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ハイドシェックと会ってから -コンサート前夜-

 

東京大学に入学して、わずか二カ月がたったばかりの2008年6月16日、僕はエドモント・ホテルのロビーにいた。

フランスの誇る名ピアニスト、エリック・ハイドシェック氏にインタビューするためである。

僕は相当に緊張していた。なにしろ立花ゼミに入って最初のインタビューが日本語の全く通じない相手で、しかも憧れのピアニストだからだ。

僕の英語は伝わるのだろうか。伝わらなかったらどうしようか。とりあえず自己紹介はこうやってやろう。色々考えて下書きもしていたのに、

向こうから笑顔で歩いてくるハイドシェック氏を目にした瞬間、考えていた挨拶や自己紹介の文章はすっかり飛んでしまった。

声が震えるのを感じながら、Enchanté, je suis vraiment ravie de vous rencontrer. Je me présente, je m’appelle Yusuke Kimoto.

と、覚えたばかりのフランス語でたどたどしく挨拶すると、ハイドシェックは手を差し出しながら、

「会うのを楽しみにしていたよ。今日は時間がある。沢山音楽の話をしよう!」と優しい言葉を返してくれ、ホッとしたのだった。

 

あのころは(今もだけれど)たいしてフランス語が話せなかったから、インタビューは僕の拙い英語で、二時間半にわたって相手をしてもらった。

人生のターニング・ポイントは?あなたにとって音楽とは?他の芸術からインスピレーションを受ける事があるか?ピアノを弾いている時には何を考えているのか?

質問を一つ投げかけるたびに、ハイドシェックは窓の外に目をやり、そして堰を切ったように話しだす。

 

「ターニング・ポイントというような明確なものはないけど、私は確かに徐々に変化している。何歳になっても新しいレパートリーに挑戦していきたい。」

「音楽とは精神の食事です。無ければ生きていけません。」

「あらゆるものが私の音楽に影響します。絵画も、美しい自然も。そしてジダンのドリブルさえも。

実際、Beethovenの最後のソナタの一楽章のリズムは、ジダンのドリブルを見ていて閃いたものです。

アーティストは、あらゆるものに向かって感覚が開かれていなければなりません。ふつうの人にとってはNoiseと思われるようなものでも、

アーティストはそれを人生の糧とすることが出来ます。五感をフルに磨いて日々過ごしなさい。」

「演奏している時は何も考えていません。禅のようですが、考えていない時ほど良い演奏が出来るように思います。」

「どのような情勢の国で演奏することになっても、弾いている時は政治のことなど絶対に考えません。我々はただ音楽に仕えるものなのですから。」

 

長くなってしまうから、ここに全てを紹介することは出来ない。

だがそれは僕にとって、刺激的という言葉をいくら重ねても足りないぐらい刺激的な体験になっ た。

話の合間にハイドシェックが「ショパンに向いている手だね。」と僕の手を触るのを見ながら、

「ああ、僕はいま、本当に貴重な体験をしているのだな。」と立花ゼミに心から感謝した。

 

無事にインタビューが終了し、残る時間でちょっとだけぺダリングの極意を教わったりタッチの秘密を教わったりする中で、

自分がいま指揮法を学びたいと思っていることを伝えたら、ハイドシェックはいたずらっぽい笑みを浮かべながら、

「君がうまく指揮出来るようになったら日本に呼んでくれ。コンチェルトを やろう。」と言ってくれた。本当に嬉しかった。

もちろんこの場限りの冗談なのは分かっている。「学びたい」と思っているだけで実際にはまだ何も学んでいなかったのだから

指揮棒をろくに持つことすら出来やしない。ヴァレリーの言葉に「夢を実現させる最上の方法は、夢から醒めることだ。」というのがあるけれど、

あの頃の僕は、夢見るばかりで夢から醒めようとしていなかった。そんな甘さの残る20歳だった僕に、ハイドシェックのその言葉は、

冗談半分、挑発半分のような響きを持って届いた。明日になったらきっとハイドシェックはその言葉を忘れていることだろう。

だけど、それでも嬉しかった。

 

いつまでも見送ってくれるハイドシェックに手を振りながら、僕は飯田橋のホテルを後にする。

こんなにハイドシェックと近づける日はもう無いのだろうな、と思いつつ、さきほどの言葉を頭の中で何度も何度もリフレインさせつつ…。

 

インタビューから一ヶ月後、フランスから手紙が届いた。

目を疑う。なんとハイドシェックからだった。手紙の中には、フォーレの舟歌が収められたCDと共に、一枚の手紙が入っていた。

そこにはあの時と同じように、「がんばって指揮を学びなさい。一緒に演奏する日を楽しみにしている。」という内容が、

美しいブルーのインクで綴られていた。

 

 

あれからもうすぐ三年。

明日、僕はプロのオーケストラと共に指揮台に立つ。

 

 

 

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