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隔たりを信ず。

 

自分より遥かに年上で、しかも年齢を無為に重ねず不断に学び続けてきたあの頭脳に、いつか辿り着ける日が来るのだろうか。

二十五歳になってから、そうした疑問がふと頭に浮かぶことがある。それは言ってみれば、自分の将来、自分の未来への不安なのかもしれない。

答えは二択で描けるものではないだろう。誰にも答えは分からないし、そもそも他者によって答えを提示されることは堪えられない。

ポール・ニザンの「僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」というあの有名な一節を思い出す。

時間は止まってくれないが、時間の中で自在にリズムと密度を操ることが我々には出来る。

だから、時を先行したものとの隔たりを意識しながら、そして隔たりを尊敬しながら、負けず嫌いにも似た無謀さでぶつかっていくしかない。

 

 

改めて思う。年齢は偉大だ。

「凄い」と心から思える年長の人と張り合ったとしても肩を並べるのは難しいかもしれない。

しかし、無謀だとしても、張り合うように必死に学んで生きない限り、その人と同じ年齢になった時、

追い越すことはおろか、肩を並べることすら出来やしない。

 

 

塔を見上げているだけでは首が凝るばかり。

心を奪われるものに巡り会ったら躊躇せず、自らを自らで狭めることなく…不確定な未来に身体を預けて、前へ。

 

「遊び人」礼賛

 

「遊び人」という職業がドラクエにあったのは凄いことだなあ、と今この年になって思う。

ドラゴンクエスト3の場合、遊び人はレベル20になると特別なアイテムなしに「賢者」になることができる。

これは非常に意味深い。なるほどという感じだ。

つまり、遊び人が賢者になるのは、これまでの行いを悔いたからではなく、行いの蓄積の結果として英知を有したからである。

遊び人は対人関係から自然と悟りへ至る故に、他職から賢者になるには必要なアイテム(=境界を飛び越えるもの)「悟りの書」を必要としない。

すなわち、遊び人と賢人は逆の方向にあるものではなく、まさに遊び人と賢人こそが、唯一近しい位置にあることが示されている。

 

レベル1を10歳とすれば、レベル20はおよそ30歳。

30歳までずっと遊び人でいることは難しいことだ。

定職についてレベルを上げていく仲間を横目に、遊び人は役に立てない申し訳なさや先行きの見えない恐れを乗り越えなければいけないだろう。

しかし、道化のように笑いながらも自らの意志を譲らず、ひたすらに遊びの道に徹し、ぎりぎりまで弓を引き絞ったとき、他の人には真似のできない豊かな世界が展開するのだと思う。

30歳まであと5年。そのとき僕は、何者かになれるだろうか。

 

 

 

雨の夜、The Melody At Night, With You

 

雨の夜には、普段あんまり聞かないキース・ジャレットのピアノを無性に聞きたくなる時がある。

聞きたくなるのはいつもこの、The Melody At Night, With Youというアルバムだ。

このアルバムは闘病生活(キースは「慢性疲労症候群」で3年間演奏からリタイアする)を支えた妻に捧げたものだと言われている。

本来は発売する予定のものではなく、プライベートな録音だったらしい。だからこそ、なのかは定かではないが、自己に深く沈潜しながらも

大切な誰か一人に捧げるような、祈りのような感情が籠められているように思う。Blame It on My YouthからMeditationへと至る静かな歩みを、

My Wild Irish Roseの無理に笑おうとしているような、傷ついた人を慰めようと笑顔を注ぎながら、心の底では自身も涙を溢れさせているような素朴な歌を聴くたびに、

不思議と涙が溢れてくるのを抑えることができない。

 

そして必ず思い出す。

もう生きるのが嫌になっちゃった、と泣きながら雨の日に電話をしてきたあの後輩のことを。

 

 

 

The Melody At Night, With You

The Melody At Night, With You

 

 

 

25歳を迎えて。-指揮台の上で迎える誕生日-

また一つ年齢を重ね、二十五歳という年齢を迎えることになった。

二十五歳。ハタチの頃の僕にとって、それは遠い遠い年齢で、同時に一つの区切りの年齢でもあった。

 

二十歳のころ、僕は浪人生で、勉強に大した興味も持てず、友人たちが先に大学生になっていくのをぼんやりと眺め

追いて行かれるという事に対する漠然とした寂しさに必死で抵抗していた。

だからこそ、次の区切りの年齢が来たときには安定した進路にいることが出来るようにと心の奥底で願っていた。

 

あれから五年。僕はさらに「遅れる」ことを、いや、「迂回する」ことを自分から選んでいた。

こうして二十五歳を迎えるという事に恐怖も空虚さも感じないかといえば嘘になる。

しかしそうした感情以上に充実感が先立つこともまた事実だ。安定はしていないかもしれないけど、毎日は刺激的で面白い。

 

誕生日当日はドミナント室内管弦楽団のリハーサルだった。

ベートーヴェンの一番のリハーサルを終え、それではしばらく休憩を、と言って指揮棒を離したら

突然「せーの!」というコンミスのかけ声が響いて、みんながHappy birthday to youを演奏してくれた。本当にびっくりした。

2と5の数字を象ったろうそくに大きなケーキまで。トランペットが高らかに歌うハッピーバースデーに包まれて、

照れ臭さで声にならない笑いが込み上げてくると同時に、こんな幸せな時間を準備してくれたことに心の底から感動した。本当にありがとう。

 

ハッピーバースデーが流れる中、指揮台で立ち尽くしながら、二十歳の浪人時代からずっと心に留めているこの一節が回帰した。

Man muss noch Chaos in sich haben, um einen tanzenden Stern gebären zu können.

 

二十五歳、世界を閉じるための一歩を踏み出すには早すぎる。

暗闇に差し出した一歩で視界が開けることを楽しみに、迷いながらも足取り軽く。

 

 

指揮台の上で迎える誕生日。

瞬間に捧ぐ。

 

今年もまた、プロ・オーケストラの前で棒を振る。

演奏会直前になると授業や卒論のことなんて一時的にどうでも良くなってしまうのは避け難い。

頭の中で、どの瞬間も音楽が鳴っている。ぼんやりと自分の時間にいるときはもちろん、

本を開いている時も、人と話しているときすらも、ブラームスのあの寄木細工のようなバリエーションが響いて離れない。


本番を迎えることが楽しみで、同時に、終わってしまう事を恐怖する。

一度しかない時間だから、その一度だけの瞬間に、それまでの僕の全ての時間を集めたいと思う。

変奏の終わりに。

変奏の終わりに。(2012.5.5 演奏:SEN室内オーケストラ 指揮:木許裕介 写真:栄田康孝)


大地と時間の芸術 - マルセル・ダイス,マンブール2006 -

 

こんなにも、飲むことを「恐ろしい」と思ったのは初めてだった。

マルセル・ダイスのマンブール2006。黄金という表現が似つかわしい色合いに、信じられないほど長く続く余韻!

 

舌に含み、口の中から姿を消した時からこのワインは本当の姿を見せ始める。フルーティーな味わいが消えたあと、物凄い密度のほろ苦い旨味が迫ってくる。

遠くからやってくる、というよりはズームで迫ってくるようなその密度に圧倒されるが、引き方は儚く、くどくない。

九月の終わり、夏の余韻が秋風にさらわれて消えて行くように、静かにすうっと過ぎ去って行く。

思い出すのはシューベルトの『未完成』交響曲の最後だ。

何か神聖で巨大なものが膨らんで迫ってくるクレッシェンドに、霞の中にフェイドアウトするようなディクレッシェンド。

あの一小節と同じように、このワインは、一瞬だけで忘れられない記憶を与えてくれる。

 

 

後味が完全になくなったあと、きっとこう問いかけたくなるはずだ。

「今のはいったい何だったのか?」

それは美味しいとか味がどうだとか、そういう次元ではもはや語れない世界で、

貴腐ワインのような美しい色合いの中に、味わいだけでなく「時間」という要素を濃厚に含んでいる。

フィニッシュの余韻が上等なウィスキーのように鼻から抜けて行き、頭を痺れさせる。

徹底的にテロワールに拘るマルセル・ダイスが生み出した、アルザスの大地と時間の芸術だ。

 

飲みすすめて味が開き始めると、グレープフルーツに似たほろ苦いアタックが鮮烈になり、肌まで震わせる。

舌に乗せた瞬間の柔らかいフルーティーさの上にこの苦みが押しかぶさってくる。

苦味のクレッシェンドはより急激になり、そのぶん、余韻は長くなる。

そしてじっくりと細胞の一つ一つに染み渡るように引いていく感覚に、思わず目を閉じてしまう。

 

次の一杯、あるいは食事を、このワインは容易に口に含ませてくれない。

もっともっと、と求めてしまう美味しさなのだが、あまりの印象深さゆえ、音が完全に消え去るまでは次の音を重ねることが出来ないように、

真に心打つ演奏の終わりには拍手すら出来ないように、この美しい余韻が響き渡る中に身を任せてじっとしていたくなる。

この世界から醒めたくない、と思う。

 

ゆっくりゆっくりと杯を重ね、最後の一口を傾けながら、飲む事が出来た幸せと終わりが来てしまう寂しさで、涙が出そうになった。

こんなふうな気持ちにさせてくれるお酒を、僕は他に知らない。

 

 

 

Manbourg Grand Cru 2006

Manbourg Grand Cru 2006

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Manbourg Grand Cru 2006 -2-

Manbourg Grand Cru 2006 -2-

傾く思考

東京で桜が満開になった日、桜を辿ってふらふらと歩いたあと、本屋をゆっくりと巡っていた。

しばらく探していたヴォルフガング・シュヴェルヴュシュ『闇をひらく光 -19世紀における照明の歴史-』を発見して購入。

おそらく卒論で使うことになるだろう。

 

数えてみれば、三時間ぐらい一つの本屋にいたことになる。

Amazonなどで自宅にいながらにして簡単に本が買えるようになったけれども、立花さんが言うように、

定期的に大きな本屋を散歩することは大切で、買うとも無しに本棚と本棚の間を歩いて背表紙の数々を眺めていると

自分が無知であることに改めて気付かされる。


インターネットで本を買うときは「自分が本を選んでいる」感覚だが、本屋に足を運び、質量や手触り、かさを伴う「本」に囲まれると

まるで自分が「本に選ばれている」気分になる。このフロアに並べられた本のうち、僕が読んだことがあるのは本の0.000…%で、

自分の興味がある分野の棚に限っても、実際に読んだ事があるのは僅かにすぎない。棚から棚へ、フロアからフロアへ。

足の疲れとともに、ゲーテの『ファウスト』を持ち出すまでもなく、「何にも知らない」ことに愕然とするのだ。

 

Read, read, read. Read everything–trash, classics, good and bad, and see how they do it.
Just like a carpenter who works as an apprentice and studies master. Read! You’ll absorb it.
Then write. If it is good, you will find out. If it’s not, throw it out the window.(William Faulkner)


 

休学を終えて大学に戻るにあたって、頭が学問の方向に再び傾きはじめたのを感じる。

もちろん音楽のことも忘れてはいない。音楽への興味を抑えるつもりは無いし、今までと変わらず学んでいく。

ただ、気持ちをうまく切り替えていかないと卒論と両立は出来ないだろうなと思う。

音楽、そして指揮を学ぶことは、僕にとってそれぐらい劇的で、魅力的なことだから。

 

 

東京駅を降りて丸善へ歩くと、リクルートスーツの人たちと擦れ違う。

入学した時の同級生たちが社会に出て働き始めたのを見るたびに、

さらには後輩たちが就職への準備を進めていくのを聞くたびに、

僕はこのまま就職活動をしなくて良いのだろうか、果たして生きて行けるのだろうかという不安が浮かんでくる。

けれどもやはり、焦るまい。少しばかり年齢は嵩むが、僕は大学院へ進もうと思う。

まだ何にも知らないのに、今からようやく面白くなってくるところなのに、まだ大学での時間や

指揮を学ぶことを終えるには早すぎる。あと半分残っている20代、お金や地位を求めるのではなく、

自分にヤスリをかけるように、弓をギリギリいっぱいまで引き絞るように過ごす。

そのうちにいつか自然に将来が開けてくると信じて。

 

 

ぼんやりとそんなことを考えながら、夕陽が綺麗にさしこむ喫茶店に入って珈琲を頼み、

角砂糖をひとつ放り込んでから、角砂糖についた紙の包装ごと珈琲に入れてしまったことに気付く。

春である。

 

L'ensemble, non troppo.

 

 

Le vrai but est de crèer le orchestre qui peut s’harmoniser avec non seulment le son , mais le humain.

C’est une èquipe,  qui a un credo dans les membres.   Cela ne presse pas.

 

Hills Breakfast Vol.14

 

六本木ヒルズにて行われているHills Breakfastというイベントで少しだけお話をさせて頂きました。

登壇者は主に社会人中心のイベントのようでしたが、東京大学より推薦を頂き、

その上で幸運なことに森ビルさまより選んで頂きましたので、貴重な機会と思い、出させて頂きました。

 

「指揮という芸術、何だか分からないもの」と題して、休学したこの一年で打ち込んだもの、

そして指揮がどういう芸術なのかを、ピアノによる実演(「運命」や「子供の情景」、「月の光」など)を交えながら

今の僕に出来る範囲で手短に説明してみました。時間制限が結構厳しいものでしたので

上手く伝わったか分かりませんが、終わってから沢山の人に「面白かった!!」とお声をかけて頂き嬉しかったです。

 

僕が思っていたよりも遥かに沢山の方々がいらっしゃっており、その熱気に、こんなに早い時間から200名もの方々が

集まるイベントというのは凄いなあ、と本当に驚きました。(ヒルズ・カフェがぎっしりと奥まで埋まり、立ち見も

沢山出ていました!)そのぶん一番後ろの方々は指揮の実演が見づらいかなと思ったので、講演者用の壇を降りて

スライドを映し出しているプロジェクターとスクリーンの間に敢えて入り、指揮姿や指揮棒の軌跡を影絵のように拡大することで

後ろの方まで見えるように即興でやってみました。(ちょっと眩しかったですけど、本番の舞台での照明に比べれば!)

 

 

拙い話になりましたが、もしご興味を持って頂けた方がいらっしゃったならば、

その日に話したことのフルバージョンのようなものが書いてあるこちらのインタビューもお読み頂ければと思います。

(http://gapyear.jp/archives/1082)

 

企画して下さった森ビルの方々、僕のような若輩者を推薦して下さった東京大学の先生方、

伴奏してくださったピアニストの清水さん、そして朝早くからお越し頂きました皆様、貴重な機会をありがとうございました。

東京大学を休学して自らの信ずるものに打ち込んだ一年間の締めくくりとしてこれ以上ない、記憶に残る一日となりました。

 

講演を終え、動き出したばかりの朝の街をふらふらと歩きながら、柔らかく緩んだ空気に春の訪れを思い、

新しい一年が始まることを肌で感じました。あっという間に過ぎ去った一年でしたが、

どの一年間よりも刺激的で彩りに満ちた日々だったと笑顔で言うことが出来そうです。

 

休学の終わりに-hIll's breakfast -

休学の終わりに-HIll's breakfast -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十一回「千の会」

 

また今年もプロ・オーケストラを指揮させて頂く事になりました。

昨年はモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とプロコフィエフの「古典交響曲」を振りましたが、今年は

ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」に挑みます。そして最後に、師匠がブラームスの交響曲第四番を。

二十四歳の僕にとっては初めてのブラームス、八十六歳を迎えた師匠にとっては生涯最後のブラームス第四番になることでしょう。

 

 

昨年も素敵な演奏者の方々に恵まれましたが、今年もまた、国内で名を馳せるプロの方々が集まって下さいました。

コンサート・マスターにはなんと、東京交響楽団でコンサート・マスターを務めていらっしゃる高木和弘さんがあたって下さることが決まり、

駆け出しの僕などが振らせて頂くには恐れ多いほどですが、同時に、物凄く楽しみでもあります。沢山勉強させて頂こうと思います。

 

またこうして師と同じステージに立つ事が出来る日がやってくるとは思いもしませんでした。

大学を一年間休学して学んだ成果をこのハイドン・バリエーションに全て凝縮し、精一杯振ります。

どうか皆様、今年もまたお越し頂ければ幸いです。

 

 

………..

<第十一回「千の会」村方千之と門下によるジョイント・コンサート>

5/5(土・祝)13:00開場 13:30開演

於:練馬文化センター小ホール 全席自由・3000円

 

★金澤詩乃
ウェーバー:「オベロン」序曲

★萩野慎
シベリウス:交響詩「フィンランディア」
シベリウス:「悲しきワルツ」

★木許裕介
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

★高橋淳二(ソリスト:渡邉 みな子)
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 二楽章・三楽章

★村方千之
ブラームス:交響曲第四番ホ短調

 

 

チケットのお求めはお名前と枚数を添えてinfo[at]ut-dominant.orgまでご連絡下さいませ。

あまり広いホールではありませんので、お早めにご予約頂いたほうが安全かもしれません。

TwitterやFacebookでリプライを頂く形でもお取り置きさせて頂きます。お気軽にどうぞ!

 

 

第十一回「千の会」フライヤー

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