国、都市はあったにも関わらず。では光への感性はどこから?

それを芸術に、劇場の文化に求めたい。技術としての光と芸術としての光の二面が交差してゆく。

 

☆花は何と強さを与えてくれるのだろう。トルコキキョウの花言葉は「良い語らい」。

 

☆フランス語で書くと書きたい事の2割ぐらいしか書けない。物凄いフラストレーション。

 

☆いつも謎の名言を残す友人がコーヒーに目を落としながら、

「美人は三日ぐらいじゃ飽きないけど、かまってちゃんは三日以内に飽きる…」と呟いた。何があったのかは問うまい。

 

☆集中力が切れたので駒場へ移動。単行本五冊と楽譜とMBP17を持って歩くのはちょっと辛い。

MBA11を買えば随分楽になるのだろうが、一度17インチ画面の便利さに慣れてしまうと、小さい画面には中々戻れない。

 

☆中間報告提出直前にして、卒論の章立てをガラッと変えることにした。パリ万国博覧会を前に出して光を区分する。

メルクマールを見つけて区分せよ。これは駿台でお世話になった日本史の塚原先生の言葉だったか。今もこの言葉は生きている。

 

☆暗闇のポエジー。街の一部が明るくなったからこそ、闇が際立つ。明暗のコントラストが強烈になった世界で、人は闇に想像力を膨らませる。

 

☆1867年のパリ万博の時にロッシーニが作曲したという、Hymne à Napoléon III et à son vaillant peuple を聞きながら卒論を書く。

 

☆ここでRobert Delaunayについて調べて行く必要が出てくるとは。

ロベール・ドローネーは1912年にLa lumièreという論文を書いていて、それをパウル・クレーがドイツ語に翻訳している。(Über das Lich)

 

☆さっきから左目の視力が悪いなあ、ずっと書いていて疲れたのかなあ、左右の目の視力がかなり違ってきているなら

そろそろ眼鏡作り直さないとなあ…と思って眼鏡を外して気付く。眼鏡のレンズが左目だけ落ちていた。

 

☆1925年のパリ国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)の時に、ドビュッシーの夜想曲第二番「祭」が演奏されているのは面白い。

夜想曲第一番「雲」のフルートの旋律は、ドビュッシーが1889年のパリ万国博覧会で聞いたガムラン音楽にインスピレーションを受けている。

そしてドビュッシーはこの夜想曲-Nocturnes-というタイトルについて、「印象と特別な光をめぐってこの言葉(”夜想曲”)が呼び起こす全てが含まれる。」

というような内容を述べている。Il ne s’agit donc pas de la forme habituelle de Nocturne, mais de tout ce que ce mot contient d’impressions et de lumières speciales.

特別な光とは何か。こう考えることは出来ないだろうか。夜想曲は「雲」「祭」「シレーヌ」の三曲から成るが、

「雲」においては雲の切れ目から差し込む光を、「祭」においては賑やかな人工の光や花火を、「シレーヌ」においては静謐で神秘的な月の光を…

ドビュッシーはこの三種類の「特別な光」を描いたのではないか。スコアを買ってこよう。指揮をやっているのだから、音楽をうまく絡めていかないと。

 

☆CHANELの新作のAllure Homme Sport Eau Extrêmeが好きだ。

Edition Blanche 、Bleu共に気に入って愛用していたけど、これも最高。

「ビッグウェイブサーフィンにインスピレーションを得て、スポーツで快挙を成し遂げる時に訪れる、

研ぎ澄まされた状況下での無の境地に着目。集中力がピークに達した瞬間を落とし込み、日常を超越した世界を表現した。」

惹き付けられないわけがない。ジャック・ポルジュは凄い。

 

☆メンデルゾーンのピアノ協奏曲、ハイドンのピアノ協奏曲、尾高のフルート協奏曲、グラズノフ(暫定)のヴァイオリン協奏曲…

近いうちに勉強せねばならない協奏曲が沢山で幸せだ。

 

☆ネオン灯の普及経緯について調べていたが、ネオン灯の開発者ジョルジュ・クロードは名前が格好良すぎてずるい。

ネオン灯がアメリカに広まった時にその鮮明な明るさによってliquid fireと呼ばれたというのも何だか格好よすぎてずるい。

 

☆カラムジン、プーシキン、ドストエフスキー。

 

☆遠藤酒造の渓流ひやおろしを口開け。渓流の季節物を楽しむのが毎年恒例行事。

これに合わせて、イワシの刺身をかぼすと塩で頂く。言葉にならぬほど美味。

 

☆良い波が来ているようだ。乗りたい。将来はすぐに海へ行ける距離に住みたいな。

 

☆1919年からのパリ管のプログラムを見ているけれど、とんでもなく重量級のプログラムが結構あって、聴衆も凄いなあと思わされる。

 

☆Je n’écris pas sans lumière artificielle という言葉をデリダが残していることを知った。(Le fou parle)

 

☆ガルシア・ロルカの作品が好きだ。

ロルカの「すべての国において死は結末を意味し、死が到来すると幕が下ろされる。

しかし、スペインではその時、幕が開く」という言葉の原文を読みたい。

 

☆尾高のフルート協奏曲のスコアを読み直していたら、最初のページに「percussion」という一段が用意されていることに気付く。

パーカスなんて入っていたかな、と慌てて読み直したが、最初から最後までTacetだった。

パーカッション君は降り番にしてあげませんずっとそこに立ってなさい、ということか。

 

 

 

 

 

 

インバル×都響のマーラー第1番「巨人」@みなとみらい

 

インバル×都響でマーラーの交響曲第一番を聞いてきました。

この曲はかつて生で二回聞いていて、CDでもテンシュテット×シカゴの録音などを浪人中から愛聴していました。

どこか惹かれるものがあって、継続的にスコアを読んでいる曲でもあります。

 

 

一楽章のテンポ設定は今まで聞いた中で一番しっくり来るもので、「ゆっくり」でも「じっくり」でもない落ち着いた呼吸でした。

一楽章には Langsam, Schleppend, wie ein Naturlaut -Im Anfang sehr emachlich-

(ゆっくりと、引きずるように—終始極めてのどかに—)という表記があるのですが、まさにそうした表記を反映した作り方だったと思います。

一楽章から二楽章へアタッカで行ったのはびっくり。弦の人々が物凄い勢いで譜めくりしていらっしゃいました。

二楽章では三つ振りと一つ振りを混在させた面白い振りをしていましたが、それによって長い音符は長く、動かす音符は動的に、というふうに

きちんと伸び縮みがつけられていて、Kraftig bewegtという通り「力強い動き」が感じられる作りでした。

三楽章ではコントラバスの素晴らしさもさることながら、三楽章に入ってからの音色の変化がとても鮮やかで

(ステージ上に暗い夢のような雰囲気がモヤモヤと漂っていた!)プロ奏者の凄みを改めて目の当たりにしました。

四楽章はインバルとしてはもう少し激烈に行きたい部分があったのでは、というように見えましたが、

全体を通じて見通し良く丁寧な演奏だったのではないでしょうか。

 

 

勉強させて頂いた所もたくさん。

指揮のテクニックで言うところの「分割」を出来る限り削っていけ、と師匠が折りに触れておっしゃる理由を肌で体感しました。

分割すればアンサンブルは整うかもしれないが、必然の場で上手くやらない限り、それまでに作って来た音楽の流れや音色、

音のテンションや方向性が分割によって切断されてしまう事がありえる。

 

ついついテンポや自分の問題で分割してしまいがちですが、何のために/誰のために分割するのか、ということを良く考えなければいけない。

音楽の向きや奏者が作っている音色を大切にして、流れに預ける所を預けて自由に振れるように勉強せねばなりません。

駆け出しの身にはマーラー1番は遥かに遠い曲ですが、様々な発見と共に、幸せな時間を過ごさせて頂きました。

 

瞬間を生む

 

空間と空間、時間と時間の隙間に生まれる、息を飲む一瞬。

その快楽に魅せられて僕は指揮をやっているし、サーフィンを、ボウリングを、ゴールキーパーをやり続けている。

本来は存在しないはずの「あの瞬間」を作り出すこと、あるいは時間の間に身を滑り込ませること、

そしてそれを壊すことが、好きで好きでたまらない。

 

 

隔たりを信ず。

 

自分より遥かに年上で、しかも年齢を無為に重ねず不断に学び続けてきたあの頭脳に、いつか辿り着ける日が来るのだろうか。

二十五歳になってから、そうした疑問がふと頭に浮かぶことがある。それは言ってみれば、自分の将来、自分の未来への不安なのかもしれない。

答えは二択で描けるものではないだろう。誰にも答えは分からないし、そもそも他者によって答えを提示されることは堪えられない。

ポール・ニザンの「僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」というあの有名な一節を思い出す。

時間は止まってくれないが、時間の中で自在にリズムと密度を操ることが我々には出来る。

だから、時を先行したものとの隔たりを意識しながら、そして隔たりを尊敬しながら、負けず嫌いにも似た無謀さでぶつかっていくしかない。

 

 

改めて思う。年齢は偉大だ。

「凄い」と心から思える年長の人と張り合ったとしても肩を並べるのは難しいかもしれない。

しかし、無謀だとしても、張り合うように必死に学んで生きない限り、その人と同じ年齢になった時、

追い越すことはおろか、肩を並べることすら出来やしない。

 

 

塔を見上げているだけでは首が凝るばかり。

心を奪われるものに巡り会ったら躊躇せず、自らを自らで狭めることなく…不確定な未来に身体を預けて、前へ。