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三木清『語られざる哲学』(講談社学術文庫,1977)

 

なんとなく三木清を読んでいる。

西田幾太郎の弟子にしてドイツ語とフランス語を自在に操り、横断的な思索を巡らせ続けた三木清。

暗い時代に生きた彼は、48歳という若さで獄中にして非業の死を遂げる。

彼がじっくりと読むべき日本の偉大な哲学者のひとりである事は間違いないだろう。

 

全集を読み始めたばかりの僕が三木清の哲学についてあれこれと語ることは出来ない。

だが、三木清の文章はどれも美しく、強い言葉であって、漫然と生きている自分に強く刺さってくる。強靭な意志の力を感じずには

いられない。以下に三木清自身の文章を『語られざる哲学』(講談社学術文庫)より、四つほど引いておく。

 

 

「真の懐疑は柔弱ではなくて剛健な心、自分自身をも否定して恐れない心、ヘーゲルの言葉を用いるならば真理の勇気

(Der Mut der Wahrheit)をもった心において可能である。それは戦士のような心のことであって掏摸(すり)のような心のことではない。」

 

「私は樹から落ちる林檎を見て驚異を感ずる心よりも空に輝く星を眺めて畏敬の情を催す心をもって生まれた。

幸福なことには、私は美しき芸術を感じ、正しき真実に驚きよき行為を畏れる心を恵まれていた。私の哲学はこの心から出発するであろう。

そしてこの心が私をして子供のような無邪気さをもって闇の空にではなく大きな青空に夢み出させた。

また私の純粋さはこの夢において保たれて来た。」

 

 

「私はかつてニュートンの言葉から思い出して人生を砂浜にあって貝を拾うことに譬えた。

凡ての人は銘々に与えられた小さい籠を持ちながら一生懸命に貝を拾っ てその中へ投げ込んでいる。

その中のある者は無意識的に拾い上げ、ある者は意識的に選びつつ拾い上げる。ある者は習慣的に無気力にはたらき、

ある者は活快 に活溌にはたらく。ある者は歌いながらある者は泣きながら、ある者は戯れるようにある者は真面目に集めておる。

彼らが群れつつはたらいておる砂浜の彼方に 限りもなく拡って大きな音を響かせている暗い海には、彼らのある者は

気づいておるようであり、ある者は全く無頓著であるらしい。けれど彼らの持っておる籠 が次第に満ちて来るのを感じたとき、

もしくは籠の重みが意識されずにはおられないほどに達したとき、もしくは何かの機会が彼らを思い立たせずにはおかな かったとき、

彼らは自分の籠の中を顧みて集めた貝の一々を気遣わしげに検べ始める。検べて行くに従って彼らは、彼らがかつて美しいものと

思って拾い上げた ものが醜いものであり、輝いて感ぜられたものが光沢のないものであり、もしくは貝と思ったものがただの石であることを

発見して、一つとして取るに足るもの のないのに絶望する。しかしもうそのときには彼らの傍に横たわり拡っていた海が、

破壊的な大波をもって襲い寄せて彼らをひとたまりもなく深い闇の中に浚っ て 行くときは来ておる のである。

ただ永遠なるものと一時的なるものとを確に区別する秀れた魂を持っている人のみは、一瞬の時をもってしても永遠の光輝ある貝を

見出して拾い上げ ることができて、彼自ら永遠の世界にまで高められることができるのである。

私たちはこの広い砂浜を社会と呼び、小さい籠を寿命と呼び、大きな海を運命と呼 び、強い波を死と呼び慣わしておる。」

 

 

「個性の根柢は普遍的なるものにある。

しかして普遍的なるものは己れ自身に具えた力によって内面的に発展して特殊の形をとるのである。」

 

 

選抜通過

 

とあるプログラムの選抜を通過しました。一週間前に出したペーパーが運良く審査を通ったようです。

どれくらいの人数が審査を受けたのか分かりませんが、選抜されたのは学部生・院生合わせて九人でしたから、もしかすると結構な倍率

だったのかもしれません。選抜されるとどうなるかと言うと、なんと三月の中ごろに中国(南京)へタダで行って勉強することができます。

具体的には、南京で身体論に関する集中講義を聴講したのち、南京大学の学生たちとディスカッションをやったりする予定だそうです。

中国語はほとんど分からないのでちょっと日和そうにもなりましたが、こんな機会は滅多にないと思って飛び込んでみる事にしました。

 

飛び込んだ、と言っても、身体論という分野は以前から僕にとっては非常に興味を惹かれる分野でした。

そもそも自分の主要な興味のフィールドがフランス現代思想、生命倫理、表象文化論、社会学あたりである以上、「身体」という問題は

絶対に外すことができませんし、むしろこれらのフィールドの全てに横たわる問題だと言ってもよいでしょう。ましてや指揮法を学んでいる

ので、「身体」への意識は否でも日々高まらざるを得ません。(マルク・リシールの用語を使えば「透明な身体」と「不透明な身体」の間を

日々行ったり来たりしているのです。僕はこの状況を「明滅する身体」と表現し、今回のペーパーを書いてみました。)

また、A氏に連れられてdialog in the darkを経験してから、五感と身体の関係性について色々と考えさせられ

折にふれては小論をちょこちょこ書いたりもしていたので、実際問題としていま最も興味を持っているのは、まさにこの

「身体論」なのかもしれません。無秩序に広がりがちな自分の興味が「身体」という言葉でスッと纏まりそうな気がしています。

 

南京へ行くのは3月中旬。フレッシュスタートの準備が慌ただしくなる頃ですが、パソコンさえ持っていけばスカイプなり何なりで

いくらでも作業やデザインの仕事は出来るのできっと大丈夫でしょう。フレッシュスターとでのグループワークの内容もいっそ

「身体」を切り口にした何かをやってみようかなと企んでいます。

 

ともあれ、タダで中国に行ける、というのは要するに税金で勉強させてもらってくるわけなので、有意義に色々と学べるよう

出来るだけの準備をして出発せねばなりません。ドイツ語とフランス語で手いっぱいの状況なので中国語まではさすがに手が

回りませんが、まずは身体論に関連する本をこの一カ月で読みまくりたいと思います。

 

というわけで手始めに、一年ぐらい前に購入した『ディスポジション 配置としての世界』(現代企画社)から

「馬に乗るように、ボールに触れ、音を奏でるように、人と関わる」という文章、それから「世界・環境・装置」と題された

対談、そして「心身の再配置のために デカルト哲学における意志の発生と権能」という論考を再読。二つ目に挙げた対談の中で

フーコーを引きながら「身体に作用するのが暴力、行為に作用するのが権力」と定義しているところが印象に残りました。

 

疾風怒濤の日々

 

 数日間、怒涛の日々を過ごしていた。

指揮法の門下生で新年コンパ→翌日一限プレゼン(フランス語)→五限プレゼン(英語)→レッスン(夜十一時まで)

→翌日五限プレゼン→六限フレスタ説明会+ゼミ→レッスン(夜十一時まで)→翌日二限プレゼン(いまここ)

→レポート締切×2→吞み会→二限テスト(比較法学)→レッスン(フルート)

という、殺人的なスケジュールである。しかもその合間に授業や指揮法の予習、バイトや仕事が入ってくる。これは結構キツイ。

 

 とはいえ、一番準備が進んでいなかった言語情報文化論のプレゼンを、アドリブ的な喋りに任せて上手くこなすことが

出来たので一安心である。この授業はLignes de tempというソフトを用いて映像分析をやる授業なのだが、発表の時期を考えて

僕の班はウィーンフィルのニューイヤーコンサートについて映像分析を行った。25年分ぐらいの映像を見ながらその変遷を

追って行った結果、ウィーンフィルのこのコンサートの映像は三つの時代に大きく区分できる変遷を見せていることが分かった。

 

1.「人」の時代・・・指揮者や演奏者を中心に映した時代。1987年のカラヤンまで。

 

2.「音」の時代・・・1989年(指揮者クライバー)以降。1987年同様に指揮者をしっかりと映しながらも、音楽を「聞かせる」ために

           映像が協力する時代。具体的には、「ソロを吹いている楽器を見せる」「楽曲上の動機となる低音部を映す」

           「指揮者の意識が向いている楽器を映す」などの傾向が挙げられる。実演を聞くだけでは接しえない、

           「指揮者と奏者とのコンタクト」を映像として捉えたのは画期であろう。

 

3.「映像」の時代・・・2004年(指揮者ムーティ)以降。ちょうどこの2004年にハイビジョン放送が開始された。

            圧倒的に高精細に表現することが可能になったのと対応するかのように、この年度から音楽と直接に関係のない、

            花、ホール、天井画、柱、大理石、風景などが映像に占める割合が増え始める。この時期以降、細かい「小ネタ」が

            目につくようになる。

 

このようにして変遷を区切った後で、2010年の位置づけを考えてみた。詳しい説明は割愛するが、僕の考えでは、2010年はこの

いずれにも当てはまりながら、いずれにもピッタリおさまるものではない。曲、人に加えて、上からの映像を多用することでコンサートが

行われている場所を全体性とともに映し出すその構成は、「場」の時代とでも呼ぶべきものの到来を予期させる。

(「それはつまるところ、コンサートのバーチャル・リアリティー化に近いのではないか」と発表の後で教授がおっしゃっていた)

そんな感じの内容でプレゼンを行った。

 

 音楽絡みで書いておきたいのが、最初に触れた、指揮法の門下生で行った新年コンパ。これは本当に面白かった。

門下生の多くは何らかの形で音楽に専門的に従事していて中にはプロの指揮者として活躍されている方も何人かいらっしゃる。

そんな中に僕がいるのも変な感じではあるが、一番の若手ということで大量にお酒を飲ませて頂きつつ

(紹興酒がとても美味しかった。しかし一番感動したのは、先生がシャンパンを二本持ってきて下さったこと。一本はモエシャンドン、

もう一本はなんとWiener Symphoniker というラベルだった!)

夜を徹して音楽談義を繰り広げていた。誰かが「さっき指揮者のスウィトナーが無くなったらしい」なんてニュースを呟けば

そこからスウィトナーの録音について熱い話が展開される。そうかと思うと「ジュピターの四楽章は何拍子で振るか」みたいな

議論になったり、「ちょっと君、あの曲のあの部分振ってみて」みたいな突然の無茶ぶりがあったりもする。

(しかし、そんな無茶ぶりに対しても、「え、あのホルン入ってくるとこですか?えーっとこうですよね。」としっかりとお振りになっていた。)

 

皆さんいくらお酒が入っていても、先生がぼそっと話しだされると一斉に静かになって先生の言葉を一言一句漏らさぬように聞いている。

それもそのはず、先生が呟かれる話はどれも大変にインスピレーションに富んでいる。先生の音楽観や音楽性が凝縮されている。

最長老の門下生の方などはもう30年以上も先生に習っているそうなので、このような機会を何度も得ていらっしゃるのが本当に

うらやましい限りである。長老さんによれば、先生の全盛期は「それはそれは怖かった」とのこと。

僕から見れば今でも十分怖いので、昔はどれほどだったのか想像するのも怖いぐらいだ。

とにかく少しでも先輩方に追いつけるように気合いを入れて練習しよう、と珍しくちょっとお酒の回った頭で決心した。

その甲斐あってか、先入と半先入、分割先入を駆使するエチュードNo.3はなんと二回のレッスンで終了。多くの人がここで止まると

言われていたので、無事に通過することが出来てホッとした。今週からは、いよいよNo.4のHaydnのAllegroへ突入する。

叩きの練習の成果が出るか楽しみだ。

 

 そういえば先日の記事で東大の日本史・世界史の問題を「ゼロ年次教育プログラム」と表現したところ、結構好評だったようで

(塚原先生のページ、1.13日の記事に言及があります。)ちょっと嬉しい。

「これは入試問題ではなくて東大の教育プログラムの一環なのだ」と考えれば、受験勉強に対する意識が少しは変わるかもな、とふと

思った。「東大の問題に真剣に向かい合う」というのは、「既に東大の教育プログラムを受けている」こととほぼ同義なのかもしれない。

 

 なお、本日は上村忠男『ヴィーコ 学問の起源へ』(中公新書,2009)を読了。次は熊野純彦『日本哲学小史』(中公新書,2009)に

入ります。どちらも生協書籍部の新書フェアで買ったもの。生協書籍部では「東大出版会20%オフ」フェアを現在やっているので

近いうちにまた大量に散財することが予想されます(笑)

 

「型」としての入試問題

 

 先日の記事に対して塚原先生がホームページで触れて下さっていました。たとえWeb上であれ、予備校時代の先生と

今もこうして話すことが出来るというのはとても嬉しいことです。

(もっとも、先生が問題にしたかったのは「形式面」であったということで、僕が少し文脈を取り違えていた感がありますが)

《出題者の方々がそうした「型」,大学での学びにつながる「型」にどの程度意識的なのか?》と先生は疑問を呈されています。

実際のところどうなんでしょうね。何十年も同じスタイルで出題していることを考えると、やっぱり要求したい「型」があるんでしょうか。

 

 京大の問題についてはコメントできるほど詳しくないので東大の話に限定してしまいますが、東大の問題は、受験生だったころの

僕にとっては、「大学での勉強を予感させてくれるもの」でした。

一問一答はい終わり、ではなく知識羅列で片がつくようなものでもありません。

持っている知識を総動員しながら資料と突き合わせて、知識と資料を対応させる。

知識から資料の意味を発想し、時に資料から知識を引き出す。書くべきことは書く、書かなくてもよいことは書かない。

要するに「考えろ」ということですね。そんな東大の日本史(と世界史)の問題は、いわゆる「受験勉強」に辟易としていた僕にとって

とりわけ新鮮に映りました。解いていて楽しかったし、驚きがあったし、大学に入りたくなった。浪人中、受験勉強(特にセンター)に

飽きたときは東大の日本史と世界史を見てやる気を出し、関係しそうな本(たとえば東大の教授が執筆された本であったり、

ブローデルの『地中海』であったり)を近くのジュンク堂へ読みに行くのが一つの楽しみであったことを思い出しました。

 

 大学に入ってみて、東大の日本史・世界史が要求していた「型」と同じような事を至る所で要求されていることを感じます。

作問者の方々はしっかりと受験問題と大学での学びの接続性を意識して出題していらっしゃるんじゃないでしょうか。どれほど

意識しているのかは分かりませんが、在校生としては、「少なくとも意識はしているだろうな」という印象を受けています。

東大教養学部には「初年次教育プログラム」なる一年生向けのプログラムがありますが、東大日本史・世界史の入試問題というのは

ある意味で「ゼロ年時教育プログラム」なのかもしれません。

 

 こういったことを先生方がどれほど意識しているのか、それは本郷の文学部の日本史を扱う学科(国史学科など。東大日本史を

作問している教授たちが多くいらっしゃいます)に進学を決めた友達にお願いして、宴会の席ででも教授本人に聞いてもらうのが

よさそうです。というわけで考古学へ進むカナヅチ氏、江戸の町が大好きなあの先生や木簡大好きなあの先生と飲む機会が

ありましたらぜひ聞き出してみて下さい(笑)

 

 なお、お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、右サイドのリンク集を拡充しておきました。

自分の「お気に入り」に入れていたサイトを追加しまくってあります。語学(独・仏・伊)に関しては結構な部分に対応できるはずです。

リンクに登録してあると僕としても使い勝手が良い(友達のパソコンや仕事場のパソコンなど、自分の物ではないパソコンで

作業をする際にはまずこのブログを開いてそこからリンクで飛ぶ。)ので、使用頻度が多く、また便利なサイトを中心に

バーっと並べておきました。フィガロ紙とルモンド紙、シュピーゲル紙とヴェルト紙に簡単に飛べるのは結構便利なはずです。

(辞書サイトも並べてあるので、これを併せて使えば海外の文献でも何とか読めますよ。)

イタリア語がもうちょっと読めるようになったらイタリアの新聞サイト(La Gazzetta dello Sportoなど)も入れたいと思っています。

もし「これを追加して欲しい!」とか「これ便利だよ!」というサイト(とくにリンクフリーのもの)がありましたら、コメント欄にでも

書いておいてください。後から追加させて頂きます。

 

 なお、本日はマルク・リシール『身体 - 内面性についての試論』(ナカニシヤ出版,2001)を読了。

 

「身体のこの厚み、「受肉して生きる」という場を経験のただなかで考える事が出来るのは、〈身体のなか〉に

〈身体をはみだしている〉なにものか、〈そこから漏れ出そうとする〉なにものかが存在するときだけであって、そして〈その何ものかとの

関係によって、身体はいつも多かれ少なかれ、ある仕方で、あるいは別の仕方で、制限されて現れることになるだろう。〉」(前掲書)

 

などの一節に触れて、メルロ・ポンティ『知覚の現象学』『行動の構造』や「人間と逆行性」で展開されている議論との接続性を

感じたので、途中からはメルロ・ポンティの諸著作を机に広げて相互に参照しながら読み進めました。

そのあと、昨日A氏と紅茶を飲みながらプルースト『失われた時を求めて』の話をしていたのを思い出し、『失われた時を求めて』の

五巻(集英社の文庫版)の「ゲルマントの方 Le côté de Guermantes」をパラパラとめくっていました。その中に原文では

 

…on ne peut bien décrire la vie des hommes, si on ne la fait baigner dans le sommeil où elle plonge et qui , nuit après

nuit, la contourne comme une presqu’île est cernée par la mer. 

「人間たちの生はそれが沈みこんでいる眠りの中に浸さなければ十分に描ききることは出来ない。眠りは、小さな半島が

海に囲まれているように、夜ごと人間たちの生を取り囲んでいるのである。」

 

と訳される部分がありました。

「眠り」という行為の扱いによってはさきほどの身体論と接続することが可能かもしれないな、という思いに至ったので、

今書いている身体論に関する小論に展開してゆくことを考えてみようと思います。『失われた時を求めて』の八巻である

「ソドムとゴモラⅡ」にも「眠り」について長く触れた箇所があるので、こちらも後日参照するつもりです。

  

 

 

東京帰還&『海に住む少女』(ジュール・シュペルヴィエル)

 

 新幹線に乗ること二時間半。あっという間に東京に着いてしまいました。

小学校へ通うのに自宅から二時間近くかかっていたことを考えると、新幹線の偉大さを思い知ります。

一週間ぶりに戻ってきた東京は相変わらず人が多く大変でしたが、無事に家へとたどり着くことが出来ました。

 

 さて、東京に帰ってきたからには時間を無駄にせぬように全力で動く日々がまた始まります。

沢山やりたいことはありますが、今年は特に、学生でいられる残り時間をそろそろ意識して、一つずつ「形」にしていかねばなりません。

手始めにFresh Start関連のデザインの仕事をいくつか片づけておきました。東大に今年合格される方には、もれなく僕がデザインした

フライヤーが届くことになります。このブログを見て下さっている東大受験生の方は覚えておいてください(笑)

それからずっと前から依頼されながら延々と悩んでいたFresh Startの公式ロゴのデザインが唐突にひらめいた

(今年のNew Year Concertで放送されたバレエのドレスを見ていて思いつきました)ので、勢いでロゴも完成させました。

まだロゴの配色にはいくつか候補があるので、最終的には友達から多数決を募って決定したいと思っています。

 

 Fresh Start関連では、そろそろパンフレットの内容も考えていかねばなりません。このパンフレット、去年は僕一人で全デザインを

担当しましたが、今年は山本くん(立花ゼミに所属している友達です。立花ゼミのホームページのデザインは彼の作品ですよ。)という

強い味方がいるので、具体的なレイアウトなどは彼に任せて、僕は企画をどんどん立案して一年生に振っていこうかなと考えています。

今回の僕の肩書きは「クリエイティブディレクター」なるものですし、デザインに一心不乱になるよりは全体へ目配りをして

企画や作品の統一感を失わないように纏めることが要求されているようです。とにかく、せっかくの機会なので中途半端なものは

作りたくありません。昨年の自分が作ったものを軽く超えるようなクオリティで、長く手元に置く価値のある魅力的な企画が沢山詰まった

一冊を作りたいと企んでいます。

 

 

 今僕の頭の中にある具体的なアイデアについては1月13日の全体ミーティングで説明するつもりですが、基本的なコンセプトとしては、

本学学生・教員の「知」と「経験」を基に、それぞれの「知」と「経験」のぶつかり合いから生まれる「越境」的なエネルギーを伝えるものに

したいと思っています。同時に、高校の勉強と大学の勉強が完全に乖離しているわけではなくてどこかで繋がってくるものであるという

ことや、各学問分野が他の分野に影響を与え・与えられて発展していく様子を、何らかの形でヴィジュアル化したいと考えています。

高校の科目を根っこに置いて、そこから木(大学での学問)が生えて、そして絡み合っていくような「知のマインドマップ」を作るわけです。

これらのどこまでが実現できるかわかりませんが、出来る限りやってみるつもりですのでどうぞお楽しみに。もし良いアイデアを

思いついた方がいらっしゃいましたら、メールかコメント欄に書いて送って頂ければとても嬉しいです。

Fresh Start 当日まであと二カ月。関係者一同、一生懸命に創意工夫して準備しますので、合格された方はFresh Start@駒場 に

是非参加してみてくださいね!

 

 まあこんな感じでパンフレットのアイデアも徐々に出始め、ロゴも上手く出来てちょっと喜んでいたところ、

「あと二時間ぐらいでこの企画のフライヤー作れる?!綺麗な感じにして!」と例によって先生から無茶振りをされました。

やや手間取りましたがなんとか夜九時には完成。今日は良く仕事をしています。駒場を後にしてからは三軒茶屋の喫茶店に寄って

ジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女 L’enfant de la haute mer』(訳:永田千奈 光文社古典新訳文庫,2006)を読了し、

続いて上村忠男『ヴィーコ 学問の起源へ』(中公新書,2009)の第五章までを読んだところで閉店時間となったため、席を立ちました。

続きはまた明日読むことにします。

 

 帰宅してからは白州12年をちびちび呑みながら『構造人類学』の訳読を進め、その後、買ったばかりの

『フランス哲学・思想事典』(弘文堂)の最初にある「16・17世紀総論」の項を読みました。事典を読むのは本当に面白いです。

浪人中に読んだ『現代思想芸術事典』『図解音楽辞典』に続いて大学三年生の間にこれを何とか読み切りたいと考えているので、

今日からこの事典を毎日寝る前に読み進めることにします。ちなみに、広辞苑を通読しようと高校生のころに思ったことがあるのですが

これは全く歯が立ちませんでした。「あ」だけでギブアップします。物理的にも重すぎるため、腕が筋肉痛になること請け合いです(笑)

 

 

New Year Concert 2010 と弾き初め

 

 先日のNew Year Concert2010はここ数年で最高の演奏会だったと思います。

プレートルは大きくテンポを動かし、溜めるところではかなり溜める(とりわけドナウの「間」は絶品でした。)指揮をしていました。

かといって昨年のバレンボイムのようにずっしりした重さを感じさせるものではなく、軽妙洒脱という言葉がぴったりの華やかな演奏。

最初の「こうもり」序曲から最後まで通じて感じたことですが、管が弦に埋もれないようにやや強めに吹かせている印象を受けました。

「酒、女、歌」などでその傾向が特に顕著だったように思います。「クラップフェンの森で」では鳥の鳴き声を模した楽器(名称不明)

を吹かせまくって目立たせてみたり、「シャンパン・ギャロップ」では実際にシャンパンを注がせてみたり、遊びも満載。

そうかと思うと「ラインの妖精」序曲では会場が静まり返るような繊細なトレモロを出させてウィーン・フィルの弦の

素晴らしく精緻な響きを楽しませてくれたりと、見どころ・聴きどころともに十分なコンサートでした。

 

 音楽だけでなく映像にも様々な工夫が感じられました。いくつかに分けて見てみましょう。

 

・フラワーアレンジメント

これについては全くの門外漢なので単なる感想でしかありませんが、エレガントさよりは元気の良さを感じさせる配色だったと思います。

いわゆるビタミン・カラーが中心のアレンジメントでした。黄色・オレンジ・赤といったホット・カラーを手前に持ってきて奥に緑や白を

入れることで、メリハリのついた見映えになってたように感じます。花はチューリップ、バラ、デイジーなどでしょうか。

 

・照明

照明にも一手間加えられていて、曲想に応じて光量が調節されていました。「ラインの妖精」の際には客席後方の上部ライトが

かなり落とされていましたね。

 

・バレエ

普段はウィーンだけなのに、今回はパリとウィーンの二つのバレエ団の踊りが収録されていました。「朝刊」で見せたバレエは

撮影場所の建築をうまく使ったショットが沢山あって感動させられました。衣装(色とりどりの「花のドレス」)もとても好みです。

 

・メイキング

第一部と第二部の休憩時間の間には、大抵アナウンサーとゲストのトークが挟まれているのですが今回はその時間帯に

「プレートルのリハーサル風景」と「バレエの衣装デザイン」という二つのメイキング映像が挟まれており、トーク無しになっていました。

個人的には今回の構成のほうがいいなと感じます。リハーサル風景やデザインのメイキングムービーなんかは僕のような人間に

とって垂涎のものでした。来年からもこの構成で放送してくれることを切に願います。

 

・カメラアングル

映像では今回ここに一番注目される点がありました。カメラアングルがいままでにない豊富さだったのです。

客席最後部の上から天井の彫刻を映し出した後、フリップしながら客席→ステージへと移していくカメラワークもさることながら、

指揮者のはるか上からのアングルは今までになかったのではないでしょうか。二つ目のバレエの終わりと最後のラデツキー行進曲の

終わりで見せた、「上から舞台を捉えるショット」はフランス映画の十八番の構図だと思います。たとえば「シェルブールの雨傘」や、

新しいところでは「ココ・アヴァン・シャネル」の宣伝ムービー(シャネルのページから無料で見れます。セリフはほとんどありませんが

風景・人物の撮り方が本当に綺麗で感動します。一度見てみてください)で目にすることができるでしょう。このあたり、もしかすると

フランスの指揮者ジョルジュ・プレートル仕様なのかもしれませんね。上からのショットは頻繁に活用されており、

ステージ頭上のハープを持った女性の彫刻の上から写して、彫刻のハープをカメラに収め、そのあと次第にステージへズームしていって

(オーケストラで実際に弾いている)本物のハープを彫刻の向こう側に遠近つけて写す手法には感動しました。これは巧い。

 

 というわけで非常に満足な演奏会だったので、三日の再放送もスコア片手にじっくりと見入ってしまいました。

ついでに家にいる間に色々弾いておこうと思い、今年度の弾き初めも兼ねて六年ぐらい前に演奏会で弾いたガーシュウィンの

プレリュードNo.3を弾きました。あの頃は指が回っていたのに今はもう全然です。中盤で止まりまくりです。悲しい。

 

 そのあとピアノの横にある楽譜用の引き出しを整理していたところ、高校生の時に書いた小品の楽譜が発掘されました。

ちょっと弾いてみましたが、自分で作っただけあってこちらはスラスラ弾けてしまいます。でも弾けば弾くほど恥ずかしくなる曲。

メロディーだけで作ったのがバレバレで全く厚みがない。当時はこれを傑作だと本気で信じて友達に弾いて聴かせていたのですから

怖いもの知らずですね。穴掘って土下座したいぐらいです。

そして曲の内容にもまして恥ずかしいのが曲名。あの頃ハマっていた三島由紀夫のある作品から採ったのが透けて見えます。

楽譜ごと燃えるゴミの日に出してしまおうと思いましたが、なんとなくそうすることも出来ず、改めて引き出しの一番奥にしまって

記憶から抹消しておくことにしました。きっとまた何年後かに発見して破りたくなることだと思います(笑)

 

 フルートは東京へ置いて帰ってきてしまったので吹くことができず。東京へ戻ったらしっかり練習します。

指揮の方は叩き・跳ね上げ・平均運動・しゃくい・先入を毎日筋トレのようにやっているので弾き初めという感じは特にありません。

今度の課題曲No.3(Haydn No.20 Andante grazioso)の譜読みは昨年中に終えましたが、次は暗譜するためにさらに読み直す

ことにします。曲自体はとても単純なのですが、先入・半先入・分割先入という技法をフル活用することが要求されているので、

指揮するのは結構大変かもしれません。頑張って練習します。

 

 なお、新年一発目はレヴィ・ストロースの『パロール・ドネ』(中沢新一 訳、2009,講談社選書メチエ)を読了。

これはコレージュ・ド・フランスでの講義の報告書を訳したもので、とても読みやすい本です。レヴィ・ストロースの著作を読んだことがある

人にはとてもおすすめ。これを読みつつレヴィ・ストロース本人の著作を読めば本人の著作がぐっと分かりやすくなるはずです。

訳者の中沢新一が後書きでこんなことを書いています。

 

「いったん書き始めると、レヴィ・ストロースはただの人類学者でなくなって、一人の作家ないし文人と呼ぶにふさわしい、おそるべき

文体の人に変容するのであった。シャトーブリアンやフローベールに学んだという彼の文章は、まさに螺鈿細工のように複雑にして

精緻を極めたフランス語の名文であった。そのために、フランス語に堪能でない私たちは大いに泣かされてきた。

ところが、講義中のレヴィ・ストロースは、(中略)まったく飾り気のない平明極まりない言葉で自分の思想を明確に伝えることだけに

専念している、一人の人類学者に立ち戻っているのだ!」(同書P.366より)

 

 原文で読んでいないのでこの講義録がどれほど平明なのか僕は日本語訳を通して推し測るしかありませんが、

確かに『構造人類学』に比べるととても読みやすい。これぐらい読み易ければ『構造人類学』ももっと早いペースで訳せるのになあ、

と思いつつも、「螺鈿細工のように複雑で精緻なフランス語の名文」に接することが出来る幸せを同時に覚えます。

そんなわけで、あと二日で提出せねばならない『構造人類学』訳文のレジュメ作成にまたもや苦しまされるのでした。

 

 

笑い飯礼賛

 

 M-1グランプリ2009を観た。目当ては笑い飯。いつも決勝近辺まで行くのになぜか勝てないこの二人が今年は

どんな伝説を作るか楽しみにしていた。結果は決勝までダントツで進んで、最終的には2位。ある意味伝説の展開だ。

ここまで来ると、「こいつら実は優勝する気ないんちゃうか」と思ってしまう。それがまた面白いといえば面白い。

 

 M-1で笑い飯と言えば多くの人が真っ先に思いつくの2003年の「奈良県立民俗博物館」というネタだろう。

あれはまさしく神だった。テンポ感もネタの構成も最高。掛け合いはどんどん加速していき、笑いもどんどんクレッシェンドしていった。

この奈良県立民俗博物館ネタには及ばないものの、今年の一回目のネタ「鳥人」は2003年に次ぐ名作だったと思う。

ボケとボケの掛け合いが生む勢いだけで笑わすのではなく、絶妙なテンポ感に加えて、言葉遊び的な笑いの要素が上手くミックス

されていた。さらに、笑い飯の真骨頂とでも言うべき「イメージ」の伝達がとても巧みだった。

 

 奈良県立民俗博物館と鳥人(に限らず、笑い飯の漫才のネタの多くがそうだと思う。「コロンブス」とか。)の共通点は、どちらも

「存在しないもの」「大多数の人は観たことがないもの」でありながら、「言われてみれば想像できる」ものであること。

ということは同時に、観客に自分たちのイメージしているものが伝わらないことには始まらないネタだと言える。

つまり、笑い飯が思い描くイメージが完璧に観客へと伝わり、イメージを共有できた時に、彼らのネタは笑いに変わる。

奈良県立民俗博物館と鳥人で提供したイメージは「博物館によく置いてある縄文時代の人々の像」と「頭だけ鳥で体が人」であった。

なんとなくリアリティを感じさせるこれらのイメージを観客と共有しつつ、あとはそのイメージから引き出されるシナリオを展開しながら

言葉遊びと主題のズレ(たとえば奈良県立民俗~における「ええ土!」、鳥人における「チキン南蛮」など)によって話を広げてゆく。

そこに漫才の「技術」である節回しや表情、テンポが加わることで彼らの漫才は構成されていると思う。

想像力と言語力に強烈に働きかけてくる笑い飯、まだまだ彼らから目が離せない。

 

 それにしても、笑い飯の漫才に漂うシュールさは吉田戦車の漫画に良く似ている。帰省したらまた吉田戦車の『殴るぞ』と

『感染るんです(うつるんです)』を読もうと思う。というわけでそろそろ帰省の準備をしなければならないのだが、軽くリストアップしてみた

だけで凄まじい量の荷物になってしまった。服、パソコン、本10冊、ドイツ語とフランス語の辞書、フランス語関連の演習本、単語帳、

ボウリングのボール×3、指揮棒、楽譜、フルート、バイオリン、筆記用具、万年筆のインク・・・これではいくら鞄があっても足りない(笑)

年末・年始で料金が高いことが予想されるのでボールは持って帰らなくても良いのだが、帰省するからには師匠と一回ぐらい投げたいな

と思うと、やはりボールは外せないという結論に至る。こうして荷物は全く減らないのであった。

 

 なお、本日は大畑大介『不屈の「心体」なぜ闘い続けるのか』(2009,文春新書)と加賀乙彦『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を

読了。それからあるコンクール用に書いていたエッセイを提出した。『記憶を纏う』と『ガラス越しの香り』という題名の二編である。

結果発表はまだまだ先なので、あんまり期待せずに待つことにしよう。

 

近況です。

 

いつものように近況を。相変わらずハードな毎日が続いています。

 

・能鑑賞

ここに時々コメントをくれる水際のカナヅチ氏のお誘いで能を見に行ってきました。

野村萬/野村万歳による狂言「箕被」、そして友枝昭世/宝生閑による能「葵上」の二本立てという

豪華なプログラム。何より、出演者の方々が日本トップの能楽師の方々です。

「学生のための特別公演」ということで、これがS席3000円で聞けるとは・・・学生でよかったと思います。

能は二回ほど見に行ったことがあるだけなので何も的確な感想は言えませんが、とくに「葵上」のおどろおどろ

しさは尋常ではありませんでした。変拍子チックな太鼓と笛と地謡に乗って展開される

六条御息所の霊Vs行者の激しい戦い。行者の法力が勝ったかと思うといきなり六条御息所が振返り、

その鬼のような形相を見せて逆に行者を追い詰めます。この迫力はすごい。ぞっとします。

妖しげな光を放つ青色とくすんだ赤色で、舞台が明滅しているような錯覚を覚えました。

 

 帰り際、客席を見回すとAIKOMの留学生の友達や高校時代の友達、それから上クラなど、10人ぐらいの

知り合いを発見してこれまたびっくり。ついでに、ホール出口のところで、浪人時代の友達で

しばらく音信不通だった人にばったり遭遇して、眼が合うなり「あーっ!!」と叫ばれました。

世界は狭いですね。まあとにかく、良いものを見て聞いてすることができました。カナヅチ氏ありがとう。

 

・指揮

能を見た後にそのまま指揮法レッスンへ。「葵上」の衝撃が残っていたのか、師匠に

「今日の君のピアニッシモはなんか冷たいね。もうちょっと柔らかく出したら?」と言われてしまいました。

それ以外の問題点は無かったようなので、合格を頂いて一つ曲を終えました。今週から新しい曲に入ります。

しっかり譜読みせねば。

 

 

・Fresh Start

というイベントがあるのですが、このイベントにJr.TAとして関わっています。

肩書きは「クリエイティブディレクター」なる大層なものなのですが、まあいつものようにデザインやら司会やら

色々と担当する感じになるでしょう。大きなイベントなので、色々案を出して盛り上げていきたいと思います。

さっそくFresh Start Jr.TA説明会の司会を一部やらせて貰いましたが、ずっと立ちっぱなしで三時間弱は

流石に疲れますね。「むくまないストッキング」なるものがバカ売れするのも納得です。

 

・ボウリング

8ゲーム投げて209アベ。目標にあと1ピン足りません。スペアミスが効いていますね。

練習を終えた後、スタッフをやっている後輩に投げ方のアドバイスを求められたので

一歩目の出し方からダウンスイングの下ろし方など、様々な「コツ」を伝えました。

彼にとってこのアドバイスが壁を超えるきっかけになってくれれば嬉しいです。

 

・本

ベルナール・スティグレール『技術と時間 第一巻』を読了。明日、スティグレールが来日して本郷で

シンポジウムが開かれるのでその予習の意味を兼ねて。ちなみに明日は午前中に駒場でシンポジウム

午後に本郷でシンポジウムというダブルヘッダーなので。かなり忙しくなりそうです。

 

 

 

「静」と「動」

 

 ここ数か月、ボウリングの調子が良いです。

先日の試合でもセミパーフェクトの277が出ましたし、「またぎパーフェクト」なるものも達成しました。

またぎパーフェクトとは名前の通りゲームをまたいで12連続ストライクが出ることらしいです。

3ゲーム目に8連続ストライクを持ってきて、4ゲーム目に入って頭から4連続でストライクを続けて

合計12発。一緒のボックスで投げていた人に指摘されるまで気付きませんでした。いつの間に、という感じ。

出来れば一ゲーム内で普通のパーフェクトを達成したかったですね(笑)

まあそれはともかく、アベレージが220から230で二か月ほど安定してきているのは嬉しい限り。

 

 好調なのには理由があって、一つ悟りを開いた気がします。

かなり抽象的な内容なので上手くは書けませんが、簡単に言えば、「動」ではなく「静」の部分を意識するように

なったこと。ここ数年、いかにして高速・高回転の球を投げるかを追求し、「どうやって肘を入れるか」

「パワーステップのタイミングをどう取るか」「回転軸はどう変えるか」など、ボウリングにおける「動」の部分を

独自にひたすら追い求めてきました。そうして試行錯誤しながら何千ゲームも投げることで、

「動」の部分はかなり体に染みこんだ実感を持っています。

 

 ですが、これに安定感を加えるためには、「動」ではなく「静」の部分に注目することが必要なのだと

唐突に悟ったのです。インスピレーションをくれたのは、僕が今一番熱心に取り組んでいる指揮法でした。

指揮の師がある時、こんなことをおっしゃったことがあります。

 

「指揮台に不用意に上がってはならない。上がる前に空間を作っておく。音楽が大きく広がるように

空間をセットしておく。触れたらその瞬間に音が鳴り出しそうな空間を作ってから指揮台に上がる。

そしてタクトの先に、空間に満ちている音楽を集めて凝縮させ、一挙に空間を鳴動させる。

オーケストラを鳴らすだけじゃない。空間を鳴らしてはじめて音楽は命を持つ。」

 

この言葉を考えてみたとき、「どう動くか」が問題なのではなく、「どうやって静から動へ切り替えるか」、

さらに言えば「どうやって〈静〉の状態を作るか」が一つのカギとなるはずです。

そんな師の言葉を意識しながら、いつも指揮台に上っているのですが、じゃあこの気持ちで

ボウリングのアプローチに上がってみたらどうだろう、とふと思ってやってみました。

空間を意識しながら、背筋を伸ばして、ピンをまるでオーケストラの楽器のように見立てながら

アプローチに立ってみたわけです。

 

 びっくりしました。立った時の安定感が違う。視界が広くて明るい。重いボールを構えているのに体の

どこにもストレスがかからない。投げる前から自信が湧いてくる。〈静〉を意識することで、この後に続く

〈動〉が極めてスムーズにイメージできます。指揮とボウリングという、一見何の共通点もないこの二つが

稲妻のような鋭さで繋がりました。この二つをやっていて良かったなあと心から思った瞬間でした。

と同時に、僕のボウリングの師匠が数年前に何気なくつぶやいた言葉を思い出しました。

「上手いやつは立った瞬間に分かる。本当に上手いやつは〈止まってる〉」

当時高校生だった僕には全く理解できませんでしたが、いま、ようやくその意味を理解した気がしています。

 

 まだ今年はあと少し残っているのでちょっと気の早い話かもしれませんが、2010年は「静」と「脱力」

(脱力とは、〈動〉の中の〈静〉に他なりません)を意識してボウリング(もちろん指揮にも)に取り組みます。

これまでに培った〈動〉の技術をフルに活かしながら、「アプローチにどうやって上がるか」、

「どうやって空間を支配するか」という問題から、「どうやって呼吸するか」まで、〈静〉状態の質を高めるために

色々と工夫してみようと思います。ちなみに明日は能を国立能楽堂へ見に行くので、そこからまた

〈静〉や〈空間〉に関するヒントが掴めるかもしれません。とても楽しみです。

 

 なお、本日は坂野潤司『日本憲政史』(東京大学出版会,2008)を読了。政権交代が叫ばれた昨今や

天皇の政治利用ともとれる民主党の(というか小沢の)政策を冷静に見るために、と思って読んでみましたが

これは非常に良い本です。

 

「日本国民は二つの欽定憲法しか持ったことがないから、改憲して初めて国民の手による憲法が持てる

というような議論は、歴史音痴を告白しているに過ぎない。大日本帝国憲法の「欽定」(1889)以前には

それよりもはるかに民衆的な憲法草案が全国津々浦々で起草されていた。そしてそのような民主的憲法への

強い期待を背景に、欽定された専制色の強い大日本帝国憲法を解釈を通じて民主度を高める努力

(たとえば天皇機関説)がそのあとも続けられていった…」(P.41)

 

などというくだりにはハッとさせられますし、美濃部達吉と吉野作造の憲政論を対比させながら

見ていくあたりもとても刺激的でした。おすすめです。

 

あとはここ数日で多木浩二『眼の隠喩-視線の現象学-』(ちくま学芸文庫,2008)と、

上橋菜穂子『獣の奏者』一巻、ハンス=ヨナス「人体実験についての哲学的考察」という論文を読了。

長くなってしまったのでこれらについてはまた記事を改めて書くことにします。  

 

 

左側通行の謎と雨の休日

 

 関西から上京すると、たちどころに違和感を感じるところがある。

そう、エスカレーターの立ち位置だ。関西では右側に立ち、左側が歩いて登っていく人のためのゾーンと

なっているが、関東ではその逆。左側に立ち、右側が歩いて登ってゆく人のスペースとなる。

エスカレーターにおいて、関西は「左空け」、関東は「右空け」のルールを持っていると言うことができるだろう。

 

 この地域差がどうして生まれてきたのか?それには信憑性の低いものからもっともなものまで諸説ある。

ところで、海外はどうなっているのだろうか?ちょっと調べてみると、

 

「左空け」・・・大阪、香港、ソウル、ロンドン、ボストンなどの都市や、ドイツなどヨーロッパの大陸系諸国。

「右空け」・・・東京、シドニーなどの都市。オーストラリアやマレーシア、ニュージーランド、シンガポール。

 

 ということで、世界の大多数は「左空け」が主流らしい。なぜこのような違いが生まれるのか。

まず、世界の左空けと右空けの分布を見たとき、すぐ気付くことがある。

右空け(の都市を持つ)の国に共通するのは、島国および島嶼部である。

では島国なら右空けになるのか?しかし、ロンドンが左空けであることを考えるとそうとも言えない。

(イギリスはヨーロッパとの関わりが大きかったから「島国」としてカテゴライズすべきではないかもしれないが)

ただ、「右空け」に島国の割合が大きいことは確かだ。

エレベーター自体はアメリカのオーチス・エレベーター社が1850年代に開発したもので、アメリカで販売した

あと、国外に向けてはまずカナダ近辺で売り始めたらしい。そのあと、次々にヨーロッパ諸国へ向けて

売り出してゆく。ならばアメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国は、開発国であるアメリカの風習を受けて

「左空け」になったのだろうか。だとすると、なぜアメリカで「左空け」のルールが生まれたのだろうか。

うーむ。よくわからない。

 

 とりあえず日本で考えてみよう。やはり、なぜ地域差が出るのか、ではなく、「そもそも左空け/右空けの

意味は?」と問うところから始めるのが良さそうだ。エスカレーターの無い時代から考えてみよう。

先日読んでいた『読み方で江戸の歴史はこう変わる』(山本博文、東京書籍)には、

「(参勤交代において)左側通行になるのは、お互いの刀の鞘などが触れ合わないようにするためである。」

という一節が見られる。江戸時代の武士は刀を左側に差していていた(右手で抜くため)から、進行方向に

対して左側に寄らねば、自分の体の幅から飛び出ている刀の鞘が前から来た相手とぶつかってしまう。

それを避けるために左側を歩いた、というのだ。

 

 問題はどの地域までこの風習が行われていたのかということだ。

参勤交代で人が集中する場所は、むろん江戸周辺である。参勤交代から自分の藩へ帰る行列、

参勤交代へ向かう行列が交差する場所は、なんといっても江戸周辺であろう。したがって、江戸周辺では

左側通行(右空け)のルールが成立したはずだ。これは、東京のエスカレーターが「右空け」であることと

符合する。

 

 では、江戸周辺以外では大名行列は道のどちらを歩いたのだろうか。岐阜を超えたあたりから右側歩き

(=左空け)に切り替わればエスカレーターの話と符合するのだが、それは良く分からない。

そもそも武士が刀を差している以上、江戸に限らず左側通行・右側空けのルールで過ごした方が

刀の鞘が触れて問題になるケースは減るだろうから、この風習が江戸だけのものだったとは考えづらい。

(このルールが生まれたのは江戸周辺であっただろうが、江戸周辺から地方へも伝播してゆくはずだ。)

 

 たとえば大阪は「商人の町」であったから、武士よりも商人が主体となって活動しており

刀の鞘が触れる云々などは大した問題ではなかったから左側通行が浸透しなかった、などの理由には

ちょっと無理が感じられる。これを発展させ、武士の帯刀ゆえに左側を歩いたこととパラレルに

「商人の経済活動においては、(右利きが大多数であるから)右手に荷物を持っていることが多かった。

だから人に荷物が当たらないように右を歩いた。」などといってみてもちょっと胡散臭い気がする。

(そもそも、江戸時代の立ち位置と現代のエスカレーターの立ち位置に直接の関係があるかどうか怪しいが)

持ち物が歩き方を決めるなら、「西洋では右にピストルを下げて右で取り出していたので、左側を空ける。」

みたいな理由も通ってしまいそうだ。1900年代に西洋人の多くがピストルを腰に下げていたとは考えづらい。

 

 なんとなく思いつくままに色々書いてみたものの、謎は謎のままである。

「ルールが当初どんな意味を持って、どこから生まれ、どのようにして広がっていったか」という問いは

このエスカレーターの立ち位置問題に限らずとても面白いと思うのだが、解明することは難しい。

と、ここまで書いてふと思ったのだが、エスカレーターの登り路線と下り路線が並列してあるところでは、

どちらに登りを置いてどちらに下りを置くのか決まっているのだろうか。

歩行と違って、エスカレーターの問いでは、エスカレーター一本の中だけで立ち位置を考えるのみならず、

逆向きのエスカレーターとの関連を考えなければいけないのかもしれない。つまりエスカレーターにおいては、

1.構造上の立ち位置(対抗エスカレーターの位置)と、2.慣習上の立ち位置(単線上で左右どちらに立つか)の

いわば「二重の縛り」に行動が規定されていると言えそうだ。

 

そんなどうでもいいことを考えながら、雨の土曜日はコーヒー片手に家で本と音楽に戯れる。

雨の夕方に合うものは、と考えてCHET BAKERの ‘CHET+1′ (Riverside)を棚から引っ張り出してきた。

このアルバムは一曲目にALONE TOGHETHERを持ってきたセレクトが神だと思う。チェットの甘くてどこか

ダルさの漂うトランペットと、ビル・エヴァンスの前に出過ぎないしっとりした音が絶妙。

ALONE TOGHETHER、つまり「たった二人で」の曲名にぴったりな音。ボーカルが無くてもあの歌詞が

浮かんでくる。Alone together, beyond the crowd…こんな音が出せたなら良いのになあ。

HOW HIGH THE MOONのスローテンポも、SEPTEMBER SONGのKENNY BURRELLのギターも最高で、

これを聞きつつ加藤尚武『現代を読み解く倫理学』(丸善ライブラリー,1996)を読了。合間にあるコンクール用

のエッセイを書いていたが、10枚ぐらい書いたところで愛用している満寿屋の原稿用紙が切れたので中断。

立花先生から頂いたChez Tachibana原稿用紙を使おうかと思ったが、勿体ないので置いておくことにした。

 

 雨が止んだら新宿へ原稿用紙を買いに行こう。ついでに知り合いの研究員さんが推していたLamyのStudio

を試筆してみるつもりだ。レーシンググリーンのインクもそろそろ補充しておきたいし、MDノートの横罫と

カバーももう一セット買っておきたい。5ゲームぐらい投げてちょっと体を動かしたい気もする。

二時間ぐらいぼーっと玉突きするのも良いかもしれない。土曜なら知り合いの常連さんたちがいるだろう。

 

 

 決まった予定が無い日は久しぶり。慌ただしい師走を一日ぐらいゆっくりと、好きなように過ごそうと思う。

やりたいことは沢山あるけれども、行くかどうかは天気次第。そんな自由がたまらなく幸せだ。