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ヨーロッパ滞在記 その5 - パリの街を歩く。-

 

崇高なものと俗なものの同居するモンマルトルを歩き倒し、疲れたらカフェへ。

フランスは至る所にカフェがあるので、休憩場所には苦労しません。滞在二日目にしてすでに、さっとカフェに入ってコーヒーを

注文したり、パン屋でクロワッサンをしゅぱっと買うのに抵抗がなくなりました。ひっそりした路地に佇むパン屋さんのパンが美味しすぎて

感動します。これがクロワッサンか!という感じです。カフェでは昼からお酒も飲めるので、ふらりとワイン を飲みに入ったりする楽しみも

覚えてしまいました。最高です。

 

自分の脚で街を覚える。迷うことで裏通りを知り、道を聞くことで言語に触れる。その通りの香りを頭に焼き付ける。

見る文字全てを口の中でこっそり呟きながら、そういうふうにパリの街を歩き回っていました。

歩くたびに秋の冷たい風が吹きつけ、風を切って歩く感覚があります。パリは、ただ歩くだけで本当に楽しい街です。

 

歩くうちに様々なことに気が付きます。たとえば、コンコルド広場へ向かう道で。

パリの街は、狭い空間から一気に広い空間に出る快感があります。パサージュから広場へ。建物やアーケードが突然消えて、

膨大な広さの場所と空が一気に眼前に広がる感覚はまるで、「自分」という存在の位置がふっと移動するような気分にさせられます。

うまく言葉にはなりませんが、狭い空間を歩いていたときの自分は、「世界を歩いているんだぞ。」という気分だったのに、

こうした広場に出た瞬間に、「自分は世界の端っこに間借りしているだけにすぎないんだ。」という気分になる。

自分と言う存在の占める大きさが相対的に変わる。でも、それは無力感とは違って、むしろ快感なのです。

 

夜10時にルーブル宮殿の広場に出た時もそうでした。狭い入口を通ると一気に広がる、馬鹿みたいに広い空間。

息を呑んで、次の瞬間なぜか分からないけど笑いが込み上げて来ました。走りだしたくなるような広さと、それを囲む建物の壮麗さ。

そして、頭上の闇に鮮やかに浮かんだ月の美しさ。広場には人がほとんどいなかったので、闇の中、広場の石畳に寝転んで、

月と空間を見上げてしばらくじっと過ごしていました。この光景は一生忘れられないだろうな、と思いながら。

 

帰りには、月が浮かぶセーヌ川に佇みました。セーヌ川にかかった橋を渡りながら、板の隙間から足元を見ると、水面に光が

反射してキラキラと光っているのが見えます。ただそれだけなのに夜の空気の冷たさと相まって、涙が出るぐらい感動してしまいました。

そして上機嫌のまま、カフェでボルドーを二杯飲んで、幸せな気分に浸ってホテルに帰るのでした。

 

 

ヨーロッパ滞在記 -その4 ピガールからモンマルトルへ-

 

「ピガールへ繰り出した」、というと「歌舞伎町へ繰り出した」みたいなもので、何だか変な感じが漂いますが、

こんなことが出来るのは男一人旅行の特権かもしれません。ピガールの街に出てまず訪れたのが、アダルトショップ。

真昼間から何をしてるんだ、と怒られそうですが、何かを買いたかったわけでは全くありません。

どうせなら男一人旅行でなければ出来ないことをしてみようと思ったのと、風俗が一番出ている場所の一つかな、と思って

特攻してみたのです。結論としては、

【売っているものは日本とほとんど同じ。日本のアニメ文化の影響が「コスプレ」グッズの豊富さに色濃く反映されている。】

というところでしょうか。フーコーなどを読んでいてセクシュアリテの領域に関心を持っている僕としては、正直かなり面白かったです。

 

その後、ずっと歩いてサクレ・クールへ。アダルトショップから「サクレ・クール=聖なる心」へ移動というのは凄まじいコントラストです。

サクレ・クールはモンマルトルの丘の上にあり、ピガールがその麓に広がっているわけなので、聖-俗が位置空間として近接している

(しかし「高さ」という厳然とした壁で隔てられている)のは面白いですよね。

もちろんサクレ・クールへ直行したわけではなく、麓を歩きまわって蛇行しながら、徐々に丘に登って行きました。

いま思い返してみれば、凄い距離を歩いていたと思います。異国に限らず、知らない土地に来たときにはとにかく自分の足で歩き回り、

そのあと高いところに登って街を把握することにしているのですが、サクレ・クールはその意味でもぴったりな場所。

いままで歩いていたピガールの街を一望し、また遠くにエッフェル塔を望むことが出来ました。

雨上がり、爽やかに青空と飛行機雲が広がった中、壮大なドームの最上部から眺めるパリの街並みは最高に美しくて、

モンマルトルが大好きになりました。

 

モンマルトルの丘の芝生に座って、眼前に広がるパリの街を見渡しながら、麓で買って来たクロワッサンをかじる。

そんな幸せな時間に浸っていると、シューベ ルトの弦楽五重奏が聖堂の方から聞こえてきました。

立ち上がって見てみたところ路上パフォーマンスのようです。近くに移動してしばらく聞き入りました。

演奏終了後、おひねりを渡しながら演奏者の方たちと話したのですが、みな音楽が専門の大学生だそうです。

「僕もいちおう音楽やってます。」と伝えたら、「日本から音楽しに来たのか?楽器は?」などと妙に盛り 上がってしまい、

しばらく話し込みました。といっても相手が嵐のように話してくれただけで、そのうちの二割ぐらいしか聞き取れていない気がします。(笑)

ともかく、この景色の素晴らしさとそこに暮らす人々の素敵さに、「しばらく日本に帰らなくてもいいかな…。」とちょっと思ってしまうほど、

フランス滞在初日から居心地の良い時間を過ごすことが出来ました。

 

ヨーロッパ滞在記 -その3 ピガールの街を歩く-

 

パリ北駅からメトロに乗ってピガールへ。

もちろんメトロに乗るのも初体験。びっくりしました。駅について電車の速度が完全に停止する前にドアが開くのですから。

速度がまだついている電車から駅に降りるその感覚は、まるで小さい頃に乗った遊園地のアトラクションから降りるときのようで、

何だか懐かしい思いになりました。さらに、(これはたまたまだったと思うのですが)車内で移動しながらヴァイオリンを弾いている

おじいさんがいて、これがめちゃくちゃ上手い!ツィゴイネルワイゼンとかを難なく弾いており、音も結構綺麗だったので、

乗客もみんな「まあいいか。」みたいな感じになっていて誰も注意しません。日本では考えられないことです。

山手線の中でヴァイオリンを弾きだしたら即効で強制下車させられるでしょうね。

 

何度かある乗り換えもスムーズにこなし、「なんだ。意外とフランス語何とかなるぞ。」と安心しつつピガールへ。

ピガールというのは御存知の方もいらっしゃると思いますが、風車のキャバレー「ムーラン・ルージュ」があることで知られており、

日本の歌舞伎町のような街です。ガイドブックには必ず「観光客、特に女性は夜に近寄らない方がいい。」「スリ多発地域につき注意。」

などと書かれている場所ですね。いきなりなぜこんな場所に行ったかと言うと、当初の目的であったモンマルトルのサクレ・クールに

近い事が一つと、「風俗街を歩き回るとその国の文化が良く見えてくる」と聞いたことがあったから。

駅としてのアクセスも優れているので、安全面さえ気をつければ、拠点としては凄くいいんじゃないかなと考えたというのもあります。

というわけで、まずピガールに降り立ち、ムーラン・ルージュを見上げた後、このあたりでホテルを探してみようと歩き回り始めました。

 

何件かいい感じの安ホテルを見つけて、最終的に裏通りにある小さなホテルに入ってみました。

感じのいいおっちゃんが迎えてくれて「予約はしてあるか」とフランス語で尋ねられたので、たどたどしいフランス語で

「してません。泊りたいんですけど空いてますか。」と伝えてみると、かろうじて伝わったようで、ルームキーを頂けました。

そしてこのホテルに4泊することに。部屋に入り、スーツケースを置いてシャワーを浴びて着替えたあと、オロビアンコのショルダー一つ

だけを持って、意気揚々とピガールの街へと繰り出しました。

 

 

ヨーロッパ滞在記 -その2 ベトナムからフランスへ-

 

「夜間飛行」でフランスへ。ベトナムから飛行機に乗り、ベートーヴェンを九番まで聞き終えてベルリオーズの「幻想」を聞いているうちに、

フランスが見えてきました。といっても到着が朝4時だったので、辺りはまだ暗いまま。飛行機の中のアナウンスもフランス語が入り始め、

ここぞとばかりに必死でリスニングするも、七割ぐらいしか聞きとれず。こんな語学力で一週間パリでサバイバル出来るのだろうか…と

若干不安がよぎりましたが、まあ何とかなるだろうとオプティミスティックな結論に達して飛行機を降ります。

 

ド・ゴール空港、朝四時。

ここはもうフランスなのです。辺りはフランス語だらけ。フランス科に進学し、フランス語を勉強してようやく一年になったばかり

(第二外国語はドイツ語だったので)の僕にとっては、とても新鮮な環境。「ちゃんと読めるかな」、と思って、広告から店の名前まで、

目に入ってくるフランス語をこっそりと読みあげてみます。意味の分からない単語も沢山ありましたが、大体は分かるし読める。

楽しくて仕方がありませんでした。言葉はもちろん、色遣いが日本とは全然違うのも新鮮で、一つ一つの標識やサインを見るたび、

「うーん、凄いなあ。ここにピンクを持ってくるのか。」と感心しきり。愛機LUMIXのG-1でつい写真を撮りまくってしまいます。

 

スーツケースを受け取ろうとベルトコンベアの辺りでぼーっとしていると、同じく暇を持て余したらしい外国人に突然話しかけられます。

「おっと、ここで早速フランス語会話の出番か!よっしゃこい、Bonjour!」と身構える僕。でも、思いっきり英語でした。

なんだか微妙に脱力しつつホッとしつつ、拙い英語で会話しているうちに相手がドイツ人であることが判明。

「おっと、ここはドイツ語の出番か!よっしゃこい、Danke!」と大学で教わったドイツ語会話の先生の顔を思い浮かべながら、

これまた拙いドイツ語で喋ってみます。すると相手がとても嬉しそうな顔をしてくれて、凄い勢いのドイツ語で話し始めました。

ごめんなさい、全然聞きとれません(笑)

 

まあとにかくにも、英語とドイツ語を交えつつ話しているうちにそのドイツ人と仲良くなってしまい、ド・ゴール空港内のパン屋さんで

一緒に朝食を取ることに。もちろんパンです。僕は朝御飯は絶対にお米派なのですが、フランスではそうもいかず、クロワッサンと

アーモンドデニッシュを注文。ここではじめてフランス語を使いました。「クロワッサン二つとアーモンドデニッシュ一つ、あとコーヒー。」

フランスに滞在中、何度この言葉を使ったか分からないぐらいです。

そしてパンがとても美味しい!「これ美味しいね!?Das ist gut, nicht wahr?」なんて一丁前に付加疑問文を使って

ドイツ人に話しかけてみたところ、「うーん、普通じゃないか?」という返事が返ってきて笑ってしまいました。

(フランスに滞在するうちに分かったのですが、確かにそんなに美味しいクロワッサンではありませんでした。)

 

朝食を終え、ドイツ人と一緒に電車に乗り、パリ北駅Gare du Nordへ向かいます。

Gare du Nordは本当に壮観な駅で、降り立った瞬間にシャネルのNo.5(オドレイ・トトゥが演じるもの)の新しいプロモーションムービー

の映像を思い出しました。そんな場所にいま自分が立っているのかと思うと、ちょっと感動。

ここでドイツ人と別れて、僕はとりあえずGare du Nord内のWi-Fiが飛んでいるエリアを探索し、メールチェックやTwitterの更新などを

したり、周辺の情報を調べたりしました。こういうときにiPadは本当に便利ですね。

 

サバイバル旅行だったので、行くアテは特にありません。しかも宿泊先すら未定。

無計画に旅行できるのは、一人旅行のいいところかもしれませんね。どうしようかなあ、と駅の外に出てみたら天気があんまりにも

良かったので、まずはモンマルトルのサクレ・クール寺院に行ってみようと思いつき、ムーラン・ルージュで有名なピガールという駅で

降りるべく、真っ赤なスーツケースをごろごろ引っ張りながらメトロの改札へ向かいました。

周りから聞こえてくるフランス語に耳を澄ましつつ。

 


ヨーロッパ滞在記 -その1 出発からベトナムまで-

 

幸運にも奨学金を得て、ヨーロッパへEUの動向を学びに行ってきました。

セミナーの場所はドイツのオッツェンハウゼンという場所だったのですが、せっかくの機会だから、とセミナーの一週間前に日本を経ち、

ベトナムを経由してまずはフランスを目指しました。

 

地域文化研究学科のフランス科に所属してフランス語やドイツ語に日々触れているくせに、実はヨーロッパを訪れるのはこれが

人生初の経験。本当ならツアーみたいなものに参加した方が安全なのでしょうが、「語学を勉強するにはやはりサバイバルせねば。」

という向こう見ずな思考のもとで、現地のホテルも予約することなく(!)一番安いベトナム航空の席だけ押さえて、成田空港へ

向かいました。ベトナム航空の飛行機は、青の機体に金のラインが美しいもの。しかもアテンドのお姉さんがアオザイ

(ベトナムの民族衣装。妙にセクシーです。)の似合う素敵な方ばかりで、「ベトナム…大丈夫かな…。」という不安な気持ちも

たちどころに吹っ飛んでしまいました。我ながら単純です。(笑)

 

経由地であるベトナムまで、飛行機で四時間ぐらいだったかと思います。

飛行機の中では全く退屈しませんでした。というのも、出発直前にiPadを購入し、これを機内に持ち込んでいたからです。

iPadにベートーヴェンの交響曲のフルスコアを1番から9番までと、ブラームスの交響曲のフルスコアを1番から4番まで、あと

ベルリオーズの幻想交響曲も全部PDFで入れておき、それぞれを聞きながら楽譜を読んでいるうちに一瞬で時間が経ちました。

 

ベトナムのタンソニヤット国際空港に降り立つと、スコールのような激しい雨が降ってきました。日本を出るときに着ていたコートが

邪魔なぐらいの暑さ。ただそれだけのことなのに、「ああ、僕はいま違う国に来ているんだな。」と何だか感動してしまいました。

格安航空券だっただけにトランジットが八時間ぐらいあったので、空港内をぶらぶらして綺麗なストールを見つけて衝動買いしたり、

illyのカフェで本を読んだりTwitterをしたり国際電話をかけてみたりしているうち、陽はすっかり暮れて夜に。

カフェには同じくトランジット待ちと思われる日本人の大学生カップルがいて、『地球の歩き方 フランス』を二人で仲良さそうに

読んでおり、日本語がときどき聞こえてきて何だか安心しました。(こちらは一人だったので、気楽な反面ちょっと寂しかったですが)

 

ちなみにこのillyのカフェではWi-Fiが飛んでおり、持っていったVaio-PとiPadを両方これに接続してメールの返信なども

こなすことができ、とても助かる場所でした。ベトナムで一番思い出深い場所はこのillyかもしれません(笑)

そうこうするうちに、いつの間にか搭乗時間に。この飛行機に乗れば次はフランスです。

わくわくしながら、日が変わる頃に飛行機に乗り込んで、フランスを目指しました。

 

 

明けましておめでとうございます。

 

お久しぶりです、そしてあけましておめでとうございます。

ドイツ・フランス・ベルギー・ルクセンブルク・ヴェトナムを旅して、音楽と語学と国際政治の勉強を目一杯して、無事に帰ってまいりました。

本当はもっともっと早くに帰って来ていたのですが、ゆっくりと文章を書く時間が取れなかったこともあり、更新はTwitterだけになって

おりました。大学の友人から「親がブログの更新を楽しみにしているのですが…。」という嬉しいメールを頂いたので、

またこちらも更新していこうと思います。

 

11月から今年の1月に至るまで数えきれないくらい沢山のことがあったので、一つ一つ記事を改めて書いていきます。

こんなことを書くつもりです。

・ヨーロッパ滞在記

・東京大学×南京大学のウェルカム・パーティで指揮したこと

・銀座のBVLGARIで指揮させて頂いたこと

・昨年夏に設立したクリエイティブ・チーム「ドミナント」で忘年会&演奏会をしたこと

・所属する立花隆ゼミナールで文藝春秋から『二十歳の君へ』という書籍を出版したこと

・週刊読書人でウェブ・デザインと書評のお仕事をさせて頂くようになったこと

・今年の五月に、プロのオーケストラを振る機会を得たこと

 

などなど。日付などは適当にいじっているので、気にせずお読みください。

 

フランス・ドイツへ行ってきます。

 

長らく更新が滞ってしまいました。ちゃんと生きています。

いきなりですが、本日より三週間ほどフランスとドイツへ行ってきます。フランスでは語学と音楽をちょっとだけ勉強しつつ、パリをぐるぐる。

さきほど(直前までホテルをとらなかったので、現地へ直接電話して空き室確認などする羽目になりました。かなり大変でした。)ホテルが

決まり、ムーラン・ルージュの近くに泊ることにしました。パリを巡ったり、パリにいる友達と演奏したりと充実した時間になりそうです。

 

ドイツでは、ヨーロッパの財団主催の国際セミナーに参加してきます。というのは、運良く、東京大学大学院の修士課程を

主な対象とした “The European Union under the Lisbon Treaty: Past Experiences and Future Challenges” という

2010年度の派遣プログラムに選抜して頂きました。見て頂ければ分かるように、このプログラムは「欧州研究」それも社会科学的な

性格の強いものなので、人文科学を主なフィールドにしている僕にとっては、少し慣れない部分の多い領域になることと思います。

僕以外の参加メンバーの所属を見てみますと公共政策の大学院や国際関係論専攻の院生の方々が多い様子。

自己紹介タイムで「フランス現代思想や生命倫理が主な興味です。」とはちょっと言いづらいかもしれませんね(笑)

 

ともあれ、選抜して頂き、しかもEuropean Fall Academyという財団から約30万円もの支給を頂いたからには、出来る限りのことは

やらなければなりません。プログラムとしては、今年の冬に参加してきた「〈身体論〉南京大学特別講義」と同じように、各国の

学生たちと共に講義を聞き、ディスカッションなどしてくることになるでしょう。EUの機関へのショート・トリップもプログラムに組まれて

いますので、座学だけでなく、自分の足を使って色々と見聞を深める機会になりそうです。

もちろん全て英語なので大変ではありますが、学部三年の時点で、しかも人文・社会の両方の分野で海外へと派遣して頂けるのは

本当に嬉しい限り。精一杯やってきます。

 

三週間ほど音信が途絶えることと思いますが、パリにはWi-Fiが飛び交っているようですしiPadとVaio-Pは持っていきますので

パソコンのメールチェックやTwitterの@チェック、スカイプなどは出来るはず。御用の方は携帯ではなくこちらの方へ連絡を

入れておいてください。よろしくお願いします。

では、行ってきます!

 

 

コンサート終了!

 

先日お伝えしました、「こまば夏の音楽祭 -口笛・ピアノ・オーケストラ!」が、無事に終了しました。

準備期間はわずか三週間弱という、常識ではありえないほどの短期間で企画・練習・広報を行った今回のコンサート。

練習に先立ち、まず「ドミナント室内管弦楽団」という小編成のオーケストラを立ち上げるところから始めました。

 

東大のテスト期間が7月終わりに設定されていたこともあり、あまり人は集まらないのではないだろうかと思っていましたが、

大学や学年を超えた方々(立花ゼミの後輩である越智くんが声をかけてくれたおかげで、開成中学・高校からも何名か参加してださり、

下は中学二年生・上は大学院生という物凄いオーケストラになりました!)が集まって下さいました。

しかし本番までの練習回数でとれるのはわずか四回。全員が四回の練習に参加出来るわけでもありませんでしたし、四回というのは

アマオケにしてはかなり短い練習回数ですので、とりわけ一回一回のリハーサルの密度が求められます。指揮者としては

毎回のリハーサルに全力を傾けて、出来る限りのところまで組み立てねばなりません。

 

本番の日はあっという間に来てしまい、開場が次々と設営され、「ここは本当に東大のキャンパスの中だろうか」と思ってしまうほど

ムーディーな空間が完成。そして、予想をはるかに超える人数のお客様が来て下さいました。会場の椅子の数がギリギリで、

立ち見が出るほどでしたので、100名あまりの方々が来て下さったのだと思います。ありがとうございました。

 

プログラムは

Mozart: アイネ・クライネ・ナハトムジーク一楽章

Elgar:愛の挨拶

Poldini:踊る人形

Monti:チャルダーシュ

Debussy:風変りなラヴィーヌ将軍

Debussy:花火

Mozart:フルート協奏曲第二番一楽章(口笛ver)

(アンコール)

Villa-lobos:ブラジル風バッハ四番 前奏曲

アイルランド民謡:ロンドン・デリーの歌

 

というものです。この一つ一つの演奏を皆さんがどう思われたか分かりませんが、小品では口笛とピアノによる「踊る人形」が

出色の演奏でした。この曲の持つリリカルな雰囲気が本当によく出ていた。コンサートが終わってからもしばらく頭から離れなくなりました。

それからピアニストによる「花火」の冒頭は「一体何が起きたのか」と思うほど、会場の空気を一変させてしまうような音が

鳴っていたように思います。すごい。そしてフルート協奏曲では口笛の武田くんはしっかりと暗譜して、カデンツァを含め最後まで

見事に演奏してしまい、世界初のこの挑戦に、会場の方からも大きな拍手を頂きました。ブラボー!

 

指揮者としては、最初の静まり返った空間に響かせるアイネ・クライネはドキドキするぐらい楽しいものでしたし、

アンコールに振ったヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ四番の前奏曲が様々な方から好評でとても嬉しかったです。

僕はこの曲に強い思い入れがあります。この前奏曲は僕の指揮の師匠である村方千之の十八番とした曲であり、師のコンサートで

はじめて本曲を知ったのです。師がアンコールでこれを演奏された時、僕は感動のあまり人目もはばからず号泣してしまいました。

最初の一音で空気を変えてしまうような音楽。ブラジルの広い大地を思わせる暖かい旋律がどこまでも広く広く膨らんでいき、

風が吹き、夕陽が沈み、世界がくすんだオレンジ色に染まる。そんな曲だと思うのです。

 

「師の十八番を自分のデビューコンサート(しかもアンコールに)持ってくるのは普通出来ないよ。でも良い演奏だった。」とある人が

終演後声をかけて下さいましたが、この曲はそんな思い入れがあるだけに、どうしてもアンコールに持ってきたかった。

そして「鳥肌が立った」とか、「音楽のことは何も分からないけど、泣きそうになった」という感想を何人かの方から頂き、僕が

泣きそうになってしまいました。師の演奏には遠く及びませんが、直伝の曲として、僕はこれからもこの曲を演奏していきたいと思います。

 

足を運んで下さった方々、そして僕の拙い指揮についてきてくれたオーケストラの皆様、撮影や照明、会場予約やステマネなど

様々な仕事を手伝ってくださったスタッフの皆様には心から感謝しています。今後もドミナント・オケはどんどんとメンバーを

集めながら、駒場キャンパスでコンサートを開いて行きたいと思うので、これからもどうぞよろしくお願いします。

 

朝まで続いた打ち上げから帰宅して、書き込みだらけのアイネ・クライネの楽譜とフルート協奏曲の楽譜をめくりながら、

心地よい疲れと寂しさに身を任せ、満ち足りた気持ちでひとり静かに眠りに落ちました。音楽を、指揮をやっていて良かったな、と

声にならない幸せを噛みしめて。

 

 

「こまば夏の音楽祭 -口笛・ピアノ・オーケストラ」

 

2010.8.10(火)、東京大学駒場キャンパスで行われます「夏の音楽祭」で指揮することになりました。

詳細は以下のポスター(僕が主宰している「ドミナント」というデザインチームの後輩、伏見くんが作ってくれました。ありがとう!)

をご参照下さい。口笛の世界大会優勝者と藝大院のピアニストという、とても豪華なゲストを招いての音楽祭、

全身全霊を込めて指揮します。どうぞお楽しみに!

 

「こまば夏の音楽祭2010」

「こまば夏の音楽祭2010」

 

 

3日で10000Hit

 

昨日掲載した、「花火の後に。」という掌編が、ものすごい勢いでページビューされているそうで、びっくりしています。

Twitterの方に書いて纏められたもの http://togetter.com/li/37528 が、3日ちょっとで10000ヒットを突破しました。

筋は単純だし、よくある展開と言えばその通りなのですが、これだけのアクセスがあるというのは何か人の心に触れる部分が

あったのかもしれません。おそらくそれは、この掌編が、Twitterという短い枠内での表現だったことにあるのではないかと思います。

短い文字数で書かれた文章は、人にどのような印象を与えるか。それは第一に読みやすさであり、簡潔さであり、歯切れの良さでしょう。

一方で、短い文字数だと冗長な形容や描写を避けざるを得ないので、自然と表現が切り詰められてきます。

 

僕は小学校の頃から作文や小説、エッセイなどを書いてきましたし、物書きという職業にも漠然と憧れを抱き続けてきましたが、

140字を積み重ねてこのような掌編を書いたのはこれが初めてでした。140字はとても短いように思えるし、事実短いのですが、

いざ書いて見ると、結構な情報量を詰め込むことが出来ます。書きながらふと、東大の入試問題を解いている時を思い出しました。

140字。東大の解答欄、とくに歴史系では5行足らずの文字数で、ちょうど世界史の中論述や日本史の論述問題に多く見られる

文字数なのです。余計な事を書いているとあっという間に字数がオーバーしてしまいます。つまり、狭い枠の中に必要なことを簡潔に

盛り込んで述べる必要があり、また、表現を変えたり句読点や漢字変換を工夫したり、「削る」技術を活用せねばならないという点では、

Twitterで記述することとと東大現代文や世界史・日本史を解くことの間には、共通した感覚があると言えるかもしれません。

 

今回の一万ヒットオーバーはとても驚きでしたが、「これからも文章を書いて何かを発信して行こう。」と思える、

とても良い刺激になりました。お読み頂いた方々、ありがとうございます。

短い言葉とセンテンスを積み重ねつつ、それでいて息の長いフレーズ。スピード感と浸透力。

読んだ都度、映像に変換されていくような文章。練りに練った言葉のデッサン。

拙いながら、そういう文章をこれからも書いてゆきたいと思います。