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嵐の後に。

 

 嵐が過ぎて、空は澄み渡って青かった。青いだけではなく、高い。秋の空だ。

降り注ぐ光は夏の面影を感じさせるが、高く広がる空と吹き抜ける風はどうしようもなく秋だった。

 

 夕刻、陽が沈むと秋の香りが辺りを覆い尽くした。

秋、それも晩秋の香り。悲しい事がなくても泣きたくなるような、人を一人にする香りだ。いつもより街が静かに見える。

見上げた空は濃いブルーブラック。そこに浮かんだ月の透明さに足が思わず止まる。風が吹く。季節が変わったことを実感する。

 

 と小説っぽく書き出してみたものの、あまり意味は無い。いつものように近況を幾つか書いておくことにする。

 

・授業

授業を大量に取り過ぎてフランス語を自学自習する時間が予想以上に減ってしまったので、授業を少し削って空きコマを増やした。

そういえば相関社会学基礎論の授業で大澤真幸『意味と他者性』(勁草書房)に収められている「規則随順性の本態」について

発表することになった。中々読みづらい論文だが、後に大澤の主張の中核となる「第三者の審級」に相当する部分が多々見られる。

 

・本

何もしていない時間は語学の勉強に殆ど割いているため、最近あまり本を読めていない。台風がやってきたので刺激されて本棚から

新潮出版から出ているヘッセ全集3『春の嵐』を取りだしてざっと流して再読したぐらい。あとは『宣伝会議』という雑誌と『東洋経済』

という雑誌を読んだぐらいか。今日、S氏に「国際政治学を学ぶ上での参考文献」的な書籍を見せてもらったのだが、そのクオリティの

高さに感動した。150ページぐらいあるその本の内容全てが文献紹介で、ざっと5000冊ぐらい挙げられている!読んだことのある本も

ちらほらとは見つけられたがそれも100冊程度に過ぎなかった。この50倍読むべき本があるのかと思うと、やる気が湧いてくる。

S氏と「このリストを見て、秘書の人に『あ、ごめん。ここに挙げられてる5000冊全部注文しといて。それから5000冊入る本棚と。』

なんて言える人になれたらなあ。」などと妄想してみたりする。それにしても、部屋の壁一面に巨大な本棚(もはや本棚というより壁)

がある部屋には心から憧れる。石田衣良の写真なんかで写っている「アレ」だ。他が多少狭くても構わないから、そんな家に住みたい。

 

・ともだち

東大駒場にはAIKOMという交換留学制度があるのだが、そこで海外から来た方のチューターを後期教養の学生がやることに

なっていて、僕も勢いでそれに応募してみたら結構倍率の高いセレクションを通ってしまったらしく、チューターをやることに。

相手はグルノーブル大学から来た、とても物腰の柔らかいフランス人のBastien。ここぞとばかりにフランス語で挨拶をしてみたり

自己紹介をしている間に気付いたのだが、彼は相当に日本語が出来る。ペラペラ、と言っても過言ではない。

これは英語をあまり使う必要が無さそうで、彼が日本語で知らない単語を説明するのに使ったりする程度になりそうだ。

僕が日本語を教え、Bastienがフランス語を僕に教えてくれるということで、日仏間の交流は順調にスタートした。

彼は穏やかで上品で、とても親しみやすい。今日一日話したりご飯を食べたりしている間にすっかり仲良くなった。

ヴァイオリンをやっているそうで、イタリアントマトで昼食をとりつつ「好きなヴァイオリニストは?」というテーマでひとしきり盛り上がった。

(僕はGinet NeveuとArthur Grumiauxを挙げ、彼はItzak PerlmanとZino Francescatttiを挙げた。)

明日、留学生たちと東京見学に出かけるのでまた色々話が出来ることと思う。楽しみだ。

 

・薪能

駒場の図書館前に特設セットを組んで能が上演された。なんとあの野村萬歳を含む超豪華キャスト。

いつも何もない空間に舞台が現れ、いつも学生の声が聞こえる空間は異質の空間へと変容した。

 

・ボウリング

最近200アベレージを維持できている。調子が悪くなるときにチェックすべきポイントが固まってきた。やはり、静から動に移る瞬間、

つまり一歩目の踏み出しとダウンスイングがフォームの核だ。これが上手くいっている時はバックスイングで掌がボールにくっついている

感覚を得ることができるし、リリースの際に掌で押す感覚が味わえる。小指にも意識が行き届く。この調子を続けたい。

 

 

時間割を組んでみた。

 

 長い間愛用しており、僕の勉強時間の多くを支えてくれていたgigabeat-Vの80GBモデルがぶっこわれた。

これに入れた全音楽データ(CDにして500枚ほど)と貴重なリハーサル・演奏動画が全部消えた。ショックすぎる。

特に何かをしたわけではないのだが、いったいなぜだろう。そろそろ中身を整理せよということだろうか。これがなければ勉強の

ペースが一気に落ちてしまうので、ダッシュで帰宅してリカバリー作業にとりかかる。リカバリーといっても家にあるCDを一から録音

しなおして手動で曲名を打ち込むという、死ぬほど地道な作業である。CD情報をネットから引っ張って来ても良いのだが、なんとなく

「第一楽章:アレグロ・コン・ブリオ」などと表記されるのが許せない。中学生でSonyのフラッシュメモリ型プレイヤーを使いだして以来、

曲目は「1st mov Allegro con brio」などの横文字表記で統一してきたために、そうでなければ微妙に落ち着かない。

ましてや演奏者表記が「アルトゥール・ベネディッティ・ミケランジェリ」などと表記されるのは耐えがたい。

というわけで500枚近くの曲目や演奏者データーをすべて手作業で打ち直す。現在150枚ぐらいを録音したところで力尽きた。

続きは明日にしよう。何の役にも立たないが、1st movと音速でタイピング出来るようになった。

 

 週明けから学校が始まるので時間割を組んでみた。

いくつかの専門科目(システムが良く分からない。地域の場合、小地域を決定するのは一か月先なのに、小地域の専門科目を

すでに取らねばならないのだろうか?というか、専門科目って単位認定されるのだろうか。副専攻まで考えたら意味不明な複雑さだ。)

はとりあえず取るとして、あとは前期教養の授業で面白そうなものとフランス語関連をいくつかと、後期教養の他学科の授業を取る。

 

 【月曜】

1限 フランス語初級会話・・・発音がヤバいのでネイティブの先生の授業を。起きられるかどうか怪しい。

2限  文化の社会科学・・・相関社会科学分科の授業。これは素直に面白そう。

3限  フランスメディア環境論・・・〈反復〉の詩的機能を確認するらしい。マラルメを読んでみたい。しかし「国際関係史」も捨てがたい。

4限  相関社会科学基礎論・・・シラバスは良く分からないが面白そう。

5限  全学ゼミ「ジャズダンス」・・・なんとなく(笑) 月曜はこのあとに試合が入ってるからあんまり動きたくないので、初回だけ覗くか。

 

【火曜】

1限  フランス思想テクスト分析・・・人類学的構造主義について。レヴィ=ストロースはちゃんと読んでいないのであさって購入する。

2限  フランス語会話中級・・・余裕があればとる。

3限  フランス歴史社会論・・・物凄くややこしそうな原典テクストを読むようだ。

4限  ドイツ語・・・必修。ドイツ語も忘れないようにせねば。

5限  ニーチェと現代or食ゼミ・・・ドイツ語の後なので。ドイツ系ではニーチェとハイデガー、ハーバーマスはしっかり読んでみたい。

 

【水曜】

1限  なし。ピストン・デヴォート『和声法』の勉強に充てる。

2限  フランス語精読or多文化主義研究・・・後者は相当ハードな予感だが、絶対面白そう。

3限  公法研究・・・カール・シュミット『独裁』を読む授業。政治哲学・政治思想にも興味があるので、シュミットはぜひ読んでおきたい。

4限  フランス語中級会話・・・これも余裕があれば。

5限  言語情報文化論・・・言語情報科学科の授業。なかなか面白そう。

6限  立花ゼミ・・・デフォルト。今学期は指揮レッスンの都合上、あまり遅くまでは残れないかもしれない。

 

【木曜】

1限  国際関係論・・・昨年受講したので、初回にちょっと冷やかすだけ。

2限  比較思想論・・・比較日本文化論学科の授業。ディスカッション主体っぽいので楽しみ。「軍縮と安全保障」という授業も気になる。

3限  国際取引・・・国際関係論分科の授業。たまには法律もやらないと。

4限  フランス表象芸術論・・・週一ぐらいのペースで表象文化論絡みの何かを入れたい。

5限  現代外交論・・・木曜日は国際関係論dayになりそう。実はこの時間の漢方医学を取りたいのだが、本郷は時間的に無理っぽい。

 

【金曜】

1限  なし。自分でフランス語を進める。

2限  メディア分析演習or文化人類学理論・・・せっかくなので文化人類学にも触れておきたい。

3限  フランス文学テクスト分析・・・ボードレールやランボーを読みます。

4限  方法基礎(ドゥルーズ)・・・もぐり。昨年の自分たちの発表によってドゥルーズを扱うことになったと思うので、展開が見たい。

5限  社会意識論or比較芸術orファッション産業政策・・・最後のはオムニバス的なゼミ。ちょっと覗いてみるぐらいかな。

 

 

 とても教養学部らしい時間割になった。後期教養の各学科の垣根の低さを出来るだけ利用しておきたいと思う。

しかしこれを全部取ると確実に死ぬので、実際にはここからかなり削る予定。

教育学部の金森ゼミにも潜りたいのだが、時間帯が不明なのでここには含めなかった。お手数ですがご存知の方は教えてください。

履修計画が被っているものがある方はよろしくです。

なお、午前中に椎名誠『全日本食えばわかる図鑑』(集英社)、夕方に山本文緒『あなたには帰る家がある』(集英社)を読了。

結婚っていったい何なんでしょうね。後者の本からは色々考えさせられます。

 

 

まとめて更新&進学先について

 

 色々あって纏まった文章を書く時間が無かったのですが、ようやく時間が取れたので一気に色々書きます。

 

 ・胃下垂

胃下垂にかかってしまいました。人生初。胃がかなり下にさがっているのがリアルに分かります。

食べてもまったく胃が消化する気配が無く、ラーメン一杯を完食するのに四苦八苦します。お酒も思うように呑めない。これはつらい・・・。

 

・本

アラン・コルバン『風景と人間』、山本博文『天下人の一級史料』、大森荘蔵『時間と自我』、ライアル・ワトソン『匂いの記憶』を読了。

あとの二冊は図書館で借りたものですが、そろそろ返却期限が切れているような気がして怯えています。

それから柴田寿子『リベラル・デモクラシーと神権政治 スピノザからレオ・シュトラウスまで』を購入。柴田先生は僕の尊敬する先生の

一人でしたが、今年になってご逝去されました。早すぎる死が惜しまれてなりません。本書の前書きや後書きの行間からは

難病に侵された先生の強い意志と無念さが伝わってきて、読みながら瞼が熱くなりました。

先生の社会思想史の授業を口述筆記して作ったシケプリは前期教養学部時代の宝物の一つです。

 

・髪

ちょっとだけ茶色に染めました。単なる出来心です。黒髪愛好家であることは変わりません。サーフィンに行ってきて海水と太陽の

影響を受けたのか、思ったより茶色っぽくなっている気もしますが、自分の中ではそんなに違和感なし。これもアリかな、という感じです。

 

・フランス語とか

Newton Pressから出ている『トレーニングペーパーフランス語』シリーズを文法の復習と単語増強を目的にガシガシ進めています。

もうすぐPart1が終わるはず。近所のマクドナルドでこれをやっていた際、隣に来た女性の方が持っていた袋にPour la frimeと書いて

あって、いつもなら「この店の名前良く見るなあ」と思って終わるのですが、フランス語をやっていたため無意識に和訳してしまい、

「Pour la frimeって〈うわべだけ〉という意味だよなあ・・・」などと考えてしまいました。「うわべだけ」という意味の袋を街で持ち歩くのは

ちょっと恥ずかしいかもしれません。すぐにボロボロになりそうです(笑)

まあ良く考えてみると町中に意味の分からないメッセージの書かれたものは結構転がっているもので、先日も大学へ行く途中の道で

追い越したマダムのTシャツの背中に「前 代 未 聞」とフォント60ぐらいで印刷してあるのを見ました。

前代未聞と書かれているTシャツを見た事はなかったので、確かに前代未聞です。

 

・音楽

指揮法のレッスンに備えて叩きのトレーニングを一日100回やっています。前よりも鋭く叩けるようになってきました。

フルートのレッスンにも行っていますが、そろそろまともな楽器が欲しくなってきました。天邪鬼なために「使い手を選ぶ」と言われる

サンキョウのフルートが気になっています。特に40周年記念モデルのリングキー。買うお金はありませんが・・・。

 

・ボウリング

セカンド・ディメンションの指調整が完璧になり、この球のポテンシャルをかなり引き出せるようになりました。

横回転を強めに入れて外に出した時の戻り具合が半端無いです。スーーッ、グワッ!!という感じで、蹴散らすように強く重い当たり。

スタッフの方の粋な計らいで投げる前に特別にオイルを引いてもらい、それからこのボールを投げたのですが、フッキングポイントに

入ってからの加速感にビビりました。隣のレーンの左端ぐらいに立ちほとんど右ガターを超える形でリリースして5枚目あたりまで

出すとジャストポケット。なんじゃこりゃ。こいつのおかげでセミパーフェクト達成です。今ならシナモンアップル臭も許せます。

 

・進学振り分け

無事に第一希望の教養学部地域文化研究科に内定しました。地域文化研究科の中のフランス分科に所属する予定です。

興味の幅を広く取っていたため、進学振り分けに際しては相当悩み、教養学部の科学哲学や表象文化論、比較文化にはじまり、

文学部哲学科や倫理学、社会学、果ては工学部建築学科や都市デザインまで考えましたが、以下の理由から最終的に

地域文化研究科に絞りました。

 

1.何よりも駒場に残りたかった。

→「本郷に行きたい!」と思う方が大多数でしょうが、僕の場合は逆に駒場に残りたいと思っていました。

というのは、本郷の各学科のようにタコツボ化したディシプリンに閉じ込められず、学問を広く横方向に繋げて捉えたかったからです。

これが簡単な事で無いのは承知しています。しかしそれでも、学問にしろ遊びにしろ、常に越境者の志を持っていたいと思います。

また、教養学部でこれから始まる大きなプログラムを非力ながら引っ張っていく立場になるようなので、このプログラムに大学生活の

後半を賭けるため一番動きやすい場所を取っておきたかったというのもあります。

なお、引っ越しするのがめんどくさかったから、というのも一つの理由です。

 

2.大学における残り僅か二年の勉強で何かが身につくのか?

→院まで行けば別でしょうが、あと二年間で自らの専攻分野を卒業後に活かせるまで身につけられるのか僕には疑問でした。

そして文系のかなりの分野は本を読めばそれなりの知識をつけられるはずです。授業を受けるよりも自分でどんどんと読み進めて行く

方が身になるでしょうし、今までもそうしてきました。では、今までで身につかなかったものは何か?

僕の場合、それは言語です。ずっと外国語から逃げてきた。だから今度は言語から逃げられない環境に自分を置いて、スパルタで

言語を鍛えようと思います。言語は卒業してからも必ず活かせますしね。ちなみに地域文化研究科は卒論を各専攻地域の言語で

書かなければなりません。僕の場合はフランス語です。卒論発表や口頭試問もフランス語で行うらしいです。地獄です。

 

3.フランス現代思想に興味アリ。

→本棚を眺めて気付きました。フーコー、ドゥルーズ、ラカン、バルト、ベルクソン、メルロ=ポンティ、ヴァレリー、ランボー、コルバン・・・

僕が好きな思想家や作家、詩人、歴史家、それは多くがフランス系でした。スラヴォイ・ジジェクや大澤真幸の影響を受けて社会学にも

かなりの興味を持っていましたが、社会学への興味の底にはフランス現代思想がありました。(そもそもスラヴォイ・ジジェクの著作は

ラカンの理論が全てのベースになっていますしね)だから単に社会学をやるのではなく、しっかりと原書を読める言語力をつけて、

それぞれの思想への理解を固めたうえで、必要とあらば社会学的なアプローチをとりたい。最近はミシェル・フーコーの生権力論の射程

と現代の生命倫理の交差点に一番の関心を持っているので、これを一つの軸にしようと企んでいるところでした。

これを考えたとき、地域文化研究科フランス分科はこの分野の先生方に非常に恵まれています。

 

4.副専攻制度

地域文化研究科の特権に、東大の中でもレアな「副専攻制度」が認められているというものがあります。僕の場合は国際関係論か

相関社会科学、あるいは表象文化論を副専攻にしたいと考えていますが、このように自分の専攻分野と別の分野の授業を取ることが

出来るシステムです。これは一つに興味を絞れない人には嬉しいシステムで、地域文化研究科に惹かれる大きな理由になりました。

 

 こんなところです。

最後に、そもそも地域文化研究科のフランス科って何をやるのかという点だけ書いておきたいと思います。

昨年のシラバスを見れば、アナール派などのフランス史学やフランス思想、レヴィ=ストロースの人類学的構造主義、

マラルメやフローベール、ゾラなどの作品のテクスト分析、ヨーロッパ政治構造論、ヨーロッパ経済システム論、表象芸術論、

メディア環境論、世俗性と政教分離やライシテ、クイア・スタディーズ、ブランショ、デリダ、ボードレールetc…

このように政治・経済・宗教・文化・社会などの多角的なテーマを横断的に学ぶ学部であることが分かります。この多角性を活かすも

殺すも自分次第。第二外国語としてドイツ語を選択していたこともあり、二年間相当にフランス語に苦しめられることになるでしょうが、

最後まで必死に食いついて行きます。ここをお読みの方でフランス語に堪能な方がいらっしゃいましたら色々とご教示下さい。

地域文化研究科に進学される方がいらっしゃいましたら、これから二年間どうぞよろしくお願いします。

 

面白い動画をいくつか

 

 昨夜ネットサーフィンをしていたら面白い動画を発見したので、いくつか紹介。

 

how to go down the stairs ⇒このままGoogleに打ち込めば最初に出ます。ちょっと真似したくなった。

Top 10 tricks⇒http://www.youtube.com/watch?v=YTLFLn9gHRE&feature=relatedで。子供は真似しちゃダメ絶対。

タイヤの結末⇒Googleで タイヤ レース 結末 で検索すればトップに来ました。激しくシュール。結末はもっとシュール。

A normal days trick ⇒ニコ動でこのタイトルで検索すれば出るはず。日常に取り入れてみたいと思います。

Chain Surfing ⇒Googleでこのタイトルで検索。動きが神がかってる。やってみたいけど捕まりそう。駒場で練習するか。

30000 matches bomb ⇒YoutubeかGoogleでこのタイトルを検索。大した意味はない動画だが、実験好きにはたまらない。

最近の親は子供にこんなDQNネームを名づけます⇒ニコ動。にわかには信じがたい名前が連発です。

タキシード仮面&月影の騎士名台詞70⇒ニコ動。これは見るべき。笑い過ぎて涙が出ました。こんなに面白かったとは・・・!

 

 ひと通り見た後、指揮法のトレーニングをこなし、明日のOtelloに備えてちょっと楽譜を勉強。読めばよむほどヴェルディ凄い。

明日が楽しみです。ちなみに今日コンビニで「流浪に剣心」の復刊(?)バージョンが置いてあったので立ち読みしてきたのだが、

最後にるろけんを読んだのは中学時代の授業中だったので、久し振りすぎて大変懐かしい気分になった。やっぱこの漫画は名作です。

基本はドラゴンボールっぽい(というか、ドラゴンボール以降の戦闘シーンのある漫画はドラゴンボールの影響を受けないのは不可能

なんじゃないかとすら思う。NARUTOなんかまさにそんな感じ。ロシアン・フォルマリズム的に分析したら面白いかもしれない。)

のだが、るろけんは力の抜き方がうまい。この漫画で扱われる「抜刀術」という技に適応するかのように、シナリオにおける静/動の

対比が素晴らしいと思う。静の部分で描かれるキャラの表情が動部分とGAPがあって、とても可愛らしい感じに描かれているから、

男性のみならず女性ファンもかなり多かったというのも納得できる。静と動を切り替えつつ、キャラクターが見事に立っている。

復刊コミックはまだ天駆龍閃(漢字これで良かったか自信なし)を覚える遥か前、牙突の斎藤一と再会するシーンあたりなので、

次巻以降どんどん面白くなってくるところだ。久し振りに読みなおそうと思う。

(どうでもいいけど牙突の構えってビリヤードの構えに似ている気がする。ブレイクショットに応用できないものか。)

 

まさかの大澤真幸

 

 社会学者の大澤真幸教授が京大を辞職されたことを知った。

原因はどうやらセクハラのようだ。それを聞いて本棚に並んだ大澤の『恋愛の不可能性』を眺めると何とも言えない気分になった。

この書で大澤は欲求と恋愛の不可分性を述べていたが、今回の事件、ある意味で恋愛の不可能性に陥ってしまったようにも見える。

 

 高校時代から僕は大澤真幸の著作に大きく影響を受けてきた。

そして大澤真幸の著作はほとんど購入してきた。あの分厚い『ナショナリズムの由来』ですら浪人時代に買った。(初版だった)

内容というよりはむしろ、テーマへの切り込み方や文の運び方を尊敬していた。

大澤の師匠である見田宗介もそうであったが、とにかく「読ませる」文章を書かれる人だ。

書き手の思考の切れ味や知性がバシバシ伝わってくるような文章で、こんな文章が書けたらいいなあと少し憧れていた。

問題への切り込み方も本当に鮮やかだった。『美はなぜ乱調にあるか』で彼は最後に「イチローの三振する技術」という論考を

掲載している。たとえこれが「トンデモ」だと言われようと、この論考がとても魅力的である事は変わらない。

(最後につけられた脚注を読んで欲しい。大澤はここで、野球において打者は中世の「騎士」であり、投手と捕手という「夫婦」の

関係を攪乱する第三者であるという読む者の目を驚きに開かせる注をつけている。)

大澤の文章の巧みさについては、松岡正剛先生が「千夜千冊」というサイト(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/)の

2005年12月14日の記事、『帝国的ナショナリズム』の評で「能」の用語を用いて説明されているので、それを引用させて頂こう。

・・・

能はカマエとハコビでできている。(最近の大澤の文章は)そのハコビに緩急が出てきた。そうすると読者も「移り舞」に酔える。また、能の面の動きはテル・クモル・シオル・キルに絞られているのだが、十分にゆっくりとした照りと曇りが見せられれば、突如の切り(面を左右に動かす)が格段の速度に見える。そうすると観客の心は激しく揺すられる。学問といえども、その70パーセントくらいは読者や観客に何を感じさせたかなのである。カマエもハコビも大事だし、テル・クモル・シオル・キルも習熟したほうがいい。ついでながら学問の残りの20パーセントは学派をどのようにつくって、それがどのように社会に応用されたかどうかということ、残りの10パーセントが独創性や前人未踏性や孤独感にかかわっている。学問はそんなものなのだから、どこで才能を発揮してもいい。

もともと大澤真幸はかなり早口で喋っていても、その語りをもう一人の自分でトレースできる才能をもっている。いま自分がどんな言葉をどの文脈で使おうとしているか、その言葉によって話がどういう文脈になりつつあるのか。それを聞いている者にはひょっとするとこんな印象をもったかもしれないが、それをいま訂正しながら進めるけれど、それにはいまから導入するこの用語や概念を説明なしに使うが、それはもうすこし話が進んだら説明するから待ってほしい、それで話を戻すけど‥‥というふうに、自分で言説していることをほぼ完璧にカバーできる能力に富んでいた。アタマのなかの”注意のカーソル”の動きが見えている。 ぼくはどうもうっとりできないんですよ、「考える自分」と「感じる自分」とが同時に動いていて、その両方を観察してしまうんですよ、と大澤自身がどこかで言っていた。まさにそうなのだろう。それがいいところなのだ。

・・・

大澤真幸の文章に親しんでいる人なら、「そうそう、まさにそんな感じ!」と頷いてしまう、的確な評だと思う。

アカデミズムの構造を利用したセクハラは許されるべきではないが、一読者として大澤真幸の著作は楽しみにしているので、

これからも魅力的な書を書き続けて頂ければなあ、と思う次第である。

 

 そんなこんなで今日は一日家でゆっくり。

少し前にプールへ行ってバカみたいに2キロ泳いだ(1キロを平・クロール・背泳ぎで。残り1キロをビート板を使ってパドリングだけで。)

ので、身体が筋肉痛でやられていて動く気にならない。いつもなら8ゲームほど投げに行くところだが今日は自粛。

その代わりにネットサーフィンをして良さげな新作ボールの動きを見る。

Stormのレイン、900Globalのブレイクポイント・パールの動きは見ていて欲しくなる。自分の回転数とセンターのオイルの関係上、

どうしてもパール系の球ばかりが欲しくなってしまう。ブラックパールとソラリスの予備も買っておきたいし、Kineticのエピセンターも

投げてみたい。でもそんなに買ったら間違いなく破産するし、まず家に足の踏み場がなくなってしまうだろう。というわけで我慢。

もし走る球を購入しようと考えている方がいらっしゃれば、新作ではこの辺りのボールがお薦めだと思います。

 

 夜、冷蔵庫のあり合わせを使って三つ葉と豆腐のお吸い物と出し巻き卵を作り、白旋風の水割りと合わせて頂く。

卵焼き用ではないフライパンだが、それでも十分に綺麗な卵焼きが作れるようになって嬉しい限り。外はふんわり、中はややトロである。

我ながら美味しい。一杯のお酒とそれなりの御飯があればとても贅沢な気持になれるものです。

なお、『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記(上巻)』と『日本の近世 14.文化の大衆化』を読了したので、

また日を改めてレビューを書きます。

 

" La fille sur le pont " 邦題 『橋の上の娘』(Patrice Leconte)

 

 最近、映画評ばかりが続いています。

というのは近所のレンタルショップがたまにレンタル一週間190円セールをやってくれるので、その日に大量に借りこんできたためです。

フランス映画が中心なのはフランス語のリスニングにいいかなと思ったから。字幕あり/なしで二回見るとかなり勉強になりますね。

 

 さて、この『橋の上の娘』、1999年公開の映画にもかかわらず全編にわたってモノクロです。

最初はちょっと戸惑いましたが、観終わった後に「この作品はモノクロでないと!」と言わしめる内容を持っています。

ナイフ投げの男Gaborと、橋の上から飛び込んで自殺しようとしているところをGaborに救われナイフ投げの「的」にスカウトされた

Adeleの二人が織りなすストーリー。でも、ストーリー自体は非常に単純。後半の展開はほとんどの人が読めてしまうもので、

「もしかしてこれで終わるの・・・?」と思っていると下からエンドロールが上がってくるという、もうひと展開ぐらい期待したい

ストーリーではあります。この映画の素晴らしさはショットのスピード感ではないでしょうか。緩急を自在に操るカメラワークで、たとえば

Adele役のヴァネッサ・パラディが髪を切っていくところのスピード感溢れるショットや、試着室でドレスを次々に着替えていくところの

躍動感(音楽と動きを合わせてあるため、ダンスみたいに見えます)は見ていて「うまいなあー!」と思わされました。

モノクロであることがこのあたりのスピード感の表現に繋がっているのかもしれません。(モノクロで思い出しましたが、この映画には

虹を見て「虹ってイタリア語でなんていうの?」と問いかけるシーンがあります。モノクロの虹を見たのは初めてで、とても新鮮でした。)

 

 モノクロでなければならなかった最大の理由、それはこの映画の本質である「官能」を表現するためではないでしょうか。

Adeleはその眼差しを使って出会ったばかりの男たちとすぐ寝てしまいますが、ベッドシーン自体は殆ど描かれません。

むしろそれは大したものではないように描かれ、そこに官能性は皆無といって良いでしょう。しかし、Gaborのナイフ投げを「的」として

受けるときのAdele(そしてGabor)は違う。ナイフ投げのショーを無事に終えた後、

「恐怖と快感を同時に感じた事はある?」とAdeleが問い、「ある。さっきだ。」とGaborが答えるシーンがあるように、

この映画においてAdeleにナイフ投げを行うシーンはベッドシーンの表象だと言っても過言ではないはずです。

中盤、線路を渡った後のシーンで行われる「観客のいない二人だけのナイフ投げ」では、AdeleとGaborが

(ちょっとわざとらしすぎるほど)ベッドシーンを彷彿とさせる表情でナイフ投げを行っています。

暗闇に男の荒い息と鋭い眼つきが浮かび上がり、モノクロの肌のすぐ近くに輝く刃が突き立つ。

ここは監督のパトリス・ルコントが最も力を入れたであろうシーンではないでしょうか。官能と恐怖の近似をリアルに伝える映画でした。

あと、映画の内容にはあまり関係ありませんが、台詞で「コアントロー」と言っているところを字幕で「甘口のリキュール」と

訳しているのはちょっと興味深かったです。

 

 

  映画を見たのは例によって深夜で、夕方にはこれまた恒例のプロとの試合に行ってきました。

今日はいつもと違ってオイルがかなりあるレーンだったので、レフティの王道ラインである五枚目や場合によっては二枚目まっすぐ

というガターギリギリのラインで、横回転を主体にして手前を十分に走らせ、奥で一気に切れ込ませるラインをとりました。

このラインをとったのは本当に久しぶり(ホームのセンターはオイルが薄いので、いつもディープインサイドに立つ羽目になっています。)

だったのですが、このラインで投げるのは、大きく出し戻しするいつものラインに比べてめちゃくちゃ簡単に感じました。

気合いを入れて外を転がしておけばポケットに勝手に集まるし、入った時のタップも少ない。残っても7ピン一本だけがほとんど。

おかげで9ゲームでセミ・セミパーフェクトを含む224アベレージを叩く事ができ、プロに勝つことができました。

 

 個人的なものなので他の人の参考になるかは分かりませんが、特に肘を入れて投げる方は、ボールの下に手が来た時に手のひらを

のばす(当然フィンガーも伸びる。手のひらが全体的に張るような感じ。)ようにするとカップをブロークンにする際に親指を抜きやすく

なることに気がつきました。この動きは本当に一瞬のものですが、調子のいいときにはしっかりとこの動作を意識する事が出来るし、

出来たときには球に乗ってくる回転数が段違い!これが出来てはじめて、小指に意識を向けることによる回転角度のアレンジが

可能になってくるはずです。ここまでくれば「手のひらがボールを追い越す感じ」も味わえます。出来るとかなり気持ちいいですよ。

リフト&ターンの動きを考えてみたとき、肘を入れずに投げる方でもリリースの瞬間に掌をのばしてみる(全力で「パー」をする)と、

親指が綺麗に抜けてフィンガーに乗ってくる効果が得られるかもしれません。

 

 新聞配達のバイクが去っていく音がしました。

そろそろ朝ですね。七月・八月ごろと違ってまだ空は明るくなりそうな気配がありません。

空つながりというわけではないですが、今からアラン・コルバン『空と海』(藤原書店)を読んで寝ることにします。

東大ガイダンスのブログの記事と母校から小論の寄稿を頼まれているのでこちらも早く完成させなければ。

指揮法のレッスンやフルートのレッスン、デザインの仕事など、夏休みの終わりになって段々と予定が増えてきた感があります。

この調子のまま学校が始まったら毎日どうなるんでしょう(笑)

 

『大聖堂 果てしなき世界 中・下巻』(ケン・フォレット,ソフトバンク文庫 2009)

 

 ついに完読!!

素晴らしい小説だった。今日は一日家に籠っていようと思い、午後三時に本書の中巻を開いて読み始めてから、飲まず食わずで

夜の十一時までかけて中巻・下巻合わせて1300ページ以上をノンストップで読み切った。

中巻の一ページ目を開いてから下巻の最後の一行を読み切るまで、休憩したいとも休憩しようとも思わなかった。

 

 中巻はまずもって「権威」との戦いが描かれている。権威を持たない者たちがあの手この手で権威や保守的構造・慣習に

立ち向かおうとする。一度は上手くいくように見えるものの、最終的には地域レベルを超えたより上位の権力の前に屈服させられる。

その様子は、読んでいてイライラするほどだ。これらと同時に、すれ違うばかりで上手く交差しない恋愛や、中世ならではの「ナンセンス」

な恋愛構造が描かれもする。そして最も大切なことは、ペストという大悪疫(La moria grande)と、百年戦争という戦い。

中世世界を揺るがせるこの二つの事件が、人々に次々と死を与えていく。中盤あたりで独白的に述べられる、これらを目の当たりにした

カリスの言葉からも見えるように、中巻は全体としていわば「不条理」が描かれている巻だと言えるだろう。

 

 対照的に下巻は解決の書だ。

上巻からずっと時間が経ってあの頃の指導者たちはほとんどが故人となり、子供だった登場人物たちがこの世界を動かしてゆく世代に

なっている。彼らは時代に翻弄され、抵抗し、罰せられ、そして立ちあがる。

とりわけ、メインキャラクターとして描かれるカリスの不屈の精神力(そして同時に、時折見せる人間らしい弱さ。)は読む者の心を打つ。

以下に、「絶対に許さない」と夜明けの大聖堂の屋根の上で力強く言い切るカリスの台詞を引用しよう。

 

カリスはさっと腕を広げ、町とその向こうの世界を示した。

「何もかもよ。身体がどうにかなるまで喧嘩している酔っぱらいとか、わたしの施療所の入口に病気の子供を捨てていく親とか、

ホワイト・ホースの外のテーブルの上で酔った女と性交するために行列をつくっている男たちとか、遊牧地で死んでいく家畜とか、

半裸で自分を鞭打ち、見物人から小銭を集める悔俊者もどきとか。それに、わたしの修道院で若い母親が残忍に殺されたわ。

ペストで死ぬのなら、運命と諦められるかもしれない。でも、生きているかぎりは、この世界が壊れていくのを黙って見ているわけには

いかないわ。」 (同書下巻 P.268)

 

  偶然に揉まれ、必然に流され、時代の中で登場人物たちは時に交錯しながら必死に生きる。

それぞれがそれぞれの問題を抱え、読者である我々に問いかける。死や生といった抽象的な問題だけではない。もっと具体的な問題、

例えばカリスとマーティンの辿った人生を考えたとき、「結婚」とはいったい何なのだろうかと考えずにはいられない。

他にも多くのテーマが横たわっているがそれは読んでもらえば届くことなので、これ以上多くは語らないことにしよう。

 

 総計、約2000ページ。

原題である ” WORLD WITHOUT END ” が示すように、時間的にも空間的にも 途方もないスケールと深さを持つ作品だった。

塔の天頂から果てしなく続く世界を視界に広げ、吹いてくる風に身を委ねるような、ただただ心地よい読後感が残っている。

 

 

『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎,講談社現代新書 2008) &カオス呑み

 

 駒場の生協で著者の名前が目に入り、即座に購入。

著者は講談社現代新書で10年近く前に『ゲーデルの哲学』を書いており、これを高校時代に読んでハマった覚えがあったからだ。

JR大阪駅を出てすぐ、ヤンマーディーゼルの看板が窓から見える辺りで読み終えたということまで覚えている。それほど印象的だった。

 

 今回の『理性の限界』もまた、読み終えた瞬間を覚えていられるほど刺激的な内容。

最初から最後まで「シンポジウムにおける対話」という形式を取っているので、内容は決して簡単ではないものの、楽しんで読める。

テーマは大きく分けて「選択の限界」「科学の限界」「知識の限界」の三つであり、それぞれに関連する主要な理論が

仮想シンポジウム参加者の対話によって説明されてゆく。

「数理経済学者」がコンドルセのパラドックスを説明したかと思うと、「情報経済学者」がアクセルロッドのTFT戦略について

説明してくれるし、それに絡める形で再び「数理経済学者」がミニマックス理論やナッシュ均衡に話を広げていく。

「科学主義者」はラプラスの悪魔や相対性理論を噛み砕いて説明するし、「相補主義者」は二重スリット実験を紹介してくれる。

(二重スリット実験は何度読んでも感動する。この現象を目の当たりにした科学者は最初どれほど驚いただろう。)

お約束とも言えるクーンのパラダイム論については「科学社会主義者」なる人が概略を語ってくれる。

それに対して「方法論的虚無主義者」なる人がファイヤアーベントの哲学を持ち出して来て、Anything Goes ! という極端な

科学哲学を紹介してくれたりもする。(このファイヤアーベントの哲学は本当に面白いと思う。これから読んでみたい。)

 

 ところどころ登場人物に不自然なところがある(「ロマン主義者」とか「フランス国粋主義者」とか)が、それもまたこの本の面白さ。

著者は、幅広い参加者たちに託して対話の中に様々な知識(たとえば、フランスの「コアビタシオン」と呼ばれる政策についての

説明や、マーヴィン・ミンスキーの「心社会論」についての説明など)を練り込んでくれている。その一方で、「カント主義者」が

「要するにだね、カントによればだね、君の意志の格律がいつでも同時に・・・」と言いかけては「司会者」に

「はいはい、今はカントの話ではないのでまた後日にお願いしますね。」と流されているのがちょっと哀れで笑えたりもして、

最初から最後まで読んでいて飽きない。後半で紹介される「ぬきうちテストのパラドックス」なんかには「むむむ・・・。」と

悩まされること請け合いである。悩みながら楽しみながら、『ゲーデルの哲学』同様に買ってすぐに一気に読み通してしまった。

数ある新書の中でも非常に充実感の高い一冊。おすすめです。

 

(参考:【抜き打ちテストのパラドックス】

1.月曜日から金曜日まで、いずれかの日にテストを行う。

2.どの日にテストを行うかどうかは、当日にならなければ分からない。

という講義要項があったとする。これを見たA氏は「テストは実施されえない」と判断した。というのは、この講義要項1に基づけば、

まず木曜日の時点でテストが行われなかった時点で「テストは金曜日だ」と予想されるが、予想された時点で講義要項2に反するので

金曜日にはテストは行われえない。これより、金曜日にテストが無いならば、木曜日にテストを行う場合、先ほどと同様にして水曜日

まででテストが行われなかった場合「テストは木曜日だ」と予想され、これは講義要項2に反するので木曜日にテストは行われえない。

これを繰り返していくと、月曜日から金曜日までで「抜き打ち」テストを行うことはできない。よって抜き打ちテストは無い。

このようにAは判断したのである。しかし、実際には金曜日にテストが実施された。

「おかしい!上の理由により、テストは行われないはずだ!」とAが主張すると、教授は笑いながら

「でも、君はテストが今日行われないと思っていたんだろう?それならば、抜き打ちテストは成立しているじゃないか!」と返した。)

 

 なお、これを読んだあとにクラスの友達数人で高尾山のビアガーデンにて「カオス呑み」をしてきた。

「カオス呑み」とは名前の通り、秩序に縛られず酒を楽しむ会のこと。簡単に言うと呑みまくっているだけである。

いつもは下北沢などで開催され、最終的には結構カオスな事になるのだが、今回は高尾山ということもあって

非常に穏やかな展開になった。今回はみんな『理性の限界』を破らずお酒と高尾山から見る夜景を楽しんでいたようだ。

 

『大聖堂 果てしなき世界 上巻』(ケン・フォレット,ソフトバンク文庫 2009)

 

 帰省していた時に世界史の川西先生にお勧めして頂いたこの大著、ようやく上巻を読み終えた。

この作品は、上・中・下それぞれを一気に読み通すべき本だと思う。

というのは、まず登場人物が相当に多く、しかも名前が似ていてややこしい。ドストエフスキーも真っ青なレベルである。

加えて、途中で時間が一気に飛ぶ箇所がある。これによって読者は「え、こいつ誰だっけ・・・?」という困惑に容赦なく叩き落とされる。

もちろん僕もその困惑の渦に嵌った一人で、前を参照しながら人物関係を追うのに必死になった。

 

 だが、これらの「試練」とも言うべき個所を抜けると、登場人物のキャラが一気に立ってくる。

先ほどまで誰が誰だか迷っていたのが嘘のように、パッと視界が開けてこの作品の世界に入り込む事が出来るだろう。

そこからは本当に面白い小説だ。小説としても面白いし、世界史をやった人にはこの作品の背景に中世の社会構造が大きく横たわって

いることが見て取れるはずだ。(例えば、聖職者の特権的地位、職人の身分、女の地位、ギルドの閉鎖的構造、保守と改革など。)

上巻を読み終えた今、世界史の先生がお薦めされた理由がよく分かった。各巻が650ページぐらいある大著で読むにはかなり

骨が折れる(ついでに、読んでいると重さで手が段々ダルくなってくる。ストレッチ必須。)が、カリスとグウェンダ、そしてマーティンと

ゴドウィンといった魅力的なキャラクターたちが時にハラハラ、時にイライラさせてこの世界に惹き込んでくれるので、中・下巻も

それぞれ一気に読み通せそうだ。夜中、ソファーに寝転んでキンキンに冷やした白ワインを飲みながらこれを読んでいると

一人暮らしの狭い1Rにも関わらず異常に幸せな気分に浸れるので、今週の夜はこれを読んで過ごすことにするつもりである。

 

 なお、本日も経堂で8ゲーム投げ込んだ。

師匠に教わったラインを練習すべく、家に寝かせていたMomentum Swingを持ち出してきた。

このボール、寿命に難があるものの、「スーッ」と滑らかに曲がっていくしピンアクションも良いしで使いやすい事は確かだ。

これを25枚目から15枚目まで出して投げる。横回転を多めに入れ、オイルを長く使って「狭く・強く」投げる練習である。

今の回転ならガターギリギリまで出しても戻してこれるが、それではボールの勢いが削がれてしまい、ジャスト‐タップが起きてしまう。

師匠に指摘された通り、次に僕が目指すべきは、回転数が多くてスピードの乗った強い球を狭いライン(=オイルを長く使う)でしっかりと

投げれるかだ。ポケットに入るラインを見つけるのではなく、ストライクが続くライン(=タップしないライン)を選ばなければならない。

トップトーナメントでは210アベ以上が要求されるので、このラインを早急に自分のモノにして引出しを増やしたいと思う。

これを使えるようになれば、5枚刻みに5つの基本ラインを取れることになる。これ以上内側に立たねばならないもあるが、

インサイドに立つのは嫌というほど練習したから苦手意識は無いし、そもそもそんな時にはボールを変えれば何とでも対処できる。

後は状況に応じて1枚2枚ずらしたり、回転軸を少し調整してアジャストすればよい。

 

・5枚をまっすぐorちょい出し。・・・レフティの王道ライン。オイルの切れ目を感じて、先まで走らすのが最大のポイント。

・10枚から外にちょい出し。・・・万能。朝の試合で最初に選択するライン。オイルの壁に沿わす感じ。

・15枚から5枚まで出す。・・・非常に使いやすいライン。ここを使ってちょっと薄めに入れるのが好き。

・20枚から10枚まで出す。・・・オイルを長く使う。ピン前が切れているときはこれ。ここを使って厚めに入れるとパーフェクトストライク。

・25枚から15枚まで出す。・・・オイルを長く使って、エネルギーロスを極力避ける。横中心回転。狭いラインで強烈にフリップする球。

(・18枚目直球…ネタ。アプローチ上での助走のエネルギーと体重移動と身体の捻り戻しを使って45キロでぶち込む。カタルシス。)

 

 投げ始めてすぐに小学生が二人寄って来て、「上手くなる方法教えて」と言われたので、スパットを見ること、アプローチをゆっくり

歩くこと、左手でバランスを取ること、毎回立ち位置を確認すること、などを簡単に説明した。小学生たちが嬉しそうに戻っていって

投げ終わったあと、「どうや!」と言わんばかりに(関東の小学生が「どうや!」なんて言うわけはないが)こちらを見るのが可愛かった。

お母さんも最初のうちは「邪魔してすみませんほんと。○○、邪魔しちゃだめよ!」と言っていたのに、

最後の方は「左手でバランスを取れって教わったでしょ!えーと、これで合ってますよね?」と尋ねてくるようになっていらっしゃって、

やっぱり子供の上達が気になるんだなあと思うと微笑ましいものがあった。子供たちもすっかりハマっていたようで

小学生:  「もう一ゲーム!」

お母さん: 「もう一ゲームだけよ!」

  ~ 一ゲーム終了 ~

小学生:  「もう一ゲーム!!」

お母さん: 「もう一ゲームだけって言ったでしょ!・・・これが最後だからね!!」

などという光景が展開されていて、スタッフの人と目を合わせて笑ってしまった。なんとも平和である。

子どもたちは最後に、「お兄ちゃん、ありがとうございました!」と元気よく挨拶をして帰っていった。

「バイバイ、またおいでなー。」と手を振りつつ、「おじさんって呼ばれなくて良かった・・・。」とホッとしていたのは内緒である。

 

 

 

政治的パラダイム・シフト

 

 昼からフルートのレッスンに行ったあと、いつものように経堂で8ゲーム投げ込む。

楽器をやると異様に集中できるのでその集中を引きずったまま練習する事ができた。

8ゲームのアベレージが198。8ゲーム中スペアミスがスプリットの時を除いて一つしか無かった。

特に7ピンのカバーが冴えている。僕は7ピンを取る時にはドライ用のボールを使って一投目と同じフォームで肘を入れ、

リリースの瞬間に回転軸を縦(場合によってバックアップ気味にすることもある)に変えて曲がらない球を投げているのだが、

今日はこの時に肘が非常にスムーズに鋭く入っていて、7ピンをミスる気がしなかった。こういう状態がずっと続いて欲しいと思う。

 

 帰ってからは情報メディア伝達論のテストに使うために拾い読みしたものの全体を読んではいなかった

吉田康彦 『「北朝鮮」再考のための60章 日朝対話に向けて』(明石書店)を読了。センシティブな内容なだけに詳細や感想をここに

書くのは避けるが、北朝鮮の実態を知ることが出来るという点では(コラム代わりのTopicsの項も面白い。)良い本であろう。

 

 夕方からはカミュのL’Étrangerを辞書と必死で格闘しつつ読む。和訳なら一時間ちょっとあれば余裕で読めるのに、原書では

二時間かかって五ページがいいとこである。まあでも、このペースでいけば9月中旬には何とか読み終わりそうだ。

夜はA氏に、金森ゼミで集中的に学んだbio-politique及びビオス/ゾーエーの概念や様々な生命倫理の問題を説明した。

ゼミと同じく、一通り説明したあと、最後に「マルタとジョフ」という思考実験を教えてこれについて考えてもらう。

deaf=聾唖者の夫婦であるマルタとジョフは、遺伝子検査の結果、遺伝的な要因による聾でないと分かる。

しかし、マルタとジョフは、子供が自分たちと同じく聴覚障害者であることを望んだ。

この欲望から、着床前診断により、聴覚障害になるような胚を選択して着床させたとしよう。

もちろんマルタとジョフは「子供の幸せ」を思ってそうしたのである。deafの両親の下でははじめからdeafとして生まれ、Deaf culture

に生きたほうが幸せだろうと両親が考えた結果の行動である。

だが、この行為は許されるのか?命を逆方向へEnhancementしているのではないか?

 

 もちろん、はっきりした正解がある問ではないのだが、僕が思う答えはこうだ。

マルタとジョフは夫婦という関係を絶対的な物として信頼を置き過ぎている。自分たちと同じ聴覚障害者の子供を作ったはいいが

夫婦が突然別れてしまって、両親の行方も知れずという状況になった時を考えてみよ。

残されるのは、「わざわざ聴覚障害を持たされた子供」だけである。夫婦の絆が絶対的なもので無い以上、親の意思で子供を

不利なほうへ改造するのは正しい行為ではないはずだ。そしてまた、マルタとジョフの行いは、子供の所属するコミュニティを

生まれる前に限定してしまっている。可能性を敢えて狭める方向へ産み分ける事は、ハンチントン舞踊病を回避するための産み分けと

異なり、非常に不自然なものに映る。

 

 こんな事を議論しているうちに選挙の開票速報が出始めたので、パソコンを立ち上げてニュースをあちこち巡る。

自民党の大敗。大物がバシバシ落選し、壊滅的に議席数を減らしたようだ。その一方で民主党の記録的な躍進。政権交代。

政治というデリケートな問題について確かな思考を持っているわけでもないので、そのことの良し悪しをここで書く立場に僕は無いが、

ただ一つ言えることは、今回のメディアの報道姿勢はあまりにも偏っていたのではないかということだ。とくに読み間違いを巡る報道。

公の場で読みを間違うことはもちろん良いことではないけれど、果たしてあそこまで騒ぎ立てるほどの問題なのだろうか。

子供のように読みの間違いを上げ足取って指摘するぐらいなら政策論争の時間を一分でも多く取った方がよほど有益ではないのか。

(ただ、失言や読み間違いに対する対策が余りにも遅かったことは確かだ。読み間違い自体は大した話ではないが、メディアが

過剰に騒ぎ立てる流れになってしまった以上はもっと対策する必要があった。そして自民党敗北の根本の原因は

首相の能力如何の問題以上に、党内のバラつきや内紛を国民に知らしめてしまったことにあると思う。)

メディアの報道だけでなく、「口が曲がったやつに政治を任せていていいのか」などと発言した某議員なども僕は心から軽蔑する。

口の角度が政治と何の関係があるのか説明してみろと言いたい。いっそ議員をお辞めになって、『口の角度と政治体制の関連』とかいう

トンデモ本でも書いて、Amazonで限りなく☆0に近い評価を貰ってボコボコに叩かれればいいと思う。

 

 まあとにかく、今回の政権交代は一つの政治的パラダイム・シフトと呼ぶに相応しい大事件であろう。

だが肝心なのは政権が交代することではない。民主党のもとで、どのような施策が展開されていくのか、どのような日本が作られて

いくのか、そしてメディアとどのような関係が構築されていくのか注意深く見守りたいと思う。

 

 深夜にはサイバネティクス・システムについて勉強して関連書籍をリストアップする。

パソコンを打ちながら、Amazonで買って届いたばかりのTargusのCooling Podium CoolPadの使いやすさに感動。

万年筆について熱く語れる先輩である機構のHさんが使っているのを見て買ってみたのだが、予想以上に使いやすい。お薦めです。

関連書籍のいくつかをノリで注文してしまったりパーフェクトソルフェージュの課題をいくつかやったりしたあと、朝6時頃に布団にダイブ。

台風が接近しているらしく、窓に打ち付ける雨の音がよく聞こえる。この音を楽譜に起こすと凄い変拍子の譜面になりそうだ。