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J'ai passé une très bonne soirée.

 

  昨夜ハイドンのピアノ協奏曲を譜読みしていて、二楽章で分からないところがあったので動画を見ようと思ってタワレコへ行った。

買ってきたのが下の三枚である。

 

・Haydn Cello Concertos & Piano Concerto No.11 (  Mstislav Rostropovich , Homero Francesch, Neville Marriner )

. Beethoven Piano Concertos No.5 & No.3 ( Ikuyo Nakamichi, Paavo Jarvi )

. Beethoven Piano Concerto No.1 & Mahler Symphony No.1 (Margarita Hohenrieder, Fabio Luisi)

 

・・・案の定、関係ないものまで買ってしまいました(笑) まあどれもコンチェルトの勉強になるからいいか。

まず一枚目のハイドンだが、これはチェロのロストロポーヴィチの音がカッコよすぎる。剛健な音色。ハイドンのチェロ協奏曲ってこんな曲

だったっけ?と思ってしまうぐらい、ロストロポーヴィチの色が強い演奏だ。こういう演奏は嫌いじゃないし、リヒテルとロストロポーヴィチの

Beethoven Cello Sonata No.3を擦り切れるぐらい聴きまくった耳には、どこかほっとする音だ。チェロの音色はやっぱりいいなあ。

本命のピアノ協奏曲は、疑問点の解決のためのヒントを与えてくれはしたので役に立ったが、演奏自体はあまり好みではなかった。

何よりも指揮者のマリナーの顔が怖すぎる。『美味しんぼ』の海原雄山みたいな顔つきで、厳しい表情と楽しい音楽とのGAPが著しい。

これで音が明るかったら良いのだが、取り立ててそういうこともない、ストレートな(ある意味ドライな)演奏。マリナーは2007年に

N響へ振りに来ていたと記憶しているが、その時は「元気なおじいちゃん」という感じだった。DVDの収録は1982年とあるので、

僕の知っている来日時の姿より、25年も前の姿が収められていることになる。25年経てばこれぐらい変わっても不思議ではない。

ピアノはホメロ・フランチェスという人で、僕はこの人の名前も演奏もこのDVDで始めて聞いた。とくに「!」と思った部分は無かったが、

三楽章の150小節目、d moll に転調してピアノが連続トリルを駆け下りていく特徴的な音型の部分でやや変わった弾き方を

していたのが記憶に残っている。

 

 ニ枚目のDVDは「ベートーヴェン弾き」仲道郁代とパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンのピアコン五番と三番。

仲道さんが一生懸命英語で喋っているドキュメンタリーが付いていたが、普通に日本語で話せばいいのに、とついつい思ってしまう。

それはともかく、ここに収められた仲道さんのピアノはパワフル。さらっと流すような演奏ではなく、ガンガン攻めてくる。

ヤルヴィとカンマーフィルはノン・ヴィヴラート奏法で演奏しており、ベートーヴェンの交響曲の演奏で見せたのと同じ鋭さがある。

「英雄」の録音からも感じたことだが、パーヴォ・ヤルヴィのリズム感とアクセントの入れ方は本当にすごいと思う。

跳ねるような、弾けるような、言葉にはしがたい「目の覚めるような鮮烈さ」がある。音色やニュアンス、奏法の問題を超えて

ヤルヴィのような鋭いリズム感にはちょっと憧れるし、内声部をきっちりと動かしてゆく手腕にも溜息をつくばかりである。凄い。

ちなみに、ドキュメンタリーにはプロデューサーも映っているのだが、このプロデューサーが指揮者のチェリビダッケに似ていて

複雑な気持ちになった。プロデューサーにチェリビダッケがいたら、滅多にGOサイン出してくれないだろうなあ・・・。

 

 最後は、マルガリータ・ヘーエンリーダーのピアノによるBeethovenのピアコン一番と、ファビオ・ルイージによるマーラーの一番。

いずれもオーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンで、僕にとってこのオーケストラはとても思い入れのあるオーケストラの一つだ。

というのは、シュターツカペレ・ドレスデンの1970年代-80年代のドイツ系レパートリーの録音は神がかった演奏だらけで、

浪人中に中古CD屋を巡って集めまくったからである。なぜこの時期のシュターツカペレ・ドレスデンの音が素晴らしいかというと、

理由は色々あるだろうが、僕にとってはある二人の奏者の存在が大きい。その楽器をやっている人なら絶対に知っている二人、

ホルンのペーター・ダムとティンパニのペーター・ゾンダーマンである。ダムの温かく柔らかな音は一度聴くと忘れられないし、

ゾンダーマンのティンパニは「こいつは何だ?!」と唖然としてしまうぐらいの迫力とノリを持っている。

1985年ライブ録音のブロムシュテット指揮の第九を聴いてみて欲しい。ティンパニの威力に絶句するに違いない。80年代の演奏からは

「ビロードのような」と評されるまろやかな音に加えて、オーケストラをぐいぐい引っ張っていける「名人」の芸を楽しむ事が出来るだろう。

今回のDVDでもその一端を少しは感じることが出来る。とりわけマーラーの終楽章なんかは音の美しさが分かりやすいし、

ルイージがぐっとテンポを落とすところの反応も鋭くて感動する。ベートーヴェンのコンチェルトのほうは、このヘーエンリーダーという

ピアニストがとても楽しそうに弾いており、自然体で楽しめる演奏。ヘーエンリーダ‐はアクセントをつけるとき、体全体を使って

アクセントをかけにいくように見えるのが印象的。三楽章冒頭の弾き方も面白い。アンコールの曲は初めて聴く曲だった。

 

 そんなこんなでDVDを購入して、夜は僕の恩師である塚原先生に、高校の同級生のS氏と一緒にお寿司へ連れていって頂いた。

塚原先生から学んだものは、音楽で言えばアナリーゼの技術と書法の技術、つまり「設問の分析」と「文章の構成」の技術だ。

物知りなだけでは全く駄目で、「設問や資料をどれだけ深く読み込んで出題者の意図や狙いを汲み取れるか」、そして

「何を盛り込み、何を切り捨て、いかに論理的で見通しの良い文章を書くか」という技術が東大の日本史(世界史でもそうだ)で高得点を

取るには要求されている。今になって分かることだが、設問の深い分析と見晴らしの良い文章構成に必須なのは「冷静さ」だと思う。

緊張や興奮で舞い上がってしまっては、設問や資料をじっくりと読み解くことなんか出来ないだろうし、ましてや厳しい指定字数の

枠内で構造の明確な文章を書くことなど不可能になってしまうだろう。時間制限と一回きりの緊張感の中でじっくりと設問や資料、

そして自分の書いた文章と向かい合うのは至難の技であって、そのためには訓練して癖をつけることしかない。だからこそ浪人中、

塚原先生のもとで徹底的にこれを鍛えて頂いたのは大きかった。この技術・能力は、今になっても小論を書いたり、報告書を書いたり

する際にとても役立っている。論述の勉強はしっかりやれば大学でも役立つので、時間と労力を注ぐ価値ありだと思います。

 

 話が論述の話になってしまったが、とにかく、先生と久しぶりに話すのは本当に楽しかった。

駿台に所属していた頃からもう三年近く経つのに、今でもこうして誘っていただけるのは幸せなことだなと思う。

めちゃくちゃ美味しいお寿司と美味しい日本酒、ごちそうさまでした。ありがとうございます。

 

伊豆サーフ・トリップ

 

 二泊三日で伊豆へサーフィンに行ってきた。

「クラス旅行の下見」という名目であるが、まあ実際にはクラスの友達数人を波乗りに拉致したようなものだ。

前日までの天気予報では三日とも絶望的に雨。天気図を見ても雨雲の動きの図を見ても、雨か曇り以外あり得ないような天気で、

「しまったなあ・・・」と思いつつ旅行の準備をしていた。

当日になってもスッキリしない天気。いくら良い波が来ていても、雨の海辺はちょっと鬱になってしまう。

抜けるような青空と、降り注ぐ太陽、それから澄んだ海。日焼けしようが何だろうが、海はこんなふうに晴れていた方が楽しい。

もはや自分の晴れ男パワーが前線を動かすことを信じるしかない。同行した友達のT氏も晴れ男だそうで、

「二人でフュージョンして前線の位置を動かそう」などと壮大な話をしつつ出発した。

 

 そしていざ海辺についてみると、なんと青空が見えていた!晴れ男パワー×2恐るべし。

友達にカレント(離岸流)の注意をしたあと、ひととおりボディボードを教える。初日の波は厚めで、腰から腹ぐらい。

厚めの波の場合、テイクオフのタイミングを上手く取らないと乗り遅れてしまうこともあり、みんな最初は少し苦労した様子だったが、

一時間ちょっと練習しているうちにガンガン乗れるようになってきていた。水温が冷たく、長く入っていると寒さを感じるぐらいにも

関わらず、みんな一度入ると帰ってこない。波に押されるあの感覚とスピード感にすっかりハマってくれたようで嬉しかった。

休憩時間にもビーチバレーやビーチフラッグで盛り上がる。海は本当に楽しい。

 

 夕方になるとビーチから人がほとんど消えたので、ショートボードを持ち出して浜の端のほうで一人サーフィンをしてきた。

端の方には岩が突き出ている所があって結構危険なのだが、岩の直線上遥か沖からカットバックを繰り返して、僕が波待ちを

していたところまでやってくるサーファーがいた。実にスムーズでスピードに乗った動きで、いかにもローカルの人っぽい

雰囲気を出している。波待ちをしていると近くの人と仲良くなったりすることがあるのだが、このローカルらしき人も

近くに来た時に話しかけてくれたので、この機会を利用して伊豆おすすめのポイントや食事場所、温泉などを教えてもらった。

こういう場所ではローカルの人の話が一番参考になる。感謝感謝。

 

 食後は宿泊先のガーデンヴィラ白浜へチェックイン。ここのオーナーは大学の大先輩で、温厚で親切、そしてダンディな方だ。

荷物を部屋に置いて海の見えるテラスでバーベキューを開催。限界まで体力を使って乾いた喉に、良く冷えたビールが気持ちいい。

帆立、サザエをはじめとする魚介から大量の肉まであって、満足感MAXの夕食であった。夕食を済ましてからはプール横に

併設されたバーでトロピカルカクテルを頂きつつ少し泳いだあと、貸切露天風呂(暗くてホラーだったが、絶景だった。)を満喫。

そして日が変わるころには全員爆睡。

 

 二日目、強烈な日差しを感じて目が覚める。カーテンを開けてみると、昨日よりずっと綺麗な空と、エメラルドグリーンの海が

眼下に広がっていた。水平線と地平線が溶けるようなこの光景に感動しつつ、慌てて海に出る。

波のサイズは胸、時々それ以上。かなり大きい。サイズに加えて掘れた波で、しかもダンパー(一気に崩れる)という初心者には

ハードなコンディション。まずゲティングアウトが大変で、上手くポジションを取らないと波に巻かれて底に叩きつけられる。

これは結構大変だなあ・・・と思ってみんなの方を振り返ると、もうとっくにみんな海の中に入っていた。怖いもの知らずである。

案の定、最初のうちは波に巻かれたり盛大にパーリング(ボードの先を海面に突き刺してしまいひっくり返ること)していたようだが、

しばらくするとこのヤヤコシイ波に乗れていた。すごい。乗るのは大変だしアクションも入れづらいが、パワーがある波ではあるから、

一度乗ってしまえば物凄いスピード感を味わえる。しかも面が切り立っているから、波のトップから一気に落ちて加速する感覚も

楽しむ事が出来る。失敗すると巻かれて苦しい思いをするけれど、成功すれば波を支配したような気分になれる。

まさに波との闘いであった。ダンパーの波を綺麗にショートボードで乗りこなせるような技術は持っていないので、今日は僕も

ボディボードをメインにして、友達と同じ場所に波待ちしてこの波と格闘した。

 

 宿に帰って夕食。今度はバーベキューではなく、通常料理なのだが、この御飯がまた絶品だった。

舟盛りの刺身に始まり、荒汁からハーブ焼きから生クリームグラタン、身があり得ない程巨大な海老フライや締めの杏仁豆腐に至るまで

どれもが美味しくて、様々な国の料理の良いとこ取りをした気分になった。食後に自由に飲めるようになっていた珈琲も、おそらく

コロンビアとブラジルベースの豆を使用したもので、優しく上品な味。部屋に戻って一服したあと、昨日と同じくプール横の

バーで酒を飲みつつ、デッキチェアーで星空と月を見ながら爆睡。虫に刺されまくったが、このような自然の中にいるとそれが

不思議と気にならない。「よお蚊。お前も大変だなあ。ちょっと血でも吸ってけよ。」みたいな、鷹揚な気持ちになれる。

貸切露天風呂では男どもで海を眺めつつ就職の話を真剣にし、部屋に戻ってからは怪談(?)や恋愛話、最後には生命倫理の

話にまで広がって夜が更けていった。

 

 三日目は曇り。昨日までとは打って変わって、波の調子が良くない。強いオンショア(海風)が吹いていて、セットもピークも

あったものではないチョッピーなコンディション。水温も冷たく、あまり波乗りには向いていない。ということで、浜辺で色々写真を

撮った。中でも、かっぱの処刑写真と、「ターミネイター」と題するショートコントのような動画は、確実に人を笑わせるであろう傑作だ。

ここにアップしたいぐらいなのだが、ターミネイターに扮したT氏の人間としての尊厳に配慮して自重することにしよう。

 

 海から早めに上がって、帰り道にある「禅の湯」に向かう。初日にローカルの人から教えてもらった天然温泉だ。

露天風呂の温度がバグっていたり、岩盤浴の熱気が日焼けに刺さって悶絶したりしたが、サーフィン後の温泉は本当に気持ちいい。

温泉の効能かデトックスの効果か分からないけれど、とにかく身体が軽くなる。たっぷり一時間ちょっと入った後、途中にあった

御飯屋さんで鰻や蕎麦を食べたあと帰路につく。天気や宿にも恵まれ、気の置けない友人たちと豪遊した三日間であった。

 

 

「入口」としての授業

 

 歴史Ⅰのテストが終わりました。

昨日の記事にも書いた、アナール学派とマルク・ブロックについての試験だったのですが、会心の出来の解答を書く事が出来て

満足しています。問Ⅰは「アナール学派とは何か」という設問だったので、昨日ここにアップした内容をガシガシと書いていきました。

もう年で記憶力も次第に落ちてくる頃なので、解答用紙のサイズにして45行あまりにも渡る文章をしっかりと覚えられているか

不安だったのですが、いざ書いてみると手が覚えていたり、リズムで記憶から文章を引き出してきたり、書きつけたページそのものを

ビジュアルに思い出したりすることが出来て、昨日アップした内容とほぼ一言一句(ひとつだけ書き忘れましたが)違わない解答を

再現する事ができました。このテストの結果は進学に結構大きく影響してくるものであっただけに、一安心です。答案を書きながら

「もっと字が綺麗だったらなあ・・・。」「〈問Ⅰについてはブログ参照〉で終わらした方が先生もこんな悪筆を読まずに済むし、

僕も書く手間が省けるし、お互いの幸せに貢献するのではないだろうか。」などと考えたりもしましたが、流石にそれは無理ですね(笑)

 

 まあとにかく、アナール学派について学んだ事は大変有意義なものとなりました。これらについて学ぶうちに、

 僕の興味関心の一つであり続けている「音」や「香り」について研究しており、「感性の歴史家」と呼ばれているアラン・コルバン

の著作に出会う事が出来たのが最も大きな収穫だったと思います。コルバンの著作は、昨年僕が書いた「モード」についての小論

に応用できるところが多々あって、昨年のうちに出会っていればあの研究の方向性は少し変わっていたかもしれません。

面白かったのはアナール学派と呼ばれる人々の著作を手当たり次第に読んでいくうちに、ミシェル・パストゥローの名前に

遭遇したこと。アナール学派であるとは知らないまま、彼の『青の歴史』を昨年の小論に参考文献として用いたのですが、

今読み返してみると、パストゥローがとる手法や描き出す歴史像は極めてアナール学派的なアプローチだと気付きます。

『青の歴史』にしても『紋章の歴史』にしても、様々な角度から切り込んで、些末な事象や事件史に留まらぬ包括的な歴史を

描いていて、この人がアナールの第四世代に位置づけられるのも納得がいくところです。

 

 このように、新しく得た知識が他の知識や過去に得ていた知識と結合され、「!」と手を打ちたくなる瞬間を多く経験する事が大学生活

の面白さの一つではないかと思います。東京大学の教養学部の授業にはそういう瞬間を与えてくれる授業が非常に多くて、

一見つまらない授業でも理解していくうちに突如として自分の関心ある分野と繋がったり、別の授業の内容と繋がったりする事が

良くあります。もっとも授業に期待しすぎるのは見当違いというもので(大学で教壇に立つのは研究者です。)授業を諸学の「入口」として

活用し、授業に関連する本を自分でガンガン読み進めていく事が必要になってきます。ある程度本を読んで知識を持ってはじめて、

先生の喋っていたカオスで電波な内容が、とても魅力的で重要な意味を持つ内容だったことに後から気づく、なんてのもしばしばです。

そういう意味で、「大学生ならとにかく本読んどけ。」「大学生のうちに読んだ本が将来のベースになる。」などの嫌というほど

聞き慣れたフレーズは決して的外れなものではないと思います。

 

 話が大きくなってしまいましたが、とにかく今回の歴史Ⅰ「マルク・ブロックを(自分で)読む」という授業は、

そのように知の連結へのきっかけを与えてくれるものでした。テストの最終設問であった三番の

「あなたが過去に問うとしたら、どのような事を問いたいか。そしてそれは何故か。」という設問は、「感想を書け」と同じような類の

漠然とした設問に見えますが、その実、アナール学派の本質である「問いかけの学問」というテーマに立脚したものであって、同時に、

まさに上で書いたような「知の連結を経験したかどうか」を見る問に他なりません。一緒にテストを受けていたクラスメイトのかっぱ君が

テスト終了後、「3番を書いているうちに何か色々見えてきた。」というような内容の事を言っており、その後に自らが3番で書いた

内容に関する本を購入していましたが、そういう効果を与える事の出来る問題は凄いと素直に思いました。

確かにこの問は書いていて楽しかったです。

 

 珍しく真面目に書いてしまいました。今気づきましたが、そもそも今日はなんで丁寧語なんでしょうね(笑)

あ、そういえば7月30日に「食を考える」ワークショップの第4回が行われます。夏休みスペシャルということで、場所は

KIRINの横浜工場で、ビールづくりに関する見学・講演を聴いたあと軽食を頂く(もちろん無料)という形です。

また例によってフライヤーのデザインを担当させてもらいましたので、参加されたい方や詳しく知りたい方は

東京大学教養学部付属 教養教育開発機構のページ http://www.komed.c.u-tokyo.ac.jp/ をご参照下さい。

 

 さて、そんなわけでまた朝の4時になってしまいました。超朝型生活ですね。もうすぐ波乗りに行くのでちょうどいい、ということで。

今からは買ったばかりの三浦篤『自画像の美術史』および佐々木正人『アート/表現する身体 - アフォーダンスの現場 -』を

読みながら、レポートの構想を練りたいと思います。 

Qu'est-ce que l'école des Annales? 

 

 現在、朝の四時半。数時間後に控える歴史の試験のため、アナール学派について纏めてみようと思う。

タイトルをフランス語で書いたのは、タイトルが意味する日本語を検索ワードに打ち込んで直前にシケプリを探す不届きなヤツ

(そんなヤツがいるのかは知らないが)の目に留まらないようにするためである。

さて、それではアナール学派について以下に概説しよう。といっても、物凄い分量になってしまったので、明日の試験時間内に

書き切れるかちょっと不安だが、そこは気合でカバーということで。

 

 アナール学派とは、1929年にマルク・ブロックとリュシアン・フェーヴルによって創刊された雑誌、

「社会経済史年報 Annales d’histoire économique et sociale」にちなんだ歴史学の一派である。アナール学派のはじまり、

すなわち「社会経済史年報」(この雑誌は以後、何度もサブタイトルを変えてゆくが、一貫して【社会 sociale】の文字は含まれていた。)

の創刊には、「地理学年報」「社会学年報」「歴史総合評論」という三つの雑誌が大きく影響を与えている。

 

 まず、ポール・ヴィドル=ド=ラ=ブラーシュによって1891年に創刊された「地理学年報」は、歴史学者の視点と地理学者の視点を

融合させたものであり、ブロックに「地理学者が現在の事を知るために過去に目を向けているのと同じように、歴史家は過去を知るため

に現在に目を向けなければならない」という思いを抱かせるに至った。

 次に、エミール・デュルケームによって1898年に創刊された「社会学年報」は、「人間の営みを何よりも集合的事象と捉え、

人間社会を諸要素の関連から生まれる全体構造と捉える」ことを主張するものであり、これは専門化・個別分野への特化が進んでいた

当時の歴史学に対する「様々な学問を横断的に抱える歴史学」という構想をブロックらに与えたのである。

 そして最後に、1900年にアンリ・ベールによって創刊された「歴史総合評論」における、「歴史の視点を軸としつつ諸学の統合に至る」

というコンセプト、さらにはアンリ・ベールによる「人類の発展」双書の作成や、総合研究国際センターの設立などが、ブロックら

アナール学派の創設に極めて大きな影響を与えることとなった。

 

 以上のような背景から、アナール学派は、人間事象をすべて相互連関のうちに捉えようとし、諸専門分野との対話や相互乗り入れを

試みようとする、という性格を持つ。そして、事件史中心ではなく、人間の生活文化すべてを視野に収めた総合的な歴史学を目指そうと

するものとなった。さらに、(西洋と異なる)「他者」を認める、という「エスノセントリズムからの脱却」を掲げ、現在の視点からのみ過去を

解釈しないこと、すなわち「アナクロニズムからの脱却」をも目指すという性格を持つものでもあった。

 また、人々の「感じ、考える、その仕方」を扱う心性史mentalité や、下から上へ、つまり庶民に立脚して王侯貴族にまで至る包括的

な歴史を描こうとする全体史histoire totale という分野を特徴的に含むものであった。ブロックが『歴史のための弁明』で

「歴史学が捉えようとするのは人間たちなのである。そこに到達できないものはせいぜい考証の職人に過ぎないのであろう」

と述べるように、人間をあらゆる角度から全体として捉えようとするアナール学派は、現在から過去に問い、過去から現在に

問い返すという「問いかけの学問」であって、タコツボ化していた従来の歴史学に対して

「新しい歴史学 Nouvelle histoire」であったと言う事が出来よう。

 

 アナール学派は、今に至るまで、大きく四つの世代に分ける事が出来る。

まず第一世代は、伝統的政治学に反発して、地理学・社会学・文化史への関心を強く打ち出したマルク・ブロックや

リュシアン・フェーヴルらの時代である。

 第二世代は、数量的手法の洗練を受けて数量史が勃興した時代である。数量的手法は、価格史・経済史の研究へと応用され、

第二世代を代表するフェルナン・ブローデルを生むことになる。

 続く第三世代は、第二世代の期に洗練された数量的手法や統計分析の手法が出生率などの統計へ応用された時代であり、

人類学的手法への接近を強めるとともに知的細分化が起こった時代でもある。第三世代の代表として、ジャック・ル=ゴフや

アンドレ=ビュルギュエール、アラン・コルバンらが挙げられる。

 そして、『中世歴史人類学試論』のジャン・クロード=シュミットらが活躍する第四世代、すなわち「いま」に至るまで、

アナール学派は歴史学の自己革新の動きをリードし続けていると言えるだろう。

 

 

 これが大問Ⅰで、あと二問あるのに解答用紙が足りなくなりそうです(笑)そもそもこの内容を暗記するのだけでも一苦労ですね。

なお、この文章を作成するにあたって、いつも読ませて頂いている「のぽねこミステリ館」という西洋中性史を研究されている方の

ブログで挙げられた文章や本を大いに参考にさせて頂きました。このブログで、以前スーツの研究に際して読んだミシェル・パストゥロー

の名前を見つけたときはちょっと驚きました。アナール学派と昨年の自分の関心が、思いもしない所で繋がったな、と。

パストゥローのみならず、今年は服飾に加えて色や音、香りなど五感の歴史に興味を広げていたので、そんな矢先に

アラン・コルバンという歴史家(「感性の歴史家」という、まさに今の自分の関心そのものでした。)の名前を知り、

そしてのぽねこさんのブログに導かれてコルバンの著作に何冊か触れる事が出来たのは本当に幸せな出会いでした。

ありがとうございます。

 

(ちなみに、少し前に流行った映画「パフューム、ある人殺しの物語」には原作があって、パトリック・ジュースキントの”Das Parfum”が

それなのだが、さらに、このジュースキントの小説は下敷きにしている本がある。それこそがアラン・コルバンの

「匂いの歴史 Le miasme et la jonquille, l’odorat et l’imaginaire social 18e~19e siecles」であった。

コルバンが描きだした匂いの歴史を、ジュースキントが小説にし、そしてトム・ティックヴァー監督が映像化した、というわけだ。

映画のオチには首を捻らされたものの、映像の描写が不気味なまでにリアルだった理由が分かった気がする。)

レポート・ラッシュ

 

 民法(法Ⅰ)のテストが終わった。「隣人訴訟判決について10行から15行で、指定語句に下線を引いた上で論述せよ。」

という問題があって、何となく東大入試の世界史第一番を思い出した。入試のとき、下線を引くのを忘れていないか妙に気になったのを

覚えている。しかも本番の解答用紙のマス目はかなり小さいので、僕のように悪筆かつ字が大きい人間には、このマス目が

最大の難関となった。しまった間違えた、と思って一行消すと、上の一行や下の一行まで消えてしまう。これに対処するため

ペン型の細い消しゴム(TOMBO MONO ZERO)を直前期になって購入した。この消しゴムによってかなり助けられた感がある。

国語の解答欄にも有効なので、東大入試を受けなきゃならない人にはお勧めです。

 

 そんなわけで一つテストが終わったので、次のマルク・ブロックとアナール学派についてのテストまでは

山のように溜まっているレポートを書いていくことにする。各レポートのテーマはだいたい決まった。

記号論はバルトの「神話作用」に依拠して、デノテーションとコノテーションの概念から現代のモードを分析するというテーマで

書くつもりだ。基礎演習で書いたテーマを発展させ、見方を少し変えた内容である。

表象文化論はパフォーミング・アートについてであれば何でも良いそうなので、趣味に走った内容にしてみようと思っている。

タイトルだけは先に決めた。「カルロス・クライバー、舞踊的指揮と指揮的舞踊」というタイトルである。中身はまだ全く書いていない(笑)

生権力論は以前書いた「マスクと視線の生政治」というテーマで、TONFUL騒動について生権力・生政治の観点から分析する。

ついでに少し前にここに挙げた(「生命倫理会議」というエントリーで)「臓器移植法A案」をビオス/ゾーエーの観点で捉えてみる、

すなわち「A案が極めてゾーエー的な内容である」という事もこのレポートに入れようと思っていたが、某女帝に

「その内容で書こうと思ってたからやめて」と言われたので大人しくやめておくことにしよう。

美術論は年代の限定がキツイため、下手をすると扱う画家がみんなと被ってしまう。有名どころは大抵被るだろうと読んで、

昨年出会って衝撃を受けたマリー=ガブリエル・カペの自画像で書くつもりだ。この女性はほとんど無名の人だが、「自画像」の魅力は

凄いものがある。輪郭がどうだとか、眼が綺麗だとかを超えて、「美への自信」が感じられる。一度見ると忘れられない。

あと、神道についてのレポートを書かねばならないのだが、こちらのテーマも何とか決まった。

神道を語る上で外せないであろう、「雅楽」について比較文化論的に書く。(ただし時間が無ければ諦めるかもしれない。)

「雅楽」について調べると、面白い事が大量に出てくる。西洋の音楽との比較だけでも十分面白いし、その性質からして

宮廷文化史とも関わっているから、「雅楽」的なものが伝播した地域の宮廷文化史・王朝史を比較するとそれぞれの特質が見えてくる。

 

 話は全然変わるが、先日、AKGのK-702というヘッドフォンを購入した。定価の30パーセントという超破格値でゲット。

姉妹機のK-701(やたら売れているらしい。アニメ「けいおん」で、あるキャラがつけていた事が理由だそうな。)と違ってシックな色合い

かつケーブルが取り外しできるようになっている。購入当初は音がやや曇っていて、値段ほど音場に拡がりが感じられなかったが、

しばらくエイジングしていると音場がどんどん広がって、高音の抜けも素晴らしいものになった。楽器の位置がはっきり分かる。

前に使っていたヘッドフォンATH-A900と違ってオープンタイプであるから音漏れは盛大だが、そもそも自宅でしか使わないし、

オープンタイプの良さが存分に感じられるものなのでこれで十分だ。K-702はフルオーケストラにも合うけれども、小編成の室内楽的

な曲にこそ、その真価を発揮しているように思う。ピアノ・トリオにも最適だし、編成の小さなコンチェルトなんかも素晴らしい。

特に、これで聞くハイドンのピアノ協奏曲は絶品だ。今度これを振る事になるかもしれないので、今日はスコアを眺めつつ演奏者を

取り換え取り換えひたすらリピートして聞いている。おかげでレポートが全然進まないが、アイデアはいつもこのような時間から

生まれるものなので、それでいいのだろう。Und die Ideen? の答えはlange Weile、そしてLangweileなのだから。

 

  

生命倫理会議

 

 という会議がある。東大でも教えていらっしゃる小松先生や、僕が師と仰ぐ金森先生らが所属している、

生命倫理に関する議論にコミットする団体である。特に臓器移植法に関して先日記者会見を行ったので、耳にされた方も多いだろう。

生命倫理会議の総意として、臓器移植法A案可決に対して反対の立場をとっており、この主張には僕個人としても全く賛同出来る。

臓器移植A案を端的に言えば、「脳死は人の死」と認定し、ゆえに「脳死になった際に臓器提供するかしないかをはっきりして

いなかった人からは家族の承諾があれば臓器提供を可能とする。以上より、臓器提供の年齢制限は撤廃される。」というものだ。

この案には多大な問題が含まれていることを生命倫理会議は主張している。詳しくはhttp://seimeirinrikaigi.blogspot.com/を

参照して貰えば良いと思うが、とりわけ、「人の生死の問題は多数決に委ねるべきではない」という小松先生の言葉は重い。

 

 また、このページから金森先生の記者会見動画を見る事が出来る。

わずか二分ほどの時間、慎重に言葉を選んでいつもの半分ぐらいのスピードで話される先生の頭にあったのは、

ジョルジョ・アガンベンが述べるビオスとゾーエーの議論、そしてフーコーのビオ・ポリティーク概念だったのではないか。

(アガンベンの「ホモ・サケル」第六節には、脳死に関する言及が見られることにも注目すべきだ)

A案は人の死生観や「最後の瞬間」への認識を変えてしまう可能性がある、という言葉には、ビオスにゾーエー的なものが

侵入してくること、生政治が強力に発動されることへの危機感があるように思う。

人はあくまでも「伝記の対象となる可能性」や「特定の質」を持った存在、ビオス的な存在である。

もちろん「カタカナのヒト」=「ヒトという種」というゾーエー的な意味合いを我々は内に含んでいるだろうが、我々がそれを意識することは

ほとんど無いと言ってよい。いわばゾーエーは悠久の大河であり、ビオスはそこに浮かぶ泡、一瞬一瞬周りの風景を映し、変化させ、

そしていつしか消える泡である。しかし、人の生の本質はこの泡、ビオスにこそある。

このようなビオスとゾーエーの概念を今回の臓器移植法A案に適用するならば、この案がある意味でゾーエー的な案である事が

分かる。個人の意思を勘案しないことはいわばビオスの排除であり、ゾーエーの管理ではないか。

脳死を一律に人の死と認定する事で、個人の意志とは無関係に臓器が提供されてしまう。この定義においてビオスを剥がれた

ゾーエーたる「脳死」は「生きるに値しない生命」という概念との距離を近づける。

誰かを「生かす」ための措置が、誰かを確実に「殺す」ことに繋がっている。

 

 

 このような事をぼんやりと考えながら、(僕の浅い理解では根本から間違っているかもしれない。だがいずれにせよ、臓器移植法を

巡る政府の行動が「生政治」そのものである事は確かだ。)獣医学のレポートを書いた。

取り上げたのは「動物の脳における性差」と「天然毒の研究と創薬」と「ペットとヒトとの新しい共存」の三つ。

書くうちに詰まってきたので、さっぱりしそうなBastide de Garille VdP d’Oc Chardonnay Cuvee Fruitee を飲んだ。

Bastide de Garille VdP d'Oc Chardonnay Cuvee Fruitee 2007。1000円ちょっとのクオリティとは思えない美味しさである。グラスはSCHOTT ZWEISEL 社のDIVAシリーズの白。何とも艶やかなフォルムだ。

 

合わせたのは意表をついて「そうめん」である。

氷をゴロゴロ入れてキンキンに冷やし、このワインに合うようにめんつゆを

作る。合わせて厚焼き卵を作り、これも一緒に食べる。ふわっと広がる砂糖の

甘みと、そうめんのさっぱりした味、そしてライチのようなフルーティーさと

まろやかな酸味のあるワインとがあいまって食が進む。

日本とフランスの素敵なマリアージュ、生きてて良かったと思う瞬間である。

 

時計を見るともう夜中の三時。週末に力を充填したので、また一週間

頑張れそうだ。とりあえずは明日のソフトボールに備えて寝るとしよう。

 

 

 

人生を変えた一冊:『十六世紀文化革命』と越境者への憧れ

 

 よく晴れた土曜日、久しく吹いていなかったフルートを片手に、散歩へ出かけた。

外はどこまでも明るい。陽射しが肌に触れたかと思うと、涼しげな風がその温度をそっと奪ってゆく。

6月はもうすぐ終わる。そして7月がやってくる。この夏はどんな夏になるのだろう、と考えつつ、公園のベンチに腰を下ろし、

再読している『磁力と重力の発見』(山本義隆,みすず書房 2003)を開ける。

中学生のころ以来、尊敬する作家の真似をして読んだ本にサインと日付を入れることにしている。この本も例外では無い。

裏表紙の見返し部分を開けてみると2007.7.4とあった。

 

 そうだ、この本を読んだのはちょうど今みたいな天気の日だった。当時の僕は自習室に籠ってモラトリアムに浸っていた時期で、

「音楽室」と書かれたスリッパ(母校の音楽室のスリッパを記念に貰ってきた)を履いたままダイエーのジュンク堂三宮店に行って、

毎週大量に受験と関係ない本を買い込んではひたすらそれを読んでいく生活をしていた。

一年間で300冊ぐらい買ったと思うが、その中でもこの『磁力と重力の発見』には一際思い入れがある。

恩師の一人、駿台世界史科の川西先生にこの『磁力と重力の発見』と、同じ著者の『十六世紀文化革命』を勧めて頂いたのが

きっかけだった。この二冊は夏の暑さを忘れるほど衝撃的な本で、近くに迫っていた東大実戦などの模試をそっちのけにして

一気に最後まで読み通したのを覚えている。読み終わってから川西先生に再び会いに行ったとき、

「それだけ感動したなら、感想文を書いて著者に送ってみなさい」と勧められ、無謀にもあの山本義隆氏にレポートめいたものを

書いて、本当に送ってしまった。内容のほとんどは感想文のようなものだが、当時愛読していた大澤真幸の著作との関連点を指摘

してみたり、僕が得意とする音楽史の領域から『十六世紀文化革命』説を補強することになるのではと思われる事項を指摘してみた。

 

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「プロテスタントは印刷技術を積極的利用した。しかしカトリックは警戒的であった。」という点に乗じて、西洋音楽史からの

以下の指摘は的外れでしょうか。

 

「ルターは宗教における音楽の意義を重視したため、カトリック教会におけるグレゴリオ聖歌にあたるものをプロテスタント教会にも作り出す必要を感じていた。そうして生まれたのがコラールである。どことなく神秘的なグレゴリオ聖歌(歌詞はラテン語)に対して、宗教改革の意図に則り、あらゆる階層の人々に広く口ずさまれることを目的としたコラールは、民謡のように親しみやすく暖かなトーンが特徴である。(歌詞はドイツ語、一部は民謡編曲である)」(岡田暁生「西洋音楽史」による)

 

ここにはプロテスタントの「民謡の活用」と「俗語であるドイツ語の歌詞を採用」という二つの特徴が表れていると思います。

その意味でこれは16世紀文化革命の説を補強するものになると考えます。

さらに、プロテスタントとは離れますが、音楽史という観点で言うと、「マドリガーレ」について述べる事は十六世紀文化革命の説を更に裏付けるものになるのではないでしょうか。すなわち、

 

「マドリガーレは世俗的な歌詞(イタリア語)による合唱曲で、内容は風刺的だったりドラマチックだったり田園的だったり官能的だったりする。このマドリガーレはとりわけ十六世紀末にきわめて前衛的な音楽ジャンルとなり、後述するように音楽のバロックはここから生まれてきたといっても過言ではない。」(同書より)

 

「俗語による表現であり、さらに実験的な要素を持っており、17世紀のバロック音楽を準備した」

ものがマドリガーレであると捉えるならば、これは16世紀の職人の運動と近似しているのではないかなとふと思いました。

「16世紀文化革命の大きな成果は、17世紀科学革命の成果を下から支える事になる」という点でも共通しているのではと考えます。

 

 

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 一か月もしないうちに、氏から直筆の返事が届いた。手紙には、上で指摘した内容が盲点であったこと、そして早く大学に入って

更なる勉強を続けなさい、という事が書かれていた。東大へ行く意味が分からなくなって些かアイデンティティ・クライシスに

陥りかけていた僕にとって、この手紙は効いた。優しい文章なのに痛烈に響いた。

 

 あれからもう二年近くが経った事に、月日の早さを思い知る。

ウォーターマンのブルーブラックで書きつけたサインと日付はすっかり変色してブルー・グリーンに近い色になっている。

だが、この『磁力と重力の発見』と『十六世紀文化革命』の衝撃は今なお色褪せない。

この二冊からは、アカデミズム内部の思考停止に陥らず、知識を秘匿することなく、自然に対する畏怖の念を持ち続けるといった

姿勢を通して、強靭な思考を築いて行くことを学んだ。その上で、『十六世紀文化革命』で描かれている十六世紀の職人達が

勇気を持って大胆に「越境」したように、常に枠組みを越境する人間になりたいと思った。

 

 

 間違いなく、僕の人生を変えた本のうちの一つだ。はじめて読んだ二年前と同様、背筋がゾクゾクするような感動を覚えながら、

二年前を思い出して身が引き締まるような思いをしながら、再びページをめくる。至る所につけられた印や書き込みがどこか眩しい。

 

 ページの上に、緑のフィルターを通って光と影が降り注ぐ。また夏がやってくる。

 

DIALOG IN THE DARK に行ってきた。

 

 今日はとても充実した一日になった。

一限、基礎演習のTAもどき。ランダムに発表をしてもらっているのだが、ランダムなはずなのに三週連続で同じ人が当たったり。

その子にとっては大変だろうが、見ている僕らには大変興味深くうつる。週を追うごとに徐々に内容や視点が深まっていくのが

良く分かるからだ。そして同時に、前に立ってプレゼンをすることにも慣れていっているのが分かる。どうせこれから前でプレゼンを

する機会は多々あるのだし、基礎演習という機会で何回も発表してプレゼンの練習にも出来るのは「おいしい」と思う。

彼女が取り組んでいる、映画の予告編についての研究がこれからどのように進んでいくのか楽しみに見ていきたい。

 

 

 昼、アフター基礎演習を途中で抜け出してテリー・イーグルトンの『反逆の群像』を購入したあと、渋谷から銀座線で外苑前へ。

DIALOG IN THE DARKというイベントに行ってきた。

このイベントの詳細については、ここに書くより http://www.dialoginthedark.com/ を参照してもらえれば早いと思う。

簡単に纏めておくと、視覚障害者の方をアテンドに真っ暗闇の中に6人ぐらいのグループで入り、視覚を遮断した状態で

その暗闇の中にあるものに触れたり、感じたりしつつ、グループで協力して90分間暗闇を散策する、という感じのイベントである。

僕はA氏(僕が最も尊敬する人の一人である)にこのイベントに誘ってもらった。面白そうだとは思うものの、自分ではわざわざ

足を運ばないような、どこか胡散臭い感じがしていたのというのが事実である。値段も平日学生2800円とそう安くはない。

 

 終わってみると、ただひたすらに「行ってよかった!!」という感じ。このイベントの良さをすぐにでも誰かに伝えたいと思った。

これは本当に貴重な体験が出来るイベントだ。期間限定ではなく常設にしてほしいと心から思うほど。

というわけで以下に詳しいルポ・感想を書くので、ネタばれが嫌な人は注意してください。

 

 外苑前から熊野通り、キラー通りと15分弱ぐらい歩いたところにあるコンクリート打ちっぱなしのビル、その地下一階のドアを

開けると、狭すぎず広すぎもしない落ち着いた空間が広がっている。座り心地の良さそうなソファーに様々な年齢層の人が腰を下ろし

みな思い思いの時間を過ごしている。ここがDIALOG IN THE DARKの待合室だ。

DIALOGU IM DUNKELN とドイツ語で書かれたポスターを目の端で捉えつつ受付へ。受付で簡単な説明を受ける。

荷物はかばん・携帯から腕時計まで全部ロッカーに入れるそうだ。大人しくロッカーに収納して身軽になり、ふかふかのソファーで

待つこと10分、いよいよ集合の声がかかった。集まったのは6人。視覚障害者の方が使うものと同じ白い杖を各々持ち、

杖の使い方の説明を受けた後に、六人で軽く挨拶をしあって中に入る。といってもいきなり真っ暗闇に入るのではなく、

徐々に暗い空間へと移動していく。真っ暗になったところでアテンドの方が登場。もうここでは何も見えない。

声を頼りに存在を確認するしかない。視覚を完全に遮断した状態で再度自己紹介をする。

大学生の男が二人、主婦の方が一人、気さくな外人の男性一人、大学生A氏、そして僕という内訳だった。

暗闇なので互いの顔は全く見えないが、お互いの声や雰囲気はなんとなくつかめる。

「暗闇の中では音が頼りになるから、お互いに名前を読んで声をかけあってください」という説明を受けていよいよ中へ。

みんな緊張しているのが分かる。

 

 中は完全に闇。見る事を完全に諦め、他の感覚を全力で使って世界を把握するしかない。一歩をそっと踏み出してみる。

足の裏に意識を向ける。葉っぱを踏む感触。ついで前の人の靴らしきものに当たる感触。

耳を研ぎ澄ませる。水が流れている音がどこからか聞こえる。A氏のおどろいたような声。

肌の感覚に集中する。近くに誰かがいる確かな温度を感じる。そっと当たる誰かの手。

香りに注意を向ける。木の香り、乾いているようでどこか湿っぽい。

たった一歩に過ぎないのに、この世界はこれだけの情報量を持っている!!そのことだけで十分驚きだった。

そのあと暗闇を歩き回り、水に触れてその冷たさに驚いたり、野菜の香りに感動したり、様々な経験をした。

ここを詳しく書いてしまうと楽しみが半減してしまうだろうからこれぐらいで割愛する。印象的だった事を一つだけ書くと、

ゆらゆら揺れる吊り橋があるのだが、これを暗闇で渡るのは非常に怖い。だが、「ゆれている」ということが

「確かにそこに何かがある」というリアリティを感じさせてくれる。不安定な感じから、逆説的に安心感を得ることになった。

視覚に頼っていては味わえない経験だ。

 

 最後にBARに入った。もちろん真っ暗闇の中の、である。テーブルの形も分からないままにそれぞれ座席に着き、おしぼりを開けて

その温かさに驚く。メニューを口頭で説明して頂き、ジュースやワイン、ビールが選べたので迷わずワインを選ぶ。

というのは、視覚を諦めた状態で何かを飲むとき、ワインが一番刺激的だろうと考えたからだ。まず色すら分からないのだから。

暗闇の中で、横に座っている人を声で判断し、そこからテーブルの形を想像しながらグラスを近づけて乾杯する。

声と温度を頼りにグラスを近づけると思ったより簡単に乾杯が出来るのだ。そして暗闇の中でワインを口に持って行くと

こんなに香りがするものだったか?というほど濃密な香りを感じる。普段いかに視覚優位で生きているかが分かる瞬間だった。

そして飲んでみると液体が体の中を通り抜けている様子が感じられる。というよりむしろ、体が無くなってしまったみたいだ。

ちょっとしたお菓子を手渡され、暗闇の中でその触感を味わって食べる。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出した。

ここまで来ると暗闇の中で動き回る事が苦しくなくなっていた。すぐに慣れて、思ったより普通に動ける。今自分がどこにいて、

周囲がどのようになっているかの俯瞰的な見取り図が想像出来てくる。この見取り図は、記憶の中にある視覚情報を

暗闇の中で掴んだ視覚以外の情報と連結させて作っているのだろう。(まさにベルクソンの知覚論だ。)

 

 美味しく頂いてBARを後にする。椅子から立ち上がり、アテンドさんのところに集合する時、人が一か所に集まってきている音と

温度をありありと感じた。気配というのは音と温度から成り立っているのではないだろうか、なんてことを考える。

そして次第に明るいところへ。そう、もう一時間以上が経ってしまったのだ。きっと歩数にすれば家から駅まで行くよりも

遥かに少ないのに、本当にあっという間。だが、その中で沢山の情報に触れ、そしていつの間にかグループの人たちの声や

名前を自然と覚えていた。薄闇(最初は暗いと思ったのに、今となっては明るすぎる!)の中に移動して互いの顔が見える状況で

少しディスカッションをする。暗闇の中にいたときは年齢や立場や性別関係なしに触れあっていたが、顔が見える明るさでは

暗闇にいた時よりも互いに話すのが気恥ずかしくなる。視覚を得ることで、我々が「他人」であったことを思い出した。

暗闇は人を孤立させるのではなく、人と人との間に横たわる距離を縮めてくれるものにもなりえる、ということを僕は初めて知った。

 

 あっという間の90分を終えて受付に戻ってくる。

入ってきたときは落ち着いた照明だと思ったのに、今となっては明るすぎるぐらい。

一緒のグループだった人たちに「またどこかで」と挨拶をして、建物の外に出る。

陽射しが鋭く、世界の白が白すぎる。走り去る車の音、行きかう人の声、溢れる色彩、複雑な香り、湿気た空気。

この世界には情報が溢れている。

だが、そう思うのも一瞬。今までの人生で視覚に慣れ親しんだ我々は、すぐに視覚に頼って歩き出す。

何のためらいもなく階段を昇り、時計に目をやって時間を確認する。まぶしいと感じた光、うるさいと感じた車の音は

いつのまにか意識されなくなる。いつも通り、別に変った事は無い、ただの街中。

色や音、視覚の刺激に溢れたこの街で、僕は何も感じていない。

 

 そのことに気づいて、今までいた場所を振り返る。

夢みたいな時間。暗闇の中にいたはずなのに暗闇には様々な感覚が溢れていた。

そしてその暗闇の中で僕は確かに、人と、場所と、音や香りや触覚と対話=Dialog した。

視覚を捨て、暗闇の中で世界を認識しようとして様々な感覚を鋭くすること、それは僕にとって忘れる事の出来ない体験になった。

 

 これを読んで興味を持たれた方は是非一度足を運んでほしいと思う。絶対に後悔はしない。

長くなってしまったが、誘ってくれたA氏に感謝を記し、終わりにすることにしよう。

今年一番の充実した一日になりました、本当にありがとう。

 

DIALOG IN THE DARK のロゴ。このロゴデザインの秀逸さは、薄闇の中に身を置いてはじめて分かった。

「言語は25歳まで」、らしい。

 

 日本語と英語を除いて、現在以下の三つの言語を勉強している。

というのは、「25歳までに言語は勉強しておくべきだ」という言葉を何人もの教授から聴き、浪人している僕は

他の人より早い目に始めないとすぐに25歳になってしまうという危機感を持ったからだ。すべての言語で単語を大量に覚える事は

できなくとも、単語を積み重ねることが出来る下地ぐらいは今のうちに作っておきたいと思う。

 

 東大では、入学手続きの前か何かに第二言語を決めるのだが、そこで僕はドイツ語を選択して提出した。

理由はハイデガーが読みたかったから。などという高尚な理由ではない。単なる趣味の問題で、

ドイツ系指揮者のリハーサル映像で字幕の無い物の内容が気になって仕方無かったからである。それだけでなく、もとより

フランス語>イタリア語=ドイツ語 の順にモチベーションがあったから、一番自主的に勉強しなさそうな言語を選択しておこう

と考えたというのもある。(その甲斐あってドイツ語の授業でいま苦しんでいる。)

言語で意外に覚えられないのが数字。単なるリーディングの授業では数字を読む機会が

なかなか無いし、各言語で似ている読みがあって非常に混ざりやすい。というわけで自分のためにここに纏めてみた。

ビリヤードで15番までを各国語で言えたり、ボウリングの残りピンを各国語で言えたりすれば記憶に残るだろう。

もちろん、実際に役に立つかは知らない。

【ドイツ】eins,zwei,drei,vier,funf,sechs,sieben,acht,neun,zehn,elf,zwolf,dreizehn,vierzehn,funfzehn 

アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーア、フュンフ、ゼクス、ズィーベン、アハト、ノイン、ツェーン、エルフ

ツヴェルフ、ドライツェーン、フィアツェーン、フュンフツェーン

【フランス】un(une),due(duex),trois,quatre,cinq,six,sept,huit,neuf,dix,onze,douze,treize,quatorze,quinze

アン、ドゥ、トロワ、キャトル、サンク、シス、セット、ユイット、ヌフ、ディス、オンズ、

ドゥーズ、トレーズ、キャトルズ、キャーンズ、

【イタリア】uno,due,tre,quattro,cinque,sei,sette,otto,nove,dieci,undici,dodici,tredici,quattordici,quindici

ウーノ、ドゥーエ、トレ、クアットロ、チンクエ、セイ、セッテ、オット、ノーヴェ、ディエチ、ウンディチ、

ドディチ、トレディチ、クアットルディチ、クインディチ

 

これで何番をポケットしようが何番ピンがタップしようが大丈夫だ。「ディエチがタップした!」とか「ノインボールポケット!」とかね。

 

 そういえば先日、ある人から「高校時代、授業カリキュラムにフランス語orドイツ語が週二コマ入っていた。」という話を聞いたが、

言語記憶の限界が25歳までにあるならば、高校時代から第二外国語に触れておくことは非常に有益だろう。

速すぎると日本語が疎かになってしまうから、高校ぐらいからが一番いいんじゃないだろうか。

というわけで、これを読んでいる人の中に高校生の方がいらっしゃれば、何か英語以外の言語(メジャーなもの)を

自主的にやってみることをおすすめします。せめて浪人中にやっとけば良かったな、と今になって後悔している。

 

 なお、今日のドイツ語の授業で『千と千尋の神隠し』のワンシーンをドイツ語で見た。ドイツ版では『不思議の国の千尋』

というタイトルに翻訳されているらしい。「かおなし」が ”Ohnegesicht” と訳されていたのはちょっと面白かった。

かおなしやゆばーばがドイツ語で喋るのはさほど違和感がなかったが、リンや千尋が流暢なドイツ語で喋るのには

大変違和感を感じた。着物を着た和風で童顔な少女がドイツ語でまくしたてるのはやっぱり変ですね(笑)

 

身体運動は老化を加速させるか、或いは減速させるか。

 

 過度の運動は活性酸素ROSを大量に作り出してしまい、ミトコンドリアの機能を低下させてエネルギー供給を低下させた結果、

細胞機能を低下(これが老化である。)させてミトコンドリアは死に至り、チトクロムCを溶出してアポトーシスしてしまうことになるため、

過度の運動は老化を加速させると考えられるだろう。だが、適度な運動ならば抗酸化酵素群のひとつである心筋SODすなわち

スーパーオキシドジスムターゼを増加させて、抗酸化能力をあげることになる。

 

 生存曲線と老化曲線を比較すれば、生理機能が一定レベルより下がると生存率に反映されることが分かる。

つまり身体運動や摂食制限を通じて生理機能を活性化させるか、或いは長寿タンパク質サーチュインを出してDNAを安定させて

おけば老化は減速させる事ができると言える。C-Eleganceとは異なり、ヒトなどの高等動物はclk-1の低下によって

エネルギー代謝を下げ寿命を延ばす手段は使えない。Clk-1の低下による極端なカロリー制限は免疫力を低下させ、

ストレス耐性を低下させてしまうからだ。そしてまた、若さを保つ物質である可能性を持つ循環因子は、加齢とともに減少してしまう

宿命にある。

 

 だが、上述したように、適度な運動によって抗酸化活性を上げ、アドレナリンやテストステロンなどの内分泌系を上げることは出来る。

たえとえばエアロビック運動は呼吸・循環系の加齢変化を抑制するし、筋運動は筋力の加齢変化を抑制する。このように、身体運動は

他の生理機能を活性化する働きによる抗老化作用を持つのである。以上、適度な身体運動は老化を減速させる一助となるはずだ。

 

(友達から頼まれたので、一年前に書いた文章を転載しました。とりあえず、適度な運動は体に+の効果を及ぼすのです。)