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所属から飛び出すこと -東京大学に合格された皆さんへ-

 

春を手にされた皆様、おめでとうございます。

地震の影響が色濃く残る中、縮小された形式で入学式が行われる事になるなど、例年とは違うことばかりかもしれませんが、

この大学に合格されたという事実は変わりません。胸を張ってここ駒場キャンパスに足を踏み入れて下さい。

一介の学生に過ぎない僕がこうした「合格された皆さんへ」なとどいう文章を書くのもおこがましいのですが、

「このブログを読んで東京大学、しかも文科三類を受験する事を決めました。ついに後輩になれました!」という嬉しいメールを

頂いたこともあり、また学部最後の学年である四年生という時期を迎えた者として、自分の入学時の記憶を振り返りながら

少しだけ書いてみたいと思います。

 

この大学に入ったとき、僕はもうあと数ヶ月で21歳を迎えるところでした。

普通よりも年齢を喰い、浪人という宙ぶらりんの時間を経験した僕がキャンパスに足を踏み入れて感じたのは、

「ああ、どこかに<所属している>というのはこんなに安心感が持てるものなんだな。」ということです。

駒場名物の「諸手続き」。沢山の用紙に記入を求められ、色々なテントで次々とサークルの勧誘を受け、

正午ぐらいから並び始めたのにも関わらず、全てを終えて行列から解放されたのは日が傾き始める頃でした。

今になってみれば「やりすぎだろうあれは。」と思うところが無いわけではありませんが、それらはいずれも

所属を求める儀式なのであって、新入生だったころの自分はやや辟易しながらも、所属できる(あるいは、所属するよう求められる)

ことの幸せを噛み締めていた気がします。

 

所属の重み。足下に確かな地面がある、という感覚。

春から、皆さんはこの大学の学生として、キャンパスを使う自由やキャンパスで授業を受ける権利を保証されることになります。

現役で合格された皆さんには、浪人(特に宅浪)ならではの宙ぶらりんの感覚は無いかもしれませんが、いずれにせよ

大学生という身分を保証され、所属欄に大学の名前を堂々と書く事が出来るというのは、大きな安心感を自他ともにもたらすことになるでしょう。

ですが、その「所属の安心感」は時に停滞をもたらします。

僕自身、入学して一年目は久しぶりに味わう「所属の安心感」にどこか安堵していました。

でも、そうした安定の位置からは穏やかな思考・行動しか生まれ得ない。所属することは重要ですが、所属しているだけでは

平均的なものへと自らが回収されてしまいがちです。

そうではなく、所属から抜け出そうと足掻く事で、切れ味の鋭い生き方をしてみること。

与えられるままにならず、自分から何かを求めようと貪欲になってみること。

昨年のFresh Start(今年は残念ながら中止になってしまいましたが)というイベントで、トム・ガリー先生が

開口一番放った言葉 —みなさん、合格した事を忘れてください。— は、まさにそういう意味を持つものでした。

つまり、東大という組織・所属に安住せず、所属を有効に利用しながら所属を超える道を探るということです。

 

そうした「敢えて自分から足下を崩すような試み」、「これでいいのか?」と自分を疑う勇気を絶やさず持ち続けることが

重要なのではないだろうか、と学部四年を迎える今、心から思います。

東大という所属や肩書きに頼らず、はじめて会った人に対して目をキラキラさせながら語りたくなるもの。

あるいは、話を聞いた相手が「へえー面白いことやってるね!」と身を乗り出して来ずにはいられない「何か」。

学問であれ活動であれ、そうした対象を持っている人は素敵に映ることでしょう。

 

 

改めて、合格おめでとう。

大学生として確かな所属を手に入れた今、自分を疑う勇気を忘れず、所属から飛び出すぐらいのエネルギーで毎日を楽しんでください!

 

 

 

 

はじまりの思い出。

 

ちょうどこれぐらいの時期だった。

母や弟、そして犬に見送られながら、父の運転する車に自転車から本まで積み込んで、夜中に京都から東京へと車を飛ばした。

途中で雨が降ってきてフロントガラスが雨に滲み、高速道路のオレンジの灯が車の中に柔らかく広がる。

拡散して揺れる光を眠気の一向にやってこない目で見つめながら、無理やり積み込んだ自転車が後部座席でカタカタと音を立てるのを聞きながら、

「ああ、僕はこれから大学生として一人で暮らしていくんだな。」とはじめて意識した。

高速道路の標識に表示される「東京まであと何km」の表示がどんどん減っていく。次第に夜が白んでゆく。車は止まらない。時間も止まらない。

今まで生きていた世界とは全く違う世界に自分が向かっているような気分がして、朝が訪れるのが何だか怖かった。

 

「精一杯楽しめよ。じゃあな。」

下宿につき、荷物を運び込み、父はいつも通りの口調で一言残して去っていった。

部屋にぽつんと取り残された僕は何をするでもなく、部屋の隅に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。

真新しい部屋の匂いが、わけもなく憎らしかった。

 

 

フランス科卒業パーティ -Convivialité-

 

今日は東京大学の学位授与式だった。

授与式のあと、僕の所属する学科である教養学部地域文化研究学科フランス分科でも、卒業生の方々を囲んで歓送会が開かれた。

例年ならば渋谷か下北沢で飲みながら華やかにお祝いをするところだが、今年は地震の影響を考慮して中止も囁かれたぐらいの雰囲気。

だが、幹事である我々三年生や先生方と打ち合わせた結果、「せっかくの卒業の日に何もせず先輩方を送り出すのは申し訳ない」ということに

話がまとまり、研究室でささやかに歓送会を行う事になった。アルコールはもちろん無し。料理もスナック程度。

開催することは出来たけれども、これではさすがに寂しくなるなあ、と不安を感じながら当日を迎えた。

 

心配は杞憂に終わった。

外で食べるよりも豪華だったかもしれない。確かにアルコールは一滴も無かった。シャンパンもワインもビールもなし。

だが、なんと先生方や院生の方々が手製のお料理を持ってきて下さった。何を置けばいいんだろう、と思うぐらい広く感じていた

研究室の机は、持ち寄った料理でぎっしりと埋まった。教授がフランスにいたころにレシピを覚えたという帆立のテリーヌ。

わざわざ炊いてくださったお赤飯。見た目もおめでたい海老の揚げ物。洒落たサンドウィッチ。デザートに苺、そしてティラミス。

よく本でお名前を見るぐらい有名な先生方や、研究や学内行政で忙しいはずの先生方が、ご自分の時間を割いてこのお料理を作ってくださったのか、と

考えると、司会をやりながら言葉に詰まるぐらい感動してしまった。

 

突然の日程変更にも関わらず、狭い研究室には20人を超える方々が詰めかけ、

今までのどんな飲み会よりも温かい雰囲気が終始流れていた。先生方の「贈る言葉」は堅苦しくないのに含蓄とユーモアに富むもので、

さすがフランス科と唸らされるようなものばかり。話が突然フランス語になったり身体論の話が出たり、いくら聞いても飽きないほど。

中でも、イヴァン・イリイチのConvivialityという概念を引用して、「宴」の意味を持つこの言葉に「共に生きる」という意味が響いていることを

今回の震災の話に引きつけながら話された分科長のスピーチは、身体の深いところまで沁みるような思いがした。

 

フランス科は温かい。

一学年には四人ぐらいしか学生がおらず、授業は信じられないぐらい厳しいし、卒論をフランス語で書き切らなければならないけれど、

そこにいる人はみんな温かい。僕は第二外国語がドイツ語で、フランス語を授業で取った事は一度も無かったのに進学振り分けの時に

不思議な勢い(今考えてみれば、金森先生と話させて頂いた影響が大きかった)に突き動かされてこの分科に進学した。

語学があまり得意でないこともあり、はじめは「進学先を間違ったかな…。」と思ったこともあるが、先生方や先輩方の温かさに触れ、

そんな心配は綺麗に消え去った。もう一度進学振り分けをやり直せるとしても、今と同じく、フランス科を躊躇無く選択するだろう。

卒業して院に進む先輩方は笑顔で言う。「まだフランス科に顔を出せるのが幸せ。」と。

卒業して社会に出る先輩方は、晴れやかな顔でこう言った。「フランス科ではフランス語を学ぶのではなく、フランス語を使って、文化や思想の奥にある<何か>を

学んだ。これからフランス語を使う機会は少なくなるかもしれないけれど、フランス科で積んだ経験はいつか必ず活きることを確信している。ヒートアップする世の流れに乗らず、

それに対してNonを唱え、あえて違う道を探ること。理性的だが感情を失わないスタンスで社会に臨みたい。」

ああ、いいな。この学科に来て良かったなと思った。

 

 

時間は流れ、人は未来へと送り出されてゆく。先輩方のご卒業を心からお祝い致します。

 

 

プロオケを振ります。

 

5月4日、ついにプロのオーケストラを指揮することになりました。

僕はトップバッターでモーツァルトの『フィガロの結婚』とプロコフィエフ『古典交響曲」を振ります。

そして最後には師匠が、ベートーヴェンの「運命」を指揮します。

指揮を習い始めて間もない僕がこんな豪華なメンバーの(本当に凄い奏者の方ばかりで、ドキドキしています。)

オーケストラを振らせて頂いていいのかと思うほどですが、今出来る限りで、精一杯の演奏をさせて頂きたいと思います。

 

そして86歳になる師の「運命」。この機会を逃すともう一生聞く事は出来ないでしょう。

ご自身でも「これが僕の人生最後の<運命>になる。」とおっしゃっていました。

チケットなどは僕(kimoto_d_oあっとyahoo.co.jp)までご連絡頂ければご用意させて頂きます。

五月の祝日、ご都合の合う方はぜひお越し下さいませ。

 

 

 

「千の会」第十回フライヤー

「千の会」第十回フライヤー

 

スキーに行ってきます。

 

また今年もスキーへ行ってきます。

昨年に二日で全リフトを制覇した志賀高原へ、ドミナントのメンバー9人と一緒です。

どうやら初日は−15度ぐらいになる極寒の様子。ここまで寒いと逆に楽しみになりますね。

今年は一つ野望があって、横手山の山頂で、フォアローゼズのプラチナを呑んでこようと企んでいます。そのためにちゃんとスキットルを購入!

そうです、西部劇でガンマンが夕日に照らされつつ、胸からおもむろに取り出して呑む「アレ」です。ステンレス製とチタン製があるようですが、

手に入りやすいステンレス製にしておきました。父から頂いたこのめちゃくちゃ美味しいお酒を、山頂から世界を眼前に広げて呑むとどんな味がするのか、

楽しみでなりません。

 

夏はサーフィン、冬はスキー。

自然を満喫して人生を過ごしたいものですね。

 

カイエ:音楽と人生をデザインするということ。

 

五月に練馬文化センターで指揮する、プロコフィエフ『古典交響曲』のレッスンを受けていた。

二楽章がとても難しい。ppが基調となったこの楽章、盛り上がるところはわずか一、二小節しかないけれど、それでいてしなやかな音楽だ。

スタッカートとスラーのつき方を見ただけでもそのことが分かる。まるでバレエのように、すらりと伸びた肢体がしずしずと、しかし弾力性を持ちつつピルエットを繰り返す。

師匠は言う。「こういう音楽はとくに、自分で音楽の流れを作っていかないとだめだ。一切ごまかせないよ。あなたが振ったとおりに音が出てしまう。プロコフィエフも残酷な曲を書いたなあと思う。」

僕にはまだ、「流れ」を自然に作っていくことはできない。作ろうとすればあざとくなり、無心で流れに身を委ねると弛緩する。意志をピアノ線のように細く、しかし強靭に隅々まで張り巡らせなければならない。

それは分かっているけれども、静かな音が積み重なっていくこの音楽に僕はまだ耐えられないのだ。静けさを心地よく感じるどころか、静けさを暗闇のように感じてしまう。

こんなに好きな曲なのに、うまく振れない。それが今はひたすらにもどかしい。

 

音楽の流れ。それを自分で作っていくということは、とてもとてもエネルギーのいることだ。

たぶん人生もそうなのだろう。引かれたレールの上を、誰かが踏み固めた雪道の上を歩くのは容易い。だが、たとえ稚拙だと言われようが、ぼくはぼくのやり方で、人生にレールを引きたいと思う。

夢を描いて地をならし、何かを捨てては拾い上げ、汗をぬぐっては涙に濡れる。既にある道を横目に、足元も先行きも見えない暗闇を引き受けて、それでもなお、光を開拓しようと全身ずたぼろになって足掻きたい。

「意志の力」などという不確かなものを信じ、常に自分を追い込みながら、限界の中から前へ前へと進み行くエネルギーを生産し続ける。創造的に生きるとはたぶんそういうことだ。

 


MacBook Pro新型17インチ

 

2/24日に発表されたばかりのMacBook Proをアップルストアにて購入してきました。

仕様はプロセッサが2.3GHzクアッドコアInter Core i7、メモリが8GB、750GBのHDDに17インチのアンチグレア液晶USキーボードです。

17インチのMacBookProを選択される方はどうやらかなり少数派のようですが、僕にとってはこれ一択でした。というのも、通常使っているVaio-SZ95カスタムが13.3インチで持ち歩きには便利ですし、

iPadやVaio-Pも所持していることを考えると、それらとの棲み分けのためにはこの巨大ディスプレイが最適だと考えられたからです。また、デザインの仕事をしながら論文を読んだり書いたり辞書を参照したりと

同時に何動作もするため、17インチの広さがあるとそうした作業が圧倒的にしやすくなるであろうことが予想されました。

 

使ってみてすぐにこの便利さは体感されました。めちゃくちゃ画面が広くて使いやすい!

もちろん持ち歩きには向きません(この大きさを活かして、暴漢に襲われたときの盾として使うと効果的かもしれません)が、いざ開けるとこの安心感は何物にも代え難いものがあります。

いままでのパソコンでは、ディスプレイを「のぞきこむ」という感じだったのですが、17インチになるとまるでディスプレイに「包み込まれている」ような感覚。自然と目の前の作業に集中することが出来ます。

そして、プロセッサをクアッドの2.3GHzにしたことによって、動作が凄まじく速いです。「えっ、こんなスピードでレンダリングが終わるの?!」と驚いてしまいました。

アンチグレアの液晶にしたことによって、オフィスで作業している際も蛍光灯が映り込まず、長時間の作業の際に目の疲れがずいぶんと緩和されましたし、外に(万が一)持ち出しても、太陽光の反射を抑えてくれるので

ディスプレイの視認性が非常に高くなります。「デザイナーはアンチグレア」というのはこの業界で一つの常識のようになっていますが、確かにそうだなあと頷かされました。

 

店員さんから聞いた話では、ベンチマークテストでも17インチのこの組み合わせではとんでもない結果が出ているとのこと。

まあそれはプロセッサを考えればなるほどという感じですが、使っていてストレスを感じる場面がほとんどありません。夏ごろになったらHDDをSSDに換装しようと企んでいます。

そうするともう最強速度で作業が進みそうですね。高い買い物でしたが、これから数年にわたり、それに見合う分の仕事をしてもらおうと思います。

17インチのMacBook Pro、閉じた見かけは巨大なまな板のようですが、凄まじい性能を秘めた「モンスターまな板」であることには疑いがありません。買って良かった!

 

Il faut être voyant.

 

アルチュール・ランボーのドメニー宛書簡より。

 

「というのも、〈私〉は一個の他者なのです。(JE est un autre) 銅がめざめてラッパになっていても、なんら銅が悪いわけでは

ありません。それはぼくには明白なことです。ぼくはいま、自分の思考の開花に立ち会っているのです。それを見つめ、それに耳を

傾けています。ぼくが楽弓をひと弾きする。そうすると交響楽が深みで動き出す。あるいは、舞台上に一気に躍り出る。」

 

「ぼくは言います。見者でなければならない、見者にならなければならないと。〈詩人〉は、あらゆる感覚の長期的な、広範囲にわたる

論理に基づいた錯乱によって、見者となるのです。 あらゆる形の愛、苦痛、狂気によって。詩人は自分自身を探求し、自分の内から

あらゆる毒を汲み尽しては、その精髄だけを保持するのです。」

 

「この言語は、魂から発して魂へと伝わるものとなるでしょう。さまざまな香り、音、色彩など、思考をひっかけて引き寄せるような思考の

要素すべてを要約するのです。詩人は、自分の時代に普遍的な魂のうちで目覚めつつある未知なるものの量を、はっきりさせる

ことでしょう。つまり彼は、より以上のもの―自分の思考の表現形式や、〈進歩〉へと向かう自分の歩みの記録などを超えたものを与える

ことでしょう。規範をはずれたものが規範となり、それが万人に吸収されて、詩人はまさに進歩を増大させる乗数となることでしょう。」

 

 

東大世界史最終講義 -冬来たりなば 春遠からじ-

 

11月から飛び込みで「一対一で教えてほしい!」と頼まれた東大受験生に、最後の講義をしてきました。

彼はすでに大学一年生で、仮面浪人として東京大学の文科三類を受験したいとのこと。僕は二浪を経験していますから、そうした

浪人してでも受験を志すという姿勢には共感を覚えます。11月から今まで、週一回でわずか13回の講義しか出来ませんでしたが、

世界史について、時間の許す限り・僕の知識の許す限りのことを教えてきました。基本は講義で、論述の添削なども入れていくという形で

すすめてきたのですが、彼の飲みこみの良さには驚くばかりでぐんぐんと文章のクオリティが上がっていくのを目の当たりにしました。

 

最初の講義で、「軸を定めて陣を貼る」という論述の文章の書き方を教え、そのあと、問題文の分解・解読方法を詳説。

東大の世界史はただ知識があるだけでは書けないし、ただ知識を詰め込むだけでは面白くもなんともない。それぞれを

有機的に関係させながら、たまには大学以降で学ぶことも先取りしながら、論理的に「読める」文章を書く必要があります。

そこからはじめて、とりあえずは13回でなんとかほとんどの過去問に目を通すことが出来たかと思います。

 

僕はコレージュ・ド・フランスの講義の形式が大好きで、「教える側がまさにいま学んでいることを門外漢にも分かるように伝える」

という形式でやってきました。高校レベルの世界史の話をしながら、主権国家体制や革命総論、思想史、世界システムの話をし、

時にフランス語やドイツ語も使いつつ、アナール学派の歴史の見方やヴァレリーの「精神の危機」、フーコーの「人口」概念や

公衆衛生という概念の誕生など、いま自分が学んでいることを出来るだけ噛み砕いて、教えてきたつもりです。

こうした話をするたびに、彼が目を輝かせながら一心不乱にノートをとってくれているのが嬉しくて、教えるのが毎回楽しみでした。

 

最後の授業では、1848年の変動について説明しながら、世界の大きな見取り図を描きました。

1848年の変動こそが、それ以前、それ以後の世界を繋げる契機となるように思われたからです。革命というものの性格が変動すると

ともに、国家、国民という概念も揺らぎ始め、世界中に衝撃が走る。20世紀はかなり最初のほうで説明しておきましたし、

前回の講義はフランス革命とドイツ統一について説明したので、このダイナミズムで締めるのが最適だろうと考えてのことです。

 

なぜか最後の最後に英語の前置詞のイメージを説明しはじめて大幅に延長してみたりもしました(もとはacrossという前置詞は「横切る」

だけでなく、「至る所から」というニュアンスも持っていて、それはヨーロッパ的な考え方ですね、という話をしたところからです。

東大英語でも前置詞は頻出するので、気になってつい全部説明してしまいました)が、こうして僕が受け持った授業は終わりました。

 

最後に、仮面浪人という辛くも勇気ある一年を選択した彼になら響くだろうと思い、僕が浪人中ずっと机の前に飾っていた言葉、

イギリスの詩人シェリーのOde to the west wind(『西風に寄せる歌』)という詩の末句、

If winter comes, can spring be far behind? (「冬来たりなば 春遠からじ」)

を送りました。仮面浪人は大変だったと思うけど、よくここまで頑張ったね、と。

 

 

「身体に気をつけて。駒場で待ってる。」と握手した時、彼の眼が潤んでいるのに気付いてしまい、僕も少し泣きそうになってしまいました。

慌ただしい日常の合間を縫ってでも彼を教えて良かった。春が来ますように。

 

 

マンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきた。

 

日本橋にあるマンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきました。

いや、正確には、「宿泊させて頂いた」というべきでしょう。デザインのお仕事を下さったクライアントさまが新年会をされるとのことで

幸せなことに僕も声をかけて頂きました。ドレスコードは「スマート・エレガント」ということで、ラファエル・カルーソのスーツと

ステファノ・ビジのタイ、それにチェスターフィールドコートを羽織るという珍しく気合いを入れた恰好をしてホテルへ。

 

まずはホテルの38階にある広東料理「センス」で素晴らしく美味しい中華と美酒を堪能。

東京タワーを遥に望む夜景に圧倒されながら、普段は口にすることのないようなお料理の数々を頂きました。

お酒の美味しさはもちろん、鮑が泣くほど美味しかったです。そして、なんとそのまま宿泊する流れに。

 

宿泊の前に、作ってきたデザインのお披露目を行いました。

クライアントさまやスタッフの方々が沢山いらっしゃる前で、しかもほろ酔いの状態でプレゼン(もちろんアドリブ)をやるのは

なかなかスリリングでしたが、全体的に好評だったようでひと安心。外国からの旅行者向けのデザインですので、文字情報は全部

英語。ターゲットも普段とは異なるし、文字も普段とは異なるので、いつもとは少し違うデザインをする必要があります。

逆にいえば、いつもは出来ないデザインが出来るチャンスでもあるので、フランスで学んできた色遣いを細部に取り入れるなど、実験的な

要素を盛り込んでみました。自然な目流れを作りつつも注目度の高いものが出来たかと思います。

 

そのまま朝まで広々とした部屋で飲み、色々なお仕事をされている社会人の方々とお話させて頂きつつ、朝四時ぐらいにベッドへ。

東京に住んでいるのに東京でホテルに宿泊する、というのは贅沢ですね。一人ならそのへんの漫画喫茶がいいところだなあ、と

考えつつ、夢の中に。ルームフレグランスのレモングラスの香りが印象的でした。

 

朝八時に起床して、ホテルに併設された37階のスパへ。

ガラス張りのパウダールームに入るなり、目の前に広がる東京の街並みと遠くに見える富士山。

これを見ながらサウナや広い湯船につかれるわけです。一人暮らしで、普段は足も伸ばせないような狭い湯船につかっている身

としては感動せざるを得ません。ジャグジーから生まれるお湯の流れに身を委ねながら、冠雪した富士山をのぞむ。

視線を手前にやると、東京大学の入学式で三年前に入った武道館が見えます。なんだか、今日も一日がんばろうという気力が

ふつふつと湧いてきました。ご招待して頂いたクライアントさまに心から感謝しています。ありがとうございました。

 

夢のような時間を過ごして、そのまま神楽坂の「週刊読書人」にウェブデザインのお仕事のため、出社。

ホテルから仕事場にいくというのは初めてでした。ちょうどその日は凄く強い風が吹いていて、スーツの上に羽織っていたコートの裾が

翻るのが不思議と心地よく、近づきつつある春を感じながら日本橋の街を歩きます。もうすぐ24歳になるのだな、と思いながら。