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二つの時間 -Les Cailloux du Paradis Racines -

 

 

クロード・クルトワのレ・カイユ・ド・パラディ ラシーヌ・ブラン2009というワインを飲んだ。

結論から言えば心底感動した。これほど時間とともに表情が変わりゆくワインには初めて巡り会った気がする。

 

抜栓してすぐには桃の香りが僅かに顔を出し、その後にしっかりとした酸味と苦味がやってくる。

しっかりした酸味を味わいながら二杯目を注ぐうちに、いつしかその酸味は去り、桃の味が前に立ち現れる。

いま飲んでいるのは果たして白ワインだったかと疑うほどに親しみやすく、旨味のある桃の味わいが口に広がる。

その味わいを確かめるかのように三杯目を注ぐと、桃の果実味は遠くに去り、最初に感じた酸味が回帰している。

あれは幻だったのか、と驚きながら最後の四杯目を含む。すると苦味と酸味のバランスの取れたしっかりとした

「白ワイン」のフォルムが全体を支配しており、桃の香りを舌にそっと残しながら優しく消えて行く…。

 

 

このお酒に合わせたのは手作りの餃子だった。

かつて読んだエッセイに、「餃子には桃の味わいのするお酒が合う」と書かれていてそれを試してみたかったのだ。

なるほど、確かに肉料理のソースには桃を使ったものがあるから合いそうな気はする。

そうして、タレ無しに口にほおばった後にワインを流し込み、餃子と一緒にワインを噛んで口の中で混ぜ合わせてみると、。

言葉にならぬほどの旨味が途端に炸裂した。料理とお酒を合わせることを「マリアージュ」と表現した人は凄いな。

そんな事をぼんやりと考えながら、お酒を嗜むことが出来る幸せと、作り手が計算したであろう「二つの時間」に思いを馳せる。

 

「二つの時間」 — 色合いを次々と変えて行くこのワインには、「寝かせた時間」と「口を空けてからの時間」という

二種類の質の違う時間が含まれている。変化を十分に味わうためにはある程度の時間が必要で、そのためには大人数では無く

気の合う人と二人でテーブルを挟み、ゆっくり時間をかけながら飲むことが必要になってくる。

そう考えると、このワインに限らず、良質なワインというのはそうした二つの時間に立脚した芸術なのかもしれないな、と思わずにはいられない。

香水のように、あるいは音楽のように、(香りも音も「時間」を前提とした芸術であることを忘れてはならないだろう)

時間とともに様々なノートが、楽想が行き交う。「今/ここ」で味を作り出しながら飲むようなライブ感を与えてくれる見事な一本だった。

 

 

 

丸谷才一さんの死に寄せて

 

丸谷才一さんが亡くなられたと知ってショックを受けている。享年87歳。

丸谷才一、というお名前はポーの『モルグ街の殺人事件』で小学生の頃から記憶にあったし、

大学に入ってからはジョイスの『ユリシーズ』や『若き芸術家の肖像』の翻訳でお世話になった。

そして何よりも、『いろんな色のインクで』という書評集が大好きだった。

 

「書評というのは、ひとりの本好きが、本好きの友だちに出す手紙みたいなものです。…(中略)…

おや、この人はいい文章を書く、考え方がしっかりしている、洒落たことをいう、

こういう人のすすめる本なら一つ読んでみようかという気にさせる。それがほんものの書評家なんですね」

(丸谷才一『いろんな色のインクで』より)

 

この書評集で僕はマンゾーニの『いいなづけ』を知ったし、そこから平川祐弘さんという翻訳者を知った。

その後に『いいなづけ』がジュリーニの愛読書であったことが分かると共に、平川さんの新訳『神曲』と『ダンテ 「神曲」講義』に触れて感動した。

(そして、平川さんが僕が大学で所属している教養学部フランス学科の第一期生でいらっしゃったことも知った。)

 

その教養溢れる文章で本から本へと鮮やかに橋を架け、果てしない文字の世界へと僕を連れ出して下さった一人が丸谷さんだった。

心よりご冥福をお祈り致します。

 
 
 

再現ではなく生成を。

 

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」のレッスンを終えたあと、師匠がこうおっしゃった。

「最近、癖が出てきたな。」

 

癖。誰よりも癖が出ないように、基礎に忠実であろうと学んで来たのに、どこで付いたのだろう。

そして、癖とは具体的にどういうことを指しているのだろう。

映像を見れば自身の動きにいくつか思い当たるところはある。そういったことなのだろうか。

けれども、「成長するための過渡期なのだと思うけど、色々やりすぎているんだな。」

という帰り際に重ねて頂いた言葉を考えると、そういう「動き」だけの問題ではないような気もしてくる。

「癖」という言葉に師匠が託したものは何か。注意して下さった真意は何か。

その言葉が数日間ずっと離れなくて、考え続けていた。

 

 

招待して頂いたある演奏会 — チャイコフスキーの第六交響曲「悲愴」— を聞いている時に、突然その答えを見つけた気がする。

ああ、そうか。僕は音楽を少しだけ(ほんの少しだけ)動かせるようになったから、強引に動かそうとしていたのかもしれない。

ここはこうやる。ここでツメる、先へ送る。そして全体はこうなる。

そんなふうに、全体の見通し=フォルムを作ろうと考えて、細部まで「こう表現するぞ」と決めすぎていたのではないか。

そしてまた、昨年にレッスンで見て頂き、また本番でも指揮した「ブラジル風バッハ一番」を

昨年やった演奏、教わった事柄を実行するよう、過去を再現するかのごとく指揮していたのではないか。

おかしい、去年はもっと動いたのに今日は動かない。ならば動かしにかかろう。

そういうふうに、「いま/ここ」の流れを無視し、自らの気持ちばかりが先行して意固地になっていたのではないか。

 

 

音楽はそれでは動かない。

なぜなら、音楽は生身の人間の営みだからだ。恋愛と同じく、一方的に求めるばかりでは相手は離れて行く。共に生きなければならない。

convivialitéという言葉を思い出す。「共に生きる/楽しみを共有する」という意味を持つこの言葉は、

convive(会食者)という単語に由来する。「会食」— それはすなわち、一人が持って来た出来合いのお弁当を広げて配っていくのではない。

その場でその会のために料理されたものがテーブルを彩る。

そして、その日集まったメンバーとしか成立し得ない会話を楽しみながら、共に食卓を囲むのだ。

 

 

同じように、今日には今日の、今には今の演奏の形がある。

考えることと感じることが別物であるように、感じてくる事とその場で感じることは全く違う。

過去を再現するのではない。何度も演奏した曲であっても、その場で、新しく、無から創造するのだ。

あの日の僕は過去に生きていた。今という瞬間を無視して、死んだ音楽をしようとしていた。

 

 

「もっとリードしなきゃだめだ。笑顔でいるだけではだめなんだ」

それは六月のコンサートを終えて学んだことだったけれども、何もかもリードする必要なんてないし、出来る訳もない。

気持ちばかりが先走り、「違うんだ、違うんだ!」と満たされない思いを繰り返す。

頭の中で鳴っている形に寄せようとエネルギーを使い、夜を昼に変えることを目論むかのごとく -19世紀末のパリ!-隈無く照らし出そうとする。

そういうふうな、右へ崩れて行く波に左向きに乗って行くような真似はやめよう。欲を捨て、自然に帰れ。

色々しようと思うあまり、不自然な要素がいつしか自身の内に混入していた。

ブラジル風バッハを誰よりも愛奏した師が、「癖」というその短い言葉の内に含めたものは、こうした事ではなかったか。

 

 

演奏者は白紙じゃない。何時いかなる時においても、どうやりたいか、どう弾きたいかという意志をそれぞれ持っている。

スタートのエネルギーを与えるのは確かに指揮者の役目だ。

その後は、いま奏でられた音に潜む方向性を共有して、自然な流れに招いて/誘っていかなければならない。

表現したい要素が増えたからこそ、任せるところは上手く任せられるようになろう。その場で響いた音に柔軟であろう。

 

 

銘記せよ。ある種の自由さ、そして無から生成する躍動がなければ音楽は死ぬ。

そうした要素のことをこう言い換えても、遠く離れてはいないはずだ。

「一回性」— ヴァルター・ベンヤミンの言う「アウラ」— と。

 

 

 

 

 

生きる時間に

 

「私はたゞ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。

そして、私は私自身を発見しなければならないやうに、私の愛するものを発見しなければならないので、

私は堕ちつゞけ、そして、私は書きつゞけるであらう。」(坂口安吾『堕落論』所収「デカダン文学論」より)

 

 

夜通し書き続け、思い続けた雨の朝。

いつの間にか熱を失った風が部屋に流れてくる。

布団に大の字になって転がりながら、霞んだ目で天井を見つめながら、

小学生の時以来ずっと惹かれ続けているこの文章の意味が突然少し分かった気がした。

 

わが青春を愛する心の死に至るまで衰へざらんことを。

手を伸ばせば届く距離に秋がそっと微笑む。

 

 

 

 

 

最近の頭の中

 

卒論を書いています。

技術と芸術の触発関係に興味があったことから、卒論では「光」という技術に着目して、とりわけ「人工光」の発展が

社会にどのような影響を与えたのかを研究しています。時代は1855年から1937年のフランス、パリ。問題意識は以下の二つです。

 

1.光の発展が社会に、そこに生きる人々の感性にどのような影響を及ぼしたか。

2.「光の都 Lumiere Ville」と呼ばれるパリが、人工照明の先進的な都市としてどのように成熟していったか。

そもそもパリが欧米の他国にまして光の中心地として位置づけられて行くのはなぜか。

 

これらの答えを探るべく、ヴォルフガング・シヴェルヴシュの著作をベースとしながら、

技術と芸術の粋を示すものとしてこの時代に度々開催されたパリ万国博覧会にその理由を求めています。

1937年のパリ万博では音と水と光の芸術イベントである「光の祭典」が開かれますが、

それを光を巡るフランスの思考の画期と見て、自然光ではない光が音楽に繋がってくる様子まで描き出せればと思っています。

 

僕の所属している学科は東京大学でも唯一、卒業論文をすべてフランス語で書かなければならないところのため、

不得意な語学に汲々とする日々が続いています。外国語で書く、というのは本当に難しい。

外国語で書くと、書きたいことがぽろぽろ零れ落ちて行きます。

書けない、書けない、書けない。この連鎖に提出までずっと苦しめられ続けるのでしょう。

 

 

そういうわけで、最近の頭の中や考えていること、調べたことなどを日記風の箇条書きにして下に載せておきます。

卒論に関係ない事も沢山あって、そもそも正しいかどうかも不明な雑多な思いつきばかりですが…。

 

 

☆『ゴンクールの日記』読了。

1851年12月21日の記述の最終行が好きだ。

「夢はただ大空に子供達の目が追うために生まれ、輝き、そしてはじける。」

1867年4月15日の記述。

「あらゆる物事が一回きりのものなのだ。人生においては何事も一回しか起こらない。

かくかくの瞬間、かくかくの女性、かくかくの日に食べたうまい料理があたえてくれる肉体的な快楽はもはや二度と出会うことはない。

二度あるものは何もなく、すべて一回こっきりのことだ」

 

☆本が好きな友人と本屋でもやるか。

 

☆「コンサートをしよう、さあ場所はどうする」という発想はもちろん、

「この空間で何かしたい、さて何をやろうか」という発想からコンサートに至るのも好きだ。

 

☆結局、万国博覧会がメルクマールなのだろう。それがフランスを光の都市として印象付けた。

他にも人工照明の発達した国、都市はあったにも関わらず。では光への感性はどこから?

それを芸術に、劇場の文化に求めたい。技術としての光と芸術としての光の二面が交差してゆく。

 

☆花は何と強さを与えてくれるのだろう。トルコキキョウの花言葉は「良い語らい」。

 

☆フランス語で書くと書きたい事の2割ぐらいしか書けない。物凄いフラストレーション。

 

☆いつも謎の名言を残す友人がコーヒーに目を落としながら、

「美人は三日ぐらいじゃ飽きないけど、かまってちゃんは三日以内に飽きる…」と呟いた。何があったのかは問うまい。

 

☆集中力が切れたので駒場へ移動。単行本五冊と楽譜とMBP17を持って歩くのはちょっと辛い。

MBA11を買えば随分楽になるのだろうが、一度17インチ画面の便利さに慣れてしまうと、小さい画面には中々戻れない。

 

☆中間報告提出直前にして、卒論の章立てをガラッと変えることにした。パリ万国博覧会を前に出して光を区分する。

メルクマールを見つけて区分せよ。これは駿台でお世話になった日本史の塚原先生の言葉だったか。今もこの言葉は生きている。

 

☆暗闇のポエジー。街の一部が明るくなったからこそ、闇が際立つ。明暗のコントラストが強烈になった世界で、人は闇に想像力を膨らませる。

 

☆1867年のパリ万博の時にロッシーニが作曲したという、Hymne à Napoléon III et à son vaillant peuple を聞きながら卒論を書く。

 

☆ここでRobert Delaunayについて調べて行く必要が出てくるとは。

ロベール・ドローネーは1912年にLa lumièreという論文を書いていて、それをパウル・クレーがドイツ語に翻訳している。(Über das Lich)

 

☆さっきから左目の視力が悪いなあ、ずっと書いていて疲れたのかなあ、左右の目の視力がかなり違ってきているなら

そろそろ眼鏡作り直さないとなあ…と思って眼鏡を外して気付く。眼鏡のレンズが左目だけ落ちていた。

 

☆1925年のパリ国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)の時に、ドビュッシーの夜想曲第二番「祭」が演奏されているのは面白い。

夜想曲第一番「雲」のフルートの旋律は、ドビュッシーが1889年のパリ万国博覧会で聞いたガムラン音楽にインスピレーションを受けている。

そしてドビュッシーはこの夜想曲-Nocturnes-というタイトルについて、「印象と特別な光をめぐってこの言葉(”夜想曲”)が呼び起こす全てが含まれる。」

というような内容を述べている。Il ne s’agit donc pas de la forme habituelle de Nocturne, mais de tout ce que ce mot contient d’impressions et de lumières speciales.

特別な光とは何か。こう考えることは出来ないだろうか。夜想曲は「雲」「祭」「シレーヌ」の三曲から成るが、

「雲」においては雲の切れ目から差し込む光を、「祭」においては賑やかな人工の光や花火を、「シレーヌ」においては静謐で神秘的な月の光を…

ドビュッシーはこの三種類の「特別な光」を描いたのではないか。スコアを買ってこよう。指揮をやっているのだから、音楽をうまく絡めていかないと。

 

☆CHANELの新作のAllure Homme Sport Eau Extrêmeが好きだ。

Edition Blanche 、Bleu共に気に入って愛用していたけど、これも最高。

「ビッグウェイブサーフィンにインスピレーションを得て、スポーツで快挙を成し遂げる時に訪れる、

研ぎ澄まされた状況下での無の境地に着目。集中力がピークに達した瞬間を落とし込み、日常を超越した世界を表現した。」

惹き付けられないわけがない。ジャック・ポルジュは凄い。

 

☆メンデルゾーンのピアノ協奏曲、ハイドンのピアノ協奏曲、尾高のフルート協奏曲、グラズノフ(暫定)のヴァイオリン協奏曲…

近いうちに勉強せねばならない協奏曲が沢山で幸せだ。

 

☆ネオン灯の普及経緯について調べていたが、ネオン灯の開発者ジョルジュ・クロードは名前が格好良すぎてずるい。

ネオン灯がアメリカに広まった時にその鮮明な明るさによってliquid fireと呼ばれたというのも何だか格好よすぎてずるい。

 

☆カラムジン、プーシキン、ドストエフスキー。

 

☆遠藤酒造の渓流ひやおろしを口開け。渓流の季節物を楽しむのが毎年恒例行事。

これに合わせて、イワシの刺身をかぼすと塩で頂く。言葉にならぬほど美味。

 

☆良い波が来ているようだ。乗りたい。将来はすぐに海へ行ける距離に住みたいな。

 

☆1919年からのパリ管のプログラムを見ているけれど、とんでもなく重量級のプログラムが結構あって、聴衆も凄いなあと思わされる。

 

☆Je n’écris pas sans lumière artificielle という言葉をデリダが残していることを知った。(Le fou parle)

 

☆ガルシア・ロルカの作品が好きだ。

ロルカの「すべての国において死は結末を意味し、死が到来すると幕が下ろされる。

しかし、スペインではその時、幕が開く」という言葉の原文を読みたい。

 

☆尾高のフルート協奏曲のスコアを読み直していたら、最初のページに「percussion」という一段が用意されていることに気付く。

パーカスなんて入っていたかな、と慌てて読み直したが、最初から最後までTacetだった。

パーカッション君は降り番にしてあげませんずっとそこに立ってなさい、ということか。

 

 

 

 

 

 

インバル×都響のマーラー第1番「巨人」@みなとみらい

 

インバル×都響でマーラーの交響曲第一番を聞いてきました。

この曲はかつて生で二回聞いていて、CDでもテンシュテット×シカゴの録音などを浪人中から愛聴していました。

どこか惹かれるものがあって、継続的にスコアを読んでいる曲でもあります。

 

 

一楽章のテンポ設定は今まで聞いた中で一番しっくり来るもので、「ゆっくり」でも「じっくり」でもない落ち着いた呼吸でした。

一楽章には Langsam, Schleppend, wie ein Naturlaut -Im Anfang sehr emachlich-

(ゆっくりと、引きずるように—終始極めてのどかに—)という表記があるのですが、まさにそうした表記を反映した作り方だったと思います。

一楽章から二楽章へアタッカで行ったのはびっくり。弦の人々が物凄い勢いで譜めくりしていらっしゃいました。

二楽章では三つ振りと一つ振りを混在させた面白い振りをしていましたが、それによって長い音符は長く、動かす音符は動的に、というふうに

きちんと伸び縮みがつけられていて、Kraftig bewegtという通り「力強い動き」が感じられる作りでした。

三楽章ではコントラバスの素晴らしさもさることながら、三楽章に入ってからの音色の変化がとても鮮やかで

(ステージ上に暗い夢のような雰囲気がモヤモヤと漂っていた!)プロ奏者の凄みを改めて目の当たりにしました。

四楽章はインバルとしてはもう少し激烈に行きたい部分があったのでは、というように見えましたが、

全体を通じて見通し良く丁寧な演奏だったのではないでしょうか。

 

 

勉強させて頂いた所もたくさん。

指揮のテクニックで言うところの「分割」を出来る限り削っていけ、と師匠が折りに触れておっしゃる理由を肌で体感しました。

分割すればアンサンブルは整うかもしれないが、必然の場で上手くやらない限り、それまでに作って来た音楽の流れや音色、

音のテンションや方向性が分割によって切断されてしまう事がありえる。

 

ついついテンポや自分の問題で分割してしまいがちですが、何のために/誰のために分割するのか、ということを良く考えなければいけない。

音楽の向きや奏者が作っている音色を大切にして、流れに預ける所を預けて自由に振れるように勉強せねばなりません。

駆け出しの身にはマーラー1番は遥かに遠い曲ですが、様々な発見と共に、幸せな時間を過ごさせて頂きました。

 

瞬間を生む

 

空間と空間、時間と時間の隙間に生まれる、息を飲む一瞬。

その快楽に魅せられて僕は指揮をやっているし、サーフィンを、ボウリングを、ゴールキーパーをやり続けている。

本来は存在しないはずの「あの瞬間」を作り出すこと、あるいは時間の間に身を滑り込ませること、

そしてそれを壊すことが、好きで好きでたまらない。

 

 

白小路紗季さんのソロ・コンサート

 

約十五年ぶりに会う、小学校一年生の頃のクラスメイトである白小路紗季さんが招待して下さったソロ・コンサートに行ってきた。

つい最近まで、僕は彼女がヴァイオリニストとして活躍していることを知らなかったし、

彼女ももちろん僕が駆け出し指揮者をやっていることなんて知らなかっただろう。

会場について開演を待つ間、十五年振りに姿を見ることに何だかとても緊張した。

静まった中に入って来てスポットライトを浴びた彼女は、一年生の頃の面影や仕草を確かに残しながら、

鮮やかなドレスの似合う、美しく凛とした佇まいの大人の女性になっていた。

 

 

前半の最後に痺れる。

弓の速さ・圧の抜き。ブラームスのヴァイオリン・ソナタ三番のある箇所で、弓が一瞬宙に舞った瞬間、物凄いスピードで空間を切り抜く。

そうして響いた音は鋭いだけの音ではなく、とても中身の詰まった豊かな音だった。

 

後半も楽しみだなあ、と期待しているうちに始まったイザイの無伴奏ソナタ三番。これは本当に凄かった。

前半より集中力がさらに増しており、何かに取り憑かれたような演奏。会場の空気が彼女の振る舞いに凝縮していくのを感じた。

彼女の弓使いはまるで刀のよう。弓を目一杯使ったあと、鋭く跳ね上げて一瞬の間を作り出し、迷い無くザッと断ち切る。

空間と空間、時間と時間の隙間に生まれる、息を飲む一瞬。その一瞬から血が噴き出して鮮やかに散るような錯覚。それは美しく、壮絶だった。

三番のあとにはイザイの無伴奏五番、そのあとにサン・サーンスのワルツ・カプリース、そしてヴィエニャフスキの華麗なるポロネーズ二番が続く。

これも勢いに乗った素晴らしい演奏で、特にワルツ・カプリースの華やかな音色の変化には耳を奪われたが、頭は先程のイザイ三番の衝撃から覚めやらず。

それぐらい凄い演奏だったと思う。余韻の残る中、アンコールはモンティのチャルダーシュを遊びたっぷりに!

 

演奏後、十五年ぶりの再会を果たして色々と話し、近いうちに一緒にヴァイオリン協奏曲をやろうと約束する。

小学校一年生の頃はこんな話をするなんて考えたことも無かったね、と二人で笑いながら。

 

彼女と音楽したいな、と心から圧倒された時間だった。

コンチェルト、必ず実現させよう。また一つ目標が出来た。その日に向けて一生懸命勉強せねばならぬ。

 

向日葵が海に背を向けて咲いていた -東北で指揮して-

 

この夏に新しく出会った東北遠征オーケストラ(Commodo)と、演奏旅行に出かけていました。

慶應と武蔵野音大の方がメインのこのオーケストラ、アウェーの環境であるうえ、短い練習時間しか用意されていなかったので

どこまで仕上げることが出来るか指揮者として少し不安でしたが、みなさん最後には猛烈に練習して下さったこともあって、良く纏まりました。

今の僕に出来る限りの役目は果たせたかなと思います。

 

曲目はビゼーの「カルメン」やオリジナルのクラシックメドレー、サウンド・オブ・ミュージックのメドレーなど、全八曲。

阪神大震災を少なからず経験した身として、震災と津波の傷痕深く残るこの場所で指揮することには迷いも意義も感じていました。

(昨年も別団体から音楽による支援として指揮を打診されたのですが、まだその時期ではないだろうと思って断ったという経緯もあります。)

 

実際に現地を訪れてみると込み上げてくるものは祈りの感情で、津波の被害を受けた海岸沿いの地を静かに歩いているうちに

歩みを進めることが出来ないほど痛切な感情に襲われました。東北を回っている間に書きつけた文章の一部をここに掲載しておきます。

空は青く、雲は既に秋の軽やかさを見せていた。

海の音が迫ってくる。眼前には何もない。そう、一年前までそこにあったであろう物が何もない。

見渡す限り、無。ただ海だけがある。振り返っても背後は山まで一望できてしまう。悲痛な景色。

 

山から伸びる雲が海と繋がろうとしている。

大地はひび割れ、家であっただろう場所、線路であったはずの場所に草が生い繁る。

海から吹き付ける風に黄色が揺れる。向日葵が海に背中を向けて咲いていた。

波の音。どこまでも静かな景色、喪失の静けさ。

草地の中に残された泥まみれの上履きが残酷だった。

 

 

 

心から心へ届くように、あらん限りの祈りを。

アンコールとして演奏したyou raise me up、そしてsound of musicメドレーの

deep feelingと記された最終変奏にはとりわけそうした想いを、言葉を込めたつもりです。

全三公演、演奏した先々で涙を流しながら聞いて下さった方々が沢山いらっしゃったということを後から知りました。

音楽に何が出来るのかは今もって分からないけれども、少しでも心に届くものがあったならば…。

お聞き下さった方々、そして一緒に演奏して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

半世紀の至芸

 

この間のレッスンで見た、ブラームスの交響曲第一番三楽章、第二括弧からの師匠の振りが頭から離れない。

ある小節で、本来あるはずの場所から手が消えた。シンプルなその動きのまま、ふっと風に吹かれたかのようにワープした。

筋目の入った時間からすり抜けて、滑らかな時間へとその身を移し、時間が追いつくのを悠々と待っていた。

その動きに対応して、音があとから吸い付いてくるのが見える。リタルダンドでもパウゼでもない、フレーズの絶妙な収まりと始まり。

四小節の中での支配―非支配の関係が、基礎的な拍感に対応していた。強を支配し、弱を任せ、強のために懐を開けて待ち構える。

縛られている感覚は一切ない。モノが自然の理に従って本来辿り着くべき所にふわりと落ちるような、これ以外ありえないと思える心地よさ。

 

一小節、いや、一拍たりとも同じ振りは無いが、余剰は無い。これは削りの芸術、削りの至芸だ。

何かを付け加えるのではなく、基本の動きを徹底的に削り続け、磨き続けた結果、些細な変化が際立つ。

飾り立てるのではない。押し付けるのでもない。

磨き、削ることによって生まれる、大吟醸の香りのような豊穣な美しさだった。

 

「そういえば、指揮を教え始めて五十二年になるんだなあ。半世紀だ。」と八十六歳の師は笑って語る。

半世紀ものあいだ、一つのことを追い求め続けて生きることの難しさはどれほどか。

ましてや一本の棒と自らの身体だけで臨む、指揮という形の見えぬ芸術を。

 

その一振りに半世紀の歳月が宿る。衰えるどころか、さらに深まる削りの美。

巡り会ったからには、師が人生を賭して磨き続けるものを全身全霊で学ばねばならぬ。