年末ということで、先日から実家に帰省している。
昨年のこの時期は卒業論文の執筆で慌ただしく、しかもノロウイルス的な何かにかかって自宅で倒れていたため、実家で年を越すのは一年ぶりになる。
帰省中の予定は特にない。論文を読み進め、連載原稿の執筆と年明けのリハーサルに備えてシベリウスのヴァイオリン協奏曲、それから「春の祭典」の譜読み。
12月はリハーサルや本番続きで一人の時間がほとんど無かったので、年末は家族に甘えながら、自分の時間をゆっくり過ごそうと思っている。
実家近くを散歩していて唐突に、永井荷風の『ふらんす物語』の中に「除夜」という一編があったことを思い出す。
確かあれを書いたときの永井荷風は今の僕と同じ26歳ぐらいではなかっただろうか…。
気になって近所の古本屋で入手して来た。
それは1907年の12月31日を描いたものだった。
すなわち永井荷風27歳。フランスへ留学して半年弱経ったころの事だ。
「ああ、歳は今行くのか。行いて再び帰らぬのか。思えばわが心俄に忙き立ち、俄に悲しみ憂うる。」
その一節を読み直し、自らのことを考える。
26歳の僕の一年はこれで良かったのだろうか?僕は何か成したのか?
年を重ねるほど、まわりの空気が収束していく気配がする。それに飲み込まれることは容易いが、
撥ね除けるためには年々一層の体力が必要になる。生きるということは、何と難しいことだろう。
27歳という年齢で年の暮れをひとりフランスで過ごした永井荷風を想った。
On a toujours le chagrin — それでも生きるしかないのだ。不器用ながらも精一杯に。