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蓮の美学、覚え書き。

 

【周敦頤(1017-1073)「愛蓮説」】

水陸艸木之花、可愛者甚蕃。

晋陶淵明独愛菊。自李唐来、世人甚愛牡丹。

予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、

不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。

予謂、菊花之隠逸者也、牡丹花之富貴者也、蓮花之君子者也。

噫、菊之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。

水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃し。

晋の陶淵明、独り菊を愛す。李唐自りこのかた、世人甚だ牡丹を愛す。

予独り蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯はれて妖ならず、中通じ外直く、

蔓あらず枝あらず、香遠くして益々清く、亭亭として浄く植ち、遠観すべくして褻翫すべからざるを愛す。

予謂へらく、菊は華の隠逸なる者なり。牡丹は華の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なりと。

噫、菊を之れ愛するは、陶の後、聞く有ること鮮し。蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。牡丹を之れ愛するは、宣なるかな衆きこと。

 

【范成大(1126-1193)「州宅堂前荷花范成大」】

凌波仙子靜中芳 也带酣紅學醉粧

有意十分開曉露 無情一餉斂斜陽

泥根玉雪元無染 風葉青葱亦自香

想得石湖花正好 接天雲錦畫船凉。

 

【李白(701-762)「採蓮曲」】

若耶渓畔採蓮女 咲隔荷花共人語

日照新粧水底明 風飄香袖空中挙

岸上誰家遊冶郎 三三五五映垂楊

紫騮嘶入落花去 見此踟躕空断腸

 

G.Mahler(1860-1911):Von der Schönheit(Das Lied von der Erde, vierter Satz)

Junge Mädchen pflücken Blumen,
pflücken Lotosblumen an dem Uferrande.
Zwischen Büschen und Blättern sitzen sie,
sammeln Blüten in den Schoß und rufen
sich einander Neckereien zu.
Gold’ne Sonne webt um die Gestalten,
spiegelt sie im blanken Wasser wider.
Sonne spiegelt ihre schlanken Glieder,
ihre süßen Augen wider,
und der Zephyr hebt mit Schmeichelkosen
das Gewebe ihrer Ärmel [...]

四楽章

 

1.名前をつけるとすれば、それはDevenirであり、L’airということになるだろう。

そしてこれこそが固有の時間と空間-そして音-を作り出す決定的な何物かに直結している。

 

2.芸術家は想像力が全て。湧き上がる想像力に対して、練成した技術で応えていく。その順序が逆であってはならない。

リハーサルののち、斎藤秀雄の指揮で弾いていた、という偉大なヴァイオリニストの先生がぽつりと語った言葉に震える思いがした。

 

3.夢を諦める瞬間がなぜ来るのか。それは夢の可能性が現実の重さに屈服するからだ。

一年前の自分は、現実をはっきりと見る事無く、それでいて、なんとかして現実を納得させてやろうと奮闘していた。

今は違う。襲いかかってくる現実を認識してもなお、凪いだ心で、自らの夢の持つ可能性を信じることができる。だから、もはや動揺することはない。

 

4.見出したものは、全て一言で表すことができる。それは「愛する」ということだ。

忘却でも赦しでもない。ただ「愛する」ということなのだ。

 

2013年度回想

 

大晦日ということで、2013年を振り返ってみようと思います。

 

<音楽>

・レッスンにて

1月:ワーグナー「マイスタージンガー 前奏曲」

2月:チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」、モーツァルト「交響曲第三十五番 ハフナー」

3月:ドヴォルザーク「交響曲第九番 新世界より」(2月&3月&4月)

4月:ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」組曲(二回目)、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ九番」

5月:ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ九番」、モーツァルト「交響曲第三十九番」、ドビュッシー:「小組曲」

6月:モーツァルト「交響曲第四十番」(6月&7月)

7月:モーツァルト「交響曲第四十番」(6月&7月)、シベリウス「交響詩 フィンランディア」(二回目)

8月:チャイコフスキー「交響曲第五番」、ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

9月:ベートーヴェン「交響曲第五番」(二回目)

10月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、指揮法教程練習題No.1-No.8(三回目)

11月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、ムソルグスキー&ラヴェル「展覧会の絵」組曲(三回目)

12月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、ヴェルディ「運命の力」序曲、シュトラウス「こうもり」序曲(二回目)

指揮を学びはじめてから、最も苦しんだ一年間でした。考える事や見えるものが増えていくのに棒の解像度が追いつかない。

頭の中で鳴っている響き(音ではなく)と、現実に鳴る響きとが音色やニュアンスの面で全く一致しない。

モーツァルトの40番をやっているときは精神的に本当に苦しい日々で、あれほど音楽が色褪せて見えた時期はありません。

と同時に、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を通しで見て頂いたときに感じた、一楽章や三楽章での集中と感情はこれまでに経験したことのないものでした。

ポジティブなものもネガティブなものも含めて、新しい感情と技術とを知った一年間であり、教えさせて頂くという行為を通じて基礎を改めて確認する一年間でもありました。

おそらくこの一年で僕の指揮は大きく変わっただろう、という実感があります。そして一つ進化した手応えと共に、自らの未熟さを強く強く実感しています。

遡及性と訴求性 — この先にある膨大な広がりに目眩がする思いですが、掴んだものをしっかり活かせるように来年も更に勉強して行きたい。

 

・本番など

1月10日、学生指揮者の方への指揮のアドバイスのため、お茶の水管弦楽団の室内楽コンサート「茶弦」リハーサルにお招き頂きました。(グリーグ「ホルベアの時代」)

3月22日、アンサンブル・コモドさまの東京公演を指揮させて頂きました。100人を超える大オーケストラと、ホルスト「惑星」抜粋やサウンド・オブ・ミュージックメドレーなどを

演奏致しました。アンコールははプッチーニの「菊の花」とYou raise me upです。

3月23日 Strudel Hornistenさまの第六回演奏会にて、スパーク「オリエント急行」ムソルグスキー「展覧会の絵」などを指揮させて頂きました。

4月〜 師の助手として、指揮法教室の初級クラスの指導に携わらせて頂く事になりました。(2013年中に4人の方を指導させて頂きました。)

4月〜 丸ノ内KITTE内の博物館IMTにおける連続室内楽企画のプロデューサーを務めさせて頂くことになりました。(バロック&アルゼンチン・タンゴ→ベネズエラ音楽→ケルト音楽→ブラジル音楽)

7月24日・26日・29日 足立区の中学校の吹奏楽部さまよりご依頼を頂き、三回にわたってコンクールのための吹奏楽指導を行いました。

8月21-23日 アンサンブル・コモドさまの東北遠征公演を二公演指揮させて頂きました。ビゼー「カルメン」組曲やシュトラウスの「春の声」などが中心です。

11月30日 コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ第三回演奏会を、丸ノ内の博物館にて指揮致しました。

総勢15名のチェリストとクレンゲル「讃歌」やロジャース「全ての山に登れ」、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ一番&五番」など。

12月23日 お茶の水管弦楽団弦セクション演奏会「茶弦」リハーサルにお招き頂き、学生指揮者の方の指揮指導をさせて頂きました。(レスピーギ「第三組曲」)

12月25日 クロワゼ・サロン・オーケストラと足立区の中学校の音楽鑑賞教室で演奏致しました。(芥川也寸志「トリプティーク」、アンダーソン「クリスマス・フェスティヴァル」など)

12月27日 武蔵野音大の方々からお声がけ頂き、千葉県の老人ホームにてレスピーギ「第三組曲」やタルティーニのトランペット協奏曲、そして書き下ろしの現代曲などを指揮致しました。

アンコールで演奏した「ふるさと」の大合唱を指揮しながら、聴きに来て下さった方々のお言葉を頂きながら、人の心を揺さぶり、つたないながらも多少なりとも感動を与えられる

音楽-指揮というこの行為に関わる事ができて本当に良かった、と思いました。一年の最後の本番で根源的な喜びを味わうことが出来て背筋が正される思いでした。

 

 

様々なオーケストラさまから沢山の本番を頂いた一年間でした。指揮する機会を下さった方々に、また、一緒に演奏して下さった方々に心から感謝致します。

本番は来年となりますが、フィリピンでのUUUオーケストラ&セブ・フィルハーモニックオーケストラとの合同コンサート・ツアーのリハーサルも2013年度から始まっています。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第三番やベートーヴェンの交響曲第五番、それから真島俊夫さんの「三つのジャポニスム」など。

それから、同じく来年の本番であるオーケストラ・アフェットゥオーソさんとのリハーサルも。こちらはオール・シベリウス・プログラムになります。

来年にはドミナント室内管の第二回コンサートも開催予定。一時期はどうしようか悩んでいましたが、やろうよという声をメンバーから沢山頂いて、動き出す事にしました。

腕前だけではなく人間的にも美学的にも気の会う仲間たちと楽しく音楽を作って行くという創設時の原点を見直しながら、今後にも繋がるように運営体制を整えたいと思っています。

今のところ来年の本番は、1月(東京)、2月(フィリピン)、3月(福島、兵庫)、5月(東京)、8月(東京、宮城)、11月(東京)、12月(東京)で頂いております。

一つ一つを丁寧に、そして常にフットワーク軽く過ごそうと思いますので、指揮が必要な際にはこれからもどうぞお声がけ下さい。

 

曲について。この一年間で勉強して最も衝撃を受けたのは、やはりベートーヴェンの九番とシベリウスの七番です。

ベートーヴェンの九番については何度もブログでも記事にしたのでここでは書かない事にして、これで師匠にベートーヴェンの全交響曲をレッスンして頂いた事になります。

シベリウスの七番は、僕が理解できていることはほんの僅かに過ぎないとはいえ、張り巡らされた論理と情感の凄まじさに絶句しました。

スコアを読むときには美しく織られた織物を解きほぐしていくような感覚。指揮するときには美しい模様の入った糸を織りあげて一つの構造物を作って行くような感覚。

特に夏頃だったと思いますが、寝ても覚めてもシベリウスの七番のことしか考えられない日が幾度もありました。

 

 

<学問とその周辺>

3月 フランス語で執筆した卒業論文La naissance d’une nouvelle sensibilité à la lumière artificielle : Le rôle des Expositions universelles de Paris 1855-1900にて学士(教養)取得。

大学院試験合格。地域文化研究学科フランス分科より、総合文化研究科の比較文学・比較文化コースに進学。

4月 東京大学大学院に所属する人文科学系の修士一名のみ(日本全国の修士で採用は合計七人だったと伺いました)を対象とした返還不要の奨学金である

松尾金蔵記念奨学基金に採用される。この奨学基金を頂く事がなければこの一年間を過ごす事は出来ませんでした。

4月〜寺田寅彦先生に師事。寺田先生にご指導頂くためにこのコースに進学したので、希望通りご指導頂けることになって本当に嬉しかった!

4月〜2013年度夏学期「情報」TAを担当致しました。

5月 立花隆「東京大学新図書館」 トークイベントにて、助手を務めました。(東大TVにて一般公開中)

5月 ミシェル・ドゥギーのLa Pietà Baudelaireを原典購読する小林康夫先生の講義にて、マラルメの「人工光」の扱いをボードレールと比較しながら発表させて頂きました。

ドゥギーはもちろん、ボードレールの「悪の華」や「パリの憂鬱」に原書でたくさん触れることが出来たのは僥倖でした。

2013年上半期の自分の頭の中にはいつもボードレールの存在があって、どこに行くにも鞄に『悪の華』を持ち歩いていました。

6月 小林康夫ゼミ(「絵画の哲学」)にて19世紀から20世紀初頭にかけての光の展開を絵画の問題と絡めながら発表させて頂きました。

7月 カイユボットの「床削り」と「パリの通り、雨」をめぐる論考を執筆致しました。

さきほどのボードレールと平行して、上半期の僕の頭の中を締めていた画家はカイユボットとドガだったと思います。

8月 京都の出版社の友人より、「19世紀フランスにおける光の文化史」というテーマでWeb連載のお話を頂きました。現在鋭意執筆中です。

10月「週刊読書人」11月8日号紙上にて、小宮正安さまの御新刊『音楽史 影の仕掛人』(春秋社)の書評を書かせて頂きました。

10月〜 東大比較文学会2013年度「展覧会・カタログ評院生委員会」副委員長を務めさせて頂くことになりました。

11月 立花隆先生のご著書投げ込みデザインを担当させて頂きました。これ以上沢山の部数印刷されるものを制作させて頂くことはこの先滅多に無いでしょう…(笑)

12月 小林康夫ゼミにて、ロベール・ドローネーの「カーディフ・チーム」をめぐる分析を発表させて頂きました。

12月まで 寺田寅彦ゼミ(フランス語で進行)にて、ファンタスマゴリー(魔術幻灯)の問題を集中的に勉強しました。下半期はここから「幻想」という問題を考えていて、

その繋がりで象徴主義に関する文献を読むことが多かったように思います。

 

研究を進めて行く中で、19世紀末の光のありかたを考える上でファンタスマゴリー以来綿々と続く「幻想」の思想、それから

19世紀末に高まる「装飾」という概念の交差が決定的に重要であることに気付かされました。

修士論文はこの装飾と幻想という思想を切り口に、光(と音)を考えるものになる予感がしています。

そしておそらく、ジョルジュ・ベルジュがキーパーソンになるはず…。

読んだ本を全て書き上げることはしませんが、とくに衝撃を受けたのは河本真理さんの『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』や、

デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー フランス世紀末と装飾芸術の思想』、Simone Delattre, Les douze heures noiresなど。

でもやっぱり一番響いたのはボードレールの諸々に出会えたことだったかもしれません。

ダンテを読めるようになりたくて、少しだけイタリア語を勉強し始めたことも書き添えておきます。

 

あとは不定期になってしまっていたボウリングをまた定期的に再開するようにしました。

音楽をやる上でも日々を過ごす上でも、僕にとってボウリングは座禅のようなもの。ぶれない呼吸や強靭な精神で脱力して立つこと。

それは指揮とも共通するもので、(今年は行けなかったけれども、サーフィンとも関係してきます)それぞれをうまく呼応させて高めて行きたいと思います。

今年は最高でも276までしか出せなかったのは悔しい限りで、ひとえに練習不足によることが明らかですから

来年こそは人生七回目のパーフェクトを達成すべく、動作の精度とレーン・リーディングの速度を向上させたいと企んでいます。

 

そういうわけで、この一年間は周りの方々に温かく支えて頂いて、好きなことに好きなだけ打ち込むことが出来た時間でした。

非常に充実していた一方で反省も限りなく、もっと餓えていなければならなかったと思う時間が沢山あるのも事実です。

来年は指揮活動でフィリピンと関西と東京と東北を行き来することになりますし、同時に夏ごろからは修士論文を形にしていかねばなりません。

頂いた機会を一つ一つ大切にして、来年も果敢に生きて行きたいと思います。そうすれば思いもよらなかった未来が開けることを信じて…。

 

長くなってしまいました。今年何度も引いた『悪の華』最後の一節を改めて引用して、ひとまず一年の終止(そして出発!)と致します。

 

 

Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ? 裂け目の奥へ飛び込んで、地獄も天国も知ったことか

Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !  新しきものを探し出すため、いざ未知の底へ!

 

 

2013年、忘れ難い日々をありがとうございました。2014年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

「週刊読書人」11月8日号に書評を掲載頂きました。

 

「週刊読書人」11月8日号に小宮正安さま『音楽史 影の仕掛人』(春秋社)の書評を掲載頂きました。

まだ修士の身分にも関わらず、このような機会を下さった読書人さまに心から感謝いたします。

 

『音楽史 影の仕掛人』はいわゆる「音楽史-西洋音楽史」で扱われる作曲家の背景にいた人々を描いたものです。

扱われる25人それぞれがそれぞれに魅力的で、また独特な関わり方をしているので、包括的に記述することはなかなか難しかったのですが、

「楽譜の流通」「演奏するための空間の整備」「演奏の担い手の存在」という三点に注目して書かせていただきました。

このスリリングな本の魅力を少しでもお伝えすることができましたら幸いです。ご笑覧ください。

http://www.dokushojin.co.jp/backnumber/2013%E5%B9%B411%E6%9C%8808%E6%97%A5

秋の気配を感じる三日

 

<9月3日>

今日は用事で武蔵野音大にお邪魔しました。武蔵野音大の知り合いは多いのに、校舎に潜入するのははじめて。

「のだめカンタービレ」のモデルになった大学として、見覚えのある場所が沢山ありました。

色々なオーケストラで出会って一緒に演奏して下さった事のある方たちがわざわざ会いに来て下さって嬉しかったし、

廊下で大好きな二人のトランぺッターにばったり会えたのも幸せでした。

聞けば、授業やレッスンの僅かな合間を縫って来て下さったとのこと…皆さん本当にありがとうございます。

 

解散してから、近くの知る人ぞ知る珈琲屋さんでチャイコフスキー五番の譜読みに集中。

カップを選ばせて下さったので、大ぶりのものを失礼して一時間半ほどゆっくりと。

店内にはシューマンとグリーグのピアノ協奏曲が流れていて、珈琲はもちろん、デザートに無料で頂ける珈琲ゼリーが絶品でした。

池袋でいつもお 世話になっていた珈琲茶房というカフェが閉店してしまってから落ち着ける場所が無かったのですが、ようやく巡り会えた気がします。

そのあと3日・4日とかけてチャイコフスキーの五番をレッスンで全楽章通して見て頂き、燃え尽きて眠りに落ちる日々。

二ヶ月ずっと取り組んだチャイコフスキー五番からは沢山の学びがありました。演奏出来る日がいつかやって来ますように…。

来週からは、月末のリハーサルに備えて、改めてベートーヴェンの五番をレッスンに持って行きます。

運命を振るのは一年ぶり。当たり前だけど、スコアの見え方は一年前と随分違います。この凝縮度をどこまで棒で表現出来るかな。

 

 

<9月5日>

京都の美術系出版社で編集者をしている友人が東京に来たので、美術系の知り合いを招いて我が家で突発的飲み会を開催しました。

一枚の絵の名前を挙げた時、そこにいる人全員に共通の一枚のイメージが浮かぶのはとても楽しいことです。

フランス文化史×ベルギー象徴主義×アメリカ現代美術×ロシア絵画×観相学…マネからドガへ、デュシャン、クノップフ、ヴルーベリ。

絵画から詩へ、音楽と文学へ。時にCDをかけながら、本棚に並んだ本を引き抜きながら、心地よい酔いと共に語る時間でした。

それは容易ではないけれど、「徹底した史料批判の精神と飛翔する想像力の矛盾なき総合」を目指してゆっくりと歩いてきたい。

 

 

<9月6日>

とある書評の原稿依頼を頂き、嬉しさに飛び上がりました。

まだ修士課程の僕には身に余るほどのお話。日頃の恩返しが出来るよう、精一杯書かせて頂きます。

そして音楽の方でも嬉しいお話…コマバ・メモリアル・チェロオーケストラの2013年度公演の日程と場所が確定しました!

 

日時:2013年11月30日(土)16時30分開演

於:丸ノ内KITTE内、IMT(インターメディアテク)

演奏:コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ

指揮:木許裕介

 

今年もまた、ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」をメインプログラムに据えて、気心の知れたチェリストたちと演奏します。

昨年までは8人〜9人のチェリストたちと演奏していましたが、今年はいよいよ、12人のチェリストたちとこの曲を演奏する事になりました。

12人のチェリストの予定を合わせるのはある意味で演奏以上にヴィルトゥオーソな作業になるため、相当に大変なものがあります。

しかしそれを全く苦に感じないのは、「好きだから」ということに尽きるのでしょう。

まだリハーサルもはじまっていませんが、今年もきっと良いコンサートになると思います。

 

この「ブラジル風バッハ一番」を演奏して三年目になります。

師にとっても僕にとってもいちばん大切な曲の一つを毎年一回演奏できるというのは本当に幸せなことで、

自分にとってのバロメーターのような曲だと言えるかもしれません。最初にこの曲をレッスンで見て頂いた時、師がぽつりと

「この曲はとても自由な曲なんだ…一回一回新しい。この魅力に惹かれて僕は何度も演奏した。君もきっと、何度もやりたくなる。」

と語った言葉の通り、この曲の魅力に僕はすっかり取り憑かれてしまったのでした。

(余談ですが、昨年のチェロ・オーケストラの公演動画を見直していて、アンコールのあとに僕の指導教官が後方カメラの映像に映り込んでいらっしゃったことに気付きました。

足をお運び下さったのは知っていたけれど、こうやって改めてお姿を拝見すると凄く嬉しくて、学問上でも素敵な師匠に恵まれたなあと感謝するばかりです。)

読み返すたびに・指揮するたびに得る新しい発見を大切にしながら、焦らずじっくりと、一生かけて演奏していきたいなと思っています。

 

 

江古田の名店にてチャイコフスキー五番と格闘。

 

 

出発の哲学

 

しばらく音を聴きたくもなく、棒を振りたくもなかった。

少し覚えたはずの歌を失い、心は全く揺れず、呆然として立ちすくんだ。

 

文字通り真っ暗な中にいた。

作品のどこに立てば良いのか分からない。

どれを信じ、誰と音楽をして、何を求めれば良いのか分からない。

難しいことを考えるのは止めて楽譜を読もうとするけれど、楽譜は以前のように立ち上がらず、語りかけてくることもなく、

ただ石化した記号となって静寂に横たわる。

 

三ヶ月ぐらいそういう暗闇の中で踞っていました。

二人きりの時間にそう伝えると、師は柔らかに笑いながら言う。

「君はこれから何十年も棒を振らなければならないのだから、そういう時期があっても良いんだよ。」

 

大きな掌に包むようなこの言葉を僕は一生忘れまい。

さも当たり前のように下さった「何十年も」という言葉を、そして、悩んでいることを大らかに許して下さるその言葉を。

 

ずっと『悪の華』の最後の二行が響き続ける。

Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ?

Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !

戻ることも止めることもしない。自分で自分の道を切り開くしかない。

傷つきながらも、いまを潜り抜けた先に何かが見えることを切望して、

これが何十年のうちの大切な一部となることを信じて歩く。

もういちど信じることを思い出そう。それは脱出ではなく、「出発」のために。

 

 

 

 

二十六歳の夏休み

 

小林康夫先生の『こころのアポリア――幸福と死のあいだで』(羽鳥書店)刊行記念トークセッションがYoutubeにアップされていたことを知って観ていた。

(URLはこちら:http://www.youtube.com/watch?v=u30VQGYoauU)

この半年間、小林先生と一緒にボードレール、そしてモデルニテの絵画を勉強させて頂いたわけだけど、

「学者になろうと思ったのではない。書くという行為に携わり続け、書くという行為に生きるために大学に残ることを選んだのだ」という言葉は

いつ聞いても響くものがある。それが良いとか悪いとかではなく、少なくとも僕には、ある種の憧れと共感を持って響く。

 

院生としての最初の半年間の授業は早くも先日で全て終わってしまった。

学部以上に、大学院の授業は授業というよりは「刺激」と呼ぶのが正しい気がしていて、

沢山頂いた「刺激」を自分のうちにどう取り込んで「書く」か、そこに殆どが掛かっているのだと痛感する。

小林先生から頂いたボードレールとマラルメ(ミシェル・ドゥギーの『ピエタ・ボードレール』読解を通して)、モデルニテの絵画を辿るうちに現れたカイユボットとドガの「光」、

そして寺田先生から頂いた文学史の見通しと19世紀のスペクタクルの諸相をいかにして書くか。まずは京都の出版社の友人が下さった連載に対して、僕はいったい何を書きえるのか。

 

 

同時に、読まねばならぬ。

助手として二ヶ月近く立花先生と一緒に関わっていたことが一区切りし、五万部印刷されたものの一部を手元に頂きに久しぶりに猫ビルへ伺った。

小さいものだけれど、こんなに印刷されるものに関わらせて頂けることは滅多にないなと思うと感無量なものがある。

しかしその感動はすぐに消え去った。猫ビルの膨大な書籍に囲まれ、立花先生とお話しさせて頂くと、自らの無知に改めて気付かされ、悔しくなる。

僕は何も知らないし、何も読んじゃいない!

 

相変わらず立花先生はものすごい。指揮はどうなの,研究はどうなの、あの本は読んだ?と質問攻めにして下さる。

しかも、その質問の仕方は自然かつ絶妙で(これがインタビューの達人の業だ)僕の拙い発言を確実に拾いつつ、何倍にも広げて返して下さるのだ。

そしてまた、絵画の話になったとき、膨大な書籍の山から迷わず一冊の場所を僕に指示して引き抜きつつ、

「このアヴィニョンのピエタの写真と論考が素晴らしいんだ」と楽しそうに語られる様子に、凄まじい蓄積と衰えぬ知的好奇心を垣間見た思いがした。

その一冊が『十五世紀プロヴァンス絵画研究 -祭壇画の図像プログラムをめぐる一試論-』で、丸ノ内KITTE内のIMTでお世話になっている西野先生の学位論文であり、

渋沢・クローデル賞を取られた著書であったことには、色々な方向から物事が繋がって行く偶然の幸せを感じずにはいられなかった。

 

とにもかくにも、夏休み。

幸せなことにまた幾つものオーケストラでリハーサルがはじまる。

昨年指揮させて頂いた団体から今年も、と声をかけて頂けるのは嬉しいことだ。

東北でまたコンサートをさせて頂き、フィリピンに行くオーケストラの合宿をし、オール・シベリウス・プログラムのオーケストラの設立記念演奏会に関わらせて頂く。

毎年恒例のチェロ・オーケストラも今年はさらにメンバーを充実させて開催することが出来そうだ。

長らく温めていたけれど、そろそろ自分の団体についても動き出して良い頃だろう。

並行して、駒場と丸ノ内で頂いている室内楽の企画も進めて行かねばならぬ。

 

日々の苦しみと同じぐらい、楽しみなことがたくさんある。

一つ一つ大切に棒を振り、めいっぱい読んで、書く夏休みにしようと思う。

触発する何かが生まれる事を信じて。

 

 

 

 

寄稿:JGAPさま

 

日本ギャップイヤー推進機構協会さま(JGAP)よりお話を頂いて、短い文章を寄稿させて頂きました。

2013年度春より、東京大学でも試験的な意味合いを兼ねて30人ほど選抜でギャップイヤーを取得させる試みが成されるようです。

僕としては、東京大学特有のシステムである進学振り分け決定のち、すなわち二年生から三年生へ上がる間の一年で

ギャップイヤーを与えるのが一番効果的ではないかと思っているのですが、この原稿ではそうした事はさておき、

「ギャップイヤー~自分に”やすり”をかける時間」と題して、僕が過ごした休学の一年間を簡潔に纏めつつ、

それがどういう意味合いを持ったかを短く振り返ってみました。こちらからお読み頂く事が出来ます。

 

 

Hills Breakfast Vol.14

 

六本木ヒルズにて行われているHills Breakfastというイベントで少しだけお話をさせて頂きました。

登壇者は主に社会人中心のイベントのようでしたが、東京大学より推薦を頂き、

その上で幸運なことに森ビルさまより選んで頂きましたので、貴重な機会と思い、出させて頂きました。

 

「指揮という芸術、何だか分からないもの」と題して、休学したこの一年で打ち込んだもの、

そして指揮がどういう芸術なのかを、ピアノによる実演(「運命」や「子供の情景」、「月の光」など)を交えながら

今の僕に出来る範囲で手短に説明してみました。時間制限が結構厳しいものでしたので

上手く伝わったか分かりませんが、終わってから沢山の人に「面白かった!!」とお声をかけて頂き嬉しかったです。

 

僕が思っていたよりも遥かに沢山の方々がいらっしゃっており、その熱気に、こんなに早い時間から200名もの方々が

集まるイベントというのは凄いなあ、と本当に驚きました。(ヒルズ・カフェがぎっしりと奥まで埋まり、立ち見も

沢山出ていました!)そのぶん一番後ろの方々は指揮の実演が見づらいかなと思ったので、講演者用の壇を降りて

スライドを映し出しているプロジェクターとスクリーンの間に敢えて入り、指揮姿や指揮棒の軌跡を影絵のように拡大することで

後ろの方まで見えるように即興でやってみました。(ちょっと眩しかったですけど、本番の舞台での照明に比べれば!)

 

 

拙い話になりましたが、もしご興味を持って頂けた方がいらっしゃったならば、

その日に話したことのフルバージョンのようなものが書いてあるこちらのインタビューもお読み頂ければと思います。

(http://gapyear.jp/archives/1082)

 

企画して下さった森ビルの方々、僕のような若輩者を推薦して下さった東京大学の先生方、

伴奏してくださったピアニストの清水さん、そして朝早くからお越し頂きました皆様、貴重な機会をありがとうございました。

東京大学を休学して自らの信ずるものに打ち込んだ一年間の締めくくりとしてこれ以上ない、記憶に残る一日となりました。

 

講演を終え、動き出したばかりの朝の街をふらふらと歩きながら、柔らかく緩んだ空気に春の訪れを思い、

新しい一年が始まることを肌で感じました。あっという間に過ぎ去った一年でしたが、

どの一年間よりも刺激的で彩りに満ちた日々だったと笑顔で言うことが出来そうです。

 

休学の終わりに-HIll's breakfast -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦争と文学」講演会@早稲田大学大隈講堂

 

早稲田大学大隈講堂で立花先生の講演会の助手をしてきました。

大隈講堂の舞台の上に昇るのはもちろんはじめて。よく考えたら東大の安田講堂にも昇った事がないかもしれません。

舞台の上から客席を見ると二階席までかなりの人数で埋まっており、身が引き締まる思いをしました。

 

講演会自体は集英社の「戦争×文学」というコレクションの発刊に関するもので、立花先生は「次世代に語り継ぐ戦争」といテーマで

「戦争×文学」に収められたエピソードを適宜引用しつつ、沖縄の話からアウシュヴィッツ、香月泰男まで幅広く「戦争」のリアルな側面を

話されていました。前日に先生と打ち合わせた内容と随分話の展開が変わっていて助手としては焦りましたが、僕が立花先生の助手をしていて

一番好きなのは、こういう予想外の脱線や閃き、その場の雰囲気で流れががらっと変わるアドリブの部分なので、神経を尖らせて助手仕事をしつつ

「どんなふうに昨夜準備したこのスライドを使うのだろう」とワクワクしながら先生の話に耳を傾けます。

準備段階では資料を探してそれらを一本のストーリーで繋げる先生の構成力(と体力!)に毎回驚かされますし、

講演会でこうしてアドリブになればその博覧強記ぶりに圧倒されます。知識や本、映画や絵画がまるで呼吸するように湧き出てくるのです。

話しながら先生自身もワクワクしている様子が肌で伝わってきて、「ああ、こういう仕事を出来るようになりたいな。」と思わずにはいられませんでした。

 

先生と一緒にお仕事をさせて頂くと、自分の無知に嫌というほど気付かされます。日々勉強あるのみですね。