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ヨーロッパ滞在記 その7 – コレージュ・ド・フランス -

 

フランスを経つ前日には、コレージュ・ド・フランスへ行ってきました。

僕のようにフランスの思想を専門にしている人間にとって、コレージュ・ド・フランスはちょっとした聖地みたいなもの。

訪れるのを楽しみにして、カルチェ・ラタンで下車。コレージュ・ド・フランスへ寄る前に、近くにあるノートルダム寺院を見て来ました。

ノートルダムの辺りには日本人の方も沢山いらして、久しぶりに日本語を聞いた気がします。ノートルダムは「すごいなあ。」という印象

だけで終わってしまったのですが、帰国してからインタビューさせて頂いた照明デザイナーの石井リーサ明里さんが

このノートルダム寺院のライトアップを手掛けられたのだと聞いて、あとから驚きました。

 

さて、コレージュ・ド・フランス。ソルボンヌ大学の向かいにあって、ちょうどその日は「フランスの文化公開週間」みたいなものに当たって

いたようで、中まで入ってみる事が出来ました。かなりの行列が出来ていたのですが、ここを訪れないわけにはいかないので、フランス人

に混ざって(アジア系は僕だけでした)並ぶこと一時間、ようやく敷地内に入ります。ホールではブーレーズの講義動画などが流れて

いて、ああこのホールでレヴィ・ストロースやフーコーが講義をしていたのか、と思うとちょっと感無量。まさにここで、世界最先端の

「知」が語られていたのです。ここで講義を受けられる日が来たらいいのにな、そのためには語学をもっとやらないと聞きとれないな、

などと思いながら、二回もコレージュ・ド・フランス内をぐるぐると回ってしまいました。

 

あとで気付いたのですが、コレージュ・ド・フランスの入り口の近くの花壇のような場所には、それぞれ名前がついていて、

その一つが「ミシェル・フーコー スクウェア」となっていました。自分の名前がついたスペースがコレージュ・ド・フランスの

前にあるなんて素敵すぎますね。

 

そのままソルボンヌ大学の近くのカフェに入り休憩したあと、シテ島とサン・ルイ島まで足をのばしました。

シテ島はざわざわとしていて観光客が沢山いたようですが、サン・ルイ島まで歩くと一気に静けさが訪れます。

歩き過ぎて少し疲れたこともあり、川べりのベンチに座って、本屋で買ったばかりの本を開きながら、ゆっくりと静かな時間を

過ごしていました。と言いつつ、サン・ルイ島の通りは素敵なお店ばかりで、つい散財してしまったことを付け加えておきます(笑)

 

そこから、ルイ・フィリップ橋を渡ってリヴォリ通りを歩きまくります。

オテル・ド・ヴィルからセント・ポールまでの間には可愛いお店がいっぱい。僕の好きな文房具屋さんが沢山あって、思わず

財布の紐が緩くなってしまいました。

 

最後に、そのまま歩きに歩いてポンピドゥーセンターへ。現代アートのような外観で知られるレンゾ・ピアノのこの建築には

もちろん驚かされましたが、いちばん印象的だったのが、ポンピドゥーセンター前の広場の活況。

手品をやっている人がいたり、ヴァイオリンのソロ演奏をしている人がいたり、大道芸をしている人がいたり。

それを傾きつつある陽を浴びながら、みんな地べたに座って思い思いに楽しんでいるのです。いいなあ、と心から思いました。

広場ではカップルが堂々とキスをしていましたが、それがこの街・人では不思議と絵になる。そのままキスをしていてほしいなと

思うぐらい、彼らは都市の中に溶け込んでいました。さりげないけれど細部に配慮された美がこの都市には息づいています。

 

ここまで歩いたところで、充電のためにいちどホテルへ。

もう辺りはずいぶん暗くなっていて、フランス最後の夜がすぐそばにやってきていました。

ヨーロッパ滞在記 その6 -パリ国立高等音楽院と音楽博物館-

 

フランスでは、パリ国立高等音楽院(いわゆる「コンセルヴァトワール」)にも行ってきました。

コンセルヴァトワールはパリの中央からやや外れた場所、ラ・ヴィレットの方にあります。中に入ると意外にアジア系の人がたくさん。

日本人の姿も見られました。みな留学されていらっしゃる方でしょうか。もしかしたら音楽の知り合いと擦れ違っていたかもしれません。

コンセルヴァトワールで面白かったのは、各練習部屋に作曲家の名前がつけられているところ。「ジョリヴェ」や「バルトーク」など、

ひとつひとつ名前と色がつけられていて、それを見て回るだけでも飽きないぐらいです。

 

ひとしきりコンヴァト内を回った後、近くにある音楽博物館へ行ってきました。

これがまた面白い!音楽をされている方は絶対楽しめます。音声ガイドがついていて(ただし英・仏のみ)、

展示されている楽器の音を聴くことが出来ます。器楽の発展に合わせて配列されているので、じっくりと音を聴きながらここを

回るだけで、かなりの知識をつけることが出来るでしょう。観光客はそれほど訪れないようで、閑散とした広い空間を心行くまで

堪能。途中に「古楽器生演奏コーナー」みたいなスペースがあって、お姉さんが暇そうにしていらっしゃったので

いくつかの曲や楽器を一対一で聞かせて頂くという贅沢な時間を過ごしたりもしました。終わったあと、拙いフランス語で

「日本から来ました。僕も音楽やってるんです。」と話しかけると、目を輝かせて下さり、

「ようこそフランスへ!指揮をやってるの?日本ではどう振るの、ちょっとやってみてよ。」と話が盛り上がって一時間ぐらいそのコーナーで

おしゃべり。(妙に意気投合して、一緒に写真まで撮ってしまいました) 語学と音楽をやっていて良かったなあと心底思わされた、

幸せな時間となりました。

 

帰りには電車を上手く乗り継いで、フラゴナール&カピュシーヌ香水博物館を見学して「調香師の天秤」に感動したり、

カルチェ・ラタンの方角まで足を伸ばしてソルボンヌ大学の近くをぶらぶらとしてきました。びっくりしたのは、人混みの中でなんと

フランス科の院生の先輩(同じくこのセミナーに参加されていたのです)に遭遇したこと。

僕はソルボンヌ大学近辺から降りてきて、先輩は本屋の近くから出てきてばったり。まさかフランスで偶然会うとは!

駒場キャンパスの銀杏並木で擦れ違った時とほとんど同じように「やあ、奇遇だね。」と世間話をして、「またドイツで会おう。」と

あっさりと解散。世界は狭いです。

 

パリの街を歩いていると気になるのは、やはりパサージュ。

ベンヤミンを読んだからにもパサージュ巡りは外せません。脚が限界を叫ぶまでは歩き倒します。

疲れたらカフェへ飛び込むだけ。昼から呑むのもこちらでは普 通ですので、抵抗は全くありません。

チュイルリー公園の静かなベンチで、冷えた白を飲みながらゆっくり本を広げたりもしていました。一人旅ならではの贅沢な時間ですね。

 

すっかり暗くなったころ、ホテルのあるピガールの街へ戻りました。昼とは全然違って、夜のピガールはまさに歓楽街と言う感じ。

ムーラン・ルージュの大きな風車が煽情的な色で回り、あたりのお店でもネオンが怪しく輝きます。

少し裏地に入ると、映画によく出てくる「娼婦のいるバー」というのが至る所にあって驚きました。

物憂げな視線でガラス越しに眺めてきたり、扇情的な服装で煙草を吹かせつつス ツールに座っていたり。

ネオンの中に広がる薄闇と女のこの構図は、確かに映画に使いたくなるほど、独特の魅力を放っているように感じられました。

 

何もかも新鮮で刺激に満ちた一日。

歩き疲れてベッドへ倒れ込み、ぐっすりと寝てまた明日に備えます。

滞在してまだ間もないのに、いつのまにか「しばらく帰りたくないなあ。」という思いが浮かんでいました。

 

 

フランス・ドイツへ行ってきます。

 

長らく更新が滞ってしまいました。ちゃんと生きています。

いきなりですが、本日より三週間ほどフランスとドイツへ行ってきます。フランスでは語学と音楽をちょっとだけ勉強しつつ、パリをぐるぐる。

さきほど(直前までホテルをとらなかったので、現地へ直接電話して空き室確認などする羽目になりました。かなり大変でした。)ホテルが

決まり、ムーラン・ルージュの近くに泊ることにしました。パリを巡ったり、パリにいる友達と演奏したりと充実した時間になりそうです。

 

ドイツでは、ヨーロッパの財団主催の国際セミナーに参加してきます。というのは、運良く、東京大学大学院の修士課程を

主な対象とした “The European Union under the Lisbon Treaty: Past Experiences and Future Challenges” という

2010年度の派遣プログラムに選抜して頂きました。見て頂ければ分かるように、このプログラムは「欧州研究」それも社会科学的な

性格の強いものなので、人文科学を主なフィールドにしている僕にとっては、少し慣れない部分の多い領域になることと思います。

僕以外の参加メンバーの所属を見てみますと公共政策の大学院や国際関係論専攻の院生の方々が多い様子。

自己紹介タイムで「フランス現代思想や生命倫理が主な興味です。」とはちょっと言いづらいかもしれませんね(笑)

 

ともあれ、選抜して頂き、しかもEuropean Fall Academyという財団から約30万円もの支給を頂いたからには、出来る限りのことは

やらなければなりません。プログラムとしては、今年の冬に参加してきた「〈身体論〉南京大学特別講義」と同じように、各国の

学生たちと共に講義を聞き、ディスカッションなどしてくることになるでしょう。EUの機関へのショート・トリップもプログラムに組まれて

いますので、座学だけでなく、自分の足を使って色々と見聞を深める機会になりそうです。

もちろん全て英語なので大変ではありますが、学部三年の時点で、しかも人文・社会の両方の分野で海外へと派遣して頂けるのは

本当に嬉しい限り。精一杯やってきます。

 

三週間ほど音信が途絶えることと思いますが、パリにはWi-Fiが飛び交っているようですしiPadとVaio-Pは持っていきますので

パソコンのメールチェックやTwitterの@チェック、スカイプなどは出来るはず。御用の方は携帯ではなくこちらの方へ連絡を

入れておいてください。よろしくお願いします。

では、行ってきます!

 

 

悲愴・テンペスト・ヴァルトシュタイン その1 -Grave-

 

しばらく、指揮のレッスンではこの三曲を振っていました。

どれもベートーヴェンのよく知られたソナタ。そして、かつて自分でも弾いたことのある曲ばかり。しかし、これを指揮するとなると、

「こんなもんどうやって振るんや!」と突っ込んでしまいたくなるほどの難易度と密度を持った曲たちです。

ただ拍子を刻んでいるだけでは全く音楽にならないし、イメージに頼っているだけでは全く形にならないもので、

(ベートーヴェンの曲はどれもそうであるように)全てが有機的に結びついているため、どの一音も蔑ろにすることが許されない

厳格な曲ばかりです。

 

「じゃあ次までに勉強しておいで」師匠に言われて、帰ってさっそく悲愴の第一楽章を開けてみた時は正直絶望しました。

Grave、すなわち「荘重に、重々しく」という指示とともに書かれた和音。弾くというなら、それなりに音は出せます。(あくまでも「それなり」)

しかし、この重々しい和音のニュアンスを棒一本で果たして引き出せるのか?基本の動きは「叩き」です。しかし、Graveでしばらく持続

するこの和音を、どうやって出すのか。答えの出ないまま次回のレッスンに赴き、裂帛の気合を込めて振りおろした僕の棒が引き出した

音は、ただ音量が大きなだけで、重みもなく、残響にも乏しいものでした。

 

「違う違う。力任せではGraveの音は出せない。これは難しいから、よく見ておくように。」

笑顔でそう語ったあと、真剣な顔へと一転。そして80歳を優に超える師匠の、ゆっくりと上げられた腕から引き出された音は、

とんでもなく重く、分厚く、そして豊かな響きを持った音。空間にその音が響き渡り、場の温度や色が明らかに変わりました。

その一音だけで、感動から涙が溢れるのを止めることができず、身体の深いところにズザーン!とあの和音が浸透してきてじわじわと

広がってくるのを感じました。家に帰ってからもその音が頭を離れず、僕にしては珍しく、布団に入ってもしばらく眠りにつくことが

できないほどでした。

 

そうして四回のレッスンを終えて三楽章まで無事に進み、悲愴ソナタを何とか振り切ることが出来ましたが、師匠のあの鉛のような

和音には程遠かったと感じています。力も俊敏さも僕のほうが遥かに持っているはずなのに、四倍も歳の離れた師匠の出す

Graveのffには全く及ばない。指揮の不思議さと奥深さを改めて痛感することになったという点で、悲愴、そしてあの和音は

僕にとって忘れられないものになりました。

 

 

DIALOG IN THE DARK に引率してきた。

 

このブログの記事の中でも、2009年6月19日に書いたものはアクセス数が常に結構ある。

「DIALOG IN THE DARKに行ってきた。」という記事がそれだ。DIALOG IN THE DARK、つまり見知らぬ人たちとグループを組んで、

視覚障害者の方にアテンドして頂いて完全な暗闇の中で一時間半過ごすイベントであり、それに行ってきた感想を書いたのが

この2009年6月19日の記事である。この記事にアクセスが多いのも当然といえば当然、なんとDialog in the darkとGoogleで検索する

と、驚いたことにオフィシャルホームページに続く順位でヒットする。僕の適当な文章がそんなに沢山の人に読まれているのかと考えると

「文章下手ですみません。」と平身低頭謝りたいぐらいだが、もしもあの記事がDialog in the darkに実際に足を運ぶきっかけに僅かでも

寄与できたならば、それはとても嬉しい事だ。それぐらい僕は、この暗闇のイベントが刺激と意義に満ちたものだと思っている。

 

立花ゼミの後輩たちにもこの衝撃を経験してほしかった。というわけで希望者を募り、集まった一年生・二年生を10人ほど連れて

再びこのイベントに行ってきた。昨年は確かカンカン照りの昼間、授業をいくつか休んで行った覚えがあるが、今年は五限の授業が

終わってから、日が沈みつつある中で外苑前に降り立った。そして熊野通り・キラー通りを抜けると、どこか神戸のような雰囲気のある

坂道に到着する。DIALOG IN THE DARKの会場はもうすぐそこだ。

 

坂道を下り、間接照明が上手く使われた地下への階段を降りながら、「ああ、もう一年経ったのか」とつい感慨に耽ってしまった。

一年なんて本当にあっという間に過ぎてしまうものなのだ。ヒトが一年間で出来る事はたかが知れているかもしれないけれど、

光のような速さで過ぎてゆく一年間の「密度」を高める事は出来るのであって、自身のことを振り返ってみても、人生を変えたと思えるような

出会いや出来事がこの一年で沢山あったし、考えてみればこのイベントもそうした衝撃的な経験の一つであったと言ってよいだろう。

入学したばかりの一年生や進学に悩む二年生にとっても、今から経験する暗闇の時間が忘れ難いものになればいいな。

 

そんなことをぼんやりと考えながら、先に部屋に入っていった彼らの背中を見届けて、僕も一年ぶりのドアをくぐる。

そこには昨年と同様、明るすぎず落ち着いた優しい空間が広がっていた。笑顔で迎えてくださる受付の方々に挨拶をして、

相変わらずふかふかのソファーに腰を下ろす。そして三グループに分かれて暗闇のツアーに向かうゼミ生たちを送り出す。

少し緊張した面持ちで、しかしどこかワクワクした表情で、彼・彼女たちは暗闇に吸い込まれていった。

 

中での出来事は、後輩たちが一人ひとり書いてくれる予定の記事に委ねよう。

僕がここに書くことは、終わってから全員でブレイン・ストーミングとディスカッションをしたことを付け加えておくぐらいだ。

(以下は我々オリジナルの楽しみ方なので、このイベントに組み込まれているプログラムではない。けれども、中々面白いものだと思う。)

 

実はツアーを体験する前の待ち時間で「《暗闇》にどのようなイメージを持っているか」というテーマで予め各自ブレイン・ストーミングを

してもらっておいた。《暗闇》から思いつく言葉やニュアンス・感情を自由に書き留めておいてもらったのである。

そしてツアーが終了してから再び、《暗闇》のイメージや暗闇で体験した中で印象的だったことをそれぞれ書き出しておいてもらった。

それをもとにして、近くのイタリアンでご飯を食べながら、各自が感じたことや他者との相違、気付きなどを巡ってディスカッションを

行った。一人ひとりの感じ方は当然異なっており、しかし共通するところも沢山あって、刺激的な議論が展開されていたように思う。

最後に、「暗闇の地図」を全員で描いた。90分過ごした暗闇がどのような構造になっていたのか、思いだせる範囲でそれぞれマップを

描いてもらったのだ。これがめちゃくちゃ面白くて、大きさ・方向・場所ともに他人の地図と情報があまり重ならない!

五感のうちのたった一つを遮断しただけでこれほどまでに人間の「共通」理解は崩れ去る。

なにが普通でなにが共通なのかなんてそこに絶対的な区切りは存在しないし、「世界」も決してたった一つではない。

人間は絶対的な存在ではなくて、偶然的なものや脆い基盤に立脚して《共通》や《ノーマル》といった概念を成立させているに過ぎない。

 

視覚以外の四感が研ぎ澄まされ、他者との精神的距離と時間が驚くほどに縮小される90分。

暗闇での時間は、人間という存在に様々な問いかけを投げる。そしてその問いが導き出す答えはつまるところ、「人間は面白い」という

シンプルでありながらも、無限の奥行きを持つ事実なのである。

 

 

『子供の情景』を振る。

 

シューマンの曲集に『子供の情景』というものがあります。

ピアノをある程度習っていた方なら一度は弾いたことがあるはず。子供の情景、と言われてピンとこない方でもこの曲集の中に

収められている「トロイメライ」を聞けば「ああ、聞いたことある!」と思われることでしょう。どれも夢見るような、風景や情景が浮かぶような

曲ばかりで、シューマンいわく「子供心を描いた、大人のための作品」とのこと。技巧的にはさほど難しくはありませんし音もそんなに

多くはないのですが、これを「音楽」として表現しようとするとかなり深い読みが必要とされてきます。

このように「子供の情景」には演奏者が表現する余地がたっぷりと残されているので、コルトーやアルゲリッチ、エッシェンバッハと

新旧を問わず様々な大ピアニストたちが独自の表現を展開して録音を残してきました。

 

僕もかつてこれを一通り弾いた(というか今振り返ってみると、「音を鳴らした」だけでした。)経験があるのですが、今度は

弾くのではなく、振っています。というのは、僕が所属している門下では、斉藤秀雄の指揮法教程の練習題が終了するとこの

「子供の情景」を振る練習をするのです。弾くのも難しいのですから、振る(=自分で音を鳴らさず、引き出す。)のはその何倍も

難しい。そして音が少ないからごまかしは効きません。テンポの微妙な揺れ、音楽の膨らみ、そして情景。そういったものを細かく細かく

棒の動きの中に込めて演奏者に伝達していかねば、「子供の情景」は真の意味で《音楽》にならないのです。

 

師匠に「ほら振ってごらん。」と言われるままに、一曲目のVon fremden Ländern und Menschen「見知らぬ国々と人々」を

振ってみて愕然としました。流れてくる音楽の何と平坦で面白くないこと!聞くに堪えないただの音の羅列!

それに対して、師匠が笑いながら「それじゃ駄目だね。こうだよ。」といって振ってくださったときに流れてくる音楽のとんでもない美しさ!

指揮台の上で文字通り言葉を失いました。夢見るようで、どこか違う世界に入ってしまったようで、繊細で詩的。振り方を見なければ

いけないはずなのに、思わず目を閉じて音楽を聞いていたくなる。こんなに素敵な曲だったのだ、と我を忘れてしまう。

振りを見ていても、ただの一瞬も同じ振り方をする小節はありません。たっぷりと余裕を持ちながら曲の中に入り込み、

しっかりと間を取りながら細かく自然にテンポや音量を動かしていくその様子は、指揮棒と生まれてくる音が見えない糸で

繋げられているように感じられるほどです。そしてこうした境地には、頭や手先の技術を用いて調整したとしても達しえないでしょう。

こうした表現の核には「自然さ」が必然的に要求されるからであり、師匠が述べるとおり、「究極的には、音楽をどう感じるかだ。」という

《感じ方》の問題なのです。

 

目を閉じれば情景が浮かぶ。そんな生ぬるいものではありません。そこで展開される音楽は、強制的に人をその情景の世界に

連れてゆく。二曲目のKuriose Geschichte「珍しい話」の冒頭のリズムが聞こえ、Träumerei「トロイメライ」の和音が空間を満たし、

Fürchtenmachen「こわがらせ」の四小節が耳に届いた瞬間、聞くものは別の世界に投げ込まれる。それほどまでに吸引力のある

音楽が、たった棒一本から生まれ出るのです。その様子は衝撃的なものであり、師匠のお手本を目の当たりにするたびに

感動のあまり何故か笑いが込み上げてきます。誇張抜きに、フレーズが変わるたびに教室の空気の温度が変わるように感じられます。

 

そんなレベルに僕はまだ達することが出来ませんが、とにかくも『子供の情景』がこれほどまでに深い曲であることを、振っているうちに

痛感しました。とはいえ、悪戦苦闘しながら朝から夜までこの曲のことで頭が一杯になる三週間を過ごしたおかげで、いくらか表現力が

身に着いたのは確かでしょう。「表現力」―そう、指揮者は表現力と伝達力をフルに発揮することが重要なのであり、そのためには型から

脱しなければなりません。つまり、型はとても重要だけれども、型にはまっている限りは音楽は音楽にならないということです。

「《型に則りながら型を脱する》なんてまるで禅問答みたい。」と思われるかもしれませんが、指揮というのはそうした抽象的な技術と

思考の積み重ね、そしてその不断の実践によって成り立つ芸術なのだと思います。こうした「分からなさ」が、ある意味では指揮の

魅力の一つであり、この「分からなさ」が生みだす面白さに、僕はどうやらすっかり取り憑かれてしまっているようです。

 

 

リンク追加と文章を「書く」こと

 

右の「ブログロール」にリンクを二件追加しました。

立花ゼミ新入生の細川さんのブログ(Die Sonette an・・・?)と、 同じくゼミ新入生の青木さんのブログ(イディオット)です。

二人とも個性的でとても好奇心の強い方々ですので、東大での生活やゼミでの活動、趣味から論考まで、これから色々と

書いていってくれることと思います。楽しみにしています。(なお、リンクは常時募集していますので、興味がある方はぜひご連絡下さい。)

 

しばらく忙しくてこのブログの更新をサボっていましたが、新入生の方を見習って僕もまたどんどんと更新していくつもりです。

「日常的なことはTwitter、考察的なものはブログに書く」という形にしようかなと考えた時期もありましたが、人文系の学問分野に足を

突っ込んでいると、テーマによらず纏まった文章を書くことの重要性を痛感することが多いので、Twitterではなくやはりブログを自分の

発信ツールの基礎に置きたいと思います。Twitterはメモには最適だし人から刺激を受けるツールとしても素晴らしいのですが、

いかんせん文体を変えてしまう。それは140文字というTwitterならではの制限が、句読点の打ち方や語尾の表現などにある程度

鈍感であることを許してくれるからです。でも論文にしろ企画書にしろ、本当に人に何かを伝えようとすると纏まった文章を書く必要が

どうしても生じてくる(コピーだってそうです。コピー自体は短くても、その背景にある思考や狙いは決して短いものではないはず。)

のであって、そうした纏まった文章を一つ書こうとしてみると、表現から改行まで色々と敏感にならざるを得ません。

 

「この表現はさっき使ったから避けよう。」「ここは改行したほうが読みやすいかな。」「この言葉ってこんな使い方で合ってたかな?」

そんなふうに次々と疑問が湧いてきます。こうした所作には、Twitterの「つぶやく」ではなく、手紙や文章を「綴る」という言葉が

良く似合います。「つづる」、この言葉を聞いて、机に向かってスラスラと筆を動かし、時に頭を抱えて悩む人間の様子が

浮かぶのは僕だけではないはずです。それは言いかえれば、思考や感情を形ある「文字」「文章」に変換しながら変換した文字に悩み、

また文字に変換しきれなかった思考や感情との差異に苦しみ、文と文の繋がりが生みだす摩擦に心を砕く様子だと思うのです。

そういったことに敏感になり、生じた摩擦や疑問を一つ一つ消化していくことによって、なんとか文章が書けるようになっていくのでしょう。

 

昔から言い古された「文章は《書くこと》と《読むこと》によってしか磨かれない。」というフレーズは、今もって至言だと感じています。

五月も今日で終わり。拙い文章ではありますが、これからも日々書きまくり、そして沢山の本を読んでゆきたいと思う次第です。

 

 

五月祭をゆっくりと。

 

五月祭に行ってきました。

三年生、しかも所属学部が駒場キャンパスにある身なので、今年は何もやる仕事がありません。

何も仕事がない五月祭というのははじめて。二年前と昨年は必死でデザインの仕事をやり、合間には鬼のようにたこ焼きや焼鳥を

焼きました。そして安田講堂の講演会では、席を埋め尽くした聴衆の方々がみな自分のデザインしたパンフレットを机の上に

置いているのを二階席から見て感動したり、渾身の出来と(当時は)自負していたポスターの前で沢山の方が記念撮影をされている

様子を見てじーんとしたりと、慌ただしく過ごしていました。ですが今回は完全フリー。よくよく考えてみれば、今までの二年間は時間に

余裕が全く無くて模擬店すら満足に回ることができていなかったので、今回は沢山のお店を回って、ゆっくりと食べ歩くことにしました。

 

たません、タピオカジュース、チュロス、似顔絵…と手を出しつつ本郷キャンパスを歩いていると、様々な人に出会います。

やたらツインテール+メイド服が似合う一年生の知り合い。ショッキングピンクのジャンパーをまとって四つ打ちのビートに体を揺らす

ゼミの後輩。女性と比べても引けを取らないほど美脚の、セーラー服で女装した高校の後輩。イケメンなのをいいことに相変わらずナンパ

にいそしむ浪人時代の同期。みな思い思いに五月祭を過ごしていて、「ああ、平和だなあ。」と思わずにはいられません。

そんなふうに、今回は一人の来場者として、このお祭りを堪能させて頂きました。関係者の方々、本当にお疲れさま!

 

深夜の本郷キャンパス

 

情報学環のコモンズというスペースを使って徹夜で勉強してみた。

普段駒場で毎日過ごしている身としては、本郷というだけで珍しい。深夜の本郷となればなおさらだ。

夜中二時ぐらいに休憩しようと思って部屋を出て、赤門から外に出ようとしてビックリした。門が閉まっている。出る事ができない。

なんと本郷キャンパスは夜になると竜岡門という門を除いてすべて閉鎖されるらしい。いつでも空きっぱなしの駒場キャンパスに

慣れていたので、「夜に門が閉まる」というのに激しく違和感を覚えた。

 

一旦部屋に戻ってネットで検索したところ、本郷キャンパス内にあるローソン(安田講堂のすぐ近く)は24時間開いているとのこと。

門を締めている以上、外部の人がわざわざこのローソンに買いにくることはまずないだろう。つまりこのローソンは、夜中に勉強したり

研究したりする学生専用に24時間オープンしていることになる。「がんばって勉強・研究しなさいよ。」という東大の声が聞こえてくるようだ。

しかも「夜中に勉強・研究する学生用」だからだろうか、夜9時以降はお酒を販売してくれないらしい。ビールでも飲みながら勉強の続きを

やろうと思っていたので、ちょっとアテが外れて残念。

 

気を取り直して「野菜生活」のペットボトルを購入した。KAGOMEの100%のやつである。

闇夜にそびえる安田講堂を見上げながら、これを一気飲みする。健康なんだか不健康なんだかよく分からない。

なんとなくやってみたかっただけだ。安田講堂に背を向け、飲み終えたペットボトルをぶらさげて講堂から続くまっすぐな道を

歩きながら、東大での生活にいつの間にか自分がすっかり馴染んでいることを実感した。もう三年生になってしまった。

時間が経つのは本当に早い。

 

わざと遠回りして深夜の本郷キャンパスを散策する。

午前三時。人の気配はほとんどない。駒場キャンパスと違って、暗いところは容赦なく暗い。

総合図書館の近くなど、足元がまったく見えない。「誰もいないように見えるけど、実は横の暗がりに沢山の人間が息を潜めていたら・・・」

などと考えてちょっと怖くなる。「闇は想像力を掻き立てる」というセリフをどこかで聞いた気がして、何だったかなと考えながらしばらく

闇の中を歩いた。文学部棟をくぐり、医学部棟の前でぼんやりと佇んでいるうち、唐突に思い出した。『オペラ座の怪人』だ。

この映画の中で歌われるThe Music of the Nightという曲の冒頭に

Night-time sharpens, heightens each sensation.  (夜はあらゆる感性を高め、研ぎ澄ませる。)

Darkeness stirs and wakes imagination.  (闇は想像力を掻き立て、目覚めさせる。)

という一節があるのだった。部屋に帰ったら作曲者のアンドリュー・ロイド・ウェーバーのCDを聞きながら勉強することにしよう。

 

ひとしきり歩くと一時間ぐらい経っていた。

目はだいぶん暗闇に慣れ、夜風が肌に気持ちいい。春の夜は不思議な力に満ちている。冬とは明らかに違う何かがある。

目にとびこんでくる電燈の光は、キラキラと鋭く輝いていた冬と違ってどこか鈍い。昼間の陽光はすっかり姿を潜め仄寒いが、冷たさという

よりは「涼しさ」といったほうがしっくり来る。朧げな空気、だがその中に、明日の暖かさへと繋がる「何か」が息づいているのを感じる。

 

冬は終わった。春は確かにそこにある。

また一つ季節が変わったことを知り、深いブルーブラックの空を見上げながら大きく伸びをして、元いた場所へゆっくりと歩きだす。

僕の22歳は、もうすぐ終わる。

 

 

情報学環の研究生になりました。

 

多忙な日々に追われて書くのを忘れていました。

情報学環の研究生の選抜をパスしたので、この春から東京大学大学院情報学環教育部に所属することになりました。

メインの所属は教養学部の地域文化研究科フランス分科であることに変わりはありませんが、もう一つ所属が増える形になります。

地域フランスは駒場キャンパス、情報学環は本郷キャンパスなので、これで東大の二つのキャンパスを使うことが出来ます。

(そのぶん、移動が時間的にも金銭的にもキツいのですが・・・。)

 

そしてちょうど昨日、情報学環の入学(部)式を終え、研究生の先輩方とともに吞み会へ行ってきました。

研究生の方々は年齢も所属も経歴もさまざま。同じく教養学部の人がいるかと思えば社会人で元プロデューサーの人がいたりと

かなりカオスな感じです。でも、それが楽しい。整理された狭いコミュニティだけに所属していては思考が停滞してしまいます。

斬新で説得力のある発想のためには、専門分野を深く掘り下げながらも専門分野以外のモノや人と常に接触し続け、

常に外部を求めて刺激に晒される必要があります。情報学環の「不揃い」さは、僕にとってとても魅力的に映りました。

 

これから研究生としてどのようなことに関わっていくのかはまったく道ですが、駒場と本郷の両方に所属というかなりマイナーな身分を

活かして、両方のキャンパスで学ぶことを繋げるような何か面白い企画をやれたらいいなと考えています。お楽しみに!