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第三回「のみなんと」

 

第三回「のみなんと」を無事終えました。

「のみなんと」はドミナントのオーケストラチーム&デザインチーム&僕の知り合いの

合同飲み会みたいなもので、毎回30人〜40人ぐらいで楽しくやっています。

今回は突然モーツァルトのカルテットがはじまり、つづいてアイリッシュヴァイオリン+口笛+ギターのライブが

予告無く開始されたかと思うと、端では乾杯の歌が朗々と歌われるようなフリーダムさ。

最後には木下牧子「鴎」という曲を合唱しました。「ついに自由は我らのものだ」と高らかに謳うこの曲、

今回の「のみなんと」にはぴったりな曲だったと思います。

学年も所属も身分も関係ないこの飲み会。音楽が本来持つ「楽しさ」に力を得て、

ここからまた色々な繋がりや出会いが生まれたならば、これ以上の喜びはありません。

ドミナントを立ち上げてからもうすぐ一年になりますが、わずか一年でこれほどまでに沢山の

素敵な方々と経験に恵まれた幸せを噛み締めながら、朝まで飲み続けました。

 

モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」@新国立劇場

 

二日ぶりの新国立劇場、今度はモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」に行ってきました。

コジ・ファン・トゥッテ、すなわち「女はこうしたもの」というタイトルのとおり

恋愛を巡る話なのですが、プッチーニの「蝶々夫人」とは全く違う恋愛観が展開されます。

自分の彼女が浮気するか確かめてみようぜと二人のカップルが実験して、お互いが

お互いの相手に見事に浮気してしまうという、モーツァルトでなければ許されないような

軽やかな笑いに満ちたオペラ・ブッファです。今回は演出が非常にポップであったこと

もあり、現代的な感覚で最後まで楽しませて頂けました。休憩時間、コジファントゥッテの

軽やかさに身を浸しながら、昼間からキンキンに冷えた白ワインを頂く幸せ。

これだからオペラは楽しいのです。

 

楽曲自体は非常に演奏が難しいことでも有名で、なぜなら

ほとんど二重唱や三重唱、四重唱になっています。明るい曲調が多くを占めますが、

ところどころにモーツァルトならではの明るさの裏に憂いを潜めた音楽が鏤められており

大笑いしたかと思うとその直後に唐突にやってくる旋律の美しさ・儚さに息を呑む事もしばしばです。

とくに後半でピアノ協奏曲27番の2楽章がこだまする部分には感動してしまいます。

音楽はもちろん、名台詞も沢山あってここには書ききれないほどですが、モーツァルトが

このオペラに込めたメッセージはつまるところ

 

「色々うまくいかないこともあるけど、理性を持ちつつ時には感情に身を委ね、

前向きに気持ちを持って、あなたの時代や人生を楽しめ!」

 

というふうに集約されるのではないでしょうか。

思わず「そうだ!それでいいんだ!」と膝を打ちたくなるぐらい

モーツァルトのそうした考え方が僕は大好きで、意気揚々と上機嫌で

新国立劇場を後にしたのでした。コジ・ファン・トゥッテ、おすすめです。

 

 

 

 

プッチーニ「蝶々夫人」@新国立劇場

 

立花ゼミのOBとなってもうゼミにもあまり顔を出していなかったのですが、

いつの間にか「木許オペラ」なる企画を後輩が立ててくれていました。

彼は、彼が一年生のときに僕がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「影のない女」に誘った後輩で

それ以来オペラの魅力にハマってしまったそう。そこで上級生になったいま、オペラの楽しさを

後輩たちに伝えるべく、新しくゼミに入った一年生を誘って、僕と一緒にオペラを見に行く会を企画してくれました。

 

当日、新国立劇場に向かうとなんと12人もの後輩たちが参加して下さっていて、本当にびっくり!

みんなどこか緊張した面持ちで、スーツの着こなしも一年生らしいものでしたが、かえってそれが微笑ましく

「彼・彼女たちは今から楽しんでくれるかな。終わったときどんな顔をしてこの劇場を出るのかな。」なんて

考えてしまいます。そして、簡単な解説と聞き方だけを手短に説明したあとは、みなS席(学生の特権で5000円!)へ。

おそらくはじめて来たであろう劇場の壮麗な雰囲気に圧倒される一年生たちを見ていると何だか幸せになってしまい、

開演前にそっと一人で一杯だけ飲んでしまいました。

 

あっという間に一幕、二幕。そして三幕。

舞台セットはほとんど動かず、固定したままのもの。そのかわり照明と影に工夫が見られました。

あの照明の使い方は凄く好きです。白い壁に映し出されるシルエットが何とも雄弁に物語ります。

音楽としては、一幕ではやや前に前にと突っ込む感じとフレーズの終わりの処理があっさりしているのが

少し気になった(もう少し間が欲しい!)のですが、二幕以降は迫力でぐいぐいとシナリオを進めていたように思います。

そして改めて、プッチーニはやはり旋律に溢れた作曲家だなあと感動しました。

 

一幕最後、有名な「愛の二重唱」で「小さな幸せでいいから。」と蝶々夫人が

歌い上げる場面では思わずウルッと来てしまいましたし、幸せに満ちたその音楽の中に

数年後に迫る悲劇を案じさせる、呪いの動機(ボンゾが登場したときと同じフレーズ)が一瞬顔をのぞかせる

ところにはゾッとします。そして三幕の「私から全てを奪うのね!」と内から黒い感情を溢れさせる

場面の音楽なんて、憎しみと絶望と諦めの折り混ざった、暗い情念の渦巻く旋律で、

もうプッチーニの天才と言うほか無いようなものでしょう。

 

結末は非常に残酷なもので、蝶々夫人の自害した瞬間に子供が相対してバンッと電気が落ちる

瞬間には思わず涙を零しました。結末を知っているのに泣いてしまう。結末はずっと前から暗示されているのだけど、

なかなかその結末はやってこず(音楽と演出がそれを先延ばしに先延ばしにし、時間を自由に伸縮させるのです)

それだけに最後のカタルシスは壮絶なものがあります。「ああ、いい時間を過ごしたなあ」としみじみと思いました。

 

劇場から出てみると、後輩の女の子は目を赤くしていましたし、

感想を話したくて仕方ないという様子の子もたくさん。みんな次の公演の演目を

楽しみにしているようで、パンフレットを見て「これはどんな話なんですか。」と次々に

聞いてきてくれます。「なんだ、オペラって楽しいじゃないか!」と思ってくれたなら

僕としてはこれ以上嬉しいことは無く、これからもゼミのみんなで、あるいは友達や大切な人と

誘い合わせて、歌と音楽に満ちたこの時間を楽しんでもらえたらいいなあと願うばかりです。

企画してくれた植田君、そして一緒に来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。

 

駆け出しながら音楽に関わるものとして僕はこれからもこのオペラという総合芸術を

応援していきたいと思います。そして、いつかは自分も指揮できるようになれたらいいな。

 

コンサートを終えて。

 

2011年5月4日、無事に一つのコンサートを終える事が出来ました。

人生初、プロのオーケストラとのコンサート。人生初、燕尾服(!)。お客様からお金を頂いて演奏するのもはじめて。何もかも初めてのことばかりで、コンサート当日に漕ぎ着けるまではかなり大変なこともありましたが、当日はただひたすらに楽しかった!フィガロの結婚と古典交響曲。合わせてわずか20分でしたが、この20分のために、僕はここ数ヶ月頭を一杯にしてきました。

 

至らないところも沢山ありましたが、、素晴らしいオーケストラの方々に支えて頂き、リハーサルよりもゲネプロよりも本番が一番うまくいったように思います。自分の友達や知り合いだけで100人近くの方々が来て下さったことに心から嬉しくなりながら、そして誰よりも尊敬する師、村方千之と同じ指揮台に立たせて頂けたこの幸せに胸がいっぱいになりながら、モーツァルトとプロコフィエフという二人の天才の残した作品にのめり込むことが出来ました。不思議なもので、リハーサルまではずっとスコアに縛られスコアを再現していく感覚が抜けきらなかったのですが、本番では「いま、ここで」作品を生み出して行っているような感覚になりました。沢山の聴衆の方々を背中に舞台に立ち、再現芸術のはずのクラシック音楽を即興的に、その場で、奏者の方々と一緒に作って行く感覚。風のように吹き抜けて行く早いテンポのプロコフィエフを指揮しながら、奏者の方と「次のフルート、お願いしますね!」と目を合わせてにっこり無言で会話する一瞬。それは言葉にならないほど刺激的でゾクゾクする体験でした。

 

終演後、音楽繋がりの方や門下の大先輩方から、「君が振るとオーケストラからいい音が鳴っていたよ。華やかで切れば水が滴るような瑞々しさ、青葉のような若い音を持ってる。」と言って頂けたり「今度うちに振りに来てよ。」と言って頂けた事はこの上なく幸せなことでしたし、僕の事を良く知っている大学の友達が「目を閉じても分かる。ああ木許が振っているんだなって。お酒の席で笑いながら色んな人と喋っている木許そのものだった。」というコメントをくれたことは一生忘れらません。それはオーケストラの方々が「この若造、まったく仕方ないヤツだなあ。」と思って温かくサポートして下さったおかげなのですが、色々な感想を頂けた事は恐縮しつつも思わず泣いてしまうほどに嬉しいことでした。

(コメントをくださった方々のブログを以下にご紹介させて頂きます。

江倉さまのブログ:http://ameblo.jp/eclateclateclat/entry-10882370898.html

なべしょーくんのブログ:http://show0425.blogspot.com/2011/05/blog-post.html)

 

僕には師匠のような呼吸の深い演奏はもちろんまだ出来ませんから、今は、師匠に教わった「音楽」を精一杯自分の中に取り込んで、その上で、23歳・大学生という今しか出来ない音楽をすることが出来ればと思っていました。そして師匠は僕のそうした「若さ」、あるいは「未熟さ」を当然見抜いていらっしゃったからこそ、「フィガロの結婚」序曲と「古典交響曲」という、モーツァルトとプロコフィエフの二人がいずれもかなり若いころに書いた、エネルギーに溢れたこの二曲を薦めてくださったのだと気付きます。自分の出番が終わり、他の誰にも真似出来ない「運命」を振る師匠を舞台の袖から見ながら、「師匠はやっぱり凄いなあ。」と感動と感謝を噛み締めました。

 

そうしてコンサートを終えて、朝まで続く打ち上げのあと、家に帰って静かな部屋でひとり本棚にフィガロと古典のスコアを並べようとしたとき、頭の中に流れていた音がそっと消えていったような錯覚に襲われました。考えてみれば、しばらくの間僕はどこに行くにもこの二冊のスコアと一緒で、電車でも喫茶店でも空き時間があればスコアを開き、読み、考え、そうやって数ヶ月を過ごしていたのですから。「音符は音楽なんかじゃなくて、それを表現する人がいないと音楽にならないんだよ。」と師匠がかつて教えて下さったことがありましたが、本棚にスコアを並べようとしたときにふと覚えたのは、昨夜舞台上で鳴り響いていたあのモーツァルトとプロコフィエフの「音楽」が、静かに「音符」へと還って行ったようなそんな感覚でした。次に指揮するときはもっと上手く振るからね、と心の中で呟きながら、書き込みだらけでボロボロになったこの二冊を静かに立てかけ、久しぶりにゆっくりと眠りにつきます。カーテン越しに入ってくる朝の光が目に眩しく、けれども最高に幸せな気持ちで。

 

指揮を習い始めてもうすぐ一年半。オーケストラを作って、初めてのコンサートを大学で行ったのがちょうど一年前。それから一年後に、まさか国内最高クラスのプロ奏者の方々を前に指揮台に立つことになるなんて思いもしませんでした。(もしかしたら東京大学在学中にプロオケを振ったのは僕だけかもしれません。)ここに至るまで教えてくださった師匠、門下の先輩方には心から感謝しています。そして、自分のつたない棒で一緒に音楽をしてくれるドミナント室内管弦楽団のメンバーにも。演奏者の方々に本当に多くを教えられた日々でした。

 

僕は音楽の入り口にようやく片足をかけたばかり。

これからも身をスポンジのようにして、師匠から、一緒に音楽をして下さる方たちから、学べる限りのことを学んで行きたいと思います。

 

木許裕介 Photo by Yasutaka Eida

 

 

 

古典交響曲のテンポ設定について

 

コンサートを目前にして、古典交響曲のテンポ設定で悩んでいる。

とくに一楽章だ。作曲者の指示はAllegro,二分音符で100。相当に早い。

これを忠実に守ろうとすると、トスカニーニ&NBCの演奏ぐらいの早さになる。これでは細部は表現できないし、

ともすれば前のめりになってしまう。前のめりにならずこのテンポで弾き通すには相当の練習(指揮者の僕自身も)が必要だと思う。

ただでさえ弾くのが難しい曲なのにそのスピードでやってしまうともう早弾き大会みたいになるだろうし、そんなテンポを

プロの奏者の方々に要求するなんてことは駆け出しの僕には恐れ多くて出来ない。

 

だが、ある程度のテンポでやらないと「ダレて」しまうのもまた事実。

迫ってくるようなフレーズ、鮮やかに受け渡されるフレーズ、そういったものはスピード感あっての

ものだと思う。とはいえ、市販されているCDのほとんどを聞いたはずだが、「これだ!」というテンポがどの録音を聞いても見つからない。

ある場所ではピッタリでもある場所では遅過ぎる。ここでふと気付いたのだが、冷静にスコアに立ち戻ってみれば

古典交響曲(=古典時代を真似た「擬」古典的な様式)の二分の二拍子で二分音符100という設定自体がすでにねじれているのではないだろうか。

 

プロコフィエフがにやりと笑う顔が見えた気がする。プロコフィエフの生きた時代はすでに古典的な曲が様々な解釈で演奏された時代だった。

「ほら、俺の古典交響曲もハイドンやモーツァルトとか古典時代の曲をやるみたいに解釈してみろよ。

このテンポでやれるものならやってみろよ。無理?ならどうする?遅くする?遅くするとダレるよ。一筋縄ではいかないように作ってあるから。」

そんな声が聞こえてくる。僕はどうやってプロコフィエフのいたずらに答えを返そうか。本番を目前にして悩み始めた。

 

 

初日リハーサルを終えて。

 

無事に一回目のリハーサルが終わりました。

あっという間の50分でしたが、予め考えておいた通りの時間配分で行うことが出来たので一安心です。

やってみると上手く行く部分も上手く行かない部分もありましたし、プロの奏者の方々からビシバシと指摘を頂いたりもして、

自分にとって非常に濃密な時間になったように思います。50分で多くを勉強させて頂きました。

コンマスの方は僕の拙い指揮から意図を丁寧に汲み取ってくださいましたし、チェロのトップの方からの

「僕ここめちゃくちゃ気合い入れて弾くからさ、もっと僕に気合いを飛ばしてほしい。プロコフィエフだからね!」という

指摘には背筋が正される思いがしました。

 

しかも1stVnの一番後ろのプルトのあたりにはなんと指揮の師匠が座っていらっしゃって、

スコアを見ながら僕の指揮をじーっと見つめていらっしゃいます。

いつも自分が振っているドミナントのメンバーが見守る中、プロの奏者と師匠に挟まれて指揮するこの緊張感!

指揮台に立つ前は笑顔になる余裕なんて無いのではないかと思いましたが、振りはじめてみると楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

とんでもなく綺麗な音が出てくるし、自分の指揮に敏感に反応してくださる。そして何より、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が

楽しすぎる。後ろで見学していたドミナントのヴァイオリニストから「いつもと変わらない感じで楽しそうに振ってましたよ!」

とメールをもらって、どれどれとリハーサルの動画を見てみたら、満面の笑顔で棒を振っている自分がいました。

「こいつ全く仕方ないヤツだな」と思われたのか何だか分かりませんが、横でじーっと見守って下さった師匠の厳しい顔にも

時折笑顔が浮かんでいるのを発見してしまいました。(古典交響曲では「テンポもっと上げてやらなきゃ!」と喝を頂きましたが…)

 

指揮者というのは難しいもので、指揮台に持ち込めるものはたった一本の棒と楽譜だけ。

棒は所詮木の棒にすぎませんし、振り出すと楽譜は丁寧に追っている暇なんてありません。アテになるのは声と頭と心のみ。

つまり、自分という人間ひとつで勝負せねばならないわけです。50人のプロの視線を身ひとつに浴びながら、

視線から逃げることなく(むしろ視線を集中させることを楽しんで)振る舞わなければならない。

それは言葉に出来ないほどの大変さが伴います。その意味で、昨夜は音楽の厳しさと楽しさを身をもって味わう時間となりました。

 

残されたリハーサルはあと一回。

人間で勝負する芸術である以上、背伸びが無意味なのは承知です。今の自分に出来る限りの指揮をしようと思います。

 

 

 

休学という選択、夢中になれるもの。

 

東京大学を休学することにしました。

何を突然、と思われるかもしれませんが、実はずっとずっと考えていたことです。

 

立花隆のもとで、一年間助手をして過ごします。

立花さんと一緒に日本を飛び回りながら、昼間は猫ビルに籠り、あそこにある本を読める限り読みつくそうと思います。

村方千之のもとで、一年間指揮を集中的に学びます。

おそらくもう二度と日本に現れる事のない不世出の大指揮者だと僕は信じて疑うことがありません。

「知性」と「感性」の師、そして「死」を意識するこの二人の巨匠と接して以来、

この機会を逃してはならない、と思い続けてきました。

 

はじめて立花事務所、通称「猫ビル」に入らせて頂いた時の感動は忘れられません。

僕が憧れていた本に囲まれた乱雑な空間がそこにありました。図書館とは違う空間。

陳列や収集の空間ではなく、一人の人間の「頭のなか」そのもの。

何万冊もの本が書き込みと付箋だらけでそこかしこに散らばっている。

一つの本を書いたり話したりするためにこれだけの勉強をされていたんだ、と背筋が伸びる思いをしました。

 

そしてまた、村方千之にレッスンを見て頂いた時、また師のコンサートで「ブラジル風バッハ四番前奏曲」を聞いた時の

感動は生涯忘れる事が無いでしょう。「シャコンヌ」の堂々として祈りに満ちた気品、ベートーヴェンの「運命」や

ブラームスの一番の何か太い芯が通ったような強靭さ。息の止まるような感動をなんど味わったことか。

眼を閉じて聞いているだけで感動が抑えきれなくなるような純然たる「音楽」がそこにありました。

 

本と音楽が好きな僕にとって、これ以上の出会いは無いでしょう。

ですが、お二人に接する事の出来る残り時間は限られている。

巡り会えたという喜びと、もう時間はあまり無いのだという焦りとを同時に味わいました。

この機会を逃すと僕は一生後悔する。そしてこれらは片手間に勉強できるものではないし、片手間に勉強することが許されるものではない。

二浪していて僕はすでに23という歳ですが、もう一年を賭けてもいいと思えるぐらいの衝撃を受けたのでした。

 

休学を考えていた頃に巡り会った、コクトーの文章が背中を押してくれました。

コクトーはこう書きます。

 

「孤独を願うのは、どうやら社会的な罪であるらしい。一つ仕事が済むとぼくは逃げ出す。ぼくは新天地を求める。

習慣からくる弛緩を恐れる。ぼくは、自分が技術や経験から自由でありたい ―つまり不器用でありたいと思う。

それは、奇人、叛逆者、曲芸師、空想家であることなのだ。そして賛辞としてはただ一つ、魔術師。」

 

「彼(エリック・サティ)はそこで自分を軽石で磨き、自分に反撃し、自分にやすりをかけ、

自分の繊細な力がもはや本源から流出するしかなくなるような小さな孔をきたえあげたのだった。」

 

浪人中に僕はそんな時間を過ごしました。

いま、そうした時間を自分が再び必要としていることに気付かされます。

ヴァレリーの言葉に「夢を叶えるための一番の方法は、夢から醒めることだ。」というものがありますが、

その通り、夢中になれるものを見つけたなら、自分の身でそこに飛びこまないと夢のままで終わってしまう。

だからこそ、レールから外れて不安定に身を曝しながら、一年間学べる限りのことを学んでいきたいと思います。

 

この選択を快く許してくれた両親には心から感謝していますし、回り道が本当に好きだなと

自分でも改めて呆れてしまいますが、後悔は少しもありません。

どんな一年間になるのか、どんな一年間を作っていけるのか、ワクワクしながら2011年の春を迎えています。

 

 

 

ヴェルディ『La Traviata 椿姫』@新国立劇場

 

「夕鶴」に続いて、「椿姫」を見てきました。

椿姫といえば、これまた良く知られたオペラで、原作となっているアレクサンドル・デュマによる小説も今に至るまで読み継がれているもの。

ですが小説とオペラの内容は結構違っています。まず主人公二人の名前が全く違う。さらにオペラの方はヒロイン(ヴィオレッタ)と

男(アルフレード)の二人の純愛の世界を描く要素が強くなっています。

 

このオペラ、僕はカルロス・クライバーの録音を昔から愛聴しており、一幕や三幕の前奏曲は大好きな曲の一つ。

師匠がかつて一幕の「ああそは彼の人か」を演奏したこともあってスコアも入手していましたし、有名な「乾杯の歌」もこの間自分で

指揮したばかり。これはという曲をいくつか選んで、スコアを勉強したうえで実演(公演初日です)に臨みました。

 

チューニングが終わり、電気が落ちて(いつもはチューニングしつつ電気が落ちるのですが、今回はなかなか落ちませんでした。

手違いでしょうか)、あのすすり泣くような一幕の前奏曲が始まります。

ですが…うーん、何と言ったらよいのか、あざとい。自然な流れが無く、僕が感じたものとはフレーズの捉え方が違って

(どちらが正しいとかそういう問題ではなく)ちょっと違和感を抱いてしまいました。

オーケストラの音も一幕の間はずいぶん固く、音の伸びが足りない印象。アルフレード役の方も最初はかなり固かったです。

 

二幕になると音から随分と固さがとれ、とくにヴィオレッタとアルフレード役の方々がのびのびと歌っていらっしゃったように感じます。

それにしてもヴェルディの音楽というのは本当に凄い。とくに三幕の最後、ヴィオレッタが自らの死の予感に直面したときの

感情の描き分けなんて天才だと思います。僕はこの部分を聴きながら、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という書物を

思いだしました。キューブラー・ロスは200人の末期がん患者に聴きとり調査を行い、死に直面した人たちは

「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」というプロセスを経て死に向き合っていくということを本書で述べていますが、

三幕のヴィオレッタはまさにそうした感情の渦に巻き込まれます。そして一幕・三幕の前奏曲のあのすすり泣くような弦の旋律が何度も

リフレインされる。金管を効果的に用いて不安を表現し、再びピアニッシモで静謐さを満ちさせ、劇的に突き進んでゆく。

死を前にした感情の揺れ動きを音楽で見事に描写しているように思われました。

 

そんなことを考えながら終演後ホワイエに出て窓の外を見ると、世界が白く見えるほど雪が降っており、

そればかりかすでに積もり始めていました。新国立劇場の窓ガラスから雪が見えたのはじめてでしたが、何だかとても綺麗で

静かに感動。結局、その日は夜を通じて雪が降り、東京とは思えないほどの積雪を記録することになったようです。

これから先、「椿姫」を見るたびに雪を、雪を見るたびに「椿姫」を思いだしてしまいそうな気がします。

 

バルトーク「ミクロコスモス」を振る。-変拍子の集中トレーニング-

 

指揮のレッスン、中級課題の最後の曲として置かれたのがこの「ミクロコスモス」。

「ミクロコスモス」はバルトークが書いた、全6巻153曲から成るピアノのための練習曲集で、後半になるにつれ

練習曲の範疇を遥に超えるような内容が盛り込まれています。その中の第4巻、第5巻、第6巻から10曲が指定されており、

それが指揮の課題として与えられています。「ミクロコスモス」=「小宇宙」の名の通り、一つ一つは2分以内がほとんどの

短い曲ばかりなのですが、これを指揮するとなるとめちゃくちゃ難しい!というのは4巻以降は特に変拍子の嵐だからです。

 

変拍子と言っても何かが変なのではなく、要は複合拍子のこと。そしてしばしば、曲中で拍子が変化していきます。

たとえば100番では、8分の5からはじまって、8分の3との間をころころと移動します。しかも8分の5の中にも2+3の5と3+2の5があって

これを正確に振り分けねばなりません。103番では8分の9(2-2-2-3)からはじまり、8分の8(しかも2-3-3と3-2-3のパターンが連続)に

なり、次に8分の3×2に変化したあと、8分の5(2+3)にチェンジ、そして8分の7、さらに8分の5(3+2)と変化し、それだけではなく

途中から猛烈にaccelerandoがかかって加速するなど、テンポまで変化していきます。

 

140番になるともう大変で、なんと一小節ごとに8分の3→4分の2→8分の3→8分の5→4分の2→8分の3→8分の6→8分の5

→8分の9→8分の7→8分の6→8分の3…というように、変化してきます。なおかつテンポもどんどんと変化していき、そのうちに

ゆるやかなテンポで3-3-2の8分の8と3-3-3の8分の9が入れ替わる部分がやってきたりするうえ、強弱記号やアクセントも

複雑につけられているので、これを単なる「運動」ではなく「音楽」にするためには相当な技術が要求されます。

 

レッスンを受けた時、この140番の前までは予習してあって無事通過したのですが、「じゃあ140、141もいまやってみなさい。」と

師匠に無茶ぶりをされ、まさかの初見でこれを振ることになってしまいました。「え…ちょっと読む時間を…。」と呟いてみたものの

師匠が悪魔のような笑顔で「ほら。はやく。」とせかしてきます。結局読む時間は全くなく、とりあえず振り始めました。

まるで真っ暗な高速道路を猛スピードで飛ばしているようなギリギリの感覚で、飛んでくる障害物や突然目の前に現れるガケを

必死によけながら、反射神経をフルに高めて指揮しましたが、途中まで耐えたものの、やっぱり途中で崖から落ちてしまいました(笑)

転落するのを見て「はっはっは、駄目だねえ。」と笑う師匠。「そんなに難しくないじゃない。変拍子だなんて思わず、音楽の流れを

感じてその都度対応すればいいんだよ。見てろよ。」とおもむろに振りだしたかと思うと、あっさりと最後まで振ってしまわれました。

 

何度も書きますが、師匠は85歳。僕のほうが反射神経も運動神経も絶対にいいはず。なのにあっさりとこの複雑な音楽を指揮してしまう。

しかも何が凄いって、師匠が振ると変拍子が「変」に聞こえず、自然な流れで聞こえてくるのです。何だかとても簡単そうに見えます。

僕のぎくしゃくした指揮と違って、これなら演奏者の立場に立ってみても演奏しやすいのは明らかです。指揮に合わせて弾けば

自然とバルトークの書いた世界=ミクロコスモスの中に入ることが出来ます。「参りました!」と兜を何枚脱いでも足りないぐらいです。

 

 

10曲を終えるのに4回のレッスンを費やし、ようやく今日になって終了。

門下の先輩方が「ミクロコスモスをやると、現代曲が怖くなくなるよ。」とおっしゃっていましたが、確かにその通りで、連日徹夜続きで

勉強する中で、変拍子というものの「楽しさ」が何だか少し分かった気がします。

変拍子を振っている時の頭の回転具合というか集中力は自分でも異常だと思えるぐらいで(東大入試本番なんて目じゃないです。)

頭と身体のトレーニングにも最適な気もしました。頭と身体の両方で反応できなければ絶対に上手くやることは出来ませんね。

これからも変拍子は事あるごとに練習して、苦労なく振れるようにしておきたいと思います。

 

次からはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲に。 また改めて書きますが、5月4日にプロのオーケストラを指揮することに

なっていて、その時に自分が振る曲の一つです。(もう一曲はプロコフィエフの「古典交響曲」)

有名すぎるほど有名なこの曲、スコアを見ると仰天するぐらい緻密に作られた、モーツァルトの天才が良く分かる曲でもあります。

天才バルトークから、天才モーツァルトへ。本番で満足のいく演奏が出来るよう、しばらくはフィガロを集中的に勉強するつもりです。

 

 

日曜日のすごしかた。

 

久しぶりに予定の無い日曜日だった。

昼前までゆっくりと寝て、ゆるゆると布団から這い出て家事をし、着替え、Pierre Bourdieu – Agent provocateur -という本一冊と

財布と携帯だけを持って、お気に入りの小さなカフェへ。い つものように、マスターのドリップの手つきが良く見えるカウンターの端に座る。

もう何十回と来ていて顔を覚えられているから、頼まなくても一杯目はブレンドを出して頂ける。

丁寧に蒸らして淹れながら「今日は何の本を?」と初老のマスターが顔を上げずに僕に尋ねる。

「今日はこれです」そう言って持ってきた本 を見せると、マスターはふっと顔をあげて、いつも通り「そうか。ゆっくりどうぞ。」と笑顔で

珈琲をくださる。会話はそれっきりで、時々他のお客さんが入ってくると賑やかにもなるけれど、静かに時間が流れてゆく。

店内にはビゼーの「カルメン」の組曲が控えめな音量でかかっていて耳に心地よい。ブルデューもビゼーもフランス人なんだな、と

とりとめもないことをぼんやりと考える。珈琲の香りが、目の前にある緑と金で縁どられたジノリのカップから、あるいは煎りたての豆が

並ぶカウンターの向こうから、ふわりと豊かに漂ってくる。

 

お客さんが増えてきた三時頃、軽く睡魔に包まれながらそっと店を出る。

起きた頃には高かった陽はもう傾きはじめ、西日が世界を斜めに照らす。ああ、もう一日が終わり始めている、と嘆息する。

眠気の残る頭のまま、予約もせずに美容院へと向かう。うとうとした心地のまま誰か他の人に髪を洗ってもらい、切ってもらう。

そんな幸せなことがあるだろうか。身体に触れる手の温度が心地いい。こうやって人の温度をゆっくり感じたのは久しぶりかもしれない。

そうだ、今日は自分のために一日を使おう。まどろむ思考の中で決意した。

 

そうして、二カ月に一度通っている中国整体へ足を運ぶ。

ここで身体のバランスを見てもらうのが僕にとっては一番の体調管理。疲労もゆがみも身体を見れば一発で分かる。

身体は正直なものだ。しばらく無理を重ねていたから背中に相当な負担が来ていたことを感じつつ、南京で覚えた拙い中国語で先生と

話し、「日本語も中国語も難しいね!」と呵々大笑する。施術が終わると、背中から誰かがはがれたみたいに身体が軽くなっていた。

 

身体が軽くなると、すぐに動きたくなる。じっとしていられない。昔からそうだ。

近くのカフェに入ってフランス語をやり始めたもののすぐに我慢が出来なくなって席を立ち、自宅に走って帰って準備をし、

いそいそとボウリングへ出かけた。もう一つの体調管理。ボウリングは僕にとって禅のようなもので、集中力チェックの意味を

果たしてくれる。日々の音楽の勉強で学んだことがボウリングに影響を与えてくれる。指揮もボウリングも、立った瞬間から

勝負がはじまっていて、背中で語らなければならない。一歩目、二歩目は楔を打ち込むようにしっかりと、しかし擦り足で弱拍。

我慢の限界というほどにゆっくりと歩くと、周りの景色が違って見えてくる。背中に静寂が吸いこまれていく感覚がある。

そして四でがっしりとタメを作り、時間と時間の隙間に無重力の一瞬を生みだして、一気に、しかしリリース・ゾーンを長く取って、

全エネルギーをボールに乗せて放つ。その繰り返し。ひたすら自分の精神と身体に向かい合う。

軽くなった身体で、一心不乱に七ゲーム投げ続けた。

帰ってまた本を開き、疲れたところでフランス語を始める。

そうするうちに夜はどんどん更け行き、日があっという間に変わってしまう。焦りとともに、指揮の課題として勉強しているバルトークの

ミクロコスモスNo.140.141を開き、読み込み、この目まぐるしく移る変拍子をイメージする。運動ではなく、音楽として感じられるように。

少しでも音楽が出来るように。

続けて、5月に指揮するプロコフィエフの「古典交響曲」のスコアを開いてCDを流しながらざあっと読んでみる。

わずか15分足らずの曲なのに、編成もハイドン時代の古典的な編成なのに、がっちりとした枠の中に多くの逸脱がある。

大胆な和声、意表を突く和声、楽器のテクニカルな交差。形式の中に刻み込まれた皮肉とユーモア。プロコフィエフの天才。

どうやったらこれを表現出来るのだろう。

新聞屋さんがポストにカタンと音を立てた。

もう五時だ。一日の終わりに、もう10年近く使っている万年筆を手に取り、原稿用紙に向かう。

書かなければならないことは沢山あって、書きたいこともとめどなく湧き出てくるのに、書けることはほんの僅かだ。

ため息をついて椅子の背もたれに寄りかかる。お風呂上がりに淹れたお茶はすっかり冷めてしまっていた。

朝六時。そろそろ寝よう。世界が動き始める。日曜日を終えるのは怖いけれど、月曜日を始めなくてはならない。