「青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである」
ヴァレリーらしき一節。はじめてこの文章を知ったのは高校生の頃だっただろうか。
ふとしたことから十年ぶりに巡りあって、原文を見つけようと試みている。
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20世紀絵画論の講義。CompositionとExpressionをめぐる思考。分析的キュビズム。角度の問題。キュビズムにおける「楽器」の表象。
河本真理さんの名著『切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史』に刺激を受けて、「コラージュ」という概念についてしばらく考えている。
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副委員長として所属している委員会の三役で交わすメールのやり取りが凄く好き。
素早い返信で事務的な連絡をしっかり抑えながら、そこに添えられた時候の挨拶や末尾の一言が温かく、遊びがある。
ロシア・ドイツ・フランスとそれぞれ対象とするエリアが違うのもやり取りを豊かにしていて良いなと思う。
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レッスンで「第九」を全楽章見て頂いた。休学していたとき、ベートーヴェンの交響曲を一番から教わっていったのだけど
「第九」だけは「君には早すぎる」ということで見て頂けなかった。あれから二年経っても、もちろん僕には巨大すぎる曲だと思う。
自らの小ささを痛感しながらも、二年前と見える景色が変わったのは事実だ。
何より、これでベートーヴェンの交響曲を全て師匠に見て頂けたことが幸せでならない。
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第九についてもう少し。ベートーヴェンの第九の三楽章を師匠に見て頂くということは、僕の一つの夢だった。
ベートーヴェンの書いた至高のアダージョ、一切の重力から解き放たれたような天空の音楽。
なぜか分からないが、これを聴いて・振っていると、悲しくもないのに涙が溢れてくるのを止めることが出来ない。
僕が振ったのち、「君がこの曲を好きなことは良く分かる、でもこの曲はそんなものじゃないぞ」という言葉とともに、
おもむろに数小節だけ振って見せて下さった88歳の師匠。
その極限まで切り詰められた動きの中から溢れ出る音楽の自然さ。
それはたった数小節のことだったかもしれないけれど、その数秒のことを一生忘れることは無いだろう。
推進力を持ちながらもどこまでも澄み切った歌だった…。