September 2025
M T W T F S S
« May    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

セカンド・ディメンションと『白旋風』

 

 プロと手加減なしの4ゲームマッチをしてきました。

ちょうどStormのセカンド・ディメンションをドリルしたばかりだったので、このボールをメインにして最後まで投げました。

このボール、予想していたとおり僕の球質にとても合うようです。とくに横回転を多めにして外側へ振って投げると、かなり奥まで走って

「ガタ‐落ちる!もう駄目です!あ、あ、さような・・・なんちゃって」という感じで、凄い加速感とともに内側へ切れ込んできます。

かなり回転を入れてもスムーズに走ってくれるため、無理やり手前を走らせる必要がありません。ピンアクションは壮絶の一言。

タップは普通にしますが、キックバックがとても激しい。誇張抜きに、跳ね散ったピンが左右に一往復しているように見えます。

難点はStormのボールに特有の「微妙なフレグランス」です。Stormのボールには大抵香りが人工的につけられていて、

今回のSecond dimensionにもリンゴっぽい匂いがつけられています。高校生の頃に使っていたStormのX-Factor Reloaded

にはシナモンアップルの香りがつけられていたのですが、ボールバッグにこのボールと一緒に入れていたシューズやら小物やらが

みなシナモンアップルの香りになってしまっており、さらには同じロッカーに入れていたユニフォームまでシナモンアップル臭に

犯されしまっていた経験があるので、今回はちょっと警戒しています。投げ友達の中に、Stormボールの香りに辟易して

ボールにファブリーズをぶっかけたツワモノがいるのですが、彼曰く「ファブリーズでは勝てんかった・・・」とのこと。

消臭作戦では歯が立たないようなので、今回は生政治的に隔離作戦を推し進めていこうと考えています。

 

 ボールのフレグランスに話が流れてしまいました。

ともかくこのボールを使って、久し振りに思いっきり出して思いっきり戻すラインを投げ続けました。

220-179-201-230でアベレージ207.5。対するプロはなんとアベレージ233。4ゲームまではプロにくっついていけたのですが、

最終ゲームで268を出されては230を出しても全く勝ち目がありません。プロの本気と精密なライン取りを目の当たりにしました。

また来週にリベンジマッチをやる予定なので、次こそは追いつきたいと思います。

 

 帰宅してからは、買ったばかりの焼酎用グラスに『白旋風』(宮崎県櫻の郷醸造)をロックで開けます。

この焼酎、ネットで検索してもあんまりヒットしないマイナーな焼酎なのですが、かなり美味しいです。

ジョイホワイト芋という特殊な芋を使っているために、どことなく柑橘系のニュアンスを感じるものになっており、とても爽やかな口当たり

のおかげで疲れている時でもスイスイ飲めます。一方で焼酎らしい重さがないために水で割ってしまうと味がちょっとボケてしまうので、

冷蔵庫で良く冷やしてロックにするのが一番美味しい飲み方じゃないかと思います。

異文化交流と称してこの焼酎を飲みながらフランス語の復習をやってL’Étrangerをゆっくりと読み進め、

最後にパーフェクト・ソルフェージュを少しとピストン・デヴォート『和声法』の「非転調型ゼクエンツ」の項を勉強して一日終了。

いつの間にか外が明るくなっていました。8月に比べて朝方はだいぶん涼しくなりましたね。

 

 

ボウリング・インテンシブと『渓流 雪たより』(遠藤酒造)

 

  投げまくった一日だった。まず、朝から大会で4ゲーム。

センターで一番上手い人と総支配人と同じボックスでちょっと緊張しつつ、無難に190ぐらいでスタート。

右のレーンは4ゲーム通じてほぼパーフェクトだったのだが、左のレーンがなかなか読めない。アングルを次々に変えていっても

7ピンが残ってしまう。ポケットには簡単に入っていくのに、あと一本が倒れない。かといって大胆なラインチェンジをしてしまうと

スプリットの危険性があったので、3ゲーム目まで左のレーンはスペアで耐える展開になった。4ゲーム目になってようやく左のレーンが

読めてくる。右でストライク、左でストライク、右でストライク、左でスト・・・ジャストに入ったのに8番が立ち尽くす(泣)

気を取り直してスペア。また右でストライク、左で今度こそスト・・・強烈にジャスト入って9番残り(泣) ひえー。

同じボックスの一番上手い人も左レーンでジャスト8番を連発しており、二人で「これはピンのオフセットだ。そうに違いない。」

ということにして自分を納得させておいた。たまにはこういう日もある。アベレージ180ぐらいで終了。

 

 夜、高校の後輩(今は大学のボウリング部に入っている)とセンターのスタッフの方から一緒に投げようとのお誘いを頂いたので、

再びボウリング場へ。もうすぐ日が変わろうかというような時間だったので、一般客はほとんどおらず、ほぼ貸切状態。

というわけでみんなでテンションを上げて思いっきり騒ぎながら投げる。

ストライクを続けてはジョジョっぽい叫び声を上げるスタッフの方や摩訶不思議なガッツポーズを繰り出す後輩に爆笑しつつ、

僕もストライクが続き始めると四レーン分ぐらいアプローチをスライディングしてみたり。(やりすぎて膝が摩擦熱で熱かった。)

もはやアプローチ上のショーである。勤務中のスタッフの方も客がいないのをいいことに僕らが投げている所へ集まって来ていて、

大変盛り上がる展開になった。テンションの高さゆえかどうか分からないが、三人ともバカ打ちしていて、200を切ると最下位決定

というかなりレベルの高い戦いに。割ってしまうとやばそうだったので、15枚ちょい出しラインでSolarisを使って狭く強く投げる。

205-169-215-170-220-235-223-211-212-180で10ゲームに及ぶ激しい試合は終了した。アベレージは204。

200を三回切ってしまったのは心残り(しかもカバーミスだった)だが、10ゲーム中にノーミスを三回含んでいたので少し満足。

200アベレージを超えるためには、1. 打ち上げること 2. 大きなマイナスゲームを出さないこと の二つが要求されるのだが

今日はバカ打ちこそしなかったものの、大体は210前後を打ち続けることが出来たので2の条件は満たせたように思う。

ここに250ぐらいのバカ打ちゲームが加わればきっと220アベレージぐらいになるのだろう。先は長い。

 

 日が変わるのもお構いなしに、最初から最後まで腹筋が崩壊するぐらいみんなで笑いながら投げた。

スランプ気味だった後輩もちょっとしたアドバイスで立ち直ってくれたし、ここ数か月で一番楽しいボウリングだったかもしれない。

やっぱりスポーツは楽しんでやるのが一番です。

 

 なお、帰宅後に遠藤酒造の『渓流 雪たより』を口開け。

東京へ引っ越して最初に友人と飲んだ酒がこれと同じ遠藤酒造の『渓流 春限定吟醸』だったため、渓流シリーズにはひときわ

思い入れがある。(ちなみに、この春限定吟醸は最高に美味しい。口の中でふわーっと華やかに味が開けてゆく。ボトルも綺麗で、

僕にとっては春の風物詩の一本だ。) 今回の『渓流 雪だより』は濁り酒で、おちょこに注いでも底が見えないぐらい濁っている。

口に含むとトロリとした舌触りと軽い酸味。そしてほんのり甘い後味。なんとなく小さい頃お祭りの日に頂いた甘酒を思い出す。

体に優しく染み込んできてとても美味しい。

これとポン酢をかけたオクラの相性が抜群で、一杯だけと決めていたのについつい何杯か呑んでしまった。

ボウリングも楽しかったしお酒も美味しかったしで幸せな一日だった。明日からも頑張って勉強しよう。

 

『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎,講談社現代新書 2008) &カオス呑み

 

 駒場の生協で著者の名前が目に入り、即座に購入。

著者は講談社現代新書で10年近く前に『ゲーデルの哲学』を書いており、これを高校時代に読んでハマった覚えがあったからだ。

JR大阪駅を出てすぐ、ヤンマーディーゼルの看板が窓から見える辺りで読み終えたということまで覚えている。それほど印象的だった。

 

 今回の『理性の限界』もまた、読み終えた瞬間を覚えていられるほど刺激的な内容。

最初から最後まで「シンポジウムにおける対話」という形式を取っているので、内容は決して簡単ではないものの、楽しんで読める。

テーマは大きく分けて「選択の限界」「科学の限界」「知識の限界」の三つであり、それぞれに関連する主要な理論が

仮想シンポジウム参加者の対話によって説明されてゆく。

「数理経済学者」がコンドルセのパラドックスを説明したかと思うと、「情報経済学者」がアクセルロッドのTFT戦略について

説明してくれるし、それに絡める形で再び「数理経済学者」がミニマックス理論やナッシュ均衡に話を広げていく。

「科学主義者」はラプラスの悪魔や相対性理論を噛み砕いて説明するし、「相補主義者」は二重スリット実験を紹介してくれる。

(二重スリット実験は何度読んでも感動する。この現象を目の当たりにした科学者は最初どれほど驚いただろう。)

お約束とも言えるクーンのパラダイム論については「科学社会主義者」なる人が概略を語ってくれる。

それに対して「方法論的虚無主義者」なる人がファイヤアーベントの哲学を持ち出して来て、Anything Goes ! という極端な

科学哲学を紹介してくれたりもする。(このファイヤアーベントの哲学は本当に面白いと思う。これから読んでみたい。)

 

 ところどころ登場人物に不自然なところがある(「ロマン主義者」とか「フランス国粋主義者」とか)が、それもまたこの本の面白さ。

著者は、幅広い参加者たちに託して対話の中に様々な知識(たとえば、フランスの「コアビタシオン」と呼ばれる政策についての

説明や、マーヴィン・ミンスキーの「心社会論」についての説明など)を練り込んでくれている。その一方で、「カント主義者」が

「要するにだね、カントによればだね、君の意志の格律がいつでも同時に・・・」と言いかけては「司会者」に

「はいはい、今はカントの話ではないのでまた後日にお願いしますね。」と流されているのがちょっと哀れで笑えたりもして、

最初から最後まで読んでいて飽きない。後半で紹介される「ぬきうちテストのパラドックス」なんかには「むむむ・・・。」と

悩まされること請け合いである。悩みながら楽しみながら、『ゲーデルの哲学』同様に買ってすぐに一気に読み通してしまった。

数ある新書の中でも非常に充実感の高い一冊。おすすめです。

 

(参考:【抜き打ちテストのパラドックス】

1.月曜日から金曜日まで、いずれかの日にテストを行う。

2.どの日にテストを行うかどうかは、当日にならなければ分からない。

という講義要項があったとする。これを見たA氏は「テストは実施されえない」と判断した。というのは、この講義要項1に基づけば、

まず木曜日の時点でテストが行われなかった時点で「テストは金曜日だ」と予想されるが、予想された時点で講義要項2に反するので

金曜日にはテストは行われえない。これより、金曜日にテストが無いならば、木曜日にテストを行う場合、先ほどと同様にして水曜日

まででテストが行われなかった場合「テストは木曜日だ」と予想され、これは講義要項2に反するので木曜日にテストは行われえない。

これを繰り返していくと、月曜日から金曜日までで「抜き打ち」テストを行うことはできない。よって抜き打ちテストは無い。

このようにAは判断したのである。しかし、実際には金曜日にテストが実施された。

「おかしい!上の理由により、テストは行われないはずだ!」とAが主張すると、教授は笑いながら

「でも、君はテストが今日行われないと思っていたんだろう?それならば、抜き打ちテストは成立しているじゃないか!」と返した。)

 

 なお、これを読んだあとにクラスの友達数人で高尾山のビアガーデンにて「カオス呑み」をしてきた。

「カオス呑み」とは名前の通り、秩序に縛られず酒を楽しむ会のこと。簡単に言うと呑みまくっているだけである。

いつもは下北沢などで開催され、最終的には結構カオスな事になるのだが、今回は高尾山ということもあって

非常に穏やかな展開になった。今回はみんな『理性の限界』を破らずお酒と高尾山から見る夜景を楽しんでいたようだ。

 

『大聖堂 果てしなき世界 上巻』(ケン・フォレット,ソフトバンク文庫 2009)

 

 帰省していた時に世界史の川西先生にお勧めして頂いたこの大著、ようやく上巻を読み終えた。

この作品は、上・中・下それぞれを一気に読み通すべき本だと思う。

というのは、まず登場人物が相当に多く、しかも名前が似ていてややこしい。ドストエフスキーも真っ青なレベルである。

加えて、途中で時間が一気に飛ぶ箇所がある。これによって読者は「え、こいつ誰だっけ・・・?」という困惑に容赦なく叩き落とされる。

もちろん僕もその困惑の渦に嵌った一人で、前を参照しながら人物関係を追うのに必死になった。

 

 だが、これらの「試練」とも言うべき個所を抜けると、登場人物のキャラが一気に立ってくる。

先ほどまで誰が誰だか迷っていたのが嘘のように、パッと視界が開けてこの作品の世界に入り込む事が出来るだろう。

そこからは本当に面白い小説だ。小説としても面白いし、世界史をやった人にはこの作品の背景に中世の社会構造が大きく横たわって

いることが見て取れるはずだ。(例えば、聖職者の特権的地位、職人の身分、女の地位、ギルドの閉鎖的構造、保守と改革など。)

上巻を読み終えた今、世界史の先生がお薦めされた理由がよく分かった。各巻が650ページぐらいある大著で読むにはかなり

骨が折れる(ついでに、読んでいると重さで手が段々ダルくなってくる。ストレッチ必須。)が、カリスとグウェンダ、そしてマーティンと

ゴドウィンといった魅力的なキャラクターたちが時にハラハラ、時にイライラさせてこの世界に惹き込んでくれるので、中・下巻も

それぞれ一気に読み通せそうだ。夜中、ソファーに寝転んでキンキンに冷やした白ワインを飲みながらこれを読んでいると

一人暮らしの狭い1Rにも関わらず異常に幸せな気分に浸れるので、今週の夜はこれを読んで過ごすことにするつもりである。

 

 なお、本日も経堂で8ゲーム投げ込んだ。

師匠に教わったラインを練習すべく、家に寝かせていたMomentum Swingを持ち出してきた。

このボール、寿命に難があるものの、「スーッ」と滑らかに曲がっていくしピンアクションも良いしで使いやすい事は確かだ。

これを25枚目から15枚目まで出して投げる。横回転を多めに入れ、オイルを長く使って「狭く・強く」投げる練習である。

今の回転ならガターギリギリまで出しても戻してこれるが、それではボールの勢いが削がれてしまい、ジャスト‐タップが起きてしまう。

師匠に指摘された通り、次に僕が目指すべきは、回転数が多くてスピードの乗った強い球を狭いライン(=オイルを長く使う)でしっかりと

投げれるかだ。ポケットに入るラインを見つけるのではなく、ストライクが続くライン(=タップしないライン)を選ばなければならない。

トップトーナメントでは210アベ以上が要求されるので、このラインを早急に自分のモノにして引出しを増やしたいと思う。

これを使えるようになれば、5枚刻みに5つの基本ラインを取れることになる。これ以上内側に立たねばならないもあるが、

インサイドに立つのは嫌というほど練習したから苦手意識は無いし、そもそもそんな時にはボールを変えれば何とでも対処できる。

後は状況に応じて1枚2枚ずらしたり、回転軸を少し調整してアジャストすればよい。

 

・5枚をまっすぐorちょい出し。・・・レフティの王道ライン。オイルの切れ目を感じて、先まで走らすのが最大のポイント。

・10枚から外にちょい出し。・・・万能。朝の試合で最初に選択するライン。オイルの壁に沿わす感じ。

・15枚から5枚まで出す。・・・非常に使いやすいライン。ここを使ってちょっと薄めに入れるのが好き。

・20枚から10枚まで出す。・・・オイルを長く使う。ピン前が切れているときはこれ。ここを使って厚めに入れるとパーフェクトストライク。

・25枚から15枚まで出す。・・・オイルを長く使って、エネルギーロスを極力避ける。横中心回転。狭いラインで強烈にフリップする球。

(・18枚目直球…ネタ。アプローチ上での助走のエネルギーと体重移動と身体の捻り戻しを使って45キロでぶち込む。カタルシス。)

 

 投げ始めてすぐに小学生が二人寄って来て、「上手くなる方法教えて」と言われたので、スパットを見ること、アプローチをゆっくり

歩くこと、左手でバランスを取ること、毎回立ち位置を確認すること、などを簡単に説明した。小学生たちが嬉しそうに戻っていって

投げ終わったあと、「どうや!」と言わんばかりに(関東の小学生が「どうや!」なんて言うわけはないが)こちらを見るのが可愛かった。

お母さんも最初のうちは「邪魔してすみませんほんと。○○、邪魔しちゃだめよ!」と言っていたのに、

最後の方は「左手でバランスを取れって教わったでしょ!えーと、これで合ってますよね?」と尋ねてくるようになっていらっしゃって、

やっぱり子供の上達が気になるんだなあと思うと微笑ましいものがあった。子供たちもすっかりハマっていたようで

小学生:  「もう一ゲーム!」

お母さん: 「もう一ゲームだけよ!」

  ~ 一ゲーム終了 ~

小学生:  「もう一ゲーム!!」

お母さん: 「もう一ゲームだけって言ったでしょ!・・・これが最後だからね!!」

などという光景が展開されていて、スタッフの人と目を合わせて笑ってしまった。なんとも平和である。

子どもたちは最後に、「お兄ちゃん、ありがとうございました!」と元気よく挨拶をして帰っていった。

「バイバイ、またおいでなー。」と手を振りつつ、「おじさんって呼ばれなくて良かった・・・。」とホッとしていたのは内緒である。

 

 

 

政治的パラダイム・シフト

 

 昼からフルートのレッスンに行ったあと、いつものように経堂で8ゲーム投げ込む。

楽器をやると異様に集中できるのでその集中を引きずったまま練習する事ができた。

8ゲームのアベレージが198。8ゲーム中スペアミスがスプリットの時を除いて一つしか無かった。

特に7ピンのカバーが冴えている。僕は7ピンを取る時にはドライ用のボールを使って一投目と同じフォームで肘を入れ、

リリースの瞬間に回転軸を縦(場合によってバックアップ気味にすることもある)に変えて曲がらない球を投げているのだが、

今日はこの時に肘が非常にスムーズに鋭く入っていて、7ピンをミスる気がしなかった。こういう状態がずっと続いて欲しいと思う。

 

 帰ってからは情報メディア伝達論のテストに使うために拾い読みしたものの全体を読んではいなかった

吉田康彦 『「北朝鮮」再考のための60章 日朝対話に向けて』(明石書店)を読了。センシティブな内容なだけに詳細や感想をここに

書くのは避けるが、北朝鮮の実態を知ることが出来るという点では(コラム代わりのTopicsの項も面白い。)良い本であろう。

 

 夕方からはカミュのL’Étrangerを辞書と必死で格闘しつつ読む。和訳なら一時間ちょっとあれば余裕で読めるのに、原書では

二時間かかって五ページがいいとこである。まあでも、このペースでいけば9月中旬には何とか読み終わりそうだ。

夜はA氏に、金森ゼミで集中的に学んだbio-politique及びビオス/ゾーエーの概念や様々な生命倫理の問題を説明した。

ゼミと同じく、一通り説明したあと、最後に「マルタとジョフ」という思考実験を教えてこれについて考えてもらう。

deaf=聾唖者の夫婦であるマルタとジョフは、遺伝子検査の結果、遺伝的な要因による聾でないと分かる。

しかし、マルタとジョフは、子供が自分たちと同じく聴覚障害者であることを望んだ。

この欲望から、着床前診断により、聴覚障害になるような胚を選択して着床させたとしよう。

もちろんマルタとジョフは「子供の幸せ」を思ってそうしたのである。deafの両親の下でははじめからdeafとして生まれ、Deaf culture

に生きたほうが幸せだろうと両親が考えた結果の行動である。

だが、この行為は許されるのか?命を逆方向へEnhancementしているのではないか?

 

 もちろん、はっきりした正解がある問ではないのだが、僕が思う答えはこうだ。

マルタとジョフは夫婦という関係を絶対的な物として信頼を置き過ぎている。自分たちと同じ聴覚障害者の子供を作ったはいいが

夫婦が突然別れてしまって、両親の行方も知れずという状況になった時を考えてみよ。

残されるのは、「わざわざ聴覚障害を持たされた子供」だけである。夫婦の絆が絶対的なもので無い以上、親の意思で子供を

不利なほうへ改造するのは正しい行為ではないはずだ。そしてまた、マルタとジョフの行いは、子供の所属するコミュニティを

生まれる前に限定してしまっている。可能性を敢えて狭める方向へ産み分ける事は、ハンチントン舞踊病を回避するための産み分けと

異なり、非常に不自然なものに映る。

 

 こんな事を議論しているうちに選挙の開票速報が出始めたので、パソコンを立ち上げてニュースをあちこち巡る。

自民党の大敗。大物がバシバシ落選し、壊滅的に議席数を減らしたようだ。その一方で民主党の記録的な躍進。政権交代。

政治というデリケートな問題について確かな思考を持っているわけでもないので、そのことの良し悪しをここで書く立場に僕は無いが、

ただ一つ言えることは、今回のメディアの報道姿勢はあまりにも偏っていたのではないかということだ。とくに読み間違いを巡る報道。

公の場で読みを間違うことはもちろん良いことではないけれど、果たしてあそこまで騒ぎ立てるほどの問題なのだろうか。

子供のように読みの間違いを上げ足取って指摘するぐらいなら政策論争の時間を一分でも多く取った方がよほど有益ではないのか。

(ただ、失言や読み間違いに対する対策が余りにも遅かったことは確かだ。読み間違い自体は大した話ではないが、メディアが

過剰に騒ぎ立てる流れになってしまった以上はもっと対策する必要があった。そして自民党敗北の根本の原因は

首相の能力如何の問題以上に、党内のバラつきや内紛を国民に知らしめてしまったことにあると思う。)

メディアの報道だけでなく、「口が曲がったやつに政治を任せていていいのか」などと発言した某議員なども僕は心から軽蔑する。

口の角度が政治と何の関係があるのか説明してみろと言いたい。いっそ議員をお辞めになって、『口の角度と政治体制の関連』とかいう

トンデモ本でも書いて、Amazonで限りなく☆0に近い評価を貰ってボコボコに叩かれればいいと思う。

 

 まあとにかく、今回の政権交代は一つの政治的パラダイム・シフトと呼ぶに相応しい大事件であろう。

だが肝心なのは政権が交代することではない。民主党のもとで、どのような施策が展開されていくのか、どのような日本が作られて

いくのか、そしてメディアとどのような関係が構築されていくのか注意深く見守りたいと思う。

 

 深夜にはサイバネティクス・システムについて勉強して関連書籍をリストアップする。

パソコンを打ちながら、Amazonで買って届いたばかりのTargusのCooling Podium CoolPadの使いやすさに感動。

万年筆について熱く語れる先輩である機構のHさんが使っているのを見て買ってみたのだが、予想以上に使いやすい。お薦めです。

関連書籍のいくつかをノリで注文してしまったりパーフェクトソルフェージュの課題をいくつかやったりしたあと、朝6時頃に布団にダイブ。

台風が接近しているらしく、窓に打ち付ける雨の音がよく聞こえる。この音を楽譜に起こすと凄い変拍子の譜面になりそうだ。

 

 

地中海の庭

 

 UN JARDIN EN MEDITERRANEE.

エルメスの名香、「地中海の庭」である。大幅な値引きをあまりしないので有名なのだが、半年ほど前に特価で販売されているのに

遭遇したので、思わず買ってしまった。まず、ボトルからして溜息が出るほど綺麗である。太陽が差し込んだ海を思わせるような青、

陽射しの気紛れで海が時々見せる透き通ったエメラルドグリーン。そして陽に照らされた海辺の空気みたいな薄い黄色。

このグラデーションがボトルを彩っており、見る角度ごとにその表情を変える。あまり目には止まらないかもしれないが

このグラデーションの上に載せる文字色として、立体感を持たせつつも透明感を失わない水色が選択されている点も天才的だ。

 

 調香はジャン・クロード・エレナ。エルメスの専属調香師だが、ブルガリのオパフメ オーデブランなども手掛けており、

強烈な香りというよりはむしろ、控え目だが独特の空気感を持った上品な香りを作風としているように思う。

(オパフメオーデブランは冬場に活躍頻度が上がる香水の一つで、ホワイトティーの香りに毎冬癒される。これを付けている人に街で

すれ違うとついつい振り返ってしまう香水の一つでもある。空気が乾いている時につけると、凛としつつも繊細で温かい香りになる。)

この「地中海の庭」は、トップノートにイチジク・乳香、ミドルにレッドシダー、ベルガモット、オレンジブロッサム、

ラストにホワイトフローラルとセイヨウキョウチクトウが調香されており、エルメスの香水に特徴的な「香りの変化」をはっきりと

感じられる香水になっている。つけはじめの香りは独特なので苦手な人もいるだろうが、ミドル以降でベルガモットが前に出てきてからの

柔らかい香りに拒否反応を示す人はかなり少ないと思う。うっすらとしか香らないのに、なんとなく癖になる。

実際に入った事がないから良く知らないけれども、一時期のエルメスのブティック内ではこの香水が随所に吹き付けられていたと聞く。

客からの反応も上々で、「店内の香りは何ですか?」と聞いてこの「地中海の庭」を買っていく人も多かったらしい。

 

 この話を聞いてから、気分転換したいときには家の中にこの香水を吹きつけている。

ジャン・クロード・エレナが聞いたら怒るかも知れないが、クーラーの吹出し口にワンプッシュすると至福の香りが室内にふわっと広がる。

今日みたいに親戚の訃報に接して眠れぬ夜にはちょうどいい。叔父さんが最期にくれた言葉が忘れられず目が冴えてしまっていたが、

布団に寝転がって、暗闇の中でこの柔らかい香りがどんどん変化していくのを感じているうちに、いつか眠りに落ちれそうな気がする。

 

韓国料理を楽しむ会 Part2

 

 図書館で勉強しようと思い、自転車で駒場へ行った。

正門を入ってすぐのところで某先生に遭遇。「暇?」と言われ、つい「ええ、まあ」などと答えてしまったため、捕獲されることになった。

これから動こうとしているある企画についてちょっとした話し合いをしたのち、夕方から「韓国料理を楽しむ会 part2」が行われる事を

聞いた。前回は韓国風焼き肉だったが、今回はキムチ鍋だという。星の王子様カレーを美味しいと信じて疑わない僕には

キムチ鍋なんてどう考えても辛そうな食べ物は天敵なのだが、前回も雰囲気が楽しかったし参加することに。いざとなったら

チシャ菜などの葉っぱとご飯だけ食べる(まさに草食系)つもりである。というわけで、準備は熟練の方々に申し訳ないけどお任せして、

御飯が出来るまでハイドンのカデンツァ制作を進めておいた。ある程度の音が取れたので、その辺に散らばっていた紙にザッと書きつけ

音楽室を借りてグランドピアノで音合わせをやってみた。グランドで弾いてみると電子ピアノなんかよりもずっと音が取り易い。

強弱記号もつけやすいし、今まで「なんかおかしいなあ・・・。」と思っていた部分がスッキリ解決した。あとはこれを記譜すれば完成だ。

 

 音楽室を出ると美味しそうな香りが廊下まで漂っていて、思わず小走りで階段を上がった。

キムチ鍋だけかと思っていたら前回の韓国風焼肉(サムギョプサル)もあって一安心。鍋を食べれない分呑もうと思って

用意されていた三種類のビールを堪能。ビールとサムギョプサル、そして米の相性は最高だ。合間にマッコリなんかも呑んだりして

韓国からの留学生の先輩が作る本場の韓国料理を堪能させて頂いた。そうそう、料理だけでなく韓国語の乾杯の音頭も教わった。

乾杯は「おつかれさまでしたー。」という意味で「スゴハショッスムニダ」と言うそうだ。韓国語は「~ジュセヨ」(=please)と

「ハナ・ドゥル・セ」(=one,two,three)、「アンニョンハセヨ」(=Hello)、「モルゲッスムニダ」(=I don’t know)ぐらいしか知らなかった

ので、「スゴハショスムニダ」もレパートリーに加えようと思う。

また、食事の席ではロシア語の数の数え方も教えて頂いた。

one,two,threeが「アジン・ドゥヴェ・トゥリ」(表記がこれで合っているのか分からないが、先生の発音を聞く限りではこんな感じ)

らしい。ロシア語といえばゴルゴ13で学んだ「ダスビダーニャ」(=See you)と「ズドラーストヴィーチェ」(=初回に使う挨拶だったような)

しか知らなかったので、これもまたレパートリーに追加。もちろん、使う機会は限りなく無いと思われる。何かの言葉から広がって

Roe対Wade事件判決についてS先生と話したりもして、そんなこんなで韓国料理を楽しむ会の夕べは更けていった。

先日外食をした関係で今日は家で粗食で済まそうと思っていたのに、思いがけず贅沢な食事をしてしまった。

シェフ及び先生方ごちそうさまです。

 

 なお、帰宅してから先日読み残していた三浦雅士『身体の零度 何が近代を成立させたか』を読了。

Joseph S.Nye Jrの” The Paradox of American Power ” をキリ良さげな部分(【SOFT POWER】の項)まで読んで寝ることにします。

 

 

東京へ戻って来ました。

 

 二週間ちょっとの帰省を終えて東京へ戻って来ました。

新幹線(もちろん自由席)に乗ってハイドンのスコアを広げて勉強していると、隣に二人組の高校生が乗って来ました。

「一番の要約はたぶん半分で、英作それなりにとってリスニングもがんばって長文死んで・・・60あるかないかぐらいだと思う。」

などという会話をしていたので、内容と順番から考えて、東大の英語の問題についてだったと思います。時期的に東大実戦か何かの

話をしていたのでしょう。横で「実戦の長文は難しいもんなー。」などと思いつつ品川で降りようと席を立つと、

「あのひと音大生かなー。音大生は英語とか世界史とかしなくていいから羨ましいよな。」と話す声が聞こえてしまい、思わず振り返って

「要約半分ではマズいぞ。過去問繰り返して慣れるべし。」なんて言おうかと思いましたが、自重しておきました(笑)

 

 東京についてみると、やっぱり人の多さに驚きます。それから街中に微妙な警戒心が漂っているような気がします。

人同士が打ち解けていないというか言葉にはならないギスギスした空気を感じました。まあそれも東京の面白さの一つかもしれません。

 

 朝、そのまま駒場に行ってハイドンのピアノ協奏曲の三楽章をコンマスとソリストと合わせて来ました。

夏休みの間に300回ぐらい読んで和声や構成を分析し、自分でもある程度弾いたこともあって、大体は上手くいったと思うのですが

睡眠時間が足りていなかったせいかニカ所ほどキューを出し忘れてしまい、コンマスが入りづらそうにしていたのが申し訳なかったです。

次回は忘れないようにしっかりマークしておきました。また、このコンサートについては本業のポスターデザインを頼まれていたため

そちらの完成稿も渡すことができました。ポスターについては記事を改めて触れたいと思います。

そういえば途中でオジサン達が写真を撮りに乱入してきて、「撮られたくなかったら顔見えないようにしておいてね。」と

言われたのですが、指揮の都合上そういうわけにもいかず、撮られるがままになっていました。

写真を何の用途に使うのか謎なのが怖いところですね。

 

 「たまには外食もいいか。」ということで、昼には連れと美登里寿司へ行き、大漁セットなるものを注文してみました。

昼から寿司かよ、と思われるかもしれませんが、このセットは何と950円程度。絶品のお寿司8貫に加えて、

茶碗蒸しやサラダ、デザートまでついているので素晴らしくお徳感があります。特に炙りものが美味しかったです。

自宅に帰ってからは再びハイドンの勉強。先日から二楽章のカデンツァを書いていたのでその続きを。

書いていると言ってしまうと少し大げさで、実際にはアルゲリッチが弾いているランドフスカのカデンツァを楽譜に起こしているだけです。

聴音と書きとりは久しぶりだったので、たった二分程度の部分なのになかなか進みません。

書いては弾き、弾いてはSONARに打ち込み、打ち込んでは再生して「なんか音足りない・・・。」と悩みの繰り返しです。

そんなわけで今日は8小節書いただけに留まりました。衰えを痛感したので、『音大受験生のためのパーフェクトソルフェージュ』を

9月は毎日やることにします。

そのあとで三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)を読了。三島の作品群の中ではさほど優れた作品ではないように感じますが、

「父」という存在を巡る少年たちの会話の深みや、最後に置かれた印象的な一節(三島の文体ならではの一節)は結構好きです。

 

「正しい父親なんてものはありえない。なぜって、父親という役割そのものが悪の形だからさ。・・・(中略)・・・父親というのは真実を

隠蔽する機関で、子供に嘘を供給する機関で、それだけならまだしも、一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると

信じていることだ。」(P.126)

「竜ニはなお、夢想に浸りながら、熱からぬ紅茶を、ぞんざいに一気に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。

誰も知るように、栄光の味は苦い。」(P.168) 

 

 読書のあとはアイスコーヒーを淹れてネットサーフィン。

ニコ動で、京大の友達から教えてもらった「新世界エヴァンゲリオン ~関西弁で台無しにしてみた~」という動画を見ました。

エヴァについてはあまり詳しくないのですが、それでも死ぬほど笑わせてもらいました。関西弁の恐ろしさを実感できます。

ところどころに入れてくるネタがまた秀逸。これは相当時間かかってるんじゃないでしょうか。

女の声の部分では、投稿者である男の方の声のピッチを上げて女っぽくしているのですが、そのあたりにも作者の苦労が忍ばれます。

とりあえずエヴァ好きの人は一度は見るべきです。(ただし、原作の印象が完全に破壊されるのを覚悟の上で)

そのあと、youtubeでボウリングの新作ボールの軌道動画を見ました。

といっても、現在のラインナップ(Solaris-Cell Pearl-Black Peal-Widow Bite)に満足しているため、ただ見ているだけで

買うつもりは全くありません。買うとしたら現在のラインナップと同じ、あるいは極めて近いタイプのボールを買うつもりです。

投げ過ぎによってSolarisの動きが大分落ちてきたため、新作のepicenterに変えてみようかとは思っていますが、ホームにしている

センターのコンディションでは動きが大人しくなったSolarisがピッタリハマるので、変える必要はないかもしれません。

youtube上で良さげな動きをしていたのが、StormのREIGN。立ちあがりの加速感が強いため、投げていて楽しそうなボールでした。

 

 夜には、近くの知る人ぞ知るダイニングで和食。一日二度の外食は東京で生活するようになって初めてかもしれません。

里芋と牛挽肉の手作りコロッケが絶品でした。これにつけるタレがレモン醤油というのも最高です。「やまなか」という今まで呑んだ事の

無い泡盛を発見したので呑もうかと思いましたが、出費し過ぎなので我慢。そのかわり家に帰ってから、実家で栽培したライムを絞って

ジン・リッキーを作って美味しく頂きました。自分で作って呑むのがやはり圧倒的に安上がりですね。

これを呑みながら三浦雅士 『身体の零度 何が近代を成立させたか』を読み、第六章と第七章を明日に残して寝る事にします。

充実した一日でした。

 

五年ぶりの再会

 

 ついに師と再会を果たすことが出来た。

キャスケット帽を被ったシルエットが向こうから歩いてくる。かつて何度も何度も見た姿。間違えようがない、絶対にあの人だ。

師の名前を呼び、走り寄る。驚いた表情。それから笑顔。途絶えた時間を埋めるように、東京で大学生活を送っていること、

そして帰省の度に師をずっと探し続けていた事を伝える。こんな嬉しそうな顔は初めて見た。

固く握手を交わす。五年ぶりなのにちゃんと覚えてくれていた。挨拶もそこそこに、師は五年前僕が初めてボウリングを教わった時と

同じく、師がいつも一緒に投げている常連の方々に僕を紹介してくれ、師と常連の方々と一緒に僕も6ゲーム投げる事になった。

 

 師がアプローチに立ち、構える。

75歳とは思えないほど迫力と安定感のある構え。五年前と何も変わらない投げ方。

神がかったコントロールでレーンに緩やかな曲線を描き、ストライクを出しては誰よりも楽しそうな顔で帰ってくる。

「楽しみにしてるで!」とポンと肩を叩かれる。自分の一投目、久し振りにめちゃくちゃ緊張した。五年ぶりに見てもらう投げ方。

あれから一人で何年も試行錯誤を繰り返してきた。ようやく完成したばかりで、師匠に見てもらうのは初めてだった。

出せる限りの回転数とスピードでレーンへ放つ。ジャストポケット、7番が残るかと見えたがキックバックで倒れる。

ほっとした表情で戻ってくる僕を見て、師は「凄い球になったな。」とそっと一言呟いたあと、「でも・・・まだまだ負けへんでー!」と

笑顔を向けて下さった。他の誰に褒めてもらうより嬉しくて、五年間の努力が実った思いになった。

負けないよ、との言葉通り、師は相変わらず本当に上手かった。

白内障の手術をして間もないらしく、目がよく見えないとおっしゃりながらも完璧なコントロール。

球速は五年前よりやや落ちたかもしれないが、針の間を縫うようなコントロールとレーンを読む早さには更に磨きがかかっている。

アプローチへの上がり方、スペアの取り方、回転軸の変え方、レーンの把握とアジャスト。僕はこれら全てのをこの人に教わった。

それだけではない。師に教わったもののうち、最も大きいのは、ボウリングの楽しみ方そのものに他ならない。

師は本当にこの競技を楽しんでいる。たとえ横にマナーの悪いハウスボーラーや、やんちゃな学生が入っても

決して眉を顰めることはない。むしろその状況を楽しんでいる。投球順を抜かされても笑顔で譲り、隣がストライクを出せば拍手する。

そうして自分自身、次々とストライクを重ねてゆく。ダブル、ターキー、フォース・・・八連続!

それを見て、最初はマナーを無視して騒いでいた学生たちが誰に言われたわけでもないのに自然にマナーを守りだす。

いつの間にか、横で遊んでいただけのグループが師の投球を見つめるギャラリーへと変わる。続くストライクに自然と拍手をしてしまう。

それを見て「ありがとうなー。」と楽しそうに横の学生たちとハイタッチをしてゆく師匠。(全くの初対面なのに!)

そして、最後に隣の学生たちは決まってこう言う。

「ボウリング教えてください。」

 

 こんな調子だから、師の周りには年齢性別を問わず沢山の人が自然と集まってくる。

当時高校二年生だった僕は師のそういうスタイルに心から憧れた。求道的でありながら社交的。どんな時でも笑う余裕を忘れない。

一投一投を楽しんで、周りの人を巻き込んでゆく。

僕が今それをどこまで実行出来ているかは分からないが、これこそが師から学んだボウリングの真髄である。

 

 6ゲームはあっという間に終わってしまった。

5ゲーム目まで195前後をうろうろしていてなかなかスコアが伸びなかったのだが、6ゲーム目の最後に思い切って

立ち位置を変えてから6つストライクが続き、220と打ち上げる事が出来た。これで師匠に12ピン差をつけることになった。

ようやく師匠に勝つことが出来たという思いで、最後の一投は少し視界が歪んだ。

そして、また冬休み帰省した際に一緒に投げる事を約束し、がっちりと握手して師と別れる。

 

本当に会えて良かった。何年も探し続け、地元のセンター全てを回った甲斐があった。

既に秋を感じさせる夕暮れの帰り道を歩きながら、そう思った。

 

(付記)

ゲーム終了後、凄いことに気がついてしまった。

師が使っているボールはなんとラウンドワンの初代キャンペーンボールだった!(五年前にはちゃんとしたボールを使っていたのに)

ハウスボールと殆ど変らないようなボールにも関わらず、あれだけ曲げ、アベレージ190前後を確実に維持してくる。

ひとえにコントロールとラインを読むスピードの為せる業だろう。「球の性能に頼ってばかりではいけない」と諭された気分だった。

やはり、まだまだ師匠には勝てそうにない。

 

 

駿台LA同窓会

 

 駿台神戸校のLAクラスで浪人していた友達で同窓会めいたものをやってきた。

参加人数は10人ぐらいと聞いていたのだが、インフルエンザで急に倒れた人がいたりで実際は5,6人になってしまった。

その結果、参加者のうち女性は一人。完全な男祭りである。これはもう、「今日って男しかいないよな?」などと散々いじられる展開

になるのも当然だろう。当然ついでに言えば、参加メンバーはみな関西人なので激しいボケと突っ込みがエンドレスに展開された。

梅田のビアガーデンで焼肉をしつつ呑んでいたのだが、肉が少しでも焦げると「C!C!炭化した!タンカもってこい!」と

ウーロン茶片手に良く分からないテンションで叫んで周りを圧倒する奴やら、友達から電話がかかってくるたび「もしもし、タモリですが。」

と真面目な顔で電話を取る奴がいたりで、激しく無秩序なネタ大会となった。

ネタの間に「就職どうすんの?」みたいな真面目な話をしたような気もするが、ネタに比べて大して面白みのある話では無かったので

ぶっちゃけあんまり記憶に残っていない(笑) さんざん肉を焼きまくったあと、慶應に通っている友達と関東に戻ってもボケ続け、

そしてツッコミの切れ味を落とさないように日々精進することを誓い合って解散。

(全くどうでもいいことだが、この友達とは浪人中に、「コロッケと・・・神戸水野屋」と書かれたコロッケの袋の「・・・」の部分には

何が省略されているかを巡って一時間以上ボケ続けた仲である。)

関西弁に囲まれていると何かと頭脳が活性化する。まあとにかく、嵐のような同窓会であった。