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光と琵琶と石畳

 

この時期の陽が落ちて暗くなった駒場キャンパスをゆっくり歩くと、琵琶の良い香りがする。

明るい時には気付かないものだ。太陽が沈んだことで視覚以外の情報に敏感になる。

 

落ちている琵琶の実を拾い上げ、掌で転がしながら銀杏並木を歩く。

遠くから風に乗ってマーラーの交響曲第五番を練習する若々しいトランペットの音が聴こえてくる。

少し歩くと、テニスコートから楽しげな声が上がっているのに気付く。

石畳の感触を足下に感じながら、一人でゆっくりと歩く。

 

歩きながら考える。

昼間、卒業論文を執筆している後輩と議論したヴルーベリの「貝殻」とアール・ヌーヴォーの関係。

先程の小林康夫大先生の授業で議論した「静物画」の問題。

シャルダンとセザンヌの静物画。静物画とは何なのか。

人工物と自然物(ただし、自然から切り離された自然物として)の組み合わせがもたらす秩序。

絵画は現実世界にある秩序を描くのではなく、絵画が秩序を与えるのか。

絵画だけが実現可能な微細なordreを生み出す喜び。

絵画から転じて、僕の研究テーマである光の問題に引きつけた時に何を言い得るか…。

 

明るすぎない電灯が等間隔に取り付けられた銀杏並木を端から端まで歩き、空を見上げて立ち止まる。

たぶん、僕はいま、幸せだ。

 

 

シベリウスの七番

 

 

ご縁を頂き、来年の夏にオール・シベリウス・プログラムを指揮することになりました。

シベリウスの交響曲、しかも「第七番」という、技術的にも精神的にも非常な深みを要する曲を指揮するのは容易なことではありませんが、

この一年間で目指すべき目標を頂 いたと思って精一杯勉強したいと思います。

 

お話を伺う限り、このオーケストラはシベリウス七番をやってみたい!という情熱から立ち上げられた一発オーケストラのようです。

http://orchestraaffettuoso.wix.com/orchestra-affettuoso

まだ立ち上がったばかりで明確なコンセプトや展望などは見えていない状況で、また僕自身シベリウスを未だほとんど取り上げた事がないために、

お話を頂いてかなり悩みましたが、主催の方のシベリウスに対する情熱を伺って深く心動かされました。

 

国内には、シベリウスを専門にしていらっしゃる素晴らしいオーケストラ「アイノラ交響楽団」さんがいらっしゃいますから、

シベリウスの音楽がいったいどういうものなのか、演奏経験豊富な先達の方々からお話を伺いながら、僕としても一から勉強させて頂く気持ちでいます。

関わらせて頂く事になったからには少しでも素敵な音楽にしたい。

 

 

Mais pas si bien. 

 

二十六歳になってしまいました。

なって「しまった」とこんなに強く感じるのは、二十六歳が初めてのように思います。

何か一つの世代が終わったような。もう戻れないところに来てしまったような。そういう遠さ。

そう思わせるのは、自分の精神的・肉体的な変化はもちろんの事ながら周りの環境の変化によるものが大きいのでしょう。

中高時代の同期や先輩は続々と結婚し始めました。大学で親しくしていた同期はもちろん、後輩たちも就職してまた新しい道へと歩き始めました。

 

その中で僕はというと、一年生のころと同じく駒場キャンパスにたたずみ、相変わらず孤独に楽譜と向き合い、指揮することの難しさに直面する日々。

多数を占める流れから置いて行かれたような気持ちを覚えるのは確かです。これで良いのかな?と自問自答することも無い訳ではありません。

けれども静かに振り返ってみれば、そうした日々は、これ以上無いほど贅沢で、刺激的な時間でもあることに気付くのです。

 

二十六歳。

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ九番」、奇跡のような八分の十一拍子のフーガを勉強しながら

この何とも言い表しがたい年齢を迎えるにあたって頭に浮かんだのは、もう何度も引用しているジャンケレヴィッチの文章です。

『第一哲学』最後を締めるあの文章。

 

On peut, apres tout, vivre sans le je-ne-sais-quoi, comme on peut vivre sans philosophie, sans musique, sans joie et sans amour.

Mais pas si bien.

結局のところ、この<何だかわからないもの>が無くても生きていける。哲学や、音楽や、喜びや、愛が無くても生きていけるように。

だけどそれじゃつまらない。

 

Mais pas si bien. 曖昧な言葉かもしれないけれど、僕にとってはその気持ちが全てなのかもしれません。

敢えて長く書く事はしません。この言葉の強度を信じて、ある種の「遠さ」を引き受けながらも、

今年もまたストイックなエピキュリアンとして歩き続けようと思います。

 

 

二十五歳の最後には、お世話になっている近所のお店で特大のぶりかまを頂きました。

日々を一緒に過ごして下さった人に心からの感謝を。この一年、また沢山の忘れ難い日々がありますように。

 

 

 

 

 

珈琲とバルザック

 

もう六年ぐらいお世話になっている珈琲屋さんから、また新しい豆とアイスコーヒーが届いた。

さっそくパナマのストレートを集中して淹れる。浅煎りの豆でこんなに美味しいと思えるものには滅多に出会わない。

クッキーのような軽やかな香ばしさ、果実と蜂蜜の合わさったような心地よい酸味と甘さ。膨らんですっと抜けて行きつつも長く残る余韻。

この珈琲に、この珈琲を煎るマスターに(まさに「職人」)巡り会うことが出来ただけで浪人していて良かったと思えるほどに、無くてはならないものの一つ。

 

ぼんやりと考えていて、珈琲といえばバルザックだ、と思い出す。

「精神の緊張」を求めたバルザックは夜中にとんでもない量の珈琲を飲んでいたらしい。

それは三種類の豆のオリジナルブレンドだったという話もあるし、デミタスカップで一日に五十杯ぐらい飲んでいたらしいという話も残されていて、

彼の手による『近代興奮剤考』の中にもこんなことが書いてある。

「(珈琲によって)神経叢が燃え上がり、炎を上げ、その火花を脳まで送り込む。するとすべてが動き出す。戦場におけるナポレオン軍の大隊のように観念が走り回り、戦闘開始だ。記憶が軍旗を振りかざし、突撃歩でやってくる。比喩の軽騎兵がギャロップで展開する。論理の砲兵が輸送隊と弾薬入れを持って駆けつける。機智に富んだ言葉が狙撃兵としてやってくる。登場人物が立ち上がる。紙はインクに覆われる。というのも、戦闘が黒い火薬に始まりそして終わるのと同じく、徹夜仕事も黒い液体の奔流に始まりそして終わるからだ。」

 

それは幾らなんでも言い過ぎではと思わないでもないが、とにかく珈琲に普通ではない興味を持っていたことが伺えるだろう。

『近代興奮剤考』はこの部分しか知らなかったので、この機会に珈琲に関するところを原典で読んでみようと思い立ち

パブリックドメインで公開されているものをダウンロードしてみた。(便利な時代だ!)

そうすると実に強烈なバルザックの「珈琲論」が展開されていて驚く。たとえばロッシーニが

 

« Le café, m’a-t-il dit, est une affaire de quinze ou vingt jours;le temps fort heureusement de faire un opéra.»

(「コーヒーが効くのは二週間から二十日ぐらいで、それは有り難いことに、オペラを一つ仕上げるのにちょうど良い期間だ。」)

 

と言っているのに続けて«Le fait est vrai. Mais, »(「その通りだ。でも…」)と更なる珈琲の活用法や効かせ方があることが力説されていったりする。

おいおい、と突っ込まざるを得なかったのは

Enfin, j’ai découvert une horrible et cruelle méthode, que je ne conseille qu’aux hommes d’une excessive vigueur [...]

Il s’agit de l’emploi du café moulu, foulé, froid et anhydre (mot chimique qui signifie peu d’eau ou sans eau) pris à jeun. Ce café tombe dans votre estomac..

 

という箇所。適当に、そしてバルザックの得意気な顔が浮かぶように敢えて関西弁で意訳するなら

 

「とんでもない効き目の淹れ方見つけたったから書くけど、これ健康な人以外にはおすすめ出来へん。

重要なのは挽いた珈琲使うことで、そしてそれを少量の水か無水に近い状態で空きっ腹に流し込む!どや、これ胃にむっちゃ効くで。」

 

という感じだろうか。こんな飲み方をしたらそれは「精神の緊張」どころか「生命の危機」になるように思うのだが、

あの美しい『谷間の百合』を書いている裏でこんなことを考えていたのかと想像すると何だか笑えてくる。

 

相当に面白かったので辞書を引き引き最後まで原典で読んでいるうち、いつの間にか陽は落ちて夕方に。

波が寄せるような風の音、ひっそり降りはじめた柔らかい雨。

もう一杯珈琲を淹れようかなと机を離れ、あと数日で自分の二十五歳が終わることに気付いて笑う。

そんな五月の日曜日。

 

 

 

教えることと教わること

 

四月の終わりから、未熟な身であるにも関わらず、師匠に代わって大学生の学生指揮者のレッスンをさせて頂いている。

レッスンというより伝えることを通して自分も教わっているようなもの。

そうして自分自身学んでいけ、そして基礎に忠実であれ、基礎の大切さを教えるうちに痛感せよ。

そういうメッセージを師匠から頂いたと思って、僕に出来る限りのことをやろうと試みている。

 

昨夜はその学生指揮者の女性が今度振るという吹奏楽曲をレッスンさせて頂いた。

師匠の椅子に座って、その子が振るのを見ながら、言葉だけではなく「そこはそうじゃなくて」と代わりに振ってみせることを何度もした。

レッスンが終わってからその子が、「音の変わりように鳥肌が立ちました…。」と言って下さった。

そこまでガラリと音が変わったのは奏者の方が協力して下さったからこそだが、それでも僕にはその言葉がとても嬉しかったのだ。

 

僕は指揮を習い始めて以来、師匠が自分に代わって振って下さるのを見て・聞いて、数えきれないほど感動した。(今もそうだ)

そしてそのことが、僕を「指揮」という営みにのめりこませていった。

何だか分からない、自分では音を鳴らさない棒の一閃が明らかに音を変える。

それまでニコニコしていた人の身体からエネルギーが湧き上がり、その場に「何か」を生成させる。

息を呑み、言葉を失い、痺れるほかない驚異の瞬間!

 

もちろん、僕には師匠のような次元でその変化を見せることは到底出来ないのだけれど、「指揮してみせる」という同じやり方で

僕が師匠から頂いた感動のほんの僅かでも彼女に伝わったとすれば、それは本当に幸せなことだろう。

だから改めて思ったのだ。この先生のもとで指揮を学んでいて良かった。

行き詰まることも行き違うこともあるけれど、これからも必ず学び続けよう。

自らの棒にすべての原因を求めることは精神的に過酷だが、その厳しさを引き受けよう。

 

気付いてみれば東京の他でも指揮する機会を今年も頂き、2014年には海外で指揮する機会も頂いた。

焦らず学び続けていれば機会はやってくる。

言葉にしがたい驚異の瞬間を何度も何度も味わいたいし、少しでも与えられるようになりたいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Partout dans l'air court un parfum subtil.

 

昨夜ドビュッシーを振ってみて、もう本当に言葉にならないほど幸せな気持ちになった。

風を操っているような感覚。夢の中でもずっと「小舟にて」のフルートが水面に反射していた。

 

ドビュッシーを勉強するのは楽しい。

学問上専門にしているフランスものだから、ということもあるけれど、ポエジー、としか表現の出来ないものに強烈に惹き付けられる。

「小組曲」の第一曲目「小舟にて」第二曲目「行列」にインスピレーションを与えたとされるヴェルレーヌの詩集を参照すれば、「小舟にて」の詩の美しさに感動する。

Cependant la lune se lève/Et l’esquif en sa course brève/File gaîment sur l’eau qui rêve.

小舟は昼間に走らない。描かれているのは、月明かりの中、金星が映る、空より暗い水面をゆく小舟。

 

第三曲目「メヌエット」はヴェルレーヌではなく、同名のバンヴィルの詩集が踏まえられていて

バンヴィルの詩を用いてドビュッシーがかつて書いた歌曲「艶なる宴」のメロディを転用したもの。

Partout dans l’air court un parfum subtil.(「空にあるものは全て、幽かな香りを漂わせる」)

というドビュッシーの世界を凝縮したようなバンヴィルの一節はこのメロディに当たるのかと納得。

そして「艶なる宴」について考えて行くと、やはりヴァトーの絵にまで行き着く。

音楽から詩へ、詩から絵画へ。比較芸術の研究と指揮の勉強が重なりあう幸せな瞬間…。

 

そういうヴェルレーヌの空間を過ごし、今日は朝から授業でミシェル・ドゥギーのボードレール論を原典購読する授業。

もちろんボードレールを(「悪の華」を)折りに触れて参照しながら読むわけだけど、そこにはヴェルレーヌと全然違う世界がある。

駒場をもうすぐ去られる大先生のインスピレーションに満ちた「読み」が凄すぎて、鳥肌が立った。

pietàとpieuse、「悪の華」のあの「無名」の100番目の詩の21行目から、ミケランジェロのピエタ像とのコントラストを用いて

「逆転したピエタ」と表現してしまう、あの煌めくような読みを、他の誰が出来るだろうか!

 

 

豊かなイマージュの世界に音楽と学問で遊べる幸せ。今年も充実したゴールデンウィークを過ごしている。

 

次の景色へ。

 

三年越しのリベンジを果たした。

一番大切にしていたものを失ったし、捨てざるを得なかったものも沢山あったけれど、

三年前の自分の選択は、この三年間の日々は間違ってはいなかった。

 

三年前と同じく、風の強い春の一日だった。

飛び込んで、飛び越えて、これが一つの区切りになるだろう。

もう同じ地平にいてはいけないし、いることも出来ない。

見晴らしが変わることを恐れず先に進んでいく。

 

 

追悼

 

いつもお世話になっている小さなお店に、遅い夕食を頂きに行った。

落ち着いて楽しげな雰囲気の店内、遅い時間には若手に任せる大将が珍しく厨房に立つ。

カウンターに飾られた花は白と薄紫。間接照明が柔らかく当たった奥のテーブルに

綺麗に揃えられて手つかずのままのお料理とお酒が並べられている。

そこに人がいた形跡は無いし、人が戻ってくる気配もない。

そうか、と気付く。厨房に一人足りない。なんと厳かで、温かい追悼のかたち。

今までありがとうございました。どうか安らかに。
 

強度、未完成であること。

 

手当たり次第に読んでいるうちに、がつんと頭を殴られるぐらいの衝撃を受ける言葉に時折出会うことがあるけれど、今晩もまたそういう体験をした。

死の二年前のボードレールが、世に受け入れられぬことを嘆く三十三歳の友人マネに宛てて送った手紙の一節。

「いったい君はシャトーブリアンよりも、ワグナーよりも天才だとでもいうのか。ところが彼らだって存分に嘲弄されたではないか。彼らはそれがもとで死にはしなかった。

また、君に慢心を吹き込みすぎない為に付け加えて言いたいのは、この人たちは、それぞれ自分の領域において、しかもきわめて豊かな一世界の中で、それぞれ亀鑑なのであり、

これに対して君は、君の藝術の老衰の中での第一人者に過ぎぬ、ということだ。」

Avez-vous plus de génie que Chateaubriand et que Wagner ? On s’est bien moqué d’eux cependant ?  Ils n’en sont pas morts.

Et pour ne pas vous inspirer trop d’orgueil, je vous dirai que ces hommes sont des modèles, chacun dans son genre, et dans un monde très riche et que vous,

vous n’êtes que le premier dans la décrépitude de votre art. Réponse de Baudelaire à Manet Mai 1865.

 

君は、君の藝術の老衰の中での第一人者に過ぎぬ。凄まじい言葉だ。

八十八歳を迎える指揮の師が、指揮=音楽はいつも「未完成」で、「前よりも良く」という追求の仕方しか無いのだと語ったことを思い出す。

 

 

 

 

回帰と決意

 

大学院に進学して、最初の半年間はボードレールを集中的に勉強しようと思っている。

卒業論文で十九世紀の感性史を扱って以来、ボードレールの及ぼした影響力というのが強烈であることを実感したし、結局のところ十九世紀後半の芸術は

何をやっていても(今レッスンで振っているドヴォルザークの九番「新世界より」を勉強していも!)ボードレールの影がどこかに現れてくることが分かった。

 

そういう思いで阿部良雄『群集の中の芸術家 -ボードレールと19世紀フランス絵画-』(中央公論社)を読み進めていたら、懐かしい絵に巡り会う。

ドラクロワの「シュヴィッテル男爵の肖像」。

右も左も分からぬ大学一年生の四月、最初の授業であった「基礎演習」でスーツに関する表象文化史に取り組んでいたころ出会った絵だ。

はからずも大学院一年生の四月にまたこの絵に出会った事には、不思議なものを感じずにはいられない。

コンテクストは違えど、五年という時間の中で自分の興味関心が一巡りしたのだろうか。

そして、同時に、種々の関心の底にあった関心(それはたぶん、「モデルヌ」の雰囲気への興味だ)が浮き上がって来た気がする。

 

 

それにしてもこの本は面白い。

「立ち居振る舞いの驚嘆すべき確実さとのびやかさ、それに加えて、この上もなくあたたかな人の好さから、まったく非の打ち所のない慇懃無礼に至るまで、

まるでプリズムのようにあらゆるニュアンスを使い分ける行儀の良さ」を獲得していたドラクロワに、ボードレールは憧れとダンディスムの理想を抱いていたという。

『現代生活の画家』に見られるように、ボードレールにとって

「ダンディスムとは、思慮の浅い多くの人々が思っているらしいような、身だしなみや、物質的な優雅を度外れに追求する心というのともまた違う。

そうしたものは、完璧なダンディにとっては、自分の精神の貴族的な優越性の一つの象徴にすぎない。」

のであり、情熱的で激しやすい魂を内に秘めながら、いかなる場合にも決して節度を失うことのない自己規律と自己統御、

いわば「精神的ダンディスム」であったという。

 

この言葉で言い表されるものは、現代においても「表現」に携わる者にとって極めて重要だろう。

少なくとも指揮を学んでいる身には、これほどまでに的確な言葉は無いのではとも思える。

かつては楽譜や音楽から感情を感じることが難しかったが、今は違う。

感情が湧き上がってきて、そこに飲み込まれてしまいそうになることがある。

そういう時に師は決まって「やりすぎだ」と指摘するように、感情に突き動かされながらも、しかし没入してはだめなのだ。

節度を失うことのない自己規律、三人称の視点をどこかに持つこと。

「精神的ダンディスム」という言葉は、こうした情熱と冷静のバランスのあり方を的確に表現しているように思われて、今の僕には鋭く響く。

 

 

四月、大学院生としての生活が始まる。

「学究の道はたいへんなことも多いものですが、険しい道をのぼった分だけ眺めの良い高みに到達することができます。」

そんな素敵な言葉を下さる学問上の師にも巡り会えた。指揮の師が文字通り命の炎を燃やして伝えて下さることも全身全霊で吸収せねばならない。

音楽と学問の間を彷徨う日々、とはもう言わないようにしよう。音楽と学問の間を往来し、触発できるように。

高邁な怠惰、精神を緊張させた日々の中で、精神的ダンディスムを少しでも獲得できるような一年にしたい。