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歴代正副会長会議@灘

 

 久し振りに母校へ足を運び、歴代正副会長会議なるものに出席してきた。

何をやる会議なのかというと、歴代の生徒会の会長や副会長が集まって現状報告を行ったり、灘のこれからを語り合ったりする会議だ。

と説明されると、恐ろしくめんどくさそうな会議に見えるが、実際はそうでもなく、ちょっとした同窓会めいたものである。

最初のうちは「生徒会が目指すべき地点は」なんて堅苦しいテーマで話していたりもするけれど、すぐに脱線してカジュアルな内容に

変わってゆく。ジュースを飲みつつ、先輩が持ってきて下さったお菓子を食べつつ、思い思いにそれぞれが話す。

我々OBがゲストとして壇の前に半円形に机を並べて年の順に座り、対して現役生たちが少し離れたところに向かい合わせで

座るという形式だから、見かけだけはちょっとしたシンポジウム形式だ。

この会議、僕は出席して二回目になるが、いつもカジュアルな話の中から刺激的な議論が展開されているように思う。

既に社会人となって第一線で働いている方々のリアルな話を聞くことが出来るから、現役生以上に我々OBも互いに影響を受けている。

面白い話は沢山あるが、ここに書くと支障がありそうなので書く事はしない。とにかく会議の名前以上に面白い会議なのは間違いない。

 

 時間にして4時間ぐらい会議していただろうか。最後に「それぞれ灘校生に向けてメッセージを」と言われたので、自分の番が

回ってくるまで、さてどうしたものか・・・と悩む。先に発表していく後輩たちは皆かなり真剣なメッセージを送っているから

「やりたいようにやればいいんじゃないですか。」とか「浪人してみるといいと思うよ。」なんて適当なことを言える雰囲気では無さそう。

昨年は確かハイドシェックと立花先生の言葉を引きつつ、感性を鋭くして過ごすこととと、飛び込んでゆくことの大切さを話した記憶が

ある。昨年と同じメッセージを送るのも面白くないし、かといって自分の経験に基づかないメッセージは送りたくない。

というわけで、今の自分の経験って一体何だろうと考えていって、自分が興味を惹かれる二つの分野から言葉を引用することにした。

ただし、その言葉についての解釈は言わない。灘校の本質は「多様性」と「暗黙の尊敬」にあると個人的に思っているから、

具体的な解釈を示すことで方向を規定したくない。忘れるも良し、心に刻むも良し、好きなように使ってくれればいい。

そんな思いから次の言葉を紹介した。一つ目、学問上で最も関心を持っている分野であるフランス現代思想。

前日まで集中的に読んでいたこともあって、アンリ・ベルクソンの言葉を紹介した。

 

「思索する人として行動し、行動する人として思索せよ。」

「無限の可能性をはらんだ未来の観念が、未来そのものよりも豊饒なのだ」

 

二つ目、音楽、とりわけ「説明不可能な芸術」である指揮という分野から。最も尊敬する指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニの言葉を。

 

「私が最も欲しているのは、高邁な怠惰 ozio elevato です。例えば、ただビーチに寝転がっているのではなく、本を手にして

寝転がっている。ただ田舎道を歩いているのではなく、途中で見つけた自然の不思議を観察したり楽しんだりしながら歩く。

そういうことなのです。」

 

 ジュリーニの方は東大のプレオリでも下クラに向けてちょっと話したから、もしかしたらブログを読んでくれている人の中には

覚えている人もいるかもしれない。思い出すたびにいつも姿勢を正させてくれるような、僕にとっては大切な言葉である。

これらを話した後、最後にミシェル・フーコーの『わたしは花火師です』の話に触れて、

「みなさんが過激なartificier ― 花火師、あるいは爆破師 ― になってくれることを楽しみにしています。」と締めてみた。

 

帰りの電車の中で、今日自分が目の前にしていた現役生たちは僕が高三だったころに中一だった世代であることに気づいた。

JR住吉駅も灘の校舎も大して変わっておらず、何の違和感もなく学校へ高三の時と同じように足を踏み入れたけれども、

いつの間にか信じられないほどの時間が経っていた。

そして、振り返ってみると中学・高校生時代はあまりにも短いものだった。

結局のところ、難しいことなんか考えず、全力で今を楽しめばそれでいいんだと思う。