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2010年度FRESH START@駒場

 

南京から帰ってきたその足で駒場に寄り、目前に迫ったFRESH STARTの準備に取りかかりました。

今年度のフレスタは700人の新入生が参加する大イベント。700人が出来る限り楽しめる有意義なイベントを作らねばなりません。

今回の僕の役目はクリエイティブ・ディレクター。新入生の皆さまに送るフライヤーをデザインしたり、全体のデザインの方向性を決めたり、

パンフレットの統括やキャンパスツアーのムービーのディレクションをしたりと、やらなければならないことが山積み。

しかも、グループワークでは担当するグループを僕も一つ持っているので、そちらの内容も同時並行で考える必要がありました。

 

というわけで南京から帰ってきてから、三日連続徹夜で作業する羽目に。ふらふらになりながらも何とか全て間に合った感じです。

パンフレットは「知の航海図」や「運命の三冊」といった、以前からやりたいと思っていたアイデアを使いながら、読み応えのある内容に

なりました。(詳しい企画内容などは巻頭言に書かせてもらったので、新入生の皆さまにはそちらを参照して頂ければと思います。)

冊子のデザインは立花ゼミで同期の山本君に任せましたが、彼らしいフォント使いでスタイリッシュに仕上げてくれましたし、

キャンパス紹介ムービーの作成に際しては、立花ゼミの栄田さんに写真と動画撮影をお願いしました。構図・色合いともに

「さすが!」と唸ってしまうような写真ばかりで、かなりクオリティの高いムービーとスライドを作ることが出来たと思います。

協力して下さったみなさま、ありがとうございました。

 

当日は天気にも恵まれて、キャンパスツアー、講演会、グループワークと全て滞りなく成功したと思います。

終わってからの交流会も大盛況でした。交流会の司会をやるように先生から頼まれていたのですが、僕があんまり喋る必要がないぐらい

盛り上がっていたように思います。個人的には、交流会の最中に母校の後輩が挨拶しに来てくれたのが一番嬉しかったです。

彼に会うのは二年ぶりぐらいでしたが、二年前に灘で会った時とは別人のように精悍な顔つきになっていました。ほんとに合格おめでとう。

 

今回のフレッシュスタートが、新入生の皆さまの円滑なキャンパスライフをサポートするものになればとても嬉しく思います。

駒場での二年間を存分に楽しんでください!

 

南京から帰ってきています。

 

またしばらく殺人的スケジュールに追われていました。

前回は中国から更新しましたが、二週間の旅を終えて無事に日本へ帰ってきています。

中国での生活は本当に刺激的なものでした。南京大学の学生たちを前に壇上で話す機会も頂きましたし、ちょうど南京へ視察に訪れた

東大の教養学部長(!)と一緒に揚州を回らせて頂く機会もありました。朝は講義、昼はディスカッション、夕方は観光と

息をつく暇もなく動き回り、深夜には本場の中国式マッサージも経験してきました。片言の英語と中国語を駆使して

按摩師の方とツボの名前で盛り上がったのですが、翌日に先生方が同じ店へマッサージに訪れた際、

「日本人ですか。昨日はツボの名前にやたら詳しい東大からの学生が来ましたよ。」と言われたそうです(笑)

 

今回の南京大学集中講義で何より印象に残ったのは、中国という「場所」よりも、中国で出会った「人」です。

とりわけ南京大学の学生さんたちの語学力の高さ(「言葉のあや」という日本語を即座に中国語に同時通訳していました。)には

驚かされましたし、東大から僕と一緒に派遣された大学院生の方たちの冴えた思考には心底圧倒されました。

中国語が現地人並みに堪能な方や膨大な知識をお持ちの方、議論を的確に纏める明晰さをお持ちの方など、それぞれの「凄さ」を

目の当たりにして、僕ももっと勉強せねばと思った次第です。

 

何はともあれ、無事に二週間を過ごすことが出来たのは南京大学日本語学科の院生の方々のおかげです。

このブログを見てくれているとのこととなので、この場を借りてお礼申し上げます。南京大虐殺やマルクスの話から

道教やジブリ、果ては恋愛の話まで、タブーを超えて沢山の話が出来て楽しかったです。そしてまた、沢山のお酒を飲み、夜遅くまで

一緒に時間を過ごして下さって本当にありがとうございました。今回の経験は僕にとっていつまでも忘れられない思い出になりました。

 

南京滞在記 二日目

 

ということで滞在二日目です。

今日は南京大学のもう一つのキャンパスまでバスで移動して、朝九時から三時間ほとんどぶっ続けの形で講義を受けました。

内容は福島先生による障害学の概説。とくに今日は、先生ご自身の経験や指点字についてのお話をされ、その延長線上で

「障害とは何か」「バリアフリーとは何か」などのテーマを軸にした講義を展開されていらっしゃいました。

 

講義が終わってからは院生との討論会を行いました。先程の福島先生の講義に関連して、「障害」についての日中間の取り組みや

スタンスの差異をお互いに発表しあいながら、いつしか話は「人文系の学問を研究するとはどういうことか」というテーマにも

広がってゆき、研究者の道を考えている僕としてはとても身になるものでした。

また、討論会の後でこのプログラムに参加されている東大の博士課程の先輩と、福島先生の述べる「障害」の定義について

少し話をしたのですが、そちらも大変面白いものでした。福島先生は「障害」を、「産業革命後に現れたもので、産業革命の際の

一人ひとりに対して期待される労働力(これは画一化されたものです)から外れるものを【障害】と定義していったものである。」

と説明されていたのですが、これはもちろん、フーコーの「狂気」に関する分析を彷彿とさせる考え方です。

 

「障害」という具体的なものが存在するのではなく、恣意的に想定される「正常」から外れたものを「狂気」として社会が定義したように、

「障害」も社会的に定義されるものなのです。そして「障害者」を一か所に集中させるやり方は、狂気の者たちを精神病院に収容し社会

から排除するかつてのやり方(このような状況に置いて働く見えない力学が「生権力」だと言えます)と極めて近いところがある。

だとするならば、「障害者」問題の根本的解決のためには、一か所に集めて特殊な訓練を施すのではなく、

「障害者」も健常者と同じ環境の中にその身を置いて社会参加することが重要になってくるわけであって、そのために政府がどのように

社会参加しやすい状況を作るかが重要な問題になってくるでしょう。福島先生はこのような試みの事を、本日の講義において

「バリアフリーを取り巻くバリアを外す試み」とおっしゃっていました。

 

討論が終わってからは自由時間でした。

僕が音楽に関わっている関係で、「もし可能ならば伝統音楽に触れる機会があれば嬉しいです」と伝えておいたところ、

南京大学の学生さんたちが昆劇のようなものに我々を連れて行ってくれました。昆劇とは中国伝統の歌謡と舞踊と音楽の融合した

劇のようなもので、簡単に言ってしまえば小規模なオペラです。歌詞や台詞はすべて中国語でしたのでイマイチ細かいところは理解

できませんでしたが、オペラと同じく電光掲示板の字幕に中国語の字幕が出ていたので、漢文で培った知識を総動員すれば

ある程度の内容は把握することができます。音楽は基本的に四拍子の曲がメインであり、伝統楽器の独特の音色が魅力的。

演奏者の人数は小編成の室内楽団ぐらいで、指揮者はおらず、打楽器を担当している男性が全体のリズムを引っ張っていたように

感じます。また、演奏の合間には南京大学の先生が突然壇上に上がってカラオケをやりだしたり、聴衆を舞台にあげたりと

割とカジュアル&何でもありな感じの演奏会でとても面白かったです。

わざわざリクエストを聞いてくれた南京大学の学生さんたちに心から感謝しています。貴重なものを見る事が出来ました。

 

そして一日の締めには、南京大学の学生さんたちと一緒に四川料理を食べつつ、杯を交わしました。

噂には聞いていましたが四川料理は本当に辛い!食べた瞬間はそうでもないのですが、じわじわと辛さが口の中に広がります。

そして、中国の方にとっては無くてはならないお酒である「白酒」を向こうの学生さんが持ってきて下さったので、それも中国のしきたりに

従って頂きました。度数は45度程度と中々の強さ。それをストレートでグラス(「公杯」と呼ばれるもの)に注いでみんなに回します。

全員に行き渡ったら、回転テーブルにみんなでグラスを打ちつけて乾杯し、まず一口グイッと呑みます。喉がカーッと熱くなります。

それから隣の人とグラスを当てて乾杯し、またグイッといきます。さらにまた別の隣の人と同じことをやり、少し離れた人とも同じことをやり、

これを繰り返していくわけです。つまり一人で飲むことはめったにしません。呑むときには大抵誰かと一緒に、同時に呑みます。

そして一度白酒を頼んだら、その飲み会はずーっとみんな白酒だけで通すそうです。日本のようにビール→日本酒→焼酎…みたいな

頼み方はしません。呑み方一つとっても日本と違う点が沢山あり、一つ一つが驚きでした。

あ、ちなみに「呑み放題」というシステムも無いそうですよ!

 

そんなこんなで、45度の酒をストレートでこうやって呑んでいたら酒が苦手な人にとっては当然死亡フラグなわけで、

ちょっと辛そうにしている学生さんもいましたが、とりあえず美味しく最後まで頂いてボトルを一本空にして店を出て、キャンパス内の

ホテルへの帰路に着きます。南京大学は全寮制で寮とキャンパスが一体化しているので、キャンパス内にはまだ沢山の学生が

行き来していました。同じアジア人だからでしょうか、言語がほとんど分からないのにも関わらず、彼らが行き交う中に身を置いても

居心地の悪さは全く感じません。むしろ親しみすら覚えます。生活感と連帯感、そしてエネルギーが溢れるこのキャンパスの雰囲気

はとても素敵ですね。あと一週間ほどある滞在期間を、目一杯勉強して交流して楽しもうと思います。

南京に来ています。

 

今日から集中講義で南京に来ています。

ま成田空港から北京へ行き、北京から国内線に乗り換えて南京へ向かうルートで南京に到着しました。

飛行機の窓から遥か下に広がる風景を見ながら思ったのは、中国は田畑が多いということ。大きな河が至る所に流れていて、

それに寄り添うように田畑が綺麗に区画化されて広がっています。緑というよりは土の色が目につく感じで、そうかと思えば

住宅が集中しているところは本当に特定の一ブロックの中に集中している印象を受けました。

先生のお話によれば、中国では住宅に許された面積が決まっていて、広い家に住みたい場合は横に広げるのではなく縦に広げる

のが基本だそうです。従って、平屋→二階建て→三階建ての順に階層が分けられるということになります。

 

さて、今回の南京大学集中講義では、「身体論」を軸に据えて色々な講義が行われます。

僕が派遣されるこの一週間では、福島先生による障害学の講義と清水先生によるトランスジェンダー論の講義が開かれていて、

それらの講義を聞いた後で南京大学の大学院生たちと討議を何時間にもわたってやったり交流したりすることになります。

南京と聞けばすぐに思い浮かぶのはやはり南京大虐殺ですから、日本人の我々は肩身の狭い思いをするかと思いきや、

南京に到着してすぐににこやかな笑顔で南京大学の学生さんたちが迎えてくれたのはとても嬉しかったです。

向こうの学生さんたちと一緒に晩ご飯も食べてきて、何人かとは仲良くなることが出来ました。みなさん親しく接して下さいますし、

彼・彼女らの日本語の上手さと日本の文化に対する知識・興味の深さには日本人の我々が舌を巻くほどです。

僕も中国語で考えを伝えられればいいのですが、やり始めて二週間ほどではやっぱり挨拶程度しか出来ず、

英語と日本語を行ったり来たりしつつ、どうにももどかしい思いをしています。中国語やっとけば良かったなあ。

 

明日からの討論会でしっかりと自分の意見が伝えられるか少し心配ではありますが、とにかく出来る限りの事は話してこようと

思っています。受験生の頃に使っていた世界史のノートのうち中国史の部分だけ抜き出して持ってきたので、歴史問題に話が

発展しても大丈夫なように今からザッと見直してから寝ることにします。それではおやすみなさい。

 

取材旅行記2 -生理学研究所 -

 

取材旅行記その2。

愛知県は東岡崎の生理学研究所で、鍋島先生に「脳内のイメージング」についてお話をして頂きました。

三時間にわたるインタビューだったために記事が相当長くなってしまいましたが、グリア細胞の働きから幼児の「発達」まで

非常に刺激的な内容で、当日は息つく暇もありませんでした。(なお、幼児の「発達」については、記事を改めて書きます。)

 

・・・・・

生きている動物では細胞や神経ネットワークの構造を見る事は技術的に難しい。

けれども、「多光子励起顕微鏡」なるものを使えばそれが可能になる。この多光子顕微鏡は

①赤外光=組織への透過力が強いため、深部まで届く

②多光子=ピンポイントでの観察が可能

という二つの特徴を組みあわせたものであって、この二点によって、生体内部を深く・細かく観察することができる。

これを用いた例として、頭蓋骨の骨細胞イメージングを見せて頂いた。(色素SR101を全身投与してある)

これが物凄い迫力であって、僕は本当にビックリしてしまった。どんどん脳の奥深くまで入り込んでいって、細かく細かく分かれた細胞を

見て行くその様子は、枝の生い茂る森の中を分け入っていくようであり、「こんなものが自分の頭の中に広がっているのか」と

不思議な気分になる。

 

次に見せて頂いたのは、ミクログリアという脳の中の免疫細胞が活動する様子。簡単に用語を説明しておくと、

シナプス=細胞間の情報の受け渡し部位

ニューロン=神経細胞

グリア細胞=神経細胞の伝達を効率化する細胞。(何種類かある)

であって、グリア細胞の中の一種であるミクログリア細胞を見せて頂いたのである。

 

ミクログリアは、幼少期にマクロファージが脳の中に入ってきて居座ったものであって、「シナプスの監視」という仕事を担っている。

その仕事をする瞬間をリアルタイム生体イメージングで見せて頂いたのだが、これもまた感動せずにはいられないものだった。

シナプスに対してミクログリアが手を伸ばして盛んにタッチする様子が見える!しかもタッチする瞬間に、ミクログリアの先端が

聴診器のように膨れてシナプスを触診しているのだ。正常回路の場合はミクログリアは「一時間に一回、約五分ごと」に監視を行う。

(しかもかなり正確な間隔で) しかし、頭を叩いたりして神経活動を起こしたりすると、「二時間に一回、約五分ごと」に監視のリズムが

変わる。つまり、神経活動のアクティビティに監視のリズムは依存している。これがヴィジュアルに見えるのだ!

 

正常回路でない場合、ミクログリアの動きは変わってくる。障害シナプスに対しては、たとえば20分ぐらいずっとタッチしたままになり、

しかも聴診器のように膨れてタッチするのではなく、シナプスの周りをラッピングするようにタッチして精密検診を行う。

(つまり、正常回路でない場合はミクログリアの働きの時間と方法が変わる)

 

このような非正常回路の場合において、ミクログリアが精密検診を行っている最後の10分間をリアルタイム・イメージングしてみると

障害しているシナプスが除去される(ストリッピング)様子が見える。ミクログリアの検診によって、シナプスが消えたり、新生したり

組み換えが起こったりするのである。つまり、ミクログリアは神経ネットワークの再編成に関係している。

 

ミクログリアとシナプスの間には、何らかのケミカルなインタラクションがあると想像されているが、ミクログリアがシナプスにタッチしている

間に何が起こっているか、具体的にはまだ分からない。というのも、この状況を取り出した瞬間にミクログリアが活性化してしまうからである。

ミクログリアは頭をたたくだけでも活性化するし、頭蓋骨の中を見るために少しでも骨を削ろうものなら生体リアクションが起きてしまう。

そのために、最先端のイメージングサイエンスは頭蓋骨を開けることなく、その内部を見ようとしているのだ。

 

今回のNINSシンポジウムのタイトルには「ビックリ!」というキャッチがついているが、それに偽りはない。来て、見てほしい。

シナプスとミクログリアのインタラクションが国際フォーラムのスクリーンに映し出された時、あなたはきっと「ビックリ!」することだろう。

 

 

 

取材旅行へ行ってきます。

 

今日は国立大学の二次試験ですね。昨日も駒場キャンパスには下見に来ている受験生たちがたくさんいました。

みんな気合いの入った目でキャンパスを歩いていて、僕も身が引き締まる思いをしました。受験生の頃のペースで

大学生が勉強し続けたら、大学生の知的水準は一気にあがるでしょうね。(もちろん、遊ぶことや社会勉強もすべきだと思いますが)

とにかく今日は受験生の邪魔にならないように家に籠っていることにします。

 

さて、明日から、NINSシンポジウム事前取材のために立花さんと学生数人で愛知県と岐阜県へ取材旅行へ行ってきます。

訪れる場所は分子科学研究所・基礎生物学研究所・生理学研究所・核融合科学研究所の四か所。

いずれも、国内のサイエンスをリードする研究所ばかりです。文系(といっても理系の分野にも興味はあります。)の僕には

理解できない内容も多々あるとは思いますが、最先端の現場を見る事が出来ると言うのはまたとない機会。

貴重なお話を沢山聞き、また色々と発言して来たいと思います。

 

愛知県に行くのはほとんどはじめてのようなものなので、空き時間には色々と観光もしてくるつもりです。

愛知県出身の友達に聞いたところ、「コメダ珈琲には行っとけ。」と言われたので、とりあえずそこから攻めます。

愛知県の方で、「これはおすすめ」という場所や施設を御存じの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると嬉しいです。

 

なお、クラスメイトでこのブログにも良くコメントをくれる水際のカナヅチ氏(通称「かっぱ」)がブログを始めたとのことでしたので、

リンクを張っておきました。「砂嘴のあしあと」というブログです。

 

シンポジウムのお手伝い

 

今日は「教育から学びへ:大学教育改革の国際的潮流」というシンポジウムの手伝いをしていた。

シンポジウムの内容は手伝いをしていたために十分に聞くことは出来なかったが、なかなか盛況だったようだ。

昨日の夜に急遽作った会場スクリーン用の壁紙も好評だったようで一安心。来場者は大人の方が比較的多かったように思ったが、

それなりに学生も見える。教育心理学に進学が内定している学生や、教育に興味がある一年生がしっかりと参加していたのには

純粋に凄いなあと思った。

 

終わってからはレセプション。普段は開放されることのない生協食堂三階でルヴェソンヴェールの美味しいご飯を頂きつつ、

来場者の方と懇談。キャラメルケーキ(これにバニラソースをかけて食べる)が異常に美味しくて、友達と大量に食べてしまった。

レセプションが終わってからは片づけをし、機構の部屋に帰る。そこで教授や友達と、東京大学の現状や東京大学の行く末などを

真剣に語り合ったりしたが、これがとても面白くて、ついつい12時前まで話し込んでしまう。先生方は教養学部という組織に

誇りと自信を持っていらっしゃるし、それに見合うだけの教育を日々試行錯誤していらっしゃるということが分かり、教養学部に四年間

所属することになる僕としては何だかとても嬉しいものがあった。一年生の後輩が、「次の学期からはもっと勉強しようって気になれました。」

と言っていたのが印象的。僕も来学期はもっともっとやらなければな、と改めて身の引き締まる思いがした。

 

教養学部は縛られない学部だからこそ、可能性を無限に持っている。文理のジャンルを超えて学ぶことが出来るのはもちろん、

組織も理念もフレキシブルなだけに、アイデアを形に移しやすい学部だと思う。あと二年間で何が出来るのか、色々と考えてみたい。

Hommage à L3-15

 

ドイツ語のテストがようやく終わった。「第二外国語ドイツ語選択⇒フランス科進学」なんてイレギュラーなことをすると、二年生の四学期で

ドイツ語の試験勉強をやりながらフランス語の授業の準備をし、英語のプレゼンの発表を慌てて作るなどという瀕死状態に追い込まれる。

とはいえ、ドイツ語のザクザクっと言葉が切れていく感じは思考が整理されていくようで面白い。フランス語とはまた違った魅力がある。

ドイツ圏の音楽、たとえばブラームスにしろウェーバーを考えてみても、ドイツ語の性格と共通したところは沢山見つかる。

音楽は一つの言葉だから、作曲家の育った言語と無縁ではいられないのだ。

 

さて、昨日のドイツ語の最終テストを持って、前期教養学部のほとんどが終わったと言ってよいだろう。

クラス単位で何か授業を受けたりテストを受けたりする機会はもうない。つまり、ある意味では、昨日がクラス解散の日だったのだ。

入学して、いきなり渋谷に呑みに連れて行かれて顔を合わせたクラスの友達。あれから二年が経ったと思うと信じられない思いがする。

文Ⅲ十五組には、強烈なやつが沢山いた。強烈な奴たちと色々な事をした。夜を徹して呑み明かしたり議論したり、超ハイクオリティな

シケプリを制作しまくったり、旅行に何度も行ったり、オペラやコンサートや能を見に行ったり、学校行事に深く関わってみたり・・・

ここには書ききれない事が山のようにある。他のクラスではたぶん考えもしないようなことを沢山した。本当に居心地の良いクラスだった。

振り返ってみて、浪人して、なおかつドイツ語選択で入学して良かったな、と改めて思う。

二年間幸せでした。

 

こんなふうに書くとこれで今生の別れみたいになってしまうけれど、実際にはそんなことはない。

クラスメーリスは今後もガンガン活用して、コンサートに能にと走り回りたいし、またみんなで集まる機会も何度だってあるだろう。

ほとんどの人は本郷キャンパスに進学してしまうので、もう駒場キャンパスにはあんまり寄らないのかもしれないが、たまには

戻ってきてくれたら嬉しいなと思う。僕はずっと駒場にいるので訪れた時には連絡してください。イタトマでコーヒーぐらいならおごりますし

みんなが来てくれないと酒瓶が片付かないので、時間ある時はまたウチで呑み明かしましょう。

専門課程での話や活躍を聞くのを楽しみにしています。これからもよろしく!

 

 

感じて、振る。

 

今日はフレッシュスタートのミーティングに参加して、グループワークの内容を練ってきた。

僕の班のJr.TAは工学系の院生の先輩と僕のふたり。全く違う領域の専攻なので、お互いの専攻の話を聞いているだけで

あっという間に時間が経つ。

 

その中で色々と案を出し合ってみた結果、基本的な構成は「アイスブレイク(兼・自己紹介)+ディスカッション」で良いだろうという

事に落ち着き、その上で1.自己紹介をしながら質問を一つしてもらう 2.ディスカッションは小さなグループでやってから全体でやる

という工夫をすることにした。ディスカッションのテーマは確実に全員が話題に参加できるようなもの(たとえば、文理の学問の違いを

考えてもらいながら個別の学問分野の話に結び付けてゆく、といったような)を考えておくが、それを使うかどうかはその場の雰囲気次第。

質疑応答で面白い話題が出ればそちらで広げる。

 

なんだヒネリがないなあ、と思われるかもしれない。が、最初からヒネリまくって、やたら難しいディスカッションのテーマなどを決めてしまい

身動きが取れなくなってしまうのは避けなければならないから、これがベストだと考えている。フレームはフレキシブルにとどめておいて、

状況次第で最適な方向へ変形させてゆく。シンプルな枠組み+柔軟なアドリブで我々の班はグループワークを進めてゆくつもりだ。

 

 

ミーティング後、しばらく指揮の予習をしたあとレッスンへ。最初のアウフタクトの一音だけで五回ぐらいダメだしを喰らったものの、

なんとかベト1二楽章の半分ぐらいまで進んだ。指揮をすることは音楽を生むことであるが、往々にして、次の音を出すのに必死になって

今鳴り響いている音を聞く事が出来なくなる。ある指揮者が(確かハンス・フォン・ビューローだったと記憶している)

「指揮者は頭にスコアを入れなければならない。しかし悪い指揮者はスコアに頭を入れる。」という言葉を残している。蓋し名言である。

生みだした音を聞きながら、次の音を創造する。それは「この音符ならこう振る」という単なる作業や決まり切った技術ではなくて、

音という「見えない何か」を時間と空間の中で捕まえて、対話していることに他ならない。

 

僕の師はよく、「感じなければ駄目だ。指揮者が感じていなければ、どんなに振っても音楽が鳴るわけがない。」とおっしゃるが、

その意味が徐々に分かりつつある気がしている。(今日は「もう一歩だ。もっと湧き上がってくるように。もっと深いところから。」と言われた。)

音楽が鳴る前に音楽が鳴っているような感覚、次にどんな音が鳴るかが分かる感覚。師を見ているといつも思うこの不思議な感覚を

少しでも早くとらえたい。そして、もっと深いところで感じて振れるようになりたい。

 

僕に残された時間はそう長くない。だから写真のように記憶し、スポンジのように吸収する。一言一句逃さない。

 

LANGAGE ET PARENTÉ 完読!

 

ようやくレヴィ・ストロースの『構造人類学』に収められたLANGAGE ET PARENTÉ (言語と親族)を原典で読み終えた。

かなり丁寧に読んでいったので相当な時間がかかったけれども、文法事項から表現、そして内容に至るまで、得たものは大きい。

この達成感と徹夜明けの妙なテンションが自分の中で偶然の出会いを果たし、昼には一人で駒場東大前近くの蕎麦屋で上天ざる

1100円を頼んでしまった。徹夜明けの身体に食後の蕎麦湯がしみる。満足だ。財布の中身は見て見ぬふりをするのがコツである。

 

ここ数日間は毎日何かしらのレポートや小論に追われている。既に書き終わったものだけでも生命倫理、メディア論、映像分析、

身体論、音楽と詩などがある。これから書くものは広告論、科学技術倫理、ヨーロッパの心性史、ディルタイの哲学などがある。

そこに加えて比較法学のテストがあったりドイツ語のテスト勉強をしたり、指揮のために楽譜を読み込んだりしているので、毎日が

大変なことになってしまっている。にもかかわらず、30日の夜から2日の夜までは志賀高原へスキーに行くことにした(笑)

 

ゼミ旅行と銘打ったこの旅行、志賀高原を力の限り攻める予定である。

71のリフトを乗り継ぎまくって初級コースから上級コースまで幅広く制覇したいと思う。志賀高原全山のスキーコース中で最も手強い

丸池の一部のコースと焼額山の「熊落とし」と呼ばれる急斜面+コブだらけのコースをどう乗り切るかがポイントになるだろう。

スキー旅行記については写真とともに後日ここで公開するつもりなので、どうぞお楽しみに。