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面白い動画をいくつか

 

 昨夜ネットサーフィンをしていたら面白い動画を発見したので、いくつか紹介。

 

how to go down the stairs ⇒このままGoogleに打ち込めば最初に出ます。ちょっと真似したくなった。

Top 10 tricks⇒http://www.youtube.com/watch?v=YTLFLn9gHRE&feature=relatedで。子供は真似しちゃダメ絶対。

タイヤの結末⇒Googleで タイヤ レース 結末 で検索すればトップに来ました。激しくシュール。結末はもっとシュール。

A normal days trick ⇒ニコ動でこのタイトルで検索すれば出るはず。日常に取り入れてみたいと思います。

Chain Surfing ⇒Googleでこのタイトルで検索。動きが神がかってる。やってみたいけど捕まりそう。駒場で練習するか。

30000 matches bomb ⇒YoutubeかGoogleでこのタイトルを検索。大した意味はない動画だが、実験好きにはたまらない。

最近の親は子供にこんなDQNネームを名づけます⇒ニコ動。にわかには信じがたい名前が連発です。

タキシード仮面&月影の騎士名台詞70⇒ニコ動。これは見るべき。笑い過ぎて涙が出ました。こんなに面白かったとは・・・!

 

 ひと通り見た後、指揮法のトレーニングをこなし、明日のOtelloに備えてちょっと楽譜を勉強。読めばよむほどヴェルディ凄い。

明日が楽しみです。ちなみに今日コンビニで「流浪に剣心」の復刊(?)バージョンが置いてあったので立ち読みしてきたのだが、

最後にるろけんを読んだのは中学時代の授業中だったので、久し振りすぎて大変懐かしい気分になった。やっぱこの漫画は名作です。

基本はドラゴンボールっぽい(というか、ドラゴンボール以降の戦闘シーンのある漫画はドラゴンボールの影響を受けないのは不可能

なんじゃないかとすら思う。NARUTOなんかまさにそんな感じ。ロシアン・フォルマリズム的に分析したら面白いかもしれない。)

のだが、るろけんは力の抜き方がうまい。この漫画で扱われる「抜刀術」という技に適応するかのように、シナリオにおける静/動の

対比が素晴らしいと思う。静の部分で描かれるキャラの表情が動部分とGAPがあって、とても可愛らしい感じに描かれているから、

男性のみならず女性ファンもかなり多かったというのも納得できる。静と動を切り替えつつ、キャラクターが見事に立っている。

復刊コミックはまだ天駆龍閃(漢字これで良かったか自信なし)を覚える遥か前、牙突の斎藤一と再会するシーンあたりなので、

次巻以降どんどん面白くなってくるところだ。久し振りに読みなおそうと思う。

(どうでもいいけど牙突の構えってビリヤードの構えに似ている気がする。ブレイクショットに応用できないものか。)

 

政治的パラダイム・シフト

 

 昼からフルートのレッスンに行ったあと、いつものように経堂で8ゲーム投げ込む。

楽器をやると異様に集中できるのでその集中を引きずったまま練習する事ができた。

8ゲームのアベレージが198。8ゲーム中スペアミスがスプリットの時を除いて一つしか無かった。

特に7ピンのカバーが冴えている。僕は7ピンを取る時にはドライ用のボールを使って一投目と同じフォームで肘を入れ、

リリースの瞬間に回転軸を縦(場合によってバックアップ気味にすることもある)に変えて曲がらない球を投げているのだが、

今日はこの時に肘が非常にスムーズに鋭く入っていて、7ピンをミスる気がしなかった。こういう状態がずっと続いて欲しいと思う。

 

 帰ってからは情報メディア伝達論のテストに使うために拾い読みしたものの全体を読んではいなかった

吉田康彦 『「北朝鮮」再考のための60章 日朝対話に向けて』(明石書店)を読了。センシティブな内容なだけに詳細や感想をここに

書くのは避けるが、北朝鮮の実態を知ることが出来るという点では(コラム代わりのTopicsの項も面白い。)良い本であろう。

 

 夕方からはカミュのL’Étrangerを辞書と必死で格闘しつつ読む。和訳なら一時間ちょっとあれば余裕で読めるのに、原書では

二時間かかって五ページがいいとこである。まあでも、このペースでいけば9月中旬には何とか読み終わりそうだ。

夜はA氏に、金森ゼミで集中的に学んだbio-politique及びビオス/ゾーエーの概念や様々な生命倫理の問題を説明した。

ゼミと同じく、一通り説明したあと、最後に「マルタとジョフ」という思考実験を教えてこれについて考えてもらう。

deaf=聾唖者の夫婦であるマルタとジョフは、遺伝子検査の結果、遺伝的な要因による聾でないと分かる。

しかし、マルタとジョフは、子供が自分たちと同じく聴覚障害者であることを望んだ。

この欲望から、着床前診断により、聴覚障害になるような胚を選択して着床させたとしよう。

もちろんマルタとジョフは「子供の幸せ」を思ってそうしたのである。deafの両親の下でははじめからdeafとして生まれ、Deaf culture

に生きたほうが幸せだろうと両親が考えた結果の行動である。

だが、この行為は許されるのか?命を逆方向へEnhancementしているのではないか?

 

 もちろん、はっきりした正解がある問ではないのだが、僕が思う答えはこうだ。

マルタとジョフは夫婦という関係を絶対的な物として信頼を置き過ぎている。自分たちと同じ聴覚障害者の子供を作ったはいいが

夫婦が突然別れてしまって、両親の行方も知れずという状況になった時を考えてみよ。

残されるのは、「わざわざ聴覚障害を持たされた子供」だけである。夫婦の絆が絶対的なもので無い以上、親の意思で子供を

不利なほうへ改造するのは正しい行為ではないはずだ。そしてまた、マルタとジョフの行いは、子供の所属するコミュニティを

生まれる前に限定してしまっている。可能性を敢えて狭める方向へ産み分ける事は、ハンチントン舞踊病を回避するための産み分けと

異なり、非常に不自然なものに映る。

 

 こんな事を議論しているうちに選挙の開票速報が出始めたので、パソコンを立ち上げてニュースをあちこち巡る。

自民党の大敗。大物がバシバシ落選し、壊滅的に議席数を減らしたようだ。その一方で民主党の記録的な躍進。政権交代。

政治というデリケートな問題について確かな思考を持っているわけでもないので、そのことの良し悪しをここで書く立場に僕は無いが、

ただ一つ言えることは、今回のメディアの報道姿勢はあまりにも偏っていたのではないかということだ。とくに読み間違いを巡る報道。

公の場で読みを間違うことはもちろん良いことではないけれど、果たしてあそこまで騒ぎ立てるほどの問題なのだろうか。

子供のように読みの間違いを上げ足取って指摘するぐらいなら政策論争の時間を一分でも多く取った方がよほど有益ではないのか。

(ただ、失言や読み間違いに対する対策が余りにも遅かったことは確かだ。読み間違い自体は大した話ではないが、メディアが

過剰に騒ぎ立てる流れになってしまった以上はもっと対策する必要があった。そして自民党敗北の根本の原因は

首相の能力如何の問題以上に、党内のバラつきや内紛を国民に知らしめてしまったことにあると思う。)

メディアの報道だけでなく、「口が曲がったやつに政治を任せていていいのか」などと発言した某議員なども僕は心から軽蔑する。

口の角度が政治と何の関係があるのか説明してみろと言いたい。いっそ議員をお辞めになって、『口の角度と政治体制の関連』とかいう

トンデモ本でも書いて、Amazonで限りなく☆0に近い評価を貰ってボコボコに叩かれればいいと思う。

 

 まあとにかく、今回の政権交代は一つの政治的パラダイム・シフトと呼ぶに相応しい大事件であろう。

だが肝心なのは政権が交代することではない。民主党のもとで、どのような施策が展開されていくのか、どのような日本が作られて

いくのか、そしてメディアとどのような関係が構築されていくのか注意深く見守りたいと思う。

 

 深夜にはサイバネティクス・システムについて勉強して関連書籍をリストアップする。

パソコンを打ちながら、Amazonで買って届いたばかりのTargusのCooling Podium CoolPadの使いやすさに感動。

万年筆について熱く語れる先輩である機構のHさんが使っているのを見て買ってみたのだが、予想以上に使いやすい。お薦めです。

関連書籍のいくつかをノリで注文してしまったりパーフェクトソルフェージュの課題をいくつかやったりしたあと、朝6時頃に布団にダイブ。

台風が接近しているらしく、窓に打ち付ける雨の音がよく聞こえる。この音を楽譜に起こすと凄い変拍子の譜面になりそうだ。

 

 

こんなものを買った

 

 ゆっくりと文章を打つ暇が無く、すっかり更新が滞ってしまっていた。

なぜこんなに時間が無いのかというと理由は簡単で、ただテストが近いからだ。ドイツ語のテストに続いて英語のテスト。

進振りを目の前にしたこのテストは自分の一生を決める可能性があるから必死に勉強する。

連日近所のデニーズでコーヒー1杯だけで朝方まで粘る日々だ。とはいってもずっと勉強しているわけではなく、買い物や

ボウリングなどでそれなりに外へ出かけている。というわけで(?)最近買ったものをあげてみよう。

 

・MDノート(雑誌サイズ) 

愛用のノート。横罫と無地と方眼を一冊ずつ買ったので、用途に応じて使い分ける。万年筆から鉛筆まで、ノリが非常に良い紙で

180度開くあたりも書きやすくて良い。雑誌サイズは通常のノートやルーズリーフに比べてかなり大きいが、ここに太いニブの万年筆で

ガシガシ書きつけるのが気持ちいい。

 

・オロビアンコのショルダー

ジャーナルスタンダードの別注モデル。白と光沢のあるネイビーとの配色に一目惚れした。夏らしい配色で良い。

なんとセールにつき40%オフでゲット。バッグはマスターピースのボストンやGripsのショルダーを長く使ってきたが、

この夏はメインバッグの座をこいつに渡しそうだ。

 

・エディフィスのリネンシャツ

生地と色合いに一目惚れ。色が鮮やかなので、着るのにはやや躊躇する。襟がワイドスプレッドになっていて面白い。

 

・コンタクトレンズ

はじめてコンタクトをつけに行ったとき、看護婦に「あなたには無理ですね」と言われて早6年。

最初は本当に入らなかったし、入れるのに30分ぐらいかかったから、高校では体育の授業の前の時間から用意していたが

今となっては入れたあと号泣する事も無く当り前のように入れている。ワンデーなので出費は馬鹿にならない。

(知り合いが以前、ワンデーのレンズを表4日裏3日入れたそうだ。最終的に視界が真っ白になったとか。怖すぎる。)

 

・雑誌Pen 7月号

テーマが「緑のデザイン」だったので、今関わっているプロジェクトに生かせないかと思って購入。

そんなことを抜きにして面白かった。秋葉原の町に芝生を引いた画像(もちろんコラージュ)は、見る者の目を奪うアートだ。

 

・資生堂Menのクレンジング

この泡はヤバい。パーフェクトホイップなんて目じゃないです。少量で物凄く厚みのある泡が立つ。資生堂の本気を見た気がします。

これを購入後、資生堂Menのテスターキットが自宅に届きました。抽選で当たったようです。

 

・樽珈屋の珈琲豆

浪人中からずっとお世話になっている珈琲屋さんの豆。我が家に無くてはならないものなので、毎月購入している。

この店の豆で「珈琲には甘みがある。」ということを知った。珈琲はお酒と同じくらい嗜好品の性格が強いものだと思わせてくれた。

豆をカリタのナイスカットミルで挽いてお湯を落とした瞬間から、室内に幸せな香りが満ちる。俄然勉強する気になる。

 

・むきえび

近くのスーパーで特売になっていたので迷わず購入。これとホイル焼きにしたガーリックとトマトソースで作るパスタは最高だ。

仕上げにいつもシーバスリーガル12年を香りづけにかけるのだが、今回はグレンモーレンジでやってみようと思う。なんという贅沢。

 

・スイカバー

種に模したチョコチップが最高。

棒にくっついた形式のアイスは制限時間がその内に含まれている(スーパーマリオの横スクロール的な)のでどうも慌ただしくなる。

時間が過ぎると重力の影響をモロに受けて服が甚大な被害を受けることになります。学生の夏の風物詩ですね。

 

 

 

 

 

 

KENZO POWER インプレッション

 

 香水、とくにボトルのデザインを見るのが好きで、香りとボトルの両方を気に入ったものは出来る限り買うようにしている。

香りという「目に見えないもの」を「見る事も手で触ることも出来るもの」としての容器、密封されたボトルに閉じ込める。

香りを組み立て作り出すという芸術、それから香りのイメージをボトルで表現するという芸術、その二つの芸術が合わさることによって

一つの香水が生まれる。まさに、調香師とボトルデザイナーという二人の芸術家による自己表現と他者理解の結晶ではないだろうか。

言葉をデザインにしたり、デザインを音楽にしたり、音楽を絵画にしたり・・・

そんなふうに形態をメタモルフォーゼンさせて生まれる芸術は、僕にとっていつも大変魅力的に映る。

 

  さて、先日注文していた香水が届いたので、それについて書くことにしよう。

ケンゾーのパワーと、シャネルのアリュールオム エディシオンブランシェの二つである。

Powerの調香師はオリヴィエ・ポルジュ、ボトルデザインは原研哉。(原研哉の著書『白』は、今年の東大の現代文で出題された。)

Edition Blancheの調香師はジャック・ポルジュ、ボトルデザインは故ジャック・エリュの作ったものを継承。

二つ見比べて「ポルジュ」が共通していることに気付いた人がいるかもしれない。

実はこの二人は親子である!(親がジャック、子がオリヴィエ。ちなみにジャック・ポルジュはシャネルの専属調香師。)

親子の作品を同時に買って比べてみる事で、何か面白いものが見えてくるかも、と考えてこのような組み合わせで購入した。

 

 まずはPowerから。作り手の側のインタビューやコンセプトは香水名をGoogleに打ち込めばすぐに出るから、

ここに書く事はしない。それよりも自分のインプレッションを書くことにする。

この香水からまず最初に感じるのは、花と木の香りである。柔らかくて密度のある、温かい香り。

何の花なのかは分からない。靄がかかった森の中のような、よく見えないけれど周りに確かな木や花の存在を感じる光景。

徐々にベルガモットらしき香りが前に出てくる。靄の中に朝日が差し込んだような感じだ。

しばらくすると、「何か分からないが、明らかに花」な香りが場を支配するようになる。名前の分からない花、しかしどこかデジャヴ。

夢の中で流れていた香りを、朝目覚めてから思い出そうとした時のようだ。

むせるような花の匂いではなく、何重にも薄いフィルターがかかったような花の香りは、しばらくすると徐々に

フェードアウトしていく。フィルターが外されていくのではなく、透明度を30パーセントぐらいまで下げていくイメージ。

そのうちに、柔らかい木の香りが次第に強く感じられてくる。心地よい温かさと、重すぎない重さと甘さがある。

とても安心感を抱かせてくれるラストノートだ。しかしそれゆえに、ミドルノートの抽象的なイメージが頭に残る。

「あれは何の花だったのだろう?」と気になってしまう。ミドルとラストで繋ぎ目は全く見せないのに、コントラストが効いている。

最後に残るものは安心感なのに、とても独創的。これは本当に凄い香りだ。

 

 その香りを包むボトルも斬新なものである。本来は日本酒のためにデザインされたボトルをここで使っている!

KENZO POWER

鏡面仕上げからは軽さと重量感の双方を感じるし、それだけではなく、

自分の顔や手が円柱状の鏡に映って歪んで抽象的になる様子がとても不思議。

下部に控え目に配されたロゴが素晴らしい。ここに紫色を使ってくるのが天才だ。

ここが黒なら物足りないものになってしまっていただろう。

紫色の字に加えて、原が描いた「架空の花」のイラストが印象的にボトル全体の

見かけを締めている。何度見ても感動してしまう、素晴らしいバランス。

ここに詳しくは書かないが、このボトルを包む箱にも凄まじい拘りがある。

同じく原の作品である「冬季長野オリンピック パンフレット」を思わせるシンプルな

デザインに、たくさんの遊び心が詰まっている。