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橋を架ける。

 

師に代わって門下の新入生の方々を教えさせて頂いている。

師匠から託された門下生は四人になった。

僕に何が出来るのか?責任の重さと自らの未熟すぎる立場に躊躇することもあるけれど、

少しでも師の言葉に応えることができるよう、一人一人丁寧に、今の僕に出来る限りのことをお伝えしたい。

 

教えさせて頂くことで自らの動きについてもより意識的になる。

教えることは我が身を振り返ることであり、我が身を正すことに繋がる。

師匠が言外に秘めたであろう、こうしたメッセージをしっかりと活かしていかねばならぬ。

そして同時に、教えることは自分が振れることと必ずしも一致しないのは勿論、独特の思考を要求されることが分かってきた。

はみ出しを整えていったり、はみ出しから新たな形を創造したり、あるいは横たわる差異に橋を架けたり。

師が僕に今まで下さった言葉は、そういう複雑な思考の結晶だったのだ、と気付かされる。

 

学生指揮者を務めている女性が昨夜のレッスンに持ってきた吹奏楽曲、「天空への挑戦」。

こっそりと彼女に負けないぐらい勉強しておいたので、譜面も背景もほとんど頭に入っている。

ここはこうだよ、と師の椅子に座って教えさせて頂きながら、壁一枚隔てたところで穏やかに座っていらっしゃる師匠を思った。

中学校の吹奏楽指導へご一緒させて頂いたときの師の姿を、棒ひとつで中学生たちの音を見違えるように高めてしまう師の姿を重ねながら。

不意に涙が溢れそうになる。湧き上がる感情に飲み込まれないように、四分の五拍子を振った。

 

 

 

 

近況コラージュ

 

「青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである」

ヴァレリーらしき一節。はじめてこの文章を知ったのは高校生の頃だっただろうか。

ふとしたことから十年ぶりに巡りあって、原文を見つけようと試みている。

 

20世紀絵画論の講義。CompositionとExpressionをめぐる思考。分析的キュビズム。角度の問題。キュビズムにおける「楽器」の表象。

河本真理さんの名著『切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史』に刺激を受けて、「コラージュ」という概念についてしばらく考えている。

 

副委員長として所属している委員会の三役で交わすメールのやり取りが凄く好き。

素早い返信で事務的な連絡をしっかり抑えながら、そこに添えられた時候の挨拶や末尾の一言が温かく、遊びがある。

ロシア・ドイツ・フランスとそれぞれ対象とするエリアが違うのもやり取りを豊かにしていて良いなと思う。

 

レッスンで「第九」を全楽章見て頂いた。休学していたとき、ベートーヴェンの交響曲を一番から教わっていったのだけど

「第九」だけは「君には早すぎる」ということで見て頂けなかった。あれから二年経っても、もちろん僕には巨大すぎる曲だと思う。

自らの小ささを痛感しながらも、二年前と見える景色が変わったのは事実だ。

何より、これでベートーヴェンの交響曲を全て師匠に見て頂けたことが幸せでならない。

 

第九についてもう少し。ベートーヴェンの第九の三楽章を師匠に見て頂くということは、僕の一つの夢だった。

ベートーヴェンの書いた至高のアダージョ、一切の重力から解き放たれたような天空の音楽。

なぜか分からないが、これを聴いて・振っていると、悲しくもないのに涙が溢れてくるのを止めることが出来ない。

僕が振ったのち、「君がこの曲を好きなことは良く分かる、でもこの曲はそんなものじゃないぞ」という言葉とともに、

おもむろに数小節だけ振って見せて下さった88歳の師匠。

その極限まで切り詰められた動きの中から溢れ出る音楽の自然さ。

それはたった数小節のことだったかもしれないけれど、その数秒のことを一生忘れることは無いだろう。

推進力を持ちながらもどこまでも澄み切った歌だった…。

 

 

 

霜葉は二月の花より紅なり

 

京都に旅行に出かけた友人が紅葉の美しさについて触れた文章を読んで、「霜葉は二月の花より紅なり」(霜葉紅於二月花)という一節を思い出す。

この一節がある漢詩の最終行であることは知っていたのだけど、全体を知らなかったのでこの機会に覚えることにした。

晩唐の詩人、杜牧の「山行」という七言絶句だ。以下横書きで引用しておこう。

 

遠上寒山石径斜

白雲生処有人家

停車坐愛楓林晩

霜葉紅於二月花

 

やはり最終行の鮮やかさに惹き付けられる。

それはただ、扱われている内容が鮮やかなだけではない。

それまでの行で描いてきた目と心の動きから一気に重心が舞い上がるような鮮やかさだ。

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ2013年度演奏会

 

11月30日(土)16時半より、コマバ・メモリアル・チェ ロオーケストラの2013年演奏会を行います。

今年度はプロデューサー役を務めさせて頂いている丸ノ内KITTE-IMTの室内楽企画<Music & Science>の第四回演奏会という位置づけで、インターメディアテクという博物館で演奏いたします。

(ですので、今年は駒場祭では演奏致しません…たくさんのお問い合わせを頂きありがとうございました。駒場では、来年に大きなコンサートを企画できたらなと思っています。)

 

会場は博物館のため、お席の準備がない立ち見のコンサートとなりますが、事前予約不要・入場無料ですので、展示物をご覧になりつつお気軽にお楽しみ頂けましたら幸いです。

博物館自体がとても面白い空間ですし、どの曲も一度耳にすると忘れられない印象的な曲ばかりです。

チェロ・オーケストラも設立から三年目を迎えましたが、また今年も同じ曲を、同じ時期に演奏できるのは本当に嬉しいことだと思っています。

チェロオケを聞きに来て下さった方や、これまでに指揮させて頂いた様々なオーケストラからも「参加したい」というお声を頂き、今年はなんと十五人のチェリストが集まりました。

愛してやまないヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」の限りない魅力を、そしてチェロ15本の豊かな響きを、きっと堪能していただけると思います。

ゲストにはフルートの北畠奈緒さんをお迎え致しました。心の通う奏者たちと魂込めて演奏しますので、どうぞお立ち寄り下さい。

 

2013年11月30日(土)

16時半開演〜17時半終演予定(16時10分ごろよりロビーコンサートあり)

場所:丸ノ内KITTE 2F インターメディアテク(東京駅丸ノ内南口より徒歩2分)

曲目:クレンゲル「讃歌」/ロジャース「全ての山に登れ」/ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ五番&一番」

演奏:コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ2013

フルート:北畠奈緒

指揮:木許裕介

http://www.intermediatheque.jp/ja/schedule/view/id/IMT0014

 

「全ての山に登れ」を除いてチェロ・アンサンブルのために書かれた曲ばかり。

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」や「五番」は、太陽に抱かれるような豊かさを持ち、森の奥でそよぐように神秘的で、乾いた大地で踊るように荒々しく、

そして同時に、大らかで切なく、憧れに満ちて力強い音楽です。(師の演奏に接して以来、僕のいちばん好きな曲のひとつです。何度演奏しても新しい!)

クレンゲルの「讃歌」は十二人以上チェリストが集まらないと演奏できない曲で、我々の憧れの曲でした。

ひとりずつ静かに積み重なっていく冒頭から、祈りと喜びに満ちあふれたコーダまで本当に美しい曲です。

「全ての山に登れ」は「サウンド・オブ・ミュー ジック」の中の音楽で、きっと一度は耳にされたことがあるのではないかと思います。

いままで何度もオーケストラで演奏してきましたが、何度演奏しても心の底からじんわり泣きそうになってしまう名曲です。

チェロ・アンサンブルで演奏するとどんな響きがするのかご期待ください。

 

 

秋と冬のあいだ。

 

久しぶりの更新になってしまいましたが、元気に過ごしています。

水曜日にレッスンで「第九」、木曜日にチェロオケでブラジル風バッハ、金曜日ふたたびレッスンで第九、

土曜日の朝から夕方までオーケストラ・アフェットゥオーソでシベリウス七番、大急ぎで移動してUUUオーケストラで「運命」とプロコフィエフのピアノ協奏曲三番を指揮する、

という激しい一週間を過ごしていました。

 

さすがに日曜日は疲れでぐったりしていたのだけれど、夜に伺った友人のフルーティストのデュオ・コンサートが素晴らしくて一気に回復!

「うまい」なんて言葉では到底表せない、技術を超えた何かが確実に宿っていて、心底感動してしまいました。(コンサートの感想は別途書きたいと思っています)

彼女とは年内にあと二回も本番で共演する機会があるのですが、あの素晴らしい音色で目一杯歌って頂けるような棒を振れるようになりたいと気合いが入りました。

 

というわけで物凄いやる気に満ちて月曜日スタート。年末本番のレスピーギの「第三組曲」とタルティーニのトランペット協奏曲の譜読みにかかります。

もともとコンチェルトを聞くのも演奏するのも大好きなのですが(コンチェルト、もっと振りたい!)トランペット協奏曲ははじめてなので、いっそう楽しみ。

大好きなレスピーギをまた今年も演奏できることも幸せです。

ランボーの「既に秋だ!」をつぶやくまでもなく、いつの間にか冬の気配が訪れてしまいましたが、焦ることなく、頂いた機会を一つずつ丁寧に積み重ねていきたいと思います。

 

「週刊読書人」11月8日号に書評を掲載頂きました。

 

「週刊読書人」11月8日号に小宮正安さま『音楽史 影の仕掛人』(春秋社)の書評を掲載頂きました。

まだ修士の身分にも関わらず、このような機会を下さった読書人さまに心から感謝いたします。

 

『音楽史 影の仕掛人』はいわゆる「音楽史-西洋音楽史」で扱われる作曲家の背景にいた人々を描いたものです。

扱われる25人それぞれがそれぞれに魅力的で、また独特な関わり方をしているので、包括的に記述することはなかなか難しかったのですが、

「楽譜の流通」「演奏するための空間の整備」「演奏の担い手の存在」という三点に注目して書かせていただきました。

このスリリングな本の魅力を少しでもお伝えすることができましたら幸いです。ご笑覧ください。

http://www.dokushojin.co.jp/backnumber/2013%E5%B9%B411%E6%9C%8808%E6%97%A5

合宿にて。

 

UUUオーケストラの初回練習&合宿を終えました。

一日目、宿に到着すぐからひたすら分奏&合奏。自己紹介を兼ねたSound of Musicメドレー合奏にはじまり、

夜は自由参加で初見大会&記憶だけを頼りにした楽譜無しアンサンブルを朝3時すぎまで。アルルの女、カルメン、チャイ コフスキーの五番、新世界…

深夜だけでいったい何曲やったのか分かりません。

 

二日目も朝から合奏。

運命とプロコフィエフのピアノ協奏曲第三番を除いて、今回演奏する曲を通して演奏してみました。

初回練習かつ人数が揃っ ている練習であったため、とりあえず合わせてみることから初め、今回演奏する曲の構成や作り方の大枠を提示して共有して頂くことを二日間通じて心がけした。

今後のことを考えて、どこをどういうふうに練習すれば良いのか、どこがどういうイメージであるのかを重点的にお話しさせて頂いたつもりです。

 

思ったことを書き始めるとキリが無いので書きませんが、音楽-アンサンブルは「再現」ではなく「生成」であるということを改めて強く感じました。

指揮者と奏者がそれぞれのエネルギーを放出しながら、目に見えないアンテナを立てて触発しあう一回限りの営み。

弾き慣れているとかリハーサルをたくさん重ねたと か、そんな事実を超えたものとして大切なことがあって、緊張感と集中力を高めた状態で演奏したときの音は明らかに違います。

たとえば「運命」のような曲に はその変化が残酷なほど出てしまうし、指揮する僕は勿論のこと,奏者全員の精神が集まって行かないと音楽にならない。

そして当然ながら、奏者の精神を集められなかった責任もやはり指揮者の責任だと思うべきでしょう。

あそこでああ進めなければ良かった、と思い返せば後悔もあり、自らの精神力の未熟さを実感するばかりです。

「運命」は精神的に難しいんだよと師 が語っていた理由を肌で実感しました。

(そういう意味では、運命一楽章の初振り下ろしで響いた音は凄く良い音だったと思います。ホルンが素晴らしかっ た!!)

ともあれ、初回練習にしては充実しすぎるぐらい充実した二日間になったと思います。

ハードな二日間お疲れさまでした。変拍子の複雑なトリプティークやリズ ムの難しい「三つのジャポニスム」を一発で通すことが出来たのは、

皆さんが一生懸命練習して下さって、初合奏にも関わらずしっかりと棒について来て下さったおかげです。

また新しく素敵な奏者の方々に出会えたことも幸せでしたし、今まで一緒に演奏したことのあるメンバーと再び演奏出来ることも嬉しいことでした。

僕が指揮し始めた当時は高校一年生だった彼と、こうやって一緒に演奏できる日がやってこようとは!

 

渇いていなければならない

 

書かなければいけないものがあるときに限って、別のものが書けてしまったり、普段良く聞き取れない音が聞こえるようになるのはなぜだろう。

他のものを書きながら、聞きながら、書くべきものがふとした拍子に降りてくるのをひたすらに待つ。

珈琲を淹れて、夜中の町を闇雲に歩き、原稿用紙の升目を無視して意味のない言葉を書き連ね、懐かしい写真を見返す。

陽が登ったらおしまいだ。一端眠りにつくしかない。それを繰り返す。

 

身を切り刻むような時間。

欲しい言葉が振ってくるのは、いつもそのあとだ。それはただ美しい言葉ではなく、巧い文章でもない。

孤独の時間を経由しなければ書けない、何かしらの「強度」を持った言葉。

渇きから生まれる強さ。

 

 

 

 

 

夜明けの断章

 

夏の終わり、秋の始まり。

そういう時期の明け方に譜読みをしているのが好きだ。

真っ暗だった外は深い青へと変わり、青の様子が次第に薄く移ろってゆく。

一目見た限りでは音符の羅列でしかない「楽譜」が「音楽」に変わり、音符に込められた言葉の意味が次第に見えてくる。

それが正しいかどうかなんて僕には分からない。

けれども、何かが見えてくるまで、その瞬間の快楽が訪れるまで楽譜と向き合い続ける。

 

 

ドイツに留学している友人が更新したばかりのブログを読んでしばらく休憩。

彼女の文章を読むと、僕はこの国にいつまでいるのだろうと考えずにはいられない。

今から七年先、2020年の東京オリンピックのとき、僕はどこで、誰と何をしているのだろう。

七年前の僕は浪人生だった。十九歳だった頃の自分は、七年後の自分がこうして過ごしていることなんて予想もしなかった。

同様に今から七年後の自分、三十三歳になった自分を想像する事はやっぱり出来ない。

けれども七年前と決定的に違うのは、七年後も必ず関わっていたいと思うものを見つけたことだ。

 

指揮。この限りなき魅力に溢れた芸術に。

 

秋の気配を感じる三日

 

<9月3日>

今日は用事で武蔵野音大にお邪魔しました。武蔵野音大の知り合いは多いのに、校舎に潜入するのははじめて。

「のだめカンタービレ」のモデルになった大学として、見覚えのある場所が沢山ありました。

色々なオーケストラで出会って一緒に演奏して下さった事のある方たちがわざわざ会いに来て下さって嬉しかったし、

廊下で大好きな二人のトランぺッターにばったり会えたのも幸せでした。

聞けば、授業やレッスンの僅かな合間を縫って来て下さったとのこと…皆さん本当にありがとうございます。

 

解散してから、近くの知る人ぞ知る珈琲屋さんでチャイコフスキー五番の譜読みに集中。

カップを選ばせて下さったので、大ぶりのものを失礼して一時間半ほどゆっくりと。

店内にはシューマンとグリーグのピアノ協奏曲が流れていて、珈琲はもちろん、デザートに無料で頂ける珈琲ゼリーが絶品でした。

池袋でいつもお 世話になっていた珈琲茶房というカフェが閉店してしまってから落ち着ける場所が無かったのですが、ようやく巡り会えた気がします。

そのあと3日・4日とかけてチャイコフスキーの五番をレッスンで全楽章通して見て頂き、燃え尽きて眠りに落ちる日々。

二ヶ月ずっと取り組んだチャイコフスキー五番からは沢山の学びがありました。演奏出来る日がいつかやって来ますように…。

来週からは、月末のリハーサルに備えて、改めてベートーヴェンの五番をレッスンに持って行きます。

運命を振るのは一年ぶり。当たり前だけど、スコアの見え方は一年前と随分違います。この凝縮度をどこまで棒で表現出来るかな。

 

 

<9月5日>

京都の美術系出版社で編集者をしている友人が東京に来たので、美術系の知り合いを招いて我が家で突発的飲み会を開催しました。

一枚の絵の名前を挙げた時、そこにいる人全員に共通の一枚のイメージが浮かぶのはとても楽しいことです。

フランス文化史×ベルギー象徴主義×アメリカ現代美術×ロシア絵画×観相学…マネからドガへ、デュシャン、クノップフ、ヴルーベリ。

絵画から詩へ、音楽と文学へ。時にCDをかけながら、本棚に並んだ本を引き抜きながら、心地よい酔いと共に語る時間でした。

それは容易ではないけれど、「徹底した史料批判の精神と飛翔する想像力の矛盾なき総合」を目指してゆっくりと歩いてきたい。

 

 

<9月6日>

とある書評の原稿依頼を頂き、嬉しさに飛び上がりました。

まだ修士課程の僕には身に余るほどのお話。日頃の恩返しが出来るよう、精一杯書かせて頂きます。

そして音楽の方でも嬉しいお話…コマバ・メモリアル・チェロオーケストラの2013年度公演の日程と場所が確定しました!

 

日時:2013年11月30日(土)16時30分開演

於:丸ノ内KITTE内、IMT(インターメディアテク)

演奏:コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ

指揮:木許裕介

 

今年もまた、ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」をメインプログラムに据えて、気心の知れたチェリストたちと演奏します。

昨年までは8人〜9人のチェリストたちと演奏していましたが、今年はいよいよ、12人のチェリストたちとこの曲を演奏する事になりました。

12人のチェリストの予定を合わせるのはある意味で演奏以上にヴィルトゥオーソな作業になるため、相当に大変なものがあります。

しかしそれを全く苦に感じないのは、「好きだから」ということに尽きるのでしょう。

まだリハーサルもはじまっていませんが、今年もきっと良いコンサートになると思います。

 

この「ブラジル風バッハ一番」を演奏して三年目になります。

師にとっても僕にとってもいちばん大切な曲の一つを毎年一回演奏できるというのは本当に幸せなことで、

自分にとってのバロメーターのような曲だと言えるかもしれません。最初にこの曲をレッスンで見て頂いた時、師がぽつりと

「この曲はとても自由な曲なんだ…一回一回新しい。この魅力に惹かれて僕は何度も演奏した。君もきっと、何度もやりたくなる。」

と語った言葉の通り、この曲の魅力に僕はすっかり取り憑かれてしまったのでした。

(余談ですが、昨年のチェロ・オーケストラの公演動画を見直していて、アンコールのあとに僕の指導教官が後方カメラの映像に映り込んでいらっしゃったことに気付きました。

足をお運び下さったのは知っていたけれど、こうやって改めてお姿を拝見すると凄く嬉しくて、学問上でも素敵な師匠に恵まれたなあと感謝するばかりです。)

読み返すたびに・指揮するたびに得る新しい発見を大切にしながら、焦らずじっくりと、一生かけて演奏していきたいなと思っています。

 

 

江古田の名店にてチャイコフスキー五番と格闘。

江古田の名店にてチャイコフスキー五番と格闘。