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今年を送る。

 

 12月31日です。

一年があと数時間で終わります。「せっかくなので何かやらねば!」と思い立ち、(意味もなく)手元にある万年筆のインクをすべて

入れ替えたりしてみました。それで、ブルーブラックを入れたWATERMANのエキスパートという万年筆で今年にやったことを

思いつく限り書き出してみたのですが、いざ書いてみると結構思い出せるもので、B5のルーズリーフ二枚分ぐらいになりました。

 

 進振りの決定に代表される大学二年の出来事だけでなく、立花ゼミ、ボウリング、ビリヤード、サーフィン、指揮、フルート、デザインの

仕事をやり、本を読み(数えてみたらこの一年で270冊ぐらい購入していました。まだ10冊ぐらいは未読のものがありますが)

映画を楽しみ、友達としばしば呑み、そしてこのブログを始めたりと、息をつく暇のない生活を楽しみつつ色々なものに飛び込んでいった

一年だったなあと感じます。やりたかったことはもっともっとありますが、きっとどれだけやってもその思いは変わらないと思うので、

自分が過ごした一年間に今はひとまず満足しています。

 

 2010年には大学三年生になります。就職活動をするか大学院へ進学するかで、再び人生の大きな岐路に立つことに

なるかもしれません。未来がどうなるかはわかりませんが、とにかく、立花先生に倣って「好奇心」と「反射神経」を常に研ぎ澄まし、

時間をフルに活用して体力の限界まで日々活動していきたいと思っています。大学生という身分は適当に毎日を送ろうと思えば

いくらでも可能な立場であるだけに、Live as if you are to die tomorrow. Learn as if you are to live forever. というガンディーの

言葉をしっかりと心に刻まねばなりません。

 

 こんなふうに雑多なことしか書いていない当ブログですが、Google先生によれば一日に200件ほどのアクセスがあるとのこと。

拙い文章を我慢して読んで下さってありがとうございます。アドレスを公開していることもあって時々受験生の皆様や社会人の方々から

メールを頂きますが、これからも答えられる限りは返信いたしますので、受験相談から仕事依頼までどうぞお気軽にお送りくださいね。

 

 それでは、一年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年を!

 

 

帰省と動画

 

 帰省しました。

秋以来なので三カ月ぶりの大阪。大阪駅の改装が前よりもかなり進んでいます。阪急百貨店も新しく建て替わっていて

中途半端にレトロな外装に首をひねりました。内装は綺麗(とくにエスカレーターの壁。白だけであんなに立体感をつけて陰影を

出したのは凄いなあと思います。)なのですが、外装は正直あまり好きではありません。なんというか合体ロボっぽい。

「胴体は大正、頭は平成。その名は阪急百貨店!」みたいな感じ。どこかの少年名探偵っぽいフレーズですね。

 

 こちらには一週間程度しかいませんので、いつものように大阪・京都・神戸をぶらぶらしながら、溜っている仕事や本を合間にガンガン

こなそうと思います。恒例となりつつある、中国整体による身体改造&ボウリングの師匠との勝負も果たしてきます。

 

 そういえば昨日にボウリングに関する記事を上げたら、僕と同じく左利きのある方から「動画が見たい」との要望を受けましたので、

(画質はめちゃくちゃ悪いですが)投げ納めの際の最後の一投をアップしておきます。15ゲーム目の最後ということで

ラストステップで左足の踏ん張りと右足への送りがイマイチ効いていませんね。遅くなったレーンに対処するためにボールを

走らせようとして跳ね上げている面もあるとは思うのですが、出来る限り最初と同じ投げ方で最後まで投げたいものです。

使用ボールは既に500ゲームぐらい投げたBlack Pearl Reactive。65度ぐらいで曲がりをやや抑えてドリルしてあります。

まあ暇つぶしにでも見てみてください。

 

※サーバーエラーでなぜかアップできていなかったようです。ここに直接あげなくてもyoutubeか何かにアップするほうが早そうなので

後日やってみようと思います。メールを下さった方、もうしばらくお待ちください。

2009年投げ納め

 

 2009年もまもなく終わりということで、ホームにしているセンターで今年度の投げ納めをしてきた。

この一年で1000ゲームぐらいは軽く投げただろう。1000ゲーム分のゲーム代を全部貯金していれば軽くフルートが一本買えそうな

金額になるような気がするが、それだけ投げた甲斐あって球が相当に強く・正確になったと思う。そして、一年間で記したメモも

相当な量になった。投げ納めということで、ボウリング場の下にあるサンマルクでホワイトチョコクロを食べつつ、このメモを再読して

改めて頭に叩きこんでから臨むことにした。

 

 いつものようにアメリカン(二レーン使って投げること。試合では大抵この形式で投げる。)で顔見知りのスタッフの方にレーンを取って

頂き、入念にストレッチをしてからボールを鞄から取り出す。究極に不器用なのでテーピングは一切しない。全くの素手である。

アプローチの状態のチェックも済んで「さあ投げるか。」と伸びをしたとき、支配人さんが後ろからそっとやってきてポンと僕の肩を叩いた。

そして「投げ納め?じゃあ今日は一ゲームごとにレーン移動してみたら。レーン空いてるし好きなように使っていいよ。」と、

とんでもないことを言って下さった。滅多にこんなことは出来るものではないし、しかもここは人がひしめく東京である。

「プロテストの練習にもなるし。」と勧めてくださる支配人さんの温かい心遣いに感動した。

 

 プロテストは一ゲームごとにレーンを移動して戦う。それを一日十五ゲーム。レーンは一レーンごとに異なるし、時間や湿度によって

レーンは刻一刻と姿を変える。だからプロテストを勝ち抜くには、一ゲームという短い時間でレーンに瞬時に対応する能力が要求される。

しかも僕がホームにしているボウリング場は一般客が既にさんざん投げたあと。と思いきや全くフレッシュなままのレーンもあったりと、

メンテナンスがしっかりしているプロテストのレーンよりもある意味でずっと難しいかもしれない。ということはこのレーンで十五ゲーム

投げてアベレージ200(プロテストの合格ライン)を維持できれば中々のものだ。ということで、この一年で一番気合いを入れて

十五ゲーム投げることにした。一ゲームごとのレーン移動で十五ゲームというのは人生初体験なので、どうなるか全く予想が出来ない。

 

1G.240スタート。外に壁を感じてそこにぶつければ戻ってくる、非常にやりやすいレーン。左右差もあまりない。

2G.223。五枚目より外に左右差が少し感じられるが、中を絞って投げてやれば問題なかった。

3G.186。左のレーンだけ中が伸びているのに気付くのが遅れ、イージーミスを二発。

4G.156。頭から四発連続で割れて真っ青。最後までよくわからないまま終わる。大量にあった貯金(200ベース)が+5まで落ちる。

5G.231!左右とも途中から完璧に把握できて六発連続のオールウェイ。さきほどのローゲームの分を何とか取り戻す。

6G.181。何とも微妙なまま終了。後から考えてみれば右のレーンのラインを間違えていた気がする。

7G.173。右レーンはほぼパーフェクト、しかし左がタップの嵐。しかも7ピンを二回ミス。ちょっと心が折れかける。

8G. 199。悪くはないが200に乗らずちょっとストレス。この時点でトータルマイナス11。やばい。

9G.203。スペアスペアで辛抱のボウリング。マイナス8まで挽回。雀の涙程度。

10G.168。今までと全く違うレーンにビビる。ピン前の動きがダルい。タップの嵐。ボールチェンジも功を奏さず撃沈。マイナス40。

11G.216。ちょっとホッとする。左右でボールを使い分けた、セル・パールの薄めぶち当て作戦が成功。マイナス24。

12G.200。途中までダッチマン(ストライクとスペアが交互に出ること。)だったが途中で崩れた。でも200ジャスト。マイナス24のまま。

13G.196。ちょっと焦り始める。なかなか貯金を作れない。悪くはないのだが・・・。マイナス28。

14G.192。暗雲が漂い始める。マイナス36。スプリット以外はかっちりカバーしているが、いかんせんストライクがこない。流石にやばい。

15G.232。つまりトータルマイナス4。最終ゲーム、気合いでラスト五発持ってきたものの僅かに及ばず・・・。

 

 結果、15ゲームトータルアベレージ199.8。プロテスト合格点には0.2ピン足りない・・・カバーミスが効いた。

普段215ぐらいあるアベレージが200切るぐらいまでに落ちてしまうのだから、レーン移動というのは本当に難しい。

読みの早さと対応の早さをもっと鍛えねばならないなあと痛感した。かなり苦しかったが、今までで一番頭を使って投げた気がする。

2009年投げ納めにふさわしい練習になった。スタッフの方々に心から感謝したいと思う。また来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

『医学と芸術展』@森美術館

 

 森ビルで開かれている『医学と芸術展』へ行ってきた。感想は「おすすめ!」の一言に尽きる。

展覧会の正式タイトルは「医学と芸術展 生命と愛の未来をさぐる -ダヴィンチ・応挙、デミアン・ハースト」

(MEDICINE AND ART  Imaging a future for Life and Love  -Leonard da Vinci,Okyo,Damien Hirst) 

というもの。森美術館のホームページから企画概要を引用しておこう。

・・・・・

人間の身体は我々にとって、もっとも身近でまたもっとも未知の世界です。人間は太古の時代からその身体のメカニズムを探求し、

死を克服するためのさまざまな医療技術を開発してきました。また一方で、みずからの姿を、理想の美を表現する場の一つと位置づけ、

美しい身体を描くことを続けてきました。より正確な人間表現のために自ら解剖を行ったレオナルド・ダ・ヴィンチは科学と芸術の統合を

体現する業績を残した象徴的なクリエーターと言えます。本展は、「科学(医学)と芸術が出会う場所としての身体」をテーマに、

医学・薬学の研究に対し世界最大の助成を行っているウエルカム財団(英国)の協力を得て、そのコレクションから借用する約150点の

貴重な医学資料や美術作品に約30 点の現代美術や日本の古美術作品を加えて、医学と芸術、科学と美を総合的なヴィジョンの中で

捉え、人間の生と死の意味をもう一度問い直そうというユニークな試みです。また、英国ロイヤルコレクション(エリザベス女王陛下所蔵)

のダ・ヴィンチ作解剖図3点も公開します。

第一部 身体の発見

人間がどのように身体のメカニズムとその内部に広がる世界を発見してきたのか、その科学的探究の軌跡と成果を多数の

歴史的遺物によってたどり、紹介します。

第二部 病と死との戦い

人間が老いや病、そして死をどのようなものと捉え、またそれに対して、いかに抗ってきたのかを紹介します。

医学、薬学、生命科学の発展の歴史だけでなく、老いや病、生と死についての様々なイメージが登場します。

第三部 永遠の生と愛に向かって

最先端のバイオテクノロジーやサイバネティクス、そして脳科学などに基づき、人間はなぜ生と死の反復である生殖を続けるのか、

人間の生きる目的や未来を読み解くことは可能なのか、そして生命とは何であるのかを、医学資料やアート作品を通して考察します。

・・・・・

(以上、http://www.mori.art.museum/contents/medicine/exhibition/index.htmlより)

 

医学と芸術を併置させたその構成は『十六世紀文化革命』(山本義隆)で描かれた世界を彷彿とさせる。

それが現代のバイオエシックスの諸問題と接続されたような展覧会なのだから面白くないわけがない。

必死にノートを取りながら見て回った。展示数も相当なものなので最後まで飽きずに楽しむことが出来るだろう。

ただし、デートにはあまり適さない展覧会なので要注意である。(実際、会場でかなり微妙な空気になっているカップルに多々遭遇した)

 

 中でも、円山応挙の「波上白骨座禅図」は衝撃的。

大きく描かれた座禅を組む骸骨に一瞬ギョッとするが、見ているうちに不思議な落ち着きを感じる。

円山応挙「波上白骨座禅図」(1787年) 兵庫県大乗寺 蔵

 

会場でもいくつかの解釈が示されていたが、僕はそれらとちょっと違って、

この絵から「からっぽ」を感じた。

座禅をやったことのある人なら納得してもらえると思うのだが、座禅が上手く組める

ときには頭の中がからっぽになったような感覚を覚える。

座禅はひたすら自分を無に近づけていく試みなのである。

そしてこの絵で描かれているのは骸骨(=肉体のない、からっぽの人間)であって、

彼は座禅を組むことによって、自己の存在を限りなく消去しつつある。

そして同時に、彼は波の上にいる。

これもまた波乗りを経験したことのある人には納得してもらえると思うのだが、

海に浮かんで波に揺られているとどこまでが自分でどこまでが海なのか段々

分からなくなる。不規則なように見えて、「寄せては帰す」という基本的なリズムを

持っている波の性質がそうさせるのだろうか。波のリズムに揺られているうちに

頭の中はからっぽになる。体が無くなったような錯覚を覚える。

波の上にいる骸骨はこの感覚を表現しているのではないだろうか。

そう考えて見てみると、「奥に描かれた波に対して手前に 大きく描かれた骸骨」

というこの構図の意味が見えてくる。

波に揺られて頭がからっぽになると身体が海に溶ける。境界線がはっきりしなくなる。

最初に感じていた、海と自己との大小関係が曖昧になってくる。

無理やり現代風に表現するならば、海というレイヤーを背景に

敷いて、その上に透明度20パーセントぐらいで「じぶん」という

レイヤーを縮尺を無視して海全体に重ねた感じだ。

この絵は、そのような自己の存在を滅却してゆく簡素さ、「からっぽ」を表現しているように思う。

 

 触れたい作品は他にもたくさんあって、Alvin Zafra のArgument from Nowhere には度肝を抜かれたし、

Walter Schels のLife Before Death の持つ、静かで厳かな迫力は忘れられない。とりわけAnnie Catrell の Sense は、

いま集中的に取り組んでいる論考に大きな刺激を与えてくれた。詳しくは足を運んで見てみて頂きたい。行って損はしない。

学生なら1000円で入ることができるので、冬休みにいかがでしょう。

 

 

 

ritardando

 

 

  十二月の昼下がり。街は沢山の人で埋まっていた。

買い物帰りなのだろう、手にはみんなどこかの紙袋を下げている。足早に街を歩いていくが、その顔はどこか楽しそうだ。

そんな様子を見ながら、十二月がもう終わりに近づいていることを実感する。

 

 人ごみを避けて駒場キャンパスの中にある喫茶店へ入った。三面がガラス張りになっているこの喫茶店は、午後の西日の光を

吸収してとても暖かい。ちょっと眠くなるのが難点だが、この暖かさはとても居心地がよい。

二年の冬学期になって、学校のある日はだいたい毎日ここへ足を運んでいる。珈琲一杯200円。それで買ってきたばかりの本を

一冊読み切るのが日課のようになってきた。本だけでなく、課題を読み進めたり、文章を書いたり

駒場の喫茶店にて。差し込む西日がとても綺麗だった。

レッスンに備えて楽譜を読み込んだりと、一人になってやりたいことをやるときには大抵ここを使う。

そのせいか店員さんたちにすっかり顔を覚えられてしまったようだ。と同時に、僕も

いつもいる常連さん(学生から教授、近所の子供連れのお母さんまで)の顔ぶれを覚えてきた。

ここに来ると自分の生活にリタルダンドをかけることが出来る。

若さにあふれる駒場でゆっくりと落ち着けるのはこの喫茶店ぐらいかもしれない。

 

 駒場は、やはり若い。

専門課程に入った三・四年生は本郷へ大抵移ってしまうため、駒場にいるのは一年生・二年生が

中心になる。だが、僕のように後期教養学部に進学することになった人間はひたすら駒場に

残留する。大学院に行かないとしてもあと二年は確実に駒場に残ることになる。 
 
それはそれで悪くないのだが、ちょっと取り残されたような気がしないでもない。
 
  
 
 
 
 
 
 

「花は半開きを見、酒は微酔に飲む。この世の中に大いに佳趣あり。」

 一年生は毎年毎年入れ替わる。

僕が四年になった時、新たに入ってくる一年生はきっと五・六歳ぐらい下になるのだろう。

僕には四歳下の弟がいるけれど、弟より下の世代となるといまいち想像できない。

未知の領域である。今はまだ、食堂にふらっと足を運んでも、そこで楽しそうに話す一年生たちを

見てクラスの友達と食堂で延々話していた一年生のころを 思い出して懐かしくなるだけだが、

四年なんかになると、食堂で楽しそうに話す一年生たちの若々しさに微妙な居心地の悪さを

感じてしまうことになるのだろうか。

 

 ふうっと溜息をついて、どんどんと自分が十代から離れていくことを感じながら、

もう一杯珈琲をお代わりして長居することにした。

 

十二月が過ぎてゆく。また次の一年がやってくる。

 

 

 

 

笑い飯礼賛

 

 M-1グランプリ2009を観た。目当ては笑い飯。いつも決勝近辺まで行くのになぜか勝てないこの二人が今年は

どんな伝説を作るか楽しみにしていた。結果は決勝までダントツで進んで、最終的には2位。ある意味伝説の展開だ。

ここまで来ると、「こいつら実は優勝する気ないんちゃうか」と思ってしまう。それがまた面白いといえば面白い。

 

 M-1で笑い飯と言えば多くの人が真っ先に思いつくの2003年の「奈良県立民俗博物館」というネタだろう。

あれはまさしく神だった。テンポ感もネタの構成も最高。掛け合いはどんどん加速していき、笑いもどんどんクレッシェンドしていった。

この奈良県立民俗博物館ネタには及ばないものの、今年の一回目のネタ「鳥人」は2003年に次ぐ名作だったと思う。

ボケとボケの掛け合いが生む勢いだけで笑わすのではなく、絶妙なテンポ感に加えて、言葉遊び的な笑いの要素が上手くミックス

されていた。さらに、笑い飯の真骨頂とでも言うべき「イメージ」の伝達がとても巧みだった。

 

 奈良県立民俗博物館と鳥人(に限らず、笑い飯の漫才のネタの多くがそうだと思う。「コロンブス」とか。)の共通点は、どちらも

「存在しないもの」「大多数の人は観たことがないもの」でありながら、「言われてみれば想像できる」ものであること。

ということは同時に、観客に自分たちのイメージしているものが伝わらないことには始まらないネタだと言える。

つまり、笑い飯が思い描くイメージが完璧に観客へと伝わり、イメージを共有できた時に、彼らのネタは笑いに変わる。

奈良県立民俗博物館と鳥人で提供したイメージは「博物館によく置いてある縄文時代の人々の像」と「頭だけ鳥で体が人」であった。

なんとなくリアリティを感じさせるこれらのイメージを観客と共有しつつ、あとはそのイメージから引き出されるシナリオを展開しながら

言葉遊びと主題のズレ(たとえば奈良県立民俗~における「ええ土!」、鳥人における「チキン南蛮」など)によって話を広げてゆく。

そこに漫才の「技術」である節回しや表情、テンポが加わることで彼らの漫才は構成されていると思う。

想像力と言語力に強烈に働きかけてくる笑い飯、まだまだ彼らから目が離せない。

 

 それにしても、笑い飯の漫才に漂うシュールさは吉田戦車の漫画に良く似ている。帰省したらまた吉田戦車の『殴るぞ』と

『感染るんです(うつるんです)』を読もうと思う。というわけでそろそろ帰省の準備をしなければならないのだが、軽くリストアップしてみた

だけで凄まじい量の荷物になってしまった。服、パソコン、本10冊、ドイツ語とフランス語の辞書、フランス語関連の演習本、単語帳、

ボウリングのボール×3、指揮棒、楽譜、フルート、バイオリン、筆記用具、万年筆のインク・・・これではいくら鞄があっても足りない(笑)

年末・年始で料金が高いことが予想されるのでボールは持って帰らなくても良いのだが、帰省するからには師匠と一回ぐらい投げたいな

と思うと、やはりボールは外せないという結論に至る。こうして荷物は全く減らないのであった。

 

 なお、本日は大畑大介『不屈の「心体」なぜ闘い続けるのか』(2009,文春新書)と加賀乙彦『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を

読了。それからあるコンクール用に書いていたエッセイを提出した。『記憶を纏う』と『ガラス越しの香り』という題名の二編である。

結果発表はまだまだ先なので、あんまり期待せずに待つことにしよう。

 

近況です。

 

いつものように近況を。相変わらずハードな毎日が続いています。

 

・能鑑賞

ここに時々コメントをくれる水際のカナヅチ氏のお誘いで能を見に行ってきました。

野村萬/野村万歳による狂言「箕被」、そして友枝昭世/宝生閑による能「葵上」の二本立てという

豪華なプログラム。何より、出演者の方々が日本トップの能楽師の方々です。

「学生のための特別公演」ということで、これがS席3000円で聞けるとは・・・学生でよかったと思います。

能は二回ほど見に行ったことがあるだけなので何も的確な感想は言えませんが、とくに「葵上」のおどろおどろ

しさは尋常ではありませんでした。変拍子チックな太鼓と笛と地謡に乗って展開される

六条御息所の霊Vs行者の激しい戦い。行者の法力が勝ったかと思うといきなり六条御息所が振返り、

その鬼のような形相を見せて逆に行者を追い詰めます。この迫力はすごい。ぞっとします。

妖しげな光を放つ青色とくすんだ赤色で、舞台が明滅しているような錯覚を覚えました。

 

 帰り際、客席を見回すとAIKOMの留学生の友達や高校時代の友達、それから上クラなど、10人ぐらいの

知り合いを発見してこれまたびっくり。ついでに、ホール出口のところで、浪人時代の友達で

しばらく音信不通だった人にばったり遭遇して、眼が合うなり「あーっ!!」と叫ばれました。

世界は狭いですね。まあとにかく、良いものを見て聞いてすることができました。カナヅチ氏ありがとう。

 

・指揮

能を見た後にそのまま指揮法レッスンへ。「葵上」の衝撃が残っていたのか、師匠に

「今日の君のピアニッシモはなんか冷たいね。もうちょっと柔らかく出したら?」と言われてしまいました。

それ以外の問題点は無かったようなので、合格を頂いて一つ曲を終えました。今週から新しい曲に入ります。

しっかり譜読みせねば。

 

 

・Fresh Start

というイベントがあるのですが、このイベントにJr.TAとして関わっています。

肩書きは「クリエイティブディレクター」なる大層なものなのですが、まあいつものようにデザインやら司会やら

色々と担当する感じになるでしょう。大きなイベントなので、色々案を出して盛り上げていきたいと思います。

さっそくFresh Start Jr.TA説明会の司会を一部やらせて貰いましたが、ずっと立ちっぱなしで三時間弱は

流石に疲れますね。「むくまないストッキング」なるものがバカ売れするのも納得です。

 

・ボウリング

8ゲーム投げて209アベ。目標にあと1ピン足りません。スペアミスが効いていますね。

練習を終えた後、スタッフをやっている後輩に投げ方のアドバイスを求められたので

一歩目の出し方からダウンスイングの下ろし方など、様々な「コツ」を伝えました。

彼にとってこのアドバイスが壁を超えるきっかけになってくれれば嬉しいです。

 

・本

ベルナール・スティグレール『技術と時間 第一巻』を読了。明日、スティグレールが来日して本郷で

シンポジウムが開かれるのでその予習の意味を兼ねて。ちなみに明日は午前中に駒場でシンポジウム

午後に本郷でシンポジウムというダブルヘッダーなので。かなり忙しくなりそうです。

 

 

 

「静」と「動」

 

 ここ数か月、ボウリングの調子が良いです。

先日の試合でもセミパーフェクトの277が出ましたし、「またぎパーフェクト」なるものも達成しました。

またぎパーフェクトとは名前の通りゲームをまたいで12連続ストライクが出ることらしいです。

3ゲーム目に8連続ストライクを持ってきて、4ゲーム目に入って頭から4連続でストライクを続けて

合計12発。一緒のボックスで投げていた人に指摘されるまで気付きませんでした。いつの間に、という感じ。

出来れば一ゲーム内で普通のパーフェクトを達成したかったですね(笑)

まあそれはともかく、アベレージが220から230で二か月ほど安定してきているのは嬉しい限り。

 

 好調なのには理由があって、一つ悟りを開いた気がします。

かなり抽象的な内容なので上手くは書けませんが、簡単に言えば、「動」ではなく「静」の部分を意識するように

なったこと。ここ数年、いかにして高速・高回転の球を投げるかを追求し、「どうやって肘を入れるか」

「パワーステップのタイミングをどう取るか」「回転軸はどう変えるか」など、ボウリングにおける「動」の部分を

独自にひたすら追い求めてきました。そうして試行錯誤しながら何千ゲームも投げることで、

「動」の部分はかなり体に染みこんだ実感を持っています。

 

 ですが、これに安定感を加えるためには、「動」ではなく「静」の部分に注目することが必要なのだと

唐突に悟ったのです。インスピレーションをくれたのは、僕が今一番熱心に取り組んでいる指揮法でした。

指揮の師がある時、こんなことをおっしゃったことがあります。

 

「指揮台に不用意に上がってはならない。上がる前に空間を作っておく。音楽が大きく広がるように

空間をセットしておく。触れたらその瞬間に音が鳴り出しそうな空間を作ってから指揮台に上がる。

そしてタクトの先に、空間に満ちている音楽を集めて凝縮させ、一挙に空間を鳴動させる。

オーケストラを鳴らすだけじゃない。空間を鳴らしてはじめて音楽は命を持つ。」

 

この言葉を考えてみたとき、「どう動くか」が問題なのではなく、「どうやって静から動へ切り替えるか」、

さらに言えば「どうやって〈静〉の状態を作るか」が一つのカギとなるはずです。

そんな師の言葉を意識しながら、いつも指揮台に上っているのですが、じゃあこの気持ちで

ボウリングのアプローチに上がってみたらどうだろう、とふと思ってやってみました。

空間を意識しながら、背筋を伸ばして、ピンをまるでオーケストラの楽器のように見立てながら

アプローチに立ってみたわけです。

 

 びっくりしました。立った時の安定感が違う。視界が広くて明るい。重いボールを構えているのに体の

どこにもストレスがかからない。投げる前から自信が湧いてくる。〈静〉を意識することで、この後に続く

〈動〉が極めてスムーズにイメージできます。指揮とボウリングという、一見何の共通点もないこの二つが

稲妻のような鋭さで繋がりました。この二つをやっていて良かったなあと心から思った瞬間でした。

と同時に、僕のボウリングの師匠が数年前に何気なくつぶやいた言葉を思い出しました。

「上手いやつは立った瞬間に分かる。本当に上手いやつは〈止まってる〉」

当時高校生だった僕には全く理解できませんでしたが、いま、ようやくその意味を理解した気がしています。

 

 まだ今年はあと少し残っているのでちょっと気の早い話かもしれませんが、2010年は「静」と「脱力」

(脱力とは、〈動〉の中の〈静〉に他なりません)を意識してボウリング(もちろん指揮にも)に取り組みます。

これまでに培った〈動〉の技術をフルに活かしながら、「アプローチにどうやって上がるか」、

「どうやって空間を支配するか」という問題から、「どうやって呼吸するか」まで、〈静〉状態の質を高めるために

色々と工夫してみようと思います。ちなみに明日は能を国立能楽堂へ見に行くので、そこからまた

〈静〉や〈空間〉に関するヒントが掴めるかもしれません。とても楽しみです。

 

 なお、本日は坂野潤司『日本憲政史』(東京大学出版会,2008)を読了。政権交代が叫ばれた昨今や

天皇の政治利用ともとれる民主党の(というか小沢の)政策を冷静に見るために、と思って読んでみましたが

これは非常に良い本です。

 

「日本国民は二つの欽定憲法しか持ったことがないから、改憲して初めて国民の手による憲法が持てる

というような議論は、歴史音痴を告白しているに過ぎない。大日本帝国憲法の「欽定」(1889)以前には

それよりもはるかに民衆的な憲法草案が全国津々浦々で起草されていた。そしてそのような民主的憲法への

強い期待を背景に、欽定された専制色の強い大日本帝国憲法を解釈を通じて民主度を高める努力

(たとえば天皇機関説)がそのあとも続けられていった…」(P.41)

 

などというくだりにはハッとさせられますし、美濃部達吉と吉野作造の憲政論を対比させながら

見ていくあたりもとても刺激的でした。おすすめです。

 

あとはここ数日で多木浩二『眼の隠喩-視線の現象学-』(ちくま学芸文庫,2008)と、

上橋菜穂子『獣の奏者』一巻、ハンス=ヨナス「人体実験についての哲学的考察」という論文を読了。

長くなってしまったのでこれらについてはまた記事を改めて書くことにします。  

 

 

Skypeはじめました。

 

 冷やし中華のごとく、Skypeをはじめてみた。

別に緊急の用事があったわけではない。家の電球が切れたので近くの電機屋に行ったところヘッドセットが

投げ売りされていたのでつい購入してしまい、帰宅してから「待てよ、これ冷静に考えて使いみち無いぞ・・・。」

となって「ならSkypeでもやるか。」という心境になった。後先を考えずに買う癖は相変わらずだ。

 

 実はずっと前から、「Skypeやろうよ」と色々な友達から誘われていたのだが、なにぶん僕の低速回線では

やったとしてもストレスが溜まるだけで、それでは相手にも申し訳ないと思って避けていた経緯がある。

しかしいざやってみると、さほど回線の遅さを感じさせないレスポンスで使うことが出来た。何やらつい最近

アップデートされてスピーディーになったらしい。音質も想像以上に良いし、これは確かに便利なツールだ。

 

 立花ゼミの活動だけでなく、Fresh Start@駒場というイベントや個人的な仕事の打ち合わせなどで

活用する機会は多々あるだろう。まだ触り始めたばかりなのでイマイチ機能が使いこなせていないが、

徐々に使っていきたいと思う。ちなみにSkype名は Artificer という名前で登録した。この単語をskype名に

している日本国籍は僕だけ(フランスには何人かいる)のようなので、結構検索しやすいかもしれない。

Skypeをされている方はどうぞ検索してみてください。

 

 

※Skype名を間違って打ちこんでいました。Artificerとなっていますが、正しくはArtificierです。
検索でヒットしなかった方、お手数ですがArtificierで改めて検索してやってください。

 

『モンテーニュ通りのカフェ』(原題:Fauteuils d'orchestre)

 

 週末恒例の映画鑑賞祭その2は『モンテーニュ通りのカフェ』、原題を訳せば「オーケストラ・シート」。

公開は2006年、ダニエル・トンプソン監督による作品です。あらすじを引用しておきましょう。

・・・・・・・・

パリ8区、モンテーニュ通り。この通りからは美しく聳え立つエッフェル塔が見える、パリきっての豪奢な地区。

モンテーニュ通りにはすべてのパリがあった。劇場、オークションハウス、有名メゾン、由緒あるカフェ、

そして出会いと別れ。そのカフェに集うのは、演奏を控える著名ピアニスト、自分の生涯のコレクションを

競売にかけようとしている美術収集家、舞台の初日を迎えようとする女優など。

様々な思いを持った人々の人生が、実在する“カフェ・ド・テアトル” で交差していくのだった。

そんな中をパリに憧れ上京し、カフェの“ギャルソン”となったジェシカが、蝶のように軽やかに彼らの人生の

間を飛び回る。オーダーされるカフェ・クレームやデザートは、彼女にとって夢へのチケット。

憧れの人々の素顔とその人生に心躍らす時間が、輝く宝石のように横たわっていた…。

・・・・・・・

 

 いやー、これはいい作品でした。見終わった後に凄く幸せな気持ちになれる。思わず笑顔がこぼれます。

決して単純なラブストーリではなくて、登場人物たちの抱える悩みや挫折が効いていて、どこかほろ苦い。

音楽と美術と演劇、そしてそれらの芸術に仕える人々が一つのカフェでそれぞれの人生を交錯させます。

その中心にいるのは、田舎からやってきて、たまたまそのカフェで雇われたジェシカ。

ジェシカ役のセシール・ド・フランスのチャーミングな笑顔と明るい振る舞いが何とも見事です。

心の奥に辛さを秘めながら、屈託のない笑顔でPourquoi? (なぜ?)と誰にでも聞くジェシカに

登場人物たちがバラバラに出会うことで、それぞれの人生が動いてゆく。それは恋愛であったり、ピアニスト

としての将来であったり、親子の絆であったりして、見るものにどこか共感を引き起こさせます。

 

 随所にエスプリが効いていて、というフレーズはフランス映画評論の決まり文句みたいなのであんまり

使いたくないのですが、「エスプリ」としか表現できないような節回しが確かに効いていて、見ていても

セリフを聴いていても飽きません。長く連れ添った彼女と別れるかどうか苦悩するピアニストに向かって、

「君は一緒にエレベーターに乗り、最上階まで来たわけだ。でも。君は降りたくなった。彼女は降りるかな?」

と問うシーンや、「君の隣の席は空いてる?」とグランベールの息子を演じるクリストファー・トンプソンが

告白するシーン(クリストファー・トンプソンのイケメンっぷりが半端ないです。ジャケットのシルエットが

めちゃくちゃ美しくて、思わずポーズボタンを押して鑑賞してしまいました。まさにクール&ダンディの権化。)

「戦争の相手は君じゃない。」と復縁を伝えるシーンなどは「うまいなあー!」と手を叩きたくなる思いがします。

でも、この映画を見た人なら、一番のセリフはおばあちゃんのTu es mon soleil (あなたは私の太陽だわ。)

だと思われるかもしれませんね。この映画を象徴するように最初と最後で同じように語られる

この温かいセリフ、ラスト・シーンで聞いたときにはホロッと涙が出そうになりました。とにかく素敵な映画です。

 

 あと、本編とはあまり関係がありませんが、劇場の裏方役のおばちゃんがつけていた最後のイヤフォンが

Bang & Olufsen のA8というモデルでしたね。以前に一目惚れして愛用していたイヤフォンだったので

とても懐かしい気分になりました。もうあれから6年・・・時間が経つのは早いものです。