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" La fille sur le pont " 邦題 『橋の上の娘』(Patrice Leconte)

 

 最近、映画評ばかりが続いています。

というのは近所のレンタルショップがたまにレンタル一週間190円セールをやってくれるので、その日に大量に借りこんできたためです。

フランス映画が中心なのはフランス語のリスニングにいいかなと思ったから。字幕あり/なしで二回見るとかなり勉強になりますね。

 

 さて、この『橋の上の娘』、1999年公開の映画にもかかわらず全編にわたってモノクロです。

最初はちょっと戸惑いましたが、観終わった後に「この作品はモノクロでないと!」と言わしめる内容を持っています。

ナイフ投げの男Gaborと、橋の上から飛び込んで自殺しようとしているところをGaborに救われナイフ投げの「的」にスカウトされた

Adeleの二人が織りなすストーリー。でも、ストーリー自体は非常に単純。後半の展開はほとんどの人が読めてしまうもので、

「もしかしてこれで終わるの・・・?」と思っていると下からエンドロールが上がってくるという、もうひと展開ぐらい期待したい

ストーリーではあります。この映画の素晴らしさはショットのスピード感ではないでしょうか。緩急を自在に操るカメラワークで、たとえば

Adele役のヴァネッサ・パラディが髪を切っていくところのスピード感溢れるショットや、試着室でドレスを次々に着替えていくところの

躍動感(音楽と動きを合わせてあるため、ダンスみたいに見えます)は見ていて「うまいなあー!」と思わされました。

モノクロであることがこのあたりのスピード感の表現に繋がっているのかもしれません。(モノクロで思い出しましたが、この映画には

虹を見て「虹ってイタリア語でなんていうの?」と問いかけるシーンがあります。モノクロの虹を見たのは初めてで、とても新鮮でした。)

 

 モノクロでなければならなかった最大の理由、それはこの映画の本質である「官能」を表現するためではないでしょうか。

Adeleはその眼差しを使って出会ったばかりの男たちとすぐ寝てしまいますが、ベッドシーン自体は殆ど描かれません。

むしろそれは大したものではないように描かれ、そこに官能性は皆無といって良いでしょう。しかし、Gaborのナイフ投げを「的」として

受けるときのAdele(そしてGabor)は違う。ナイフ投げのショーを無事に終えた後、

「恐怖と快感を同時に感じた事はある?」とAdeleが問い、「ある。さっきだ。」とGaborが答えるシーンがあるように、

この映画においてAdeleにナイフ投げを行うシーンはベッドシーンの表象だと言っても過言ではないはずです。

中盤、線路を渡った後のシーンで行われる「観客のいない二人だけのナイフ投げ」では、AdeleとGaborが

(ちょっとわざとらしすぎるほど)ベッドシーンを彷彿とさせる表情でナイフ投げを行っています。

暗闇に男の荒い息と鋭い眼つきが浮かび上がり、モノクロの肌のすぐ近くに輝く刃が突き立つ。

ここは監督のパトリス・ルコントが最も力を入れたであろうシーンではないでしょうか。官能と恐怖の近似をリアルに伝える映画でした。

あと、映画の内容にはあまり関係ありませんが、台詞で「コアントロー」と言っているところを字幕で「甘口のリキュール」と

訳しているのはちょっと興味深かったです。

 

 

  映画を見たのは例によって深夜で、夕方にはこれまた恒例のプロとの試合に行ってきました。

今日はいつもと違ってオイルがかなりあるレーンだったので、レフティの王道ラインである五枚目や場合によっては二枚目まっすぐ

というガターギリギリのラインで、横回転を主体にして手前を十分に走らせ、奥で一気に切れ込ませるラインをとりました。

このラインをとったのは本当に久しぶり(ホームのセンターはオイルが薄いので、いつもディープインサイドに立つ羽目になっています。)

だったのですが、このラインで投げるのは、大きく出し戻しするいつものラインに比べてめちゃくちゃ簡単に感じました。

気合いを入れて外を転がしておけばポケットに勝手に集まるし、入った時のタップも少ない。残っても7ピン一本だけがほとんど。

おかげで9ゲームでセミ・セミパーフェクトを含む224アベレージを叩く事ができ、プロに勝つことができました。

 

 個人的なものなので他の人の参考になるかは分かりませんが、特に肘を入れて投げる方は、ボールの下に手が来た時に手のひらを

のばす(当然フィンガーも伸びる。手のひらが全体的に張るような感じ。)ようにするとカップをブロークンにする際に親指を抜きやすく

なることに気がつきました。この動きは本当に一瞬のものですが、調子のいいときにはしっかりとこの動作を意識する事が出来るし、

出来たときには球に乗ってくる回転数が段違い!これが出来てはじめて、小指に意識を向けることによる回転角度のアレンジが

可能になってくるはずです。ここまでくれば「手のひらがボールを追い越す感じ」も味わえます。出来るとかなり気持ちいいですよ。

リフト&ターンの動きを考えてみたとき、肘を入れずに投げる方でもリリースの瞬間に掌をのばしてみる(全力で「パー」をする)と、

親指が綺麗に抜けてフィンガーに乗ってくる効果が得られるかもしれません。

 

 新聞配達のバイクが去っていく音がしました。

そろそろ朝ですね。七月・八月ごろと違ってまだ空は明るくなりそうな気配がありません。

空つながりというわけではないですが、今からアラン・コルバン『空と海』(藤原書店)を読んで寝ることにします。

東大ガイダンスのブログの記事と母校から小論の寄稿を頼まれているのでこちらも早く完成させなければ。

指揮法のレッスンやフルートのレッスン、デザインの仕事など、夏休みの終わりになって段々と予定が増えてきた感があります。

この調子のまま学校が始まったら毎日どうなるんでしょう(笑)

 

1 comment to " La fille sur le pont " 邦題 『橋の上の娘』(Patrice Leconte)

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