時々、言葉の力に圧倒される瞬間がある。
本の中の一文、街中の広告、何気なく放たれた会話のひとこと。
昨日観た「ケージ」という演劇はまさにそうした言葉の力に溢れた演劇だった。
言葉が「場」を作る。狭いステージに1968年と2011年の時代が並行して展開され、ぐいぐいと観客をその「場」に引き込んでゆく。
1968年という時代が示すように、テーマは学生運動・全共闘を扱ったもの。全共闘自体に関するスタンスや見方は色々あると思うけれど、
この大きな問題を避ける事無く真っ向から勝負した勇気にまず惜しみない賞賛を送りたい。
劇団「ミームの心臓」を知ったのは主宰で脚本の酒井一途くんとの出会いから。
彼とはある本への寄稿を通じて知り合い、今回の公演のお知らせを頂いた。
僕は音楽、彼は演劇。ジャンルは違えど「表現」に魂を注ぐ仲として日々刺激を受けていて、
いったい彼がどんな舞台を生み出したのか楽しみにして足を運んだ。
長々と感想を書くことは門外漢の僕の筆では叶わないが、一言でいえば「参った」という感じ。見事な運び。
彼の脚本には加速度があり、抜きがある。嵐のようにシリアスな言葉を畳み掛けては突如として笑いを挟んで「抜く」。
緊張させ、一瞬弛緩させたかと思うと再び緊張に引き込む。その流れがあざとくなくて自然なのだ。
(もちろん、それは役者の方々が見事な「間」で実現しているからこそ!)
音楽は必要最低限に留め、美術も大がかりなことはしない。照明だけを上手く使い、時間軸を操作する。
全体にわたって非常に見通しの良い舞台だった。
観ている間は没頭していたから考える余裕は無かったけれども、終演後に思い返してみて、
投げられた言葉の端々に酒井くんの顔が見えるような気がした。
彼が懸命に言葉を削り出し、観客の心に伝えようと苦心する様子が見えた。
人はこれだけ人に伝えることが出来るのだ。言葉は、演劇はすごい。
池袋を後にしながら、これが学生の演劇か、と改めて驚嘆する。
少なくとも僕が今まで観て来た学生の演劇の質ではない。
「学生の」演劇、ということをわざわざ言う必要も無いほどに。
けれども。これは学生の彼・彼女たちが取り上げることに大きな意味があるのもまた事実なのだ。
1968年は、学生の問題だったのだから。
…………
酒井くん、役者のみなさま、スタッフのみなさま。
忘れ難い時間をありがとうございました。
僕も音楽でこれぐらい人の心に届けられるようにならねば、と思った次第です。
これからも舞台を楽しみにしています。