今年もまた、プロ・オーケストラの前で棒を振る。
演奏会直前になると授業や卒論のことなんて一時的にどうでも良くなってしまうのは避け難い。
頭の中で、どの瞬間も音楽が鳴っている。ぼんやりと自分の時間にいるときはもちろん、
本を開いている時も、人と話しているときすらも、ブラームスのあの寄木細工のようなバリエーションが響いて離れない。
本番を迎えることが楽しみで、同時に、終わってしまう事を恐怖する。
一度しかない時間だから、その一度だけの瞬間に、それまでの僕の全ての時間を集めたいと思う。
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今年もまた、プロ・オーケストラの前で棒を振る。 演奏会直前になると授業や卒論のことなんて一時的にどうでも良くなってしまうのは避け難い。 頭の中で、どの瞬間も音楽が鳴っている。ぼんやりと自分の時間にいるときはもちろん、 本を開いている時も、人と話しているときすらも、ブラームスのあの寄木細工のようなバリエーションが響いて離れない。 本番を迎えることが楽しみで、同時に、終わってしまう事を恐怖する。 一度しかない時間だから、その一度だけの瞬間に、それまでの僕の全ての時間を集めたいと思う。
六本木ヒルズにて行われているHills Breakfastというイベントで少しだけお話をさせて頂きました。 登壇者は主に社会人中心のイベントのようでしたが、東京大学より推薦を頂き、 その上で幸運なことに森ビルさまより選んで頂きましたので、貴重な機会と思い、出させて頂きました。
「指揮という芸術、何だか分からないもの」と題して、休学したこの一年で打ち込んだもの、 そして指揮がどういう芸術なのかを、ピアノによる実演(「運命」や「子供の情景」、「月の光」など)を交えながら 今の僕に出来る範囲で手短に説明してみました。時間制限が結構厳しいものでしたので 上手く伝わったか分かりませんが、終わってから沢山の人に「面白かった!!」とお声をかけて頂き嬉しかったです。
僕が思っていたよりも遥かに沢山の方々がいらっしゃっており、その熱気に、こんなに早い時間から200名もの方々が 集まるイベントというのは凄いなあ、と本当に驚きました。(ヒルズ・カフェがぎっしりと奥まで埋まり、立ち見も 沢山出ていました!)そのぶん一番後ろの方々は指揮の実演が見づらいかなと思ったので、講演者用の壇を降りて スライドを映し出しているプロジェクターとスクリーンの間に敢えて入り、指揮姿や指揮棒の軌跡を影絵のように拡大することで 後ろの方まで見えるように即興でやってみました。(ちょっと眩しかったですけど、本番の舞台での照明に比べれば!)
拙い話になりましたが、もしご興味を持って頂けた方がいらっしゃったならば、 その日に話したことのフルバージョンのようなものが書いてあるこちらのインタビューもお読み頂ければと思います。 (http://gapyear.jp/archives/1082)
企画して下さった森ビルの方々、僕のような若輩者を推薦して下さった東京大学の先生方、 伴奏してくださったピアニストの清水さん、そして朝早くからお越し頂きました皆様、貴重な機会をありがとうございました。 東京大学を休学して自らの信ずるものに打ち込んだ一年間の締めくくりとしてこれ以上ない、記憶に残る一日となりました。
講演を終え、動き出したばかりの朝の街をふらふらと歩きながら、柔らかく緩んだ空気に春の訪れを思い、 新しい一年が始まることを肌で感じました。あっという間に過ぎ去った一年でしたが、 どの一年間よりも刺激的で彩りに満ちた日々だったと笑顔で言うことが出来そうです。
ベートーヴェンの交響曲のレッスンに入り、はやくも一番を終えて二番に取り組んでいる。 この曲の二楽章が僕は心から大好きで、ベートーヴェンのあらゆる交響曲の二楽章の中でも特別な思いを抱いている。
Larghettoという「モーツァルトが最高に美しい緩徐楽章のためにとっておいたテンポ」で描かれるこの音楽は、 あのベルリオーズが「若干の憂鬱な響きがあるにしても、ほとんど曇ることのないような純粋無垢な幸福な描写だ」と 書き残したように、まるで夏の夕暮れに広い景色を前にして歌い上げるような幸せに満ちている。 いつしか陽は沈み、雲がやってきて温かい雨を大地に降らす。 けれども朝には雨は上がり、穏やかに昇る太陽が草木の上に零れた滴を照らすだろう。 夏の朝、生命力に満ちて世界が輝く。
ランボーの『イリュミナシオン』に所収されたL’aubeという詩を思い出す。
J’ai embrassé l’aube d’été. Rien ne bougeait encore au front des palais. L’eau était morte. Les camps d’ombres ne quittaient pas la route du bois. J’ai marché, réveillant les haleines vives et tièdes, et les pierreries regardèrent, et les ailes se levèrent sans bruit.
僕は夏の黎明を抱きしめた。 宮閣の奥ではまだ何物も動かなかった。 水は死んでいた。陰の畑は森の道を離れなかった。 僕は歩いた、鮮やかな暖かい呼吸を呼びさましながら。 すると宝石たちが目をみはった。そして翼が音なく起きいでた。…….. (「黎明」 訳は岩波文庫、堀口大學によるもの)
あるいは、同じくランボーのSensationを。
Par les soirs bleus d’été, j’irai dans les sentiers, Picoté par les blés, fouler [...]
Der Vogel kämpft sich aus dem Ei. Das Ei ist die Welt. Wer geboren werden will, muß eine Welt zerstören. (鳥は卵の殻を破り出ようともがく。卵は世界だ。生まれ出ようとする者は 1 つの世界を壊さなくてはならない。) Demian, die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend -H.Hesse
レオノーレ三番を終え、いよいよベートーヴェンの交響曲第一番に取り組んでいる。 ベートーヴェンに入ってみて明確に分かったことが一つある。それは音の「密度」の問題だ。 そして音の「密度」こそがテンポやダイナミクスの限界レンジを決定づけているように思う。
たとえばレオノーレ三番やベートーヴェン一番冒頭のAdagioの部分。 フルトヴェングラーぐらいのじっくりしたテンポで僕が振るとその重さに耐えきれず、流れが消えて鈍重になってしまう。 しかし同じテンポであっても先生が振って下さると、流れが見え、緊張感を放ちつつ悠々として音楽が進み始める。 重さに意味がある、と言えばよいのか。一つ一つの音の中身がぎっしり詰まっていて (まるで一つの音符・和音の中に無数の小さな音符がぎっしり充填されたような!)音と音の合間に隙間が見えない。 だからあのテンポに耐えきれる。耐えきれるどころか雄弁になる。 そこにはもちろん、86という年齢を迎える師匠の深い深い呼吸も影響しているのだろうが、それだけではなく 引き出されている一つ一つの音の「密度」が全く違うのだ。 師の棒でブラジル風バッハ四番前奏曲を弾いたあるヴィオラ奏者がこう言っていたことを思い出す。 「今まで出したことのないような音が楽器から出た。伸ばしの音を弾いている間に水墨画のような空間が見えた。」
棒だけで音の密度を高めうる。 どうしてそんなことが起こるのか、感覚的には分かりつつあるのだが、まだ上手く言葉にすることは出来ない。 ベートーヴェンの偉大な九曲の交響曲をレッスンで見て頂く過程で師から何としても学ばなければ(盗まなければ) ならないものの一つは、この「密度」の表現だろう。
ベートーヴェンの先にはブラームスの四曲が聳え立つ。 5月にはプロでブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」を振ることにもなった。 どれもベートーヴェン以上にこのことが問題になる曲ばかり。 2012年は音の「密度」をテーマに、指揮というこの底知れぬ芸術を学んでゆく。
あけましておめでとうございます。 現在、一月一日の午前二時。ベートーヴェンの交響曲一番を勉強していたらいつの間にか日が変わっていました。 この曲は冒頭から「ええっ!」と驚くような和音ではじまり、調性が安定しないまま序奏を終え、Allegro con brioで ようやく走り出します。そして走り出してからはモーツァルトの四十一番「ジュピター」の第一楽章が確かにその中に聞こえるのです。 伝統と革新を同居させ、「これからは俺の時代だ!」と意気込むような、若きベートーヴェンの野心が見える気がします。 新年一発目に勉強するのにこれ以上相応しい曲もないかもしれません。
勉強にキリがついたところで出して来たお酒がこのバランタイン30年。 色々な巡り会わせがあってこうして飲む機会を得たお酒なのですが、 今の僕には不釣り合いなぐらい上等な一本で、その余韻に思わずうっとりしてしまいました。
30年、ということは僕の年齢よりも六つも年上のお酒なわけです。 このお酒の年齢と同じになったころ、つまり2018年に僕はどうなっているのだろうか。 結婚してもしかしたら子供の一人でもいるのかもしれないな、などと考えながら、 大切に大切に、時間が深く刻まれたこの琥珀色の芸術を堪能するのでした。
ともあれ、乾杯! 2012年も実り多き良い年になりますように。
12月の暮れ、久しぶりに戻ってきた街を歩きながらぼんやりと考える。 大晦日とあって街は人で溢れ、いつもとは違う景色を見せている。けれども思い出は確かにその街の至る所に刻まれていて ひとりでに足が進み、次々と過去の記憶が蘇る。ひとしきり思い出に身を浸し、電車に乗り込んで現実へと戻ってくると、 この一年がもうすぐ終わることに改めて気付く。
振り返れば失ったものも得たものも大きい一年間で、同時に、今までで最も変化に富んだ一年間だった。 一年の中で中心にあったのはやはり音楽、指揮を学ぶことだっただろう。 あの頼りない一本の棒を握って、いくつもの曲とともに僕は2011年を過ごしてきた。 今年実際にステージで振った作曲家だけを挙げてもかなりの数になる。 モーツアルト、プロコフィエフ、チャイコフスキー、シベリウス、ストラヴィンスキー、ブリテン、ヴィラ=ロボス…etc. そして師からレッスンで教わった曲を数えればこの二倍どころではないだろう。 プロオケを振り、チェロ・オーケストラを立ち上げて指揮し、一年前に原型を作ったドミナント室内管弦楽団はコンサートを開けるまでの 形になった。至らない所は数限りなくあるけれども、とにかく沢山の人と、言葉や音で話した日々だった。
でも、一番話した相手は他でもない「自分」だったはずだ。 オーケストラの前にいる時間以外は、孤独に自分と向かい合う時間を作ろうとしていた。 浪人時代のようにひとり静かに読み、書き、思考し、出口の無い空間で立ち止まり、 一日を勝手気ままに自分の思うように使った。経済的にではなく、精神的に豊かであろうとした。 何かに運ばれて生きるのではなく、混沌の中で揺れ続け、自分で自分を運びながら生きようとした。 浪人中に書き付けて今もなお飾ったままにしてあるこの言葉のように。
Man muss noch Chaos in sich haben, um einen tanzenden Stern gebären zu können.“ (You need chaos in your soul to give birth to a dancing star.) — F.Nietzsche: Also sprach Zarathustra
2011年が終わる。 いくつもの出会いと別れを経験し、祭りと孤独の中にあった一年だった。 この一年間に出会って下さった方々、支えて下さった方々、そして一緒に演奏して下さった方々に心からの感謝を。 どうぞ良いお年をお迎え下さい。
半年ぶりの帰省。 家族はいつもあたたかく、犬は平和そうに炬燵に潜り込む。 母の何気ない一品に、そこに込められた時間と経験を思う。
みんなが寝静まった中、黙々と譜読みに取りかかる。 ついにベートーヴェンの交響曲に取り組む時が来た。2012年はこの偉大な九つのシンフォニーとじっくり向き合う。 この楽譜を贈って下さった方の気持ちに恥じないように。
中学校の音楽教室として、プロの奏者の方々から成る弦楽アンサンブルを指揮してきました。 お仕事としてプロを指揮させて頂くのはこれがはじめて。奏者の方々は僕が日頃楽器を教わる「先生」のような方ばかりで、 駆け出しの僕にとっては恐れ多いぐらいでしたが、幸せな機会を頂いたことに感謝しています。
場所は足立区の某中学校の体育館。 普通に壇上で演奏して生徒達がずらっと並んで聞く、といった形式はあまり面白いと思えなかったので、 オーケストラを床に降ろして、その周りを中学生達に囲んでもらう形式を取りました。プルトの一部になってもらうイメージです。 これは師匠が明日館でのコンサートで実践していたスタイルで、それが素敵だなあとずっと思い続けていたので真似してみました。 やっぱり近くで聞いて/見て/入り込んでこその楽しさがありますよね。
プログラムはシベリウスのAndante Festivo、ブリテンのSimple Symphony、モーツァルトのアイネ・クライネ一楽章で 「指揮者体験コーナー」(大盛り上がりでした!)、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ一楽章、そしてクリスマス・ソングという普通の音楽教室とは 一風異なったものにしてみました。アイネ・クライネの一楽章は、僕がはじめてオーケストラの前に立って振った曲でもあります。 その一年半後にこんな場でこの曲を指揮するようになるとは想像もしませんでした。緊張した面持ちの生徒五人に「こうだよ」と振り方を教え、振ってもらって、 最後に「お手本」として僕が一楽章を最後まで指揮しましたが、自分がオーケストラの前に立って初めてコンサートを開いた一年半前のことが蘇ってきて、 色々と込み上げてくるものがありました。
そして終演後、指揮者体験コーナーにも登場した生徒会の会長さんからの挨拶で、 「木許先生みたいに分かりやすく・かっこよい指揮が出来るようになりたいです」という言葉とともに大きな花束を頂きました。 師匠には「あんなのじゃ全然ダメだよ」と一喝されてしまうでしょうが、それでも嬉しかったです。 と同時に、もっともっと精進しなければと気持ちを新たにしました。
これにて2011年度のステージはすべて終わり! プロのオーケストラを二度、チェロ・オーケストラとドミナント室内管の大きなコンサートとサロンコンサートと…沢山の指揮の機会に恵まれた一年でした。 拙い棒に付き合って弾いてくれる方々がいるからこそ、ということに心から感謝して、また師匠の元で勉強に励みたいと思います。 この一年間で一緒に演奏してくださったみなさん、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしく!
モーツァルトの41番、「ジュピター」を勉強している。 四楽章のあの有名な「ドレファミ」というジュピター音型(モーツァルトはこの音型を自身の最初の交響曲でも用いている!) の神々しい美しさもさることながら、僕はこの二楽章を聞くたび、読むたびに心の中が掻き乱されるような思いを抱く。 楽譜を見るだけで涙が止まらなくなること、一度や二度ではない。
それはまるで舟上にいるような穏やかな陽射しに包まれた歌だ。 陽射しは燦々と注がない。雲の切れ間から柔らかく水面に反射しながら辺りを仄明るく照らす。 淡い平和、しかしその中に時折、「死」が顔を覗かせ、その冷たさに慟哭する。 モーツァルトに死が訪れるまで残り三年。この時すでに死を予感していたのか。 楽譜から、「まだ死にたくないよ、生きたいよ。」という心の奥底から溢れ出るような言葉が立ち上がってくる。 だが、その訴えはいつしかエネルギーを失い、最後には諦念が訪れる。 そして静かに死を受け入れ、空に吸い込まれ、消えゆく…。
だからジュピターを勉強しているといつも、キューブラー・ロスの『死の瞬間』という本を思い出す。 一楽章は生と大地の音楽、二楽章は緩やかな死に至る歌。 三楽章のメヌエットは地上と天上の狭間、空へと連れてゆく天使たちの遊び。 四楽章はもう人間のものではない。天空、神々の音楽。 そういうふうに、「生と死」あるいは「大地と天空」を描いた曲のように思えるのだ。
そしてまた、陽射しではないのだけれど、二楽章を考えるたびに頭の中に浮かぶ光景に近い絵がある。 個人的に思い出深く、大切な絵の一つ。フェルディナント・エーメという画家の「サレルノ湾の月夜」(1827年)と題された絵がそれだ。 ドレスデン国立美術館に所蔵されたこの絵には、「生と死」「光と闇」「空と海」のように、矛盾あるいは背中合わせの何かが同居している。 ジュピターの二楽章、Andante Cantabileが描いているのはこういう世界だと僕は思う。
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