March 2011
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フランス科卒業パーティ -Convivialité-

 

今日は東京大学の学位授与式だった。

授与式のあと、僕の所属する学科である教養学部地域文化研究学科フランス分科でも、卒業生の方々を囲んで歓送会が開かれた。

例年ならば渋谷か下北沢で飲みながら華やかにお祝いをするところだが、今年は地震の影響を考慮して中止も囁かれたぐらいの雰囲気。

だが、幹事である我々三年生や先生方と打ち合わせた結果、「せっかくの卒業の日に何もせず先輩方を送り出すのは申し訳ない」ということに

話がまとまり、研究室でささやかに歓送会を行う事になった。アルコールはもちろん無し。料理もスナック程度。

開催することは出来たけれども、これではさすがに寂しくなるなあ、と不安を感じながら当日を迎えた。

 

心配は杞憂に終わった。

外で食べるよりも豪華だったかもしれない。確かにアルコールは一滴も無かった。シャンパンもワインもビールもなし。

だが、なんと先生方や院生の方々が手製のお料理を持ってきて下さった。何を置けばいいんだろう、と思うぐらい広く感じていた

研究室の机は、持ち寄った料理でぎっしりと埋まった。教授がフランスにいたころにレシピを覚えたという帆立のテリーヌ。

わざわざ炊いてくださったお赤飯。見た目もおめでたい海老の揚げ物。洒落たサンドウィッチ。デザートに苺、そしてティラミス。

よく本でお名前を見るぐらい有名な先生方や、研究や学内行政で忙しいはずの先生方が、ご自分の時間を割いてこのお料理を作ってくださったのか、と

考えると、司会をやりながら言葉に詰まるぐらい感動してしまった。

 

突然の日程変更にも関わらず、狭い研究室には20人を超える方々が詰めかけ、

今までのどんな飲み会よりも温かい雰囲気が終始流れていた。先生方の「贈る言葉」は堅苦しくないのに含蓄とユーモアに富むもので、

さすがフランス科と唸らされるようなものばかり。話が突然フランス語になったり身体論の話が出たり、いくら聞いても飽きないほど。

中でも、イヴァン・イリイチのConvivialityという概念を引用して、「宴」の意味を持つこの言葉に「共に生きる」という意味が響いていることを

今回の震災の話に引きつけながら話された分科長のスピーチは、身体の深いところまで沁みるような思いがした。

 

フランス科は温かい。

一学年には四人ぐらいしか学生がおらず、授業は信じられないぐらい厳しいし、卒論をフランス語で書き切らなければならないけれど、

そこにいる人はみんな温かい。僕は第二外国語がドイツ語で、フランス語を授業で取った事は一度も無かったのに進学振り分けの時に

不思議な勢い(今考えてみれば、金森先生と話させて頂いた影響が大きかった)に突き動かされてこの分科に進学した。

語学があまり得意でないこともあり、はじめは「進学先を間違ったかな…。」と思ったこともあるが、先生方や先輩方の温かさに触れ、

そんな心配は綺麗に消え去った。もう一度進学振り分けをやり直せるとしても、今と同じく、フランス科を躊躇無く選択するだろう。

卒業して院に進む先輩方は笑顔で言う。「まだフランス科に顔を出せるのが幸せ。」と。

卒業して社会に出る先輩方は、晴れやかな顔でこう言った。「フランス科ではフランス語を学ぶのではなく、フランス語を使って、文化や思想の奥にある<何か>を

学んだ。これからフランス語を使う機会は少なくなるかもしれないけれど、フランス科で積んだ経験はいつか必ず活きることを確信している。ヒートアップする世の流れに乗らず、

それに対してNonを唱え、あえて違う道を探ること。理性的だが感情を失わないスタンスで社会に臨みたい。」

ああ、いいな。この学科に来て良かったなと思った。

 

 

時間は流れ、人は未来へと送り出されてゆく。先輩方のご卒業を心からお祝い致します。