March 2011
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カイエ:音楽と人生をデザインするということ。

 

五月に練馬文化センターで指揮する、プロコフィエフ『古典交響曲』のレッスンを受けていた。

二楽章がとても難しい。ppが基調となったこの楽章、盛り上がるところはわずか一、二小節しかないけれど、それでいてしなやかな音楽だ。

スタッカートとスラーのつき方を見ただけでもそのことが分かる。まるでバレエのように、すらりと伸びた肢体がしずしずと、しかし弾力性を持ちつつピルエットを繰り返す。

師匠は言う。「こういう音楽はとくに、自分で音楽の流れを作っていかないとだめだ。一切ごまかせないよ。あなたが振ったとおりに音が出てしまう。プロコフィエフも残酷な曲を書いたなあと思う。」

僕にはまだ、「流れ」を自然に作っていくことはできない。作ろうとすればあざとくなり、無心で流れに身を委ねると弛緩する。意志をピアノ線のように細く、しかし強靭に隅々まで張り巡らせなければならない。

それは分かっているけれども、静かな音が積み重なっていくこの音楽に僕はまだ耐えられないのだ。静けさを心地よく感じるどころか、静けさを暗闇のように感じてしまう。

こんなに好きな曲なのに、うまく振れない。それが今はひたすらにもどかしい。

 

音楽の流れ。それを自分で作っていくということは、とてもとてもエネルギーのいることだ。

たぶん人生もそうなのだろう。引かれたレールの上を、誰かが踏み固めた雪道の上を歩くのは容易い。だが、たとえ稚拙だと言われようが、ぼくはぼくのやり方で、人生にレールを引きたいと思う。

夢を描いて地をならし、何かを捨てては拾い上げ、汗をぬぐっては涙に濡れる。既にある道を横目に、足元も先行きも見えない暗闇を引き受けて、それでもなお、光を開拓しようと全身ずたぼろになって足掻きたい。

「意志の力」などという不確かなものを信じ、常に自分を追い込みながら、限界の中から前へ前へと進み行くエネルギーを生産し続ける。創造的に生きるとはたぶんそういうことだ。