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技術を忘れるぐらいになりなさい。

 

毎週恒例のプロとの試合に行ってきた。

四ゲーム終わって10ピン差以内という、何とも緊迫する展開。久しぶりに少し緊張しながらラストゲームをやり、結局プロに6ピン差で

勝つことが出来た。ギリギリの試合ではスペアショットのたびに緊張するし、ストライクが続いたら続いたで段々力が入ってしまいがち。

しかし今回はそんなこともなく、投げたい球が最後まで投げられて満足している。中国から帰ってきて以来、自分の投げる球に

「何か足りない」という状態が続いていたのだが、今回でスランプを完全に脱することが出来たようだ。

 

何が足りなかったのか、と考えてみて気付いた。結局のところ、四歩目が決定的に軽かったのだ。

僕は左利きで五歩助走だから、四歩目は軸足(=左足)にあたる。一歩目(右足)と四歩目は、助走の中でその一瞬の中に

とりわけ多くのものを含んでいる。一歩目の出し方で後が規定されるし、四歩目の踏み込み方でラストステップ(五歩目)の

力強さが決定される。ハイレブ型の投法においては、ボールを手で振るのでなく足で振るイメージを持たなければいけない。

したがって、足の運びが上手くいかない限り、ボールの下に手が入って振りほどくような感覚は味わうことができない。

 

足の運び、といっても、歩き方自体はそう崩れるものではない。前に向かって歩く、というのはもちろんそのままだ。

しかし、一歩一歩のタイミング(これが一歩一歩の重さのかけ方に繋がってくる)が繊細なだけに、ふとした拍子に狂ってしまいがち。

それでも、本来存在しないはずの一瞬の空白(手遅れ)を作りだすためには、この絶妙なタイミングがどうしても必要なのだ。

上手く「間」を作り出せると、足は前に行くのに手は後ろにあるという不思議な状態を味わえる。そして一瞬のはずのリリースが

長く長く体感されるとともに、その時に指を一気に広げることで、ボールが手のひらの下からぐいっと落ちてゆくのを感じる事が出来る。

これが出来た時のボールは明らかに勢いが違う。ツーっと高速で走って行って、加速してポケットに切れ込むように見える。

投げた瞬間、少々コースを外していても「これはいったな。」という感覚が指先に残る。エネルギーが完璧にボールに乗るからか、

投げた後には不思議と静けさすら感じる。全部の力をボールに伝えきって軽く脱力したような感覚だ。そんな時のボールは、ボールに

意思が宿ったかのように動いてくれる。

 

この調子を出来るだけゲームの早いうちから長く維持せねばならない。一度崩れると立て直すのに時間がかかる。そこが問題だ。

さらに上の世界へにいくためには、安定感と勝負どころで持ってこれる迫力が両方とも高いレベルで必要となるのだろう。そのためには

何が問題なのかを、毎回毎回考えてゆくしかない。でも、たぶん音楽もスポーツも同じで、頭で考えながらプレーするのには限度がある。

頭で考えたことを身体に写し取り、考えなくても身体がそれを実行してくれるぐらいに投げ込まないといけない。

ふと、二年前のちょうど今頃、ハイドシェックがそのことについて語っていたのを思い出す。

「技術を忘れるぐらいになりなさい。技術を忘れたとき、音楽と一体になれる。奇跡のような演奏はそんな時に生まれる。」と。

 

 

師匠を超えて。

 

 冬休みもあと数日。地元にいられる時間は僅かしか残されていません。

というわけで、帰省中に必ずやっておきたかったことの一つを終えてきました。ボウリングの師との再戦です。

電話をしてボウリング場で待ち合わせ、夏と変わらずお元気なお姿でフロアの向こう側から飄々と歩いてくる師匠はもう75歳。

師匠にボウリングの面白さと奥深さを教わってからもう6年が経ちます。月日の経つ早さに驚かされながら、がっちりと握手をして

レーンへ向かいました。

 

 夏休みに勝負したときは僅差で僕が勝ちましたが、師匠はその年齢もさることながら、使っているボールがラウンドワンの

キャンペーンボール一球のみ(他のボールは近くのレーンに入った若者にあげたらしい。そんな気前の良さには本当に憧れます。)

という状況だったので、僅差では勝ったことになりません。そこで、今回は自分に二つの制限を課して勝負に臨みました。

まず、投げてよい球は二球のみに制限。練習投球の様子から、Second Dimension と Black Widow Nasty の二球に絞りました。

そしてアベレージにして30ピン以上差をつけること。師匠はどんなに転んでも180アベは叩いてくるので、僕は最低でも210アベを

超えねばなりません。この二つの条件を満たしてはじめて「勝った」と思おうと決めました。

 

 そして試合開始。正月で沢山のお客さんが投げているからか、レーンがかなり難しい状態に荒れていることに気づきます。

外早中遅の上、左右差が微妙についています。極端な左右差ならボールを変えたりして対応できるのですが微妙な差となると

細かく調整していくしかありません。しかも外早なので外に向けて出し過ぎると即ガター。これはかなり集中して投げないと、とても

210アベどころではありません。Black Widow Nastyを15枚ぐらいからちょっとだけ外に向けて投げ、ピン前の切れこみを利用して

倒すラインを選択しながら、目一杯集中して投げました。

 

 師匠はと見ると、スピードを落として僕と同じ15枚目ちょい出しラインを選択しています。それを見て、このラインはかつて師匠から直々

に教わった、師の最も得意とするラインだったことを思い出しました。投げ方はあの頃から随分変わりましたが、今でも僕のライン取りは

ほとんど師匠譲りのもののようです。アプローチに立って構えながら、心の中で師匠に感謝しました。

微妙なアジャストも成功して、六ゲーム終わってみればアベレージ228となかなかのスコア。対して師匠は194。

精一杯のことはやりました。最終ゲームで師匠が、「もうこれからは勝てないな。」と笑顔でそっと呟かれたのが耳に残って離れません。

心から嬉しかったし、同時に少し寂しかった。師匠を超えるときがついに来たのかもしれません。

 

 でも、師匠からはまだまだ学ぶべきところがありました。

とりわけ、僕がいま集中的に取り組んでいる「静」の部分。「静」と「動」に注目して師匠のフォームをじっくりと後ろから見てみました。

びっくりしました。師匠の構えは「ビタッ!」と音が出るように静止しています。止まっているのは時間にして僅か数秒。

ですがその静止の中に、「これから起こるであろう動き」が完全に含まれているのが感じられます。

「構えただけでストライクが出そうな気配を放っているなあ。」とボウリングを始めたての頃に何となく思ったのも今は良くわかります。

一瞬の呼吸。スラックスの裾の揺れすら完全に動きを止めた一瞬の静けさ。この背中に憧れて僕はボウリングをはじめたのでした。

 

 「静」だけでなく、レーンを読む早さと緻密極まりないコントロールはまだまだ師匠の足元にも及びません。

師匠は6ゲーム通じて2-10のスプリットを3 回残したのですが、なんとその3回とも取ってしまいました!

一度だけならまだしも、三回とも全て取るなんて芸当はトッププロにも難しいことでしょう。レーンを読み切っていて、さらにそこから導いた

わずか数枚の幅に確実に投げられるコントロールがあってはじめて可能になる技ですね。肘を入れたハイレブの投げ方で投げていると

多少ポケットからずれても倒れてくれるので、ついつい精密なコントロールやレーンの読みが甘くなりがちですが、本当は僕らのような

ハイレブ型の投法で投げる人こそ、コントロールとレーンの読みを学ばねばなりません。ストローカーのコントロールと経験からくる

レーンリーディングの早さを基本として、そこにプラスアルファで高速・高回転の球を多様なアングルで投げれるようにすることが

最強ではないでしょうか。師から教わったレーンリーディングのコツを、東京に帰ってまた投げ込みながら、自分のものにしていきたいと

思います。

 

 夏休みには今よりも腕を磨いて帰省します。師匠もお元気で。そう伝えて固い握手を交わし、帰路へと向かいます。

夏ならまだ明るかった午後四時。冬の午後四時は、夕焼けと日没がグラデーションになって空を彩っており、心地よく疲れた体に

冷たい風が沁みました。

 

 

帰省と動画

 

 帰省しました。

秋以来なので三カ月ぶりの大阪。大阪駅の改装が前よりもかなり進んでいます。阪急百貨店も新しく建て替わっていて

中途半端にレトロな外装に首をひねりました。内装は綺麗(とくにエスカレーターの壁。白だけであんなに立体感をつけて陰影を

出したのは凄いなあと思います。)なのですが、外装は正直あまり好きではありません。なんというか合体ロボっぽい。

「胴体は大正、頭は平成。その名は阪急百貨店!」みたいな感じ。どこかの少年名探偵っぽいフレーズですね。

 

 こちらには一週間程度しかいませんので、いつものように大阪・京都・神戸をぶらぶらしながら、溜っている仕事や本を合間にガンガン

こなそうと思います。恒例となりつつある、中国整体による身体改造&ボウリングの師匠との勝負も果たしてきます。

 

 そういえば昨日にボウリングに関する記事を上げたら、僕と同じく左利きのある方から「動画が見たい」との要望を受けましたので、

(画質はめちゃくちゃ悪いですが)投げ納めの際の最後の一投をアップしておきます。15ゲーム目の最後ということで

ラストステップで左足の踏ん張りと右足への送りがイマイチ効いていませんね。遅くなったレーンに対処するためにボールを

走らせようとして跳ね上げている面もあるとは思うのですが、出来る限り最初と同じ投げ方で最後まで投げたいものです。

使用ボールは既に500ゲームぐらい投げたBlack Pearl Reactive。65度ぐらいで曲がりをやや抑えてドリルしてあります。

まあ暇つぶしにでも見てみてください。

 

※サーバーエラーでなぜかアップできていなかったようです。ここに直接あげなくてもyoutubeか何かにアップするほうが早そうなので

後日やってみようと思います。メールを下さった方、もうしばらくお待ちください。

2009年投げ納め

 

 2009年もまもなく終わりということで、ホームにしているセンターで今年度の投げ納めをしてきた。

この一年で1000ゲームぐらいは軽く投げただろう。1000ゲーム分のゲーム代を全部貯金していれば軽くフルートが一本買えそうな

金額になるような気がするが、それだけ投げた甲斐あって球が相当に強く・正確になったと思う。そして、一年間で記したメモも

相当な量になった。投げ納めということで、ボウリング場の下にあるサンマルクでホワイトチョコクロを食べつつ、このメモを再読して

改めて頭に叩きこんでから臨むことにした。

 

 いつものようにアメリカン(二レーン使って投げること。試合では大抵この形式で投げる。)で顔見知りのスタッフの方にレーンを取って

頂き、入念にストレッチをしてからボールを鞄から取り出す。究極に不器用なのでテーピングは一切しない。全くの素手である。

アプローチの状態のチェックも済んで「さあ投げるか。」と伸びをしたとき、支配人さんが後ろからそっとやってきてポンと僕の肩を叩いた。

そして「投げ納め?じゃあ今日は一ゲームごとにレーン移動してみたら。レーン空いてるし好きなように使っていいよ。」と、

とんでもないことを言って下さった。滅多にこんなことは出来るものではないし、しかもここは人がひしめく東京である。

「プロテストの練習にもなるし。」と勧めてくださる支配人さんの温かい心遣いに感動した。

 

 プロテストは一ゲームごとにレーンを移動して戦う。それを一日十五ゲーム。レーンは一レーンごとに異なるし、時間や湿度によって

レーンは刻一刻と姿を変える。だからプロテストを勝ち抜くには、一ゲームという短い時間でレーンに瞬時に対応する能力が要求される。

しかも僕がホームにしているボウリング場は一般客が既にさんざん投げたあと。と思いきや全くフレッシュなままのレーンもあったりと、

メンテナンスがしっかりしているプロテストのレーンよりもある意味でずっと難しいかもしれない。ということはこのレーンで十五ゲーム

投げてアベレージ200(プロテストの合格ライン)を維持できれば中々のものだ。ということで、この一年で一番気合いを入れて

十五ゲーム投げることにした。一ゲームごとのレーン移動で十五ゲームというのは人生初体験なので、どうなるか全く予想が出来ない。

 

1G.240スタート。外に壁を感じてそこにぶつければ戻ってくる、非常にやりやすいレーン。左右差もあまりない。

2G.223。五枚目より外に左右差が少し感じられるが、中を絞って投げてやれば問題なかった。

3G.186。左のレーンだけ中が伸びているのに気付くのが遅れ、イージーミスを二発。

4G.156。頭から四発連続で割れて真っ青。最後までよくわからないまま終わる。大量にあった貯金(200ベース)が+5まで落ちる。

5G.231!左右とも途中から完璧に把握できて六発連続のオールウェイ。さきほどのローゲームの分を何とか取り戻す。

6G.181。何とも微妙なまま終了。後から考えてみれば右のレーンのラインを間違えていた気がする。

7G.173。右レーンはほぼパーフェクト、しかし左がタップの嵐。しかも7ピンを二回ミス。ちょっと心が折れかける。

8G. 199。悪くはないが200に乗らずちょっとストレス。この時点でトータルマイナス11。やばい。

9G.203。スペアスペアで辛抱のボウリング。マイナス8まで挽回。雀の涙程度。

10G.168。今までと全く違うレーンにビビる。ピン前の動きがダルい。タップの嵐。ボールチェンジも功を奏さず撃沈。マイナス40。

11G.216。ちょっとホッとする。左右でボールを使い分けた、セル・パールの薄めぶち当て作戦が成功。マイナス24。

12G.200。途中までダッチマン(ストライクとスペアが交互に出ること。)だったが途中で崩れた。でも200ジャスト。マイナス24のまま。

13G.196。ちょっと焦り始める。なかなか貯金を作れない。悪くはないのだが・・・。マイナス28。

14G.192。暗雲が漂い始める。マイナス36。スプリット以外はかっちりカバーしているが、いかんせんストライクがこない。流石にやばい。

15G.232。つまりトータルマイナス4。最終ゲーム、気合いでラスト五発持ってきたものの僅かに及ばず・・・。

 

 結果、15ゲームトータルアベレージ199.8。プロテスト合格点には0.2ピン足りない・・・カバーミスが効いた。

普段215ぐらいあるアベレージが200切るぐらいまでに落ちてしまうのだから、レーン移動というのは本当に難しい。

読みの早さと対応の早さをもっと鍛えねばならないなあと痛感した。かなり苦しかったが、今までで一番頭を使って投げた気がする。

2009年投げ納めにふさわしい練習になった。スタッフの方々に心から感謝したいと思う。また来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

笑い飯礼賛

 

 M-1グランプリ2009を観た。目当ては笑い飯。いつも決勝近辺まで行くのになぜか勝てないこの二人が今年は

どんな伝説を作るか楽しみにしていた。結果は決勝までダントツで進んで、最終的には2位。ある意味伝説の展開だ。

ここまで来ると、「こいつら実は優勝する気ないんちゃうか」と思ってしまう。それがまた面白いといえば面白い。

 

 M-1で笑い飯と言えば多くの人が真っ先に思いつくの2003年の「奈良県立民俗博物館」というネタだろう。

あれはまさしく神だった。テンポ感もネタの構成も最高。掛け合いはどんどん加速していき、笑いもどんどんクレッシェンドしていった。

この奈良県立民俗博物館ネタには及ばないものの、今年の一回目のネタ「鳥人」は2003年に次ぐ名作だったと思う。

ボケとボケの掛け合いが生む勢いだけで笑わすのではなく、絶妙なテンポ感に加えて、言葉遊び的な笑いの要素が上手くミックス

されていた。さらに、笑い飯の真骨頂とでも言うべき「イメージ」の伝達がとても巧みだった。

 

 奈良県立民俗博物館と鳥人(に限らず、笑い飯の漫才のネタの多くがそうだと思う。「コロンブス」とか。)の共通点は、どちらも

「存在しないもの」「大多数の人は観たことがないもの」でありながら、「言われてみれば想像できる」ものであること。

ということは同時に、観客に自分たちのイメージしているものが伝わらないことには始まらないネタだと言える。

つまり、笑い飯が思い描くイメージが完璧に観客へと伝わり、イメージを共有できた時に、彼らのネタは笑いに変わる。

奈良県立民俗博物館と鳥人で提供したイメージは「博物館によく置いてある縄文時代の人々の像」と「頭だけ鳥で体が人」であった。

なんとなくリアリティを感じさせるこれらのイメージを観客と共有しつつ、あとはそのイメージから引き出されるシナリオを展開しながら

言葉遊びと主題のズレ(たとえば奈良県立民俗~における「ええ土!」、鳥人における「チキン南蛮」など)によって話を広げてゆく。

そこに漫才の「技術」である節回しや表情、テンポが加わることで彼らの漫才は構成されていると思う。

想像力と言語力に強烈に働きかけてくる笑い飯、まだまだ彼らから目が離せない。

 

 それにしても、笑い飯の漫才に漂うシュールさは吉田戦車の漫画に良く似ている。帰省したらまた吉田戦車の『殴るぞ』と

『感染るんです(うつるんです)』を読もうと思う。というわけでそろそろ帰省の準備をしなければならないのだが、軽くリストアップしてみた

だけで凄まじい量の荷物になってしまった。服、パソコン、本10冊、ドイツ語とフランス語の辞書、フランス語関連の演習本、単語帳、

ボウリングのボール×3、指揮棒、楽譜、フルート、バイオリン、筆記用具、万年筆のインク・・・これではいくら鞄があっても足りない(笑)

年末・年始で料金が高いことが予想されるのでボールは持って帰らなくても良いのだが、帰省するからには師匠と一回ぐらい投げたいな

と思うと、やはりボールは外せないという結論に至る。こうして荷物は全く減らないのであった。

 

 なお、本日は大畑大介『不屈の「心体」なぜ闘い続けるのか』(2009,文春新書)と加賀乙彦『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を

読了。それからあるコンクール用に書いていたエッセイを提出した。『記憶を纏う』と『ガラス越しの香り』という題名の二編である。

結果発表はまだまだ先なので、あんまり期待せずに待つことにしよう。

 

近況です。

 

いつものように近況を。相変わらずハードな毎日が続いています。

 

・能鑑賞

ここに時々コメントをくれる水際のカナヅチ氏のお誘いで能を見に行ってきました。

野村萬/野村万歳による狂言「箕被」、そして友枝昭世/宝生閑による能「葵上」の二本立てという

豪華なプログラム。何より、出演者の方々が日本トップの能楽師の方々です。

「学生のための特別公演」ということで、これがS席3000円で聞けるとは・・・学生でよかったと思います。

能は二回ほど見に行ったことがあるだけなので何も的確な感想は言えませんが、とくに「葵上」のおどろおどろ

しさは尋常ではありませんでした。変拍子チックな太鼓と笛と地謡に乗って展開される

六条御息所の霊Vs行者の激しい戦い。行者の法力が勝ったかと思うといきなり六条御息所が振返り、

その鬼のような形相を見せて逆に行者を追い詰めます。この迫力はすごい。ぞっとします。

妖しげな光を放つ青色とくすんだ赤色で、舞台が明滅しているような錯覚を覚えました。

 

 帰り際、客席を見回すとAIKOMの留学生の友達や高校時代の友達、それから上クラなど、10人ぐらいの

知り合いを発見してこれまたびっくり。ついでに、ホール出口のところで、浪人時代の友達で

しばらく音信不通だった人にばったり遭遇して、眼が合うなり「あーっ!!」と叫ばれました。

世界は狭いですね。まあとにかく、良いものを見て聞いてすることができました。カナヅチ氏ありがとう。

 

・指揮

能を見た後にそのまま指揮法レッスンへ。「葵上」の衝撃が残っていたのか、師匠に

「今日の君のピアニッシモはなんか冷たいね。もうちょっと柔らかく出したら?」と言われてしまいました。

それ以外の問題点は無かったようなので、合格を頂いて一つ曲を終えました。今週から新しい曲に入ります。

しっかり譜読みせねば。

 

 

・Fresh Start

というイベントがあるのですが、このイベントにJr.TAとして関わっています。

肩書きは「クリエイティブディレクター」なる大層なものなのですが、まあいつものようにデザインやら司会やら

色々と担当する感じになるでしょう。大きなイベントなので、色々案を出して盛り上げていきたいと思います。

さっそくFresh Start Jr.TA説明会の司会を一部やらせて貰いましたが、ずっと立ちっぱなしで三時間弱は

流石に疲れますね。「むくまないストッキング」なるものがバカ売れするのも納得です。

 

・ボウリング

8ゲーム投げて209アベ。目標にあと1ピン足りません。スペアミスが効いていますね。

練習を終えた後、スタッフをやっている後輩に投げ方のアドバイスを求められたので

一歩目の出し方からダウンスイングの下ろし方など、様々な「コツ」を伝えました。

彼にとってこのアドバイスが壁を超えるきっかけになってくれれば嬉しいです。

 

・本

ベルナール・スティグレール『技術と時間 第一巻』を読了。明日、スティグレールが来日して本郷で

シンポジウムが開かれるのでその予習の意味を兼ねて。ちなみに明日は午前中に駒場でシンポジウム

午後に本郷でシンポジウムというダブルヘッダーなので。かなり忙しくなりそうです。

 

 

 

「静」と「動」

 

 ここ数か月、ボウリングの調子が良いです。

先日の試合でもセミパーフェクトの277が出ましたし、「またぎパーフェクト」なるものも達成しました。

またぎパーフェクトとは名前の通りゲームをまたいで12連続ストライクが出ることらしいです。

3ゲーム目に8連続ストライクを持ってきて、4ゲーム目に入って頭から4連続でストライクを続けて

合計12発。一緒のボックスで投げていた人に指摘されるまで気付きませんでした。いつの間に、という感じ。

出来れば一ゲーム内で普通のパーフェクトを達成したかったですね(笑)

まあそれはともかく、アベレージが220から230で二か月ほど安定してきているのは嬉しい限り。

 

 好調なのには理由があって、一つ悟りを開いた気がします。

かなり抽象的な内容なので上手くは書けませんが、簡単に言えば、「動」ではなく「静」の部分を意識するように

なったこと。ここ数年、いかにして高速・高回転の球を投げるかを追求し、「どうやって肘を入れるか」

「パワーステップのタイミングをどう取るか」「回転軸はどう変えるか」など、ボウリングにおける「動」の部分を

独自にひたすら追い求めてきました。そうして試行錯誤しながら何千ゲームも投げることで、

「動」の部分はかなり体に染みこんだ実感を持っています。

 

 ですが、これに安定感を加えるためには、「動」ではなく「静」の部分に注目することが必要なのだと

唐突に悟ったのです。インスピレーションをくれたのは、僕が今一番熱心に取り組んでいる指揮法でした。

指揮の師がある時、こんなことをおっしゃったことがあります。

 

「指揮台に不用意に上がってはならない。上がる前に空間を作っておく。音楽が大きく広がるように

空間をセットしておく。触れたらその瞬間に音が鳴り出しそうな空間を作ってから指揮台に上がる。

そしてタクトの先に、空間に満ちている音楽を集めて凝縮させ、一挙に空間を鳴動させる。

オーケストラを鳴らすだけじゃない。空間を鳴らしてはじめて音楽は命を持つ。」

 

この言葉を考えてみたとき、「どう動くか」が問題なのではなく、「どうやって静から動へ切り替えるか」、

さらに言えば「どうやって〈静〉の状態を作るか」が一つのカギとなるはずです。

そんな師の言葉を意識しながら、いつも指揮台に上っているのですが、じゃあこの気持ちで

ボウリングのアプローチに上がってみたらどうだろう、とふと思ってやってみました。

空間を意識しながら、背筋を伸ばして、ピンをまるでオーケストラの楽器のように見立てながら

アプローチに立ってみたわけです。

 

 びっくりしました。立った時の安定感が違う。視界が広くて明るい。重いボールを構えているのに体の

どこにもストレスがかからない。投げる前から自信が湧いてくる。〈静〉を意識することで、この後に続く

〈動〉が極めてスムーズにイメージできます。指揮とボウリングという、一見何の共通点もないこの二つが

稲妻のような鋭さで繋がりました。この二つをやっていて良かったなあと心から思った瞬間でした。

と同時に、僕のボウリングの師匠が数年前に何気なくつぶやいた言葉を思い出しました。

「上手いやつは立った瞬間に分かる。本当に上手いやつは〈止まってる〉」

当時高校生だった僕には全く理解できませんでしたが、いま、ようやくその意味を理解した気がしています。

 

 まだ今年はあと少し残っているのでちょっと気の早い話かもしれませんが、2010年は「静」と「脱力」

(脱力とは、〈動〉の中の〈静〉に他なりません)を意識してボウリング(もちろん指揮にも)に取り組みます。

これまでに培った〈動〉の技術をフルに活かしながら、「アプローチにどうやって上がるか」、

「どうやって空間を支配するか」という問題から、「どうやって呼吸するか」まで、〈静〉状態の質を高めるために

色々と工夫してみようと思います。ちなみに明日は能を国立能楽堂へ見に行くので、そこからまた

〈静〉や〈空間〉に関するヒントが掴めるかもしれません。とても楽しみです。

 

 なお、本日は坂野潤司『日本憲政史』(東京大学出版会,2008)を読了。政権交代が叫ばれた昨今や

天皇の政治利用ともとれる民主党の(というか小沢の)政策を冷静に見るために、と思って読んでみましたが

これは非常に良い本です。

 

「日本国民は二つの欽定憲法しか持ったことがないから、改憲して初めて国民の手による憲法が持てる

というような議論は、歴史音痴を告白しているに過ぎない。大日本帝国憲法の「欽定」(1889)以前には

それよりもはるかに民衆的な憲法草案が全国津々浦々で起草されていた。そしてそのような民主的憲法への

強い期待を背景に、欽定された専制色の強い大日本帝国憲法を解釈を通じて民主度を高める努力

(たとえば天皇機関説)がそのあとも続けられていった…」(P.41)

 

などというくだりにはハッとさせられますし、美濃部達吉と吉野作造の憲政論を対比させながら

見ていくあたりもとても刺激的でした。おすすめです。

 

あとはここ数日で多木浩二『眼の隠喩-視線の現象学-』(ちくま学芸文庫,2008)と、

上橋菜穂子『獣の奏者』一巻、ハンス=ヨナス「人体実験についての哲学的考察」という論文を読了。

長くなってしまったのでこれらについてはまた記事を改めて書くことにします。  

 

 

12月の満月

 

 今日は月がびっくりするぐらい大きく、明るかったですね。今まで見た月で一番迫力があったかもしれません。

空気も澄んでいたので表面の模様までよく見えて、しばらく見とれてしまいました。

以前にギリシャ哲学の大教授がおっしゃっていた、「太陽はあんなに明るく大きいのに地上の我々から見れば

空にある太陽は足の幅の大きさのように見える。それは、本来の大きさだと我々はその輝きに目を

見開くことができないからだ。これは〈真理〉と似ている。真理が眼前にあると、真理が放つ光が激烈過ぎて

我々はそれに目を見開くことができない。だから真理はとても遠くにあって、その弱い光を我々は見ているに

過ぎない。だが、哲学するものは、みずからの身を焦がすことを恐れず、眩しすぎる真理へと挑んでいく。」

という言葉をなんとなく思い出しました。

 

まあそんなわけで、先日の記事が固かったので今日は近況を軽く書いておくことにします。

 

・立花ゼミ

先生方と国際関係論と音楽とデザインについての喧々諤々の議論(?)をやっている間に

今日のゼミの時間が終わってしまい、今週はゼミに出ることができませんでした。ちょっと悲しい。

立花ゼミの「二十歳の君へ」書籍化企画が着々と進んでいる中、その企画の一環として

「立花隆対策シケプリ」を作る予定なのだが、それについてゼミ生がどの分野を担当するか決めやすいように

各自の得意分野・専門分野をメーリスに書いて流したらどうか、という提案をしようと思っていましたが

言う機会を失ってしまいました。まあここに書いておけば何人かは読んでくれるでしょう。

あと、僕が細々とやっている芸術企画の一環として「香り」について問うプロジェクトをやろうと思っています。

ただいまインタビュー先のリストアップ中です。

 

・ボウリング

かなり安定してきました。210アベレージをここ数週間コンスタントに維持できており、プロにも二連勝しました。

ホームにしているセンターのレーンはかなり遅く結構荒れていることが多いので、回転数の多い僕にとっては

結構苦しむレーンなのですが、無理せずボールを走らせる技術をようやく完全に会得した気がします。

あとはスコアの振れ幅を出来るだけ小さくしていく(ちょっと前には245の後に128を出しました…。)ことが

必要ですね。あんまり崩れてしまうと、精神的に次のゲームがきつくなるので、ローゲームは180ぐらいまでで

留めておきたいところです。

 

・フルート&指揮

フルートは中音域を響かせるコツというか、息を当てるポイントが掴めてきた気がします。

適当にそのへんの曲を吹きながら、オクターブの練習をひたすらやっています。

指揮は練習曲その1にじっくりと取り組み中。「もっとスマートに振らなきゃ。」と帰り際に師匠に言われて、

「スマートって一体何だ・・・。」と帰りの電車で考え込んでしまいました。「もっと自然に!」というのも

師匠から良く言われることなのですが、こちらも中々難しいことですよね。力が入ってしまっているのは

自分でも分かるときはありますが、かといって力を抜くのはとても難しい。ですが、この「脱力」こそが

指揮の奥義の一つの筈なので、なんとかしてこれをマスターせねばなりません。何年かかることやら・・・。

 

・本

ここ数日かけてブルデューの『ディスタンクシオン』(藤原書店)を上下二巻読み切りました。

ブルデューの議論に通底するものは、一言でいえば「再生産」だと思います。

この本でも、ディスタンクシオン(卓越化)という言葉と、「ハビトゥス」という概念を用いて、個人の「趣味」が

本人の自由意思のみに基づいて形成されるものではなく、個人の職業や社会的階層、あるいは

両親の職や学歴や環境に大きく規定されていることが明らかにされます。有名な例では、一巻の第一章に

ある、「好きなシャンソン歌手・音楽作品」と「所属階級・学歴」の相関表。シャンソンのことはよくわからない

ので、シャンソン歌手との相関については何とも言えないのですが、音楽作品として挙げられている

『美しく青きドナウ』『剣の舞』『平均律クラヴィーア』『左手のための協奏曲』だけを見ても、上流階級・知的職

になるに従って『平均律クラヴィーア曲集』を好む人の割合が増え、一方で庶民階級は『美しき青きドナウ』や

これに続いて『剣の舞』を好む人が多いというデーターがあります。このように諸作品につけられた価値の

「差異」が学歴資本の差に対応している、とブルデューは結論付けます。そしてこうした文化の価値は

「フェティッシュの中のフェティッシュともいうべき文化の価値は、ゲームに参加するという行為が前提として

いる最初の投資のなかで、つまりゲームを作りだすとともに闘争目標をめぐる競争によって絶えず

創りなおされるところの、ゲームの価値に対する集団的信仰の中で生まれてくる。」(P.386)と言います。

 

 なかなか分厚い本ですが、最後まで息切れせずに読ませる面白さをこの本は持っています。

名著と呼ばれて久しいのも納得です。興味がある方や社会学部に進学される方は是非読んでみてください。

立花ゼミの「貧困と東大」企画の参考になるかもしれません。

 

というわけで次は『ルーマン 社会システム理論』(新泉社)へ。第三者の審級概念についての大澤論文を

読んでいて、自分のルーマンのシステム論への知識が圧倒的に不足していることを痛感させられたので

12月はルーマンを集中的に攻めたいと思っています。まずこの概説書を読んでから、次に

長岡克行『ルーマン 社会の理論の革命』へ、そして馬場靖雄『ルーマンの社会理論』を読みつつ

ルーマン自身の著作に取り掛かる予定です。それから冬休みにはカール・ポランニーの『大転換』と

ちくま学芸文庫から出ている『経済の文明史』と『暗黙知の次元』を読む予定。あとずっと読みたかった

東浩紀『存在論的、郵便的 -ジャック・デリダについて-』も読みたいですね。浪人中に立ち読みしてみた

もののさっぱり理解できず、「これはもっと勉強してから読もう・・・。」と諦めた経緯があります。

サントリー学芸賞受賞作は分野問わず全て読もうと企んでいるので、やっぱり本作を外すわけには

いきません。再チャレンジします。

 

学術書ばかりになってしまいましたが、小説では上橋菜穂子『獣の奏者』を読んでいます。

まだ一巻の途中ですが、段々面白くなってきました。このあとの展開が楽しみです。

 

・モノ

PILOTから出ているバンブーという万年筆が今年の夏に廃番になっていたことを知りました。

夏にはまったく欲しいとは思わなかったのですが、廃番と聞くとちょっと欲しくなりますね。

とくにMニブの青軸は有名どころの文具店では軒並み完売だそうです。意外と地方の文具屋さんでは

残っていたりするかもしれませんね。もし発見された方がいらっしゃったらご一報下さい。

 

『二十歳の君への宿題』メールフォーム

 

先日ここに書いた、立花ゼミ駒場祭企画『二十歳の君への宿題』のメールフォームができました!

URLはhttp://kenbunden.net/20/です。作ってくれた技術班の方々ありがとう。

このブログをお読み頂いている方で21歳以上の方は上のURLをクリックして、立花ゼミの企画に是非ご協力ください。

20歳以下の方はご両親や御親戚などにこのページを紹介して頂けると大変嬉しく思います。

また、ホームページやブログをお持ちの方はこの企画を宣伝して頂けると幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

さて、しばらく更新できていなかったのでまた纏めて色々書いておきます。

 

・ボウリング

プロとの試合で、4ゲームトータル973というスコアが出ました。たかが4ゲームに過ぎませんが、アベレージ243。これは珍しい。

スコアシートの画像を添付しようと思ったのですが上手くいかないので、内訳を書いておきます。Xがストライク、/がスペアです。

1G 9/XX9/XXXXXXX9⇒268

2G XXXXXX9-XX8/X⇒245

3G 7/XX9/7/XXXX9/9⇒234

4G X818/XXX9/XXX9/⇒226

ノーヘッド(1番ピンに当たらないこと)は0でした。イージーミスは7ピンの一回、スプリットは7-10の一回。

ポケット入って7-10スネークアイが出た時は「あちゃーこれで終わった。」と思ったのですが、なんとか立て直せたようです。

面白かったのは1G目。僕が先攻で投げていたのですが、あとから投げるプロも10フレーム二投目まで僕と全く同じ展開、全く同じ

スコアでした。5フレから7つストライクを続けて来て、「これで勝ったかな?」と思っていたら、プロも5フレから7つ続けて来ます。

ここまで来ると我慢比べですね。スタッフの方や一般のお客さんの方も僕らが投げているボックスの後ろに集まって成り行きを

見守っていらっしゃったようで、大変熱い展開になりました。結局、10フレ最後で僕が9本だったのに対してプロはストライクを

出したので268-269で負けてしまいました。恐るべしプロ。

 

・指揮

師の「平均運動」が美し過ぎて感動しました。何気なくやっているように見えるのに、あれは絶対真似できない。凄い。

最近ベルリオーズの幻想交響曲の同曲異演を集めてスコアを読んでいるのですが、師の書き込みだらけのスコアを発見したので

その場で大体を書き写して帰りました。師が研究に研究を重ねて書き込んだスコアというのは、それだけで一つの宝物です。

 

・ブログ

立花ゼミに新しく入った有賀くんのブログとリンクしました。彼とは前期教養課程で同じクラスで良く呑む仲です。家もすぐ近く。

哲学科に進学するだけあって彼の思考はとても面白い。刺激を受けます。

 

・映画

「アメリ」を見ました。奇怪なオープニングにびっくり。「元通りしまうこと」というくだりでL’étranger,enfantと言っているように聞こえた

のですが、字幕で確認するのを忘れてしまいました。全体的にコミカルな(ある意味で「俗」な)展開なのですが、雨が降る所を

上から映したショットなどはフランスらしい色彩感に満ちていて美しかったです。また、主演のオドレイ・トトゥは右斜め上45度からの

写りが抜群に綺麗だなと感じます。「人間に人生に失敗する権利がある」とテレビの登場人物が語るワンシーンが印象的でした。

 

・珈琲と紅茶

珈琲の方はいつもお世話になっている樽珈屋という珈琲屋さんから届いたコロンビアの中煎りを飲んでいます。

ミルはカリタのナイスカットミルを使用し、一杯ずつペーパードリップ。香ばしさの中に甘さを感じられる、とても美味しい豆です。

紅茶の方は近くのカルディでJanatの葉が缶で安売りされていたのでブレンド・セイロン・アールグレイの三種を買い込みました。

Janatの紅茶は香りがとても良く、(たまに「?!」となるようなものもありますが)ミルクティーにしても香りが消えないものが多いので

愛用しています。夜中に飲むと癒されますよ。缶のデザインもお洒落ですし、後期課程でフランス科に進学する身としては書かれた文章

(Pour l’amor de mon chat,qui m’a inspiré des bonnes idées et que j’aime toujours.)に妙に親近感を覚えます。

猫の絵がかわいい。

 

・デザイン

KIRIN-東京大学パートナーシッププログラムのフライヤーのデザインが最終稿まで終了しました。内容に配慮しながら、文字情報を

すっきりと見せることを心がけました。背景に敷いた写真と、アクセントに入れた薄紫の文字が気に入っています。

 

・虫垂炎

虫垂炎にかかってしまったようです。夜中に苦しんだあと、一日学校を休んで病院へ。久し振りに点滴を打ちました。

血液検査の結果次第ですが、もしかしたら一週間弱ほど入院するかもしれません。

一日休むだけで予定が6つおじゃんになり、4か所に電話をかけて事情を説明する羽目になりました。色々痛すぎます。

 

 

嵐の後に。

 

 嵐が過ぎて、空は澄み渡って青かった。青いだけではなく、高い。秋の空だ。

降り注ぐ光は夏の面影を感じさせるが、高く広がる空と吹き抜ける風はどうしようもなく秋だった。

 

 夕刻、陽が沈むと秋の香りが辺りを覆い尽くした。

秋、それも晩秋の香り。悲しい事がなくても泣きたくなるような、人を一人にする香りだ。いつもより街が静かに見える。

見上げた空は濃いブルーブラック。そこに浮かんだ月の透明さに足が思わず止まる。風が吹く。季節が変わったことを実感する。

 

 と小説っぽく書き出してみたものの、あまり意味は無い。いつものように近況を幾つか書いておくことにする。

 

・授業

授業を大量に取り過ぎてフランス語を自学自習する時間が予想以上に減ってしまったので、授業を少し削って空きコマを増やした。

そういえば相関社会学基礎論の授業で大澤真幸『意味と他者性』(勁草書房)に収められている「規則随順性の本態」について

発表することになった。中々読みづらい論文だが、後に大澤の主張の中核となる「第三者の審級」に相当する部分が多々見られる。

 

・本

何もしていない時間は語学の勉強に殆ど割いているため、最近あまり本を読めていない。台風がやってきたので刺激されて本棚から

新潮出版から出ているヘッセ全集3『春の嵐』を取りだしてざっと流して再読したぐらい。あとは『宣伝会議』という雑誌と『東洋経済』

という雑誌を読んだぐらいか。今日、S氏に「国際政治学を学ぶ上での参考文献」的な書籍を見せてもらったのだが、そのクオリティの

高さに感動した。150ページぐらいあるその本の内容全てが文献紹介で、ざっと5000冊ぐらい挙げられている!読んだことのある本も

ちらほらとは見つけられたがそれも100冊程度に過ぎなかった。この50倍読むべき本があるのかと思うと、やる気が湧いてくる。

S氏と「このリストを見て、秘書の人に『あ、ごめん。ここに挙げられてる5000冊全部注文しといて。それから5000冊入る本棚と。』

なんて言える人になれたらなあ。」などと妄想してみたりする。それにしても、部屋の壁一面に巨大な本棚(もはや本棚というより壁)

がある部屋には心から憧れる。石田衣良の写真なんかで写っている「アレ」だ。他が多少狭くても構わないから、そんな家に住みたい。

 

・ともだち

東大駒場にはAIKOMという交換留学制度があるのだが、そこで海外から来た方のチューターを後期教養の学生がやることに

なっていて、僕も勢いでそれに応募してみたら結構倍率の高いセレクションを通ってしまったらしく、チューターをやることに。

相手はグルノーブル大学から来た、とても物腰の柔らかいフランス人のBastien。ここぞとばかりにフランス語で挨拶をしてみたり

自己紹介をしている間に気付いたのだが、彼は相当に日本語が出来る。ペラペラ、と言っても過言ではない。

これは英語をあまり使う必要が無さそうで、彼が日本語で知らない単語を説明するのに使ったりする程度になりそうだ。

僕が日本語を教え、Bastienがフランス語を僕に教えてくれるということで、日仏間の交流は順調にスタートした。

彼は穏やかで上品で、とても親しみやすい。今日一日話したりご飯を食べたりしている間にすっかり仲良くなった。

ヴァイオリンをやっているそうで、イタリアントマトで昼食をとりつつ「好きなヴァイオリニストは?」というテーマでひとしきり盛り上がった。

(僕はGinet NeveuとArthur Grumiauxを挙げ、彼はItzak PerlmanとZino Francescatttiを挙げた。)

明日、留学生たちと東京見学に出かけるのでまた色々話が出来ることと思う。楽しみだ。

 

・薪能

駒場の図書館前に特設セットを組んで能が上演された。なんとあの野村萬歳を含む超豪華キャスト。

いつも何もない空間に舞台が現れ、いつも学生の声が聞こえる空間は異質の空間へと変容した。

 

・ボウリング

最近200アベレージを維持できている。調子が悪くなるときにチェックすべきポイントが固まってきた。やはり、静から動に移る瞬間、

つまり一歩目の踏み出しとダウンスイングがフォームの核だ。これが上手くいっている時はバックスイングで掌がボールにくっついている

感覚を得ることができるし、リリースの際に掌で押す感覚が味わえる。小指にも意識が行き届く。この調子を続けたい。