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ラロ、ボードレール、ヘルダーリン

 

もう長い付き合いになるチェロの友人が卒業試験で弾くラロのコンチェルト。

試験前に一度聞いてほしいということで合わせに一緒させて頂いたのだけれど、最後の通しで僕は圧倒された。

はじめてオーケストラで会ったころに自信無さげにソロパートを弾いていた彼女はもういない。

自分の世界を一生懸命に創り出してそこに入り込もうとする、ある種の迫力を備えたチェリストがいた。

しかし同時に、音楽に対して真っ直ぐに向き合おうとする姿勢は昔と変わっていなかった。

おそらく彼女は、音楽を専門とする同世代の知り合いの中で、僕が知る限り最も純粋な人の一人だと思う。

技術の如何以上にそうした人間のあり方から音色が生まれてくる。ましてやコンチェルトとなれば尚更に。

 

 

一楽章の練習番号B。何か遠い景色に思いを馳せるようなメランコリックな旋律。

遠さ。それは過去かもしれないし、まだ訪れない未来かもしれない。

ピアノというダイナミクスの中で音色に投影するのが極めて難しいこの第二主題に入る直前で、

通しになってはじめて、彼女の身体からふっと力が抜けた瞬間が見えたのだ。

あ、いい音がするだろう。

そういう予感を与える一瞬のあとに出て来た音色は、やはりとても良かった。心を震わせ、自然と目を潤ませるものだった。

 

若々しい演奏。そんな言葉をかけることが出来るほど僕は成熟してもいないけれど、

若々しい演奏、という言葉でしか表せない好演というのは確かにあるのだと思った。

音楽に対して純粋で、音楽の難しさに正面から格闘し、しかし同時に、そこで音楽をすることに喜びを思う。

荒削りでも未熟でも、その果敢で真摯な姿勢こそが、華が開いて行く過程が予兆として刻印された演奏こそが、

その身を賭けて作品の根源へ接近する勇気こそが、若々しいと呼ばれるべきものなのだ。

 

聞きながら色々なことを考えた。

Que pourrais-je répondre à cette âme pieuse? この敬虔なる魂に何を応じ得るか?

ボードレールの『悪の華』第百番目の最終行がずっと頭の中で響く。

僕は今、同じように「若々しい」という言葉をかけて頂ける演奏が出来るだろうか。何か大切なことを忘れつつあったのではないだろうか。

人間関係とか、将来とか、仕事とか、そういうことに配慮する演奏ほどつまらないものはない。

考えれば考えるほど音楽は汚れて行く。日常に生きながらも、ひとたびステージに立ったならば相手にするものは音楽ただ一つのみ。

アドバイスを求められて行ったはずが、僕が沢山のことを教わった。

 

 

折しも11月3日は文化の日で、帰り道はとても月の明るい夜。人気のない交差点に立っているとき、唐突にヘルダーリンの一篇を思い出した。

「帰郷 Heimkunft」という長大な詩だ。第一連を引用しておこう。

 

アルプスの山中はまだ明るい夜。雲は
楽しみと思いめぐらし 顎をひらいた谷を包む。
そこへどよめきなだれこむ 軽躁の山風。
樅の木立をけわしく切り裂き 輝き消える奔流。
ゆるやかに急ぎ戦い 喜びおののく混沌の霊
姿こそ若けれ身は強健 愛ゆえの諍いを
岩の下に祝い 永劫の眼界のうちに湧き返り揺れ動く。
その山中に朝は駆け登る 酒神のように奔放に。
そこでは限りなく成長する 年と神聖な時刻と日が
思い切りよく整理され 混成されている。
それでも嵐の鳥 鷲は時を感知して
山の間の上空にとどまって日を呼ぶ。
今谷底に村はめざめ 怖れを知らず
高みになじみを寄せ 山頂を仰いでいる。
雷のように 古い泉の水は落ち 成長を予感して
大地は落下する滝のもとに濛々と煙り
水音はあたりにこだまし 法外なこの工房は
昼夜をおかず腕を振るい 財を送り出す。

 

 

この詩をめぐるハイデガーの鋭い分析(『ヘルダーリンの詩作の解明』)によれば、「帰郷」とは、単に故郷へ戻ることではなく、根源に対して近くにいることを表す。

ヘルダーリンがアルプスの山中への帰郷を通して歌おうとすることは「作品を生成する」ということに必然的に関係すべき、根源や本質への接近という行為であろう。

そこには奔放さや大胆さ、混沌や戦いを必要とする。そういう挑戦無しに根源へ接触することなど出来はしない。詩作のみならず音楽も同じだ。

Denn es wächst unendlicher dort das Jahr und die heilgen

Stunden, die Tage, sie sind kühner geordnet, gemischt.

「そこでは限りなく成長する 年と神聖な時刻と日が 思い切りよく整理され 混成されている。」

さきほどまでのラロが頭に響いている僕にとって、ヘルダーリンの「帰郷」こそは、「若々しさ」と呼ばれるべき何物かの凝縮のように思われた。