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こんなモノを買った Part2

 

東京-神田-渋谷-新宿と回って買い物をしてきました。以下、買ったものリスト。

 

【本】

・Joseph S.Nye Jr  ” THE PARADOX OF AMERICAN POWER “   (Oxford University Press,2002)

⇒神田の古本屋で発見。2002年にエコノミスト紙とワシントンポストの両方で「Best Book」に名が挙げられた本であって、作者の

ナイは国際関係論の講義でもしばしば紹介される『国際紛争 -理論と歴史-』(有斐閣) を書いた人でもある。

 

・熊田為宏 『演奏のための楽曲分析法』 (音楽之友社,1974)

⇒渋谷のYAMAHAで発見。表紙だけ見ると幾何学か何かの教科書みたい。譜例も豊富で、内容は結構充実していると思う。

昔に購入した島岡譲 『和声と楽式のアナリーゼ』をもう一度読み返してから本書を読むつもり。もともとこの本を買うつもりはなくて、

作曲やオーケストレーションをする人の聖典である伊福部昭 『管弦楽法』を買おうと決心してYAMAHA渋谷に入ったのだが、

やはりその値段(24000円!!)に躊躇してしまった。手に取って眺めて、さんざん悩んで溜息とともに本棚に戻す。これで二度目である。

値段の価値はある本だろうし、絶対に読まなければならないのは分かっているのだけれど、流石にこの値段の本は買いづらい。

というわけで、お酒を飲んだ後とか、テンションが高い時に勢いで買ってしまう作戦に出ようと思う。

 

・Albert Camus ” L’Étranger “  (folio)

⇒ 「きょう、ママンが死んだ。もしかすると昨日かもしれないが、私には分からない。」

( Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier,je ne sais pas. ) で始まる一節があまりにも有名なカミュの『異邦人』。

「一昔前、フランス語をある程度学んだ仏文志望の学生はこぞってこの『異邦人』の原書に挑戦した。」という話をある先生から

お聞きしたので、夏休みをかけて同じ事に挑戦してみようと思い立ち、OAZOの丸善で購入。

先生曰く、「この本はフランス語の文法の勉強にもなるよフフフ・・・」とのことだったが、パラパラめくっているうちのその意味を理解した。

冒頭のmaman est morte. からしてêtreの現在形+過去分詞という複合過去形であるように、複合過去が多用されているのだ。

なるほど、これを読み切ったらきっと複合過去は怖くなくなるだろう。毎日ちょっとずつ読んでいきたい。

 

・『フランスの伝統色 The Traditional Colors of France 』 (PIE BOOKS,2008)

⇒昨年からずっと狙っていた本。デザインするときの色遣いに幅が出ればと思って購入。J.HERBIN(万年筆のインクメーカー)

のインクで見られるような、何とも言えない色合いがCMYK、RGB数値つきで載っていてとても参考になる。

青ひとつにしても、Mer du sud (南の海の青)や、Bleu Monet (モネのブルー)、Céleste (天空の青)など、名前も色も様々である。

この本には同じシリーズに『日本の伝統色』があるので、こちらもいずれ購入するつもり。

 

【その他】

・MDノート(横罫) +MDノート用ブックカバー

⇒以前もブログで取り上げたMDノートA4サイズ。横罫を一冊使い切ってしまったので補充した。ついでにこのノート用のブックカバーも

合わせて購入。MDノートは白を基調としたデザインだから、僕のように扱いが荒っぽい人間が使うとすぐに表紙が汚れてしまう。

「それも味の一つ」と自分を納得させて使っていたが、やっぱり元通り白いほうがいいので、このブックカバーをかぶせて使う事にする。

 

・ファーバーカステルの8Bの鉛筆

⇒楽譜への書き込み用。楽譜は自分で購入しているので、次に使う人に配慮する必要はないのだが、消しやすい方が何かと楽なので

筆圧をかけずに濃いマークや書き込みが出来る8Bの鉛筆を使用している。これとファーバー・カステルのエモーションという1.4mmの

芯が出せるメカニカルペンシルで書き込みをするのがお気に入り。ちなみにエモーションの軸色はオフ・ホワイトで、同じく白を基調に

したMDノートと一緒に使うと何だかスタイリッシュな気がしてくる。

 

 

 なお、明日(今日)は東大ガイダンスの相談員として駒場にいます。

このブログを見てくれている高校生の方で明日オープンキャンパスに来る人がいましたら、ぜひ寄って行って下さいね。

 

J'ai passé une très bonne soirée.

 

  昨夜ハイドンのピアノ協奏曲を譜読みしていて、二楽章で分からないところがあったので動画を見ようと思ってタワレコへ行った。

買ってきたのが下の三枚である。

 

・Haydn Cello Concertos & Piano Concerto No.11 (  Mstislav Rostropovich , Homero Francesch, Neville Marriner )

. Beethoven Piano Concertos No.5 & No.3 ( Ikuyo Nakamichi, Paavo Jarvi )

. Beethoven Piano Concerto No.1 & Mahler Symphony No.1 (Margarita Hohenrieder, Fabio Luisi)

 

・・・案の定、関係ないものまで買ってしまいました(笑) まあどれもコンチェルトの勉強になるからいいか。

まず一枚目のハイドンだが、これはチェロのロストロポーヴィチの音がカッコよすぎる。剛健な音色。ハイドンのチェロ協奏曲ってこんな曲

だったっけ?と思ってしまうぐらい、ロストロポーヴィチの色が強い演奏だ。こういう演奏は嫌いじゃないし、リヒテルとロストロポーヴィチの

Beethoven Cello Sonata No.3を擦り切れるぐらい聴きまくった耳には、どこかほっとする音だ。チェロの音色はやっぱりいいなあ。

本命のピアノ協奏曲は、疑問点の解決のためのヒントを与えてくれはしたので役に立ったが、演奏自体はあまり好みではなかった。

何よりも指揮者のマリナーの顔が怖すぎる。『美味しんぼ』の海原雄山みたいな顔つきで、厳しい表情と楽しい音楽とのGAPが著しい。

これで音が明るかったら良いのだが、取り立ててそういうこともない、ストレートな(ある意味ドライな)演奏。マリナーは2007年に

N響へ振りに来ていたと記憶しているが、その時は「元気なおじいちゃん」という感じだった。DVDの収録は1982年とあるので、

僕の知っている来日時の姿より、25年も前の姿が収められていることになる。25年経てばこれぐらい変わっても不思議ではない。

ピアノはホメロ・フランチェスという人で、僕はこの人の名前も演奏もこのDVDで始めて聞いた。とくに「!」と思った部分は無かったが、

三楽章の150小節目、d moll に転調してピアノが連続トリルを駆け下りていく特徴的な音型の部分でやや変わった弾き方を

していたのが記憶に残っている。

 

 ニ枚目のDVDは「ベートーヴェン弾き」仲道郁代とパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンのピアコン五番と三番。

仲道さんが一生懸命英語で喋っているドキュメンタリーが付いていたが、普通に日本語で話せばいいのに、とついつい思ってしまう。

それはともかく、ここに収められた仲道さんのピアノはパワフル。さらっと流すような演奏ではなく、ガンガン攻めてくる。

ヤルヴィとカンマーフィルはノン・ヴィヴラート奏法で演奏しており、ベートーヴェンの交響曲の演奏で見せたのと同じ鋭さがある。

「英雄」の録音からも感じたことだが、パーヴォ・ヤルヴィのリズム感とアクセントの入れ方は本当にすごいと思う。

跳ねるような、弾けるような、言葉にはしがたい「目の覚めるような鮮烈さ」がある。音色やニュアンス、奏法の問題を超えて

ヤルヴィのような鋭いリズム感にはちょっと憧れるし、内声部をきっちりと動かしてゆく手腕にも溜息をつくばかりである。凄い。

ちなみに、ドキュメンタリーにはプロデューサーも映っているのだが、このプロデューサーが指揮者のチェリビダッケに似ていて

複雑な気持ちになった。プロデューサーにチェリビダッケがいたら、滅多にGOサイン出してくれないだろうなあ・・・。

 

 最後は、マルガリータ・ヘーエンリーダーのピアノによるBeethovenのピアコン一番と、ファビオ・ルイージによるマーラーの一番。

いずれもオーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンで、僕にとってこのオーケストラはとても思い入れのあるオーケストラの一つだ。

というのは、シュターツカペレ・ドレスデンの1970年代-80年代のドイツ系レパートリーの録音は神がかった演奏だらけで、

浪人中に中古CD屋を巡って集めまくったからである。なぜこの時期のシュターツカペレ・ドレスデンの音が素晴らしいかというと、

理由は色々あるだろうが、僕にとってはある二人の奏者の存在が大きい。その楽器をやっている人なら絶対に知っている二人、

ホルンのペーター・ダムとティンパニのペーター・ゾンダーマンである。ダムの温かく柔らかな音は一度聴くと忘れられないし、

ゾンダーマンのティンパニは「こいつは何だ?!」と唖然としてしまうぐらいの迫力とノリを持っている。

1985年ライブ録音のブロムシュテット指揮の第九を聴いてみて欲しい。ティンパニの威力に絶句するに違いない。80年代の演奏からは

「ビロードのような」と評されるまろやかな音に加えて、オーケストラをぐいぐい引っ張っていける「名人」の芸を楽しむ事が出来るだろう。

今回のDVDでもその一端を少しは感じることが出来る。とりわけマーラーの終楽章なんかは音の美しさが分かりやすいし、

ルイージがぐっとテンポを落とすところの反応も鋭くて感動する。ベートーヴェンのコンチェルトのほうは、このヘーエンリーダーという

ピアニストがとても楽しそうに弾いており、自然体で楽しめる演奏。ヘーエンリーダ‐はアクセントをつけるとき、体全体を使って

アクセントをかけにいくように見えるのが印象的。三楽章冒頭の弾き方も面白い。アンコールの曲は初めて聴く曲だった。

 

 そんなこんなでDVDを購入して、夜は僕の恩師である塚原先生に、高校の同級生のS氏と一緒にお寿司へ連れていって頂いた。

塚原先生から学んだものは、音楽で言えばアナリーゼの技術と書法の技術、つまり「設問の分析」と「文章の構成」の技術だ。

物知りなだけでは全く駄目で、「設問や資料をどれだけ深く読み込んで出題者の意図や狙いを汲み取れるか」、そして

「何を盛り込み、何を切り捨て、いかに論理的で見通しの良い文章を書くか」という技術が東大の日本史(世界史でもそうだ)で高得点を

取るには要求されている。今になって分かることだが、設問の深い分析と見晴らしの良い文章構成に必須なのは「冷静さ」だと思う。

緊張や興奮で舞い上がってしまっては、設問や資料をじっくりと読み解くことなんか出来ないだろうし、ましてや厳しい指定字数の

枠内で構造の明確な文章を書くことなど不可能になってしまうだろう。時間制限と一回きりの緊張感の中でじっくりと設問や資料、

そして自分の書いた文章と向かい合うのは至難の技であって、そのためには訓練して癖をつけることしかない。だからこそ浪人中、

塚原先生のもとで徹底的にこれを鍛えて頂いたのは大きかった。この技術・能力は、今になっても小論を書いたり、報告書を書いたり

する際にとても役立っている。論述の勉強はしっかりやれば大学でも役立つので、時間と労力を注ぐ価値ありだと思います。

 

 話が論述の話になってしまったが、とにかく、先生と久しぶりに話すのは本当に楽しかった。

駿台に所属していた頃からもう三年近く経つのに、今でもこうして誘っていただけるのは幸せなことだなと思う。

めちゃくちゃ美味しいお寿司と美味しい日本酒、ごちそうさまでした。ありがとうございます。

 

伊豆サーフ・トリップ

 

 二泊三日で伊豆へサーフィンに行ってきた。

「クラス旅行の下見」という名目であるが、まあ実際にはクラスの友達数人を波乗りに拉致したようなものだ。

前日までの天気予報では三日とも絶望的に雨。天気図を見ても雨雲の動きの図を見ても、雨か曇り以外あり得ないような天気で、

「しまったなあ・・・」と思いつつ旅行の準備をしていた。

当日になってもスッキリしない天気。いくら良い波が来ていても、雨の海辺はちょっと鬱になってしまう。

抜けるような青空と、降り注ぐ太陽、それから澄んだ海。日焼けしようが何だろうが、海はこんなふうに晴れていた方が楽しい。

もはや自分の晴れ男パワーが前線を動かすことを信じるしかない。同行した友達のT氏も晴れ男だそうで、

「二人でフュージョンして前線の位置を動かそう」などと壮大な話をしつつ出発した。

 

 そしていざ海辺についてみると、なんと青空が見えていた!晴れ男パワー×2恐るべし。

友達にカレント(離岸流)の注意をしたあと、ひととおりボディボードを教える。初日の波は厚めで、腰から腹ぐらい。

厚めの波の場合、テイクオフのタイミングを上手く取らないと乗り遅れてしまうこともあり、みんな最初は少し苦労した様子だったが、

一時間ちょっと練習しているうちにガンガン乗れるようになってきていた。水温が冷たく、長く入っていると寒さを感じるぐらいにも

関わらず、みんな一度入ると帰ってこない。波に押されるあの感覚とスピード感にすっかりハマってくれたようで嬉しかった。

休憩時間にもビーチバレーやビーチフラッグで盛り上がる。海は本当に楽しい。

 

 夕方になるとビーチから人がほとんど消えたので、ショートボードを持ち出して浜の端のほうで一人サーフィンをしてきた。

端の方には岩が突き出ている所があって結構危険なのだが、岩の直線上遥か沖からカットバックを繰り返して、僕が波待ちを

していたところまでやってくるサーファーがいた。実にスムーズでスピードに乗った動きで、いかにもローカルの人っぽい

雰囲気を出している。波待ちをしていると近くの人と仲良くなったりすることがあるのだが、このローカルらしき人も

近くに来た時に話しかけてくれたので、この機会を利用して伊豆おすすめのポイントや食事場所、温泉などを教えてもらった。

こういう場所ではローカルの人の話が一番参考になる。感謝感謝。

 

 食後は宿泊先のガーデンヴィラ白浜へチェックイン。ここのオーナーは大学の大先輩で、温厚で親切、そしてダンディな方だ。

荷物を部屋に置いて海の見えるテラスでバーベキューを開催。限界まで体力を使って乾いた喉に、良く冷えたビールが気持ちいい。

帆立、サザエをはじめとする魚介から大量の肉まであって、満足感MAXの夕食であった。夕食を済ましてからはプール横に

併設されたバーでトロピカルカクテルを頂きつつ少し泳いだあと、貸切露天風呂(暗くてホラーだったが、絶景だった。)を満喫。

そして日が変わるころには全員爆睡。

 

 二日目、強烈な日差しを感じて目が覚める。カーテンを開けてみると、昨日よりずっと綺麗な空と、エメラルドグリーンの海が

眼下に広がっていた。水平線と地平線が溶けるようなこの光景に感動しつつ、慌てて海に出る。

波のサイズは胸、時々それ以上。かなり大きい。サイズに加えて掘れた波で、しかもダンパー(一気に崩れる)という初心者には

ハードなコンディション。まずゲティングアウトが大変で、上手くポジションを取らないと波に巻かれて底に叩きつけられる。

これは結構大変だなあ・・・と思ってみんなの方を振り返ると、もうとっくにみんな海の中に入っていた。怖いもの知らずである。

案の定、最初のうちは波に巻かれたり盛大にパーリング(ボードの先を海面に突き刺してしまいひっくり返ること)していたようだが、

しばらくするとこのヤヤコシイ波に乗れていた。すごい。乗るのは大変だしアクションも入れづらいが、パワーがある波ではあるから、

一度乗ってしまえば物凄いスピード感を味わえる。しかも面が切り立っているから、波のトップから一気に落ちて加速する感覚も

楽しむ事が出来る。失敗すると巻かれて苦しい思いをするけれど、成功すれば波を支配したような気分になれる。

まさに波との闘いであった。ダンパーの波を綺麗にショートボードで乗りこなせるような技術は持っていないので、今日は僕も

ボディボードをメインにして、友達と同じ場所に波待ちしてこの波と格闘した。

 

 宿に帰って夕食。今度はバーベキューではなく、通常料理なのだが、この御飯がまた絶品だった。

舟盛りの刺身に始まり、荒汁からハーブ焼きから生クリームグラタン、身があり得ない程巨大な海老フライや締めの杏仁豆腐に至るまで

どれもが美味しくて、様々な国の料理の良いとこ取りをした気分になった。食後に自由に飲めるようになっていた珈琲も、おそらく

コロンビアとブラジルベースの豆を使用したもので、優しく上品な味。部屋に戻って一服したあと、昨日と同じくプール横の

バーで酒を飲みつつ、デッキチェアーで星空と月を見ながら爆睡。虫に刺されまくったが、このような自然の中にいるとそれが

不思議と気にならない。「よお蚊。お前も大変だなあ。ちょっと血でも吸ってけよ。」みたいな、鷹揚な気持ちになれる。

貸切露天風呂では男どもで海を眺めつつ就職の話を真剣にし、部屋に戻ってからは怪談(?)や恋愛話、最後には生命倫理の

話にまで広がって夜が更けていった。

 

 三日目は曇り。昨日までとは打って変わって、波の調子が良くない。強いオンショア(海風)が吹いていて、セットもピークも

あったものではないチョッピーなコンディション。水温も冷たく、あまり波乗りには向いていない。ということで、浜辺で色々写真を

撮った。中でも、かっぱの処刑写真と、「ターミネイター」と題するショートコントのような動画は、確実に人を笑わせるであろう傑作だ。

ここにアップしたいぐらいなのだが、ターミネイターに扮したT氏の人間としての尊厳に配慮して自重することにしよう。

 

 海から早めに上がって、帰り道にある「禅の湯」に向かう。初日にローカルの人から教えてもらった天然温泉だ。

露天風呂の温度がバグっていたり、岩盤浴の熱気が日焼けに刺さって悶絶したりしたが、サーフィン後の温泉は本当に気持ちいい。

温泉の効能かデトックスの効果か分からないけれど、とにかく身体が軽くなる。たっぷり一時間ちょっと入った後、途中にあった

御飯屋さんで鰻や蕎麦を食べたあと帰路につく。天気や宿にも恵まれ、気の置けない友人たちと豪遊した三日間であった。

 

 

テスト終了!

 

 と喜んでみたものの、まだレポートが数本残っている。まあとりあえず、いわゆる「テスト」は終わったので一安心。

しばらく昼も夜も無い生活をしていたが、これで少しはまともな生活が送れそうだ。

 

 テストが終了したということで、昨夜は和館で上クラの人たちとコンパをした。

コンパと言っても、僕はレポートに追われていたので、酒を飲みつつレポート作りつつ喋りつつ、という何ともハードなコンパに。

途中で音楽室へ行ってハイドンのピアノ協奏曲の三楽章をソリストと一緒に組み上げていった。

軽く音を出すだけという話だったのだが、いつのまにかお互い真剣に。まず最初は、ソリストが弾くのを何度もよく聴く。

次に、僕の解釈とソリストの解釈とを擦り合わせながら、テンポやニュアンスをつけていく。三楽章はカデンツァがない代わりに

短調へ転じる部分が最大の聞かせどころとなる。ここを、聞き終わった後に「あそこが忘れられない」と言わせるような演奏にしたい。

だから最初のトリルだらけの転調部は少し重めの音で弾いてもらった。その上で第二音であるミの音を強調してもらう。

214小節目からはカデンツァのような扱いでいいと思う。オケは完全にリズムを刻んでいくだけで、その上でピアノが自由に

駆け巡ればいい。胸を締め付けられるようなニュアンスで、でも振りかえることなくサッと流れて行くような音をお願いしたら

ソリストが完璧にそんな音を出してきて感動した。やっぱり一つの楽器を真剣にやっている人の音は違う。これは完成が楽しみである。

 

 良く知られた話ではあるが、実際に音を出してやっていると、やっぱり指揮をするには言語能力が絶対的に必要だなと感じる。

頭の中で聴いている音と、実際に鳴っている音との違い。それから微妙なニュアンス。これらを何とかして「相手に」伝えなければ

ならない。そのためには自分で歌ったり、身体で動きを示したりして伝える事もあるが、やはり一番大きいのは言語による伝達だ。

映像的な表現を使ってみたり(秋の風がさーっと吹いて落ち葉を巻き上げるイメージで、とか)音楽と全然関係ない比喩を使ってみたり、

持てるボキャブラリーを総動員して何とか相手に「伝える」。これは指揮法の教程をいくら読んでも書いていない。優れた指揮者に

なるには音楽以外の要素が要求される、と言われる所以の一つであろう。マエストロと呼ばれる指揮者のリハーサル映像を

見ていると、この「言語化して伝達する能力」が抜群である事に気づかされる。何とかしてこの能力を磨いて行きたいと思う。

何十回か合わせた後、先輩のHさんにオーボエのパートをフルートで吹いてもらい、弦のパートを僕が歌って合わせつつ振った。

最後は胸のすくようなトゥッティ。音楽に真剣に打ち込めて、非常に充実した時間だった。

明日から波乗りに行くのでしばらく音楽は出来ないが、ポケットスコアを持って行って、寝る前には勉強しようと思う。

海辺でスコアを読むのも悪くない。あ、でもやっぱりやめよう。潮風でふにゃふにゃになりそうだ。

 

 そういえば先日、「討議力」というテーマでインタビューを受けたのだが、その様子を纏めた雑誌がネットで読めるようになっていた。

電通育英会 http://www.dentsu-ikueikai.or.jp/ の中の育英ニュースVol47(2009年7月号)がそれだ。

11ページあたりから掲載されているので、お暇な方はPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。

 

レポート・ラッシュ

 

 民法(法Ⅰ)のテストが終わった。「隣人訴訟判決について10行から15行で、指定語句に下線を引いた上で論述せよ。」

という問題があって、何となく東大入試の世界史第一番を思い出した。入試のとき、下線を引くのを忘れていないか妙に気になったのを

覚えている。しかも本番の解答用紙のマス目はかなり小さいので、僕のように悪筆かつ字が大きい人間には、このマス目が

最大の難関となった。しまった間違えた、と思って一行消すと、上の一行や下の一行まで消えてしまう。これに対処するため

ペン型の細い消しゴム(TOMBO MONO ZERO)を直前期になって購入した。この消しゴムによってかなり助けられた感がある。

国語の解答欄にも有効なので、東大入試を受けなきゃならない人にはお勧めです。

 

 そんなわけで一つテストが終わったので、次のマルク・ブロックとアナール学派についてのテストまでは

山のように溜まっているレポートを書いていくことにする。各レポートのテーマはだいたい決まった。

記号論はバルトの「神話作用」に依拠して、デノテーションとコノテーションの概念から現代のモードを分析するというテーマで

書くつもりだ。基礎演習で書いたテーマを発展させ、見方を少し変えた内容である。

表象文化論はパフォーミング・アートについてであれば何でも良いそうなので、趣味に走った内容にしてみようと思っている。

タイトルだけは先に決めた。「カルロス・クライバー、舞踊的指揮と指揮的舞踊」というタイトルである。中身はまだ全く書いていない(笑)

生権力論は以前書いた「マスクと視線の生政治」というテーマで、TONFUL騒動について生権力・生政治の観点から分析する。

ついでに少し前にここに挙げた(「生命倫理会議」というエントリーで)「臓器移植法A案」をビオス/ゾーエーの観点で捉えてみる、

すなわち「A案が極めてゾーエー的な内容である」という事もこのレポートに入れようと思っていたが、某女帝に

「その内容で書こうと思ってたからやめて」と言われたので大人しくやめておくことにしよう。

美術論は年代の限定がキツイため、下手をすると扱う画家がみんなと被ってしまう。有名どころは大抵被るだろうと読んで、

昨年出会って衝撃を受けたマリー=ガブリエル・カペの自画像で書くつもりだ。この女性はほとんど無名の人だが、「自画像」の魅力は

凄いものがある。輪郭がどうだとか、眼が綺麗だとかを超えて、「美への自信」が感じられる。一度見ると忘れられない。

あと、神道についてのレポートを書かねばならないのだが、こちらのテーマも何とか決まった。

神道を語る上で外せないであろう、「雅楽」について比較文化論的に書く。(ただし時間が無ければ諦めるかもしれない。)

「雅楽」について調べると、面白い事が大量に出てくる。西洋の音楽との比較だけでも十分面白いし、その性質からして

宮廷文化史とも関わっているから、「雅楽」的なものが伝播した地域の宮廷文化史・王朝史を比較するとそれぞれの特質が見えてくる。

 

 話は全然変わるが、先日、AKGのK-702というヘッドフォンを購入した。定価の30パーセントという超破格値でゲット。

姉妹機のK-701(やたら売れているらしい。アニメ「けいおん」で、あるキャラがつけていた事が理由だそうな。)と違ってシックな色合い

かつケーブルが取り外しできるようになっている。購入当初は音がやや曇っていて、値段ほど音場に拡がりが感じられなかったが、

しばらくエイジングしていると音場がどんどん広がって、高音の抜けも素晴らしいものになった。楽器の位置がはっきり分かる。

前に使っていたヘッドフォンATH-A900と違ってオープンタイプであるから音漏れは盛大だが、そもそも自宅でしか使わないし、

オープンタイプの良さが存分に感じられるものなのでこれで十分だ。K-702はフルオーケストラにも合うけれども、小編成の室内楽的

な曲にこそ、その真価を発揮しているように思う。ピアノ・トリオにも最適だし、編成の小さなコンチェルトなんかも素晴らしい。

特に、これで聞くハイドンのピアノ協奏曲は絶品だ。今度これを振る事になるかもしれないので、今日はスコアを眺めつつ演奏者を

取り換え取り換えひたすらリピートして聞いている。おかげでレポートが全然進まないが、アイデアはいつもこのような時間から

生まれるものなので、それでいいのだろう。Und die Ideen? の答えはlange Weile、そしてLangweileなのだから。

 

  

「ライオン」の魅力

 

 今抱えているデザインの仕事やレポート作成に詰まったので、FRESH STARTの同窓会の前に、

個人的な癒しの場所に行ってきた。それは渋谷の、最も怪しげな街並み(だと一般的に思われているはずだ)の一角にある。

道玄坂をまっすぐ上がって百軒店通りへ入る。ネオンに輝くイカガワしい看板、辺りに立ち込める濃いラーメンの匂い。

少し歩くと、時代を超越したように古びた喫茶店が突如現れる。「名曲喫茶ライオン」がその店名だ。

知っている人はきっと中まで良く知っているし、知らない人は絶対に足を踏み入れようとする事は無いような外装。

レトロ、などという言葉では足りない。何せ創業は昭和元年だ。触るのが憚られるような入口の扉の前で耳を澄ますと、

何やらクラシックが大音量で流れているような気配を感じることが出来るだろう。

 

 そう、ここは日本でもかなりの歴史と愛好者を持つクラシック喫茶である。クラシック喫茶とは何か?

簡単に言えば、クラシックをバカでかいスピーカーでもって良質な音で聞かしてくれる喫茶店だ。

曲はオーナーが気分で選ぶ事もあれば客がリクエストを出したりもする。喫茶店だけあって珈琲も紅茶も注文できる。

(ここのアイスコーヒーは最初から甘みがついているが、ほっとする甘みなので無糖派でも満足できるものだと思う。)

この「ライオン」の面白いところは、何と言っても「私語厳禁」の空気が辺りに流れていること。

少しぐらいの会話なら許されるだろうが、それをさせない雰囲気がある。皆が思い思いに、本に目をやり、あるいは音楽に集中し、

背もたれに頭を預けて眠りの世界に入っている。注文を取る店員さんも最小限の音しか出さない。

 

 それだけではなく、「ライオン」は内装も凄い。圧倒されるほど巨大なスピーカーに、木の机と椅子。天井からぶら下がるシャンデリア。

照明は薄暗く、水が青白く見えるほど。眼が慣れるまでは本を読むのにも難儀するかもしれない。

空間を時間と音楽だけが支配している。ここを訪れた人や、過ぎた時間の重みがこの信じられないような場所を作っている。

ここにいると時間の感覚が失われ、代わりに時間の単位は「一曲」になる。

予定の時間が迫っていても、音楽が終わらなければ立ち上がる気にならない。

再び眼を本に落とす。万年筆のペン先が控えめに輝いて美しい。

何となく、ここで文章を書いている作家志望の青年が過去に、あるいは今も、絶対にいるだろうと思った。

 

 リクエストで、ショパンのポロネーズがかかる。凄いルバートをかける演奏だ。思わずスピーカーを見上げてしまう。

僕はタバコは吸わないが、このような空間にいて音楽に耳を澄ませていると、タバコを吸いたくなる人の気持ちが分からないでもない。

左前に座った年配の男性が書類に目をやりながら紫煙をくゆらせる姿は、この空間にとても似合っていて素敵である。

続いてブラームスの二番。テンポはゆっくり目で、内声部を丁寧におさえた指揮だが、神経質な感じではない。

音楽が進むにつれ、コンサート会場で感じる、音の渦に巻き込まれていくような感覚を味わう事が出来た。

 

 扉を開けて外に出る。ここが東京、しかも渋谷であったことを思い出す。

神戸で浪人していたころにお世話になっていたクラシック喫茶「アマデウス」は、神戸の町外れにあったが、この「ライオン」は

文字通りの繁華街のど真ん中にある。街は光や声や広告で溢れているが、その中で「ライオン」は情報の波にビクともせず佇む。

だからこそ、無言の中に自身の時間を楽しむため、様々な年齢層の人たちがこの特異な場所を訪れる。

入口は一見すると気難しいイメージがあるかもしれないが、実際に入ってみれば時間も場所も忘れ去って気楽になれる場所が

この「ライオン」である。東京にいる限り、僕はここへ足を運び続けるだろう。

 

ETANT DONNES (JEAN-PHILIPPE VIRET TRIO)

 

 久しぶりにCDを買った。一週間に二枚のペースで買っていた浪人中から考えると、本当に久しぶりと言ってよいだろう。

一人暮らしをはじめるとCD購入に資金を回せなくなるのだ。お金はプリンターのインクやパンクした自転車のタイヤに消えていく。

(そんなわけで、CDは一人暮らしを始める前に買い込んでおくことを強くおススメしておきたい。 )

 

 にもかかわらず購入したこのCD、はっきり言って凄い。タワレコで何となく試聴したTrack 2のDERIVESにやられた。

ピアノ・トリオで背筋が震えるような経験は何年振りだろう。これはこの場で聞き続けるのは危険と判断して即座にレジに持って行き、

急いで家に帰る。ヘッドフォンアンプと愛用のER-4Sに繋ぎ、ソファ‐に座って誰の邪魔も入らない空間でじっくりと聞く。

 

 圧倒される。Track 1 のLA FEE BLESSE 冒頭の暗いベース。捉えどころが無い拍子を手探りで歩くようだ。

展開を待つ。厳かな気配の中からピアノが立ちあがってくる。ベースの裏で伴奏していたピアノがいつの間にか前に出始める。

どこか宗教的な深みに沈み込み、そして光が差し込んでくるような感覚。

突如、似たような曲調のCDがあったことを思い出した。そういえばベースの音も似ている。もしや、と思ってCDラックを漁り、

このCDを出してきて、演奏者を確認してみた。

ヴィレットの二枚のCDと僕のバイオリン。値段の割にいい音が鳴ります。

写真、左側のディスクがそれだ。

L’ORCHESTRE DE CONTREBASSESによる

” Transes Formations “ というCDで、六本のコントラバス

だけで全曲が演奏されている。胴体を叩き、ピチカートし、

アルコ(弓で弾くこと)でももちろん演奏し、六本のバスで

新しいジャンルの音楽を作り出しているCDだ。

この六人のコンバス弾きの一人が右のCDのTrioの

リーダー、ヴィレットだった。そして左のCDに収められた曲

の多くは、ヴィレットの作曲したものだった!

そういえば左のCD一曲目のFather moqueur(嘘つきの神様)にしろ、

七曲目から十一曲目のMesses basses(ベース・ミサ)という

「祈り」をテーマにした作品群にしても、

暗がりの中の瞑想を得て光が差し込んでくるような曲調である。

これらの作曲者とETANT DONNESに収められた曲の作曲者が同じだというのは、比べて聞けば誰もが納得すると思う。

 

 だが、Piano Trioというジャズの中では超定番な編成を取っているにもかかわらず、ETANT DONNESにおける楽曲は

4ビートや8ビートに縛られない変拍子がしばしば聞かれるように、実験的・現代的なニュアンスを多く持っている。

そう言えばアルバム名のETANT DONNESとは、あのマルセル・デュシャンの遺作のタイトルに見られるものではなかったか。

デュシャンの遺作のタイトルは ” Etant Donne  1 La Chute d’Eau 2 Le Gaz d’Éclairage “

すなわち、「1.落ちる水 2.照明用ガス (この二つが)与えられたとせよ」というタイトルであった。真偽の程は定かではないが、

収められた楽曲の性格からして、ヴィレットは恐らくこのデュシャンのタイトルを知っており、このアルバムの名に取ったのだと僕は思う。

 

 曲については澤野工房のホームページやCD店で試聴して頂くとして、最後にアルバムのジャケットについて触れておきたい。

さきほどの写真、なぜかCDの後ろにヴァイオリンが写っていたのを覚えているだろうか。ヴァイオリンの弦の端、色がついているところ

を見て欲しい。その色と、ETANT DONNESのジャケットに描かれた曲線の色とは不思議に一致している。

(コントラバスは持っていないのでヴァイオリンで代用した。しかしコントラバスの弦も似たような色遣いである事が多い。)

ジャケットのデザイナーはこれを意識したのかもしれない。澤野工房から出ているヴィレットのアルバムは殆どこの色遣いをしているし、

特にファーストアルバムなどはとりわけ弦を意識させるデザインになっている点から考えても、そんな気がしてくる。

ちなみにETANT DONNES では華やかな色合いの表と異なり、裏面は演奏者達がモノクロで渋い感じに写っているのだが、

その対比も鮮やかで唸らされる。ジャケット、内容ともにスタイリッシュで、いささかプログレッシブな中毒性のあるCDだ。

もしCDショップで見つけたらぜひTrack2を大音量で聞いてみて下さい。きっとハマると思います。

 

 

生命倫理会議

 

 という会議がある。東大でも教えていらっしゃる小松先生や、僕が師と仰ぐ金森先生らが所属している、

生命倫理に関する議論にコミットする団体である。特に臓器移植法に関して先日記者会見を行ったので、耳にされた方も多いだろう。

生命倫理会議の総意として、臓器移植法A案可決に対して反対の立場をとっており、この主張には僕個人としても全く賛同出来る。

臓器移植A案を端的に言えば、「脳死は人の死」と認定し、ゆえに「脳死になった際に臓器提供するかしないかをはっきりして

いなかった人からは家族の承諾があれば臓器提供を可能とする。以上より、臓器提供の年齢制限は撤廃される。」というものだ。

この案には多大な問題が含まれていることを生命倫理会議は主張している。詳しくはhttp://seimeirinrikaigi.blogspot.com/を

参照して貰えば良いと思うが、とりわけ、「人の生死の問題は多数決に委ねるべきではない」という小松先生の言葉は重い。

 

 また、このページから金森先生の記者会見動画を見る事が出来る。

わずか二分ほどの時間、慎重に言葉を選んでいつもの半分ぐらいのスピードで話される先生の頭にあったのは、

ジョルジョ・アガンベンが述べるビオスとゾーエーの議論、そしてフーコーのビオ・ポリティーク概念だったのではないか。

(アガンベンの「ホモ・サケル」第六節には、脳死に関する言及が見られることにも注目すべきだ)

A案は人の死生観や「最後の瞬間」への認識を変えてしまう可能性がある、という言葉には、ビオスにゾーエー的なものが

侵入してくること、生政治が強力に発動されることへの危機感があるように思う。

人はあくまでも「伝記の対象となる可能性」や「特定の質」を持った存在、ビオス的な存在である。

もちろん「カタカナのヒト」=「ヒトという種」というゾーエー的な意味合いを我々は内に含んでいるだろうが、我々がそれを意識することは

ほとんど無いと言ってよい。いわばゾーエーは悠久の大河であり、ビオスはそこに浮かぶ泡、一瞬一瞬周りの風景を映し、変化させ、

そしていつしか消える泡である。しかし、人の生の本質はこの泡、ビオスにこそある。

このようなビオスとゾーエーの概念を今回の臓器移植法A案に適用するならば、この案がある意味でゾーエー的な案である事が

分かる。個人の意思を勘案しないことはいわばビオスの排除であり、ゾーエーの管理ではないか。

脳死を一律に人の死と認定する事で、個人の意志とは無関係に臓器が提供されてしまう。この定義においてビオスを剥がれた

ゾーエーたる「脳死」は「生きるに値しない生命」という概念との距離を近づける。

誰かを「生かす」ための措置が、誰かを確実に「殺す」ことに繋がっている。

 

 

 このような事をぼんやりと考えながら、(僕の浅い理解では根本から間違っているかもしれない。だがいずれにせよ、臓器移植法を

巡る政府の行動が「生政治」そのものである事は確かだ。)獣医学のレポートを書いた。

取り上げたのは「動物の脳における性差」と「天然毒の研究と創薬」と「ペットとヒトとの新しい共存」の三つ。

書くうちに詰まってきたので、さっぱりしそうなBastide de Garille VdP d’Oc Chardonnay Cuvee Fruitee を飲んだ。

Bastide de Garille VdP d'Oc Chardonnay Cuvee Fruitee 2007。1000円ちょっとのクオリティとは思えない美味しさである。グラスはSCHOTT ZWEISEL 社のDIVAシリーズの白。何とも艶やかなフォルムだ。

 

合わせたのは意表をついて「そうめん」である。

氷をゴロゴロ入れてキンキンに冷やし、このワインに合うようにめんつゆを

作る。合わせて厚焼き卵を作り、これも一緒に食べる。ふわっと広がる砂糖の

甘みと、そうめんのさっぱりした味、そしてライチのようなフルーティーさと

まろやかな酸味のあるワインとがあいまって食が進む。

日本とフランスの素敵なマリアージュ、生きてて良かったと思う瞬間である。

 

時計を見るともう夜中の三時。週末に力を充填したので、また一週間

頑張れそうだ。とりあえずは明日のソフトボールに備えて寝るとしよう。

 

 

 

反抗的タッチパッド

 

 人口論にまつわる議論をパソコンで整理しなおそうと思って、愛用のVAIO SZ-95Sを立ち上げた。

いつもどおり指紋認証をしてログインし、デスクトップ画面が表示される。

が、しかし。なぜかポインタの挙動がおかしい。タッチパッドを右に動かすとポインタが左に、左に動かすと右に動く。

左右だけではない。上に動かすとポインタが下へ、そして下に動かすと上に動く。なんという反骨精神だ。

これは使いづらい。何度か再起動しているうちに自然治療されたのだが、また起動しなおすと元通り、革命的な動きを見せてくれる。

どうしようかなあと思っていじっているうちに、実は上下左右逆でもそう不便でないことに気づいた。

慣れてしまえばどうという事は無い。もとより左利きな事が関係しているのか、かなり早い段階でこの動きに慣れた。

ちょっと面白いので、あえて直さずにこのまま使ってみようと思う。フランク・ミューラーのCrazy Hourのような動きになってしまうと

使用困難だが、今のままなら全然問題ない。実際には修理するのが面倒なだけだ(笑)

 

 ついでに、暑い夜を快適に過ごすべくブロードウェイ・ブルー・マティーニを作ってみた。

ブロードウェイ・ブルー・マティーニと「月夜」 ボトルから透けて見えるインクの色とブルーキュラソーの色が合っていて美しい。

 

 

名前から分かるように、ブロードウェイ・マティーニのレシピを

ベースにしたオリジナルのカクテルである。

レシピは、タンカレーNo.10ジンを40ml、ピーチ・ツリーを

10ml、CHARLES  VANOTのブルーキュラソーを10mlで

シェークして、最後に細かく刻んだミントリーフを浮かべる。

ピーチツリーの甘みとジンの鋭さをこのミントがキリッと

絞めてくれる。ミントの味を強調したいときにはミントリーフを

入れた上でシェークしても良いだろう。

爽やかで美味しいのでどうぞやってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

必修のテストが終わりました。

 

 やっと必修のテスト二つが終わった。ドイツ語のテスト翌日に英語のテストはキツい。

canと書きたいところをkannと書いてしまったり、動詞が二番目に来ていないと(ドイツ語の大原則)妙な違和感にかられたりする。

とはいえThe British Empireに関する英語のテストは異常に簡単だったのでホッとしている。先生の優しさに感謝。

アトリーはどこの政党に属していましたか、なんて設問はDVDを見てリスニングするまでもなくみんな答えを書いていた。そりゃそうだ。

 

 必修のテストは終わったものの、選択科目のテストやレポートが何個か残っている。具体的にはハンドボールのレポートや、獣医学

・宇宙科学のレポート、そして生権力論・記号論のレポートなど。(こうやって並べてみると無秩序でいい感じですね。教養学部らしい。)

成績がかかっているのでこれらをキッチリと片付けつつ、しばらく休憩していた立花ゼミの活動にもコミットしていきたいと思う。

テスト期間中に読んだ8冊の本のレビューも書かねばならないし、「運命の七冊」企画にも本腰を入れねばならない。

といいつつ、KIRINさんとのワークショップのフライヤーを依頼されているので、週末はこれのデザインを考えるのに時間を注ぐ。

第四回はキリンのビール工場見学。ちょっと大胆なデザインにしてみようかと考えている。

 

 そういえばテストの間だったので返信し損ねていたのだが、ここに時々コメントをくれるH氏から、

「ボウリングのスコアが200の大台に乗りかけた!」というメールとスコアシートの画像を貰った。

最後に2‐10のスプリットになってしまったのが残念でしたね。特に10フレは絶対に三回投げたかった。

10フレを落としたくないときや200に何とか乗せたいときは、ストライクにはならないかもしれないが絶対に割れない

(=スペアが取れる)コースに絞って投げる方法はアリだと思う。アベレージを維持したいときとかに安全策として使うと有効です。

右投げなら意図的にブルックリンのコースに入れてみるとか。ちなみに、僕も先日投げに行ってきたが、10ゲーム投げて

アベレージ193。しかし200アップは一回も無いという奇妙な展開になった(笑) ヘタレである。 

こういうときには大胆にコースを変えてみてストライクの続くコースを探すことが必要になってくる。一週間前に210アベを叩いた時は

レーンの変化に合わせて大胆に動くことが確かに出来ていた。安全策と大胆さ、冷静と情熱の駆け引きもボウリングの難しさの

一つなのだろう。本当に奥深い。とにかく、H氏もメキメキと上達しているようなので、夏に一緒に投げるのが楽しみだ。