ついに師と再会を果たすことが出来た。
キャスケット帽を被ったシルエットが向こうから歩いてくる。かつて何度も何度も見た姿。間違えようがない、絶対にあの人だ。
師の名前を呼び、走り寄る。驚いた表情。それから笑顔。途絶えた時間を埋めるように、東京で大学生活を送っていること、
そして帰省の度に師をずっと探し続けていた事を伝える。こんな嬉しそうな顔は初めて見た。
固く握手を交わす。五年ぶりなのにちゃんと覚えてくれていた。挨拶もそこそこに、師は五年前僕が初めてボウリングを教わった時と
同じく、師がいつも一緒に投げている常連の方々に僕を紹介してくれ、師と常連の方々と一緒に僕も6ゲーム投げる事になった。
師がアプローチに立ち、構える。
75歳とは思えないほど迫力と安定感のある構え。五年前と何も変わらない投げ方。
神がかったコントロールでレーンに緩やかな曲線を描き、ストライクを出しては誰よりも楽しそうな顔で帰ってくる。
「楽しみにしてるで!」とポンと肩を叩かれる。自分の一投目、久し振りにめちゃくちゃ緊張した。五年ぶりに見てもらう投げ方。
あれから一人で何年も試行錯誤を繰り返してきた。ようやく完成したばかりで、師匠に見てもらうのは初めてだった。
出せる限りの回転数とスピードでレーンへ放つ。ジャストポケット、7番が残るかと見えたがキックバックで倒れる。
ほっとした表情で戻ってくる僕を見て、師は「凄い球になったな。」とそっと一言呟いたあと、「でも・・・まだまだ負けへんでー!」と
笑顔を向けて下さった。他の誰に褒めてもらうより嬉しくて、五年間の努力が実った思いになった。
負けないよ、との言葉通り、師は相変わらず本当に上手かった。
白内障の手術をして間もないらしく、目がよく見えないとおっしゃりながらも完璧なコントロール。
球速は五年前よりやや落ちたかもしれないが、針の間を縫うようなコントロールとレーンを読む早さには更に磨きがかかっている。
アプローチへの上がり方、スペアの取り方、回転軸の変え方、レーンの把握とアジャスト。僕はこれら全てのをこの人に教わった。
それだけではない。師に教わったもののうち、最も大きいのは、ボウリングの楽しみ方そのものに他ならない。
師は本当にこの競技を楽しんでいる。たとえ横にマナーの悪いハウスボーラーや、やんちゃな学生が入っても
決して眉を顰めることはない。むしろその状況を楽しんでいる。投球順を抜かされても笑顔で譲り、隣がストライクを出せば拍手する。
そうして自分自身、次々とストライクを重ねてゆく。ダブル、ターキー、フォース・・・八連続!
それを見て、最初はマナーを無視して騒いでいた学生たちが誰に言われたわけでもないのに自然にマナーを守りだす。
いつの間にか、横で遊んでいただけのグループが師の投球を見つめるギャラリーへと変わる。続くストライクに自然と拍手をしてしまう。
それを見て「ありがとうなー。」と楽しそうに横の学生たちとハイタッチをしてゆく師匠。(全くの初対面なのに!)
そして、最後に隣の学生たちは決まってこう言う。
「ボウリング教えてください。」
こんな調子だから、師の周りには年齢性別を問わず沢山の人が自然と集まってくる。
当時高校二年生だった僕は師のそういうスタイルに心から憧れた。求道的でありながら社交的。どんな時でも笑う余裕を忘れない。
一投一投を楽しんで、周りの人を巻き込んでゆく。
僕が今それをどこまで実行出来ているかは分からないが、これこそが師から学んだボウリングの真髄である。
6ゲームはあっという間に終わってしまった。
5ゲーム目まで195前後をうろうろしていてなかなかスコアが伸びなかったのだが、6ゲーム目の最後に思い切って
立ち位置を変えてから6つストライクが続き、220と打ち上げる事が出来た。これで師匠に12ピン差をつけることになった。
ようやく師匠に勝つことが出来たという思いで、最後の一投は少し視界が歪んだ。
そして、また冬休み帰省した際に一緒に投げる事を約束し、がっちりと握手して師と別れる。
本当に会えて良かった。何年も探し続け、地元のセンター全てを回った甲斐があった。
既に秋を感じさせる夕暮れの帰り道を歩きながら、そう思った。
(付記)
ゲーム終了後、凄いことに気がついてしまった。
師が使っているボールはなんとラウンドワンの初代キャンペーンボールだった!(五年前にはちゃんとしたボールを使っていたのに)
ハウスボールと殆ど変らないようなボールにも関わらず、あれだけ曲げ、アベレージ190前後を確実に維持してくる。
ひとえにコントロールとラインを読むスピードの為せる業だろう。「球の性能に頼ってばかりではいけない」と諭された気分だった。
やはり、まだまだ師匠には勝てそうにない。