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劇団「ミームの心臓」第二回公演「ケージ」を観た。

 

時々、言葉の力に圧倒される瞬間がある。

本の中の一文、街中の広告、何気なく放たれた会話のひとこと。

昨日観た「ケージ」という演劇はまさにそうした言葉の力に溢れた演劇だった。

言葉が「場」を作る。狭いステージに1968年と2011年の時代が並行して展開され、ぐいぐいと観客をその「場」に引き込んでゆく。

1968年という時代が示すように、テーマは学生運動・全共闘を扱ったもの。全共闘自体に関するスタンスや見方は色々あると思うけれど、

この大きな問題を避ける事無く真っ向から勝負した勇気にまず惜しみない賞賛を送りたい。

 

劇団「ミームの心臓」を知ったのは主宰で脚本の酒井一途くんとの出会いから。

彼とはある本への寄稿を通じて知り合い、今回の公演のお知らせを頂いた。

僕は音楽、彼は演劇。ジャンルは違えど「表現」に魂を注ぐ仲として日々刺激を受けていて、

いったい彼がどんな舞台を生み出したのか楽しみにして足を運んだ。

長々と感想を書くことは門外漢の僕の筆では叶わないが、一言でいえば「参った」という感じ。見事な運び。

彼の脚本には加速度があり、抜きがある。嵐のようにシリアスな言葉を畳み掛けては突如として笑いを挟んで「抜く」。

緊張させ、一瞬弛緩させたかと思うと再び緊張に引き込む。その流れがあざとくなくて自然なのだ。

(もちろん、それは役者の方々が見事な「間」で実現しているからこそ!)

音楽は必要最低限に留め、美術も大がかりなことはしない。照明だけを上手く使い、時間軸を操作する。

全体にわたって非常に見通しの良い舞台だった。

 

観ている間は没頭していたから考える余裕は無かったけれども、終演後に思い返してみて、

投げられた言葉の端々に酒井くんの顔が見えるような気がした。

彼が懸命に言葉を削り出し、観客の心に伝えようと苦心する様子が見えた。

人はこれだけ人に伝えることが出来るのだ。言葉は、演劇はすごい。

 

池袋を後にしながら、これが学生の演劇か、と改めて驚嘆する。

少なくとも僕が今まで観て来た学生の演劇の質ではない。

「学生の」演劇、ということをわざわざ言う必要も無いほどに。

けれども。これは学生の彼・彼女たちが取り上げることに大きな意味があるのもまた事実なのだ。

1968年は、学生の問題だったのだから。

 

 

 

 

 

 

…………

酒井くん、役者のみなさま、スタッフのみなさま。

忘れ難い時間をありがとうございました。

僕も音楽でこれぐらい人の心に届けられるようにならねば、と思った次第です。

これからも舞台を楽しみにしています。

 

 

 

手品のように、魔法のように。

 

小学生の頃から手品が好きでした。

塾のテストをさぼって手品ショップに通い詰め、売り場のお兄さんから色々な手品の技法や仕掛けを教わり、

それを友達に見せては驚かせるのが好きでした。

 

 

小学生の頃から魔法に憧れていました。

怪しげな呪文を唱えて棒を一振りした瞬間に見えない力が働いて、

傷を癒しあるいは世界に亀裂を走らせるような魔法が好きでした。

 

 

小学生の頃からみんなと遊ぶ時間が好きでした。

鬼ごっこ、ドッジボール、野球、サッカー。みんなとその遊びに没頭して、同じ楽しみを

共有して笑う時間を何より大切に思っていました。

 

 

指揮は、その全てが合わさった楽しみです。

手品のように、魔法のように。素敵な奏者の方たちに恵まれて、みんなと笑いながら音楽をしています。

 

 

 

何だか分からないもの

 

On peut, apres tout, vivre sans le je-ne-sais-quoi, comme on peut vivre sans philosophie, sans musique, sans joie et sans amour. Mais pas si bien.

結局、この「何だかわからないもの」が無くても生きていくことは出来る。哲学や音楽、喜びや愛が無くても生きていけるように。だけどそれでは、つまらない。

 

 

「分類できない哲学者」(Philosophe inclassable)と呼ばれた、ウラジミール・ジャンケレヴィッチの著作から。

僕はいつまでも、まさにこの「何だかわからないもの」(le je-ne-sais-quoi )こそを追い求めたいと思う。

 

 

休学という選択、夢中になれるもの。

 

東京大学を休学することにしました。

何を突然、と思われるかもしれませんが、実はずっとずっと考えていたことです。

 

立花隆のもとで、一年間助手をして過ごします。

立花さんと一緒に日本を飛び回りながら、昼間は猫ビルに籠り、あそこにある本を読める限り読みつくそうと思います。

村方千之のもとで、一年間指揮を集中的に学びます。

おそらくもう二度と日本に現れる事のない不世出の大指揮者だと僕は信じて疑うことがありません。

「知性」と「感性」の師、そして「死」を意識するこの二人の巨匠と接して以来、

この機会を逃してはならない、と思い続けてきました。

 

はじめて立花事務所、通称「猫ビル」に入らせて頂いた時の感動は忘れられません。

僕が憧れていた本に囲まれた乱雑な空間がそこにありました。図書館とは違う空間。

陳列や収集の空間ではなく、一人の人間の「頭のなか」そのもの。

何万冊もの本が書き込みと付箋だらけでそこかしこに散らばっている。

一つの本を書いたり話したりするためにこれだけの勉強をされていたんだ、と背筋が伸びる思いをしました。

 

そしてまた、村方千之にレッスンを見て頂いた時、また師のコンサートで「ブラジル風バッハ四番前奏曲」を聞いた時の

感動は生涯忘れる事が無いでしょう。「シャコンヌ」の堂々として祈りに満ちた気品、ベートーヴェンの「運命」や

ブラームスの一番の何か太い芯が通ったような強靭さ。息の止まるような感動をなんど味わったことか。

眼を閉じて聞いているだけで感動が抑えきれなくなるような純然たる「音楽」がそこにありました。

 

本と音楽が好きな僕にとって、これ以上の出会いは無いでしょう。

ですが、お二人に接する事の出来る残り時間は限られている。

巡り会えたという喜びと、もう時間はあまり無いのだという焦りとを同時に味わいました。

この機会を逃すと僕は一生後悔する。そしてこれらは片手間に勉強できるものではないし、片手間に勉強することが許されるものではない。

二浪していて僕はすでに23という歳ですが、もう一年を賭けてもいいと思えるぐらいの衝撃を受けたのでした。

 

休学を考えていた頃に巡り会った、コクトーの文章が背中を押してくれました。

コクトーはこう書きます。

 

「孤独を願うのは、どうやら社会的な罪であるらしい。一つ仕事が済むとぼくは逃げ出す。ぼくは新天地を求める。

習慣からくる弛緩を恐れる。ぼくは、自分が技術や経験から自由でありたい ―つまり不器用でありたいと思う。

それは、奇人、叛逆者、曲芸師、空想家であることなのだ。そして賛辞としてはただ一つ、魔術師。」

 

「彼(エリック・サティ)はそこで自分を軽石で磨き、自分に反撃し、自分にやすりをかけ、

自分の繊細な力がもはや本源から流出するしかなくなるような小さな孔をきたえあげたのだった。」

 

浪人中に僕はそんな時間を過ごしました。

いま、そうした時間を自分が再び必要としていることに気付かされます。

ヴァレリーの言葉に「夢を叶えるための一番の方法は、夢から醒めることだ。」というものがありますが、

その通り、夢中になれるものを見つけたなら、自分の身でそこに飛びこまないと夢のままで終わってしまう。

だからこそ、レールから外れて不安定に身を曝しながら、一年間学べる限りのことを学んでいきたいと思います。

 

この選択を快く許してくれた両親には心から感謝していますし、回り道が本当に好きだなと

自分でも改めて呆れてしまいますが、後悔は少しもありません。

どんな一年間になるのか、どんな一年間を作っていけるのか、ワクワクしながら2011年の春を迎えています。

 

 

 

カイエ:音楽と人生をデザインするということ。

 

五月に練馬文化センターで指揮する、プロコフィエフ『古典交響曲』のレッスンを受けていた。

二楽章がとても難しい。ppが基調となったこの楽章、盛り上がるところはわずか一、二小節しかないけれど、それでいてしなやかな音楽だ。

スタッカートとスラーのつき方を見ただけでもそのことが分かる。まるでバレエのように、すらりと伸びた肢体がしずしずと、しかし弾力性を持ちつつピルエットを繰り返す。

師匠は言う。「こういう音楽はとくに、自分で音楽の流れを作っていかないとだめだ。一切ごまかせないよ。あなたが振ったとおりに音が出てしまう。プロコフィエフも残酷な曲を書いたなあと思う。」

僕にはまだ、「流れ」を自然に作っていくことはできない。作ろうとすればあざとくなり、無心で流れに身を委ねると弛緩する。意志をピアノ線のように細く、しかし強靭に隅々まで張り巡らせなければならない。

それは分かっているけれども、静かな音が積み重なっていくこの音楽に僕はまだ耐えられないのだ。静けさを心地よく感じるどころか、静けさを暗闇のように感じてしまう。

こんなに好きな曲なのに、うまく振れない。それが今はひたすらにもどかしい。

 

音楽の流れ。それを自分で作っていくということは、とてもとてもエネルギーのいることだ。

たぶん人生もそうなのだろう。引かれたレールの上を、誰かが踏み固めた雪道の上を歩くのは容易い。だが、たとえ稚拙だと言われようが、ぼくはぼくのやり方で、人生にレールを引きたいと思う。

夢を描いて地をならし、何かを捨てては拾い上げ、汗をぬぐっては涙に濡れる。既にある道を横目に、足元も先行きも見えない暗闇を引き受けて、それでもなお、光を開拓しようと全身ずたぼろになって足掻きたい。

「意志の力」などという不確かなものを信じ、常に自分を追い込みながら、限界の中から前へ前へと進み行くエネルギーを生産し続ける。創造的に生きるとはたぶんそういうことだ。

 

MacBook Pro新型17インチ

 

2/24日に発表されたばかりのMacBook Proをアップルストアにて購入してきました。

仕様はプロセッサが2.3GHzクアッドコアInter Core i7、メモリが8GB、750GBのHDDに17インチのアンチグレア液晶USキーボードです。

17インチのMacBookProを選択される方はどうやらかなり少数派のようですが、僕にとってはこれ一択でした。というのも、通常使っているVaio-SZ95カスタムが13.3インチで持ち歩きには便利ですし、

iPadやVaio-Pも所持していることを考えると、それらとの棲み分けのためにはこの巨大ディスプレイが最適だと考えられたからです。また、デザインの仕事をしながら論文を読んだり書いたり辞書を参照したりと

同時に何動作もするため、17インチの広さがあるとそうした作業が圧倒的にしやすくなるであろうことが予想されました。

 

使ってみてすぐにこの便利さは体感されました。めちゃくちゃ画面が広くて使いやすい!

もちろん持ち歩きには向きません(この大きさを活かして、暴漢に襲われたときの盾として使うと効果的かもしれません)が、いざ開けるとこの安心感は何物にも代え難いものがあります。

いままでのパソコンでは、ディスプレイを「のぞきこむ」という感じだったのですが、17インチになるとまるでディスプレイに「包み込まれている」ような感覚。自然と目の前の作業に集中することが出来ます。

そして、プロセッサをクアッドの2.3GHzにしたことによって、動作が凄まじく速いです。「えっ、こんなスピードでレンダリングが終わるの?!」と驚いてしまいました。

アンチグレアの液晶にしたことによって、オフィスで作業している際も蛍光灯が映り込まず、長時間の作業の際に目の疲れがずいぶんと緩和されましたし、外に(万が一)持ち出しても、太陽光の反射を抑えてくれるので

ディスプレイの視認性が非常に高くなります。「デザイナーはアンチグレア」というのはこの業界で一つの常識のようになっていますが、確かにそうだなあと頷かされました。

 

店員さんから聞いた話では、ベンチマークテストでも17インチのこの組み合わせではとんでもない結果が出ているとのこと。

まあそれはプロセッサを考えればなるほどという感じですが、使っていてストレスを感じる場面がほとんどありません。夏ごろになったらHDDをSSDに換装しようと企んでいます。

そうするともう最強速度で作業が進みそうですね。高い買い物でしたが、これから数年にわたり、それに見合う分の仕事をしてもらおうと思います。

17インチのMacBook Pro、閉じた見かけは巨大なまな板のようですが、凄まじい性能を秘めた「モンスターまな板」であることには疑いがありません。買って良かった!

 

東大世界史最終講義 -冬来たりなば 春遠からじ-

 

11月から飛び込みで「一対一で教えてほしい!」と頼まれた東大受験生に、最後の講義をしてきました。

彼はすでに大学一年生で、仮面浪人として東京大学の文科三類を受験したいとのこと。僕は二浪を経験していますから、そうした

浪人してでも受験を志すという姿勢には共感を覚えます。11月から今まで、週一回でわずか13回の講義しか出来ませんでしたが、

世界史について、時間の許す限り・僕の知識の許す限りのことを教えてきました。基本は講義で、論述の添削なども入れていくという形で

すすめてきたのですが、彼の飲みこみの良さには驚くばかりでぐんぐんと文章のクオリティが上がっていくのを目の当たりにしました。

 

最初の講義で、「軸を定めて陣を貼る」という論述の文章の書き方を教え、そのあと、問題文の分解・解読方法を詳説。

東大の世界史はただ知識があるだけでは書けないし、ただ知識を詰め込むだけでは面白くもなんともない。それぞれを

有機的に関係させながら、たまには大学以降で学ぶことも先取りしながら、論理的に「読める」文章を書く必要があります。

そこからはじめて、とりあえずは13回でなんとかほとんどの過去問に目を通すことが出来たかと思います。

 

僕はコレージュ・ド・フランスの講義の形式が大好きで、「教える側がまさにいま学んでいることを門外漢にも分かるように伝える」

という形式でやってきました。高校レベルの世界史の話をしながら、主権国家体制や革命総論、思想史、世界システムの話をし、

時にフランス語やドイツ語も使いつつ、アナール学派の歴史の見方やヴァレリーの「精神の危機」、フーコーの「人口」概念や

公衆衛生という概念の誕生など、いま自分が学んでいることを出来るだけ噛み砕いて、教えてきたつもりです。

こうした話をするたびに、彼が目を輝かせながら一心不乱にノートをとってくれているのが嬉しくて、教えるのが毎回楽しみでした。

 

最後の授業では、1848年の変動について説明しながら、世界の大きな見取り図を描きました。

1848年の変動こそが、それ以前、それ以後の世界を繋げる契機となるように思われたからです。革命というものの性格が変動すると

ともに、国家、国民という概念も揺らぎ始め、世界中に衝撃が走る。20世紀はかなり最初のほうで説明しておきましたし、

前回の講義はフランス革命とドイツ統一について説明したので、このダイナミズムで締めるのが最適だろうと考えてのことです。

 

なぜか最後の最後に英語の前置詞のイメージを説明しはじめて大幅に延長してみたりもしました(もとはacrossという前置詞は「横切る」

だけでなく、「至る所から」というニュアンスも持っていて、それはヨーロッパ的な考え方ですね、という話をしたところからです。

東大英語でも前置詞は頻出するので、気になってつい全部説明してしまいました)が、こうして僕が受け持った授業は終わりました。

 

最後に、仮面浪人という辛くも勇気ある一年を選択した彼になら響くだろうと思い、僕が浪人中ずっと机の前に飾っていた言葉、

イギリスの詩人シェリーのOde to the west wind(『西風に寄せる歌』)という詩の末句、

If winter comes, can spring be far behind? (「冬来たりなば 春遠からじ」)

を送りました。仮面浪人は大変だったと思うけど、よくここまで頑張ったね、と。

 

 

「身体に気をつけて。駒場で待ってる。」と握手した時、彼の眼が潤んでいるのに気付いてしまい、僕も少し泣きそうになってしまいました。

慌ただしい日常の合間を縫ってでも彼を教えて良かった。春が来ますように。

 

 

「こまば夏の音楽祭 -口笛・ピアノ・オーケストラ」

 

2010.8.10(火)、東京大学駒場キャンパスで行われます「夏の音楽祭」で指揮することになりました。

詳細は以下のポスター(僕が主宰している「ドミナント」というデザインチームの後輩、伏見くんが作ってくれました。ありがとう!)

をご参照下さい。口笛の世界大会優勝者と藝大院のピアニストという、とても豪華なゲストを招いての音楽祭、

全身全霊を込めて指揮します。どうぞお楽しみに!

 

「こまば夏の音楽祭2010」

 

 

花火の夜に。

 

Twitterでまとめて呟いたところ、異常に評判が良かったのでブログにも掲載します。Twitterに載せたままの文体は「とぅぎゃったー」

というものでゼミ生の後輩(伏見くん)が http://togetter.com/li/37528 に纏めてくれたので、ここにはブログ用にやや手を加えて

掲載しておくことにします。ある花火大会の夜、指揮法のレッスンの帰りに起こった出来事でした。

・・・・・・・・・・

 

混雑した車内、僕の前に浴衣の若い女性が立った。なぜか目の周りのメイクが崩れている。

泣いた後なのだろうか、疲れ切っているように見えた。大変だな、と思って席を譲るつもりで立ち上がる。女性は一瞬驚いた表情を向け、

「ありがとうございます。」と小さくお辞儀してくれた。少しは楽になるだろうか、と安堵したその瞬間、横からおっさんが割り込んで

席にどっかりとお座りになる。これには真剣に殺意が湧いた。ちょうどレッスン帰りでタクトを持っていたので、

「このおっさん指揮棒で刺したろか・・・。」と思ったぐらいである。(なんとか辛抱して目線で鋭く刺すに留めておいた。)

 

とはいえ、困るのはこの状況だ。立ちあがった僕には居場所がない。そして、座ろうとした浴衣の女性も所在ない。

困ったなあ、と女性と眼を合わせて苦笑する。真横かつ至近距離で黙っているのもお互い何となく居心地が悪くて、若干慌てつつ

「花火ですか。」と話しかけてみることにした。冷静に考えてみればアホな質問だ。浴衣で花火でなくて何だと言うのか。

これで「ええ、ちょっとルミネへ買い物に。」とか、「試着室で試着したまま帰ってきました。」だったら、びっくりである。

 

もちろんそんな予想外の展開ではなく、やはり花火大会帰りとのことである。

どうやら新宿まで一緒の様子だったので、車内で、それから乗り換えに歩きつつ、その人としばらく話すことになった。

彼女はずいぶん大人っぽく見えたが大学一年生だった。聞けば、好きな人と一緒に花火へ行って告白したけど駄目だったらしい。

 

「好きじゃないなら花火なんて誘わなきゃいいのに。そう思いませんか?」と彼女が僕を見上げて、言う。

その真剣な眼差しと、否定を許さない厳しさを持った口調に対して何も言えなくて、「うん・・・まあ。」と曖昧な言葉を返した。

生返事をしながら、見上げる顔を横目で見て、「結構泣いたんだな・・・。」と思う。多分、ほんとにその男の子のことが好きだったんだろう。

新宿駅の雑踏。華やかな浴衣姿と笑顔ばかり目に入ってくるが、悲しい気持ちで浴衣を着て、こうして帰路に着く人もいるのだ。

 

華やかな浴衣を着て、光の当たらない場所でひとり泣くのはどんな気持ちなのだろう。

もしかしたら花火大会の途中で帰ってきたのかもしれない。闇に描かれるカラフルな明滅に背を向けて、ドン・ドンと低く身体の中にまで

響き渡る音を後ろに聞きながら、花火のことを考えないで済む場所まで走って逃げる。

だが、走ることは、自分が花火大会に来ていたことを逆に思い起こさせてしまう。

履き慣れない下駄、着慣れない浴衣。走ろうとすればするほど、浴衣が、花火が邪魔をする・・・。

そんなことを想像するだけでとても寂しい気持ちになる。だが、こういう時にはどんな言葉をかけてあげたらいいか僕には分からなくて、

初対面なのにとめどなく話す彼女に、ただ相槌を打ち続けた。

 

あっという間に改札が近づいてくる。ここでお別れだ。僕は左に、彼女は右へ。

「気をつけてね。」と声をかけると、一生懸命に作ったような笑顔で、「喋ってばっかりでごめんなさい。でも、ありがとうございました。」と

丁寧にお辞儀をする。お辞儀の拍子に彼女の小さな頭の向こう側がふと見える。ころころと揺れるガラス玉のついた髪止めが

外れそうになっていることに僕は気付く。だが、今の僕にはそれを直してあげることはできないし、する必要もたぶんないだろう。

 

「じゃあ、さようなら。」

そう告げて別れようとした瞬間、彼女はすっと顔を上げ、泣いた跡の残る明るい笑顔でこう言った。

「あの・・・あたし、今日やっぱり五反田の友達んち泊まります!愚痴り足りないから!」

唖然とする僕に踵を返し、そうして彼女は再び山手線のホームへと向かう。

 

夏の雑踏に浴衣姿が溶けて ゆく。

女は、強い。

 

 

 

「型」としての入試問題

 

 先日の記事に対して塚原先生がホームページで触れて下さっていました。たとえWeb上であれ、予備校時代の先生と

今もこうして話すことが出来るというのはとても嬉しいことです。

(もっとも、先生が問題にしたかったのは「形式面」であったということで、僕が少し文脈を取り違えていた感がありますが)

《出題者の方々がそうした「型」,大学での学びにつながる「型」にどの程度意識的なのか?》と先生は疑問を呈されています。

実際のところどうなんでしょうね。何十年も同じスタイルで出題していることを考えると、やっぱり要求したい「型」があるんでしょうか。

 

 京大の問題についてはコメントできるほど詳しくないので東大の話に限定してしまいますが、東大の問題は、受験生だったころの

僕にとっては、「大学での勉強を予感させてくれるもの」でした。

一問一答はい終わり、ではなく知識羅列で片がつくようなものでもありません。

持っている知識を総動員しながら資料と突き合わせて、知識と資料を対応させる。

知識から資料の意味を発想し、時に資料から知識を引き出す。書くべきことは書く、書かなくてもよいことは書かない。

要するに「考えろ」ということですね。そんな東大の日本史(と世界史)の問題は、いわゆる「受験勉強」に辟易としていた僕にとって

とりわけ新鮮に映りました。解いていて楽しかったし、驚きがあったし、大学に入りたくなった。浪人中、受験勉強(特にセンター)に

飽きたときは東大の日本史と世界史を見てやる気を出し、関係しそうな本(たとえば東大の教授が執筆された本であったり、

ブローデルの『地中海』であったり)を近くのジュンク堂へ読みに行くのが一つの楽しみであったことを思い出しました。

 

 大学に入ってみて、東大の日本史・世界史が要求していた「型」と同じような事を至る所で要求されていることを感じます。

作問者の方々はしっかりと受験問題と大学での学びの接続性を意識して出題していらっしゃるんじゃないでしょうか。どれほど

意識しているのかは分かりませんが、在校生としては、「少なくとも意識はしているだろうな」という印象を受けています。

東大教養学部には「初年次教育プログラム」なる一年生向けのプログラムがありますが、東大日本史・世界史の入試問題というのは

ある意味で「ゼロ年時教育プログラム」なのかもしれません。

 

 こういったことを先生方がどれほど意識しているのか、それは本郷の文学部の日本史を扱う学科(国史学科など。東大日本史を

作問している教授たちが多くいらっしゃいます)に進学を決めた友達にお願いして、宴会の席ででも教授本人に聞いてもらうのが

よさそうです。というわけで考古学へ進むカナヅチ氏、江戸の町が大好きなあの先生や木簡大好きなあの先生と飲む機会が

ありましたらぜひ聞き出してみて下さい(笑)

 

 なお、お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、右サイドのリンク集を拡充しておきました。

自分の「お気に入り」に入れていたサイトを追加しまくってあります。語学(独・仏・伊)に関しては結構な部分に対応できるはずです。

リンクに登録してあると僕としても使い勝手が良い(友達のパソコンや仕事場のパソコンなど、自分の物ではないパソコンで

作業をする際にはまずこのブログを開いてそこからリンクで飛ぶ。)ので、使用頻度が多く、また便利なサイトを中心に

バーっと並べておきました。フィガロ紙とルモンド紙、シュピーゲル紙とヴェルト紙に簡単に飛べるのは結構便利なはずです。

(辞書サイトも並べてあるので、これを併せて使えば海外の文献でも何とか読めますよ。)

イタリア語がもうちょっと読めるようになったらイタリアの新聞サイト(La Gazzetta dello Sportoなど)も入れたいと思っています。

もし「これを追加して欲しい!」とか「これ便利だよ!」というサイト(とくにリンクフリーのもの)がありましたら、コメント欄にでも

書いておいてください。後から追加させて頂きます。

 

 なお、本日はマルク・リシール『身体 - 内面性についての試論』(ナカニシヤ出版,2001)を読了。

 

「身体のこの厚み、「受肉して生きる」という場を経験のただなかで考える事が出来るのは、〈身体のなか〉に

〈身体をはみだしている〉なにものか、〈そこから漏れ出そうとする〉なにものかが存在するときだけであって、そして〈その何ものかとの

関係によって、身体はいつも多かれ少なかれ、ある仕方で、あるいは別の仕方で、制限されて現れることになるだろう。〉」(前掲書)

 

などの一節に触れて、メルロ・ポンティ『知覚の現象学』『行動の構造』や「人間と逆行性」で展開されている議論との接続性を

感じたので、途中からはメルロ・ポンティの諸著作を机に広げて相互に参照しながら読み進めました。

そのあと、昨日A氏と紅茶を飲みながらプルースト『失われた時を求めて』の話をしていたのを思い出し、『失われた時を求めて』の

五巻(集英社の文庫版)の「ゲルマントの方 Le côté de Guermantes」をパラパラとめくっていました。その中に原文では

 

…on ne peut bien décrire la vie des hommes, si on ne la fait baigner dans le sommeil où elle plonge et qui , nuit après

nuit, la contourne comme une presqu’île est cernée par la mer. 

「人間たちの生はそれが沈みこんでいる眠りの中に浸さなければ十分に描ききることは出来ない。眠りは、小さな半島が

海に囲まれているように、夜ごと人間たちの生を取り囲んでいるのである。」

 

と訳される部分がありました。

「眠り」という行為の扱いによってはさきほどの身体論と接続することが可能かもしれないな、という思いに至ったので、

今書いている身体論に関する小論に展開してゆくことを考えてみようと思います。『失われた時を求めて』の八巻である

「ソドムとゴモラⅡ」にも「眠り」について長く触れた箇所があるので、こちらも後日参照するつもりです。