ここ数か月、ボウリングの調子が良いです。
先日の試合でもセミパーフェクトの277が出ましたし、「またぎパーフェクト」なるものも達成しました。
またぎパーフェクトとは名前の通りゲームをまたいで12連続ストライクが出ることらしいです。
3ゲーム目に8連続ストライクを持ってきて、4ゲーム目に入って頭から4連続でストライクを続けて
合計12発。一緒のボックスで投げていた人に指摘されるまで気付きませんでした。いつの間に、という感じ。
出来れば一ゲーム内で普通のパーフェクトを達成したかったですね(笑)
まあそれはともかく、アベレージが220から230で二か月ほど安定してきているのは嬉しい限り。
好調なのには理由があって、一つ悟りを開いた気がします。
かなり抽象的な内容なので上手くは書けませんが、簡単に言えば、「動」ではなく「静」の部分を意識するように
なったこと。ここ数年、いかにして高速・高回転の球を投げるかを追求し、「どうやって肘を入れるか」
「パワーステップのタイミングをどう取るか」「回転軸はどう変えるか」など、ボウリングにおける「動」の部分を
独自にひたすら追い求めてきました。そうして試行錯誤しながら何千ゲームも投げることで、
「動」の部分はかなり体に染みこんだ実感を持っています。
ですが、これに安定感を加えるためには、「動」ではなく「静」の部分に注目することが必要なのだと
唐突に悟ったのです。インスピレーションをくれたのは、僕が今一番熱心に取り組んでいる指揮法でした。
指揮の師がある時、こんなことをおっしゃったことがあります。
「指揮台に不用意に上がってはならない。上がる前に空間を作っておく。音楽が大きく広がるように
空間をセットしておく。触れたらその瞬間に音が鳴り出しそうな空間を作ってから指揮台に上がる。
そしてタクトの先に、空間に満ちている音楽を集めて凝縮させ、一挙に空間を鳴動させる。
オーケストラを鳴らすだけじゃない。空間を鳴らしてはじめて音楽は命を持つ。」
この言葉を考えてみたとき、「どう動くか」が問題なのではなく、「どうやって静から動へ切り替えるか」、
さらに言えば「どうやって〈静〉の状態を作るか」が一つのカギとなるはずです。
そんな師の言葉を意識しながら、いつも指揮台に上っているのですが、じゃあこの気持ちで
ボウリングのアプローチに上がってみたらどうだろう、とふと思ってやってみました。
空間を意識しながら、背筋を伸ばして、ピンをまるでオーケストラの楽器のように見立てながら
アプローチに立ってみたわけです。
びっくりしました。立った時の安定感が違う。視界が広くて明るい。重いボールを構えているのに体の
どこにもストレスがかからない。投げる前から自信が湧いてくる。〈静〉を意識することで、この後に続く
〈動〉が極めてスムーズにイメージできます。指揮とボウリングという、一見何の共通点もないこの二つが
稲妻のような鋭さで繋がりました。この二つをやっていて良かったなあと心から思った瞬間でした。
と同時に、僕のボウリングの師匠が数年前に何気なくつぶやいた言葉を思い出しました。
「上手いやつは立った瞬間に分かる。本当に上手いやつは〈止まってる〉」
当時高校生だった僕には全く理解できませんでしたが、いま、ようやくその意味を理解した気がしています。
まだ今年はあと少し残っているのでちょっと気の早い話かもしれませんが、2010年は「静」と「脱力」
(脱力とは、〈動〉の中の〈静〉に他なりません)を意識してボウリング(もちろん指揮にも)に取り組みます。
これまでに培った〈動〉の技術をフルに活かしながら、「アプローチにどうやって上がるか」、
「どうやって空間を支配するか」という問題から、「どうやって呼吸するか」まで、〈静〉状態の質を高めるために
色々と工夫してみようと思います。ちなみに明日は能を国立能楽堂へ見に行くので、そこからまた
〈静〉や〈空間〉に関するヒントが掴めるかもしれません。とても楽しみです。
なお、本日は坂野潤司『日本憲政史』(東京大学出版会,2008)を読了。政権交代が叫ばれた昨今や
天皇の政治利用ともとれる民主党の(というか小沢の)政策を冷静に見るために、と思って読んでみましたが
これは非常に良い本です。
「日本国民は二つの欽定憲法しか持ったことがないから、改憲して初めて国民の手による憲法が持てる
というような議論は、歴史音痴を告白しているに過ぎない。大日本帝国憲法の「欽定」(1889)以前には
それよりもはるかに民衆的な憲法草案が全国津々浦々で起草されていた。そしてそのような民主的憲法への
強い期待を背景に、欽定された専制色の強い大日本帝国憲法を解釈を通じて民主度を高める努力
(たとえば天皇機関説)がそのあとも続けられていった…」(P.41)
などというくだりにはハッとさせられますし、美濃部達吉と吉野作造の憲政論を対比させながら
見ていくあたりもとても刺激的でした。おすすめです。
あとはここ数日で多木浩二『眼の隠喩-視線の現象学-』(ちくま学芸文庫,2008)と、
上橋菜穂子『獣の奏者』一巻、ハンス=ヨナス「人体実験についての哲学的考察」という論文を読了。
長くなってしまったのでこれらについてはまた記事を改めて書くことにします。