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うちのクラスは凄かった

 

 あるプロジェクトの資料に用いる図のデザインを頼まれていたので、駒場で四時間ほどかかって仕上げる。

このプロジェクトの名前を公にする日もそろそろだろう。きっと相当大きな企画になるに違いない。楽しみだ。

 

 作業をやりながら自分のクラスの友達がどこへ進学先を決めたのかを聞いたのだが、驚くべき結果が明らかになった。

なんと、僕のクラス(文三 十五組)から、四人も法学部へ進学していた!!これは驚かずにはいられまい。

今年度、文三から法学部への進学に成功したのは全員で九人。そのうちの四人がうちのクラスから、というのだから凄いことだ。

周知のように文三から法学部へ進学するためにはかなりの高得点が必要になってくる。高得点だけではなく、「チキンゲーム」、

つまり「一次調査で出したものの、無理そうなのでやっぱり降りる。」「いや、誰かが降りると読んで突っ込む。」というような、

インディアンポーカーめいたゲームを乗り切る「読み」と「度胸」と「運」が必要になってくる。四人のうち、二人は圧倒的な点数をもって

法学部への進学を決め、残る二人は大胆極まりない「読み」によって法学部への進学を成功させた。すごい。

文三のクラス(我々のクラスは三十一人いる。)から、四人が法学部へ進む。これは過去最多ではないだろうか。

 

 ちなみに、みんなの進学先を集計していったところ、我々のクラスから最も多く進学した学科は法学部である可能性まで出てきた。

(文学部を文学部として纏めてしまうとそこが一番多くなってしまうので、法学部と文学部の各学科を比較することにはなるが)

進学先の人数的には、法学部=文学部社会学科>教養学部>文学部英文学科=文学部国文学科=文学部哲学科>etc

という順番になっているはずだ。これは相当に異常な結果である。二年間を一緒に過ごして来てこのクラスの凄さは十分に知っている

つもりだったが、改めてそれを味わった。なんにせよ全員進学先をきっちり決めたようなので、進振りおつかれコンパでも開きましょう!

 

 夜、二日連続で指揮法レッスン。

今日は脱力のコツと、音楽の流れに任せることを教わった。終了後にはアーノンクールのビデオを鑑賞した。

まだアーノンクールの頭髪が黒々としていたので、きっと若かりし頃の映像だろう。そのあと、先生の過去の演奏会のDVDを鑑賞。

曲目はベートーヴェンの五番。見事なまでの脱力と、打点の分かりやすさ、無駄のない動きに毎回のごとく感動。

帰り際に先生が最後に下さった、「音楽に限らず、芸術は【感じる】もので、中から溢れ出すものだよ。内から突き動かされなくっちゃ。」

というアドバイスがとても印象的だった。自ら音を出すのではない指揮者は、音を出さないからこそ、目に見えない〈なにか〉を持ち、

それを伝えなければならない。〈なにか〉は、四拍子をどう振るとか叩きを鋭くとか、そういうテクニカルな問題を超えたところにある。

自分のうちから〈なにか〉が溢れ出して、電流のように棒の先から演奏者の心へ伝えられるようになりたい。

 

 そんなことを考えながら雨の帰り道を歩く。

ふと、エリック・ハイドシェックと話したときにアドバイスを求める僕に向かって彼が優しい笑顔でくれたメッセージを思い出した。

 

「難しい事はありません。ベートーヴェンが音楽の本質を言い切っています。『心から心へ』と。音楽はあなたの中にあるのです。」

 

 

OTELLO@新国立劇場

 

 Otelloの初日公演に行ってきた。

詳しく書きたいが明日からのクラス旅行の準備をせねばならないので手短に。

指揮のリッカルド・フリッツァをはじめとする豪華キャストで送られるこのOtello、初日だったこともあり相当に気合いの入った公演だった

ように思う。冒頭のAllegro agitatoの表現も激烈で一気に作品に引きずり込まれた。ちょうど右側の座席だったために金管や打楽器が

近い場所にあり、純粋な音量だけでもかなりの迫力。注目すべきは演出で、かなりスクリーンを駆使するなど、「映画」的な演出方法が

至る所でとられておりとても刺激的。歌手に関して言えばカッシオ役はイマイチだったが、イアーゴが途中からどんどん調子を

上げてゆき、ニ幕の「イアーゴのクレド」のところに至っては素晴らしい歌唱を聞かせてくれた。カーテンコールの際もイアーゴが

オテロやデスデーモナを差し置いて一番の拍手をもらっていたのではないだろうか。

(もちろんオテロやデスデーモナも素晴らしい歌唱であり、万雷の拍手をもらっていたのだが、イアーゴはそれを上回った。)

「イアーゴのクレド」は演出も素晴らしく、歌に合わせて壁に十字架を書きつけ、水をぶっかけて消す、というのが面白かった。

 

 四幕、結末は何度も聞いて分かっているはずなのに、いざその時が近づくと鼓動が速くなる。

ここに至ってデスデーモナも絶好調。最後の歌を絶望と悲哀と無念を込めて歌い上げる。一幕の終わりにある「もういちど口づけを」

のシーンと対比させる構図でオテロは自害。音楽も最初の動機をやや強調した形で演奏された。

幕が降りてから、少しの間誰も拍手をせずにじっとしてしまうほどの名演。カーテンコールの際にホールを振り返ってみると

七割ぐらいの観客がスタンディングで拍手を送っている様子が目に入る。それぐらい素晴らしい時間であった。

(なお、僕の近くの座席にキャンベル教授がお座りになっていらっしゃるのを発見してびっくり。派手なシャツを着ていらっしゃいました。)

 

 明日から三日間、クラス旅行という名目で伊豆にサーフィンに行ってくるのでしばらく更新が途絶えると思います。

宿は圏外になるので電話及びメールも時間によっては繋がらないかもしれません。

帰ってきしだい、溜まっている書評や旅行談などを順次書いていく予定です。

 

植田伸子さんのピアノリサイタル

 

 オール・ベートーヴェンで組まれたこのリサイタル、Haydnのコンチェルトのソリストでクラスの友達のNさんからチケットを頂いたので

わくわくしながら上野にある東京文化会館へと向かった。植田さんのコンサートを聴くのは昨年の演奏会に続いて二回目。プログラムは

演奏順に Piano Sonata No.3 , 13 , 18 , 27であり、No.14が『月光』、No.17が『テンペスト』、No.26が『告別』であることを考えると、

有名どころのソナタをあえて外して構成されたプログラムのように思われた。No.3 , No.13はそれまでにほとんど聞いた事が無かった

ため、はじめて聞く曲のつもりで聞く。対してNo.18 , No.27は自分でも弾いた事がある曲で、とりわけNo.18は好きなソナタの一つ

(Rubinsteinのピアノ、Barenboimの指揮による『皇帝』にカップリングされているNo.18を数年前から愛聴していた。)であったため

この軽快な曲がどのように弾かれるのか楽しみにして、ホールのライトが落ちるのを待った。

 

 あっという間に全て聴き終わる。No.27も良かったが、No.18がとりわけ素晴らしい演奏。

この曲はしばしば指摘されるように、出だしが二度の七の和音(Ⅱ7)という型破りの音で始まる。

これをどんな音色で弾くか、そしてその後の激しいテンポ変化をどう表現するかで全体の性格がある程度決まると思う。

植田さんは出だしの音にじゅうぶんな時間をかけ、その響きを我々の耳に焼き付けた。リタルダンド、フェルマータに差し掛かっては

聴衆に息を止める時間を与え、そして走り出す。多くない音がかえって美しい。ガラス玉を光に透かしたような輝きの高音、

重さのある低音、二楽章での左手の同音連打の強調が心地よい。そうかと思うと音量の鮮やかなコントラストに耳を奪われる。

ひたすらに楽しい二楽章。一転して三楽章ではしっとり、でも思いっきり歌った演奏。

頭の中で二楽章のリズムがリフレインされながら、ベールのようにこの三楽章が被さってくる。

そして四楽章、楽しさをもう一度爆発させる。左手の伴奏に乗っかってくる右手がほんとに楽しそう。

植田さんがベートーヴェンを楽しんでいることが伝わってきた。量感ある低音に支えられた表情豊かな演奏。

聴きながら思わず笑顔になってしまった。そして、ラストも持って回ったような引き伸ばしをせずにサラッと軽めの音で切り上げる。

動けないような感動を与えるのではなくて、「楽しかった!もう一度聴きたい。リズムやメロディーの一部が頭から離れない。」という

思いにさせてくれる演奏だった。こういう演奏凄く好きです。

 

 全体的に、プログラムが進むにつれてどんどん調子を上げて演奏されていたのではないだろうか。

No.13の後半ぐらいから植田さんの持ち味(だと僕が勝手に思っている)の重さと鋭さを備えたスフォルツァンドが聞こえてきたと思う。

アンコールもすべてベートーヴェンで、〆は昨年と同じく『エリーゼのために』。力の抜けた演奏、たっぷりとルバートをかけた演奏で、

誰もが知るあのフレーズに聴き入った。

 

 久しぶりにコンサートへ足を運んだがやっぱり生演奏はいい。外からはもちろん、身体の中からも元気が湧いてくる。

素敵な時間を過ごさせてもらいました。チケットをくれたNさんありがとう。またみんなで何かコンサート聴きに行きましょう。

 

東京へ戻って来ました。

 

 二週間ちょっとの帰省を終えて東京へ戻って来ました。

新幹線(もちろん自由席)に乗ってハイドンのスコアを広げて勉強していると、隣に二人組の高校生が乗って来ました。

「一番の要約はたぶん半分で、英作それなりにとってリスニングもがんばって長文死んで・・・60あるかないかぐらいだと思う。」

などという会話をしていたので、内容と順番から考えて、東大の英語の問題についてだったと思います。時期的に東大実戦か何かの

話をしていたのでしょう。横で「実戦の長文は難しいもんなー。」などと思いつつ品川で降りようと席を立つと、

「あのひと音大生かなー。音大生は英語とか世界史とかしなくていいから羨ましいよな。」と話す声が聞こえてしまい、思わず振り返って

「要約半分ではマズいぞ。過去問繰り返して慣れるべし。」なんて言おうかと思いましたが、自重しておきました(笑)

 

 東京についてみると、やっぱり人の多さに驚きます。それから街中に微妙な警戒心が漂っているような気がします。

人同士が打ち解けていないというか言葉にはならないギスギスした空気を感じました。まあそれも東京の面白さの一つかもしれません。

 

 朝、そのまま駒場に行ってハイドンのピアノ協奏曲の三楽章をコンマスとソリストと合わせて来ました。

夏休みの間に300回ぐらい読んで和声や構成を分析し、自分でもある程度弾いたこともあって、大体は上手くいったと思うのですが

睡眠時間が足りていなかったせいかニカ所ほどキューを出し忘れてしまい、コンマスが入りづらそうにしていたのが申し訳なかったです。

次回は忘れないようにしっかりマークしておきました。また、このコンサートについては本業のポスターデザインを頼まれていたため

そちらの完成稿も渡すことができました。ポスターについては記事を改めて触れたいと思います。

そういえば途中でオジサン達が写真を撮りに乱入してきて、「撮られたくなかったら顔見えないようにしておいてね。」と

言われたのですが、指揮の都合上そういうわけにもいかず、撮られるがままになっていました。

写真を何の用途に使うのか謎なのが怖いところですね。

 

 「たまには外食もいいか。」ということで、昼には連れと美登里寿司へ行き、大漁セットなるものを注文してみました。

昼から寿司かよ、と思われるかもしれませんが、このセットは何と950円程度。絶品のお寿司8貫に加えて、

茶碗蒸しやサラダ、デザートまでついているので素晴らしくお徳感があります。特に炙りものが美味しかったです。

自宅に帰ってからは再びハイドンの勉強。先日から二楽章のカデンツァを書いていたのでその続きを。

書いていると言ってしまうと少し大げさで、実際にはアルゲリッチが弾いているランドフスカのカデンツァを楽譜に起こしているだけです。

聴音と書きとりは久しぶりだったので、たった二分程度の部分なのになかなか進みません。

書いては弾き、弾いてはSONARに打ち込み、打ち込んでは再生して「なんか音足りない・・・。」と悩みの繰り返しです。

そんなわけで今日は8小節書いただけに留まりました。衰えを痛感したので、『音大受験生のためのパーフェクトソルフェージュ』を

9月は毎日やることにします。

そのあとで三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)を読了。三島の作品群の中ではさほど優れた作品ではないように感じますが、

「父」という存在を巡る少年たちの会話の深みや、最後に置かれた印象的な一節(三島の文体ならではの一節)は結構好きです。

 

「正しい父親なんてものはありえない。なぜって、父親という役割そのものが悪の形だからさ。・・・(中略)・・・父親というのは真実を

隠蔽する機関で、子供に嘘を供給する機関で、それだけならまだしも、一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると

信じていることだ。」(P.126)

「竜ニはなお、夢想に浸りながら、熱からぬ紅茶を、ぞんざいに一気に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。

誰も知るように、栄光の味は苦い。」(P.168) 

 

 読書のあとはアイスコーヒーを淹れてネットサーフィン。

ニコ動で、京大の友達から教えてもらった「新世界エヴァンゲリオン ~関西弁で台無しにしてみた~」という動画を見ました。

エヴァについてはあまり詳しくないのですが、それでも死ぬほど笑わせてもらいました。関西弁の恐ろしさを実感できます。

ところどころに入れてくるネタがまた秀逸。これは相当時間かかってるんじゃないでしょうか。

女の声の部分では、投稿者である男の方の声のピッチを上げて女っぽくしているのですが、そのあたりにも作者の苦労が忍ばれます。

とりあえずエヴァ好きの人は一度は見るべきです。(ただし、原作の印象が完全に破壊されるのを覚悟の上で)

そのあと、youtubeでボウリングの新作ボールの軌道動画を見ました。

といっても、現在のラインナップ(Solaris-Cell Pearl-Black Peal-Widow Bite)に満足しているため、ただ見ているだけで

買うつもりは全くありません。買うとしたら現在のラインナップと同じ、あるいは極めて近いタイプのボールを買うつもりです。

投げ過ぎによってSolarisの動きが大分落ちてきたため、新作のepicenterに変えてみようかとは思っていますが、ホームにしている

センターのコンディションでは動きが大人しくなったSolarisがピッタリハマるので、変える必要はないかもしれません。

youtube上で良さげな動きをしていたのが、StormのREIGN。立ちあがりの加速感が強いため、投げていて楽しそうなボールでした。

 

 夜には、近くの知る人ぞ知るダイニングで和食。一日二度の外食は東京で生活するようになって初めてかもしれません。

里芋と牛挽肉の手作りコロッケが絶品でした。これにつけるタレがレモン醤油というのも最高です。「やまなか」という今まで呑んだ事の

無い泡盛を発見したので呑もうかと思いましたが、出費し過ぎなので我慢。そのかわり家に帰ってから、実家で栽培したライムを絞って

ジン・リッキーを作って美味しく頂きました。自分で作って呑むのがやはり圧倒的に安上がりですね。

これを呑みながら三浦雅士 『身体の零度 何が近代を成立させたか』を読み、第六章と第七章を明日に残して寝る事にします。

充実した一日でした。

 

クリュイタンスの「幻想交響曲」1964.5.10@東京

 

 全部聴き終えた。これは尋常ではない演奏だ。こんな「幻想」、はじめて聞いた。

二楽章のワルツの官能的な重さとリズム、三楽章の孤独、一転して四楽章から五楽章の狂気。

「ワルプルギスの夜の夢」のラスト、トロンボーンを置いて行くような圧倒的加速。有無を言わさぬ迫力だけど、クリュイタンスは

冷静に音楽を作っている。テンポをあれほど動かしても格調高い。最後には夢に包まれたような高揚感が残る。

 

 メインプログラムの「幻想」だけではなく、アンコールの二曲も凄い演奏だ。

一曲目の「展覧会の絵」の「古い城」は、途方もなく寂しい。アルトサックスのすすり泣くような音。

二曲目の「アルルの女」の「ファランドール」の堂々たる風格。終わりに近づくにつれ加速する音の塊が、闇に打ちあがる花火のように

目の前で弾ける。このCDに収められた演奏、1964年5月10日の東京ライブは全てが奇跡的な素晴らしさだ。

名盤と呼ばれて長く愛されるのも当然だろう。このライブが行われたとき僕はまだ存在すらしていなかったが、

実際に聴きに行っていたならば、終演後、しばらく放心状態になっていたと思う。

音楽が「分かる」とか「分からない」ではなく、この演奏は音の内容をダイレクトに「伝える」。

 

 何度聞いても本当に壮絶な演奏だ。久し振りに、聴き終わって動けなくなるCDに出会った。

 

大阪と神戸を歩く。

 

 帰省してこんなことをやった。

 

・大阪梅田のワルティ堂島というCDショップで、CDを四枚購入。

1977年東京文化会館で行われたカール・べームのブラームス二番のCDと、同じ年にNHKホールで行われたベームの

ベートーヴェン六番/五番のCD。それから1964年に東京文化会館で行われたアンドレ・クリュイタンスによるベルリオーズの

幻想交響曲のライブ録音、そしてシャルル・ミュンシュの幻想交響曲の録音(1967)。まだ全部は聞けていないのだが、

クリュイタンスの幻想ライブから伝わってくる熱気とベームがブラ2で聞かせるリタルダンドには驚かされた。

やっぱりライブ録音は聴いていて楽しい。

 

・恩師と呑んで語る。

駿台世界史科の川西先生に、ランチに御一緒させて頂いた。まず駿台神戸校の講師室を覗こうとしたところ、その部屋の前にある

長椅子にどこかで見た人が座っていた。まさか、と思って足を止めるとその人と目が合って、共に駿台で川西先生にお世話になっていた

友達であることが判明。いま早稲田に通っているその人も、帰省して川西先生に会いに来たとのこと。

三人で昼間っからワインを呑みながら近況を報告し合ったり、おすすめの本の話をしたりしているうちにあっという間に時間が

経ってしまった。ごちそうさまです。川西先生にケン・フォレットの『大聖堂』という本を勧めて頂いたので、先生たちと別れたその足で

ジュンク堂にて購入。全三巻という大作だ。レジに持っていったとき、前に並んでいる人が葺合高校の制服であることに気づく。

懐かさと同時に、自分が年をとったことを感じた。

 

・神戸を歩く。

浪人中の友達と三宮で呑むことになっていたので、その前に神戸の雰囲気を満喫しようと思って三宮の町を歩いた。

神戸はやっぱり雰囲気がいい。街に風が通っている。高いビルの間からは山の緑が見えるし、その反対側には、目では見えない

けれど確かに海が広がっているはずだ。じっとしていも汗をかくような湿気と気温の一日だったが、この街を歩いていると爽やかな

気持ちになる。ニ年前に足しげく通った何軒かの店も以前と同じように看板を出して営業しており、ちょっと安心した。

 

・弟とボウリング

ほとんどボウリングをやった事のない弟にスパルタで基礎を叩きこんできた。場所は茨木のBIGBOXで、このセンターははじめて。

マイボウラー用とハウスボウラー用でレーンを分けてあるようだ。オイルもしっかり入っていて、アプローチからレーンまで非常に

しっかりとメンテナンスされたセンターだという印象を受けた。弟も僕と同じく左利きのため、投げているとレーンコンディションが

どんどん変わってゆく。パッションでポリッシュしてもらったばかりのセル・パールを活用して、なんとかアベレージ200弱をキープ。

このセンター、値段も安いし(お盆料金を設定していない事に感動した。マイボウラーは5ゲーム1400円という格安料金で投げられる。)

広々としていて雰囲気も良いし、帰省している間はここで練習しようかと思う。駅から少し離れていることだけが欠点だ。

 

・『風の大地』の1-49巻を読了。

ゴルフ漫画『風の大地』が49巻まで、いつの間にか実家に買い揃えられてあったので、二日かけて一気に全部読んだ。

これは面白い。気合が感じられる画で、シナリオも飽きさせない。ラウンドしているときの主人公の話し方が時々ゴルゴ13っぽくなる。

とはいえゴルゴのように殺伐とした話ではなく、ヒューマニスティックでなかなか感動的な作品だ。続きを読むのが楽しみ。

 

・ハイドンのピアノコンチェルト二楽章を読む。

電車の中でアルゲリッチの演奏を聴きながらスコアを広げていて、この曲の二楽章が突然身体に染み込みはじめた。

アルゲリッチが弾くカデンツァの切なさに呆然とするほどの衝撃を受けた。何度も何度も聴いているはずなのにどうして今まで

気付かなかったのだろう。この曲の二楽章はすべてこのカデンツァのためにあるのではないか、とさえ感じる。

二楽章に限ったことではないが、譜読みしていると次から次へと新しい発見があって飽きない。

無人島に何か一冊だけ本を持ちこむなら、と言われれば、僕は何かのフルスコアを持って行くだろう。

 

・携帯の機種変更

バッテリーの接触部が怪しくなってきたので、この機会に機種変更することにした。候補は935SHと931SH。

スライド式はあまり好きではなかったので防水機能もついている935SHにしようかと思っていたが、色々調べているうちに931SHの

魅力にハマり、こちらにすることにした。はじめてのスライド式&フルタッチパネルである。液晶の大きさと美しさが特に素晴らしい。 

 

J'ai passé une très bonne soirée.

 

  昨夜ハイドンのピアノ協奏曲を譜読みしていて、二楽章で分からないところがあったので動画を見ようと思ってタワレコへ行った。

買ってきたのが下の三枚である。

 

・Haydn Cello Concertos & Piano Concerto No.11 (  Mstislav Rostropovich , Homero Francesch, Neville Marriner )

. Beethoven Piano Concertos No.5 & No.3 ( Ikuyo Nakamichi, Paavo Jarvi )

. Beethoven Piano Concerto No.1 & Mahler Symphony No.1 (Margarita Hohenrieder, Fabio Luisi)

 

・・・案の定、関係ないものまで買ってしまいました(笑) まあどれもコンチェルトの勉強になるからいいか。

まず一枚目のハイドンだが、これはチェロのロストロポーヴィチの音がカッコよすぎる。剛健な音色。ハイドンのチェロ協奏曲ってこんな曲

だったっけ?と思ってしまうぐらい、ロストロポーヴィチの色が強い演奏だ。こういう演奏は嫌いじゃないし、リヒテルとロストロポーヴィチの

Beethoven Cello Sonata No.3を擦り切れるぐらい聴きまくった耳には、どこかほっとする音だ。チェロの音色はやっぱりいいなあ。

本命のピアノ協奏曲は、疑問点の解決のためのヒントを与えてくれはしたので役に立ったが、演奏自体はあまり好みではなかった。

何よりも指揮者のマリナーの顔が怖すぎる。『美味しんぼ』の海原雄山みたいな顔つきで、厳しい表情と楽しい音楽とのGAPが著しい。

これで音が明るかったら良いのだが、取り立ててそういうこともない、ストレートな(ある意味ドライな)演奏。マリナーは2007年に

N響へ振りに来ていたと記憶しているが、その時は「元気なおじいちゃん」という感じだった。DVDの収録は1982年とあるので、

僕の知っている来日時の姿より、25年も前の姿が収められていることになる。25年経てばこれぐらい変わっても不思議ではない。

ピアノはホメロ・フランチェスという人で、僕はこの人の名前も演奏もこのDVDで始めて聞いた。とくに「!」と思った部分は無かったが、

三楽章の150小節目、d moll に転調してピアノが連続トリルを駆け下りていく特徴的な音型の部分でやや変わった弾き方を

していたのが記憶に残っている。

 

 ニ枚目のDVDは「ベートーヴェン弾き」仲道郁代とパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンのピアコン五番と三番。

仲道さんが一生懸命英語で喋っているドキュメンタリーが付いていたが、普通に日本語で話せばいいのに、とついつい思ってしまう。

それはともかく、ここに収められた仲道さんのピアノはパワフル。さらっと流すような演奏ではなく、ガンガン攻めてくる。

ヤルヴィとカンマーフィルはノン・ヴィヴラート奏法で演奏しており、ベートーヴェンの交響曲の演奏で見せたのと同じ鋭さがある。

「英雄」の録音からも感じたことだが、パーヴォ・ヤルヴィのリズム感とアクセントの入れ方は本当にすごいと思う。

跳ねるような、弾けるような、言葉にはしがたい「目の覚めるような鮮烈さ」がある。音色やニュアンス、奏法の問題を超えて

ヤルヴィのような鋭いリズム感にはちょっと憧れるし、内声部をきっちりと動かしてゆく手腕にも溜息をつくばかりである。凄い。

ちなみに、ドキュメンタリーにはプロデューサーも映っているのだが、このプロデューサーが指揮者のチェリビダッケに似ていて

複雑な気持ちになった。プロデューサーにチェリビダッケがいたら、滅多にGOサイン出してくれないだろうなあ・・・。

 

 最後は、マルガリータ・ヘーエンリーダーのピアノによるBeethovenのピアコン一番と、ファビオ・ルイージによるマーラーの一番。

いずれもオーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンで、僕にとってこのオーケストラはとても思い入れのあるオーケストラの一つだ。

というのは、シュターツカペレ・ドレスデンの1970年代-80年代のドイツ系レパートリーの録音は神がかった演奏だらけで、

浪人中に中古CD屋を巡って集めまくったからである。なぜこの時期のシュターツカペレ・ドレスデンの音が素晴らしいかというと、

理由は色々あるだろうが、僕にとってはある二人の奏者の存在が大きい。その楽器をやっている人なら絶対に知っている二人、

ホルンのペーター・ダムとティンパニのペーター・ゾンダーマンである。ダムの温かく柔らかな音は一度聴くと忘れられないし、

ゾンダーマンのティンパニは「こいつは何だ?!」と唖然としてしまうぐらいの迫力とノリを持っている。

1985年ライブ録音のブロムシュテット指揮の第九を聴いてみて欲しい。ティンパニの威力に絶句するに違いない。80年代の演奏からは

「ビロードのような」と評されるまろやかな音に加えて、オーケストラをぐいぐい引っ張っていける「名人」の芸を楽しむ事が出来るだろう。

今回のDVDでもその一端を少しは感じることが出来る。とりわけマーラーの終楽章なんかは音の美しさが分かりやすいし、

ルイージがぐっとテンポを落とすところの反応も鋭くて感動する。ベートーヴェンのコンチェルトのほうは、このヘーエンリーダーという

ピアニストがとても楽しそうに弾いており、自然体で楽しめる演奏。ヘーエンリーダ‐はアクセントをつけるとき、体全体を使って

アクセントをかけにいくように見えるのが印象的。三楽章冒頭の弾き方も面白い。アンコールの曲は初めて聴く曲だった。

 

 そんなこんなでDVDを購入して、夜は僕の恩師である塚原先生に、高校の同級生のS氏と一緒にお寿司へ連れていって頂いた。

塚原先生から学んだものは、音楽で言えばアナリーゼの技術と書法の技術、つまり「設問の分析」と「文章の構成」の技術だ。

物知りなだけでは全く駄目で、「設問や資料をどれだけ深く読み込んで出題者の意図や狙いを汲み取れるか」、そして

「何を盛り込み、何を切り捨て、いかに論理的で見通しの良い文章を書くか」という技術が東大の日本史(世界史でもそうだ)で高得点を

取るには要求されている。今になって分かることだが、設問の深い分析と見晴らしの良い文章構成に必須なのは「冷静さ」だと思う。

緊張や興奮で舞い上がってしまっては、設問や資料をじっくりと読み解くことなんか出来ないだろうし、ましてや厳しい指定字数の

枠内で構造の明確な文章を書くことなど不可能になってしまうだろう。時間制限と一回きりの緊張感の中でじっくりと設問や資料、

そして自分の書いた文章と向かい合うのは至難の技であって、そのためには訓練して癖をつけることしかない。だからこそ浪人中、

塚原先生のもとで徹底的にこれを鍛えて頂いたのは大きかった。この技術・能力は、今になっても小論を書いたり、報告書を書いたり

する際にとても役立っている。論述の勉強はしっかりやれば大学でも役立つので、時間と労力を注ぐ価値ありだと思います。

 

 話が論述の話になってしまったが、とにかく、先生と久しぶりに話すのは本当に楽しかった。

駿台に所属していた頃からもう三年近く経つのに、今でもこうして誘っていただけるのは幸せなことだなと思う。

めちゃくちゃ美味しいお寿司と美味しい日本酒、ごちそうさまでした。ありがとうございます。

 

ETANT DONNES (JEAN-PHILIPPE VIRET TRIO)

 

 久しぶりにCDを買った。一週間に二枚のペースで買っていた浪人中から考えると、本当に久しぶりと言ってよいだろう。

一人暮らしをはじめるとCD購入に資金を回せなくなるのだ。お金はプリンターのインクやパンクした自転車のタイヤに消えていく。

(そんなわけで、CDは一人暮らしを始める前に買い込んでおくことを強くおススメしておきたい。 )

 

 にもかかわらず購入したこのCD、はっきり言って凄い。タワレコで何となく試聴したTrack 2のDERIVESにやられた。

ピアノ・トリオで背筋が震えるような経験は何年振りだろう。これはこの場で聞き続けるのは危険と判断して即座にレジに持って行き、

急いで家に帰る。ヘッドフォンアンプと愛用のER-4Sに繋ぎ、ソファ‐に座って誰の邪魔も入らない空間でじっくりと聞く。

 

 圧倒される。Track 1 のLA FEE BLESSE 冒頭の暗いベース。捉えどころが無い拍子を手探りで歩くようだ。

展開を待つ。厳かな気配の中からピアノが立ちあがってくる。ベースの裏で伴奏していたピアノがいつの間にか前に出始める。

どこか宗教的な深みに沈み込み、そして光が差し込んでくるような感覚。

突如、似たような曲調のCDがあったことを思い出した。そういえばベースの音も似ている。もしや、と思ってCDラックを漁り、

このCDを出してきて、演奏者を確認してみた。

ヴィレットの二枚のCDと僕のバイオリン。値段の割にいい音が鳴ります。

写真、左側のディスクがそれだ。

L’ORCHESTRE DE CONTREBASSESによる

” Transes Formations “ というCDで、六本のコントラバス

だけで全曲が演奏されている。胴体を叩き、ピチカートし、

アルコ(弓で弾くこと)でももちろん演奏し、六本のバスで

新しいジャンルの音楽を作り出しているCDだ。

この六人のコンバス弾きの一人が右のCDのTrioの

リーダー、ヴィレットだった。そして左のCDに収められた曲

の多くは、ヴィレットの作曲したものだった!

そういえば左のCD一曲目のFather moqueur(嘘つきの神様)にしろ、

七曲目から十一曲目のMesses basses(ベース・ミサ)という

「祈り」をテーマにした作品群にしても、

暗がりの中の瞑想を得て光が差し込んでくるような曲調である。

これらの作曲者とETANT DONNESに収められた曲の作曲者が同じだというのは、比べて聞けば誰もが納得すると思う。

 

 だが、Piano Trioというジャズの中では超定番な編成を取っているにもかかわらず、ETANT DONNESにおける楽曲は

4ビートや8ビートに縛られない変拍子がしばしば聞かれるように、実験的・現代的なニュアンスを多く持っている。

そう言えばアルバム名のETANT DONNESとは、あのマルセル・デュシャンの遺作のタイトルに見られるものではなかったか。

デュシャンの遺作のタイトルは ” Etant Donne  1 La Chute d’Eau 2 Le Gaz d’Éclairage “

すなわち、「1.落ちる水 2.照明用ガス (この二つが)与えられたとせよ」というタイトルであった。真偽の程は定かではないが、

収められた楽曲の性格からして、ヴィレットは恐らくこのデュシャンのタイトルを知っており、このアルバムの名に取ったのだと僕は思う。

 

 曲については澤野工房のホームページやCD店で試聴して頂くとして、最後にアルバムのジャケットについて触れておきたい。

さきほどの写真、なぜかCDの後ろにヴァイオリンが写っていたのを覚えているだろうか。ヴァイオリンの弦の端、色がついているところ

を見て欲しい。その色と、ETANT DONNESのジャケットに描かれた曲線の色とは不思議に一致している。

(コントラバスは持っていないのでヴァイオリンで代用した。しかしコントラバスの弦も似たような色遣いである事が多い。)

ジャケットのデザイナーはこれを意識したのかもしれない。澤野工房から出ているヴィレットのアルバムは殆どこの色遣いをしているし、

特にファーストアルバムなどはとりわけ弦を意識させるデザインになっている点から考えても、そんな気がしてくる。

ちなみにETANT DONNES では華やかな色合いの表と異なり、裏面は演奏者達がモノクロで渋い感じに写っているのだが、

その対比も鮮やかで唸らされる。ジャケット、内容ともにスタイリッシュで、いささかプログレッシブな中毒性のあるCDだ。

もしCDショップで見つけたらぜひTrack2を大音量で聞いてみて下さい。きっとハマると思います。

 

 

Bruckner Sym No.5 とFF V

 

 今日は家に籠っていた。

珍しく何の予定も無かったので、全部聴き通すのに一時間半ぐらいかかる大曲、Bruckner の5番を聴きつつドイツ語を勉強する。

演奏はチェリビダッケとミュンヘンフィル、1986年10月22日のサントリーホールでのライヴ録音だ。

この盤には一際思い入れがある。手に取ったのは一浪目の冬、センターの少し前。このCDによって初めてブルックナーの

素晴らしさを理解することが出来た。聴き終わった瞬間に放心状態になって、一時間ぐらい座ったままぼーっとしていた。

感動を通り越して呆然とした。とんでもなく大きな建築、とてつもない広さ、圧倒的な重量感。

この曲を「大伽藍」と表現する評論家がいるそうだが、なるほどその通りだと思う。これは一つの曲どころか、もはや一つの世界だ。

一楽章の出だしは何回聞いても震えるし、二楽章の平穏さは、「天国があるとしたらこんな風景ではないだろうか」と思わせるほど。

広くて穏やかな世界に神々しい静けさが流れている。時折入ってくるフルートは平原に咲く花のようで、低弦の三連pizzに乗って

流れる旋律は悠久の時間、大河のようだ。だが、そのような楽園は三楽章で破壊される。足場が崩れていき、世界が崩壊する。

そしてまた、世界が再構成されてゆく。(本盤ではこの三楽章で、チェリビダッケの気合の籠った掛声「ティー!」を聴くことが出来る。)

四楽章は圧巻。言葉を失う。響き渡るコラールは、遥か高みから今まさに作り上げた世界を見渡すようだ。

この曲にあるのは一種の天地創造に他ならない。90分があっという間に過ぎ去っていった。

 

 夕方、ドイツ語に疲れてネットサーフィンをしつつ、久し振りにニコ動にアクセスした。

適当に検索をかけていると、偶然「 植松伸夫&すぎやまこういち 」なる動画に出くわす。何でも両者のゲーム音楽(FF VS DQ)の

聴き比べをやる動画だそうで、面白そうだと思ったので再生してみた。

・・・これは懐かしい!!再生時間一時間弱の超ロングムービーだったのに最後まで見て(聞いて)しまった。

FFもドラクエも最初期作から2005年度ぐらいまでのやつは全部やっているだけに(実は結構ゲーマーなのです。たけしの挑戦状も

三回ぐらいクリアしました。)一つ一つの曲に思い入れがある。中でも、FFのスーファミ期(4・5・6)あたりは中学生の頃に何度も

繰り返してプレイしたし、サウンドトラックからピアノコレクション、果ては楽譜に至るまで持っている。何度やっても飽きなかったし、

何度聞いても飽きなかった。それだけに植松さんの音楽は、クラシックと並んで今の僕の音楽観に影響を与えている。

何年か前、高校のイベントのために書いた曲をいま聴き返してみると植松さんのマネが明らかすぎてちょっと恥ずかしくなるぐらいだ。

今回この動画を見るにあたって、植松さんとすぎやまこういち氏の違いを意識しながら聞いてみた。

 

 違いをコピー風に書くならば、「時間の植松、奥行きのすぎやま」ということになるだろうか。両者の違いが最も出るのは戦闘曲だ。

植松さんには、前のめりになるようなリズム感がある。手に汗握るようなテンポ。ベース、ドラムなど、リズム隊の使い方が上手い。

主旋律は短いパッセージを変奏曲っぽく組み合わせ、変奏の変わり目では音数を少なくすることで「聴かせる」=「印象に残す」

技術が際立っている。ループのつなぎ方も上手い。FF6のラストバトル曲、「妖星乱舞」でワンループの最後にケフカの笑い声を

重ね、そこにドラムを出して先頭に繋ぐ技術なんかは神がかっていると思う。

一方、すぎやまこういち氏の音楽には奥行きを感じるが、ハラハラするバトルっぽさは無い。鳥肌は立っても手に汗は握らない。

金管のパッセージが複雑だったり、主題が長すぎたりで、バトル曲のような短ループでは氏の持ち味が出ていないように感じる。

メインテーマの変奏をバトル曲に取り込んでくる技術などは上手いと思うが、氏の音楽ではバトル曲よりもフィールド曲の方が好きだ。

植松さんのように内向きに、一点に集中するようなトランス的快感(これがバトル曲の特徴だと思う)ではなく、パーッと外側に広がって

いくような大きな音楽になると、すぎやま氏の本領発揮だ。DQ8の名曲、「おおぞらをとぶ」などが分かりやすいだろう。

オーケストレーションが生える曲では、すぎやま氏の音楽は本当に素晴らしい。

 

 メインテーマはいずれも国宝。ゲーム音楽が生んだ不滅の名曲だと思う。

DQのテーマにはワーグナーの「マイスタージンガー前奏曲」やエルガーの「威風堂々」のような雰囲気があり、対するFFのテーマに

ブラームスの一番のような雰囲気がある。どちらも甲乙つけがたい。とにかく良い動画なので、是非検索してみてください。

 

FF5のビックブリッジを久しぶりに聞いたら(ギルガメッシュが出てくるシーンがスクリーンショットで合わさっていた)

FF5がやりたくなった。舟の墓場で敵にケアルをかけまくってくることにしよう。ガラフ最高。

 

雨の月曜と暑さの火曜,ゼミの水曜にクラスの木曜

 

 雨が続いたり30度を超えたり、なかなかややこしい天気が続く。しばらく更新が滞っていたので近況を書いておこう。

 

 月曜日、雨が降る中庭を横目に、生協のテラスでドイツ語をやっていた。なんとなく音楽が聴きたくなって、浪人中に良く聞いた

ブラームスの四番を選んだ。普段はさほど聴かないが珍しくバルビローリの指揮で聴くことに。

三楽章に入って、あまりにも風景と合っているのに愕然としてドイツ語をやる手を止めた。

二階のテラスからだと、図書館前の中庭から和館の向こうの緑まで、様々な緑がグラデーションになって遠くまで見える。

この曲、そしてとりわけバルビローリの旋律の歌わせ方が、その光景と雨に打たれて灰色になった世界に染み渡る。

梅雨がちょっと好きになった。

五限の獣医学が終わったころには雨がすっかりあがっていた。このあとはいつもどおりプロとの試合。

前回は負けてしまったが今回は完勝。プロが追い上げてくるところをノーミス・4連発で引き離せたのが大きい。

最近調子が悪かっただけに嬉しかった。狭いラインを強く投げるのはやはり有効だ。大きく出すのは面白いが、キレすぎて扱いづらい。

 

 火曜日はひたすら宇宙科学のレポートを書く。ここまで来たら最後までA++を続けたいし、意地になって書く。

関連書籍をまた二冊買ってしまった。それだけの内容のあるレポートを書かねば。

「比熱が負の物体があると仮定したら、どんな使い方が出来るか(想像で良い)」という問いがちょっと難しい。

色々思いつくものはあるが、突っ込みどころがあり過ぎて何を書いて良いものやら。とりあえず、「万能カイロ」なるものの構想を

書いてみました。実用化は確実に不可能です(笑)

レポートをずっと書いていると疲れてきたので、気分を改めるべく二日連続で経堂ボウルへ。連続で投げるのは久しぶり。

ちょっとしたインストラクターをやったりしつつ、いつもどおり7G投げ込む。横のボックスに入った団体の学生たちが

四人中三人サウスポーだったのに驚いた。同じ左利きとして妙な連体感が芽生えて気合が入ったのだが、スコアはイマイチ。

全体的にいつもより球が弱かった。おそらくパワーステップが甘かったのと、それに伴ってトップからおろしてくるタイミングが

速すぎた。以上の結果として脇が空いて、肩が回りがちになり、球威が落ちたのだろう。一秒の何分の一のタイミングのズレなのに

手から離れたボールにはそれが如実に反映される。やはりボウリングは奥深い。

帰宅後、先日入った給料で買ったグレンモーレンジのオリジナルをハイボールにして飲みながら宇宙科学の続きをやる。

グレンモーレンジは今一番好きなシングルモルトで、何度飲んでも幸せになる。ハイボールにするとちょっと物足りない感じはあるが、

今日みたいに暑い日には気楽にどんどん飲めるこれが合う。これのおかげでレポートもスラスラと捗った。

深夜に愛飲しているグレンモーレンジ。素晴らしいバランスで飲み飽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水曜はあるプロジェクトの打ち合わせに出席したあと、ゼミでGeneration Times編集長の伊藤さんのお話を聴く。

伊藤さんにお話頂いた事の内容はまた書くとして、とにかくプレゼンの上手い「魅せる技術」をお持ちの人だった。有意義な時間。

 

 木曜は久し振りにクラスの友達と過ごした。二年になってからめっきりクラスの友達に会わなくなっていたが、それでもウチのクラスは

仲がとても良い。変人ぞろいだが、お互いがその変さに尊敬しあっており、それぞれの多様性が輝いている。一緒にいて飽きない。

クラスのM君と話していて、「ブログを見ている」と言われ、ちょっと嬉しかった。「どうやったら文章が書けるか」、という質問と

「本を読んでいて思想家の名前と主張が引用されているけど分からない。どうすればいいか」という質問を受けたが、前者に関しては

「文章を読みまくって自分で書いてみること」しかないんじゃないかなと思う。その際、自分が好きな文章や文体を見つける事が

出来れば、それに近づけるように書く事で自分のスタイルみたいなものが確立されてくるのではないだろうか。

後者に関しては、王道ではあるものの、やはり「そのつど入門書を読む」ことが良いと思う。熊野純彦『西洋哲学史』(岩波文庫)

はそれらの基礎となる本として有効だし、NHK出版から出ている「哲学のエッセンス」シリーズは薄い割に内容が詰まっており

分かりやすくておすすめ。もっとカジュアルに入りたい方には「現代思想の遭難者たち」という講談社から出ている四コマ漫画も

良いだろう。人名ではなく概念に関する知識を増やしたいときにはアンドリュー・エドガーとピーター・セジウィックの手になる

『現代思想芸術辞典』(青土社)などは手がつけやすい割に内容が濃い本だ。

二浪目の夏にこの辞典を最初から最後まで読み切ったことが今も僕のベースになっている。

 

 なお、本日は『イギリスの歴史 帝国=コモンウェルスのあゆみ』(編:川北稔/木畑洋一 有斐閣アルマ,2000)を購入。

これはクラスのS君にすすめてもらった本である。前半、事実の羅列のあたりは詳しめの教科書を読んでいるようで退屈だったが、

中盤からはグッと面白くなった。あと少しで読み終わりそうだ。また終わったらインプレを書くつもりでいる。